とある台本の断片  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   title: 俺の右目が痛くなるとき 
                         2006-07-29 08:45:02
   
おそらく、俺のことを幾らかよく知っている人のうち
俺が書いているページを読んでいる者の中のある独りは
現在、以前の俺以上に頭が狂って来てしまっていると思う。
そのうちの独りは加減された精神安定剤も喰らってるかも知れない。
それは今日は まだ何も読んではいないかも知れないけど 
いずれ必ず読むことになり 
既に今こうして、このページも読んでいる。
自分で犯した大罪の愚かさに言い訳、言い逃れをしつつ 
心からの反省を日々、先延ばし先延ばしにして自分から逃げようとする。
そういう繰り返しの年月に 
ただただ独りさびしく過ごす歪んだ春夏秋冬の中で。
俺とは ちがう6年間。区別が在る。
   
俺が初版の著者を殺したわけでもないのに 
あたかも俺が呪い殺したかのように思い込み 
そういう俺の魂の中に在る(と思い込んでいるだけの)罪深いモノが 
かつて京極の鬼門に当るとされた、かつての流刑地へ 
なるべくして流された…とでも思っているのだろう。
どうせ その程度だ。
確かに一時期は
くたばれ」という思いを強く心に念じて 
朝の東京タワーの横を歩いていても 
あの麻布の坂を登りながら
「東京タワーの天辺の先が飛んでいって
心臓に突き刺さってしまえ! 
その血だらけの姿を目の当たりにしたままの形相で
永遠に狂い死ね! 
あの世へ行ってからもずっと狂ったままでいろっ!」
そう念じてやった。
   
今はもうやってない。
やっても意味がない。
初版の著者は死んでしまったからな。
それでもまだときどき
俺の右目が痛くなるとき 
いろいろと想い出すよ。鮮明に。
戦中戦後、肺の結核菌が目に入ったことで
目の奥に麻酔を打つ、
その湾曲した特殊な注射針を引き抜くとき 
不器用な看護婦が抜き方を誤り 
眼球の奥の筋肉を傷つけてしまった。
のちのちそれは
「生前の者の遺志を継いで…」
そんなふうに言い渡された者に乗り移るかのように 
継承すべき必要もない“目の奥の痛み”を受け継がせている。
その者もアーク溶接の閃光で目ん玉をやられてるからな。
時にして、知識と認識が偏っているために
本人達はそれを「邪気」と呼んでみたり
「憑依」などと解釈したり 
まだ未だに、そういう幼稚なところを ほっつき歩いてるかも知れないけど
邪気ではない。そんなものは。
本人に生かされている事実への感謝が足りないだけのこった。
だから高崎の最近の開発地域の一角で 
またもや以前のように相かわらず
馬鹿も休み休み言いながら気血害になってるようなことをやってると 
こっちの方へも少なからず、まだそのとばっちりも来るよ。
右の目の奥とその周りの筋肉から右の目尻の周辺。
そこに神経痛のような痛みがうずく。
それは完全に俺ではない。
2~3日もしないうちに自分で吹き飛ばせるけどな。
おめぇらとは関係のないところに生きることを選んだしな。
自然界より先に人の頭が壊れた見本のようになってる本人たちの
相変わらずの馬鹿さ加減から飛んでくるお知らせだ。
「ああ、またなんか、つまんねぇくだらんことでモメてんなぁ」
くらいなもんだろ。 大当たり! 
そんな連中が『天書』なんて持ってても意味ねぇだろ。
初版の著者の能力は使いこなせやしない。
『医療革命』したって何のために出版したのかも 
もう覚えてやしないだろうしな。
ハンパじゃねぇんだよ。
喰ってくためだけに治療院や健康食品卸売販売会社を
零細のまま開業してる連中とは違うんだ。
格好だけで株式会社を名乗ってても意味ねぇじゃん。
経絡の問題ひとつ、枝別れも絶対に許されない。
世間の陰で ひそひそとやってる場合ではない。
   
