娘が今夜も眠らない・・・ ~放校まであと1年!?~

娘が今夜も眠らない・・・ ~放校まであと1年!?~

思えば赤ちゃんの時から兆候はありました。
睡眠相後退症候群? 過眠症? 発達障害? ST気質?  
つまずきっぱなしの娘は果たして何モノなのか・・・。
知識ゼロの母親が子育ての失敗を振り返りながら、一から勉強していく備忘録のブログです。

バタバタしている間に、娘がロゼレムを飲み始めて2週間が過ぎておりました。
現在どんな具合か、状況をご報告させて下さい。




2/20朝まで、娘は実家に帰省していたわけですが。


なんと娘は、4泊5日でこちらにいた間ずぅぅぅぅ――っと、毎日23時には寝て、朝7時前後に起きるという、20数年間1度もありえなかった生活をしておりました。
ホントにびっくりですポーン ビックリマークビックリマーク

 

(絶対嘘やろーと思い、夜中にこっそり部屋をのぞきに行ったりもしましたが、毎回本気で寝てましたガーンあせる

 

――恐るべし、ロゼレム。  ・・・かどうかは分かりませんショック!

 


娘に訊いてみましたところ、
「だって今が分水嶺だから。先生に言われた通りに寝てみないと、睡眠障害の原因が睡眠相後退症候群なのかナルコなのかそれ以外なのかを見極められないじゃん?」
とのこと。

いつもダラダラしていて、親に言われないと自分からは動かない娘が(実際は言われてもなかなか動きませんけれども)、こんな風に自らやる気を見せているのは、中学受験以来ではないでしょうか。

 

どうやら娘は、本気で今の『二留』という現状を打破したいと考えてはいるようです。
(今までは、高校で留年した時も退学した時も、大学になかなか入れなかった時も、去年大学で留年した時も、良く言えば動じない、悪く言えばずっと他人事でしたから。娘の”本気”なんて、ほぼ見たことがありませんあせる
 

 


娘は睡眠障害のクリニックで受けた2日目の検査(=MSLT、詳細はこちらとかこちら)にて『寝たい時にいつでもすぐに眠れる技』を会得したと豪語しておりましたので、現在の毎日23時就寝が本当にロゼレムのおかげなのかどうかは、正直分かりません。

 


ちなみに2/13の記事で書かせていただきましたように、ロゼレム1/4錠では先生の仰った朝7時までは眠れませんでした。
6時頃に目が覚めてしまうことが多く、それだと日中の眠気が軽減しない原因として『(ロングスリーパーの)睡眠不足』を除外することができないと考えて、2/13からロゼレムを1/2錠に増量して様子を見ていました。

それ以降は少しだけ睡眠時間が延びて、7時前後までは眠れていると私には思えるのですが、娘は「あまり変わらない」と言います。


そして、ロゼレムを飲んで23時前後から7時前後まで毎日ほぼ8時間睡眠をとるようになっても、日中の眠気は以前と変わらないようです。
相変わらず急な眠気に襲われて、毎日1~3回は昼寝(?)をしているらしく・・・それでは意味がありません汗

 

 


ですがこの度、2/20にADHDとの診断を受けて、ますます確信したことがあります。
それは。

『睡眠相後退症候群』が属する『概日リズム睡眠-覚醒障害』群は、少なくとも環境改善や自分の意志では抗えないもののはずです。
それどころか薬もなかなか効かなくて、日常生活はおろか社会生活に合わせることが困難で、苦労している方も多いと聞きます。

それなのに、娘が今自分でちゃんと寝ようと決めて規則正しい睡眠リズムが保てているということは、やっぱり『睡眠相後退症候群』の可能性は低いのではないでしょうか??


