日本人のコピコン合戦  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
 
  
"Live8 "で世界のロックが盛り上がる中、
2005年8月21日、ボストンのフェンウェイ・パークを皮切りに
大規模なワールド・ツアーが開始される
ローリング・ストーンズ。
7月29日、ニューシングル“Streets Of Love ”のプロモ盤を
「渋谷陽一氏よりも俺が先に聴かなくては…」と焦り(?)
さんざんネット上を検索しまくって、ようやく、
UKサイトのラジオ・ステーションのリンク先、
闇ページのような所で視聴。
イントロの響きがシビレる。
キースのオープンGに絡むワッツのスティックさばきが溜まらない。
ベースはダリルなのかどうなのか、パワフルな中に妙に几帳面な感じがして、
Voodoo Lounge ”の頃の新鮮さが彷彿とされる…。
これはまたタダモノではない。恐ろしく研ぎ澄まされた魂のうねりを感じる。
そういう感じの曲だった。
人間の持つ言葉でどんなに巧みに表現されようと、聴いてみない限りは
自分の心で感じ取れるモノは得られない。絶対に。
だから、見るもの聞くもの触れるもの、すべての人が同じに感じることはない。
嫌いな人もいれば、俺のような気ちがいじみた奴もいる。
   
そこへ(視聴したネット先へ)潜り込むためには、
自分のPCを勝手にデータ解析されたのちのち、クラッシュされる恐れがあっても、俺の場合、
旧いノートパソコンをそれ専用にマルチブート構築したサーバーとして改造してあるので、
たとえ おかしなデータをキャッチしてOSがクラッシュしても10分程度で甦る。どうだっていいよ
中国や韓国、台湾のネット小僧の連中がどんなに兇いウィルスをバラ撒いても、
俺のサーバーは何度でも甦るターミネーターのT-1000型のようなもんで、
無敵だ。(今の所はな…
「何もそこまでしなくても…」と思われがちだが、
俺は待てない。
更なる潜り込み技術を施して、サイト先のシステム設定解除やブラウザの調節が面倒なので、
ダウンロードはしなかったが
(というより、ストーンズだけはそんなことしたくないので…他はいいのか? / これについてはあとでな。)、
業者や音楽関係の雑誌編集者、ラジオ局の人達が巷の連中より優先して新作を楽しめるってことが、
どこか許せないし、そういう時代も、もう終わりにしたい。 どうやって? …まぁ今に見てろよ!
8月のその頃(発売時期)には鼓童の野外ステージ の仕込みの手伝いで朝晩忙しいし、
“ストーンズとU2だけはマジメに店頭でキャッシュ払い”を心がけている俺としては、
CDショップへ行っている暇がない。
それほど神聖なモノとして受け止めているファンとして、
今回の、業者とユーザーが論議を醸し出すような世の中のコピコン合戦には、
どうも参戦できない部分もあるが、
業者の意向に仕方なく従わなくてはならないユーザーにとって望まれるのは、今後たとえば、
世界中のアーティストが、
「俺達とファンの間に割り込んで、みんなが聴く以前に、ピュアーなスピリットを汚すのはよせ!」
などと、自分達の作った音楽そのもの、せっかく汗水流してレコーディングした状態に、
途中から変な信号データを組み込まれて、プレーンさが損なわれる行為に真っ向から反対するか、
もしくは、ヴァージン社のブランソン社長だけでも、(そろそろ)E●Iと手を切ってもらい、
もっと安全かつ斬新なリッピング防止方法を発明した設備を整える販売提携業者そのうち現れるぜ
繋がりを持てば、我々のオーディオ再生機器も破損する恐れから免れるかも知れないし、
アーティストの“ナマの姿”を以前のように安心して聴いて、
自分のコレクションとして保存できる・かも知れない。
で、
全曲・新でのフル・オリジナルアルバムとしては ”Bridges to Babylon (1997年)以降、
8年ぶりとなる新作の発売が、あとひと月もしないうちには、
巷のCDショップの店頭に並ぶことになる。
プロデューサーは例によって、Don Was のオジサン(もうだいぶ付き合いが長くなったクリエイティブ)
昨年11月からパリやニューヨークなどでレコーディングされたという、
今回のニューアルバムには、最近の流行りなのか
(U2の“How to Dismantle an Atomic... Bomb”のように)
初回限定盤でDVD付きになるらしい。
・・・・2005年、8月、9月と発売延期中。ホントにあるのか。
 
