花粉症の原因は軍事兵器。 2005-07-23 03:24:30 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

「第三次産業ばかりになれば この国は滅びるかもしれない」
とか、そういったたぐいで、雑誌やその他の広告媒体において、
企業紹介を印象づけるイメージコピーが流行った時期がある。
教育水準の高いとされる国の現代人ぽく、あっさりと疑問を投げかける記事や宣伝文句も、
“花咲爺さんの隣に住む欲張り爺さん”のような感覚で、
今日も相変わらず日本企業の“オアツイのがお好き”テーマとして持ち囃されている広告業界。
シンプルに白地に黒で縦書の沿線の車内広告にも、そうした装飾が伺えた時期もあった。
素直に共感を得る部分もあり、一見、“それなりに出来のイイ広告”としては見栄えはいい。
                 
日本の戦後教育 得意の一番「頑張ればできる」「やればできる」「おまえにもできる」
今と昔を比較するという これまた戦後の日本教育に育まれた見解、
その比較に何の意味があるのか。
自分達現代人そのものの姿を認識させようとする材料に、
現世に形造られ実在する生命のないモノとモノとの比較は許されても、
すべて一人一人、その創られ方が違う人間と人間を比較する
という見方・考え方・捉え方には まったく意味がない。
たとえそれは死んだ者でも、まだ生きている者であっても、
初めから違うものを比べても、違うのは当前で同じではない。同意ではない。
姿 形、色も匂いも違えば、その能力も一人ひとり異なるし、
何もかもすべてが平等ではない。
いつの時代も人間の営みには、必ず階級がある。
それは人種差別とか民族差別とか、
これまでの人間の歴史上にあった差別とは関係のない自然界の階級。
階級がない世界は現世にありえない。魂にもすべて永遠に階級がある。
それを否定すると必ず、人の営みからは外れるし、病気にもなる。
ある一定の自然の法則、自然の摂理、その”決まり”、掟から外れれば、人も、社会も、癌にもなる。
「あの人は先に逝ってしまったけど、
今まだ生きている俺達はこれからどうなっちまうんだ、いったい?」
という疑問で頭の中がいっぱいだった学生時代も、
「国旗はためく基に集まれ、融通の利かぬ自由に乾杯!」
と唄われた時代も、(…
作詞・作曲:泉谷しげる
「こんな世の中に誰がした?」という
幻のフレーズ に共鳴しながら、
自分を含めて世界の、時代の先行きに不安を感じた。
   
   
mind resolve / edit 002   
             title : 絶滅危惧種 ? ホモ=サピエンス
            work sub title : 老人介護支援 / 老人の魂の介護問題
   
   
かつて、富国強兵という思想教育の中に生きた人々は今、老人介護問題の中心にいて、
その多くが、最期まで自分の肉体を自分の力で運び動かせるかどうかの不安な毎日を過ごしている。
その彼等がまだ元気いっぱいだった頃、ヤンキーズに勝ち続けていたはずの大東亜戦争時代。
自分の家の柱の釘一本でも、身の回りにあったすべての鉄という鉄を武器弾薬のために国に差し出し、
零戦を造るために加工しやすい杉の木を日本中の野山に植林させられた。
そして夜が開け、床の間か神棚に置かれたラヂオの前で家族一同、正座して玉音放送を聴いたあの日。
あの日から、「よし、頑張ろう!」と心に強く決めた新しい時代、
国に騙されていた自分を自分で咎めながらも黙々と、
軍事産業から平和産業へと移り変わる昭和の経済成長を切り開いた人もいれば、
戦友達から捥ぎり採った手首を形見として持ち帰った、
あの、背嚢【はいのう】を背負って舞鶴港に降り立ったあの日、迎える人の姿を見て涙した人も、
激戦地で何ヶ月と、マトモに物を喰わずして生き延びた息子達の、
その衰弱した身体が、腹いっぱいに飯を喰っただけで、あっけなく死んでしまった哀しみを乗り越え、
一生懸命に頑張って、只管に働いた人もいる。
またそれが「お国の為だ」と思っていた人もいるかも知れない。
そうやって自分を励ましてきたかも知れない。
そして日本の国はみるみる変わり、先進国の仲間入りを果たした。
ところが、世の中には、今まだ、自分の頭の中で大東亜戦争が終っていない人も何人もいて、
敗戦。負けたことを素直に認められない者もいれば、
「あぁ~ぁ、負けたぁ、…もういいや」と、投げやりに、そのまま惰性に任せて歩んだその人生を
「私は頑張ってきた」と、まだ終ってもいないうちから
勝手に人間を終らせたような格好で生きている人もいる。
しかも突っ張って、我侭を言いながら、常に惨めな自分に腹を立てて…
そんな年寄を誰が労われるのか? 
この時代の若者にはそんな余裕はない。
なぜなら、「頑張ればできる」「やればできる」と教育されて、できなかったじゃないか。
息子たちは、孫たちは、お爺さんとお婆さんを、お父さんを、
世の指導者と呼ばれた人を、先生を、人生の先輩を見習って生きては来た。
だけど、今の日本を見てみろよ。どこを見渡しても、
自分自身が本当に、楽で健康で楽しく自由に明るく生きているよ。って人がいるか?
自分はどうなんだよ。
   