そうなると、残るは『ナルコレプシー』、あるいはADHDに伴う『過眠症(症状)』が有力、ということになります。

 


以前にも少し触れたかもしれませんが、2019年12月号の「睡眠医療 ナルコレプシー特集号」には、

・ナルコレプシーと発達障害の関連性を指摘する論文は多い。
・睡眠障害(ナルコレプシーに限らず)は、特にADHDの発症と密接な関連性があるといわれている。
・睡眠時間の減少や睡眠の断片化によってADHDの症状が増悪するとの報告もある。
・幼少期にADHDがある場合、成長してナルコレプシーを合併する確率は健常人に比べ約2倍になるとの報告がある。
・逆に、成人のナルコレプシーは幼少期にADHDの症状があったとの論文もある。(17歳の男子高校生で、ナルコレプシーと診断された後、幼少期から注意欠如症状があることが分かり、あらためてADHDとナルコレプシーの合併と診断された症例が載っていました)

とあります。

 

 

そもそもADHDの約50%に頑固な睡眠障害があるとのことですので、娘の場合も、

・赤ちゃんの時からの眠りづらさはADHDのせい
・現在の昼夜逆転のしやすさもADHDのせい(ただしちゃんとした時間に入眠しようと思えばできることが最近分かった)
・日中の過度の眠気は睡眠不足かADHDかナルコレプシーのせい

と考えるのが妥当なのでは・・・というのが現時点での推測です。
 

 

ただ原因が何であれ、ADHDの治療だけでなく、昼夜逆転と日中の眠気を改善させることも来年の卒試合格のためには欠かせない気がします。
もうあまりのんびりしている時間はありません。


次回の睡眠障害のクリニック受診は、3月2日。
それまでに、診断的治療の意味も込めて、できれば今いただいている薬の効果を見極めておきたいです。
それで、娘と相談の上、最初に先生から勧められたように、カフェインを毎朝服用して日中の眠気がどうなるかを見てみようということになりました。

(いったんは「コーヒーを飲むと気分が悪くなるから」と連用を断った娘ですが、初日に1度だけ服用した時は体調が悪くなったりしませんでしたので、おそらく大丈夫では?)

 


その前に、2/20の夜から再びロゼレムを1/4錠に戻しています。
やはり1/2錠と効果に違いはないとのことですので、ロゼレムはこのまま1/4錠で続け、明日から毎朝カフェイン1錠を服用して日中の眠気がどうなるかを観察し、3月2日の睡眠クリニック受診に臨みたいと思います筋肉



さてさてどうなることやら・・・汗

 

また後日ご報告させて下さい。

 

 

 



*今日本屋さんに行ったら、『 精神医学』という雑誌の最新巻(2020年2月号)が『発達障害と認知症をめぐって 』という特集でした。
「え?発達障害って、認知症になりやすいの?」と驚いて思わず手に取ってみましたが、中身は逆で、ここ最近特に、65歳以上の高齢者で認知症とされていた人の中に、実は未診断のADHDの人がかなりの割合で含まれている、という話のようでした。例えば55歳以上の若年性認知症と言われている人のうち、10-15%が本当はADHDだったとの報告もあるとか。
「大人のADHD」と聞けば20-30代をイメージしていましたが(勝手に)、そうか、診断がつかずに過ごしてきた方たちの中にはそんな年代の方々もいるんだ・・・とあらためて驚きました。

この記事は、【初めての発達障害外来に行ってきた】の待合室編診察室編 前編診察室編 後編からの続きで、これで完結となります。

 

 

 

電車を乗り継いで大きな駅に着くと、私たちは直結してる百貨店の上の階にあるレストランに入りました。

娘はここからあと1つ電車に乗って家に帰り、私は電車をさらに乗り継いで自宅に戻るのですが、お互い今日の怒涛の1日についてちゃんと話し合っておきたくて、ついでに夕食を一緒に食べていこう、ということになったのです。


まだ夕食には少し早い時間帯のせいか、レストランの中にお客さんはほとんどいません。
おかげで周囲を気にすることなく、ゆっくり話をすることができました。

私:「いい先生だったね」
娘:「そうだね。めっちゃ長い時間話を聞いてくれたし」
私:「だけどまさか今日、いきなり診断までいくとは思わなかったわ」
娘:「私もびっくりした。しかもコンサータまでくれそうになってたしね」

