目醒めよ、1%。 Wake up for God's Sake, For your sake ! | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
Wake up for God's Sake, For your sake ! 
英国、コックニー(?)の言葉、ロック界の音楽用語として
 
「目を醒ませ、おまえのために!」という意味。
by グラハム・パーカー、1970年代のインタヴュー記事より

   
   
20世紀の飽食時代の幻影のように
単に今だけ流行ってるようなインターネット上のフォーマットのひとつとして
俺も昨年7月から、こうしてWeb Log 、ブログ、Blog 、Vlog (←どっかの国ではこうも呼んでる模様
というサーバー管理システムを利用させてもらい、
無料サービスの登録者として、日頃、自分で書きたいことを並べてるわけなんだけど、
何か書いてインターネット上に公開するときは、(なるべくだけど
いつも、ここへ辿りついた初めての人が読むページ…であることを心がけている。
そういう意味でも、今日は、
http://ameblo.jp/badlife/entry-10016910481.html  September 11, 2006
  このページを書いた責任を取る! 勝手にしてくれ。)
どんなことでも、
いつ、どこで、誰が、何のために、何をどうやって、ここに至って今を生きているのか? 
スタートや原点、自分が最初に想い描いた理想や夢。
なにか行動する前の動機とか出発点、初心、出生、起源、ゼロ… 
自分の中の何かに目覚めたキッカケとか、
人間一人一人の持つ能力に、センス、バランス、タイミングが
パーフェクトに揃う瞬間を人生の中で豊富に味わう ためには
とあるミュージシャンやグループの荒削りなファースト・アルバム のようなモノが 
俺にとっても重要なテーマなわけ。常に。
んで、まずは・・・・
そういう流れ から発見 に至った、
伊丹哲也さんの公式サイトhttp://home.p02.itscom.net/fighting/T.ITAMI%20OFFICIAL.html
そこのGallery2ページ目 に散りばめられた楽曲に
晴天と武器 』 という曲がある。
その歌詞の一部に …いつも断片的な引用おゆるし下さい。)
「みな自分のことばかり話したがる、訊きたがる
 みな自分の利益ばかり夢に見て何も見ない」

というパート、歌詞の一部がある。 今の日本のインターネットを諷刺したモノではない。)
これは、おそらく、一曲前の『風の反射 』 の最後の部分
「目を閉じる。すべてが見える。
 目を開ける。何も見えない。」

にも通じていて、また『風の反射』というラフな短い曲の、
その一節一節から浮かびあがるようなイマジネーションやスピリチュアルな成分は 
その後に発表された
風の中の女ワーキングタイトルは風のようならしい。)や、
口笛のメロディ 』にある、
「君と待ち合わせの喫茶店のジューク・ボックスで~(以下略)
などの部分にもつながるようにインスパイアされ (作り、歌う人の中で…) 
その『口笛のメロディ』のサビには
「時は流れ、すべてを変えたけど~(以下略)
のフレーズがあって、それがそのまま別な曲の切り口となり、
時代は変るよ
という曲になってる。
と思う。…ファンとしては。
   
俺の妻、今の俺の奥さん、美由紀という人間は、これまで 
普段、音楽というものに興味のない生活で忙しくやってきた。
プロのコピーライター という仕事上、
かつてのJ-WAVEというラジオ局の番組広報や
アニメ雑誌では、星ヒューマの声をやってた声優さんの連載記事(インタヴューなど)
などをやってた関係から、そういう業界流れで
1990年に初来日したローリングストーンズのアリーナ・チケットを譲り受けたり 
ラジオ局のサンプルCDとして、ジュリア・フォーダムとか…そんな感じで 
その手の時期に流行り廃りの音楽を何気なく聴いていたくらいで 
いわゆる“メジャーちっく”な、企業の売り込み操作による音楽…
マドンナとかマイケル・ジャクソンとか、名前だけは知っていても、
巷の音楽の表面的な部分や“ワイドショーねた”しか分からない。
都会のジャズ・バーでどこそこのワインがブルゴーニュとか、つまみのチーズがどうとか
そういうことには詳しくても、ニューオーリンズ は知らない。
現代日本人? それはそれで、いいと思う。俺の妻だしな。
佐渡に住んでいても、俺のように
海賊盤まで買い集めてストーンズやU2のCDが500枚以上になる…というマニアも珍しい。
んで、そんな妻が、ある日、
伊丹哲也というプロのアーティストの歌と演奏を聴いて(…正確には、“聴かされて”)、
「…このねぇ、
『この声じゃないと、この詩【うた】は歌っちゃダメ』
というほどの自分のことをよく知った上での曲の作り方? …いいよねぇ。」

