♪窓の外では納豆売り声を嗄らして納豆ウリきっと誰かがふざけて納豆売りの真似をしているだけなんだろ | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
 仮題: 趣味や価値観の相違とは別の、価値ある生涯を! (…とくに団子の塊り世代のみなさんへ)
   
   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10027405594.html  March 08, 2007
で、  このページのつづき。
   
最近は・・・・ 
   
  ♪ 窓の外ではナット売りィ
    声を嗄らしてナットうりぃ
    きっと誰かがふざけて 納豆売りの真似をしているだけなんだろう。
    僕のTVは暖冬で 活気的なハレーション 
    とても醜いアソコを ぐっと魅惑的な息子にしてスグ萎えたぁっ 
    ヒトを傷つけたよぉなぁ 誰か傷つけたよぉなぁ
    だけど できた理由わぁ
    やっぱしタダ自分がエライだけなんだろ
    その貧しさを密かに 腹に抱えてるヒトは
    いつか灰汁多側賞でも もらうつもりで頑張ってるんじゃないのか? 
  ♪ ディッティティリ ディッティリティリ~ ディッティティリ ディッティリティリ~ (青柳さんのギター
    誰かクビ斬りしようよぉ 僕とディストラしようよぉ
    軽いウソでもいいからぁ 今日は一にち投げやりな気持ちで文部省! 
    今年のサモサわぁ、記録的なモノぉ、熱いんじゃないねぇ 
    うぉ~おお、まいにっち、ノンキ、年金、介護の、ろおじ~ん ! 

        (以下、いつものマウスハープ間奏♪) 
   
    その他の納豆ネタ 
       
珍味  http://ameblo.jp/badlife/entry-10033551677.html#c10050634212
       納豆ライス  http://ameblo.jp/badlife/entry-10019346988.html#c10031637689    
   
   
と、このように、21世紀梨の日本のミュージック・シーンというものは
1985年以降はもう、ほとんどフヌケになったまま、
団塊世代の誰がスティーヴィー・ワンダーのヒット曲を真似ようとも

あの時代にあった民のエネルギー は人々の胸に微塵もなく
カネからカネへ、ヒトから数字へ
歌は世に連れ、ヒトを釣る! 
まさに、秘密のアッ子さんの劇場化記念キャンペーンでしかない。
   
    ♪ 歌ってよぉ~ きぃみのぉために~ 
      さらってよぉ~ キぃムのぉためにぃ~ 
        (以上、『道化師の38度線』)
http://ameblo.jp/badlife/entry-10027158317.html#c10042443256  より。
   
という、古今東西、今もイニシエも東へ西へ、ココロ模様も断絶されて
♪ ワタシノぉ、ムスメわ、ヨメイリぃ、マエですう、近所でぇ、おかしなぁ、ウワサがぁ、タチマスぅ 
アル日、旅から今夜もエスケイプのセパレイト・ウェイズ も、メリー庵で御免! 
♪ なんにもないけどぉ~ 水でもどぉです? 折角きたぁのにコムロさん。
ああ高見沢教授のザ・リドル   
今日のコイズミ、カザ花に撃たれて、木枯らしに抱かれて も、
Nik Kershaw Cover    この人には勝てないぜ! 
Oh, Sherrie!  
♪ こぉのデンワもぉ、さいごぉ鴨しれないぃぃ~、ふぃ~ん、ザマミレ。
Shout to the Top!  
♪静かな湖畔のブルーズに眠るこの国の逝く年くる老い / 冷たい夜にコンにちぃ~わぁ、ヤシキさんの後輩! 
Everybodys got a hungry heart!  
モト晴レ・れいでぃおShow !  俺も聴いたよ毎週月曜! 
Steppin' Out!  
河童の竜ちゃん ローマン非行! ジェイムスさん はどうしたの?
「今更いわれてもねぇ。あとの森だ。じゃなくって、あとのまつりだぁねぇ…」
♪ わい~んグラぁスにィ、シズムぅ夕陽わぁ~わわ~ 
どうでもいいけど、
Steppin Out    コレ いいじゃん! 
   
