肉体と精神の不具合について。  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   
産まれながらに自分の魂の中身、己の能力を活かして
この世に自分が生きていることの役割、
その職責・職能をまっとうしている…という人は非常に少ない。
俺も、くだらんことに拘らず、そうして生きてみたい。
   
肉体を持って生きている時間を過ごしている物体として
それそのものが自分自身なのに
自分ではない時間がある…あってしまうということは
精神(魂)と肉体(血液の通う筋肉ぜんたい)のアンバランスによる。
これをかつては俺も、「気血【きけつ】の滞り」として解釈してたけど 
そういう特定の言葉で簡単に決めつけられるものでもない。
 
それ以前に、もっと基本的なところで、自覚、認識すべきことがある。 
薬物乱用・常用者の場合を除き 
何か法律に触れるような犯罪に限らず  
「自分がどうして こんなことをやってしまうのか」
または
「言ってしまったのか」など、
ただ単に後悔するという問題とは別に 
自分自身という人間に対する疑問について…

心身ともに健全…自分が日常生活を過ごす上で、わりと健康な人というのは
いま自分が生きて動くために必要以上のことは考えないので 
余分なことをして他人に迷惑をかけたり 
無意識のうちに吐いてしまう言葉で他人の心を傷つけたり…
ということが少ないし、
肉体的にも精神的にも余裕があるので、どんな物事に対しても
ある程度の分別があるため、そういうことをセーブできる感情がしっかりしてる。
   
「どうして こんなことをやってしまう自分なのか?」
「なんであんなことを言ってしまったのか?」
という問題に関して、簡単に云うと 
なんでカッとなったのか? ってことなんだけど 
それは、具体的には人間の肝臓の状態に起因する。
根本的には、全身の筋肉に回る血液の循環が 
本来あるべき正常な在り方でないことにあるんだけど 
そこに至るまでの人それぞれの体形の崩れ方や 
自分自身の内臓の位置とか 
産まれる以前に母体に原因があったために筋肉の発育が 
その肉体を動かす心にそぐわない…ということにも問題ある。 
そこから話を進めると、また再び、現代医学や現代教育の批判に流れちまうだけなので
今日のところは、そこんとこを俺なりに抑えるよ。
   
んで、人間の身体ってのは65%は筋肉でできている。
残りは(腎臓と皮膚の管轄の)骨とか水分(尿とか)、
(肺と大腸の管轄の)皮膚、爪、毛髪とか、ほかに食べた物のカス…など。
その65%の筋肉を持つ人間の身体は60兆個の連結細胞で構成されていて
その筋肉の中には、血管が網の目のように張り巡らされてる。
そこへ血液が循環している。
して、人間の血液ちゅうもんは、胸の肋骨の中にある心臓や肺、肝臓と 
誰もが腰に二つ背負っているはずの腎臓にいっぱいある。
中でも肝臓に蓄えられている血液の量は、基本的に
いま自分が生きて生活している場所においての、
自然界の日の出と日の入りのリズムに関係して 
日々、大量の出し入れ調節のために蓄えられている。
   詳細 ☞  http://ameblo.jp/badlife/entry-10002850915.html
人間の肝臓ってのは、そういう血液の貯蔵場所なわけ。
そして筋肉が動いて、人間が生きるためには 
血液が流れることが絶対条件なので 
人間の全身の筋肉ってもんは肝臓の持分、肝臓の管轄になる。
五臓の中では将軍の位。王様は心臓 …とか、そういう決まりもある。)
人間の顔についているものとしては、両目(眼球)が肝臓の出先機関となっている。 
んで、肝臓と表裏を成す、親と子の関係、陰陽の関係に
人間の胆嚢【たんのう】というものがある。
将軍の家来。部長や課長の部下だな。
そういう肝臓と胆嚢の関係ってのは どういうことかというと 
人間は脳味噌とは別に、肝臓で物事を考える。
「女性は子宮で物事を考える」という謂われ方もあるかも知れないけど
人間の女性、女は、ある一定の年齢で初潮を経て閉経を迎えるまでの
3回の大変身の中で、定期的に要らなくなった汚血を捨てる生理、
月経というものがあるので、そういうときには大量の血液が 
次に生きるために身体の中で、どんどん生成されなければならないので 
そういう意味で血液循環と筋肉と肝臓の血液の量の関係から、
「女は子宮で考える」などという云い方がされてきた。
基本的には肝臓だ。
肝臓は物事を考える臓器。そして、
人間の五志【ごし】の中では「怒る」ということに関係してくる。
そういう肝臓が考えて命令を下し、その考えられたこと、計画を実行するのが 
将軍の家臣としての胆嚢ってことになるんだけど 
“胆のう”ってのは腑【ふ】として、肝臓のに対しの扱いに属して 
人間が何か物を食べて生きるという絶対条件の中で重要な役割を果たしている。
胆のう…胆嚢というところは、胆汁【たんじゅう】を分泌する。
この胆汁が分泌されないと、人間の胃は消化作業を行えない。
   