娘も、今日の急展開については私と同じ感想を抱いていたようです。

私:「これだけ早く診断がつくってことは、よっぽど典型的だったんじゃない? ADHDの症状がそろいまくってて、道の踏み外しっぷりもハンパないとか」
娘:「これで私もガイジ確定だね」
*言葉が悪くて申し訳ありません。娘は何気なくネットスラングを使っただけで、決して差別的な意図を含んでいたわけではないと思います。ただ私がそこに自嘲的な意味を感じ取ったということもあり、敢えてそのまま書かせていただきました。もしどなたかを傷付けてしまったとしたら、謝らせて下さい。

私:「・・・やっぱりショックだった?」
そう訊ねたのは、まだ私自身がショックから立ち直りきっていなかったからだと思います。

すると娘は言いました。
娘:「そうだね……正直、複雑、てのはあったけど、そんなに落ち込んではない」
私:「本当に?」

”複雑”という言葉に不安を感じた私に向かって、娘は続けました。

娘:「先生にも話したけど、何でみんなと同じようにできないのか、何で宿題とか勉強を最後までやり遂げることができないのか、ずっと自分でも分からなかったんだ。私が怠け者で努力不足なのはもちろんだけど、ずっと、それだけでは説明できない何かがある気がしてて、でも他の人に言ってもただの言い訳にしか聞こえないと思ってたから、誰にも言えなかった。だけどようやく原因が分かって、すっきりしたよ」

いまだにショックを引きずっている私と違い、娘は心からすがすがしい表情をしていたので、少し安心することができました。

同時に、これまでずっと一番近くで見ていたはずなのに、わが子がそんな思いをしていたことにまったく気付いてあげられなかったことに、親として申し訳なく情けない気持ちでいっぱいになりました。

「ごめんね・・・」

そう謝ることしかできない私に、娘は言いました。

「でも、お母さんはちゃんと分かってくれたじゃん? 1年前に自分で『私、ADHDかも…』って思い始めた時は、自分のダメさを言い訳するみたいだし、お母さんたちにもそう言われると思ったから、自分からは言い出せずにいたのに、まさかお母さんの方から気付いて言ってくれるとは思ってもみなかった。前に、知り合いにADHDやADHDっぽい人が多いって話をしたでしょ? その人たちの中に、診断は受けてお母さんは分かってくれてるけど、父親の方が認めてくれなくて治療が受けられないとか、そもそも親が『そんなのは障害でも病気でもない。おまえが悪いだけだ』と言って受け入れてくれないから、病院にさえ行けないって人が結構いてさ。いじめに遭って、何とか通信で高校まで出たけど、職場で上手くいかなくて結局引きこもってて、「もし親が死んだら死ぬしかないわー。あ、でも親が死んだら病院に行けるのか」って言ってる人もいたりね。それを思うと私は恵まれていると思う」

娘の言葉で、私は少しだけ救われた気持ちになりました。

ただ、ここアメブロには発達障害や不登校などのお子さんを一生懸命支えようとしておられるお父さんお母さん方や、子どもたちに関わっておられる方々などが多くいらっしゃる一方、世の中には誰からもサポートを受けることができず、一人でつらい思いをしている人たちもたくさんいるのだという現実に、ひどく胸が詰まりました。
 

 


その後は、現在通院中の睡眠障害のクリニックからこちらの病院に転院する手順を、娘と確認したりしました。
まぁ、どうせ今言っても忘れるでしょうけれどもあせる

それからはいつもの調子で、
娘:「また来月も帰省するね。猫たちにも会いたいし」
私:「は? 勉強があるしお金もかかるから、帰って来なくていいからむかっ
などと雑談をして、最後に
「ADHDだと診断がついたからといって、頑張らないといけないのは変わらないから・・・しっかりやりなさいね」
と声をかけて、そのまま駅で娘と別れました。




――とうとう、娘に『ADHD』との診断が下りたのです。

 

確かに、最初はショックや予想外の悲しさがありました。
ただ、その事実を娘がどう受け止めたのかを確認した今、浮かんでくるのは「これからのこと」ではなく、一緒に歩んできた20数年間のことばかりです。

たくさん、たくさん怒ってきました。
娘自身を否定するような言葉を、どれほど多く向けてきたことでしょう。
娘が抱えていた障害に、私がもっと早く気付いてあげることができていれば。
娘は、自分ではどうしようもないことで怒られることもなく、傷付けられることもなく、もっと違った人生を歩めていたかもしれません。