  
それでも、純粋な音楽CDではないコピコンCDは、
神聖なモノを汚されたと思うユーザーが自分でゴミを取り除く以外、
今のところはまだ、”元の状態”に戻す(というより近づける)方法がない。
そもそも、著作権法第30条に伴い、パソコンでの読み取り妨害のため、意図的に
矛盾するデータを組み込んだり、記録データを改変している点。
果たしてこれは、どんなことになってしまうのか? みんなで再認識した方がいい。
TOC(テーブル・オブ・コンテンツの意)というCD内の目次情報の改竄【かいざん】
オーディオデータの中にわざわざ不良セクタを組み込むなど、
これによって再生機器(CDプレーヤーなど)は
「これは音楽CDではありません」と認識してしまう場合がほとんどで、それでも
「そんなの別に気にしない」という人も含めて、
通常通りプレーヤーにセットすれば再生は可能な状態、一応、音は出る。
音質について極度に拘りがない限り(犬のように聴覚が鋭い人とか以外なら)は、
フツウに聴いていられる…。ところが、
世の中、「形ある物、いつか壊れる」という物の道理として、
どんなに精密に造られた機械であっても消耗品。いずれ寿命は来る。
その寿命をことごとく縮める可能性が高いCCCD。更には、
現時点での法律上、それがもし壊れても(壊れる可能性も高いCCCD)
”事故の責任によるもの”とされていて、誰も保障しなくてもいいことになっている。
どんなに高級な再生機器でも“自分で壊した”ということになる。
知識があり「俺は自分で修理できる」という余裕ある人ならまだしも、
世間のそんなことにもまったく関心もなく、何も知らずにただ普通に生きている人にとっては、
突然、壊れてしまった時、はじめて、
「何で?」
「私のコンポに一体なにが起こったの?」
などと、慌てて街のデンキ屋さんへ持ち込んでみても、あとから高い修理代を請求されるか、
もしくはまた改めてまるごと新製品を買わなければならない選択に迫られる
ことにもなりかねない。
しかも、そういう”馬鹿げたドラマ”を作り上げるようなことをやっている業者のほとんどが、
大手のCD販売業者と、大手の家電メーカー、それが同じ名前のグループだ。
自分達で造って売っている物を自分達で壊している・ということになる。
そしてまた、販売促進された店頭で新製品を買う人々もいる。
需要が高まれば各企業内で働く人の人件費も確保できるかも知れない。
春闘の連中も喜ぶ。あの、経済成長期に見た夢が、再びまたやってくるかも知れない。
そんなことはない!
まさに、“真綿で首を絞める日本経済”の現状…。
      以下参考文献
大自然の気による経済革命

   
この有様を知っていても・いなくても、はじめから自分の新品のオーディオ装置が心配なら、
バルクやリテールの品でなくても、予め中古品を用意して、
「適当に動いて音楽再生できていれば、いつ壊れてもいいや」という人もいるかも知れない。
あるいは、経済的に余裕なければ中古品でも我慢するか、つまらん署名活動をはじめるか…。
ともあれ、
今、あなたのカーステレオも危ない! (俺の方が危ねぇか?
   