昔は携帯電話もパソコンもなかった。車も一家に一台なんてあり得なかった。
一生懸命に働いて買った白黒テレビと
白い冷蔵庫
手動脱水装置の付いた洗濯機はあったかも知れないが、
クーラーや電子レンジのある家なんて、それは、そんな物を持っている人は
「神様の友達なのか?」と思っていた。
時代は変わり、使い易く開発されたはずの車椅子も、
寝たきりを補助する介護ベッドや、素晴らしく精密に造られた設備も、
その人達が決して、心から必要として有難いと思っているモノでもない
   
本人達には既に、満州で大勢の人を惨殺させられたことも、
ハーケンクロイツ軍団に並ぶ、細菌による人体実験を遂行した残虐行為も、
捕虜の首切りカイシャクの数を競い合った軍人がいた遠い昔の記憶にある事実も、
「忘れた…」と言わんばかりに惚けている。
教科書を作る連中も、生き証人がいなければ隠し通せると思っているのか、
何も知らない国民は一教団が作ったサリン事件に怯え、テロ地域から逃げる。
もっと恐ろしいことが国単位で行われた事実は知らない。そして今また・・・・。
地球上に実在する生命体。その中で、同じ種類同士で殺しあうのは人間だけだ。
俳優ジャック・ニコルスンのこんな言葉がある。
「テロリスト…彼らは世界に対する犯罪者だ。
しかもこれは人類(の持つ意識)が低下している証でもある。
第二次大戦では男を拷問にかけた。

ヴェトナム では男の目の前で、その子供を拷問した。
これは文明が全体的に低下していることを示している」(1986年

戦争で確かに一部の者が儲かることもあるかも知れない。
せっかく造った兵器も、実験ではなく、本番で使ってみたいと思う人もいるかも知れない。
使わないなら闇市で捌いた方がカネになるかも知れない。
これもループするけど、
地球上に実在する生命の数々。そのうち、同じ種類同士、殺しあうのは人類だけだ。
では、創造神という神様は、人間だけをそのように間違えてお創りになったのでしょうか?
「オイ、応えろ! でないと雲の上から引き摺り降ろして血反吐はくまで叩きのめすぞ!」
かつて、俺の頭の中が右と左に行ったり来たりしてた頃、
宗教も信じられない、自分も信じられない、世の中の何もかもが嘘に思えて、
その時の最終的な結論はそこへ辿り着いた
今は虹に遮られてる
   
