サマワで陸自車両が爆弾攻撃を受けたという一報から、心情的に平常でいられなかった。


 今、自分の友人知人は彼の地にはいないが、いつかの俺の身内や友人の家族と同じように、どこかで心配し、苦しんでいる家族がいるのだ。


春に友人がイラクから帰ってきた。
会ったときは、何事もなかったような会話をした。みんな一緒だったし、当たり障りのない、向こうの気候の話なんかを彼が口にしただけだ。
俺もみんなも聞くのが怖かったのだ。
自分たちが派兵を止められなかった、沈黙で後押ししてしまったことを「なんでもなかった」ことにしてしまいたかったのだ。


事実、経済的には「イラク派兵」は彼と彼の家族を多少幸せなものにした。彼は長年欲しかったものが買えたし、妻にも留守中の苦労をねぎらって、新しい自転車を買ったようだった。


俺の前に、彼の国に行って生きながらえ帰ってきたものと、そうやって変わっていくことを拒否して自衛隊を辞めたものの差は歴然と見えていた。

そのことが俺の口を重くした。
「自衛」隊という理想のために派兵を拒否し、自衛隊を辞めろという人間の言葉が空虚に響いた。
辞めた人間がどうなったか知っているのだろうか?
そして、派兵を拒否しないことは彼らが彼らの家族と「日常」を守るために必要だったのだ、と思う。
自衛官なら文官の命令に逆らえるわけがない。


しかし、それと逆に「派遣される自衛官と、文句を言わないで送り出す家族は立派だ」という利用のされ方も反吐の出るほど嫌悪した。

「イラク人のため」「国際貢献」という偽善で自己催眠にかけるかのように、他人に犠牲と危険を強いることに罪悪感を覚えることのない人間たちに、底知れない酷薄さを感じていた。


まるでCNNの報道でも見ているようだ。爆弾攻撃をしかける「イラク人」は「卑怯なやつら」、「治安維持」のための「軍隊」「自衛隊」は「立派」、そして「イラク人のため」「国際社会のため」に、戦争に首を突っ込んだまま抜けられなくなった「政府」は「痛みに耐えて」「乗り越える」過程であって、「イラク人のため」に「必要」な「派兵を続けなければならないのだ」と。


その裏でどれほど意味のない犠牲と浪費が続いているだろう。人の命をムダに奪うことを支持する表明のために、日本の国費が、自衛隊の弾薬が、これからも使われようとしているのだろう。


そして、政府や国民が「今の日本に合わない(自分たちにとって不都合)」と日本国憲法を勝手に変える算段をしている中、

その日本国憲法にそった行動を、危険地帯で必死で守り、専守防衛を貫こうとしているのは誰なのか。

日本国憲法をないがしろにした最高責任者のために海外へ派兵され、「引きこもりの軍隊」、「他国の軍隊に守られている」と揶揄されながら、多数の犠牲者を出している彼の地で、いまだ一人の戦死者も、交戦による死傷者もだしていない、そのことに「願い」を感じることはできないのか。


たくさんの自衛官に話を聞いたが、「命令ならば派兵は仕方がない」というのと、「ギリギリまで交戦を避ける」というのがワンセットだった。

先の大戦で本当に日本人が学ばなければならなかったことがあるとしたら、政府の流す大本営報道に国民が騙されることなく、大義もなく、戦果も上がらない戦場から、自国民を撤兵させることではないのか。

それこそ今現在「A級戦犯」のせいにできず、国民が自分で決定しなければならなかったことではないのか。

戦後の国民はそれを「自由」として選び取ったはずではなかったのか。


マスコミが盛んに「知的でハイソな日本人」を喧伝する一方、どれほどの苦しみが「なんでもないこと」「ステキな日本人は関わらなくていいこと」にされてしまっているだろう。

マスコミは派遣される自衛官やその家族を、「黙って日本国のために貢献する」不細工な英雄像に仕立て上げる。

そのプレッシャーの下で、どれほどのことが隠されなければならなかったのか。


「派遣されて帰ってきて、たいした金額を手に入れられてよかった」というハッピーエンドの影に、どんな犠牲を他人に強いたのか、為政者は思いをはせることがあるのだろうか。


友人が派遣されている間、奥さんと電話で話したことがあった。男手がないといろいろ不便だ、というたわいもない話だった。その中で、忘れられないことがある。


友人の子供は友人が派兵される前、2,3の言葉がしゃべれるようになっていた。

それが、派遣されてからは、

ただ「『パパ』」としか話さなくなった」のだ、と。


それだけのことを他人に打ち明けるのに、どれほどの重圧があるだろう、

ただそれだけのことなのに、その裏側にどのくらいの思いが秘められているか、

思い当たった俺の胸を強く打った。

俺もここに書くまでに何度書いて消したことか。

俺の身近でも哀しすぎて書けない事がいろいろ起こった。

それを出すと、自己憐憫と怒りと無力感に負けそうになるからだ。


自衛隊員彼ら彼女らの命を失ったり、イラク人の命を交戦で奪うようなことになったら、マスコミや国民はそれまで自分たちがそ知らぬふりをしていい気になっていたことも忘れて、ひたすらいい人ぶって、誉めそやしたり、けなしたり好きなようにするのだろう。

もううんざりだ。


武装勢力(イラク人とは言わない)の側にも、おそらく政府の思惑とは逆の戸惑いを持っているのではないだろうか。

「殺したくない」と願っている自衛隊員を、「殺したくない」と思っていてはくれないだろうか。

爆弾の殺傷能力を落としているのはそのためではないのだろうか。


殺したり、殺されたりするのはお互いたくさんだと感じあっているのに、

どこかの誰かの欲望のために、ウソのために殺し合いを強制される。

こんな理不尽な「自衛」のための軍隊があるか。


今、日本国内は災害で揺れている。

派兵していた各国も、旗色の悪さに次々と撤兵を進めている中、

この国の指導者の「12月になってから検討」という、投げやりな考えのなんと空虚なことか。

イラク派兵には、この無責任な指導者の「都合」「メンツ」という、守る価値のないものしかないのに。


本当に守るものは日本にあるのだ。

しかし、いくらこちらで「戻って来い」と呼びかけても、自衛官たちは戻って来れまい。命令だから。

安全なこちら側で派遣を決定しておきながら、自分のメンツをたてるための「郵政」に夢中なあの薄汚い男の首根っこを摑まえて、思いっきり締め上げるしか方法はないのだ。


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