公開、本物の『人間の設計図』  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
例えば “人間の設計図 ”というキーワードを入力してネット全般で検索をかけると
ヒトゲノムがどうとか、DNAがああだのこうだの、クローン技術がああしたこうした…と、
そういった遺伝子関連の問題、組み換え技術、バイオテクノロジーの内容ばかりで、
もしも生前の『(自然と)人間の設計図』の著者がそれを見たなら、
「なんだそれ、嘘ばっかりじゃない」と、ちょっとだけ激憤して、
「実に浅はかな愚かなる人間共よ…」と、
医者も学者も “人間の創られ方”をまったく解っていない事実について、
“創った側”として改めて正しく言及する…されると思う。
 
 
 
 
 
                               mind resolve : chapter 013
  
  
       worksub : 隠された情報
   
                   
 今日、自然界は、人を殺すように動いている
 果たして、全人類を抹消するのか
 それとも、定められた通りの数だけ残そうとしているのか
 社会も、教育現場も、人々が建て修そうとしている経済も
 政治も、文化も、人間の細胞の一つ一つも
 どんな組織も再起不能への崩壊を避けられない…
 一つのものが限られた場所に大きく偏る 
 螢の大量発生 自然界の異変 
 食物連鎖と自然界の階級 
 階級を失った人類 
 一個人、「自分だけは…」と心掛けても
 その肉体と心は思い通りにできず
 あらゆる崩壊から逃れることはできない
 そこに巻き込まれずに生きることも難しい
   
                      99´jan 23th 4~6pm 詩集『破壊の季節』より 
   
   
 追 記               2005' july 14th 11am 
   
ただ生きているうちに己に気づいた者の魂は
死んだ直後に正しく分解され、やがて再編成される。
…たとえ、その気づきが死ぬ間際でも。
本来の自分自分に与えられた能力をフルに活かし、
人間として堂々と生きて人生をまっとうしているなら
別に問題はない。
そういう意味で、
「またスグに出てくるよ」
と云った言葉があった。 http:// ##### 
要するに、死んで離脱した五千の魂(自由意志としての先祖霊)が分解され、
そのバラバラになった一つ一つは、
いま人間が肉体を持っている場所とは別の所で、
ある一定の修行により素晴らしく磨かれる。
その“磨かれる修行”というものが、
人間として人生をちゃんとまっとうできた者にとっては
短いらしい。
生きるために必要以上の知識が邪魔をしているため、本来の自分自身の能力を
十分に発揮できずに生きた者や、
常に自分に嘘をついて生きていた者には、
その、汚れた部分を磨く修行の時間が汚れ方によって異なる…
ということらしい。
それをそのように言葉にした本人は何だったのか?
という疑問については後回しになるが、
これを我々の人間の頭で理解できるかどうか、
「判る」「解らない」のそのどちらかを選択すべき自分の位置は、やはり、
(絶対に)解らない」という方を選ぶべきだろう。なぜなら我々人間は、
創った側ではなく、“創られた側だからである。
これをしっかりと認識できず、どこか勘違いをしている自分に気づかず、
ある一つの組織を破壊してしまった者も世の中にはいる。
大自然に与えられた恵みのうち、あの20年間が何だったのか?
その記憶が、そこら辺にある想い出アルバムのように終らせてしまうことは、
俺自身の中でも許されない。
なぜなら俺は“気づかせる”という役目を課された人間のうちの一人だからな。
かといって、『自然と人間の設計図』の著者がやっていたようには出来ていないし、
できない。俺、独りではな…。
それはそれで、“絶対”の権力の笠を被って解ったようなフリをしないためここが重要だの、
唯一、俺にある俺の長所でもあり短所でもある・と、自負している。
ちょっと(かなり)生意気かも知れないが、
俺も伊達に、かつての『自然と人間の設計図』を代筆し、
その編集・出版に携わったうちの単なる一人ではない。
   

それはすべてが、その一つ残らずが、
いまこの世に生きている人間の、一人残らずに通じない言葉であったとしても、
今回の、この現実の世界でどんなに、「こいつはもう 頭おかしくなってる」と、
どこの誰が言ったとしても、次に俺の上に立つ者が現れるまでは、
現れない限りは、俺は止まらないし、誰も止められない。
ただ一つ、そこへ付け加えておくなら、1998年3月17日 までは、
「俺にとっての社長という存在は生涯、今の社長だけだ」と思っていた時期もあった。
それほど “創った側”の放つ“自然の気”には かけがえのないものが秘められていた。
もっとも、この意味を判る人間は独りしかいないと思うけどな。まだ生きていれば…。
   