だから、惚けているか冴えているかはともかく、
今の80代・90代以上の全部の人を悪者扱いにする訳でもなく、
これまでの世の中の教育が間違ってたんじゃないのか?
本来、人間が生きるためには あまりにも役に立たない学問の知識が、
新しい時代には通用しない常識の枠に 人の心を押し込める あらゆる教育が、
もう今まで通りには使えない。今まで通りには誰も指導できない。
何かいい手本もなければ、尊敬して見習える存在がない。
政治にも、宗教にも、病院にも、会社にも、学校にも、家庭にも、マトモな指導者がいない。
「そんなことはないよ、大丈夫だよ」 「今までお前が恵まれなかっただけだよ」
「おまえ自身から蹴ってきただけだよ」 「目ぇ覚ませよ、世の中にはちゃんと存在するよ」
…俺もそう思いたい。
でも実際は、それがないために苦しんでいる人の方が、
あまりにも多くなってしまった現実は否定できない。
だから、かつての戦争体験者が、みんな惚けちまったり、
そのうちみんな、いなくなっちまう前に、この高齢化社会が今まだあるうちに、
確認しておきたいことがある。
気づいて、人間の軌道修正を取り計らってもらいたいことがある。
次の世代、その次の世代にとっての指導者、人間の先輩としては、どうなっちまってるのか。
   
おいおい、ダラシナイぜ。そんなもんかよ、人間の人生って。
俺達が どうしたらいいか判らない時、何か教えてくれたか。
厳格で堅実な職人さん、明治・大正のお父さん、寺内カンタロウみてぇに、
「見て覚えろ」つったって、今まであったものがねぇんだよ、
喰わされた物も違う 。無かったものも在りすぎる。
誰が日本の国土だけに こんなに杉の木を植えたんだよ。
花粉でボロ儲けしてる薬の会社もあるけど、このままじゃ済まねぇぞ。
植えた爺さん婆さん逝っちまったあと、これから、もっと酷くなる。
…植え逃げかよ。
どんなに老いても、死ぬより生きることの方が大変だぜ。
どっちもたったの一回だけなんだ。
次にまたここへ出てこられる保障が誰にある?
こんなんで終わりたくねぇよ。
学校行って頑張って勉強して、美味すぎる給食も喰ったけど、役に立ったことは少ねぇぞ。 
お蔭様で読み書き電卓は上達したけど、中学・高校と6年間も英語の勉強したのに、
なんで英会話教室へ通わなきゃ仕事にならねぇんだ!?
いつまで授業にカネを賭ければいい? あの世へ行っても生涯学習やるのか?
見てみろよ、「ここまではやっていいとか」「それは悪い」とか、
簡単でもいいから、ちゃんと教えてくれねぇと、
とんでもねぇこと平気でやってる大人ばっかりだ。振り込め詐欺なんて、屁の河童だろ。
その次の代はそれを見てどうする? 
平気でまた、人、殺すのか? 自分を殺すのか? 騙して盗むこと、どんどん繰り返すのか?
何に躓いて、何にやる気なくしたのか、何が許せないのか、
朝のプラットホームで、電車が突っ走る中へ平気で跳び込むオッサンもいるけど、
もう戦争で死んだ数に追いつくぞ。
交通事故や癌、馬鹿げた過労死なんてもんじゃない。それを
「出生率が何パーセントか減少するような事にもなっているが、
私ほど、日本の経済を悪くした政治家として歴史に名を残す政治家もいないでしょう…」

とか、平気で涼しい顔して、オランウータンが背広を着て椅子に座ってるような格好の奴もいる。
自分は勝手に一発でクタバっても、その肉片を誰が片づけるんだよ。
目玉が抉れて脳ミソ飛び出た頭とか、右か左かハッキリしない腕とか脚とか拾い集めて、
改めて焼き直して、ご先祖様とご一緒の墓に収められる資格があるのか?
人に迷惑かけるなよ、自分で始末しろよ、公園の砂場の野良猫の糞よりタチわりぃぞ。
なぁ爺さんよ、今日も威張り腐ってる婆さんも、どうか聞いてくれ、
それをあんたらの息子の代、俺たちの親父の世代がやってるんだ。
悲しいけど、現実だ。
そんな無責任なの見習いたくねぇ。ヒト殺すより悪いかも知れないぜ。
自分で片づけられねぇし。なあ、キイチさん。 
生きててつまらねぇことが多いのはお互い様だ。
爺さんよ、あんたが長年 毎日呑んでる胃薬とかもよ、そりゃぁ毒かも知れないけど、
麻薬やめらんねぇで困ってる親父連中もいっぱいいるぜ。アンパンなんてもんじゃねぇ、
今は、ヒロポンやってラリってた時代と違うんだ。
   