ちゅう具合に、M捨ての番組プロデューサーの甥っ子 であろうとも
現在に至るまでの日本の音楽シーンを風刺する意味で替え歌づくりにも余念が多いアメブロ2年生
   
   
   世の中の人は(とくに最近の日本人は)
   とある夏休みの宿題に出された課題に従って
   蟻の姿も知らぬほどの塾通いで忙しい子供が
   カブトムシやクワガタの本当の姿も知らずに
   近所の雑木林でゴキブリを捕まえて
   「オレのもんだ」と言ってるようなもんで、
   ゴキブリを採取して遊んでるうちはまだしも
   そのうちバイキンが着いた手を嘗めて
   腹を壊してしまう。
   音楽業界や世間を
   そんなふうに感じている自分もひねくれてますが
   そういうもんだと思います。今は。
Posted by みなみ まさあき at 2007年03月07日 02:32
http://blog.livedoor.jp/assimilate/archives/50767844.html#comments  より。
   
   
   今の日本人のうち、開き直ってる連中の
   「捕まらなけりゃ何やってもいい」
   っていう意識は
   ウォーターゲート事件があったアメリカから
   30年以上は遅れてるよ。
   自分の物と他人の物の区別がつかないのは
   県政や市区町村の談合3兄弟の連中も一緒だ。
   物やカネを盗むにも覚悟がいるとか度胸とか以前に
   今日を喰い凌ぐために必死になってる人たち。
   以前の犯罪のように遊ぶためや
   贅沢したいためのカネ欲しさによる犯行とはわけがちがう。
   ドラマの七曲署に通報があった時代でもない。
   「誰でもいいから殺したい」という動機で人を殺める者までいる。
   もしも道に人が倒れていても
   大衆は、その上をふんずけて通る時代。
   誰も「大丈夫ですか?」
   なんて声をかける余裕もない。
   ケータイの画面を覗く方が忙しい。
   治安? 防犯? 
   そういうことも意味がなくなるほど
   これからはもっともっと社会の底辺が殺伐としてくるよ。
   あらゆる事件や犯罪の根本的な原因がどこにあるのか? 
   一人一人の人間が今、そういうことを順序よく認識しないと
   明日は我が身。
   平和にやっていられるようでも
   今は誰もが不条理な死と犯罪と背中合わせだよ。

http://news.ameba.jp/2007/03/3608.php#com  8.:2007年03月02日 17:51 より
   
   
よくよく冷静に考えてみて、日頃書いている内容には
どうも、国や社会に対しての批判が多い。
「そういうことはインターネット上で云ってみたところで
どうにかなるという問題でもないのでわ。」 
というふうに客観的に考えると、やはり個人の日記ブログではなく
社会的にある程度の信頼を築きあげて世間に貢献しているらしき人々…
そういう方々と名刺交換からスタートする常識を踏まえた上で
そういう日々の積み重ね努力俺がいちばん難しく堅苦しく感じる分野
をしている方々とも仲良くして
出るとこへ出てから、自分の意見を通すようにした方がいいのかも知れない。
かったるいけど。
そもそも、なんらかの資格や肩書とか「●●賞受賞の経験がある」とか、
そういうことを自分の名前に添えることが必要な社会のルールや
この時代の一部の常識なのかも知れないけど
とにかく、かったるい。面倒というよりアホ臭い。
「クリエイティヴ」と「クオリティ」を書き間違えたって
「…ああ、どうってことねぇだろ」てな具合で
努力や勉強なんて、もうこれっぽっちもしたくねぇんだ。
地球の歴史は長い。その、ほんの一部にも満たない“慣わし”の中で生きる時間が
俺にはもったいないの。てんで無駄骨に感じる。
   
さぁ、ここで問題になることには、
世間様で、ニートだのニート予備軍 呼ばわりされている若者や 
(注意:年寄りではなく若者。な。)
「社会に対する適応能力に欠ける」
などという俺にとっては意味不明なことを言われている人々の考え、生き方の中に
そういう、
   なんらかの資格や肩書とか「●●賞受賞経験がある」とか、
   そういうことを自分の名前に添えることが必要以上な社会のルールや
   この時代の一部の常識なのかも知れないけど
   とにかく、かったるい。面倒というよりアホ臭い。
   努力や勉強なんて、これっぽっちもしたくねぇんだ。
   地球の歴史は長い。その、ほんの一部にも満たない“慣わし”の中で生きる時間が
   俺にはもったいないの。てんで無駄骨に感じる。