人間が生きる絶対条件である「食べる」ということとは 
どういう仕組みになっているのか? 
まず、目の前に何か食べ物があって、それを見て 
それを自分の目(眼球)で見た瞬間に、既に消化作業は始まっている。
簡単なたとえで、梅干という食べ物の好き嫌いは別として  
梅干を食べた経験のある人は 
自分の頭の中で「梅干」という物を想像しただけで 
口の中に唾液が分泌してくる。
この瞬間にも、同じように胃の中の消化作業も働いて  
肝臓で想い描き、考えたことを実行する胆嚢が胆汁を分泌している。
   
だから人間は、自分の目で見た食べ物を食べる以前に 
それを誰が作ったとか、それが「マズイ」か「うまい」かは関係なく 
口の中には唾液が分泌して 
胃は消化作業に必要な物を必要とする。
そんなことをその本人が意識する・しないには関係ない。
物の道理、自然界の決まり。生きている人間に備えられた生きるための能力だ。
肝臓は胃に血液を送る。膵臓【すいぞう】には膵液もあってインシュリンを分泌する。
そして胆嚢も、胃が消化作業を行うために必要な胆汁を分泌させる。
そこではじめて人間の胃は、胃酸も胃液の分泌も正常でいられる。
「さて食べよう!」とか「いただきます」
オレは要らねぇよということとは別に 
腹が空いた人間の身体の中では、そういうことが実際に行われている。
そんでもって、その食べ物が何であっても
「アイツが作ったから不味い」とか「あの人の料理は美味しい」ということには関係なく 
目の前にある食べ物を口へ運んだときに 
人間はそれを意識する・しないは別として、必要に応じて噛み砕く。
舌で味わおうが丸呑みしようが、食べ物は唾液と混ざって食道を通り、
…この食道。咽喉を通過するときも、その人間が飲み込むことを意識する・しないは別にして 
食べて食道を通った食べ物は胃の中へ運ばれる。
   
「山村、その林檎を拾え。そしてぜんぶ喰え! 胃の中へぜんぶ入れろよ!」
と、妻を人質にして、その首にナイフを構える犯人が唸っても 
山村刑事は、地面に落ちた食べかけのリンゴを
土を払わずに汚れたまま喰った。
「あなた、やめて!」
劇中の奥さんが叫んでも、山さんは黙ってそれを喰った。
 (柳沢ネタではない
あの時も、そういう人間の消化作業は行われていた。
   
んで、一旦、人間の胃の中に入った食べ物は
さっき説明した通りに正常に分泌された胃液や胃酸と、
それを必要とする胆嚢の胆汁、肝臓から送られる血液によって 
おおむね消化され、消化された物のうち、栄養分は
そのまま体内を回るわけではない。
どんなにカルシウム喰ったって、直接 骨に回るわけではない。
ビタミンも、ミネラルも、何の健康補給食品の成分も 
胃の中である程度 消化された物は腸へ行って 
腸壁から血液中へ入り、その血液はまた再び、肝臓へ蓄えられる。
このときに、人間が生きて動くために必要な栄養分というものは 
血液の中にある赤血球、白血球、血小板のうち、血小板に乗って体内を回る。
食べた物は、だいたい2時間もすると消化するように 
人間の身体は創られている。そして、食べた物の半分は食毒【しょくどく】として 
生きるためには必要のない成分になる。食べた物の50%はな。 
そういう、食べて消化されて必要のない物、食べたカスは 
大腸の延長である肛門筋肉から便として身体の外へ排泄される。
このときに、肺が精一杯 呼吸をして、人間の身体というのは基本的に 
口で吐いて鼻で吸うという正常な呼吸 の繰り返し  
産まれてから死ぬまで絶対に休みなく行われている肺の呼吸により  
お腹の筋肉(脾臓)も動き、その腹筋の中にある大腸も動く。
しかも、生きている人間として手足の指とも連動しながらな。
本来、正常にウンコが出るというのはそういうことなんだけど
便秘の人ってのは、こういう基本的な人間の創られ方からも外れてしまってる。 
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10018885905.html
   
