歌い続けること一筋に | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   

   

   ビートニク より以前の ロックンロールの起源について

   

   

世の中に、ロックンロールというモノが誕生した時、
それもわずかに、何十年か前の話なんだけど、
俺はまだ産まれてもなかった。
そん時に、今の俺と同じような気持ちの年寄り連中もいたかも知れない。
「最近の若い連中の音楽が理解できない・・・」とかな。

                                     記事中より。

   

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このコーナー・・・
ここは、伊丹哲也さんの”ファンサイト”として
俺が勝手に密かにやってるページなんだけど、
伊丹哲也をカムバックさせる会
という名目上、普通なら(?)、哲也さんのことを中心に話を進めるべきところを
俺の場合はあえて、個人的なこととかも含め、
ある一つの理想を現実化したいがために書き綴ってる。
   
それは、他人によっては、言い訳がましく聞こえる部分もあるかも知れない。
また、誰かと誰かを比較してしまうような浅はかな表現に近いところも
しばしばある・かも知れない。
ある意味で、それも失礼なことだと思うし、
俺自身、自分を何者かと比較されたり、
勝手な解釈に収められることには・・・(例によって)腹も立つ場合もある

ただ、音楽についてをテーマとした内容については、
自分自身の中にあるモノ以外の他人の人生に関係してる部分もあるので
書いたモノに責任を持てる範囲内で色々と理屈を捏ねているのが・・・
この、南 大空の ”mind resolve”。
   
そして俺が かつて確かに見たはずの、”心に響く音楽”。
そういうものが、時代の移り変わり・・・変貌の中で失われていくことが許せない。
だから、日本のミュージック・シーンが脱線したまま突っ走らされてる状態から、
元の道へ引き戻されるための、一つの役割・・・
になれれば・・・という、
そういう馬鹿なことも考えて書いている。
   
   
世の中に、ロックンロールというモノが誕生した時、
それもわずかに、何十年か前の話なんだけど、
俺はまだ産まれてもなかった。
そん時に、今の俺と同じような気持ちの年寄り連中もいたかも知れない。
「最近の若い連中の音楽が理解できない・・・」とかな。
   
   
クラッシック音楽を聴いて生きたスコット・ジョプリンという人が、
ニューオーリンズの地で”ラグ・タイム”を発祥し、
イツァーク・パールマンという人がバイオリンの弦を爪弾いて
バイオリン本体そのものを素手で叩いてリズムを刻んだ。
その録音音源も実在する。
そして、JASSJAZZ に変わり、ビ・バップ、スウィングという
チャーリー・パーカーの生きた時代の流れに平行して、

   

   

映画 『BIRD』 DVD   

   
リズム&ブルースやゴスペル、カントリー&ウエスタンとの融合の中、
ハンク・ウィリアムスやウディ・ガスリーの存在もあった。
かつてのアメリカの地で。
ライトニン・ホプキンスというブルース・マンも その頃の人だ。
で、そういう”アメリカの音楽地図”みてぇなモンが、
ジャック・ケルアックが自分の体験を基に書いた
ON THE ROAD 』 (邦題:『 路上 』)という小説の中にも存在する。

   


ジャック・ケルアック (日本語訳:福田 稔)
路上    

     

キース・リチャーズ は今でもアメリカン・ミュージックのファンでもあり、
カントリーのスタンダードを幾つも歌っている。
最近になって知ったけど、日本には、

日本チャーリー・パーカー協会 ”というものもあって、

そこで紹介されてる白人サックス・プレーヤーのピーター・キングという人は、
チャーリー・ワッツ のジャズ演奏には欠かせないメンバーとなっている。
   
かといって俺は、「旧き善き時代の旋律やリズム」がどうとか、
懐メロ歌謡にノスタルジックを感じるような
オヤジ感覚でモノを云ってるわけじゃない。
   
現代の日本人の多くが、俺も含めて、
仏教も日蓮宗も、神社の祭りもキリスト教の慣わしも
今やゴッチャにしてるような生活を送ってるのと ほとんどまったく同じように、
街並みの通りや店中の有線、FM・AMステレオ・ラヂオ放送から流れる音楽のうち、
特に、今の日本の流行りのアーティストの楽曲のほとんどが
”ゴッタ煮”のクソまずいラーメンみてぇなもんで、
演歌のような”おでん”や”赤提灯”以外は、
ロックもヒップも聞けたもんじゃない。・・・俺はな。
どっから、こんなメチャクチャな、上辺だけの、
”そん時だけ気持ち良けりゃいい”って感じの、虚しく、乏しく、
オナニーの成れの果てみてぇなミュージック・シーンになっちまったのか?
   