という考え方に近い、もしくはそれに似ているヒトが幾人いるのか? 
大勢いるかもしれない。
「そんなのオメェだけだろ。」
という言葉で終わるかも知れない。
しかし、俺のほかに「ゼロ」ではない。必ずいる。
そしてそういう若者50代~10代後半。…かろうじて60代前半の男子、メンズ。
「自分はいったいどうすりゃいいのか?」
「自分には何ができるのか?」
「いったいオレは(私は)何をして生きりゃぁいいのか?」
というような疑問や課題を抱えながら、なんとかして
今の社会や“世の中全般の変な常識”に合わせようと生きている。
これもまたスゲェ努力なんだろうけど、んまぁ苦労や精神的疲労は耐えない。
この、精神的疲労が耐えなくなる。いろいろに悩み苦しむ…など
云い方や解釈の仕方も人それぞれ、どうあれ、
精神的疲労が耐えなくなると、まず、それと同時に肉体がダメになる。
要は、自分本来の能力がじゅうぶんに発揮できない場所に
戦後日本の社会常識や世間の教育常識などによって陥れられちまったために
こころが悩んで肉体が病んでるってことなんだけど
「夢を捨てきれない現実」という言い方や考え方も
「みんなそうやって頑張って生きているんだよ」なんてアサハカな回答では
今はもう誰もが納得できなくなってきた。
また、そういうことにつけこんで、かつての20世紀末、
マスコミや報道、メディアとグルになって世間を騒がせたオウム教団は
大勢の若者を一人一人が歩むべき道ではない方向へ引き摺り込んでしまった。
「オウムに詳しい」とされる有名な「先生!」の御三家のうち
有田さんという人は、
最近の若者たとえば、「『スプーン・オバサン』なんて知らないよ。 」というような若者の場合、
昼のテレビのワイドShowモドキな番組を覘いてみて
「あのオッサンは何? 誰?」
というのが、この21世紀初頭の日本の茶の間だ。
そこで最近になって上祐クンが またまた『関白宣言』を歌うかのように動き出した ので
「待ってました!」と言わんばかりに
ここんとこ数年は巷のワイドショウでは、見る側にとって
半ば身元不明なゲスト・コメンテイターの有田さんも
「オレにオウムを騙らせたらレバ、右に出る者も左へ下がる」
というような趣きで、己の考えを他人に押しつけるような発言にも熱が入る。
「ハイ、次のコーナーです!」製作側。生収録スタジオonAirスタッフの声。
ああ、どうしてこうもスポンサーCMで回る視聴率という数字の追い廻しは
独りの人間の情熱や誇りさえも踏みにじるのか? 
「やってらんねぇよなぁ。」(小声)
有田さんも堂々と言ってやりゃぁいいんだ。
「あの一連のオウム騒動がなかったら今の私の生活はありません。」
だろ。
   
いや、俺は上祐クンの味方とかオウム教団の存在継続を認めてるわけじゃない。
でも今の時代のような一見して平和そうで
実はどこもかしこも
犯罪や死と背中合わせにあるような人々が多い殺伐とした世の中では
たとえば、上祐クン自らも
「今後これから自分はどうして生きていきゃぁいいのか?」
ここんとこが不明瞭なわけ。
自分自身で。かつては宇宙開発事業団に就職しただけの頭がありながらも。
そしてそれを誰も救ってあげることもできない。
苦しいだろうねぇ。社会的には一応は罪を償った形でも 
   
   ♪春だというのに北風に煽られ 街の声にセキタテられ
     彼らに会わないから追いまくられ さすらう気持ちはサラサラないのに
      誰が呼ぶ声に 応えるものか。望む気持ちと裏腹
       今はただ、スキマ風を手でふさいで 今日の生き恥をかく (以下略。)