また、筋肉が動いて使われた血液は、汚れるので 
本来は、その汚れたまんまの血液をグルグル循環させたり 
汚れたままの状態で肝臓に蓄えられることにはならないように 
人間の腰に位置する腎臓という臓器が
全身の動脈・静脈に流れて、いつも筋肉の中の血管がきれいであるためにも
肝臓へ還る血液を濾過して、汚れた物は尿として尿道筋肉を通して身体の外へ排泄する。
だからたとえば、どんなに大量の香料を使った缶コーヒーを飲んでも 
そんな香料はゴミでしかないので、腎臓はスグに濾過してくれて 
そういうゴミを身体の外へ出す。そのために、ああゆう臭いの小便も出る。
   
ということで、人間が生きる絶対条件にあることのうち、
全身の筋肉が動くために必要な血液、燃料が回るということと 
「食べる」「飲む」ということは、そういうことになってる。
五体満足な身体で、物が喰えるということは、ありがたいことだよな。 
   
ところが、…あなたの問題もここからだ
自分の頭で考えたつもりでも、どっかの実用書っぽいクズな単行本に書いてあるような感じで 
人間は脳味噌だけで生きているわけではないので
肝臓で考えたことが何一つとして実行できなくなった場合、
その命令に決して背くわけではないのに 
人間の肝臓の直属の部下である胆嚢は胆汁を分泌させなくなってしまうこともある。
するってぇと、人間の胃が正常に動いて働いて
消化作業を行うために必要な胃酸が分泌されなくなっちまう。
次第に胃は、キリキリと掴まれたような痛さになってくる。
現代医学という浅はかな最近の医学では、これを単に「神経性胃炎」と呼んでいる。
診た結果そのままだけでな。
もしも、自然界の日の出・日の入りのリズムに逆行したような 
寝る時間も起きる時間も節度のない生活を送り繰り返してる人だったりすると
それはもう、肝臓の血液の出し入れもメチャクチャだ。
腎臓も肝臓に蓄えられる血液を濾過するためにテンテコマイになるだろうし 
全身の筋肉は、起きていて動く動かないには関係なく 
本人の自由にならなくなってきたりもする。
そんな身体に血液を循環させるポンプの役目にある心臓も 
筋肉の中の太い血管にはどんどん血液を送り回すかも知れないけど 
次第に汚れた毛細血管は目詰まりも起こせば 
詰まった先で流れにくい場所は、内側から崩壊して破裂したり、切れるかも知れない。
そういう意味で、大人になればなるほど筋肉の表面の皮膚に浮いて見える血管が
身体のあちこちにハッキリと見える現代人も多いけど
あれは単に老化現象ということでも、“スバコのオバサン”ということでもない。 
子供という時期のほとんどは、すべての毛細血管にも、まんべんなく血液が循環しているので
「おまえ血管が浮いて見えるよ」なんてことはまずない。
(先天性の障害があるとか放射能汚染されてるなどという肉体の場合は別)
これを肝腎要【かんじんかなめ】もしくは肝心要【かんじんかなめ】という表現で 
現代人は様々に悩み苦しむ生活を満喫されておられるんですよ。
申し訳ないけど、俺もそういう部類の一員であることは確かだな。否定はできない。
んまぁ、昨日は よくもまぁパトカーの要請もなかったほど凄まじい状態だった。
…といっても破損したのは風呂場脱衣所のガラス一枚と台所の茶碗一個で済んだけど。
そんなことはどうだっていいな。
   
