ここ数年、『ダイバーシティ(多様性)』 という、私にはパッと聞いただけでは何のことか分からない言葉をよく耳にするようになりました。
(*正直言いますと、テクノロジーが超進んだ未来都市のことかと思ってましたゲラゲラ
 

 


『ダイバーシティ(多様性)』 とは、1960年代にアメリカのマイノリティー対策から生まれた概念だそうです。


ちなみにこの概念は、人間界だけに適応されるものではありません。
たとえば地球規模においては、生物や植物の種の多様性を指します。


特に近年はビジネスの世界において、会社組織内における性別や年齢・人種・国籍・職種・働き方・ライフスタイルなどのさまざまな属性を指して用いることが多くなっているそうです。

その根底にあるのは、『多様性』から生じる創造性や問題解決・システムの柔軟性などが、企業の売り上げや発展に貢献し、競争力の源泉となり得るという考え方です。


最近は日本でも大企業を中心に、女性や性的マイノリティーに対する処遇改善の意識が広がりつつあるそうです。

『働き方改革』の一環として、個々の『多様性』を受け入れ、育児中の母親や父親、またはLGBTQを自認する人たちなどさまざまな事情を抱える従業員が、不利な立場に置かれることなく働き続けることのできる環境を整備することに、企業が積極的に取り組み始めているそうです。



ここでふと、「アレはてなマーク」 と思ったのですが・・・知らんぷり


『ダイバーシティ(多様性)』 とは、人種や国籍・宗教・障害・性別・性的指向・年齢などのほか、個人や集団の間で違いを生み出す可能性のある、あらゆる要素を指しています。


ということは、

もしかしたら 『発達障害』 も、その対象に含まれてもよいのでは・・・はてなマークはてなマークはてなマーク



そこで調べてみましたところ、私が知らなかっただけで、すでに 『ニューロダイバーシティ(neurodiversity)』 なる概念が存在していることが分かりました。
(*いつものことながら私は勉強不足です・・・悲しい

 

 

 

というわけで、ここからは少し 『ニューロダイバーシティ』 についてまとめて見たいと思います。

 

 

■ 『ニューロダイバーシティ』 とは

 

・ ASD(自閉スペクトラム)当事者と支援者による権利擁護運動として、1990年代後半に

 生まれた概念で、後にASDだけでなくADHD、学習障害、統合失調症などにも運動が

 派生している。
・脳・神経科学の研究が飛躍的に進歩し、fMRIやMEG、PETなどの脳機能イメージングに

 より脳や神経に由来する違いが可視化されたことを背景に、近年世界的な関心を集め

 ている。
 (*とはいえ日本は少し遅れていて、海外での研究が先行しているそうです)
・脳や神経、それらに由来する個人レベルでのさまざまな特性の違いを「多様性」と

 とらえて相互に尊重し、社会の中で生かしていこうという考え方。
・研究によって集積された脳や神経、認知のメカニズムに関する知見をベースにして

 いるため、「多様性を大切にしよう」というスローガンにとどまらず、科学的な裏付けを

 備えた社会運動となっている。
・「発達障害をどう治療するか」から「発達障害が障害にならない社会をどうめざすか」

 へのパラダイムシフトになり得ると考えられている。

 

 

 

■『ニューロダイバーシティ』 の観点からの発達障害のとらえ方

 

・「障害は個人の問題ではなく、社会構造の問題により生じる」とのとらえ方が基本に

 ある。つまり発達障害の人たちが直面する困りごとは、その人に内在する「障害」が

 原因ではなく、「脳や神経由来の特性を持つ『多様性』が社会環境下で引き起こす

 困難」としてとらえられる。
・神経学的マジョリティである定型発達者と、マイノリティである発達障害者は、脳・神経

 由来の特性レベルでコミュニケーションや行動様式などが異なっている。
 要するに定型発達者と発達障害者はそれぞれ異なる「文化」を持っているのであって、

 それらの間に優劣は存在し得ない。
・発達障害当事者目線からとらえた 『ニューロダイバーシティ』 には、「マイノリティの

 文化を持つ発達障害者を定型発達者と同様に尊重してほしい」という積極的な意味

 合いがあり、これは全ての人の多様性が尊重される社会をめざすキーワードと言える。
 

 

 

