コイツは利用価値があるかどうか? | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

  
   
「今の時代、人間として生きることをナメていない人と真剣に仕事がしたい」という俺は、
今日ここまで書いてきた内容に、常に終止符は打たない気持ちでいる。
短編や童話も、形式的には「END」「fin」「完」「おわり」「おしまい」という、その物語に合わせて
エンド・タイトルを決めてはいるが、気持ちの上では、いつも「つづく」だ。
「書き終わった小説は死んだライオン も同然だ」と、かつてヘミングウェイも云っていたが、
俺にはそんな立派な物は書けないとしても、常に“上へ昇る”という意味での「つづく」なので、
ある意味では、書くことに行き詰まったような状態に陥ったとしても、いつかは必ず先へ進む。
各内容に表現力が乏しく、途中で話が纏めあげられなくなったとしても、
必ず俺自身の言葉で纏める時間がやってくる。
意識の中にある言葉にはならないモノも、
やがて原液を薄めて、みんなが安心して飲めるようにしてゆく。
「読み手がいなければ書く楽しさも続かないかも知れない」
そんな不安はない。
そういう意味で、今回、書き続けている『mind resolve』は、他人ではなく、
自分の心、自分の魂の中にある問題を解決するために実行している。
だからこの、エディット・ヴァージョンも、単に”手直し”したものではなく、
現在を生きている自分を確認するための書き直し作業の一部…。
具体的には、「この表現やフレーズは自分に必要かどうかの選択」
そして、「この言い方で自分に “気づく” きっかけをどこまで得ることができるか」
という2点をポイントとしている。
誰かがマジメに読む・読まないは別として、顔も知らない俺の書いた物を読む他人にとっては、
しつこくループしたり、くどい部分も否応にしてあると思う。
それは「どこから読んでも自由」という、こちら側からの提供手段の一つでもある。
以前のように、ノートに青いインクのボールペンで綴って、自分の手元で机に積まれるだけでは、
書くことも途絶えたまま、別の仕事に取り組み、それで終ってしまう人生だったかも知れない。
ところが、わざわざカネを賭けて出版に漕ぎ着けなくても、“ネット上”という世界に、
地球規模で公開できる方法が、こうして存在する。実に便利で、
俺にとっては例えカネにならなくても有意義なライティング・フォームだ。
これについては、このブログ・サービスに非常に感謝している。
今のところはまだ、心ある人からの連絡はないが、
たった一人、俺が書いていることの裏側が読める人間が現れた時、
その時こそ、俺は俺が見失った俺の純粋さを取り戻せる。
例え今後、俺が死ぬまで一人も読者が存在しなくても、俺は自分の言葉を確立することを目指す。
 
  
 
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10003006483.html  より
 
  
   
「お前、大丈夫か?
ほんとうにそれで いいのか?」
と、   
俺は自分で自分に対して常に そう問いかけながらモノを書いている。
だから、一度ネット上に公開したモノ も、微調整はあったとしても
大幅に内容を変更するとか、全面的に削除する・というようなことはせず、
特に今は、俺の中のすべてを曝け出すという意味で、
注意深く吐き出したモノの向こう側に見えてくるらしきモノ(?)
を求めて書いている。
例えば、いったん「本」という形にして出版してしまったモノは
書店の店頭に並べられてしまった後では、決して手直しできない。
ある意味、その覚悟と同じような心境の上で、しかも、
頑なにスタート地点を崩したくない部分では、常に、
これ以上、自分が自分から逃げられないことと、
自分が“何者なのか”の確認、
そして、自分の魂が、一日一日ずつ進歩してゆくように心がけ、
そういう成長を前向きに・・・・・まぁ、勝手に書いている。
だから、便利で自分の都合よく利用できる”ブログ”というモノも、
自分に都合よく言い訳をかましてみたり、
他人には視られたくない部分を隠すような内容にはしたくない。
できる限り。
  
 
       http://ameblo.jp/badlife/entry-10005896630.html  より
 
 
 
 
【女性の胸を大きくする方法】
この記事は しばらく連載にしようと思うけど、
気の利いた質問なら途中から応えも盛り込んでいくよ。
はじめての人にも、文字はデッカク読みやすくしてる。
それでも解らないことが多いと思うけど、
そのうち判ってくることもいっぱいあるよ。
もちろん、改善策も幾つかは公開してく予定。
云いっぱなしは政治家に任せとけばいいしな。
俺は救世主でもなければフェミニストでもないけど、
人間の男として異性は大切にしたい。
中間にいる人も増えて来たけど、本来は、
人類、男と女しかいねぇからな…。
 