問題は、一日のうちに大量の血液が物凄いスピードで循環している人間の、
全身の筋肉を司る肝臓という臓器が 
もしも何か考えたことを実行できないと、胆嚢が胆汁を分泌しなくなる。
ってことのほかに、“怒る”、“イライラする”ってことにも関係してくる。
とくに誰かさんのように、酒で回している分には ちょうどよくても 
普段から全身の筋肉が硬いとか、異状に鮮明な画像で夢を見るとか 
肝臓(
と胆嚢)に関係する人間の顔にある目。眼球に何か問題があるというような 
臓表【ぞうひょう】がある場合は 
自分自身の全身の筋肉に流れる血液の問題で 
全体的に筋肉が硬いということは、血液が回りにくいということなんだよな。 
それを誰が自覚してる、…自覚させようとも 
硬い筋肉、疲れた足腰の下半身よりも上半身にばかり血の気が多くなってしまうと 
爆発、暴れる、怒る、怒鳴る、喚く、逆巻く、発狂する、キレル、激しい苛立ち、バイオレンス…ということは、
テレビや映画のアクションシーンとか、どっかのリングで行われているバトルには関係ない。
そういう逆巻くうねりのエネルギーは、すべて肝臓の職責職能によって左右される。
あぶねぇよな、犯罪一歩手前を通り越して 
もしも何か持っていた物や身近にある物を発見してしまった場合、
その咄嗟の瞬間に、人は自分自身の心が肉体の制御・コントロールを
よからぬ方向へ運んでしまうこともある。
理性とか感情とか、健康な人は、ある一瞬の、おそらくそこで神の存在を知ったときも
一歩手前で取り返しのつかなくなるような問題に発展させることを察知して 
自らそこで踏みとどまることができる。
ところが、筋肉の発育が不完全だったり(子供や大人に限らず)
全身の筋肉細胞にまんべんなく血液の循環がない…という状態が続いていても 
見た目には動けて元気そうな人というのは 
「紙一重」だとか「暴力系」という言葉には関係なく 
いつどこで何をしでかしてしまうか見当もつかない。
それは他人ではなくとも、自分自身でも解からない。
   ###
だから、そういう肉体の問題。人間の基本的な創られ方を踏まえた上で 
犯罪や事件・事故の原因究明や防止についてを考えないかぎりは 
どんなに犯罪者の精神鑑定をしても 
有象無象のボンクラ政治家連中や教育団体が「法律の見直し」を唱えてみても 
社会の兇悪犯罪とか青少年犯罪の激増・激化は減らせるものではない。
とくに最近は、産まれる前の母体。
その子宮の位置。人間がカタチ創られる段階で育つ場所に異常が多いために 
そういう胎内から、この世に産まれ出た子供の全身の筋肉が 
乳幼児~幼児~児童~青少年~社会人と育つ過程において 
まったくもってして正常な発育を伴う心の容器としての、本来の肉体ではなくなってきている。
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10003312895.html
これを社会は、世の教育は、学者や医者の浅はかな知識と常識では
「発達障害」とか、「学習障害児」「LD児」…などという、見た結果だけの判断で 
明後日の方角から物事の問題解決に取り組まれて…おらられる方々が多い。
そういうことを何も知らぬ存ぜぬで報道やってる連中にしても、ご苦労なこった。
ご注意発達障害のレッテルを貼られた子供に犯罪者なる確立が高いということではない
宗教にしても、連中がしつこく反発するだけの臓器移植に対する意味不明瞭な叫び声にしても 
目に見えない部分で人間についてをとやかく言う前に 
もう少し利口になってみて、自分自身という人間の肉体と心の関係が 
この世に生きていてどうなっているのかを考えてみりゃぁいいんだ。
   
