ブログネタ:徴兵制~大事な人が戦争に・・・~

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3年以上のお付き合いのある方ならご存知かと思いますが、俺はすでに経験してます。

家族を、友人を戦場に送るという体験。


「国際貢献した」「大変な任務をやり遂げた」と政治的意図を排除したうえで簡単に評価されたり、「楽な仕事でぼろもうけしたんだろ」と揶揄されたりすることはあっても、実際にどういうことがあったのか、通り一遍のマスコミの流す情報しか知らない人には興味すらないまさに他人事でしょうけど、

迫撃砲で攻撃を受けて途中から復興支援どころか引きこもり状態だったとか
外務省かどっかが偶像崇拝のダメなイスラム社会に「日本イラク友好記念」みたいなモニュメントもってくというあほなことをやったために派遣隊員の命を危険にさらしたとか、

上の連中が馬鹿のために現場の隊員が危険に晒されるということは第二次世界大戦からまったく変ってません。
ましてや、自衛隊が「戦争参加」の「派遣地域は非戦闘地域」という根拠を作った「先遣隊」の隊長がいまや
自民党の政治家
ですからね。出来レースってやつですか

「最初から結論ありきの調査」だったんじゃ?(笑
(報告書が先遣隊の派遣より先に出来上がってたって話もあるし)

本当に迫撃砲の攻撃受けたとか報告に寿命が縮むような思いで心配した家族としては

ふざけんなよ って感じです。



日本でよくされる「自分が戦争に参加すること」についての議論は

「大切な人を守るためと自己犠牲の面に行きがちですが、

自分が犠牲になる以上に、

「誰かの大切な人を自分が殺すかもしれない

という重要な観点がいつも抜けていると思います。

最近公開されている太平洋戦争の日本映画が「侵略戦争をした」という覆しがたい歴史から目をそむけた、アメリカ兵に殺される無力な日本兵と家族の愛の物語」なように。
日本兵をそのような状況に追い込んだ軍上層部の責任がいつの間にか語られなくなったように。

「戦争が始まったら」と国民に与えられる想定がいつも「戦争を仕掛けられる側」な割には
出てくる答えは「どこか別の国の戦場でボクが頑張れば大切な人を守れる」という「攻められて自国を戦場にするという実感のない空論」なんです。

ひとたび自国が戦場になれば自分が戦場にいっても大切な人は守れっこないってのが60年以上前に分かったはずなのにね。

戦場から生き延びて帰ってきたら家族は空襲でみんな死んでたなんて悲劇結構あったでしょう。

それに最近は
「北朝鮮を核兵器で焦土にしてやる」とか「中国にそなえて核武装しなきゃ」って
戦争やりたげな威勢のいいこと言ってるのは日本の政治家ばっかりなんですが。

あ、それと「アメリカの与党政治家」が「イランに核落として日本みたいにおとなしくしてやるぜ」って言ったりね。

戦争に参加するか、徴兵制に応じるか以前に
それは本当に身を投じるに値する戦争か

という議論が密にされるべきだと思います。民主国家として。

国民の80%が反対だったのに、民意に反して国民的人気の総理のキゼントした決断でいったん派遣されてしまえば「仕方ない」と自国の兵士の身を案じる様子も憤りもない今の世の中には、

徴兵で自分や大切な人の身を戦場におくことになるかもしれないという危機感を持ったほうがいいとは思いますがね。

過去記事:↓今、日本にある戦争危機シリーズ(笑)太字は当ブログのお勧め記事。
(防衛庁談合問題がすでに安倍内閣発足時点で予測できてます(笑))
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威勢良く「大切な人を守る」と国を守る決意を持つのもいいですが、
「日本国民を守る」はずのもので死んでいった人たちがいたことも忘れずに。