そう思うと母親としてあまりにも不甲斐なくあまりにも申し訳なくて、帰りの電車で秘かに涙したことは、娘には内緒です。





*たった1日の診察報告に4日もかかってしまい、申し訳ありませんでしたショボーン汗。ここまでお付き合い下さり、どうもありがとうございます。おかげさまで私自身も気持ちを整理することができました。

また、たくさん「いいね!」を押して下さって、どうもありがとうございます。「頑張れ!」と娘に言って下さっているようで、とても嬉しいです。

この記事は、一昨日の待合室編と昨日の診察室編 前編からの続きになります。




しばらくの間、先生からの質問に娘が答え、時々私が補足し、それを先生がカルテに書き留める、という作業が続きました。

やがて診断基準の最後の項目まで質問が終わった時には、娘の赤ちゃんの頃からのエピソードと、中学入学以降の主に学業においての道を踏み外しまくりの半生について、そしてずっと続いている睡眠障害についても、ほぼ言い残したことはないと思えるほどお話を聞いていただくことができていました。


その内容を書き留めて下さった紙カルテは、表裏あるのに3~4枚の量にもなっています。
それらを手元でいったん揃え、どこか考え込むような様子で最初からぱらぱらと捲ってから、先生はゆっくりと口を開かれました。
 

 

「これだけ症状がそろっていたら、ADHDは間違いないでしょうね。小さい頃からすでに徴候は存在していたようですし」

 

 

 

 

 

 

 


――まさか初めての診察で、いきなりここまではっきり言われることは予想だにしていなかったので、私は言葉を失ってしまい、ただただ黙り込むことしかできませんでした。

 

 

 

 



先生が立ち上がり、戸棚からファイルを取り出して来られる様子を、私と娘は無言のまま見つめます。

「今後いくつか心理検査を受けていただくことになりますが、あくまでも補助的なものです。結果が出るまでに少し時間もかかりますし、それまでにコンサータの服用を考えてもいいかもしれませんね」

「コンサータ・・・・・・?」

 

こんなに早くその薬の名前が出てくることも、もちろんまったく考えてもいなかったので、私は思わずそうつぶやいてしまっていました。

そんな反応を、先生は〈いきなり薬物治療のことに言及したから、あるいはその薬自体に抵抗感があるのかもしれない〉と気を遣って下さったのかもしれません。

「いきなりでなくても他にもいくつか方法はあるのですが・・・」
と、手にしたファイルの中から一枚の紙を取り出して説明して下さいました。


「たとえばADHDや日常生活への対処方法などについて学ぶためのデイサービスに参加していただく、ということもやっています。この病院では月1回患者さんとスタッフで集まって、勉強会を開催しています。同じような状況の人の話を聞ける機会はなかなかないと思いますし、参考になったという方も多いんですよ」
と、1年間の開催日程とテーマの予定表を見せて下さいました。

 

「あと、大切なのは”環境調整”です。たとえば職場で仕事内容を変更してもらうとか、音や光に敏感な場合は、個室での作業に変えてもらった方もおられます。ただ、学生さんの場合はできることも限られていますし、娘さんの場合はすでにいろいろ考えて対処もされているようですので、あまり必要ではなさそうですね」

また先生は、もし娘がこのまま卒業試験と国家試験に合格できなければ、大学に入学できたことも、ここまで数年間学んできたことも、すべてが無になってしまうことを察して下さったのだと思います。
こんな風にも言って下さいました。

 

「娘さんの場合、見たところ目立った二次障害は出ていないようですが、卒業や国家試験という差し迫った問題があるので、早めに薬での治療を考えてみる方がいいかもしれません。これまでのお話を聞いた限りでは、薬物治療くらいしか効果を期待できる方法はなさそうなので。コンサータを飲んで良くなったと言われる患者さんは多いんですよ」


そう言葉にしていただいて初めて、先生がいきなりコンサータによる薬物治療を勧めて下さった理由を理解することができました。

 