   
という歌があるんだけど 泉谷しげる『春のからっ風』より引用。
そういう春のからっ風の中では、上祐クンの場合は実に、
ニートな午後3時なわけだ。
どこで人生の最初にあったはずの本来の歩むべき道や
その方向性にあるレールを踏み外したのか? 
産まれてモノゴコロつく以前から、他人が用意したレールに乗っけられて生きてきたことが
最近の多くの現代日本人と同様に大きな間違いだったんだけど
そういうことは今更になって、誰も改めようがないほど
国には国を治す医者もいない。
そして、このあとに控える、それぞれの生活意識や
各々方の人生に迫りくる代償…。これまでの発展過剰国の一員であったことへの清算は
いずれ誰もがキッチリとオトシマエをつけなきゃならない日がくる。
国医のいない時代。カネで清算できないモノが あまりにも多すぎるじゃねぇかよ。
それは、たとえ江戸時代のカワラ版屋に一分か二部五厘の小銭一銭以下
情報あつめをやっていた連中と同じような生き様の、
ワイドショウで芸能レポーターをやってるような卑屈な顔つきの人間も
“働いてないホームレス”のような物乞い感覚で取材をしようとしてまいと 今日は特定の範囲にキツイか?
セレブもセフレも、昨日までの堕落した魂の使い道には、今後、キッチリと
その肉体と心で清算しないと、自分の人生が何なのか、何だったのかが必ず解らなくなる。
保証してもいいよ。顔 見りゃぁ判るんだ。
そういう答えが出てるほど、あんたらは卑屈じゃん。
   
さてと。どうしてこんな世の中 になっちまったのか? 
ひとつには結論づけると
今の社会や、そこにスンバラシイ営みを繰り広げておられる人々の意識に
ハッキリとした男女の区別がない。昔はあったよ。でも今はない。
男女平等思想に偏りすぎな教育常識が、まず兇悪きわまりないほど
人間の姿そのものまで男なのか女なのか中途半端にさせてる。
とくにメディアというもんはな。
んまぁ、それについては今後、改めて、根掘り葉掘り、
俺が思春期に体験した事実も初公開させて言及してゆく。
さしあたり今日のところは、
どうしてこんな世の中になっちまったのか? 
この点について、全般的なモノの見方・考え方の留意点。
ここが大事だ、おっかさん! 
世間の社会学専攻の学生さんとか、どっかのジャーナリストが
その答えをハッキリとさせられなくても、俺は常日頃、自分のページで既に、その
ハッキリとした答えを明確にしてきた。 初めて訪問の方は自分で捜して読んでください。)
どうしてこんな世の中になっちまったのか? 
これからも、もっともっと克明に記してゆく。
自分の人生の考察を通して社会を視る、見抜くということは
何も難しいことではない。誰でもできる。
ただし、自分の人生を捨て鉢や、投げやりにしちまってたり
開き直ってるような輩
そこからスタートラインに戻る必要 があるんだけど。
…なんらかの犯罪を犯したり惚け老人になっちまう前にな。
   
今の自分と過去の自分を比較することは
自分自身を成長させるために正しい。
自分と他人を比較することは、いかなる場合でもナンセンスなんだ。
意味はない。
価値ある生涯を!  
その意味も判らなくなっちまうよ。今後も。大勢の人が。
他人と自分を比較するような田舎根性だけで生きてると
この狭い島国では… ---- 生きるためには原料も材料もどんな資源も
他国から水を注いでもらわないと生きてはいけない盆栽国としての、
今の、“大日本盆栽帝国とりあえずは国連加盟国の一員の国家”では
---- 
他人のモノと自分のモノの区別・判別が不能になっちまう
   
んで、そういうことに、ここに書かれていることを今いま読んでみて
読者の方々に「気づけ!」とか「気づいてね。」 「目を醒ませ!
などと訴えてみても
常識に捉われ、今までの生ぬるい温泉チックな、
嘘っぽい平和に漬かってるような日本人の方々には、なかなか通じそうもない
オウム騒ぎで踊らされる前は“バブル崩壊音頭”でも盆踊りやってたくらいなので
「アメリカがクシャミをすると日本は風邪をひく」などど馬鹿げたことをホザイテル年寄り連中も含め
そういう方々に、「この国もドル資本経済の支配下にある 」と云ってみても
ケータイ電話の小さな画面枠の中を覗いて生きることに忙しい、
メディアに洗脳されてるだけ連中には何も通じない。
かろうじて、
「…これはなんか変。」「どこかおかしい。」
と、素直に人間として気づいているあなただけは、…よかったねぇ。)
自らの目と耳で自分が信頼できるはずの情報を見極めるべきだ。
肉体も心も、いま自分が生きて生かされていることのすべてにおいて。
   