中には二つか三つは、表現力豊かに
今の自分自身を伝えようとするスピリットを感じる歌手、グループもいる。
それはそれでいい。
でも、そういう確かなモノが少なすぎて、
クズみてぇなのが多すぎる・・・・・と思わねぇか?
以前は、こんな状態じゃなかっただろ。
少なくとも1985年くらいまではな。
   
で、俺の親戚のオジサン(実の父親の従兄弟)は、
テレビ朝日のミュージック・ステーションて番組のプロデューサーやってる。
三倉さん。
親戚一同が集う法事や誰かの葬式の時以外 マトモに面を合わせたこともないけど、
息子さんは確か東大出のエリートだったと思う。
優秀なご家庭だ。
でも俺は、今の”ミュージック・ステーション”て番組が大嫌いだ。
(但し、桑田さんや矢沢さんが出てる時は見ることもある・・・勝手なヤツ)
   
”音楽を聴く自由”ってのには、それぞれ好みがあっていいんだけど、
ある意味、ただ騒いでるだけのようなカラオケの延長ソングみてぇなのは
どうかと思う。
そういうのに浸って、そん時だけは気分がスカッとする若者もいるかも知れない。
あるいは、ポーズ決めてるだけの”戦隊モノ・グループ”のような連中が、
いま自分が生きている時間の心の支えになってる女の子も・・・実際に、いる。   
様々なコンサート・ステージの仕込み と バラシの仕事や、
そうした楽屋裏の雰囲気を見てきた俺も、
そういうモノの価値が判らないわけでもない。
   
でも、その場凌ぎなんだろ。
俺の魂には何も響いてこないぜ。
10万人の観客を動員してるって 興行グループ連中の音も・・・。
   
で、この話をしていいのか・どうなのか?
例えば
いま現在、”ある難病”と闘ってる、かつてのアイドル歌手がいたとする
あくまで仮定の話だぜ・・・
その歌手が、そういう病にやられる以前は、もちろん、CDも出してたし、
舞台演劇や雑誌、ビデオの世界で華を咲かせてた時期もあった。
ところが、コンサートを開くと客の入りが以前より遠のいてしまった。
いつものように宣伝かまして、チケット予約を切り出しても、
受付カウンターには思ったより数字が上らない。
スポンサーも音楽事務所もレコード会社も色々と工夫する。
歌手の本番舞台にガランドウの席が目立つようでは
”唄う本人”にやる気が起きない以前に

それ以降のCDやチケットの売れ行きも悪くなると、
関係者全員、自分達の明日の生活も危うく、メシが喰えなくなる可能性が高くなる。
かといって、昨日まで何とか売れていた本人を切り捨てるほど
その代替となるアーティストや”唄うたい”の「弾」がない。
どうする? 明日のコンサート会場は?
でもって また、音楽事務所も色々と工夫する。
撃つタマを増やすことも考えるかも知れないけど、
どこの誰に吹き込まれたのか・・・工夫した挙句が、

一本の電話だ。   
   

映画やテレビドラマ用の仕出しを揃える感覚とは違っても、
エキストラ会社に電話する。
都内なら30社近くはある。
黄昏の芸能ブローカー ”も その一人だ。
で、現在のエキストラ事務所の登録者なんてのは、20代、30代、40代の、
男も女も、ほとんど プー太郎の暇な連中。

そういう、生きていて危機感も何もないような暢気な若者が勢揃いしてる。
(・・・事実、その方が多いだろ。文句は言わせねぇぞ)

