人間の肺臓と大腸と鼻 『自然と人間の設計図』正式原文より。および、お産のやり直しなど。 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

 
   work sub :煙草を吸う人にとってはな…
 
 
1998年春、スイスの銘柄で“MATCH501 ”という煙草の輸入が禁止され 
その姿形は どこのタバコ屋にも消えてしまった。
フィルターには白い砂(石灰のような硬い石)のような物が入っていた。
それは国産の煙草に入っている活性炭のような黒い粒とは違い、
煙の粒子に含まれる有害物質を少しでも体外排出しやすいようにと
考えられた一つの心配りだったと思う。
「何とか沢山 売れて儲かるように!」と、その工夫にカネを掛けて
おかしく味を調えてみたり、無駄に宣伝しまくってみたり…という日本とは違って
スイスという国は、“人々の健康”というものを本当に大切にしている国で
自分達で生産する物に見掛け倒しの変なメッセージを印刷するようなこともしない。
さすがはWHOの本部があるだけあって、煙草の製造元にしても
喫煙者を対象とするばかりでなく、そうした配慮がなされていたのではないか・と思う。
そんなことは当時の厚生省もJTも知ったこっちゃない。
どんなに様々な種類を輸入して、テスト販売にどんなにカネを掛けようとも
サロクことができなければ とっとと引っ込める。
売れ残った物は全部回収される。
…回収されてどうなると思う?
ぜんぶ捨てちまう。
もったいねぇ。
これは近所の煙草屋のオバサンに聞いた話だが
例えば煙草を販売する店が何らかの事情で販売権の名義を変更する際、
次の許可が降りるまでは その煙草屋の煙草は全部、回収される。
販売機があれば販売機ごと全部、回収される。
そこに委託問題とかも絡んでくるみたいだけど
看板さえも片付けて店の中に煙草は一本もない。
タバコ屋なのに。
たとえ今まで売っていた人と同じ人間が店先にいてもだ。
で、その回収された煙草は全部、捨てられてしまう。…もったいねぇ。
では、国産・輸入物を問わず、そこに掛かったそれまでのカネ。つまり、
製造や輸入する際に掛かった費用とか 
それは一体どうなっちまうんだ?
税金だぞ税金。
そんな簡単に捨てちまっていいのかよ。
 
もっと早くにそれを知っていたなら 俺は
もっと過激な抗議行動に出ていたかも知れないが
「買って吸っている者が少ないとはいえ、
一国民の嗜好を勝手に取り上げてしまうというのは許せねぇ」
などと、ないのは判っていながら 
はじめて立ち寄るタバコ屋では必ず
 