ちょっと待ってくれよ、こんな俺たち残して このまま先に逝く気なのかよ。
まぁ苦しい時はワガママ言わずに教えてくれよ、どこが苦しいのか。
言ってくれなきゃ判んねぇよ。枯れて威張ってんなよ。
倒れそうなら俺につかまれよ。
頼りねぇかも知れねぇけど、杉で作った杖の替わりくらいにはなるだろ。
「人生の、カッコイイ先輩だぜ…」って、人間としても見習う気持ちになれれば、
急な上り坂を どうしても登りたい車椅子だって押してあげられるさ。簡単にな。
だってそうだろ、80年も90年も生きて来たんだ。
その魂は俺たち若いモンより利口なはずだぜ、な。
   
かなり失礼で生意気かも知れねぇけど、
俺は年寄と話す機会のあるときは、よくこんなことを云う。遠慮はしない。
   
そもそも日本国内にこれだけ多くの杉の木が、なんであるのかということは
花粉症の飛び交う時期になると、マスコミの報道や知識のない天気予報士のコメントからもよく耳にする
「日本だけなんですよ。こんなに杉の木があるのは…戦時中に植林して…」
などと、それ以上の事は規制されているのか、本人が知らないだけなのか、
まず、詳しく、この迷惑。”第二次大戦が残した公害”については話す者がいない。
現在、俺の家の風呂は薪で沸かしている。
新品の石油の給湯設備もあるが、敢えて昔のそれを使っている。
いわゆる五右衛門風呂だ。
で、その、泥棒を釜茹でにするために必要なモノ。
薪を燃やす時に役立つのが、枯れた杉の葉や細かい枝だ。
杉は確かに燃えやすく、また何か木工作業をするにも加工しやすい。
そういう便利なところも確かに、杉の木にはあって、俺の家には必要価値が高い。
.
なんだけどぉ…
『花咲か爺さん』の「ココ掘れワンワン」という昔話も、
『植え逃げ爺さん、植え逃げ婆さん』が「あそこ殺れワンワン」
と言わせていたようになってしまった、かつての軍事教育。
その中で、みんなで杉の木を植える『月月火水木金金』の時代、
国土が杉の木で豊かになれば、自分達が勉強する机も椅子も、黒板も鉛筆も、
「何でも自分達で作ります」という軍歌というか、その当時、みんなで合唱させられた歌まであった。
「お国の為にナンタラ、カータラ…」という歌。
惚けてなければ、今の80代、90代のお爺さん、お婆さんで、その歌を知ってる、唄える人もいるはずだ。
題名は…後で調べとくな。
(男はほとんどが戦場にいたはずなので、植えたのは女の人や赤紙が来る前の子供に多かったと思う)
その本人達も自分の近所の野山に杉の苗を植えさせられていた当初は、
まさかそれが60年経って、今日のように成人して、
これだけの花粉を飛び散らすなんて思ってもみなかっただろうが、
当時の政府も国の政策としても同様に、後先考えず、
「これでゼロセン造れ!」と、大本営の命ずるまま動いていた大日本帝国である。
日本列島そのもの、国土が丸ごと兵器みてぇなもんで、
そんな馬鹿げた くだらない戦争が何年と続いても、
国民は騙されていることも知らず、ただただ営林省の指導で杉を植えていた。
   
