前回の記事では、娘からの連絡がないことを心配しておりましたが、どうやら頭痛がひどくて動けなくなっていたようです。


今は、勉強する必要がないため、コンサータとモディオダールの服用をお休みしています。

理由は、どちらも強い薬なので、どうしても必要な時以外は飲まない方がいいのかな、と考えたからでした。


ところがここ数日は夜中に頭痛で目が覚め、ありとあらゆる光が眩しく、たとえばテレビやパソコン本体の赤い小さな電源ランプですら視界に入ると頭に響く状態だったそうです。


娘は

「エビリファイはちゃんと飲んでるのに、おかしいなぁぶー

と首を傾げており、私は私で

「だとしたら、ついにエビリファイも効かなくなってしまったってこと??不安

と青ざめましたが、よくよく考えますと、コンサータを飲んでいない娘がきちんと薬を飲めているはずがありません。


「自分では飲んでるつもりだけど、実際はエビリファイを飲み忘れてる可能性はない?」

と訊ねますと、

「確かに。それは十分あり得るびっくり

と、娘が今さらのように驚いていたことに、私は驚いてしまいました。
(*私が娘ならまずは自分を疑いますけどね知らんぷり

 


で、その夜から注意してエビリファイを必ず飲むようにしてみましたところ、現時点では何とか頭痛は治まっているようです。


良かったです・・・ショック
もしエビリファイが効かなくなって片頭痛(?)が再びコントロールできなくなってしまったら、一巻の終わりですえーん
本当にどうなることかと青ざめましたアセアセ

 

 


そして頭痛が治まった娘は案外元気で、

「最初数日はやっぱり 『まさか』 という思いが強くて、夜中に目が覚めて 『ここ数日の出来事は夢なのでは? もう一度結果を見直してみようか』 と思ったりしたけど、今はもう大丈夫!」

と申しておりましたので、ホッとしましたDASH!




去年の11月頃のことでした。
仕事で知り合った70代の男性から、

「これ、町内の回覧板で回ってきたので、読んでみて」

と、その回覧板をコピーして下さったものをいただきました。


それは第39回全国中学生人権作文コンテストで全国人権擁護委員連合会会長賞に選ばれたという、福岡県の中学一年生の方の作品でした。


"『ふつう』の多数決"

というタイトルのその作品は、こちらのPDFで読むことができます↓ 

https://www.moj.go.jp/content/001312523.pdf

 

 

 

LGBTQであることを自認しているその方が、作品の中で

「LGBTQの方々にとっての『ふつう』は他の人から見れば『異常』かもしれない。でも,それはLGBTQだからという訳ではなくて、人間の一人ひとりの思考回路が違うから起こることなのだと思う」
「『ふつう』はただの多数決であって、物事の本質ではない」
「人間は一人一人同じようにはできていないのだから、言葉にしないと、私の『ふつう』とあなたの『ふつう』が違っているということすらも分からない。分かっていないことが分からない限り、分かるには絶対到らない。だから、私は今、この作文を書いている」
「私も公の場ながら、最後に一つ言わせてもらいたい。僕はこのままの僕でありたい」

と怖れることなく表現している姿に、目の奥が熱くなりました。
同時に、ここに至るまでに経験しなくてはならなかったであろうたくさんの悩みや苦しみを思うと、胸がつまりました。


そしてその時に、その男性がおっしゃった言葉が、私にはとても印象的だったのです。
(*この方は私の娘のことは何もご存知ありません)

「この子がこんな風に前向きに生きていられるのは、文中に出てくるアドバイスをくれた人や親御さんなど、この子を理解してくれる大人がいたことがきっと大きかったのではないかな。あるがままの自分を受け入れ支えてくれる人たちの存在があるかどうかが、子どもにとっては本当に大切なんだなと痛感した」

 

 


――そうですよね。

言われてハッと気付きましたが、『ふつう』かどうかなんて、ただの多数決です。
娘は『健常発達』ではなく『発達障害』にカテゴライズされますが、果たして『発達障害』は異常なの? 違っていることは『障害』なの?
いわゆる『ふつう』の人たちにない良いところだって、たくさん持っているかもしれません。

何かの本に書いてありましたが、発達障害の人たちは、健常発達の人たちの社会に少しでも適応できるようにと、物心ついた時からずっとずっと頑張り続けてきた努力家とも言えるそうです。
「親として支える」なんて偉そうなことを言ってますが、頑張らなければならないのは娘本人です。
私たちにしてあげられることなんて、実際にはほとんどありません。
これから先もずっと、頑張ることを代わってあげることはできないのです。
その娘が「来年もまた頑張る」と言っているのなら、黙って応援してあげていいのでは・・・?
今の選択が間違ってるかどうかやその先のことを考えるのは、行くところまで行きついてからでも遅くないのでは・・・?

 



――なぁんてあれこれ理屈をこねて、無理矢理立ち直りを図っている日々です。
 

 


とりあえず、 何度訊いても娘はいまだに

「来年も頑張る」

と申しておりますので、娘が自分から「もうやめる」と言い出すか、強制終了せざるを得なくなるその時まで、娘を応援していきたいと思います。


 

私の好きな週めくりカレンダー(のワンちゃん版)の中にあったこの言葉を、いつか現実にすることができることを祈りつつ・・・

 






*結果発表前からこの数日間の私のウダウダ記事にアドバイスや共感のコメントを下さった方々、背中を押して下さり本当にどうもありがとうございましたキラキラ