さしあたり、今の時代の学校教育で配布されてるような『歴史教科書』 とか
最近の捏造テレビ時代劇の数々を音ににしてみても
いま現在の自分の存在位置や存在理由は確認も認識もできない。
マニュアルはないんだ。わりいぃけど。
だから、湾岸戦争やイラク侵略戦争のときにアメリカの共和党親子が
日本から巻きあげた戦費としての莫大な国民が働いて納めた税金も
その他の各国の紛争や内乱・内戦も含めて
1950年代の朝鮮戦争と1960年代のベトナム戦争で
自国の儲けと国際的地位と名誉を確保したつもりの日本の高度経済成長期についても
俺が今ここで、どんな偏屈な解釈をしていようとも
自分自身で当時から今日までの人々の営みがどうなっていたのかを知っておく必要がある。
そのためには、べつに「何か本を読んで」とは云わない。
歴史の勉強なんてしなくたっていいよ。どうせ本なんてもんは
限られた範囲の中でしか生きられない学者や
その手の編集者によって誤魔化されてることばっかりだろうからな。
   
たとえばねぇ、
黒澤 明 監督の映画『どですかでん 』とか、伊丹監督の『タンポポ 』とか、
ああゆう映画の中に描かれている共通点が 
それを観た自分が、今日ここにどうして存在しているのかを
確認・認識するためのひとつの材料にもなる。
よかったら観てみてね。
…本当は3本立てで、できることなら
優作さん主演の映画『家族ゲーム 』を最期までキチンと観て
そこにある母親の台詞 。雪さおりさんの、
何かあったのかしら?
しっかりと確認してから
上の2本、『どですかでん』『たんぽぽ』と観たほうがいいんだけど
今の日本人が失ってきたモノが何か? 
書籍『誰?』の渡辺さんが何を見落としたために、ハリウッドでのノミネートが
エントリー止まりになっちまった理由は何なのか? 
あの二つの映画の共通点には、そういうことが判る要素もあるよ。
とにかく、暇なときはレンタルDVDでもいいから
その3本立てを順番通りに観てみてみて。
何が判るのかっちゅうとだなぁ、
日本がまだ貧しくても逞しかった時代
着る物も住む場所も飲み喰いする情報も
あらゆるヒト・モノ・カネが豊に溢れかえってた飽食の時代と
その時の流れに営む人々の生活には
すべてにおいて教育というモノが大事ではなかったことを、
宗教では決して救われない 人間の自由や解放を、
素直な人なら把握できる。
そして、“生きる”ということが、実は誰にとっても本来、素晴らしいものなんだ! 
ということが実感できる人生を送るための手がかりともなる。 おそらくな。)
とくに黒澤監督と伊丹監督は
そういうことを我々の未来に残しておいてくれたんだ。
    
「そういうことをボクに任せるとバット殺人になっちゃうことは判ってるでしょう」
からはじまって
高度経済成長期が終わった時代に
一台のタンクローリーがどこまでも日本の未来へ向けて走ってゆく姿でしめくくられる。
その三本立て映画鑑賞会ひらかなくてもいいけど
家族ゲーム 』→『どですかでん 』→『タンポポ
っていう具合に観てね。
ああ、伊丹監督って、“伊丹哲也 ”さんじゃねぇよ。
え? わかってる 。そう。安心。
   
よかったね。日本語で書かれているこのページを
日本人として読むことができて。
   
して、明日のNHK に期待! 
ドラマ『株主総会 』も観るべし。今夜
   
ちゅうことで
ここまでの内容は、バンソウコウ男の映画紹介と、
NHKの唯一、人類社会の整理整頓 に貢献してるような部分の紹介(?)
でした。
   
   
   
   
   
   
   
   関連記事 self text
   
   
    2005年11月、 誰かのページにコメントを入れた一部・・・より  (2006-01-09 03:17:04)  
    http://ameblo.jp/badlife/entry-10004488617.html#c10012715350
   
     あおい トマト ” August 30, 2005  
    http://ameblo.jp/badlife/entry-10003868837.html    
   
   
   
   
   life002tomato  
   
   
   
   
アーレフ元代表 上祐史浩氏mixiを始める
 オウム真理教の重要人物であり、アーレフの元代表であり、今月新団体の設立を発表した上祐史浩氏(44)がmixiを始め、各方面で反響を呼んでいる..........
≪続きを読む≫    
   
   突然のトラックバック失礼します。
   以下の内容は2007年3月10日の時点で、   
   自分が率直に感じたことをそのまま書いたものです。
   何かの参考になればと思いますが、決してヒヤカシではありません。