そして敗戦後、60年経っても国民はまだ騙されている。
その事実を知っている者が少ないどころか、
世の中の、社会の言うままに、花粉予報を気に掛け、必要以上に薬を体内に流し込み、
頭をボーッとさせながら車を運転する者もいれば、
花粉の時期になると、急いで店頭のキャンディ・コーナーを拡張するコンビニの店長もいたり、
この狭い日本という国の中だけで、アホらしく世間の情報に操られている。
それでいて本人達は普段、ディーゼル・エンジンの車に乗っていたりする。
1986~7年、ちょうどその頃から、ディーゼル車がそれまで以上に普及し始め、
国土経済成長期を生きた人々が、自分の子供に車を買い与える時代がピークだった。
そしてちょうどその頃、戦争中に植えられた沢山の杉が成人して、
世の中の花粉症騒ぎが始まった。
   
全国のドラ息子学生は、こぞって4WD車を乗り回し、
大学で講義する教授、助教授、先生方も、颯爽と4WDのディーゼル車に乗り、
休日には彼女を連れて軽い沢へテニス。夜はペニスを使ってオートキャンプ…。
揺れる車のスグ横には大人になったデカイ杉の木。
木陰で大きくなったキノコは、花粉症で連発するクシャミで萎える始末。
ケツを捲くった女が笑う。男は別の粘液を拭うはずに用意したチリ紙で鼻をかむ。
ムードを変えて違う場所へ・・・・
そこにも杉は立ち並ぶ。
ディーゼル・エンジンは男を嘲るかのようにデカイ音を立てる。
そして一発、今度こそクシャミを外して本番だ。
「大丈夫?」
女は尋ねる。
「うん、そこにあった花粉症のクスリ、さっき飲んだから…」
先生は応える。
「先生、それ、ピルよ」
「…まいったなぁ、あっハッハ」
   
そういう飽食の時代も末期になると、今度は、
「泡が弾けた」と馬鹿な祭り騒ぎに乗せられ、国民は「景気ワルイ」と右に口を揃えた
今、小泉サンの他に、誰が、あれほどの国民を代表した仕事を勤め上げられるのか?
どんぐりの背比べでワイワイと野次を飛ばしている連中に 国の何を任せられる?
アメリカ国民が「もう一度また大統領をやって欲しい!」とウィリアムさんに手紙を差し出すように、
俺は任期満了を問わず、何回でも小泉内閣が継続されて欲しいと思う。
小泉サンなら きっと、消費税を7%とか10%に値上げせずに、
すべての物価を下げて、全国の労働賃金、人件費削減を今の半分にして、
世界経済の水準に帳尻を合わせる国民の暮らしやすい国家の基礎を築いてくれると思う。
背広を着せられたオランウータンや、かつて二枚舌と呼ばれたノッポ爺さん、
ピーナツ5個で葬られた北の英雄、天風さんと仲よくしてた人達。
そういう人達の尻拭い。昭和の清算をしてくれてるのは、ほかの誰でもない。
小泉サンとそのご一行だ。
ちょっとぐらい頼りなくてもいいじゃないか、他にいねぇだろ。
花咲か爺さんも杉植え婆さんも頭が高い、道端に控えて次回のリムパックを見届けて欲しい。
戦争は負けたけど、まだ片が付いてないことはいっぱいあるぜ。
自分で植えた杉の木はどうするよ?
俺も毎日、風呂で燃やして頑張るけど、それじゃ間に合わねぇだろ。
CO2削減問題やオゾンホール縮小の研究…これも間に合いそうにねぇけど、
世の中にディーゼル・エンジンが出す排気がすべてなくなれば、
ディーゼルの動力機を積んだすべての機械が消えてしまえば、
年々増加する花粉症に悩む人々。この問題はかなり解決される。
花粉症対策の飴玉や薬は売れなくなる。ザマミロ。
樹木の花粉が直接、花粉症を引き起こしているわけじゃない。
自然界と人間は、そんなヤワな関係で結ばれてはない。
   