   
男の俺が書くから、読む人が女よりも男ばっかりかも知れないけど、
現在、俺のページの定期購読者は3人(050827現在)。それでも、
一日の中でカウンターの数から概算して、およそ20人くらい、
おそらく毎日、同じ人が俺の更新を気にしてくれてる様子がある。
「なんで分かる?」って、解るから判る。
それほど俺ってモンは他人の“気”に敏感だし、
特に毎日、死ぬか生きるかの瀬戸際にいたり、
常に死と背中合わせに生きてる人の心持ちは、
クリアーな状態で俺の生きている時間に飛び込んで来る。
別にそれは超能力なんてもんじゃない。
世の中に“以心伝心”という言葉もあるように、
物理的概念とは別に能力が働く、
本来、人間、誰もが持ってるもんだ。
“超能力”とか“波動”とかヒーラーだとか、
“霊能力”とか“憑依体質”とか、
そういう、(俺にとっては馬鹿げた)精神世界用語に収められた話とも違う。
ああゆうこと言ってる連中は、
現実に生きていて、どっかピントがズレてるだろ。
…ある意味で、俺もズレまくってるかも知れないけど、
連中は地に足が着いてない。
言葉だけで浮遊して自分に酔ってるだけだ。
信仰宗教なんて全部、そのうちの子供騙しみてぇなもんで、
世の中、あっちもこっちも、
その騙しのテクニックの優劣を競い合ってるに過ぎねぇよな。
   
ただ、正直なところ、その20人くらいの中に、
どっか身体の具合が悪い人がいると、
その“具合 悪い部分”も視えてきて、
俺自身の肉体に、その人のその部分が浮かんで来ることもある。
例えば腰のあたりが妙に冷たくなったり重くなったり、
呼吸が苦しくなったり、動悸が激しくなったり…まぁ色々とな。
それはそれで覚悟の上で、毎日毎日、自分とも闘ってる。
そういうのはどうやって解決するか?
今までも随分と悩んで来たけど、まず、
「これは俺じゃない!」って、
自分と他人をハッキリ区別することだ。
そうしないと、自分が人間なのか、
どっかその辺で死んでも 死んだことに気づいてない動物なのか、
そういうことが現実に生きてる自分の中で
ゴチャゴチャになっちまう。
とにかく、自分自身てモンがしっかりしてないと、
隙があれば瞬間的に、いつでもポケットへ飛び込んで来る。
何が?って、お化けや幽霊じゃねぇよ、
肉体があってもなくても、
救い、拠り所を求める魂の叫びのようなもんだ。
それは今、現実に肉体を持っていれば、なお更だ。
俺の中にある“何かの存在”に共鳴してくる。
「別にいいよ、どんどん来てくれ!」とは思わないけど、
幸い、ネット上はまだ軽い。
本心をさらけ出さずに気取ってる連中ばっかりだしな。
世の中にはもっともっと、色々な苦しみ、
怨み辛みの中で生きてる人が大勢いて、
ネットどころじゃない。
そんなことに構ってる余裕なんてないくらい。
例えば、第二次大戦中、死体が積んであった沼…。
   
いや、今日はもうやめよ。
まだ夏だから こういう話もいいかも知れないし、
こういう内容が好きな人もいるかも知れないけど、
今日のテーマとは全然ちがうから、
それは “mind resolve”の本チャンの方で、読んでくれ。
   
        
http://ameblo.jp/badlife/entry-10003800291.html  より
   
 
  
さて、このコーナーも、(長々と)ようやく三回目になった。
ここまで付き合って読んでくれてどうもありがと。
あと2~3回くらいで一旦切り上げて、
9月からは、秋っぽい内容で書いて行くつもりでいる。
mind resolve”の本チャンとかなりダブる点もあるけど、
付録みてぇなモンだ、その辺は大目に見てくれ。
で、巷のダイエット戦略がどうあろうと、
『自然と人間の設計図』と 鍼灸の“村上流派”、そして、
“カツオ爺さん”から教わった内容…。
ここから外れて創られている人間は、
この世には存在しない。
誰も否定できない事実なんだ。
 