もっとも、CDプレーヤーより、それを使う人間の方の寿命が短ければそれまでだが…。
要するに、あらゆる再生機器に対応した世界基準、標準規格レッドブック/CD-DAから外れ、
本来の純正な音楽CDという商品とは呼べない”欠陥商品”を買わされている我々としては、
今後、もっと別な方式で、アーティストがレコーディングしたままの状態を保ち、
その上でコピーガードを施して、それをユーザーが再生する際には、
プレーヤーの破損を妨げる何らかのオプション(安全装置など)を付属した形(ほぼ無料でな)で、
音楽CDそのものの規格水準を改善してもらわない限りは、
俺ばかりでなく、文句を言い続ける人も跡を絶たない。
俺は、EAC(海外FS)の素晴らしい技術によって、TOC(五反田の“あの店”ではない)に
ジャミングされたゴミを取り除いて、自分だけのオリジナル状態に戻して
安全な音楽CDの再生を満喫できてはいる。それなりに。
このコピコン合戦(:コピーコントロールCDについて、ああだのこうだの言う世間のちっちゃな騒ぎの意
が、これほどまでにCD販売に浸透してしまった原因、その発端はどこにあるのか?
俺は、俺を含めた日本人を含むアジア圏の人間。その、
我々ユーザーの意識、人間としての倫理、道徳心というものに問題があると思う。
違法コピー物やブートレグを違法販売しているのは、決してアジア圏の人ばかりではないが、
21世紀に入り、世界規模でパソコンが普及し始め、
それに伴ってバイキングな連中も、以前より増えた。特に中国と韓国では見境がない。
で、ソイツ等の勝手な言い分がどうあろうと、
それを買ったり、ダウンロードしたりしてしまう大勢の者にも罪がないとは云えない。
“海賊盤”という物は、アンダーグラウンドの世界の特権。
繁華街の裏の片隅や闇の裏通りで営まれるのが、
本来の人間の階級の中に根強く残っているはずのものであって、俺はあっていいと思う。
プロしてやるなら、それもある意味で立派な職業かも知れない。・・・ニーズはあるからな。
ところが、
誰でも気軽に簡単に入って行ける場所。(それは銀座三越本店や松坂屋などのデパートばかりではなく
本来フォーマルなはずのインターネットの世界で、堂々と垂れ流されるものではない。
って俺は思う。みなさんはどうかは知らないよ。
特に、あとからあとから先進国に乗り遅れまいと頑張ってきた国々のセコイ意識。
そしてその経済追求の常識を支えようとする教育。もちろん、今の日本も代わりない。
それはもう見事に”人間の階級”を破壊している。
社会の階級なんて、どうだっていい。会社の社長も社員も、学校の先生も生徒も、今の時代はもう、
単に見せかけで、見た目にその区別があるだけで、中身の程度はどれも大した差はない。
「あいつは駄目だ」「俺の方がまだマシだ」という連中が巣窟してる。
だからお互いに刺し殺すような騒ぎも珍しくなくなってきてる。
それも教育が人間の営む場所をことごとく破壊してきた結果に過ぎない。
でも、“人間の階級”、“人類の階級”だけは、これ以上、破壊してしまうと
地球上にいる人間同士の釣り合いが保てなくなる。
テロも民間人の区別もなく、みんなでまた戦争を始めるかも知れない。
しかも今度は、人類の歴史を終結させる最終戦争だ。
機械を使って機械同士で戦う大合戦の下で人間が潰れる。
画面を見ながらボタンを操作する人達も心が血まみれになる。
「みんな平等に」とかって言葉を並べて、世界各国、人類みな兄弟。世界が一家と考えて、
頭の程度をみんな同じにしてしまう“フィルターの被せ方”、その現代教育のほとんどすべて
(宗教もそうだぜ)、それが、本来、人間が生きるために必要な階級(文化や文明の基礎)を失わせつつある。
…共産主義の思想で頭がいっぱいになっているオエライ先生方のみなさん、
よく注意して聞いてくださいね。
これは、人種差別とか民族差別とか、そういうことで云ってるんじゃないですからね。
勘違いして鼻息を荒くしないでね。…また赤い思想の鼻血が出るよ。
人類最終戦争は世界の教育と宗教がつくりあげる。このままならな。
話がまたJR西日本になってきたが、
そうだろ、国鉄分割民営化にしても、結局はあの法案が成立して、
あれで善かった人の方が多い。
あのまま平等だの何だのって言っても、みんな電車に乗って生きてきたじゃねぇか。
ある程度は安心して。今まではな。
こっから先は、今でも反対してる連中(組合員でも何でも)が這い蹲ってでも、
全国の線路を点検すべきだ。みんなのために。
このままなら普通路線より幅が広く安全に造ってあるはずの新幹線の線路だって、
もう安心できないかも知れない。だから賃金なしでも、それをぜんぶ、
機械じゃなくて人間の目で、検査、点検、整備、補修する必要がある。
まぁそれを誰がやるということは別としても、
そういうスレイヴな役割も本来の人類においては必要なはずだ。
線路の整備が得意な人間が、その仕事を無視させる思想に感化されて、
自分自身では本当は生きづらい場所で可笑しな運動にクビを突っ込んでみても、
朝のラッシュアワーに切符を切って、夜は労働賛歌を謡っていた時代はもう戻っては来ない。
それを今度は郵政民営化反対とか言ってる連中とグルになってビラ配ってる。
「生きるためにどうしても必要だ」と言うのなら死ぬまでやっていても、それはそれでいい。
でも、全部が何もかもが平等になるべきだという考え方は、もう捨てた方がいい。
時代に合わない。
それは例えば、何か罪を犯した人達に対して「どの人も公平に裁かれるように」と願うような
全国の検事さんのような考え方とは別だ。
カネに目が眩むのか何なのか、依頼者側だけに偏って生きる弁護士のように、
次々に権利を主張するばかりの人々。
“平等”と“公平”というものは意味が違う。
何が「人権尊重」だ。何が「国民の暮らしと健康を守る」だ。
そんな権利を何十年間も主張し続けて、誰の何が救われたというのか?
生理痛で苦しんでいる女性が、なんで赤い新聞の拡張を深夜までやってるのか?
脚の膝関節が痛いお婆さんが、
一度に四十部もの新聞を買い込んむ事に何の功徳があるのか?
そういう意味で、人類に階級を失わせるような教育や思想、宗教の教え。
「お前もやればできる」というシステム社会構造。
もうこの時代には役に立たない旧い常識は、みんな捨てた方がいい。
でないと本当に、世界の教育と宗教によって、
みんなが最終戦争をおっぱじめることになっちまう。
おれは銃剣を翳してドンパチに参加するのは御免だぜ。
思想や宗教の嘘に左右されたり、目隠しされたりしない人間として生きて、
しっかりと自分の足で大地を踏んで立って、
ローリング・ストーンズを聴いていたいし、この先、自分の子供にも、
血まみれの日曜日 を体験するような世の中に生きてもらいたくはない。
また、今以上に、そんな程度の低い世の中にならないように、
たとえギリギリのところでも阻止する・義務があると思う。少なくとも俺には。
   