本来、自然界に存在しなかったはずの有害な排気物。
その粒子が花粉と結びついて化学反応を起こす、その公害物質が、
日頃から全身の筋肉の血液循環に滞りが多い人の気管や鼻の粘膜に詰る。
それによって花粉症が始まって、終らなくなってる。
学者には判らない。医者もどうにもできない。
「平成の花粉症は国による公害だ!」とか、思い立って国を訴えても杉山さんみてぇに
そんなことしても解決されない。
自分の身体は自分でどうにかするしかない。
その体質改善の方法は色々ある中で、まず、両脚の筋肉のうち、
胃と脾臓、膀胱と腎臓に関連する血液の循環をしっかりとさせることが大切だ。
これについて具体的には、いつかそのうち図解入りの内容で
こと細かに正確に説明してゆく所存…ではあるけど、
この場では長くなるので省略する…けど…あとでな。
 参照 ☞ http://ameblo.jp/badlife/theme-10002391658.html
とにかく、花粉症は人間の胃の機能と尿。膀胱に関わっている。…あと、胆嚢もな。
「そんなの聞いたことない」と云っても、人間の身体はそう創られている。
それから肺の呼吸。
学校とかNHKとか、長年に渡って、
「ハイ、吸ってぇ。吐いてぇ…」ってのは間違いだ。
もう今の時代の人間にも合わない。
正しくは、 必ず、吐いて吸う。
どこまでも吐いて、吐きまくって、それから、ゆっくりと吸う
昨日たべた「ニンニク臭い」と他人が気にしようが、遠慮はいらない。
人の分まで空気を吸ってから吐くなんて、そんな“ヨクバリ爺さん”みたいなことはしなくてもいい。
腹の底から吐いて、そして吸う。
このリズムが普通に人間として営まれる生活に備わってくると、以外に、
鼻づまりどころか、本来、肉体にあってはならない他の支障も改善される方向へ進み出す。
それは医者でも薬でも空気清浄機でもなく、自分自身が治してる。
治癒力の活性化の第一歩は、人間の肺の呼吸から始まるんだ。
俺も毎年、花粉症に困ってたけど、もうほとんどなくなったよ。
東京から佐渡に移り住んで、佐渡にも杉の木はいっぱいある。
この空も、昔は朱鷺よりも零戦の数が多かった証拠だ。
ディーゼル車も今まだ、いっぱい走ってる。
でも、東京にいた時に使っていた空気清浄機は使ってない。押入れにしまってある。
「まだ空気がキレイだから…」ということではない。
あんなに本州から離れていても酸性雨は降る。
異常気象で、せっかく造った米が台無しになって、首吊り自殺する人もいる
空気だって、今はもう、それほど本土と変わりない。
その証拠に蜻蛉も蝉も、だいぶ少なくなった。田んぼにはタガメという虫もいない。
水が農薬に汚染されているだけではなく、
今、世界中がどうかしちまってる。この島にいても、そのことがよく判る。
雀も少ない。群れをなして飛んでいる姿が都会に失くなっただけじゃない。
そんな所にどうやって朱鷺が甦るのか? 
両津の農協の悪巧み三人組をはじめとして、サギ はいるよ、こんな世の中だから。
でもトキは隔離された所で観光名所にはされているけど、
心の底から「自然環境を元にあった状態に近づけよう」
なんて努力している人は数えるほどしかいない。
それは、ムツゴロウとかカブトガニとか、マウンテン・ゴリラも同じだろ。
「絶滅危惧種が地球上のここにある」と問題にされている場所では、
人間がその生物の学名を付ける以前に、人間による破壊が始まっている。
そういう意味で、
オーストラリアのフクロオオカミ は消えて行ったし、
ピンポンパンのカータンも、あれは妖怪でも怪物でもなく、絶滅させられた生物に過ぎない。
三蔵法師が連れ回して歩いたというのは 後から脚色されたものどろうけど、
「ネギトロ軍艦を発明したのは俺だ」と言い張る、どんなに腕のイイ寿司屋が握るカッパ巻きも、
キュウリという野菜が、河童という絶滅した生物の好物かどうかは、
環境保全の連中、動物保護団体には関係ない。
自分達で野山を歩く靴の底に付いていた雑草の種が
原生林の自然形態を徐々に破壊する愚かさと同じように、
人間は“絶滅危惧種”と認定した時点で、その生物を絶滅させている。
幾らかのサイズがあって、目に見える部分の生物ばかりでなく、
もっと小さい所で、ミクロの世界で、
大きく自然を破壊している
ことに学者も気がつかない。
例えば、隅々まで抗菌状態にされた給食室や給食工場。
どんなに綺麗に清潔に抗菌したところで、また、どんなに栄養学に冴えてる人を完備したところで、
給食を作るオバサンが、さっきトイレでクソをした手を洗わずに食材に触れば、
何の菌も存在しない場所には、それこそ勢いよく、バイキンは繁殖する。
それがO-157だろうがサルモネラだろうが、バイキンマン本人達の行く手を阻む者はない。
次にジャムおじさんがアンパンマンの顔を焼いているうちには、
その給食を食べた子供も、老人ホームの虚弱体質も、バタバタと倒れる。
同じように、野山を切り崩すゴルフ場やリゾート施設などの開発も、
普通の人間の目に視えない部分で進行する自然の破壊が、やがて人間に返ってくる。
そして、空も海も山も川も、徐々に変貌してゆく
破壊の季節 が訪れる。
どんなに大型の台風や集中豪雨が重なっても、人間の腐った部分は洗い流されない。
そこに何の微生物がいて、自然界のどんな均衡が保たれ、どんな自然連鎖が図られていようが、
そんなことには構うことなく、復興開発する我々人間。
機械の何に、自然環境のどこに、いくら作業に気を使っても、油で澱んだ水は絶対に浄化されない。
ダイオキシンで騒いでる連中も、昔、学校の焼却炉で、”今日の掃除当番”となれば、
平気で、ヨーグルト・ドリンクの樹脂を燃やしてたはずだ。やってないとは言わせない。
掃除当番をサボらなかった優等生も、ゴミの分別なんてやってなかった。
一回もプラスチックを燃やしたことがない人なんて、この時代の、この世には、
シンセサイザーのキタロウさんぐらいなもんだ。ソウジロウさんだって燃やしてる。
そんな人間が無責任にも、特定の企業に対して抗議行動してるなんて愚の骨頂だぜ。
エコロジーなんてものも、既に経済基盤の柱を失った企業の最期の足掻きに過ぎない。
そういう運動のスポンサーに名前を連ねておけば、みんなが安心していられる気になってる。
みんなと同じようにやっていれば案心
子供騙しのようなもんだけど、
「馬鹿馬鹿しいと思うなよ、やってる本人、大マジメ」の蟷螂拳法と大差ない。
「意味不明?」ではない。
環境保全をやっている連中が意味不明だ。
そんなことを言い出して何十年も経つのに、
何か変ったのか?
オゾンホールは北半球だけじゃなく、南極の上でも今も拡大 してるぜ。
今度は宇宙病にバタバタ倒れる人間を見たいのか?
ノルウェーの森なんてズタズタだぞ。
一日にどれくらいの氷河が溶けて、何メートル水位が上昇してるか計算して判ってるくせに、
未だに無駄な燃料を使って車を乗り回してる学生も、学校の先生も後を絶たない。
これを「おかしい」と思わせない教育が重罪だ。
   
