出逢ってみてほしい。 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   
伊丹哲也さん は、確か、お父さんが大工さん(…工務店経営かな?)で、
建築家になる勉強をしていたんだけど、
親の反対を押し切って
ミュージシャンを志して上京したという話を聞いたことがある。
陽水さん は家業が歯医者さんで
やはり最初、アンドレ・カンドレ=マンドレ・カンドレのデヴュー当時は
親に反対されていたらしい。
甲斐バンドのリーダーは、実家が床屋だったらしい・・・。

   
どうでもいいけど、甲斐よしひろ氏は、
現在、俺が勤めている真野鶴の蔵元 にも過去に立ち寄られている。
専務の友人が甲斐よしひろ氏と とても仲がよく、
そうした関係から、文化放送を通して、
”甲斐よしひろヴァージョン”の五百万石・大吟醸が造られたこともあった。
一本、3000円くらいだったかな。(今は、たぶんもう売ってない。たぶんな。)
   
”五百万石”というのは酒造米の種類、米の名前で、
”大吟醸”というのは、その米を50%以下に磨いて(精米して)、
通常の酒よりも更に丹念に仕込まれた日本酒のことを云う。・・・簡単に説明すると。
で、現在、日本酒の種類には大きくわけて、
普通種としてのレギュラー種(昔でいう2級酒)、
本醸造、
吟醸酒、大吟醸酒、
純米酒、純米吟醸酒、純米大吟醸・・・
と、7種類くらいに分類される。
山廃仕込とか無糖加とか辛口、甘口の違いや、
火入れ作業を施していない生酒とか、
あるいは古酒と呼ばれる物など

細かく分類すると切りもなくなるけど、
だいたい、そういう分類・・・俺の知る限りでは。

   
それは、米の種類と精白度(使用酒米を どの位まで磨いているか)の違い。
そして醸造用アルコールを使っているかどうかの違いによって、
そういう分類になるんだけど、米を芯に近い部分まで磨けば磨くほど、
その酒の仕込みは造る側も かなりの神経と体力を要して、
出来上がった酒そのものも高級な扱いになる。
大吟醸で、米を35%以下まで精白すると、
水で研いだあとにも割れやすい。
すべてにおいて扱いも通常より難しく慎重になって、
蔵で仕込むモロミの貯蔵タンクも特殊なモノになる。
そういう酒があちこちで頻繁に造られはじめたのも、ここ20年くらいの歴史で、
昔はそんなに日本酒の種類もなかったらしい。
まぁ、2級、一級とか特急とかの分類で、
庶民は自宅から一升瓶を持って蔵元へ買い付けに行っていた時代があったらしい。
石炭や木炭で動くバスとかが走ってたような時代の話。
   
大手の機械化された酒作りとは違って、真野鶴という酒 は、
現在も ほとんどすべてが昔ながらの手造りで、
水もすべて蔵元の井戸水(小佐渡山脈伏流水)を使っている。
・・・確か、創業113~4年になる蔵元で、今の社長が三代目 です。
で、今の杜氏さんは俺よりも若くて、

はじめて杜氏になった年が29歳だった。
それから5年連続で金賞 を獲っている。

   
年に一度、春に、”全国新酒鑑評会”というものが(現在は広島)で開催されていて、
そこに全国の4000軒近くある蔵元のうち 選りすぐられた2千軒の中から、
200軒くらいの蔵元が金賞を獲る。
その中でも、5年連続というのは、現在十何軒しかない。全国で。
しかも、俺が世話になってる杜氏さんの若さでは、まずいない。

   
かつて(戦後まもない時期)は、佐渡には14軒の蔵元があったらしい。
「金山があった」なんてことよりも、
こんなに狭い島の中に、それほどの数の蔵元があったという事実は、
世界的にも遺産に近い・・・と思う。
ところが、現在は6軒。(それでも多いよな)
で、今年度までに5年連続の記録を更新中の蔵元は真野鶴だけだ。
新潟県内でも3~4
軒しかない。
だから最早、日本酒というモノはブランドではなく、
造る人の腕で、その確かさが決まる。
そういう”本物”の近くで生きている俺・・・。
時々、「そんな場所で俺が働いてもいいのかよ・・・」って、思うこともある。
   