    match501
 
「マッチ501ってある?」
と尋ね廻った…。
当時は そういう小さな抵抗しかできなかった。
…これも一つの運動・とは云いがたいが 
例えば同じような運動(?)
嫌煙権を主張する輩も世の中にはいる。
防塵マスクを被って、アタッシュケースにはデッカク禁煙ステッカーを貼って
白昼の横断歩道を歩く人。スーツ姿で。
それを六本木交差点で見たことがある。
新宿繁華街などで新聞配達をしてる名物オジサン、
タイガーマスク
をはじめて見た時の、そんな嬉しさはなかったが
それを見た瞬間、
「“生きる”って大変だなぁ…」
つくづく、得意の煙草を吹かしながらそう思った。
 俺が25の時、芝居のレッスンを受けていた映画監督から
「太郎!(当時のニックネーム)おまえ、役者になるつもりでいる奴が
タバコの一本もロクに吸えないザマでどうする。今日から練習しろ。
それくらいは買えるだろ…」などと云われ
鶏冠にきてバンバンと吸ってやった。
見事、今でも止められない。訳あって役者はやってねぇけどな…。
別に斉藤監督がわるいわけじゃない。
最期に受けたレッスンの日には
「太郎、おまえ、役者やめるな」 とも云ってくれてたし。
それまでは側で親が吸っていても
「そんなモン吸ってる奴は人間じゃねぇ!」とか唸ってた。
最初に『走れスモーカー 』を書いた当時は
学校のトイレで隠れて喫煙してる友達に対しても
「おめぇ、今から吸ってたら背が縮んじまうぞ。女にモテなくなるぞ」とか
「先生に絶対に見つからない方法があるぞ!」
「なになに?」
「吸わなきゃいいんだよ」とか馬鹿を云ってた。
今は、自分の側に子供がいる時は常に気にしている。
吸うときは距離を置いてな。
仕事においても、冬場、酒蔵で酒造りの仕込みを手伝っている時も
指に付いたヤニ跡を取るために必死になって手を洗う。
でないと煙草の臭いが全部、酒米や麹に移ってしまう…というより
酒造りの蔵という神聖な場所が穢れるようで自分で自分が許せない。
例えばそれは寿司屋にしても同じだろ。
裏でモクモク吸ってる奴が握る寿司が食えるか?
そういう意味では、食い物や飲み物を造る職人と芸術家(俗に言うアーティスト)は
全然ちがう。
だからキースは、マルボロ咥えてギター弾いていても
それはそれでずっと変らないでいて欲しい。
でも、“回らない寿司”の人は駄目だぜ。
そういう人ほど包丁で指つめることもないだろうけど。
…時々、指が廻ってる回転寿司。明太軍艦ではない。…そんな店はねぇよな。
とにかく、杜氏さんも頭もぜんぜん吸わないから
(そんなモン吸ってたら金賞は取れねぇしな)
冬場は俺も一日に吸う本数が限られてくる。
確かに煙草でいいことなんて何にもない。くせぇし。
蚊に刺されて、そこんところをちょっと煙草で炙ると
ツーンと毒が焼ける感じがして
その後はまったく痒みがなくなる。
これは何の、どんな薬よりキキメある。
でも自分の身体ならいいけど、自分以外の他人様の身体に
もしも火傷でも負わせたら、これは傷害罪。
あとは役者が芝居の稽古や演技の上で役に立つくらいで
そのほかには何もない。(食後の一服とか、うめぇけどな…これは重要か)
吸わなければたぶん、ラーメンの味ももっと美味いと思う。前田さんも云ってた。
「だったら止めればいいじゃない」
と云われるけど、止めてどうするよ、そこから先は…。
まぁ、ヤニ中毒であるか・ないか以前に、煙草を吸うという行為には
なぜ「吸うのか?」という疑問に対して
大きく分けて二種類の人間がいる。
ひとつは格好をつけて吸っているだけの奴。
な、はたで見てても全然にあわないだろ。
カッコつけてマルボロとか吹かしてる。…おまえはキースにはなれない!
もう一つは、本人の身体が要求する。
それは単に“中毒”ということではなく
肺の仕事を助けている。
人間の肺は必ず、口から吐いて鼻から息を吸い込むことにより
下腹部の筋肉も動き、また身体全体の血液の循環を促し
24時間常に酸素を供給することで細胞の活性化を図っている。
その仕事が両手の親指と全身の皮膚に関わっている。
肺が精一杯、呼吸をして体内に酸素を送り込むことにより生きている人間。
でも、この当り前で当然のことを満足にできていない人も最近は多い。
鼻が詰って口でフゴフゴ息をしてる人とか、(…ラーメン喰いながら。)
普段から呼吸が浅いために便秘に悩んでる人とか
肺の呼吸(肺の仕事)がしっかりとしていないために皮膚呼吸も中途半端で
アトピーとか、乾燥肌、鮫肌、二の腕はミカンの皮のようになってるとか。
息を正しく吐いて、正しく吸う
これは大事だ。
もし煙草を吸うことで少しでもそれを補えるような気がする人は
健康のために煙草はやめない方がいい。
大腸癌の俳優さんも、胃癌のお父さんも
「医者がどう言おうと俺はタバコを止めない」
と気合を入れて癌を克服した人も世の中にはいる。
もっとも世の中の医者には
その人が癌かどうかはっきりしないうちに
「癌の疑いがあります…心配だから取っちゃいましょう」などと
癌ではない人を癌という病に仕立て上げて
臓器の一部をどんどん取り外す得意技を持ってる人もいるけど。
ともあれ、自分で自分の身体に責任が持てるなら
その自信がある人は、健康のために煙草はやめない方がいい。
余分な知識で誤魔化されて余計に苦しむよりは (例えば抗癌剤の副作用とかな)
自分で堂々と自分のやりたいことをやって生きた方がいい。
でも、子供はバッテンだよ。
背の高い人で煙草を吸っている人はなぜか少ない…。
確かに優作さんに憧れて役者を目指した人も多い。…今は少ないかも知れんけど。
咥え莨で、ブルース唄って。
横浜BJの、あれな…。
でも小学生、中学生から吸ってしまうと
本当に成長が止まる。
絶対に背は伸びない。
脳細胞も普通の人よりビシバシ死んで逝く。 (人にもよるけど。)
優作さんのような優れた記憶力はなくなってしまう。
台本、何回読んでも覚えられない。
一流の役者さんとなんか全然、キャッチ・ボールできない。
というより成れねぇけどな。
普通の根性じゃ、ハリウッドまで行けない。
せいぜい行けてもキャバレーのハリウッド止まり。
たとえメインが獲れても任侠モノのビデオで
売れなくなれば捨てられる。
役者とヤクザは一字ちがいだけど
組事務所の人、味方に付けても無駄だ。
ただ現場で威張ってるだけ。
それ以上、幅は広がらない。
自分で自分の首を絞めて消えてゆく。
それでも頭を下げて何とか這い上っても
敗者復活線まで辿り着ける人は・・・・いたかな?
だからやっちゃダメだよ。
薬もな。
カッコつけるなら違うこと磨いた方がいい。
自分の中に眠ってるもっと凄い奴な。
煙草なんてチンケな物で気取るより、
覚せい剤なんて二流のシロモノで人間やめるより、
どうせやるんだったら一流のヘロイン。K県警の人に頼んで…。
情報ときどき流れてるだろ、テレビとかで。
「横浜港で末端価格にしておよそ、いくら幾らの…」
とかいうNHKのニュース。お昼に真ちゃんが云ってる。
あれ、情報。お知らせなの。
一度、押収されても必ず横流しされる。…もしくは次に入荷する予告のカムフラージュ。
渋谷で入手できる中途半端な錠剤とは質が違う。
一級品だよ。
でも、それをガラス板の上でカルキとかアジノモトとかと混ぜて。
霧吹きとプラスチックのトランプ横に置いてな。
それでマスクした人が造る。
だから一般庶民には純度100%のモノホンは手に入らない。絶対に。
残念だね。
これはお蔵入りになった任侠モノの台本にあった。
芸能ブローカー”が見せてくれた。
 