まぁ、今風に云うと、ニートな奴等。

・・・もっと中途半端だから、セミ・ニートだな。
で、
前もってスケジュールを抑えとけば、1000人は集められる。
要するに、コンサートの当日、その”桜”を遣って席を埋めるわけだ。
ステージに立つ中心人物は何も知らない。・・・おそらくな。
   
その歌手の唄う歌や本人の存在を好きか嫌いかなんて
どうだっていい。
ただ時間から時間まで、約束通りに席を埋めてさえいれば
ギャラが貰える。

ニートな連中でも。
コンサートなのに。
…一回に、一人、500円~千円くらいかな。
内容がどうあれ、ある意味、行政の失業対策の範囲内に収まってるらしいけど
世の中には、そういうクズみてぇな仕事(?)もある。
この日本でも。
お隣の韓国でもやってるかもな。
あそこは日本人のマネして、それ以上になろうと血気盛んだし。

これからニートも溢れ出す。
   
   
   
さて、それが本当に現実なのか どうかは
読者の判断にお任せするけど。
(・・・・・俺はやらなかったよ。そういうアホな小遣い銭稼ぎは。)  
こっから先は、そういう嘘と現実を見間違わないように読んでもらえれば…と思う。
あしからず。

   

   

   

   sub title 日本のミュージック・シーンを立て直そうぜ!

   

   

ブログっていうのは、
”WEB ” と”LOG”というコンピューター用語が合わさった言葉らしいけど
今世紀初頭の、この”流行りモノ”は日本国内にとどまらず、むしろ、
海外のユーザーの、その盛り上がり方はハンパじゃない。
例えば、今や自分でネット・バンクを経営するミュージッシャン、
David Bowie なんて、
自分のオフィシャル・サイトでブログ会社を運営してる。
その中には、自分の隣近所にあるの幼児虐待の事実を告発して
その残忍さを物語る画像に添えて、
「人間の尊厳とは何なのか」を世間に訴えたいがために
その理由だけでブログ・ページを開設した人とか・・・まぁ様々だ。

   http://www.davidbowie.com/blog/  
   
日本のミュージッシャン・・・邦楽アーティストには
そんな余裕のある者はいない。
今のところはな。

   

        

Tin Machine
Tin Machine [ENHANCED CD]       
         Working Class Hero    
   
   
糸井重里氏 が井上あきみ氏に云わせた
「合言葉は くう・ねる・あそぶ」
のキャッチ・コピーが 茶の間を湧かせた時期だったか・・・

1989年、「ロックが どうかしましたか」のキャッチ・フレーズで売り込まれながらも
売れ行きはイマイチだったTin Machine 。(・・・タイムマシーンじゃねぇよ、ティン・マシーン

   

1991年にもセカンド・アルバム(” Tin Machine / VICP-5075 ビクター)を発表。
70年代に、「アンディ・ウォーホール」をそのまま歌にしてしまった頃の趣で、
David Bowie さん、なんと、歌詞の中に「マイケル・ジャクソン」を登場させて、
そうした社会現象を背景とした80年代から世紀末へ移り変わる人類社会をテーマに
ロック・カルテット”の真髄を聴かせてしまっている。

   

     ”Shopping for Girls

   

鮎川誠さん だったか、どっかの雑誌の中で、
「ギター、ベース、ドラム、ヴォーカル。”ロックバンドで演奏する”ということは
基本的に、この四人編成が最低限で、それ以上も必要ないんじゃないか・・・」
などというようなことを The Beatles についての記事の中で云ってた記憶がある。
( 別のページでは、サザンの桑田さんが、
「メンバーの中でジョン・レノンほどいい加減なヤツはいなかっただろうし、
もしも自分のバンドに、あんないい加減なヤツがいたら迷惑だ。
そのいい加減さが・・・略
などと、誰よりもレノンを敬愛してる内容で語ってた記事もあった )
   