幸い、俺は、ババアのくだらん策略の基に
初版の著者の死に目には遭ってない。
“送る会”とやらには参列しなかったし 
(あれは“送る会”ではなく、“見殺しにした会”だったろ)
死に際のキャメルの煙草も
約束どおり、その口元で火を点すことはなかった。
「戦争から帰ってきた日に初めて吸った味」っていうアレだよ。
だから俺の中ではまだ、初版の著者は死んでない。
これがときどき厄介なこともあるんだけど 
それなりにアホな頭の回転を活かして
今はまだ何とか自分と他人の区別もつけられるし 
俺が代筆と編集の中心に携わった限りは 
たとえ不完全な物でも、俺はその位置からまだ一歩も変わってない。
これを読んでみて 
よく考えて想い出してみるなら、少しは理解できるとは思うけど
せいぜい記憶があるうちにな。想い出してみて。
己の役割の一つ一つが何であったのかを。
   
んで、今日はなんでこんなことを書いてるのかっちゅうと 
ケジメだ。
極めて正常ですよ。 他の読者の方には意味不明がいっぱいだと思うけど
昭和58年の2月11日の建国記念日に
『宣言書』という物が書かれて以来はじまった“気づかせる”という仕事。
まだつづいてるんですよ。わりぃけど。
   
俺には死ぬ前の年の10月14日の夜 
東京ステーションホテルで最期に逢った日に云ってたよ。
「一生に一冊は完全な『人間の設計図』残しておきたい」って。
んで、別の組織を立てて
俺をそこへ呼び戻すつもりもあったらしい。
ただ、「気が重なって見える」とか
「私にとっては この10年間が地獄だった」などという
ババアのくだらん欲求不満に付き合い過ぎて 
完全に肉体を破壊されちまうまでは元気だったんだけどな。
俺が1998年の3月17日に飛び出た数日後、
初版の著者が直接電話をかけてきて、こうも云ってたよ。
「…あのねぇ、オレと○○長の関係がもう全然ダメなんですよねぇ。
事務長はどうした方がいいと思う?」

「いや、今の僕には何とも云えません。 自分のことで精一杯です」
「…そう。わかった。ちゃんとゴハン食べてね」 (以下略)
   
後悔と云えばあの時だけだな。
俺がもう少し幅のある度胸の据わった人間なら
あそこで
「別に立ちあげましょう。手伝わせてください。
山形を出てきたとき以上に、すべてを捨てて一から出直しましょう!」
そんなふうに切り返すことができる腎臓機能があったなら 
今の世の中も少しはマシな状態になってたかも知れない。
それを愛情の塊みてぇな存在を みんなで見殺しにしやがって。
俺は許さないよ。(…俺も含めての戒めだけど
初版の著者は犠牲にするモノを間違えたわけでもないけど
周りの者に間違えさせられただけだ。
そんでもって、ふみ殿の爺さんよりも失敗作になっちまった。
その代償は、あの存在に関わったすべての者が
キッチリおとしまえをつけなきゃならない。
その覚悟はあるのか? 
   
俺が2,3個のトラックバック飛ばしただけで
あらゆるサイトを閉鎖 してるビビリ具合を視てる分には
その覚悟があるとは思えないぜ。
自分からは逃げられないし
魂の無駄遣いは
一般人には許されても
初版の著者には許されない。
   
目醒めろ。
まだ何も終わってねぇし、はじまってもねぇぞ。
   
   
   
   
   なお、この内容は、すべてフィクションであり、
   実在した団体や人物 とはなんら関係ありません。
   あしからず。

   
   
   
   
   
   
                                お問い合わせ http://t.co/sVFjtWsnyB 
 
 
 
 
 コメント
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  新興宗教でもないのに
    新興宗教のように
    ババアを崇めたてまつり
    小さく燻ったままの集団が鼻持ちならなかったわけ
    結局女の欲求不満の塊が
    何か小さく纏まった集団を支配したかっただけじゃん
    そんな「総主誕生を祝う会」なんて
    出席したくもなくなるだろ。当然だ
    なにが政教分離だなにが舞台が狭すぎる
    なにが三本の矢だ
    どうしてこれから生きて行こうか?」
    ではない
    この世のすべての悪いもの人類の悪を
    一つ残らず根こそぎ抱えたままクタバッてくれ
    そのほうが人類のためだし 
    ババアは それほどまで悪いことをやってしまったんだ
    まだ自覚はないだろうけどな
   
   
      禍福に門無しすべて己の招くところによる

   
   
    こっちは枝別れせず 
    どこまでも人間として生きる
   
    何を飛ばしても無駄だ
    倍にしてつき返す
   
    他の者は気にするな。
    生きるために必要な整理整頓のひとつだ …だろ
   
    じゃぁな
   
  刎ねられた首を脇に抱え歩く番人 
(2006-09-07 00:50:35)