   
 
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10003856904.html  より
 
  
 
ところで このテーマ、
“女性の胸を大きくする云々”って、
一回目からマジメに付き合って読んでくれてる人…。
いるかも知れないな。
   
…大丈夫か?
恐くなったり辛かったら
ここでもう、読むの やめてもいいぞ。
身体の弱い人には俺の話は堪えるかも知れないからな。
世の中、人間ぜんぶが丈夫な人ばっかりじゃないんだ。
缶ジュース一本持っても、
その重みでブッ倒れる女の子もいる。
だから側にいる彼氏は、
その子のハンドバッグとかも持ってあげてな。
デートしてても、そういうことが辛くて
誰にも判ってもらえずに悩んでる人も
世の中にはいるんだぜ。
ちゃんと支えてやってな。
 
 
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10003921711.html  より
 
 
  
記事そのものの内容が内容なので、
読者が引いてしまうくらい
“マイナー路線”を突っ走ってる・ような俺だけど、
どのページに対しても批評批判はまだ…
ない。
遠慮しないで言いたいことは言った方がいいとも思うけど、
そんなヒマがある人もいないほど、
俺も含めて小さくまとまった枠の中に存在してる…。
 
  
言葉ひとつにしても、
ネガティヴよりポジティヴな内容の方が
未来が明るい。
視覚的にインパクトのある素晴らしいセンスのページも、
キャッチーなコメントを盛り込んだ今風の記事の書き方も、
色々と勉強になる。
で、昨日(9月1日)、俺の記事にトラックバックしてくれた
渋谷区の女社長さんのページも見習って、
最初、
 
   
  
 “Mind Resolve” ~ 俺は世界に気づかせてゆく。
   
って、メインタイトルにして プレヴューしてみた。
…なんか、どうも、
余計に “ 怪しいページ ” になった感じで、
「勝手にやってろ」って声が、
例の
“毎日がウラ読者の常連アクセス”
の、20人(ほど)の人、

それ以外から聞こえてくるような気がした。
そうじゃなくても、俺の書いてる内容は、
若かりし日のベルモントの出世作とまではいかなくても
沢田研二さんの大ヒット曲みてぇなもんで、
かつて、“流刑地”の一つとされていた佐渡中央部
二階家の8畳の一室から発信されている この内容は、
決して、世間の“アフィリエイト戦略”の流行り
に乗っかってるモノでもなければ、
ただ単に個人の小さな成功のために
毎日 更新してるわけじゃない。
 
   
で、俺は、今あるように
 
   
     
~ 世界に気づかせる俺の義務
   
って、入れ直してみた。
なんかヘンだよな。やっぱり。
こんなページ、
マトモに読みてぇと思うヤツなんていねぇよな、実際。
ちょっと考え直すか。
…前日の内容も かなりキツかったし。
…エアコン・パニックな。
 
  
アメーバ・ブログに48万件ものページ公開者がいて(050920現在)
たとえそこに独りの人が いくつものページを開設していようとも、
中にはランキングのトップページだけを覗くために
登録してる人もいるかも知れない。
それはそれで、テレビや雑誌のネタと同じように
流行なんだから、
そういう”新しい文化”も巷のネット・ビジネスの範囲では、
将来が楽しみな部分もあっていい…と思う。
…ちょとだけ。
でも、誰かが一発 当てたからと言って、
その“話題性”の裏側にある安易な
“自分の可能性を信じたい心”ってのは、
柳の下にいるはずもない泥鰌掬い、
あるいは、
“花咲か爺さんの隣の爺さん”みてぇなもんで、
今後48万人の一人一人、みんなが、
“ネットでリッチ”な ご時世を体験できるわけじゃない。
   
俺がアメーバ・ブログを選んだ理由にも、
正直な点、末端の才能を出版した業績を持つ…って所に興味を持った。
俺はそういうインディーズっぽいモノが大好きだから、
俺は俺で書き捲くるけど、
他の人もどんどんやってくれって思う。
そんなこと、嬉しいのなんのって、
面白いじゃないか。
カネになることより、自分がやりたいことの方が先だ。
俺もな。
 