私も娘も、もうすがれるものは薬くらいしかないと考えていたくせに、あまりの急展開についていけなくて、
「そんなに簡単に処方してもらっても、構わないものなの??」
と戸惑っていたからです。

 

ですがそこまで考えて下さっての判断だと伺って、心から納得するとともに、先生に対する感謝の気持ちでいっぱいになりました。

 


娘が言いました。
「まわりの人が普通に出来ていることがどうして自分は出来ないんだろうと、ずっと私はゴミ人間なのだと思ってきました。もしそれが薬で少しでも改善する可能性があるなら、飲んでみたいです」
*先生の前で『ゴミ人間』だなんてアナタ…ガーン


その時初めて、しかも唐突に
「ああ、娘は本当に『発達障害』だったんだな・・・」
という実感が胸に迫ってきて、思わず涙がこぼれてしまいそうになりました。

 

この1ヶ月半の間、さんざん”娘はADHDに違いない”と決めつけていたくせに、今さらなぜこんなにも悲しいのか。
自分でもよく分かりません。
それでも、ただただとても悲しかったのです。

 


頭の中には、産科を退院して、小さな娘を初めて家に連れ帰って来た時からこれまでのことが、まるで昨日のことのように蘇っていました。

とても大変だったあれらのことやこれらのことが、まさか本当にADHDのせいだったなんて――。

そうとは知らずに過ごしてきた年月の長さに対する喪失感なのか、これから一生続く『障害』という明確な烙印の重さに対する絶望感なのか……今もまだ気持ちは整理しきれていません。



ただ治療となりますと、睡眠障害の方の治療との兼ね合いがどうなるのか、が気になります。
コンサータを飲みながらロゼレムも続けていいのでしょうか?
もしナルコレプシー用の強い薬を飲むことになったら、その時は?
この病院で発達障害を診ていただきつつ、(関係があるとはいえ)別のクリニックで睡眠障害を診ていただくのでしょうか?


すると先生は
「ADHDは過眠症を合併していることが多いので、日中の眠気が日常生活に支障を及ぼしているとしたら、今後は発達障害より睡眠障害の治療が中心になるかもしれません。この病院にも睡眠外来があるので、そちらで診てもらえるよう、向こうでの検査結果などを問い合わせる手紙を書きますね」
そう言って目の前でパソコンに向かい、パチパチと紹介状を書き上げて下さいました。

先生は出来上がった紹介状を私たちにも見せて下さり、確か
・ADHDだと考えられ、睡眠障害はそれに伴うものの可能性がある。
・今後こちらの病院の睡眠外来と発達外来とでフォローしていければと考えており、そちらでの検査データなどご教示下さい。
というような内容だったと思います。

 


向こうの睡眠クリニックへは3月初めに受診する予定です。そのことをお伝えしたら、
「ではその日にこの紹介状を持参し、返事を受け取ったら、この病院に電話して睡眠外来の予約を取って下さい。また、今から1ヶ月後に発達外来の予約も取っておきますね。心理検査の方もそれまでに受けられるよう、予約を取って帰って下さい」
との指示を下さいました。

それから私たちは
「今日は本当にどうもありがとうございました」
と心からのお礼を伝え、深々と頭を下げて診察室を後にしました。

 

 

結局この日にコンサータが処方されることはありませんでした。
それは、やはり先生は私たちがコンサータの服用を躊躇っていると思われたからなのか、それとも睡眠外来との兼ね合いで今回は処方を見送られただけなのかは、分かりません。

 

 


再び外来の待合室に出ると、患者さんの数は半分くらいに減っていて、顔ぶれもガラッと変わっています。
それもそのはず、時計を見ると、なんと私たちが診察室に入ってから1時間半以上も経過してました。

初診は20~30分くらいとのイメージで、それでも長い方かもと思っていましたが、それを大幅に超えて1時間半も先生は私たちの話を聞いて下さっていたのです。
淡々とした穏やかな口調には「何でも聞いて下さる」という安心感があって、つい話しすぎてご迷惑をおかけしてしまいました 滝汗

 



その後外来受付で名前を呼ばれ、今日の分の支払いを済ませ、次回の発達外来の予約を取りました。
その際、「次の診察の時に記入して持ってきて下さい」と、『CAARS』という心理検査の用紙を娘と私それぞれが受け取りました。