杜氏さんのほかに蔵人頭【くらびと かしら】がいて、
現在、新人の18歳と2年目の俺を含めて、
今年は8人で造ることになる。
平均年齢30代前半。今年39になる俺が二番めに高齢なくらいで、
ぜんぶ若者だ。しかも”マニュアルなし”の手造りで。
俺なんて今も、何をやってるのかサッパリ判らないことの方が多い。
しかも、俺だけが煙草なんか吸ってて、ローリング・ストーンズとか聴いてる。
・・・なんか、「こんな俺を よくも使ってくださっている・・・」
そんなふうに思う。今でも。
   
俺の奥さんは畑仕事と育児で疲れた身体で毎朝、弁当を作ってくれる。
これも感謝だ。
本業は、俺なんかより何十倍も優れたライターなのに。

(・・・別に俺が優れてるわけじゃねぇし、

 自分と他人を比較するってことほど間抜けで意味のないこともねぇんだけどな。)
今は、何か美しい文章を書くなんて出来ない状態だ。
で、その、miyuki って名前の女なんだけど、
俺が今この世に生きていて、こんな支えになってくれている存在はいない。
その年上の女房が、やっぱり”伊丹哲也”の存在を知ってた。
顔まで覚えてる。
「ちょっと浜田ショーゴ似の人でしょ」とか云って。(スミマセン)
しかも、ストーンズのステージなんて、俺より観てる回数が多い。アリーナで。
だから今、哲也さんのファンは、俺の周りに、
俺独りじゃなくて、全部で3人もいる。
俺の子供も哲也さんのファンだ。まだ5歳だけど。

   

   
   
10月3日。

あの、クワガタが埋葬された二日後の更新を最後に、

哲也さんのサイトが止まってしまうことになった。
「なんてこった! おりゃ、どうすりゃいいんだ?!」
最初、少しだけ不安になった。
でも、どうやら一時的なようだ。
最後に、「LIVEが終ったらまた顔出すね。じゃ!」とある。
案心した。
で、その前の決意表明がスゴイ。

   http://home.p02.itscom.net/fighting/
   
どこがどのようにスゴイのかは、
公開読者以外で、

毎日 俺のこのサイト、”mind resolve”を密かに()定期チェックしてると思われる
20人ほどの皆さん自身で感じ取ってください。
「・・・へへ」  (あおい輝彦さんの矢吹ジョー の声のつもり。)
   
で、このコーナーの目的ってのもある。
現在、キーワードを 

伊丹哲也

の文字でネットに検索をかけると
『街が泣いてた』云々の よくありがちな

”想い出の曲紹介”みてぇな内容のほか、
マトモに現在の哲也さんのことを伝えてるブログやサイトなんて
ほとんどない。
アーティスト側のサイトはあって当然でも、
ファン・サイトってのがない。
今はまだ。
普通、プロのアーティストなら何件かはある。

   
俺はまず、これを世の中に拡張したい 。 http://ameblo.jp/badlife/entry-10008026749.html
無理だとは思わない。
ここ数日、俺がファンに返り咲いて、
そのほかにまだ二人いる。
たったの10日足らずで。

そういう意味で、哲也さんの

聴く人の心を摑む力はもの凄い。

ゼロやマイナスでは終らない。絶対に。

   
俺はこのアメーバのブログの場を借りて、
更に俺の外側へ広げたい。
別に会員を募ろうって訳じゃない。
哲也さんのLIVEを観に行くとか、
自分のブログやHPサイトに一つ、テーマやカテゴリーを設けるとか。
個人個人の、そういう行動の実行が

積み重なって行けばそれでいいし、

それ以上は望まない。
(・・・できれば、廃盤になってるCDは すべて再発してもらいたいけど。)
要は、単純に、現在も強力に生き続けている、
”伊丹哲也”のファンになればいいってことだ。
   
   
いま現在、病院のベッドに横たわって、
飲みたくもないクスリ呑んでる人でもいい。
刑務所にいて真面目に更生しようとしてる人でもいい。

わずかな援助の中で災害の復興に全力を尽くしてる人も。
そういう、世の中の底辺の部分でいいから、
いま俺は協力者が欲しい。
哲也さんの歌が必ず生きる力の支えになってくれるから
哲也さんの歌には ひとつも嘘はないから
ここで今、出逢ってみてほしい。
   
        http://home.p02.itscom.net/fighting/
   
   じゃぁな、待ってるぜ
   
   ・・・いるだろ、一人くらいは。 な。