虹がきれいだった日に [ 原文 ] | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

mind resolve : chapter 006
 
     sub title : Blinded by Distinct Rainbows ~ 「 続 ・ 謎を解く存在 」
 
 

 ある、虹がきれいだった日に、
こんなことを考えながらベランダで煙草を吸っていた。
 
 
多くの教育現場で、主に
一人ひとりの人間の評価基準を統計的なデータ、
過去の非常に狭い範囲における限られたデータと比較し、
ランク付けするという方法がある。
たとえばそのひとつ
”試験”によって成績を決め、
一定の枠組で分類された個人個人の評価を段階的に数字で示す。
その評価を更に統計的なデータへ組み込んでゆくという形がなされている。
 いわゆるマスプロ化教育に携わる者、教育者の実務・・。
そのマニュアル化は、
野菜を太陽の下で土壌栽培するのではなく、
企業がテクノロジー先端技術と称して
大都会の地下で生産するやり方に どことなく似ている。
(もっとも市販されている以外の物も含め、
ほとんどの野菜は随分前に品種改良され原型と異なる物とし
て食糧化されているが....)
 一定の教材の枠から外れられず、
様々な矛盾や行き詰りを抱えながら
一定の範囲内で育まれ、研究される戦後の日本教育。
その小さな枠の中で、
真実を捻じ曲げた歴史の丸暗記のさせ方などとは別に、
これまでの地球の歴史の中、
特に今の人類以前、”前の世の中” 
 要するに有史以前については
何一つ説いている者もいないし、説き明かした文献もない。
 ところが、世の中には、つい昨日まで、それを知っている人もいた。
 しかも、鮮しくできる世の中、[地上天仙界]について、
そこに残る三つの宗教についても........。
 しかし、現在となってはその存在はない。
 
自然に「死んだ・・」というより 
すぐそばにいた狂人(.... 心身のバランスの崩れによる過度の嫉妬)に殺されたようなものだが、
それはともかく、
人間が本来 この地球上に創られた時点での目的を失ってしまったような時代に
(昭和であれば、この昭和80年という時代)に、
何を必要としてそれを知っていたのか? 
その存在は何だったのか? 
そして一部の人間になぜ、何のためにそれを話したのか? 
 これも、いまとなっては確認しようもない。
 ただ、その世の中や宗教 (今の世界にある何事も破壊するだけの宗教思想ではない 
もっとただしい宗教)というものについて、まだ誰も、
見たことも聞いたことも触ったこともないことかも知れないが、
俺自身、生きているうちには、きっと、
これから勃ること、成ることのほとんどは理解できることに違いない。
 そんな気がする。
 

 虹がきれいだった日に、
かつて何者も体験したことのない恐怖が俟ちうける時代。
果たして、何千、何百人がこれまで通り朝を迎えられるのか........。
 それは誰もが覚悟しておく必要があると思う。
 自分の命は自分で守りぬき、何とか生き残り、
その鮮しい世界を 俺は見たい。この目で。
 だから、今まで通りにはやってられない。
 そう、必要以上の教育も、宗教も、医療も政治も、
財団財閥の金儲けも、戦争も、抗議やデモも、
すべての革命が人の成すことではなく、
自然界が大きく替わることの変化。
 大規模なリフォームなのかフォーマットなのか、
その神業ともいうべき大自然の変化は
我々人間にとって、とてつもない破壊となるのかも知れないが、
一つ一つに与えられた魂はこれ以上の勝手な氾濫を制御され、
ここで一度、整理整頓され、
本来あるべき クリアな状態に戻されなければならないように思う。
 それを阻止しようとするかのように
自然界の革命を徐々に先延ばしにしている人間の努力、
そこにある科学や教育。
環境保全、自然保護思想、エコチャリティ、ボランティア、進化論のデマカセ、
真実は時報くらいしかないようなテレビの報道をはじめとするマスコミ、
携帯電話に操られる経済、9時~5時のサラリー公務員さんが薦める犯罪防止対策、
戦争体験者の無残な老後、製薬会社とつるむ無能な医学、
ゴミ溜のようなインターネット・・・・うさん臭い者はまだまだ増え続ける。
   
 
それでも最早、今まで通りではなくなる朝は 明日か 明後日か、
   
というほどすぐそこまで....。
   
 気をつけて。
   
 虹がきれいだった日に。
   
   
 
           南 大空