などと、いっぱしの音楽評論家紛いなことも云ってたりする。
いや、失礼。本人が素直に感じて、そう云ってる限りは
“ホンモノの歌”というのは、そういうもんなんだと思う。
   
して、『晴天と武器 』という曲 の歌詞には
そのほかに
「なんでも揃っているが何の役にも立ちゃしない」
「苦しみを与えなければ生きた心地がしないのか」

という部分と
「天がこんなに青く澄み切ってるのに、どうして
言葉の武器 持ち、雨 降らせるのか」

という、くだりがある。
ニューオーリンズの大型ハリケーンによる洪水被害
地球上のほんの一部分、ただ一点の場所、
新潟の一部の地域が被災した集中豪雨(一昨年)などのほか、
国境を越えた戦争、紛争、内戦による飢餓難民の増大や
テロによる破壊活動 …。あるいは、最近の先進諸外国の社会に見られるような、
兇悪な事件や非道な惨事、人災としての災害、汚職…etc. 
それらを報道で見る人も聞く…聞かされる人も 
テレビや新聞もインターネット回線も、なにもない地域で嘆き哀しみ、
陽が沈み、また朝になると太陽が昇る日もあれば、
暗く、どんより垂れ込める曇り空の日もあり、
雨あがりに虹が見える日もある。
その空の下に生息する、すべての人類の悩み苦しみに対して
「晴天」という言葉をモチーフに、
かつて、カストロ議長と大親友だったヘミングウェイも自分の著作に
武器よさらば 』という次世代へのメッセージを残したこと と同様(?)
伊丹哲也の『晴天と武器』というタイトルがある。 (そんな風に言い切っていいのかぁー!
   
映画『アバウト・シュミット 』の中で、主演のジャック・ニコルスンは
とある生命保健会社を定年退職して直ぐに
長年、傷つけあい愛し合って連れ添った奥さんに先立たれてしまうんだけど
その数日前に、定年後の自分の第二の人生に「何をしようか?」というとき、
ある日、リビングでなにげなく見ていたテレビ画面に釘づけにされる。
アフリカ難民救済事業のCMで、この孤児の親になれるのは、
「あなたしかいません!今スグお電話を!」
てなことで、素直に何の疑いもなく、乗せられてしまう。
それからしばらく、救済金を指定講座に振り込む際に必ず、
システムで割り当てられた一人の難民孤児(ンドゥグ君)
私生活の近況を素朴に綴った手紙を送る。
そして主人公は還暦も過ぎ、
その行き先にはもう、何の計画も希望もない真っ白な人生の日常が
どこまでも伸びてゆく路上のように見えても、
その映画の最期のシーンで
ウォーレン・シュミットJ・ニコルスンが封を開けた手紙には、
顔も住んでいる場所も判らない子供が描いた一枚の絵があった。
太陽のある空の下で
独りの大人と親愛なる子供が手をつなぎ、歩いている絵。
子供ならきっと、誰でも一度は描いたことのあるような、どこにでもある絵だった。
そして、そのようなハリウッド映画の感動的な結末と同じことが
伊丹哲也の『晴天と武器』という、
メジャー路線の聞き流し流行り廃り音楽産業の中では誰も知らないような曲の、
その終わりの方で歌われている。
「争いやいざこざのない晴天でありたい
となり合い、手をつなぐ晴天の空でありたい…」
と。
   