 

この病院で受ける心理については、諸事情で今日は予約が取れないので、あらためて娘に病院の方から直接連絡を下さるとのことでした。
 

 

 


外に出ると風がとても冷たくて、私は大きな仕事を終えた安堵感と、今日1日で一気に事態が動いたことへの戸惑いを抱えて、肩を縮こまらせながら早足で病院を後にしました。


 

 



*申し訳ありません、あと1回だけ続きますぐすん

この記事は昨日の待合室編の続きになります。




いよいよ診察・・・と緊張しつつ階段を上って行くと、目の前に現れたのは2つめの待合室でした。

4人がけのソファや椅子に座って、20人くらいの患者さんが待っておられます。ご年配の方が多い印象ですが、20代らしき方も姿もチラホラ。
その一角にあらためての受付があり、中では看護師さんの他、薬剤師さんが働いておられます。

どうやら私たちがさっきまでいたところは入院も含めた総合受付で、ここが外来の受付のようです。


この病院の外来の様子は少し変わっていて、一直線の廊下に沿って診察室がいくつか並んでいる、というよくある構造ではありません。
外来の中心にあるのは待合室で、その待合室は四角形ではなく凸凹のある複雑な形をしています(強いていうなら10角形??)。

その凸凹部分にはそれぞれドアがあり、そのうちの1つが受付と薬局になっていて、それ以外には診察室が少なくとも4部屋以上はありそうな感じです。

それらのドアが時々開いては、白衣を着た先生らしき方が待合室に現れ、ご自身で患者さんを呼び込んでおられます。
また受付の中におられた師長さんらしき女性が待合室に出て来られて、「みなさーん。今度こんな催しがありますので・・・」などと呼びかけておられたり、何だかアットホームな雰囲気です。
普通は病院というとテキパキ・キビキビしているイメージでしたが、先生たちも看護師さんたちもみなさん優しそうで、ちょっと緊張がほぐれました。

私と娘は、空いている席に並んで腰を下ろしました。
そして、
私:「どうする? もしADHDじゃないって言われたら」
娘:「今日1日でいきなりそこまで言われることはないんじゃない?」
私:「まぁそうだろうけど・・・」
娘:「そうなったらまた一から頑張るしかないね」
私:「今まで頑張れたことなんかないくせに・・・」

 

など、私は何かもうテンパってて、娘のことを何からどう話せば先生にお伝えできるのかなどと考えを整理する余裕もなく、適当な雑談をしながら待つこと10分程度でしょうか。

背後から名前を呼ばれて、私と娘は慌てて立ち上がりました。
思いがけない方向から呼びかけられたこともあり、動揺しつつ、私たちを担当して下さる「主治医」と思しき先生の方へと向かいました。

 


診察室は、古いけれど、ゆったりとした広さがありました。
真ん中に、長いL字型の机が置かれています。
縦棒より横棒の方が長い「L」の形で、縦棒の部分が壁に接していて、その上には電子カルテ用でしょうか、デスクトップのパソコンが設置されています。
そして「L」の横棒の向こう側に先生が座り、手前側に私と、先生の正面に娘が座るように促されました。

 


先生の背後には大きな窓があって、部屋の中に明るい光が差し込んでいます。
窓の外では木が枝を伸ばし、先生の方を向くと自然と葉の緑が目に入ってくるので、いっそう落ち着ける雰囲気があります。

 


先生は40代後半くらいでしょうか(註:私の目はあてになりませんが)。
すらりと背が高く、さらさらの前髪を(たぶん)真ん中で分けていて、わずかに白いものが混じっています。
メタルフレームのメガネがやや繊細そうな印象の、物静かな研究者タイプという印象の方でした。

先生は私たちが最初に記入した問診票に目を通しながら、
「ADHDではないかと書いてありますが、何か気になる症状があるのですか? 落ち着きがないとか、忘れものが多いとか」
など、まずは一般的なADHDの症状についてさらりと質問をされました。
その後、問診票の項目に沿って、これまでの病歴や家族構成・家族歴など、記載内容を確認するための質問が続きます。