 
とにかく、できないことは止めた方がいい。
自分にできることをやった方がいい。
あとで「生きていてよかった」と、心の底からそう思えることに
真剣に取り組んでみた方がいい。
これはストーンズのキース・リチャーズから教えてもらった。
学校でも教えてくれない。
親も教えてはくれない。
ちゃんと人間をまっとうしてる人なら教えてくれる。
な、教育なんて必要ないだろ。
ゴルフやって喜んでる”ドラマの中だけの先生”が何を教えてくれた?
教育なんてちっとも素晴らしくないぞ。
家庭のお父さんなんてみんな疲れてる。
元気に見えるのはユンル呑んだあとだけだ。
買った時は白いはずのランニングが黄色くなってるだろ、
あれはゴールド・キューピーとか人参エキスの呑み過ぎ。
そんな見掛け倒しの元気ハツラツに教わることなんてあるか?
ましてやマルクスとンゲルスを尊敬して
一つの御手本だけしか見えない頭で生きてる連中からなんて
為になることは何もない。かえってマイナスだ。ドラッグより酷い。
将来有望な十代、二十代の人の人生を台無しにしてしまう。
 
特定の思想ってのは本当に恐いゼ。新興宗教の上を行く。
もう赤狩りなんて誰もやってないのに
本人達はまだ、あの時代に取り残されてる。
酔っ払いお父さんのゲロに顔を突っ込んでる方がまだマシなのに。
歴史上の事実は事実として認めることは大いに構わない。
でも絶対に実現できないことを
「できない」と判ってる人にまで強要しない方が身のためだ。
「自分は最初から間違ってた…」
と、あとになって認めたくても認められずに
軌道修正の葛藤に苦しむより
直感で
「こいつはヤバそうだな…」
と最初に思った時は
キッパリと付き合わない方がいい。
でないと『春のからっ風』になっちまう。

 
 
 
泉谷しげる, 門谷憲二, 岡本おさみ, 浅沼勇, 加藤和彦
 
GOLDEN☆BEST Early Days Selection  
 『春のからっ風』は このアルバムの12曲目にある。
 6曲目の『黒いカバン』が、“おまわりさんとの会話の歌”
 
