BOSS& E-Street Band in Japan 1985 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   
かつて、ブルース・スプリングスティーンが、
まだ人気が頂点に達するちょっと前の時期、
ギターとハモニカだけでカセット・テープに吹き込んだ自分の歌を
あとでなんとかしようと思ったのか、
そのまま穿いていたジーンズのケツのポケットへ突っ込んだまま、
友達と酒を呑んだり、何日もそのままにしてたらしい。
いわゆるデモ・テープだ。
ミュージシャンていう人は、そういうのをいっぱい持ってる人もいると思う。
で、B・スプリングスティーンの場合、
それを誰かに聴かせたのか、自分で編集し直したのか、
ほとんどそのままの状態で一枚のアルバムとして発表した。
それが『ネブラスカ』だった。
 
 

 Bruce Springsteen
 
Nebraska  (1982)
 
それまで、シャッフルだのブギだの、ガチャガチャとロックを演ってて、
次にそれを期待した日本のファンの連中は、
自分の小遣いで そのLPレコードを買って、まず、A面に針を落とす。
「?」
で、次は、ひっくり返して B面
でも、どっからどこを回してみても、ドラムの音もなければエレキのうねりもない。
アコースティック・ギターとハーモニカと声だけだ。
「こりゃ、なんだ?」ってことで、
世の中の流行は、プログレッシブからへヴィ・メタルへ走ってしまった。
イーグルスが解散して10年くらいの時期だった。
そういう、”洋楽”の混沌とした時代があった。
そりゃそうだ。その当時の日本の若者に、
「古き良き時代のアメリカ」だとか
「苦悩するアメリカ社会の現状」なんて、どうでもよかった。
そんな歌を好んで聴くよりも、ほとんどの連中が、
インベーダーゲームの点を競い合ってた飽食の時代だ。
   
で、今その若者が成人して、結婚して、子供がいる人も・いない人もいる。
その子供達には、まだ飽食の時代を味合わせようと
必死になって働いてる親もいる。
俺たちの世代だ。今の、30代、40代。
これが本当に、今の こんなになっちまった日本を建て直しできる世代なのか?
俺には いっぱい疑問がある。
年間、数万人もの自殺者。
これからもどんどん増える。
親も学校も、もう何も教えようがないほど、子供の頭は利口になってる。
それでもまだ勉強させて
学力をあげようと考える親、教師、教育委員会、文部科学省、政府。
一体、どんな国がつくりてぇんだよ。
 
  
   
   
     記事 http://ameblo.jp/badlife/entry-10004742231.html  より
 

   モトハルの SOMEDAY は どこか Hungry Heart に似ている…。
 Bruce Springsteen
 
The River (1980)
 
 

人間の設計図 』著者は
「人は昔から“心身症”、今も世の中の人間は すべてが心身症である」
と云っていたことがある。
誰も簡単に、“気力障害”ではない。
自分の肉体という容器に容れられている心が満たされず、餓えたまま。
あるいは解放されず、開放されないままの状態で日々を生き凌いでいる。
身も心も救われず、自分を騙しつづけたまま、
「気づいた時にはもう遅かった」と…。
そんな孤独な人間ばかりを育て上げた教育は、
今日もまだ、子供達を学校の机に縛り付けている。
社会に堂々と生きられるように教育されたはずの大人もまだ、
使い物にならなくなった常識やしがらみの中でもがき苦しんでいる。
俺はそれを「仕方ないだろ」では終らないし、終らせない。
”生きる”ってことは常に真剣勝負なんだぜ。
笑ってられねぇだろ、宗教の教祖みてぇに。
啼いてらんねぇだろ、戦争で負けた日本人みてぇに。いつまでも。
 
  
     記事 http://ameblo.jp/badlife/entry-10002872663.html より
 
 
 
 

   追記 11月15日(火) 15時15分
 
  
   