さて、完全版のタイトルがどうなるのかは判らないが、
もともとの正式な題名は『自然と人間の設計図』といっていた。
そこに記された魂の離脱や入魂についての道理も、
我々人間に分りやすく解釈された言葉として現わされてはいるが、
注意すべき幾つかの点として… 
人間が創られ、産まれ、育ち、そして死に逝く”という過程の、
その道理を踏まえると、魂の離脱が先ではなく
容れられる時、受胎の瞬間が先…スタートである。
但し、あくまで、現実に人間の形をして存在する一個人においては…という意味で。
いま現在、こうして活字を読める、こうして活字をキーボードで打ち込める
その自分が、ここ(現世)
存在しているから、
人間の形をして成長する以前の記憶…要するに、
それ以前、自分が母親の胎内から外へ出て誕生する以前のことは、
ほとんどまったく何も解らないことなので、
それさえ、事実として認めようにも認められない者もいるかも知れない。
だから、「死んで、肉体から魂が離脱して、その屍と別々になる(?)ことが
人間の創られ方の“先”ではない」
と云っても、それを簡単に「そうか」と納得できる者もいない・かも知れない。
 

それでも「なんびとも逃れられない紛れもない事実としてある」と、
そう断言されている『自然と人間の設計図』には、
「父親と母親のそれぞれ直属の先祖霊 二千五百人。
合わせて五千人の先祖霊が、それを統率するための神魂と一緒に
受胎の瞬間に容れられる。そして、十月十日【とつきとおか】を経て肉体を持った形で
この世に出生される人間・・・・」
とある。
では誰がそうさせて、そのような創り方をしているのか?
そこに、『自然と人間の設計図』著者の、
「私は何なのか」 
と云う、我々に投げかけた疑問がある。
これについての回答が、以下に挙げる参考文献
 
  
   『大自然の気による医療革命 』 (『人間の設計図』案内板)
   『
大自然の気による教育革命―人間は大自然の産物である
   『
大自然の気による経済革命―真綿で首を絞める日本経済
   『大自然の気による宗教革命』
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   『大自然の気による政治革命』 semi-bootlegCT&
原文一部 copy
   『
幸福をつくる「子宮」―子宮の位置であなたの運命が変わる! 』(初版)
   『
「洗心」という癒し―創られた通りに生きるための
   『人類意識革命』
semi-bootlegCT
   
等の中身の所々に断片的に記されてはいるが、
上に並べた書籍や録音テープも現在では
入手可能な物とそうでないものがある…。
まだ普通に書店で入手できる幾つかの本の中にも
一般の人に判りやすく表現されていると思われる部分も多いので、
もしよかったら、ご機会ある時に眼を通してみるのも、
自分自身の“気づき”の第一歩かも知れない。
 

なお、ここまでは黙っていたが・というより
うっかり忘れていたが (わざとな…根性ワリィ…)、
どんなにネットで検索しても絶対に引っかからないはず
初版人間の設計図 は1993年、全国の国公立図書館へ寄贈されている。
先日の、教科書を作る会 関連の書物が無断で処分された云々の報道にもあったように、
くだらねぇことになっていなければ、まだあると思う。
例えば国立国会図書館とか。普通の市立図書館とは若干システムも違うかも知れないが、
そこなら、…別に畏まった格好でネクタイで首を絞めて行かなくても、
館長代理人の“読書の神様の招待状 ”を持っていなくても、大丈夫。
六本木のクラブとは違うので入りなれない人も安心して頂きたい。
そういう図書館なら、まだ貸し出しは可能なはずである。
   
   
bookNS ネットのカタログには画像がないので自分で貼り付けた。
   
      『人間の設計図 (1993年刊行 初版)
   
   
…これで、「しつこい」「うっとうしい」という読者側の問題も
少しは “resolve”。解決される…かもしれない。
ただ、急がないと他の人に先を越されてしまうかもよ。
なんせ、幻の8000冊のうち、外に出回ってるのはホンの数百冊だったからな…。
借りるなら今だ。
急ぐ途中で雨風には十分、気をつけてな。
人間、自分が本当に変わろうと決意した時に限って、
とんだ邪魔ダテが入ることも少なくない。
これまでの俺の経験からしても…。
まぁ、みんなが同じ目に遭うことも決してないと思うけど
例えば『ランニング・スモーカー 』の青年みてぇに、
そういう時にはなぜか、酷いドシャ降りの雨の日に見舞われがち…そんな気がする。
当ってても怒らないでくれよ。
それは別に俺がやってる訳じゃない。
不思議だけど、そういうことってあるんだ。
そういう意味で、
その本を抱いて霏【あめ】の中を真っ直ぐ突き進んだ奴は幾人もいる
BAD LIFE 96ページに書いた。
…なぁ、土屋君。
 