 
だから他人の真似だけでカッコ付けるなんて
今どんなに自分が寂しくても、それは偽物なんだ。
世の中のあらゆる情報には嘘の方が多い。
自分を信じられない者に何が残る?
他人の迷惑だけだぜ。
あとは何も残らない。なぁ、赤組埼玉連合の青木さん。
必ず見つかる。
トイレの中で隠れて煙草 吸ってても先生に必ず見つかる。
じゃなくて、自分自身の本当の役割が
“生きる”
ってことを真剣に大切にしている限り、必ず見つかる。
この時代の年寄連中が見失ってしまった本来の人間として生きる道をな。
簡単じゃない人も多いけど
簡単に見つけた人もいる。
生き残ることに真剣なんだ。生きることをナメてない。
そんなことすら考えずに自然にスッキリやってる。
ドラッグなんてやらない。
「空想から科学へ」なんて絶対 読まない。読む必要はない。
巷の漫画週刊誌の方がよっぽどタメんなる。
面白いモノは面白いと素直に楽しめる心。
そういう心、大事だろ。
みんな子供の頃にあったヤツ。
「なかった」なんて強がりだろ。
みんなあるぜ、人間ならな。
実はつい最近まで俺にもなかったんだ。
森の木を見ても、滝の水飛沫が面にかかっても
何も感じない。
ただボーっと煙草を吹かして景色を眺めてる。
でも眺めてるのは景色じゃなくて
頭ん中いっぱいになってる過去の自分。
それが後悔なのかノスタルジックなのか、そんなことも感じない。
ただボーっと煙草を吹かしてる。
…危ねぇ。
で、どうやったと思う?
カリフォルニアのマーガレット・パターソン先生に電話して
「俺もキースやピーターやクラプトンみたいに
黒い箱”で治療してください。お願いします」
って頼んでみた。すると、
「あなたは10ヶ月のところを10日で治すのは無理ね。
10年かかるわ」
とか云われた。
そりゃそうだ、ヘロインより悪いモン(共産思想とか)が
脳味噌いっぱいに詰め込まれてる。
じゃどうすりゃいいんだ?!
命を入れ替えるしかない。
リセットするんだ。
簡単だよ、リセットのボタンを押せばいい。一回だけ。
でも二回目はない。
神様は二回も三回もチャンスをくれない。
だって、既にそれが二回目なんだ。
毎日クソをコクほど何回もできるなら誰でもやってる。
そういう意味の“簡単”ではない。
みんなができる訳でもない。
ある程度の覚悟は要る。
中にはできない人もいるかも知れない。
自分の身体が具合ワルイことを他人の所為にしてたりとか、
自分と他人を比べて何かを妬んだり僻んだりしてる年寄とか、
四六時中、紙ダニやシミって名の虫のようになって本を読んでる人とか、
どうしても余分な知識が邪魔してな。
だから世の中にはできない人もいるかも知れない。
でもやってみる価値はある。
「本来の自分自身を取り戻したい」
って心からそう願っているなら
「この地球上、この世界を変えたいなら自分を変えるしかない」
と気づいている人なら
割と簡単にできると思う。
「勇気を出して一度 勝手に死んでみて、再び生まれ替ればいいや」
なんて、そんな馬鹿なことはしない。
丁度、パソコンのシステムが異常になって
思い切って再インストールする感覚。
あれに似てる。
ちょっとだけな。
ゼロに戻るわけじゃない。
ちょとした容れ直し作業。
そういう意味でのリセットだ。
但し一回だけな。それは、
 
どんな事実も全部、夢だと思うんだ。
長い長い悪い夢。
心の底から自分にそう云い聞かせる。

 

これだけだ。
あとは自分で本当に必要なモノだけを

容れ直せばいい。
何もなければ

無い”
でも構わない。
リセットする前の覚悟が本物なら
必要なモノは自然に身についてくる。

 