■発達障害者が直面する現実

 

・残念ながら現代社会においては、発達障害者の特性は「治療すべき障害や能力の

 欠如」とみなされがちである。

・それは、現代社会においてはマジョリティである定型発達者によって「この時はこの

 ように振る舞うのが当たり前だ」という価値規範や行動規範が形成されているが、

 発達障害者は発達の特性上それに沿った行動が難しいため。
・ 『ニューロダイバーシティ』 が十分に浸透していない現状では、発達障害者はマジョリ

 ティのためにデザインされた社会を生きざるを得ず、定型発達者とコミュニケーション

 を行う上でもさまざまな軋轢が生じやすい。その結果、時として理不尽とも思える多く

 の生きづらさに直面することとなる。
・マジョリティの社会に適応しようとするあまり、過度なストレスを抱えて生きざるを得な

 くなり、適応障害などを併発してしまうことも少なくない。

 

 

 

■発達障害者に必要な支援

 

・このようなマジョリティのための社会を生きるためには、 さまざまな支援ネットワークの

 活用が欠かせない。
・発達障害者の生きづらさを軽減するための重要な支援ネットワークとして、京都府立

 大学の准教授で当事者でもある横道氏は、著書「みんな水の中」の中で

  ①病院やクリニックなどの医療サービス

  ②行政と民間の福祉サービス

  ③自助グループ活動

  ④文学と芸術の利用

 を挙げている。
・①の医療サービスは、「発達障害の診断を受けること」 と 「治療薬の処方を受けられる

 こと」の二点が中心。

・診断を受けることで、長い間抱えてきた違和感がなぜ生じているのかを理解することが

 でき、発達障害者としての自己の受容へとつながる。
・治療薬の効果は限定的ではあるものの、定型発達者の世界に適応するためには有効。
 ただ発達障害は現在の治療薬で治すことはできないため、①のみでは限界がある。
・②で利用できる福祉サービスには障害者手帳(正式には「精神障害者保健福祉手帳」)

 の取得によって得られる支援(*ただしうつ病など二次障害の併発がないと取得は

 難しい?)や就労支援など、さまざまなものがある。
・精神保健福祉士や臨床心理士が相談にも乗ってくれたり、訪問介護サービスではホー

 ムヘルパーの援助によって掃除や料理などの生活面の困難も解消することが可能。



■『ニューロダイバーシティ』 の描く未来

 

・残念ながら現時点では①の医療サービスと②の福祉サービスのつながりは強いとは

 いえない。
・支援者同士の横のつながりを強めるには、対人支援者がそれぞれの得意領域に応じ

 た役割分担を明確にする必要があり、その糸口となるのが 『ニューロダイバーシティ』

 の視点。

・発達障害を「発達障害者の特性と環境が引き起こす不協和音」ととらえ直して初めて、

 環境を調整したり生活上の工夫を凝らすなどにより困難を軽減しようという発想が

 生まれる。

・たとえば車椅子の使用者に対しては、段差のないバリアフリーな道が必要であることを

 誰もが理解している。同様に発達障害者がニューロダイバーシティの浸透した社会

 環境を求めているということをマジョリティが理解し、自分のこととして受け止められる

 よう、当事者や支援者たちが社会に訴え続けていくことが重要。
・ ニューロダイバーシティはASD(自閉スペクトラム)を抱える当事者とその支援者による

 権利擁護運動として始まったが、実は定型発達者を含めたあらゆる人を内包した概念。
 この世に同じ人間がいないように、私たちが持つ脳や神経、それらに由来する認知・

 情報処理は多様性に満ちている。 誰もが尊重され生きやすい社会をめざすには、

 マイノリティとマジョリティが手を取り合うことが欠かせない。
 

 


■産業界における 『ニューロダイバーシティ』

 