診察が始まるまで、どんな風にお話ししたら短く的確に娘の状況を伝えることができるのだろう、と心配していましたが、先生の方から順番に聞いて下さったので、自然に話に入っていくことができました。

そして問診票の「最終学歴」のことに話が及んだ際に、
「実は、今回『ADHDではないか』と考えるに至ったきっかけが――」
と、『2年連続の2留目』という現状をお伝えしました。
*実は、いつこの件について切り出したらいいのだろう、先走って唐突に話題に出して、”このお母さんにも衝動性がありそう”ってバレたら恥ずかしいし…、としばらくガマンしていましたアセアセ

中学受験から現在までの娘の紆余曲折についても、過去にこのカテゴリーで書きましたような内容を順番に説明させていただきました。
先生はずっと、それらの内容を紙カルテにさらさらと細かく書き留めておられました。

また先生は「小学5年生の途中から勉強を始めて中学に合格できたのなら、それなりに優秀だったはずなのに(ここで私も娘も「そんなことありません」と強く首を振りました。実際にそんなことないので)、どうしてそんなに成績が悪くなってしまったのですか?」の他、「なぜ大切だと分かっていて提出物をしないのか」「どうして途中でやる気がなくなるのか」など、当時の娘の思いや行動の理由をその都度訊ねて下さいました。

「人間関係に問題はありませんでしたか?」との問いには、娘は「多少はあったかもしれませんが、自分では上手くいっている方だと思います」と答えていました。

 


こうして中学受験以降のことをひとしきり話し終わったところで、先生がおもむろに左側に置いてあったノートパソコンを開きます。
そして何かを立ち上げると、それを見ながらの質問が始まりました。

最初は何のことか分からなかったのですが、先生が娘の回答を1つ1つ紙カルテに書き留めながらそれぞれに「○」や「×」の印を付けておられるのを見て初めて、どうやら『DSM-5』の診断基準に沿っての質問らしいことに気が付きました。

こうすることで必然的に、娘が赤ちゃんの時からの困った出来事を1つずつお話しすることができたのです。


 

 

*もう少しかかりそうですので、ここでいったん区切らせて下さい。
 書くのが遅くて申し訳ありませんショボーン汗

いつもこんな拙い初心者ブログを見て下さって、どうもありがとうございます。

 

また「いいね」を押して下さる方、コメントやメッセージを下さる方も、本当にありがとうございます。いつも嬉しくて、暗澹とした私の心の支えにさせていただいております。
それなのにいまだに全部に返信させていただくことができずにいて、本当に申し訳ありません。

もう少し落ち着きましたら必ず・・・とは考えているのですが、なかなか叶わず・・・。

せっかくのお心遣いに対しまして申し訳ない気持ちでいっぱいです。
(娘の学費を捻出するためにこの春からはさらに仕事を増やさなければならず・・・ちょっとしんどいですけど頑張ります筋肉


実は、昨日の記事であげさせていただきました画像の一部に、娘の個人情報が載ってしまっておりました。
ある方が教えて下って初めて気付き、先ほど慌てて修正させていただきましたが、それまでにご覧になった方もおられるかと思います。

ネットの世界での個人情報の取り扱いの怖さにつきましてはある程度見聞きしておりますだけに、今、自分のしでかした失敗に汗をびっしょりかいております。
自分のことでしたらまだしも、将来のある娘に対してとんでもない迷惑をかけてしまったと、後悔と申し訳なさで震えております。


そこでお願いがあります。
昨日から今この瞬間までにご覧になった方もおられるかとは思いますが、どうか見なかったことにして、忘れていただけませんでしょうか。
そして現時点から再び「娘」をどこの誰かも分からない名前のない「娘」として応援して下さいましたら、こんなに嬉しいことはありません。

 


図々しいお願いとは存じますが、どうぞご理解いただけましたら幸いです。

 


また、引き続きこのブログを無事1年間で終わらせることができますよう頑張っていきたいと思いますので、これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
(正直とてもそうはいきそうにありませんけどね・・・えーん
 

 

 

 

追記:教えて下さったN・・さま、本当にどうもありがとうございました花束

 


✿ずっきぃーなより