な、簡単だろ。
ストラスバーグもサンフォード・マイズナーだって教えてなかったぜ。
肝心な部分になると
「個々の諸問題から生じてくる…」とかなんとか言っておいて…
そこが重要だったんだ。実は、あれも。
これと似たような方法もどっかに在るかも知れないけど
ちょっと違うのは
自分で自分の肉体の管理がどこまでできるかって所だ。
どんなに精神ばかりを鍛錬しても、
自己啓発の本にある方法や策をいくら漁ってみても、
問題は
中身がどこまで外側を管理できるか。
要するに肉体、身体の手入れと保管。
これは
「健全な精神は健全な肉体に宿る」
とかいう格言で終わりにする年寄の教えとは全然違う。
あんな事は日捲りカレンダーの見栄えを考えた飾りに過ぎない。
もっと実践的な内容で、具体的に自分でできること。
何でもいい。
ストレッチでもヨーガでもラジオ体操でも
やってみれば

「これじゃない」って判る。
あわてなくても大丈夫。
必ず必要なモノに辿り着ける。
…さっきのリセットに嘘がなければな。

 

で、ここからの話は参考までに…
 

人間の設計図 …またコレだ
“お産のやり直し”ってのがある。
先天性で何らかの障害を持って生まれた子供とか、
そういう奇形児出産をしてしまった親子
が対象だったけど
二歳か三歳にならないうちにお母さんの身体に一旦戻す。
物理的には無理でも魂なら可能らしい。
要するに、肉体という心の(魂の)容器が
今生で生きて行くためにはバランスが悪い状態。
物理的に不自由になっている部分は
それが肉体の眼球であっても生殖器であっても
本来あるべき状態にすることは殆ど不可能、施しようがない。
でもそういうハンディを他の部分で支えて補って
本人が納得して生きられるようにするには
その“お産のやり直し”という方法で解決できる。
ということで、具体的には“魂の程度を下げる”と云っていた。
誰が?って、『人間の設計図』の著者が。

 

「今の程度の魂(心)では、この子の肉体(容器)を動かすのは
ちょっと難しいから、一旦、母体に戻して、何日かしてから状態が
良くなった頃、また容れ直す。服は着たまま。普段の生活となんの
変わりない格好で。お父さんが子供をダッコしてて、お母さんを横
に坐らせておいて、魂だけをお母さんのお腹の中へ戻す。また何日
かして子供の中へ容れる時も一緒。服は着たまま。やっている途中
は本人(子供)も、お母さんも普段となんにも変わらない。普通に
生活してる。…ただ、お母さんは、容れる時と出す時にはちょっと
だけ違う。私は判らないけど本人がそう云ってる。よし、と私が手
でこうやった瞬間から、お腹の中に胎児が居た時と同じような感じ
になるみたいですよ。それは別に何か動く訳ではないけど、本人に
云わせると、ちょっと重くなる。自分がその子を妊娠していた時と
おんなじような感覚で。お母さんだった人がそう云ってる。その本
(『人間の設計図』)にもそう書いてあるでしょ。…あれはその人
の体験だよ。実名で載ってる、ちゃんと。あとでみてみて。判るよ。
…それで、また何日かしてから“もういいよ”っていった日にまた、
ちゃんと戻すんですよ。これをまた子供の中へ。それも書いてある」
と、ある日、取材に来た人にも云っていた。
で、実際にやってもらった人がいる。俺が知ってるだけでも三組。
“程度を下げる”と云っても別に頭の程度が低くなるということでもない。
実際に、そ“容れ直し共同作業”を受けたある子供は、眼が不自由でも
スティーヴィー・ワンダーのように耳が達者で、音感が鋭い。
歌を唄う本人が心の底から楽しんで唄っていた。三歳で。
それを側で聞いていて、聞いている人も楽しい。
小さい子が唄っていて可愛いから…という意味ではなく、
持って生まれた能力をフルに使っていることが伝わってくる。
そんな羨ましさのような、本当に人間として生きている有様を実感する。
 

で、その人(『人間の設計図 』著者)が、まだ生きていた時、生前中に、
「一歳、二歳、三歳児ではなくて、大人というか、成人してしまった人間。
例えば僕なら僕は、そういう“容れ直し”というのは出来ないんですか。
これだけ身体が大きくなって成長してしまった場合は無理ですか?」

と、俺は質問したことがある。外はすごく天気のいい朝だった。
すると、しばらく間を置いて
「できるよ」
と、笑顔で簡単に云うので、
「えっ、できるんですか? どうやるんですか?」
「どうして? やってみたいの?」
「…なんか、自分自身、やった方がいいんじゃないか…と思って
ちょっと訊いてみたんですけど…」

