なんだか暗い記事が続いて申し訳ありません。




発表翌日の朝には、私は少し開き直った気持ちになっていました。


だけど仕方ないよね!
だって私たちはあの子の親なんだもの。
私たちが支える以外ないじゃないの。

こうなったらもう多くは望みません。
それなりに健康で、本人がそれなりに楽しく生きていけるなら、十分だと思わなくては。
(*いえ・・・ADHDやナルコレプシー(または過眠症)があって、あんな強い薬を飲んでる時点で、もはや健康とは言えないかもしれませんが不安
 

とりあえず本人がやると言ってるのだから、とことん付き合おうではないの。
それでまた行き止まりになってしまったらどうするかは、その時に考えればいい。
その時になれば見えてくるもの、その時にならなければ見えてこないものがあるだろうし。
とにかく、どんなことがあっても私たちは最後まで娘の味方であり、一番の理解者でいてあげなくてはならない。


・・・なんて考えた矢先、別の考えが頭を過ぎりました。


だけど、この考え方が間違ってる可能性は――ないのでしょうか?

もしかしたら私は過保護すぎるのでは?
いい年した娘をいつまでも子ども扱いしていつまでも甘やかしているから、娘が自立できないのでは?
私がかえって娘をダメにしているのでは?

 


そんな不安に襲われたのです。


そういえば、ほんの2年前、娘がADHDやナルコレプシー(または過眠症)もちだと分かる前は、私は娘のことをただの自堕落な怠け者だと思っていたので、留年した娘に厳しい言葉をぶつけていました。

「2回も続けて留年するって、どういうこと!? あなたが怠けているせいでしょう。次が最後だからね。もし来年もダメだったら、もう大学を辞めさせるからね。何でもして働いて、あとは1人で生きていきなさい。そのくらいの覚悟でやりなさい!」

 


もちろん脅し文句ですが、当時は、これまで何だかんだと娘を許して甘やかしてきたから、こんなこと(=2年続けて卒業留年)になっているのかもしれない、敢えて放り出すことが娘のためなのかもしれない、と半分本気で考えていました。

 


ですが今は違います。
なぜなら、突き放そうが放り出そうが、娘が奮起して頑張るとはとても思えないからです。
頑張る気がないのではなく、たぶん頑張れないのです。
ADHDだから。

 


だったら、親である私たちが支えるしかない――と思い込んでいるけれど、本当にそれで正しいのかしら・・・?


――だんだん自信がなくなってきました。


娘が小学生の時から、何かにつまずいたり問題を起こすたびに、その時は最善と思う道を選んでここまで歩んで来たつもりです。

が。
その最善のつもりの選択が間違っていたからこそ、今がこんなことになっているのでは?
私の判断がむしろ事態を悪くしてきたのでは?
娘が何度失敗しても、何度嘘をついたり親の信頼を裏切るようなことをしても、結局は許して次の道を用意してしまうから、いつしか娘はそれが当たり前と思うようになり、心から反省することも必死で頑張ることもなくなったのでは?
今回もちゃんと叱って、もっと突き放す厳しい姿勢を見せた方が良かったのでは?
ちゃんと怒らないと、こちらの真剣さが伝わらなくて、都合の悪いことはすぐに忘れる娘はまたゲームをし始めたりするのでは? 私には「してないよ」と嘘をついて。
あるいは、「もう1年頑張る」といくら本人が言おうと、これまで頑張れてこなかったのだから、いいかげん新しい道に進ませてあげるのが本当の愛情では?



・・・そんな不安が頭の中をグルグルし始め、本当は娘にどういう態度で接するべきか、どういう姿勢を見せるべきか、自分の考えや判断にすっかり自信が持てなくなってしまったのでした悲しい泣