  
   
例えば『人間の設計図 』の内容がいつの日か英訳され、
特に東洋医学の知識を物凄いスピードで吸収しようとしている国々の研究者たち、
元西ドイツ以外のドイツとか、オーストリアとか、ベルギー、イタリア、フランス…
そういったヨーロッパ諸国で正しく、慎重に人間の身体を研究している人たちの材料とされると、
その後、雑誌のネイチャーや各国のドキュメント番組は凄まじい勢いで、
これまでの人間についての認識の甘さをことごとく粉砕する人、グループが現れると思う。…俺はな。
「それがどうした!」とか、いつかまた(?)著者に怒られそうだけど…。
そういう意味でも、ネット上で売れるか売れないかを賭ける以外は、
単にどこかのマンションの一室に書籍在庫として眠らせておくばかりが、
人間の設計図 』の本来の在り方ではなく、本当は広く、世の中に公開され
万人に普及されるべき文献【もの】だと思う。
どんなに素晴らしい物でも、宣伝しない限りはモノは売れない。
そういう時代だ。
それでも買わない人は買わない。
だからこうして、誰もできなかった、やらなかったことが、どこまで浸透するか。
あるいは、まったく、誰一人として見向きもしないような戯言で終ってしまうのか。
可能性は前者に賭ける。命懸けで。

それほど今、世の中は、『人間の設計図 』にある真実の言葉を必要としている・と思うよ、俺はな。
だってそうだろ、ヒトゲノムだのミトコンドリアだの、そんな中途半端な話が誰の魂に響いてる?
すくなくとも俺にはビビッとこないぜ。わりぃけど、世の中の御エライ学者さんの御伽噺は…。
『脳内ブースカ・レヴォリューション』(?)だってそうだぜ、あんなもの読んで、誰がそれまでより健康になって、
その何十万部も売れたはずの暁に、世の中のどこかどう明るく健全になったのか?
経済も、社会も、教育現場も、ドメスティック・ヴァイオレンスも、何か変わったか? 
あの、企業買い込みランキング・ベスト2(ベストワンじゃない)の本によって、脳内モルヒネ爆裂させて…。
むしろ兇くなってねぇか?
人が人じゃないような殺人があちこちで起きてみたり、
賄賂、贈賄、詐欺、横領、隠蔽…そういう言葉がいつになったら止むんだよ、オッさん達の悪行の。
そいつらみんな、『脱楽園』とか『脳内ブースカ』読んだ人達じゃねぇの?
五木 寛之さんの『大河の一滴 』。 あれは… (おっとアブねぇ…)
あれは、…いいと思うよ。
俺は読書、キライだからマトモには読んでないけど。
今まで最後までちゃんと読んだ本はフランツ・カフカの『変身』だけ…薄いしな
『大河の一滴』は早くから持ち運びやすく文庫になってたけど、
五木さんの素直な、あの庶民への呼びかけは、
本屋で立読みしてた俺にもビビッと響くモンがあった。
現代のプロのアーティスト、その芸術家全般に想像力のクオリティが貧しくなっている時代を悲しみ、
「今はプロにモノを造る勢いがないんです」などと涙ながらに訴えるどこかの漫画家、
あの、“アニメのトップああちすと”みてぇに、
孤独なまま突っ張ってるようなゴタクは一切なく、
本当に素直な気持ちで、作家としてではなく、一人の人間として、我々に呼びかけている。
そして神様に訴えてるよ、「もうやめてください、これ以上、人間を苦しめないでください」って。
あんな正直な、真面目な、恐ろしいほど、“人間として生かして欲しい”という叫びは聞いたことがない。
だから俺は『BAD LIFE 』を書いた。この世に『 人間の設計図 』を紹介するための第一手段として。
で、その本を何件かの書店が何週間か棚に並べてくれた…くださったけど、
無論、 『大河の一滴 』の横には置かれなかったし、また、そんな扱いを受けるほど立派ではない。
むしろ、ここでこうして、密かにネット上で、続き(?)を書いているのが関の山で、
どうしたの? 今日は随分と謙虚じゃない、俺としては…
で、なんだっけ? あ、そうだ『脳内薄命』の説明ね。
   
つづきは
White Fridge ~ 『白い冷蔵庫』 へ…。 
http://ameblo.jp/badlife/entry-10002690324.html
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
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