「できるできる。やってみようよ!」
と、今にも“スグ出来るよ”という顔つきだったので
「…?。えっ? 今? これからですか?」

「そうだよ。これから…」
場所はとあるマンションの一室、座卓に斜向かいに坐っての会話だった。
俺はスーツ、その人は茶色い着物を着ていた。
「どうやるんですか?」と、再び訊き返すと、

「…自然界に追いやる」
「追いやる? 何を? 魂を?」
「うん、中に入っているモノをぜんぶ一旦 外へ出してしまって、
この自然界に曝け出してしまう。それからまた…」
この時の俺の頭の中には、なぜか、街路樹の緑や川面の景色のようなものが
鮮明に浮かんで、それは一瞬にして消えた。
そんな感触を覚えている。
そして会話は続く。
「…あぁ、自然界へ。中身を。…で、僕はどうなっちゃうんですか? 
…なんか自分で云っておいて、なんか、ちょっと怖くなってきたな…」

「そぉんな、怖くなんてちっともないよ、そんなことは…」
「ああ、はい」
「大丈夫だよ、普段通りにしてればいい。おんなじだよ、
○○さんにやった時と。ちっとも怖いなんてないよ」
「ああ…“お産のやり直し”と。えっ? でももう、はじまってるんですか?」
「うん、やってるよ。もう。」
「えぇ、どこで? …あ、そのあとはどうするんですか?」
「…まぁ大丈夫だから安心してて。…どう? なんか変な感じでもする?」
「いや、別にぃ…」
「大丈夫でしょ」
「はい」
「じゃ、行くか」
と、高崎の事務所へ出勤した。この時の俺は“朝の運転手”の係りだった。
その道中、車の後部座席で、

「…そっかぁ。事務長は容れ直すのねぇ…」
と、云っていた。しばらくして山道を進みながら、
「今までやった人はいるんですか?」
「何を?」
「いや、その、“自然界に追いやる”って、そういうことを…」
「いないよ。初めてだよ」
「え? 初めてでもやっちゃうんですか?」
「…うん。…だって、自分でやりたかったんでしょ」
「あ、はい」
「で、どう? 今の自分は? なんかおかしい所とかでもある?」
「いや、ないです。…でもなんか、スッキリしたような気分で…」
「えぇ? なぁに?」
「いや、気分がスッキリしてます」
「そぉ…」
と、バックミラーに映るその人の顔は、窓の外の景色を眺めていた。
事務所へ着くと、その人は他の社員に、

「少しの間だけ事務長には何もやらせないでね。電話も…」
と、いきなり云われ、みんなはポカンとした様子で、それでも、
「…はい」と応えたきり、それ以上は何の追究もしなかった。

「事務長は?」
「はい」
「大丈夫だよねぇ。何もしないでそうやっててねぇ。…何もしないでって
ことはないけどぉ、まぁいつもと同じにしてて構わないから、そうやっててねぇ」
と、そんな感じで二日、三日が過ぎた。
その途中、いつ、どこで、どうやって中身を戻されたかは見当もつかぬまま、
あの、台風19号が日本へ上陸した夏が終った。
その後、三~四年は毎日が忙しく楽しかったけど、

色々な意味で会社の中にいた人間、全員に擦れ違いが生じ 、結果的に俺は、
自分からその会社から飛び出た。 
それが、ローリング・ストーンズが三度目に来日した

1998年3月17日火曜日だった
その後、一度だけ、
東京ステーション・ホテルのレストランでその人に逢ったが、
元気な姿をこの眼で見たのは、それが最期だった。
そしてあの、虹がきれいだった日 に至る。
 
さてここで、初版の『人間の設計図 』(80ページ辺り)には記されていなかった内容
『改訂版』(完全版)に記されるはずの重要なページのうち
4ページ
こっそりこの場だけで
“創った側の人”の直筆原稿からご紹介する。 
尚、この内容は、後日、何らかの事情により削除されることもあるかも知れないので
メモのご用意を…。

 
 