  
今後、ブログの会社は最初に始めた人であろうと何であろうと、
水戸黄門のオープニングの歌の二番の歌詞みてぇに、
次々に先へ先へと進んで行くことになる。
 
   
で、俺のようなズラズラと長いページはどうなるのか?
もちろん整理整頓されてくる。
   
それを誰かがまた、ソフトなイメージ戦略の中で、
“ライト・ブログ”
とか
“へヴィ・ブログ” なんて言葉で分類するかどうかは別としても、
まず一般的な、
着メロの“流し落とし”の流行り感覚と似たり寄ったり…、
そういう延長線上にあるだけのブログ記事は、
ある意味で”クズ扱い”になる。
・・・・別にみなさんのことではないですよ。
 
   
自分にとって、その情報が無駄かどうかの判断は、
今のところ、個人の自由の中にあるように見えても、
実は、江戸時代の“ホラ吹きカワラバン屋”が
ネット上に何億人もいる程度でしかない。
 
   
ニューオーリンズの被害状況は、
音楽関係者でなくても、みんなが気にしてる。
どうすんだ? あれは。
 
   
どうにもこうにも陸地が海面より低い場所で、
ギターやシンバルを使って水を掻き出すわけにもいかない。
バカな冗談を云ってる場合じゃなく、
本当に大変なことだ。
日本政府もスグに、人と経済援助を考えないと
問題はまた広がる一方だぜ。
ところが日本人…特に日本のマスコミは、
どうしてこんなにアホなのか?
というほど、
石油価格の値上がりのことばっかり報じるようになる。
その馬鹿さ加減は今後が見物だ。
 
   
9.11のグランド・ゼロのイベントにしたって、
当日 深夜を越えても継けられる選挙騒ぎに明け暮れて、
どうだってよくなっちまう。
あのテロ惨事は米国だけの問題じゃないんだ。
今後、人類が、宗教や教育によって滅びるかどうかの、
その瀬戸際にいる時代の、全世界にとっての問題だ。
自分のいる場所にだって、いつどこで起っても不思議じゃない。
「絶対にない」なんて誰も言えない。
   
選挙も、携帯電話の着メロも、ブログも、ネットビジネスも、
学校のイジメも、日教組の組合員集めも、
少子化も、不妊治療も、家庭内暴力も、青少年犯罪も、
“ヨそ様 ”のピンクの来日騒ぎも、
日本人は今、
“みんなと同じように同じ事をやっていれば安心”
なんて、呑気にやってられる場合じゃぁない。
  
 
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10003948385.html  より
 
 

今一度、人間について勉強し直した方が、自分を自分で救う道筋の最短距離にもなる。
で、それがすべて『
人間の設計図 』という本の中にもあるんだけど、
「今さらもう遅い」とか「無理だよ」とか「これ以上、人間の何を勉強し直すというのか」
という人ほど、まだ望みがある・ような気がする。それは、
「俺の力では、どうしてもあの子を救えなかった」とか、
「神様はそれほどまでに人間を苦しめる病を、どうしてこの世に用意したのか」
別にそれはドラマの中に出てくるような台詞ではなく、
現実にもきっといると思うので、そういうお医者さんが。
その純粋さがまだ自分の中に残っている人なら、
今の医学、現代の医療を変えて行けると思う。
厚生労働省の監督下にありながら、
平気で医療現場を食い物の種にしている連中のやっていることを覆せると思う。
 
   
正直云って、俺にも限界はある。書いてる物もこの有様だ。(…今はな)
でも、
正直な人、誠実な人、曲ったことが嫌いな人、
自分の能力を正しく発揮して世の中に役立てたいと願ってる人。
またはそういう欲望を常に胸に抱いている人。
これは一つに団結するというより、いつか統率された方が世の中の発展に繋がる。
オウム教団に嫁いだ人達は、ココで間違えたかも知れないけど、
あんな風に正直な人達を犯罪者に仕立て上げた一人の狂った鍼灸師の思想も、
決してあのままではなく、これからまた、
その上を行く悪巧みによって人を操るような連中が現れないとも限らない。
日本の戦後教育はそういう世の中を造ってしまった。
でも絶対に、そこにはもう巻き込まれないで欲しい。俺も絶対に行かない。
俺がどんなに踏ん張っても、もしも自分の子供が、そんな落とし穴に嵌ってしまった時、
それを助けられるかどうかは判らない。もしかしたら、
大きな電子レンジの中に入れられて、マイクロ波で丸焼きにされてしまうかも知れない。
VXガスをシェイクしたサットバ・ドリンクを呑まされるかも知れない。
そういう恐怖は他人事ではない。
だから、人間として無駄死にはしたくない。
俺も今は、医者も病院も嫌いだけど、今後、“外れた部分”をお互いに軌道修正できるなら、
好きになるかも知れない。
そういう世の中が来る日まで俺は生き続けるよ。
   