要するに、1950年代、黒人音楽の解釈が
エルヴィス・プレスリーやエディ・コクランという白人によって爆発させられた
”ロックンロール”という形に変化して、
60年代には、アンドリュー・ルーグ・オールダムという仕掛け人による
Beatles と Stones の”アイドル路線戦略”へと流されてゆく中、
レコード会社のロボットではいられなかった”ロックバンド”の魂、スピリットが、
70年代、80年代、90年代の”ロック・ミュージック”へも受け継がれて行ったわけだ。
・・・俺流に簡単に云ってしまうと。
それは例えば、ブランキー・ジェット・シティの3人組が
ストレイ・キャッツとセッションを交わした歴史的な事実や、
クレイジー・キャッツのようにロックを誤魔化そうとせず、
ロックの起源を楽しんだ 故・フランキー堺 さんや、(・・・ずいぶんと時代にギャップがあるな。)
今なお、ストーンズを愛して止まない沢田研二、萩原健一、黒澤ヒロシ 等(敬称略)へと
受け継がれて来た。・・・こんな日本でもな。
そういう意味で、ツイスト解散後の世良さんは、
「俺は ”ツイスト”というバンドを”ストーンズ”のようなバンドにしたかった」
って、云っていたんだと思う。(・・・それ以上の思い入れも他にあったと思うけど)
   
そして、パリとロンドンとニューヨークの三大都市に邸宅を構えてる男、
The Rolling Stones のミック・ジャガーとも仲良しのDavid Bowie さんは、
   
ビートルズがいなくても俺が演ってやるよ
   
と云わんばかりに、
ロックの基本、四人編成、ギンギンのギターバンド、Tin Machine
得意の洗練されたスタイルで結成してしまった。
しかも、巷の若者が、「おい、お前。俺とバンド組まねぇか?」
というような調子とほとんど変わらない。
しかも、しかもだ。それが、日本語でいうところの
ディヴィッド・ボウイー”って人がやってのけた。・・・片眼はが違うまま。
   
なんか スゲェじゃねぇか。やってくれるじゃねぇか。
ロックが どうかしましたか?の意味も頷けるじゃねぇか。
ピストルズの「ロックは死んだ」なんて、屁の河童だ。(・・・俺はピストルズも好きだけどな)
   

で、この、Tin Machine という恐ろしいバンド()をつくった David Bowie さんは、

かつて、生前のジョン・レノンに 面と向って、こう云われてた・・・
「グラム・ロックって、ロックが口紅を塗っただけだろ」
と。

当時、T・REX のマーク・ボラン と並んで宇宙人のような格好をしていたDavid Bowie は、
この、”サンクス・ベリー・マッチの表現”に大いに喜んで、
アルバム『Young Americans 』では、
ジョン・レノンとデュオで

   

         Across The Universe ”      

   

                  を 力強く唄ってる。

   

     

   

David Bowie
 Young Americans       

   

そして、Tin Machine のLIVEでは、 ”マギーズ・ファーム”も演ってた。
その、Bob Dylan のカヴァーも凄まじい。 (MAXI Single / TOCP-5998 EMI 収録)
   
   「今の若い世代の人たちは
     音楽をただ、耳で聞き流してるだけで
               心では聴いていない」
   
   
これは、最近の Bob Dylan の発言。

   

もっともじゃねぇか。
俺は共感できるぜ。
   
   
   
さて、

エゴン・シーレ などの美術の芸術世界や、舞台『エレファント・マン 』、
俺が書いた短編のパロディ『I.W.ヴァンパイアⅡ』(仮題)
のベースにもなってる映画『The Hunger 』や
ラビリンス  』、『Merry Christmas, Mr. Lawrence  』『Basquiat 
(『アラビアのロレンス』のリメイクは蹴った・・・観たかった)等、
様々なジャンルの映画、ネットビジネス業界と、
あらゆる分野、多岐に渡る活動を繰り拡げるマルチなアーティスト、
David Bowie さんのように
自分で広げた風呂敷を見事に包みあげることは
普通の人間には難しい。
それに似たような日本人も何人か いたかも知れないけど、

まず、”広げすぎた風呂敷”をキチンと まとめられた者もいない・・・よな。
   
で、俺の記憶も曖昧な部分も多いので、
ここからの話が、どこでどう繋がってるのかを調べるため
いくらネットで検索しても答えが出てこないんだけど・・・
・・・世の中からオミットされた情報なのか?
    