世界のパンクムーブメントは、ロンドンとニューヨークという音楽都市を拠点に、
イギリスでは、パブ・ロック系のアーティストが酒場からステージへ上がり、
アメリカでは、サイケデリックの末裔のようなアーティストが自分自分の個性を
歌にパフォーマンスに表現していた。
そんなさなか、70年代のアメリカン・ロックの熱狂を忘れさせまいというほどの
スプリングスティーンのアルバム 『The River 』は、
1980年、LP2枚組みの大作でリリースされた。
そのラストを飾る”雨のハイウェイ”。    Wreck On The Highway        Real Player OPEN 
   
どこか、イーグルスの“Sad Cafe ”を彷彿とさせる その曲は、
のちに発表される『NEBRASKA 』の予告編のようなモノだったのかも知れない。
    
90年代、日本のニュース番組としてはライバル同士だった、
六本木 テレビ朝日のニュース・ステーションと
赤坂 TBSのニュース・ツー・スリー。
それらの、「今風(イマフウ)」を飾ろうとする報道番組が花開く前の80年代。
久米さんは、『ザ・ベストテン』と『ぴったしカンカン』で高主張率を記録し、
流行の芸人や音楽アーティストと交流を深めた。
反対に、筑紫さんは、あまり顔も知られることなく、ラジオ番組や雑誌の中で、
70年代に活躍したフォーク・アーティストや著名人と対談を重ね、
各新聞紙面の中でも独自な観点から現代日本の姿、在り方を辻説法のように語っていた。
(…お二人には敬意を表して、あしからず。)
そんな対照的(?)な二人のうち、筑紫さんは、あるFMラジオ番組で、
こんなことを言っていた。
「私はエルヴィス・プレスリーと同じ歳で、世界のロック史上、
50年代を代表する音楽アーティストといえば、まず彼が頭に浮かぶ。
そして、60年代といえばビートルズ。
でも、70年代を代表する、ロックのアーティスト、グループというものは、
数々の素晴らしいミュージシャンが誕生した年代かも知れないが、
どこか散漫としていて、はっきりと 『これだ』 という人が見当たらない。
ただ、70年代を代表する歌としては、EAGLES の“ホテル・カリフォルニア”だと思う」
    
「こんなコメントをよくも覚えてる人がいるもんだ…モノ好きなヤツ。」
と誰かに言われそうだけど、そういうことを云って、筑紫さんは、番組の最後に その曲を流す前に、
歌詞の一部を引用していた。
60年代のアメリカの歴史。…ヴェトナム戦争や当時の黒人差別撤廃、公民権運動、
ケネディ兄弟暗殺など、そういった暗い影の部分の

清算をしなければならなかったアメリカの70年代。
その“締めくくりの10年”を象徴するかのように
「もう ここには、1969年の酒は置いてないのよ」 そう 酒場の女に云われた
とかいう歌詞の曲。
これが、筑紫さんのいうところの Hotel California                 
だった。
    
で、俺は、EAGLES の

                     Sad Cafe ”                 
    
あの歌の中には、「アメリカン・ドリーム」と云われた70年代。
そのうちの、アメリカン・ロックの姿がコンパクトに凝縮された名曲…と思う。
「俺たちはもう、リンダ・ロンシュタッドのバックバンドじゃないんだ!」
と、スタートしてから解散するまでの、グレン・フライ と ドン・ヘンリーという二人のアメリカ人。
その、ソング ライティング・ワークは、
イギリスのグリマー・ツインズ(The Rolling Stones の二人)に引けをとらない、
数々の名曲、ヒット曲、名演を生み出した。
そのすぐ横では、ドアーズのジム・モリスンやジャニス・ジョプリン、ジミヘンドリックス等の“死”があり、
そういう70年代のアメリカン・ロックは、“悲しみのカフェ”で、一旦は幕を閉じた。
ところが、

「俺たちは、今もノッテルぜ!」と云わんばかりに、
ブルース・スプリングスティーンをはじめ、
「見ていてくれよディランの兄貴!」と云ったかどうだかも知れぬが、
トム・ぺティ&ハート・ブレイカーズも70年代を引き摺ることなく、80年代を走りぬいた。
   
で、ジョンクーガー・メレンキャンプとかザ・バンドの人達とか、他にも色々いるんだけど、
70年代の回顧録みてぇな話は終わりにして、
そういう延長線上というか、アメリカン・ロックの基本路線に生き残りを賭けた一人が、
ブルース・スプリングスティーンだった…と俺は思う。
   
 
Bruce Springsteen
Born in the U.S.A.