この日本の狭い国土、土日を休みとした教育機関。
その休日の朝から午前中の10時過ぎくらいまでは、全国の道路という道路は透いている。
じゃあ、学生と先生からは通勤通学に使っている車を取り上げればいい。
そうすれば交通事故も大幅に減少する。
働いていない穀潰しのような学生も、大した能力のない学校の先生も、お役人様も、
みんな自転車か徒歩。
カネに余裕あるなら、そのまま脱線しそうな電車に乗っていればいい。
どうせなら石炭で走るバスで お迎えに来てもらうシステムを蘇らせても、
それは地球環境改善に大いに役立つんじゃないのか。
「とにかく働いてない人は車に乗るな。」
石原さんなら、いつかやってくれそうだ。…頼みますよ。まだ地球が滅亡しないうちに。
とにかく、このままでは、ホモ=サピエンスも絶滅危惧種に登録されてしまう
というほど、世界はゆっくりゆっくりと破壊されている。
そういう意味での『
破壊の季節 』。『BAD LIFE 』にもある。
だから、自分の身は自分で守らなきゃな。
今は そういう時代になった。
もう誰も助けてはくれない。
他人を救うなんて、そんな気の利いた人間はいない。
スーパーマンなんていない。ネロ もいない。
環境改善を図るとかいうロボット開発も、もう手遅れだ。
環境保全事業? 
その考え方、やり方、やっていること事態が環境を破壊している。
だから、救世主はどこにもいない。
いるのは、ギターのジローを笛で苦しめるギル博士だけだ。
学者はみんなハカイダー。ブラックはカッコよすぎるのでレッドだな
光明寺博士の脳味噌だって、今はトコロテンのように酸っぱくなってるよ。
それほど、学者の研究もチンプンカンプン。世の中の役に立ってない。
   