  http://ameblo.jp/badlife/entry-10003068983.html  より
  
  
とにかく、“魂の操作ゲーム”みてぇなもんは、
日本の20世紀を暗く暗く締めくくった、
あのオウム事件で終わりにしようぜ。
   
有田先生も江川先生も、そのことをもっと強く、
みんなに呼びかけるべきだ・と思う。
出所した上祐君だって、本当はそのことに、
だいぶ前に気づいてたはずだ。
デカイ声で「俺のマネするな!」って、云ってもいいぞ。
もう誰にも信用されなくて、
誰にも聞こえなくてもいい、俺が聞いてる。
俺はそれに平行して、
そういう情けない若者を育てた日本の“戦後教育”を攻撃する。
ブッ潰して建て直しが利くもんなら、そうしてみたいけど、
まず、明治・大正・昭和の常識を引き摺った世間の意識が、
のらりクラリし過ぎてて、テレビに出演してる各種評論家の先生方や、
世の中の「学識経験者の意見に基づく~」っていう、
政治や経済、教育や医療の運転のされ方が、
噴かしたエンジンを止めようとしない。
巷の暴走族より兇い。
もうそれは、オーヴァー・ヒート目前で、GAS欠状態なのに、
今未だ、行き着くところまで突っ走ろうとしてる。
そういう世の中の”教育の現状”、常識の嘘、罠、落とし穴がある。
   
で、こういうことを云って書いてるのは俺だけど、俺じゃない。
そういう声と、”課せられた義務の遂行”に従って話を元に戻すけど、
今の時代、「自然と共に生きる」、「自然の中で健全に生きよう」なんて、
とうてい無理だ。
そのつもりで頑張ってる人も大勢いるけど、
もう間に合わない。
まず食べ物が違う。
野生に生えてる草を食べても、
もう間に合わないかも知れない。
それぞれが生息して住んでる場所、
人間が“生きてる場所”が違う。 育つ場所が違う。
素晴らしい教育の知識を詰め込んだ頭の中も、
違う。決して、
“以前に在った通り”
ではない。

   
        
http://ameblo.jp/badlife/entry-10003868837.html  より
   
   
今から10年以上前、雑誌やその他の広告媒体において、ふと目をやると、そこに、人の心をハッとさせるような台詞で、企業紹介を印象づけるイメージコピーが流行った時期がある。例えば、
「第三次産業ばかりになれば この国は滅びるかもしれない」
とか、そういったたぐいで(「こんなの別にハッとしない」という人もいる)。
“花咲爺さんの隣に住む欲張り爺さん”のような感覚で、
今日も相変わらずそういうモノは日本企業の”オアツイのがお好き”テーマとして持ちはやされている広告業界だと思うが、同じく十数年前、沿線の車内広告にこんなのもあった。
 
 
    人並みに働けば まず飢えることはない
    着るものにも困らない
    そんな時代に私達は生まれた
    戦争は知らない
    動乱の世に生きた人は 衣・食・住にさえ事欠き
    それを手に入れることだけに死にもの狂いだった
    と聞く
    けれど 時代は私達を豊かにした
    今 一番 欲しいものは
    そう聞かれても
    誰も すぐに答えることができない
    欲しいものが多すぎて 迷ってしまう
    そんなにも手に入れたいものがあるというのに
    どうして私達は必死になれないのだろうか
    頑張ればきっと
    その殆どが自分のものになるはずなのに

   
   
と、こんな感じで(確かシンプルに白地に黒で縦書だったか…)。
それが誰が書いたコピーなのかは別にして、はじめてそれを見たとき、
その内容の幾つかに素直に共感を得る部分もあり、“それなりに出来のイイ広告”だと思った。その時は。
でも次の瞬間、間違いも多い内容だとも思った。
   