   
1985年の春、俺は独りで代々木のオリンピック・プールに
BOSSE-Street Band 長時間生演奏(全員 最初から最後まで4時間 総立ちのライヴだった)
を観に行った。
同時期に、“トラ目パンツ(豹柄のステージ衣装)を流行らせたロッド・スチュワートも来日してて
原宿のダフ屋のオジサンも両手のチケットの区別にあたふたしてた。

(次の週は、京都 大好き人間、ブライアン・アダムスだったか?)
   
今なんて、豹柄パンツとか穿いてるのは、
SEIYUとかのバーゲンセールに原チャリで駆けつける巷のオバサンぐれぇなもんで、
当時のロッド・スチュワートや沢田研二さんの華やかさなんて、みんな忘れちまってる。
んで、対照的に、ジーンズに白のTシャツという労働者階級っぽいイデタチの、
ブルース・スプリングスティーン。
    
ファンのうち、若者はみんな、“俊ちゃんの赤いウインドウ・ブレーカー

を箪笥にしまって、町へ繰り出した。
(…もともとは、『理由なき反抗 』のジェームス・ディーンが元祖、赤のスウィング・トップ
どの人もどの人も、サッパリ綺麗に洗濯された”リーヴァイス”のブルー・ジーンズ・メモリー
ちょっとヒネクレても”Lee”か、ワンランク下げて”EDWIN”(当時はまだ 今ほど主流ではなかった)。
BIG JOHN”のスリムにワッペン べたべた貼り付けて歩いてたのは俺だけだった。
(・・・小学生は、”BOB損”のオーヴァー・オール・・・あばれハッチャク君とか)
そんで、「ファッションと音楽」ってのが非常に密接な関わりにあった80年代。
ちょっと何かが流行れば右へ左へ、
(俺以外の)若い連中に、もはや個性というものは ほとんどなかったと思う。…今よりもなかった。
そういう、
非常に危険な時期が、5~6年、…8年くらいは続いてた…と思う。
原宿の竹下族ぐらいだな。個性的だった人たちは。
   
で、キース・リャーズという人 はローリング・ストーンズ結成前のハイスクール時代から、
時代に逆境して(?)黒のスリム・リーヴァイスを穿いていたらしい。
それを今でも貫き通してる。(たぶん。)
そんな キース・リチャーズは、1988年のインタヴュー記事の中で
ブルース・スプリングスティーンについて、こんなことを云ってた。

   
             前文は省略。(すんまへん
    
聞き手 「さっき、ブルース・スプリングスティーンの話が出ましたが、
      彼の音楽については?
 KR  「ブルース? うーん。こいつは難しい質問だな。人間としては好きだよ。けど音楽は……。
     わからないな。俺が人に厳しすぎるのかもしれない。それで、ひどいこと言っちまうんだろう。
     ブルースは、ひとことで言うと、嘘くさい」
聞き手 「どういった部分が?」
 KR  「奴の心意気は買うよ。あいつがやりたがってることもわかる。
     ただ、その手順を途中で間違えてしまったんだな。
     まぁ あくまでも俺の意見として聞いてくれよ。どうせさんざん恨まれてるんだから。
     ブルースねぇ。 作為的すぎるな。やりすぎなんだよ」
 (1988年 RS誌、ロング・インタヴューより引用 / インタヴュアー:アンソニー・ディカーティス氏)
   