・ASD(自閉スペクトラム症)やADHD(注意欠如・多動性障害)、LD(学習障害)など、

 発達障害がある人の能力(職務特性)に着目して産業界での活躍の場を提供したり、

 働き手個人と組織双方に望ましい雇用環境を作り出そうという動きのこと。
・欧米企業、特にソフトウエア開発を主事業とする企業(マイクロソフト社など)で先行的

 な取り組みが進んでいる。
・たとえば数学、パターン認識、記憶などで高い能力を発揮しうるというニューロダイバ

 ースな人材は、IT分野の専門業務と相性が良いとされている。反復的なパターンを

 好むASD人材は、仕事耐性の高さが評価されている。

・日本では発達障害と診断された人は48万人にのぼり、潜在者を含めるとさらに多いと

 推測される。
 (厚生労働省の「平成28年生活のしづらさなどに関する調査」による。←*最新の調査

 は令和3年に行われる予定でしたが、新型コロナの影響で延期中のようですあせる
・2021年3月、NRI(野村総合研究所)は日本で発達障害人材が未活躍であることの

 損失額を2兆3000億円と推計する結果を発表した。潜在者を含めるとさらに膨大な額

 が予想される。
・NRIは、この推計と少子高齢化や産業構造の変化などの社会動向を踏まえ、産業人材

 の確保保のために発達障害人材の活躍機会を増やしていくことを提案している。
・日本では障害者雇用促進法を通じ、特に身体障害者の方々への対応は先行的に

 進んできた。

 しかしニューロダイバーシティの取り組み、つまり発達障害人材の受け入れについては

 まだまだ進んでいないのが現状である。

 

 

 

■学校現場における 『ニューロダイバーシティ』 と支援


・学校(主に大学)においても 『ニューロダイバーシティ』 という概念に基づき、学生たち

 に対してさまざまな支援が行われるようになっている。
・たとえば筑波大学のHPでは、筑波大学DACセンターの発達障害領域において ”全て

 の学生は多様な発達特性を有する” という神経学的多様性(ニューロダイバーシティ)

 を基本的な考え方とした学生の修学支援が実施されていることが紹介されている。


( *筑波大学人間系准教授 佐々木銀河先生 「ニューロダイバーシティと発達障害学生支援」より )

 

 


・これらの支援活動の特徴は、医師の診断に基づく医学モデルではなく、社会モデルを

 基盤としている点。

 

( *同上 )


*この図を見ますと、医師の診断があるのはごく一部であり、診断の有無にかかわらず個々の学生における発達特性や修学上の困難感の程度、学生自身の支援に対する意志や意向などのアセスメントに基づいて修学支援が提供されていることが分かります。



・修学支援は、学生自身の自助スキルを向上する「教育的支援」と、教育環境の調整を

 行う「合理的配慮」を両輪としている。
・具体的には、困難を抱えていると感じている学生は誰でも、自分の知的能力や発達

 障害の傾向などを客観的に評価するために、専門の先生によるアセスメント(心理・

 知能検査を含む)を受けることが可能。
・ラーニングサポートブック(LSB;発達障害のある方がもつ独自の視点や経験に関する

 情報を収集し、学業や生活に役立つ情報を提供するWEBサービス)を利用することも

 できる。これによりニーズ別に自分の苦手なことや困りごとを解決していくことが可能

 となる。(たとえばスケジュール管理や試験対策、忘れものを防ぐ方法、勉強のやる気

 アップ方法など)
・その他の支援内容として、多様な発達特性のある学生同士が集まるグループ活動へ

 の参加、支援技術の体験やツールの貸し出し、自習・休憩室の利用、専門資格を持

 つスタッフによる

 学業上の個別相談、障害者差別解消法に基づいて修学上の困難に対する教育環境

 調整を依頼する文書の作成、などの取り組みも行われている。
 


 

また、上記の佐々木先生の資料の中で、以下のことが気になりました。


*発達障害者の就職率が圧倒的に低い・・・不安





*その理由として、レポートや課題が提出できないなどにより就職活動にたどり着けないのは分かりますが、就職活動を始めない学生もいる、ということには驚きましたあんぐり




*欧米に比べて日本の大学の障害学生の数(割合)の低さが気になります。
それだけ障害学生を受け入れる土壌も、修学を継続して卒業して行くことのできる環境も整っていない、ということでしょうか・・・?