かつて、空想から科学へという思想を信じて、また、
神様と仏様を同等の価値として崇めた神仏混合の先祖の教えを見習って、
中国もソビエトも自国の”国づくり”に失敗した。
そしてベルリンの壁は崩壊した。
それは、末端にいた人達の力で勃きた革命だった。
決して、権力と権力がぶつかりあって確立されたもんじゃない。
「人間として生きたい」と思う心、魂の中から湧き起こる叫び、
それが、本当の自由を求める人々の手に握られたハンマーだった。
同じように今、自由であるはずの世界の中で、
「これは本質ではないんじゃないか?」と疑う人も増えてきた。
見掛け倒しの自分達が生きる場所に不信を抱く人が目覚め出している。
なぜなら、世の中のすべてを、安易に「平等」と偽って、
人々を横一列に同じ程度に並べてしまう社会の構造、
このコングロマリット化。
ここに歪みが生じて、それは既に大きな亀裂となってきている。
階級を失いつつある人類の中で…。
「俺はこのままでいいのか?」
「果たしてこれが本来の自分の姿、人としての在り方なのだろうか?」
マトリックスの映画のような話ではなく、
そう思いはじめて、またそこから行動に出ている人間も既に、
何人か、何百人か、何千人か、この世界に存在している。
決して、今まで通りではない。
   
そんな中で、(話を狭い範囲へ戻すが
中国や韓国で今も激増する違法コピー販売をやってきた輩が、
ネット上のすべてから排除されれば、英語文化圏優先の意識傾向にあるネット業界も、
「アジアの連中は危険。やっぱりクズばかりだ。マトモには相手にしねぇよ…」などと思われずに、
日本人も含め、もっと今よりもグローバルな歩み寄りが可能になるかも知れない。
そうすれば我々も、MicroDust 社の“不倫dows”の操り人形にならなくても済むしな…。
   
キース・リチャーズ が、
「音楽、文学、詩、優れた作品はリスナーや読者によって解釈されるもので、
作った側が押し付けるものじゃない」
(1990年RS誌にて)
そう云っていた言葉を信じて、また、そういうアーティストのスピリットを我々が汚さないためにも、
”根性薄汚い民族”に思われてしまうような行為は、みんなで止めるべき・と思うよ、俺はな。
ここで最後に、今日の一曲。
 
  
        
How Can I Stop   ( 要 Real Player )
 
 

 The Rolling Stones
 Bridges to Babylon  このアルバムの13曲目。
 
「日本人は なんでこういう曲 作れないんだろうなぁ」
 と、かつて(20年前)ラジオの中で桑田さんが云っていた言葉も想い出す。
 そん時はS・ワンダーの“Part Time Ruber”だったが…
 「癒し系」なんて言葉には当てはめてもらいたくない一曲だけど、
 「音楽 楽しめる人間でいられてヨカッタぁ」と思える一曲です。
 
 
 
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 注意! EAC の利用は あくまで自己責任だぜ。
      PCのレコーディング機器の状態によっては音質が劣化する場合もある。
      まぁ、そんな面倒なことしなくてもいい世の中になってほしいけど。