     
肺臓と大腸と鼻
 

 五臓の中の一つであり、人が生きるために最も大事な臓器である肺は、体のどこにあって、
何をしているのか。また、人間の体の臓腑と関係して動いているのか。
 肺という臓器は、人の上半身の胸の部分にあり、しっかりと肋骨に支えられ、
その上から筋肉によって覆われており、呼吸をして全身に空気を送っている臓器である。
 人間が創られ、この世に生まれ出る時から、太陽も、水も、空気もあった。
だから改めて、空気のことを考える必要もないようであるが、人間は五分間、空気を吸わずには
生きてはいられない。この大事な仕事をしているのが肺であり、人間が母体から出生して
「ヘソ」の緒を切った時から、その生命のある限り、呼吸をしている臓器である。
しかしこの肺も、肺だけが呼吸をしているのではなく、体の色々の臓器と関係している。
 まず、顔にある鼻は何をしているのか。
 この、鼻と肺は絶対に切り離せない関係にあって、人間の鼻は肺の窓口である。
 したがって鼻は、呼吸器以外の何者でもない。
 しかし、医学では、耳鼻咽喉科として、鼻と肺を切り離して考えてしまったため、
鼻に関する病気は、その原因も治し方も何一つ解らなくなってしまったのである。
 また、この鼻が呼吸して、空気を肺に送り込むために必要な物がある。
 それは両手の親指である。
この親指と肺とは深い関係にある。だから、アレルギー性鼻炎とか、鼻づまりとか、
鼻に関するすべての病気は、手の親指から鼻に流れる部分の筋肉に原因がある。
つまり、人の顔にある鼻も、決して鼻だけではなく、肺やその他の臓器との
色々な関係を持つ筋肉を診なければ、花粉症やアレルギー性鼻炎と呼ばれるものは、 
絶対に治すことができない。
 また、人間が排便をするということに、肺という臓器は大切な役割を果たしている。
 人が生きるために絶対に必要なことは、食べるということである。
しかし、食べ物全部が栄養となるのではない。
 体にとって必要な物は、血液によって体内に流れる。
その食べたものの「かす」、大便は、大腸を通って排出されなければいけない。
 この、排出のされ方は、肺が精一杯 空気を吸って、下腹部の筋肉が動くことによって、
大腸も動いて排便できるのである。
 例えば、便秘とはどうしてなるのか。
 世の中には便秘の人が多く、特に女性に多い。
 まず、便秘をすると肌が荒れ、体に色々の吹き出物が出てくる。
 便秘の原因は、肺と大腸のバランスの関係。
他に子宮と膣と肛門の関係で、肛門筋肉が開【ひら】かずに、しっかりと排便できないこと。
 また、人間の体の水分量と自然界の水分による燥と湿の問題の、三つの原因がある。
 このことについては本書『
人間の設計図 』の「便秘」の項で具体的に説明してある。
 このように、肺は、空気を吸うだけでなく、大腸と関連して排便の仕事もしているのである。
そして、両手の親指と肺。人差し指と大腸がそこに関連している。
 このことについては、鍼灸学の上で「経絡」としてあり、また、漢方という医学の中でも、
 色々と教えては来たのだが、残念なことに既に、慶応年間にその素晴らしい医学も、
きれいになくなってしまった。また最近、そうした医学も見直されて来たと言うが、
 それは学問であり、一つの方法論であって、実際には、人間の創られ方というものが解らないために、
人間を治せない。
 人間の大切な臓器は、その臓器が単にその場所にあるだけではなく、
あらゆる部分とつながりを持って生命活動をしている。
 人間の体は決して、部品と部品の組み合わせではない。
 そして、人の体の表面。つまり、人間の皮膚とは、肺の持分である。
 だから、皮膚呼吸ということも、単に皮膚だけが呼吸をしているのではなく、常に肺。
そして大腸と鼻と関連して動いている。そのように創られているのが人間である。
 昔から「顔が青いと肺が悪い」と言ったのも、便秘をすると肌が荒れるのも、この他にも、
アトピー性皮膚炎と言われるものや蕁麻疹など人によって色々の症状が表れるが、
皮膚とは、肺と大腸の責任であるということを知っておくべきである。
また、肺という臓器は、五臓の中では「辛い」という味を好む臓器でもある。
 そして、五志五臓。人間の肺は、五臓の中では「笑う」ということを司っている。
 だから、何もおかしい事もないのに常に涎を流すほど笑っている症状のある人。
この人は、肺が悪く、肺に関連する腕、手の親指、胸の筋肉の血液の流れに問題があって
病気をしている。そのために発熱もある。
 アフリカなどの諸外国にも見られる最後まで笑いながら高い熱を出して死んでゆくという病気。
その人達は、ある一定の病原菌に肺や肺にまつわる臓器を侵されているのかも知れないが、
これも決して、肺ばかり、発熱したという結果ばかりを考えても治すことはできない。
 そのように苦しんで死に行く状態になる以前に、「君臣支差」と呼ばれる処方を用いて
病原菌を体の外へ出し、その体に必要な物を補う必要もあるが、
 そうした素晴らしい医学も、現在では失われてしまっている。
 だだ、世の中には、肺の関係から来る色々の症状に対して、香辛料。つまり、「辛い」という味
のする野生の植物や種を使って、体の調子を整える考え方も残ってはいる。
 しかしこれも単に、「辛い物が肺にいい」ということではない。
 人間の体は部品と部品の組み合わせではないと云っているように、人間の肺という臓器は、
決して、肺だけが独自にそこにあるものではない。
だから、どんな物でも「これを食べればいい」というように考えさせてしまう世の中の常識がおかしいし、
実に浅はかである。
 ただ、その人が、どうして辛い物を好むのか。それは、その人の肺が要求している味であり、
臓表【ぞうひょう】。つまり、何か臓器に支障があることを目に見える表側に知らせている一つの
危険信号であるということを知っておくべきである。
 