最近の日本でも流行りのブログという、ザーバーシステム・サービスの、
この同じアメーバブログ内で 
命があることの確認、原点を大切に“何か”を伝えるという意味で
バンコクに在住の、geithさん という方が書いている記事に
「ア・ビガー・バン」ツアー終了 2006年11月27日
http://ameblo.jp/geith/entry-10020595817.html
というのがあった。そこでは、
The Rolling Stones という、結成当初は5人組(正確には6人組だった)
今はオリジナルメンバーが4人の平均年齢6●歳のロックバンドのステージ活動… 
そのライヴ・コンサートの世界ツアーが、結成40数年後の今日、
U2というバンドのツアーを抜いて、音楽界史上最高の興行収入をあげたことを取り上げている。
ローリングストーンズというバンドは、リードギターのキース・リチャーズという人と
ヴォーカルのミック・ジャガーという人が、二人で一人の作詞作曲ペンネームとして
“グリマーツインズ”と名乗り、過去、700曲以上もの楽曲を世の中へ発表している。
レコーディングは、(ツインの)ギター、ベース、ドラム、ヴォーカルというシンプルな
ロックンロールの原型で構成され、その4人~5人のメンバーのほかに
キーボードやホーンセクション、バックコーラス等もあって、
各パート毎の録音やミックス・ダウンの編集の際に、幾つかのテイクが作られることもあるという。
それでもほとんどの曲が、ステージでの演奏と同様にリハーサル後に
一斉録音ということで、ローリングストーンズというバンドは必要以上に機械を使うことはない。
そういうレコーディングの仕方をやってる、“手造りのバンド”も世の中には少ない。
んまぁ、興味のある方は、CDショップで目ぼしい一枚でも聴いてみて確かめてくれ。
テレビやケータイの着メロとか、そこいらのカラオケルームで流行ってる感じの、
最近の日本の音楽産業にある歌や演奏とは、何かがちがう。
   
そういう、ローリングストーンズも今年の春、5度目の来日を果たし 
日本での最終公演は、4月2日、日曜日の夜、さいたまスーパーアリーナだった。
その同じ日の、同じような時間帯に
江古田のライヴハウス、マーキーという地下の空間では
伊丹哲也というアーティストがドラムとパーカッションのユニットで
ステージに立っていた。http://ameblo.jp/badlife/entry-10010973129.html
同じ時期、U2の日本公演の予定もあったけど、それはメンバーの都合上、
昨日11月29日と今日、30日。そして12月4日に延期になってしまった。
http://ameblo.jp/badlife/entry-10018308331.html
最近の芸能人的な歌手、CDも出してるアーティストとか、
歌うことより演じることの楽しみにも酔いしれて 
テレビドラマや映画出演の仕事で生活している、元・歌手の方とか、
うた唄いあがり”のタレント…という人も、それなりに生活にも余裕があり、そういう中では 
偉大なる足跡を持つバンドのステージを
ジョンレノン・ミュージアムという客寄せ施設も取り揃えられているらしき、
さいたまスーパーアリーナへ観に出かけられた方もおいでかも知れない。
   
俺自身は、2006年3月22日のローリングストーンズ、初日、東京ドーム公演を家族3人で観たので
4月2日のさいたまスーパーアリーナへは行かなかった。
同じ日の、同じような時間帯に
江古田のマーキーという地下のライヴハウスで、
独りの男の歌と演奏を聴いていた。
そして、2ヶ月後の2006年6月11日。
同じく、ライヴハウス・マーキーという空間では
一曲目に『晴天と武器』という曲 が演奏されていた。
「なんでも揃っているが何の役にも立ちゃしない」
「苦しみを与えなければ生きた心地がしないのか」