 

 “(Wish I Could Fly Like)Superman  レイ・デイヴィスが風刺する人類…3曲目です
 The Kinks

 Come Dancing with the Kinks
   
まず自分の命が安全でない限り、誰も助けられない。
これが間違ってるかどうかなんて考えない。
そうするしかない。
今はそういう時代だ。
生き残らなければ その後を改善できない。
   
復興じゃねぇぞ。あくまで改善、改革。
それも一回チャラにしてからな。
今まで通りじゃねぇんだ。
もう、明治でも大正でも昭和でもない…」

と、あるお婆さんと話していた時、
目の前で光を放つ ぱなカラーの画面には、
“どざえもん”に被せられた筵を捲る杉良太郎の姿があった。
昭和の時代劇の再放送だった。
横にいた孫が勝手にチャンネルを回すと、
“ドコデモ・ライブドア”の社長が映っていた。
「今日は金曜日で”ドラえもん”がある日だね!」
孫が云った。
みんな笑った。
   
   
NHKの「プロジェクトX」という番組を作る側の人達。いわゆる現場の人達は、
ベテラン・カメラマンを除いては全部が20代から30代の若い人達ばかりだ。
東京、名古屋、広島、九州…と、各局でチームが編成され、
そのプロデューサーはみんな勤勉でマジメで優秀な人しかいないというほど、
性格的にも今風でありながら、どこか親しみのある撮影クルー。俺はそう認識している。
しかも、“視聴率”というものはあまり気にしてない。
「このネタをどうすれば面白くできるか?」
と、それだけを熱心に、自分達で納得の行く絵を作っている。
過去の日本の経済成長にあった一つ一つの事実を 
実在する人間から丁寧に訊き出し、それを忠実に映像に反映して行く。
ある程度の妥協も余儀なくされることもあると思うが、
そこは天下のNHK。伊達に受信料を徴収してるわけじゃない(と思う)。
プロの撮影技術と映像編集は世界的にも一流の腕前。
そんな現場と人柄を見て、俺はある一人の、ほぼ同世代の男に向って云った。
「山岸さん、俺は役者じゃないけど何でもやりますよ」
と。
彼は福山雅治にも似た爽やかな笑顔で
「お願いします」
と応えてくれたが、その後、それっきり会ってはいない。
   
少なからず、今の日本のテレビ業界にも、まだそんな、
自分の仕事の一つ一つを大切にしながらも、
過去と現在の橋渡しの役目を果すという
未来に向けて価値ある仕事をしている若者もいた。
俺はうれしかった。
日本の腐りきったマスコミ、報道機関の放送部、
その一部のテレビ業界、しかもNHKの中に。
「…捨てたもんじゃねぇな」
やる気が湧いた。
 
 
箱根の山道、スバル360を運転しているのが俺です。
 
 
    NHKエンタープライズ
    
プロジェクトX 挑戦者たち 第3期 Vol.3 日本初のマイカー てんとう虫 町をゆく