   
そうは云いつつ、キース・リチャーズ 44歳(当時)は、
自分のソロワーク、初のアルバム・リリースとなった、
Talk Is Cheap 』のレコーディング・セッションの際、
我らが(?)エクシペンシヴ・ワイノーズの強力なサポート・メンバー
スプリングスティーンのワイフ(になる前の)、パティ・シャルファを
自分のバックコーラスとして、その歴史的なセッションに華を添えている。
にくめない。
   
で、あの頃(1985年当時)のブルース・スプリングスティーンは

今はいない。
どこへ行ってしまったのか?
アルバム『Born in the U.S.A. 』の売れ行き好調!
ノリにのってたスプリングスティーンは、当時、やはり RS誌のインタヴューで…
  
「すごく充実してる。一日に6マイルのジョギングをして本を読みふけったりしてる。
いま読んでるのはオコナーの小説だ。彼女の…中略。
ステージでみんなで一緒にプレイしてる時、たとえば
Born In The U.S.A.                               
を観客の前で演ってると、その途中、
頭の中に、Born To Run ”                                  
の一節が聞こえて来たりする…」
   
などと云ってた。  fm fan 』ていう音楽雑誌 に載ってた。
   
俺は、二枚あったチケットをダフ屋に払い戻してもらって
代々木のオリンピック・プールの2階B席で、
ヤンマとアゲハとマメゾウのような大きさにしか見えない
E street BAND の 馬鹿デカイ音に圧倒されてた。
スグ前の席で、白いTシャツにブルージーンズ、リーゼントをキメタ
背の高いカッコイイお兄さんが、
クラレンス・クレモンズがサックスを吹き鳴らした途端、
「スゲェなっ」と興奮しながら、
持ち込んだ バドワイザー500ml缶 を脇から取り出し、
プシュ~ッ と 吹かせた泡を周囲に飛び散らせてた。
同行していた彼女らしき、品のイイ女性が、 360度 右へ回転しながら みんなに謝ってた。
演奏中に。
 
 

あの頃のブルース・スプリングスティーンは今はいない。
どこへ行ってしまったのか? 

   
         I'm On Fire                       
   
ハードコア・パンクも ネオ・サイケも、
ネオ・アコも ヒップも トランスも、日本人のラップも、
今の俺にとっては…なんの温もりも奥行き深さも感じられないゲーム・ミュージックみてぇなもんだ。
それはそれでいいのか?
今まだ第二次大戦のウザムザを引き摺ってるような格好で
のらりくらりと 日々 生き凌ぐ この国において。
   

   

本日、ブッシュ大統領が来日。
アメリカから大阪空港へ到着した。
   
・・・・・まだつづく “清算の時代”。
   

   
   
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   追記 2. 11月16日(水) 20時30分 
   
   
とことが、今日のこの時間になって、例の Last.fm を聴いていると、
こんな曲が流れてきた。
   
     Man At The Top ”                 
   
いいじゃねぇか。ラフで、タイトで。
「スプリングスティーンが まだ歌ってくれてた」って
ちょっとだけ感激できた。
   
   
で、話は全然ちがうけど、
伊丹哲也さんのサイトが更新されてた。
昨日の前、11月14日の日付で。
前日のLIVEの感想を 哲也さん自身で語ってます。
http://home.p02.itscom.net/fighting/  
   
で、同じく、13日のLIVEのバンドメンバー、assimilate さんのページ。
http://blog.livedoor.jp/assimilate/archives/50213585.html  
この二つを合わせて読んでみると、
それがどんなに素晴らしいモノだったかが伝わってくる。
   
生きてるうちに一度は観てみたい、哲也さんの生演奏。
来年春まで、”酒づくりの仕事の手伝い”、抜けられそうにないので、
それまでは ちょっと無理そうだけど、
4月からはまた、一応、OFFシーズンなので、
機会あれば是非。 …会場の片隅で