そういう歌詞の歌だった。
ステージに立ったご本人も、
「今までやった中では最高のLIVE!だった」
ということを、数日後に語っていた。
そういう伊丹哲也というアーティストは
かつては、ヤマハ楽器という会社系列で催された世界歌謡祭でグランプリに輝いて、
1980年11月28日、『街が泣いてた』でデューして依頼、今は
「あの人は今~」類いのテレビ番組や雑誌の取材も
丁重にお断りするというプロのアーティスト。
曲づくりの際に吸っていると思われる煙草も
「マルボロの●●●●ライトがいいんだけど…」と云いつつ、
「俺はファンに媚びたりはしない」
今は更新されてデータもない、かつてのイエローページ より。
ということで、
アンダーグラウンドにも属さないあやつり人形にもなりはしない
「俺はアマチュアではないんだ」
最近の発言より
そして、
いかなる歌も我を解放すべし!
“やってみたい”の反骨精神で生きるシンガーソングライターでありつづけ、今日に至っている。
25年の月日、時の流れ、この地球上に生きた人間の歳月を経て…。
ご自身の中から湧き出て、作る歌の録音はすべて、独りの作業。
最近はCDも出していない
年に数回の定期公演 を都会の片隅のライヴハウスで演ってる。
観客は50人ほど…らしい。
むかし(1980年頃)からの長いつきあいのファンの方もいれば、
最近になってインターネットのサイトで情報を知り、
その小さなステージのある空間へ駆けつけ、何かを確かめようとするファンもいる。
罪な男(?) なので、女性ファンも多い。
たとえば、ごく最近に作詞作曲されたらしき
風の中の女 』という曲は、俺なりに解釈しては申し訳ないけど
もうねぇ、
「どうしてこの人は、日本人なのに、こういう曲が作れてしまうのかぁっ!」
というほど、
メロディはどことなく、甲斐よしひろ先生も大好きな、ストーンズの“Love In Vain”のようで 
歌詞の内容はまるで、キース・リチャーズの、“Worst”か“Hate It When You Leave”。
それをザ・バンドかローウェル・ジョージかフリートウッドマックの演奏を髣髴とさせておきながら、
最近のヴァン・モリソンのように、しっとりと歌いあげちゃってる5分26秒。
するってえと、俺の中では、街が泣いてたままでは時代は変らない。
今の日本人のどんな作詞作曲者も、その一生をかけるなら作れるかも知れないけど 
それをいとも簡単(のように)無料で世の中に公開してしまう!
伊丹哲也という人間は、果たして何者なのか? 
かつてのボブ・ディランや、もうすぐ命日が近いジョン・レノンでないことは確かだ。
…と、こんな感じで聴き惚れてしまうわけです。俺は男だけど。
   
俺は伊丹哲也というアーティストのむかしの曲は
ファースト・アルバムの10曲のうち8曲と、その後のシングル発売され、
深夜放送(『コッキーポップ 』)で、大石さんが紹介してくれた『ダウンタウン白書』と、
ヤマハの寄せ集めベスト盤のミュージックカセットにあった『パークエリアの夜』。
そして、田舎のレンタルCD屋の処分セールで500円で買った『手の平のダイヤモンド』というCDアルバム。
それしか知らない。むかしのは。
伊丹哲也というアーティストの心が表現した“人々の心”の歌が、
世間に形ある物質(CDやレコード)などとして残した音源は、他にもある。
でも俺が持ってる(持ってた)のは、それだけしかない。物質的には。
「風のように歌いつづける」 あるいは、「今はステージこそ命…」
と云われるほどのLIVE!   も、まだ2回しか観たことがない。
しかも、2006年という、21世紀の今年になって、春と夏前だけ。
それでも、…このことは、今までどこにも書いてこなかったけど
おそらく、俺という人間ほど、伊丹哲也の“今の歌”を聴き込んでいるファンは
すくなくとも、地球上に実在する人類のうち、
今の日本の社会の、現実の世界の、佐渡という島には一人もいない。
というのは、伊丹哲也というアーティストが4~5年前に立ちあげられたらしきサイトの、
そこで紹介されているすべての楽曲を そっくりそのままカセットへ録音し、毎日、
クルマ軽トラックのシガー・ソケットに電源をつないだSONYのラジカセ中古で¥700
で聴きまくっている。
著作権法違反? そんなことはどうだっていい。 (ええっ!) 
俺が勝手にCDを作って売ってるわけではない。
   