       

ピーター・ゲイブリエル の、これまた常人でない活動 と平行して(?)、
オーストラリアに ”ロックンロール殿堂ミュージアム”の建設を考えていたBowie さん。
その詳細については、もっとよく知ってる人もいると思うけど、
ある日、飛行機の中で、偶然 隣の席に居合わせた ”あるエンジニア”との会話の中から、
「太陽エネルギーの展望」についてを語っていたインタヴュー記事が
どっかの雑誌にあった。(・・・これもかなり前かな・・・90年代)
その中に、”ロックンロール殿堂会館(大型スタジオ)”の話もあった。
   
   アレは どうなってしまったのか?
   
豪州をはじめ国内外のリゾート開発会社 イ●イイー・インターナショナル・・・
あの馬鹿騒ぎを もう忘れてしまった人も多いと思うけど
その、ロックンロール殿堂ミュージアムの話と、
矢沢永吉さんが、何十億円という借金を たったの数年でチャラにした話とかが
どっかで繋がってるのかどうか・・・・・。

   

今の矢沢永吉 ” は、スゲェぞ。
   http://www.1101.com/yazawa2003/16.html
   ( ほぼ日刊イトイ新聞 』 矢沢永吉の開けた新しいドア 
   「ほぼ日」特別インタビュー2003よりリンクさせて頂きました
      
他人の楽曲をパクって ヒットを連発させたような邦楽アーティストとは違う。
安っぽい薬物の力でファンの期待に応えようとする連中とも違う。
絶対に自分には負けないし、自分を騙さない。
どこまでも登り続けてる。
そして、頂上までの道程は、くねくねと曲がっていて険しい。・・・たぶんな。
   
   
そういうスピリットでは、伊丹哲也さん も しっかりしてる。
・・・失礼、ゴメンナサイ。こんな云い方してしまって。
哲也さんと矢沢さんを一緒に考えてるわけじゃありません。
(ここまで引っ張るのに長げぇしな)   
   
とくに、自分の今、”現在の自分を伝える”という意味で、
歌い続けることを一筋に生きてる哲也さんは
音楽アーティストとして、現在の Bob Dylan に匹敵する・と思う。俺はな。

   

   

   

もうすぐ、”伊丹哲也LIVE”がある。

   

   11月23日 日曜日、江古田マーキー

    http://www.marquee-jp.com/  

   

俺は、今年の酒づくりの手伝い ”が忙しくて
どうしても行けそうにないけど、
来年の春とか、時間に折り合いがついて
機会あるなら行ってみたい。
観てみたい。
”今の伊丹哲也”を。
是非。
   
このページを遣って、”LIVE レポート”もやってみたいし (やらせて戴きたいし)、

Bob Dylan のように何十枚ものCDを出していなくても、
俺は、哲也さんの歌、”伊丹哲也の存在”を世間に伝えたい。

   

そして、俺が勝手に そういうふうに思ってる哲也さんのサイト。

   http://home.p02.itscom.net/fighting/  

   

その、LIVE ! のページに、

   

     On The Rord

   

という曲が、7分20秒のLIVEヴァージョンで紹介されてる。

                  (2005年 4月17日収録 V

圧縮されたデータのせいか、
ビデオ映像が ちょっと見にくい部分もあるけど
・・・・・スゲェ。
   
この、”自分の今”を伝えようとする姿勢は、
あれからずっと変わってない。
こんな人間には めったに出逢えるものではない。
   
で、画像の状態からして
白い帽子を被った哲也さんの顔も判りにくいんだけど、
曲の最期の方で わずかに見えるドラム奏者に注目。
・・・普通のスティックの持ち方ではない。
   
チャーリー・ワッツのようにジャズの奏法までも熟知 していないと
ギターと歌声に合わせた あのようなスティックさばきはできない・と思う。
     

9月24日に哲也さんのサイトを紹介して貰ったassimilate さん(…ですよねぇ)。

http://www.assimilate.jp/  
http://blog.livedoor.jp/assimilate/  
(2005年11月04日、記事タイトル「夢を叶えながら」を読ませて頂きました。)
      
こういう人が哲也さんの横にいてくれると、とても安心できる。

   http://ameblo.jp/badlife/entry-10008026749.html  参照ページ (self text)