 
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10002649545.html  より
   
   
できないことに苦しんでる人ってのは、大勢いる。それを
「やればできる」ってしてきた教育。
   
俺は、教育ってもんが、
物体として形あって、生き物として存在するもんだとしたなら、
この手で叩きのめしたいよ。ブッ潰して、グチャグチャにしてな。
それほど憎んでいるし、
それは俺自身が、人類を代表して、そう思っている。
別に、どっかの学校の先生や
学識経験者を叩きのめそうって云ってるわけじゃない。
憎しみや哀しみに支配されてても、なんにも変わらないからな。
でも俺はブッ潰したい。
世の中の教育全般にある常識ってヤツを。
特に、戦後教育。
その歩みの中にある一般世間の社会常識にある嘘の数々。
この時代に人間が生きる上において
邪魔だ。
   
その問題に、これ以上 触れるとまた読者が引いてしまうので、
今日はこの辺にしとくけど…。
じゃぁ、みんなが知りたい、
「どうすればいい?」
って問題。
“治し方”だな。
そこが いちばん重要になってくる。
事実としての原因が幾らかでも判ったなら、
そこへ、
次のステップへ進んだ方がいい。
   
でも、まだダメだ。
生前の“カツオ爺さん”と同様、
、世の中に隠された事実を、まだ全部は云ってない。
隠されているために苦しんでいる人達のことも含め、
まだほとんどな。
そのうちの100分の一もまだ書いてないし、
全部を暴露しないと、俺は次へは進めない。
   
そうなるともう、その内容には
誰もついて来れなくなるかも知れない。(…じゅうぶん なってるだろ、既に
   
どうすればいい?
   
 
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10003972375.html  より
 
 
ある学校の先生は、自分の考え方をまったく受け入れようとはしない上司(?)、
教頭や校長の胸倉を摑んで、
『コノヤロォーッ!』と、
「…オレもやりたくなることもあるけど、できないでしょ、それは。」
という人もいた。
「やればいいじゃん、ビシバシ。遠慮しないで…」
とは俺も思うけど、本人には家族もあるし、将来もある。
そういうことを考えると一人一人が地道にやって行くしかない。
それでも、その「地道に…」という考え方が、
いつまで続くのか?
どこまで世の中に浸透してゆくのか?
俺は、笑ってしまうほど、気の遠くなるような時間の中で、
学校の生徒も先生も、それを監督する行政も、疲れきっているし、
そんな暢気なことをやっているうちには、自分が存在する場所で、
明日にも、システムの崩壊が待ち受ける。
戦後教育における、
やればできるシステム”、
“頑張ればお前にもデキル・システム”。
国は、政府は、文部科学省は、厚生労働省は、全国の教育委員会は、
様々な調査をして、無駄なカネも遣いながら努力した結果、
色々に集めたデータを基に、
「これは、ここに、こういう問題がある」
「今度はこういう枠の範囲内で、ここに問題がある」
と、さも判りきったようなことを神様のように提起する。
しかもそれを何ひとつ解決もできないまま、山積みにしている。
そしてそれを何十年もやっている。
   
そうした中で、かつて、こんなことがあった。
   
        中 略
   
というような会話で、
俺の云いたいことが どこまで本人に伝わってるかは判らないけど、
要は、世の中、明治・大正・昭和の常識を引き摺った“戦後教育”の中で、
丸く見えるようなもんでも、決して自分にとっては安全じゃなく、
危ない場所が多いってことだ。
これは、本人の性格が俺のように屈折しない程度に、
これからも云い方を替えて伝えて行く。
俺にはそういう義務がある。
 
 
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10004026965.html  より
 
 
ぜんぶマトモに読むと疲れるし、大変だから、
横に書き出した”ポイント”を参考にして、
どうでもいいような所は流し読みしてもらえればいいと思うけど、
(・・・・・別に、どのページも読みたくない人には強要しないしな。)
要は、世界を変えるより、自分を変えた方が早いってことだ。
で、それは、そういうことを信じるとか、信じないは抜きにして、
これからの時代、自分がどう生きるべきか。
そして、そういう自分自身が何なのか
っていう、
とっても重要な部分。
生き残るための手がかりを見つけるための鍵だ。
そしてそれは、
自分が生き残って、
その自分の次の世代に残される、
その人類による地球の使われ方が
どうなるかってことにも繋がってくる。
 