 

 

・ちなみに筑波大学に限らずほとんどの大学でこうした取り組みが行われているよう

 ですが、いろいろ調べていて学校間で差が大きいようにも感じられました。

 




こうして以上のようなことを学んで私が感じましたことを最期に少しだけ・・・


●娘の発達障害に長い間気付くことができなかったダメ母が思うこと

世界からは遅れているとはいえ、日本でも発達障害者に対する認識が変化したり、支援が広がりつつある現状を知って、とても救われた気持ちになりました。

ただこれらを知ってもなお、娘を今の状況に追い込んでしまったダメ母が一番に感じているのは、

 

「いかに早くに子どもの抱えている発達特性に気付いてあげられることが重要か」

 

ということです。


もっと早く、もし娘が小学校に入学する前やせめて小学生の間に気付くことができていたら・・・。
彼女にはまったく違った人生があったのではないでしょうか泣



あんなにたくさん怒られることはなかっただろうし、遠くの進学校に通学することもなかっただろうし、そうすれば高校で中退することもなく、他の子たちと同じように高校生活を経験できていたと思うし、その後浪人を重ねることもなく、娘に合った大学に入って、卒業や就職でここまで苦しむこともなかったはずです。
何より、これほど自己肯定感をすり減らすこともなく、少なくとも今よりは幸せに生きていられたのではないでしょうか・・・?。
 

 


これまでの記事で触れてきましたように、早く気が付くことで得られるメリットは計り知れないと思います。

 

物心つくころからの

「他の人とどこか違う」

「他の人が普通にできることが自分にはできない、理解できない」

「自分はまわりの人たちより劣っている」

などの違和感の原因がはっきりしていること、またそれが自分が悪いせいではなく、生まれ持った脳の機能上の特性であると分かっていることで、精神的にどれだけ救われ、まわりからどれだけの理解や適切な対応や必要な助けを得られたでしょう・・・。

 

娘の半生を振り返った時の後悔が大きい分、その重要性が身に滲みます泣



娘だけではなく、世間には発達障害があることに気付いてもらえていない人たちがたくさんいることも、実感しています。

以前の記事でも触れさせていただきましたように、 最近65歳以上の高齢者で認知症とされていた人の中に、実は未診断のADHDの人がかなりの割合で含まれていることが分かってきているそうです。
資料によりますと、55歳以上の若年性認知症と言われている人のうち、10-15%が本当はADHDだったとの報告もあるとか。(*右差し2020年2月25日の記事の最後のところです)



たとえば仕事が続かない、怠惰で汚部屋に住んでいる、薬の飲み忘れや食事療法が守れず持病が悪くなる一方、のような人たちの中にも発達障害の人が一定数いるそうです。


私の職場にも、 仕事が遅い、訊ねても毎回適切な答えが返ってこない、一度にひとつのことしかできない、などでまわりを困らせている人がいます。
娘というADHDの家族を持っている私でもついイラっとしそうになっては、反省します。
でもよくよく見ていると、ひとつひとつの仕事は丁寧ですし、頼んだことは時間がかかってもちゃんとやり遂げてくれるし、何より私を含め他の人が嫌がることも面倒がらずに引き受けてくれる、何事にも一生懸命で真面目でとてもいい人です。

それなのにたびたび注意されたり怒られたりしている姿を見ると、その人に合った仕事を選んで任せるようにしたり、まわりがその人の特性を理解して"普通"を押しつけるのをやめることができるだけでも、今よりも絶対に状況は良くなるはずだと思うのですが・・・

問題は、まず本人が、自分が発達障害かもしれないとは思ってもいないことです。
そして職場の上の人たちも、発達障害についてはまだまだ何も知らないに等しく・・・。
(*私自身も2年前まではそうだったので、偉そうなことは言えません悲しい


配慮や支援が可能だったり必要であることを本人が気付いていない時、それを伝えるのは余計なことなのか必要なことなのか・・・。
まわりを啓蒙していくことはお節介なのかいいことなのか・・・。


私にはどうしていいか分からず、相変わらず周囲をイラつかせているその人を見ては、悶々としています。

 


だからこそ、まずは発達障害というものに対する認知度がもっともっと世間に浸透して、それから 『ニューロダイバーシティ』 という概念が当たり前のこととして受け入れられるようになれば、

「もしかしたらあなた/あなたのお子さんにはそういう特性があるかもしれないから、専門家に相談してみたら? きっといろいろなことが楽になるはずだよ」

と言えるように、あるいは言ってもらえるようになるのかな・・・。

 

残念ながら私たちはその機会に恵まれませんでしたが、そのことで救われる人はきっと少なくないはず・・・って思いました。