むかしは、酒づくりの作業で『酒づくり唄 』 というのが、
どこの酒づくりの現場でも職人の間で歌われ、音楽を楽しむこととは別に
作業の確認。あるいは、“寒仕込み”という厳寒な現場で、
しばれる身体の辛さを紛らわせるための小唄だった。
そんな唄を歌っている職人も、もういない。
大手の酒造メーカーも機械化が進み、
出来あがった品質は最高級品であっても、
そこにどのように魂が込められた味と香りになってるかは知らねぇけど 
世の中には、ほんとうに手造りの酒、地酒は少ない。
新潟県内にもかつては、100件以上も栄えた蔵元も、今では70数件になり、
後継ぎのないまま放置される田んぼや畑、または年老いた漁師の糧と同じように
年々、世の中から姿を消している。
そんな中、いま俺が勤めさせてもらっている手造りの蔵元では、蔵頭の配慮で、
「新人の若者も入ってきて俺たちもまだ若いし…7人中5人は二十歳から30代前半
今はもう『酒づくり唄』は誰も歌わなくても、作業中に音楽でも流そうか…」
ということから、現場の壁際にCDラジカセを置いてくれた。
俺はよく判らないけど、ケツメイシとかクレイジーケン・バンドとかB’zとか、
そういうのが流される。
北海道出身の杜氏さんは、ツマゴイ本線会出身の中島みゆきの歌が好きらしいので、
精米所の部下に持ってこさせて、「たまにはいいだろう…」ということで
そんなものすみませんを聴いてる暇もなく毎日 忙しいのに、作業の合間にも休憩時間はある。
「お前も何か持って来い!」ということで、ローリングストーンズやU2もかける。
朝の作業の冷水(澄んだ井戸水)で研がれた600キロの酒米を 
翌朝に120度で蒸す釜へ手作業で運び移す作業中にも…。
そこに、伊丹哲也というアーティストの歌が流れることもある。
全国新酒鑑評会、新潟県内最多連続金賞受賞の蔵元の作業現場で。
   
クルマの中でも、部屋のパソコンでも、なんべんもなんべんも聴き返し、
今年、5才から6歳になった子供にも聴かせてる。 毎日の保育園の送り迎えでも
かつて、『街が泣いてた』という曲がステレオでもなんでもないAMラジオ放送から流れてきた、
あのとき(1980年代)と同様、
雨の日も風の日も、俺の生活の中の一部に、その歌の数々をつくった人の声と演奏がある。
して、俺の希望としては、
かつて、ゲイリーUSボンドという黒人歌手をカムバックさせた
ブルース・スプリングスティーンという人が
“Bone In The USA”という曲を(ステージで歌ってると、その)演奏しているどこかに
かつてのヒット作、“Bone To Run”という曲のフレーズの一節が聴こえきたりする。
とかなんとか80年代半ばに云っていた。
それも、パーフェクトに近い瞬間? 
あれ も今は、どこへ行ったのか? 
どうせやるなら、あれ以上になってほしい! 明日の哲也さんには。
決して、「今のままでいて!」「どこへも行かないでぇ~♪」の、
桃屋の瓶詰めCMのような、ノスタルジーな日本人じゃないです。
そんな強気(狂気?)のファンは、12月10日のLIVE! には仕事で行けそうにない。
北島さんのヘリコプター も貸してもらえそうにないし。)
ときどき、「俺はどうしてここまで、伊丹哲也というアーティストに執着するのだろう?」
という客観的な疑問が頭の中をよぎる。
俺の中で、伊丹哲也の歌と演奏は流行ではない。
「まだ生きてるんだ」「生きていてよかった」「これからも生きつづけてやる」
そういう命の確認でしかない。
俺は、単なるファンではない。
1%の同志だ。
   
時代は変り、前へ進む
自由解放を夢見て。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
     sunshainintheskywithhand2005