   
別に難しいことじゃない。
この時代に生きている人間として当然の役割、橋渡しだ。
少なくとも俺にとっては そういう義務がある。
それでも、実のところは、
ここまで手探りで なんとかやってきて、
まだ自分で自分を軌道修正中だけどな。俺の場合は。
   
 
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004214310.html
 
 

 で、これが俺の携帯電話。
 

  minamikeitai005
 
何か問題がある時は ここへ電話してくれ。
番号は、###-####-####
但し、24時間 「あいててヨカッタァ!」
ではない。
深夜は不通。
鳴らしても出ないし、その時間はタイマーで電源がOFFになってる。
(他に充実した機能はない)
まぁ、もしも掛けてくるとすれば、今の状態じゃぁ、
群馬県の二人ぐらいな もんだろうけどな。
「まだ生きてたのぉ!?」
ってな具合で、
俺のやってる、やろうとしてることなんて理解しないうちにな。
まぁ、そのヘンは他のページも参考にしてみてくれ。
   
ネット上の限られた枠、流行ブログの範囲内。
そのフォーマットを借りて、今のところ、小さく存在している、
この、“mind resolve”って、ページが、
自分と自分以外の人間にとって、
今後どんな意味があるのか。
だんだん判ってくると思うよ。
   
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10004073609.html  より
   
   
   
   
   
   
   
   
 
  ・・・・・そうは云いつつも最近は こんな心情の俺。   
   
   

2005年 7月5日からブログをはじめて、俺も最初は、
トラックバックとかコメントとかの操作がサッパリ白痴状態に近く、
どう対応していいのかも戸惑った部分はある。(意外にも

そもそもパソコンの基本操作自体も独学(?)なので
メールやエクセルの使い方もイマイチだし、
携帯電話なんて未だにコレだ。

書いてる記事の内容にしても読者に失礼な部分も多々あると思うし、
(…ホンネを吐いて 自分からも逃げたくない。)
常識 ぶっ飛ばして、マイナー路線を突っ走ってる俺だ。
それでも、ありがたいことに最近は、読者もコメントしてくれる人も増えてきた。
「ネットなんて (俺も含めて)みんなクズだ…」などと云っていた俺の頭の中も
みなさんの意思表示や心の声によって覆されつつある。
正直なところ…。
   
で、そんな(染まりやすい)俺の
「携帯電話」という言葉も死語に近い。
今は「ケータイ」なんだろ。業界と巷の新聞雑誌の共通語として。
そんなのどうでもいいけど、
今日は みんなにお知らせしたいことがある。

   
        http://ameblo.jp/badlife/entry-10005483240.html  より
   
   
 
  あらゆるモノを捨てることに拘る人と、
   そんなことは考えず、
   前に進もうとする人…
   その狭間にいた中途半端な俺。
   
   時代の流れ、激しい変化について行けるかどうかの心配ばかりだった。
   今までは。
   そういうのをおしまいにして
   前を見て進めるようになって来たよ。
   正直、もうちょっと頭の中を整理する時間も必要だけど。俺なりに。
   「人間、独りでは生きていけない」
   っていうことの意味が今更ながら判ってきて…。
   そのひとつには、ブログ・サービスのおかげもある。
   
   みなさんに感謝!
   です。
   
       2005-11-20 18:02:18 http://ameblo.jp/badlife/entry-10006156102.html  
 コメント欄より
 
 
■今の日本人てのはどうも…
自分を含めてのことだけど
いろいろ警戒心のようなものはあるかも知れない。
それでも、
このページはこのページ。
他のページは他のページ。
特に区別はないけど、ある一定の枠には収めてある…つもりです。
気にしない人も勇気がある人もいろんな人がいるから
こうして たくさんのコメントやTB返信、
niceなフィーリングで頂いてます。
そのほか、
ご指摘、ご批評、ご批判、ご忠告など、
俺のページに遠慮は要りません。
見たなら
「見たよ!」
だけのコメントでも結構です。何でも。
2005年11月19日より
常に前向きな姿勢でいます。
   
みなさんのコメントとトラックバックのおかげです。
どうもありがとう! 
  
       2005-11-23 01:22:16 http://ameblo.jp/badlife/entry-10004722163.html   コメント欄より
 
  
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
 
           んでもって、
 
            読者の方への“コメント返し” の数々・・・・
 
        http://ameblo.jp/badlife/entry-10006873345.html