あのねぇ、そういう根本、基本的な認識そのものが
今の日本社会の常識に欠落してるんですよ。 世界中の人類のうちとくに日本人にな。)
目を醒ませっちゅーの。
これ以上、“犯罪国家、包み隠し時代”を地球上で長引かせてどうするよ。
てめぇで勝手に産んどいた子供の育児が意気地なしでどうするよ。
生理前後の子宮の位置が悪い以前に
お産のときに無知な産婦人科屋さんに足を引っ張られすぎて
股関節が脱臼したままの状態が、背中の精神調節に至る経穴
人体経絡08『足の太陽膀胱経絡』三焦兪の両外にある志室まで
おかしくしちまってたんだぜ。 これについては後日の説明
自分の子供を平気な顔で殺害した、ああゆうお母さん方ってのは。
それは本来の人類ではないじゃん。
俺の怒りや嘆きってのは、そういうところからも始まっちゃうわけ。
今となっては言い訳にしか過ぎないけど。 …俺の昨日、ごめんなさい。
いいわけないよな。こんな人生で。
明日こその成長は、もうちょっと進歩的に生きたいよな。
誰でもそうだ。
肉体の老化と同時に精神の向上が後退してどうする! 
昨日の自分より今日の自分の方が利口なはずだろ! 
なんなんだ、この高齢化社会は? 
長生きが立派なのか? 
笑わせるぜ。
無駄遣いされた魂の再利用は、いつになるんだ? 
明治・大正・昭和の常識で固められたシキタリに縛られて 
誰の何のどこに自由があるのか? 
汚物が密閉された場所から漏れ出さないためのバリアーフリーなのか? 
なんのための京都議定書の約束の期日なのか? 
みんなで息(肺の呼吸)を止めりゃぁ、CO2が削減できるとでも言うのか? 
おい、そこの報道とジャーナリスト! もっとマジメに生きろ! 
出演料と単発ギャラのスズメの涙おこぼれチョーダイ合戦で 
夕方開店の会員制レストランでメシ喰ってる場合か? 
なぜに便所のトイレットペーパーで洗った手を拭くんだ? 
そういう道理に反したことを平気で大人がやってんじゃん。
   
と、まぁ、そういう意味で ???? 
最近の児童や青少年の犯罪については 
   
 心の闇。  http://nixediary.exblog.jp/4459427/   2006-10-08 17:43
   
このページと。
そういうことも含めて、ノラリクラリの報道で
社会の臭いモノにフタをしてるだけのメディアの馬鹿さ加減については 
   
 見せ物の一生  http://blog.livedoor.jp/assimilate/archives/50664569.html  2006年10月27日
   
このページの幾つかの言葉も参考にしながら 
世間の常識の程度が、いかに下等で下衆なものかを痛感させられた俺は… 
   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004163605.html  ~ 
   
自分で書いた…書かせてもらったここからのページを
改めて自分で読み返すよ。
なんせ、「灯火」の精霊 なもんで。
   
   
   2006sep2nd_fin
   
   
   
   
   
おっと、忘れた。
   
   今日の、生きるために必要な人間の知識、知恵。(俺の場合
   
人間、考えたことは実行する。
今の自分に実行、できないことは考えない。
できもしないことを無理にやろうとするから 
おかしくなるんだよ。
肝臓も、胆のうも、全身の筋肉もな。
それを支配して動かす心なんて 
肉体がままならなけりゃぁ、満たされるわけなんてねぇだろ。
I Can't Get No Satisfaction ” 
http://ameblo.jp/badlife/entry-10014577081.html
当たり前の道理だ。
自然界に創られた人間の基本。
俺は自分に自由がなくても 
自分の子供には可能な限り、自由を与える。
束縛はしないし、言葉も行動の責任も本人に任せる。
但し、流行りモノに踊らされることの危険性は説く。
できる限りはな。
(…この辺が昨日の一件の発端、根底にあった。
意見の食い違いや躾けの問題ではない。
これからの時代に生き残るための覚悟の問題だ。)
それでいいじゃん。
学校なんて行かなくてもいいよ。
勉強なんて、しなくたっていい。
ゲームが欲しけりゃ自分で開発しろ。
どこにでもあるようなことではなく 
好きなことやって生きて 
それが他人の迷惑にならないなら 
何やってもいいよ。
その方がラクだし、自分が本当にやるべきことを見つけやすいだろ。
たぶんな。
   
子供は親と同じ人生を歩むようには創られていない。
誰も。
   
   
よし、こっから道が開けてきたぞ。(…わずかながら
人体経絡の人間の脾臓と胃の関係 についても補足できたしな。
   
   
   
じゃぁな。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
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    紹介、どうもありがとう!