 
その出版がいつになるかは別として
次回の『人間の設計図』では更に、これらのことを踏まえ、医学が人間の創られ方についてを理解し、
また医療に従事する者にとって、“人間を解る”指導者がいたなら、今日、癌やその他の成人病
をはじめとする現代の様々な病気、症状によって、これほどまでに多くの人々が苦しむ
ことはなかった・と付け加え、特に大腸癌と肺癌の関係、また、そもそも癌という物が
どうして起こるのか、原因を具体的に明確に記し、治癒させる方法を解説している…はずである。
またその一部は、初版『人間の設計図』の案内板として1994年に刊行された
大自然の気による医療革命 』というタイトルの本の中でも紹介されている。
ご興味ある方には一読をお薦めする。こちらならまだ全国の書店でも注文は可能だと思う。
そして『人間の設計図』の著者は独自に開発した“導引法”
【どういんほう】というものを紹介している。
これは、独自であって中国や仙台などで教えられている健康法とはまったく違う。
別に何の究極でも、四千年の歴史がどうしたもこうしたもない。
必要な人が必要に応じてやる肉体の管理、日々の容器の手入れ、
人間が生きるために必要な生活必需の12行。
やりたくない人はやらなくていい。
名前が同じようなモノも世の中には沢山あるが俺はちょっと紛らわしい感じもするけど
中身は全然ちがう。どこがどう違うかは、やってみた人が「本物だ」ということが判る。
ここでそのすべてを丁寧に書くつもりはない。
書いた所で書いてある通りにできる人はまず、いない。
中途半端にやるなら、また栄養ドリンクを呑んでは誤魔化す生活を繰り返した方がいい。
高崎の問屋町という所だったか(相模大野にもある)、 
それを継承して割合しっかりと教えている人もいるけど、
必要な人、やってみたいと思う人は、自分で探してみればいい。 ttp://www.toshio-5kenho.co.jp/index.html
俺は今、まったく関係していないので、それはそれで個人の判断に任せることにしている。
ただくれぐれも、興味本位な判断、散歩ガテラとか、それが中途半端な気持ちなら
行っても無駄だ。きっと、「帰っていいよ」って云われる。
それほど真剣にやってる・と思う。“生きる”ってことをナメてない。
○○接骨院とかナントカの治療院とか、あっちこっち徘徊して、
趣味で「具合ワルイ」ってやってるような人は絶対に相手にしないし、何も治らない。
「ここも駄目だ」「あそこもダメだ」「たぶんココも駄目だろうな…」
という人は、どんなに苦しくても、そのまま死ぬしかない。
死んでも恐らく治らない。
「この障害が治ってしまうと補助金が無くなる」とか、
かつてそういう人も何人かいたけど、それも迷惑だから最初から行かない方がいい。
曖昧な気持ちで生きていることが楽なら、それはそれでいい。
でも他人に迷惑を掛けるような生き方は、これからの時代、もう通用しなくなる。
 
 
大変だろ、一回だけのリセットも。
でも間に合った人もいるぜ。
俺以外にもな。
 
 mind resolve / edit 006
 
“Mind Resolve ; Chapter 009” を一部改訂。