JUMP 81  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
   
   
   
   
   
   
   
        怒られるかな。
 
  
   
   
   
   
   
   
   
   
          ジャン
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
        jump81ti  
   
   
なんか、いきなり こんな画像を出して、
もしも今の哲也さんが見てしまったら
ビックリさせてしまうかも知れないけど (ちょっとだけ
俺は、例のカセットのケース に、この“雑誌記事”を折りたたんで入れてある。
   
デヴュー当時の“伊丹哲也”の記事。切り抜き。
 
  
「切り抜き」って云っても、コレ 1ページだけなんだけど、
Jump Up81』とかいうタイトルで、
白黒ページの裏が “オーディオの広告”なので、
確か『FM-fan』という音楽情報誌(FM番組表の雑誌)の連載ページだった。
十代の学生だった俺は『週刊FM』の方を毎週買ってたんだけど、
本屋で立ち読みして、このページ を欲しいがために
当時、サイフの中の わずかな小遣いを みみっちく計算しながら
2冊のその週刊誌を買った記憶がある。
…どうでもいいけどな。
   
で、この記事の内容。
画像では見にくいと思うんだけど、    (ぜんぜん わかんねぇーよ
紹介していいものなのか どうなのか? 
既に廃刊となっている雑誌なので著作権の云々は
今更(24年近くも経って)ないと思うけど。
この内容の公開には、哲也さん本人の許可…が必要なような…
とにかく、初々しい内容で、
ご本人には恥ずかしいか?…な、って感じで、
…もしも俺だったら、少し恥ずかしい・かも知れない
とりあえず、その記事中の右下に見える、
プロフィールのとこだけ紹介。今回は。(…残酷) ??? 
   
   
   
   ■伊丹哲也プロフィール
   昭和33年 5月25日生まれ。
   近畿大学理工学部中退。
   55年、世界歌謡祭で 「街が泣いてた」でグランプリ。
   11月28日、キャニオンから同曲でデビュー。
   56年5月にアルバム、夏にはファースト・コンサートも
   予定されている。

   
   
   
誰が書いたのか?
記事を書いた本人さえ判らないかも知れない(たぶん)。
撮影・中川文雄」となっているので、その中川さんという人が
インタヴュー取材スタイルで記事にしてくれたのかも知れない。
ところどころに、当時の哲也さんの発言がある。
自分で心の整理をするために
高校一年の時から日記を付けてる話とか、
その頃から書き溜めた詩が170あるとか、作詞・作曲についてとか。
   
難しいことは何も云ってない。
むしろ、当時の文学青年の俺(?)にとっては、
カモネギ・バンドを経て、サイド・バイ・サイドの三人組で
ポプコンのツマゴイ本線会まで昇りつめて
「自分で書いたモノを歌にして、それが大勢の人に認められて…」
という部分に“憧れ”があった。
   
世間からしてみれば、中流の下。自分の家が多少なりと貧乏でも、
そういう自分の可能性というものを頭の中で漠然と思い浮かべながら、
この雑誌のページを丁寧に、¥200した本から裂いて、
あのFM番組をエアチェックしたカセット に忍ばせ
(哲也さんの、ハイライト吸ってケムリ吐いてる写真が見えるように)
毎日それを聴いてた。
で、今、この記事を片手に、
哲也さんのサイトGALLERY のページにある
   
     今、胸に咲く戦友(とも)  
   
を聴いている。
・・・・泣ける。
と云っても、涙は出ない。
この気持ちは、女性には判らないかも知れない。(失礼) 
単に「男の友情」とか、そういうもんじゃなくって、なんというか…。
   
「俺は最後まで自分と勝負するぜ!」
って、覚悟というか、
そういうケジメ。決意。
そういうのは、本来、女性にはない・かも知れない。
女の人というのは常に“受身”で、
守られることで守ることを実践して生きてる強い生き物だから。
と思う。田島先生、黙っててね
 
   
それよりも弱い男は、
本来は、生きることに逞しくなくちゃならない…とも思う。
常に攻撃の本能を持って。
だから、
目の前にどんなに困難な”不安”が立ちはだかっていても、
ここで 決めて、立ちあがって、立ち向かってゆく。
何度 挫けようとも…
というような・・・・・・・・ごめんなさい。
   
俺のようなヤツの言葉表現では、哲也さんの歌が安っぽくなっちまいそうだ。
でも、そういうことなんですよ。
俺の中にも、この23(24?)年間には、色々な物語があって。
それを素直に、ストレートに、歌に表してくれているのが
今の哲也さんだ。
   
10月に、このコーナーを設けてから甦った、もう一人のファン。(あと二人いる
takiyoさんのページのコメント欄 にも書いたけど、
今回、11月13日の哲也さんの LIVE には、
仕事の都合上、どうしても行けなかった俺。
…“カムバックさせる会”の一員(?)として失格だな。
 
   
そんな会があるかよ」 
   
このような葛藤はある。
でも、
後悔や残念という気持ちはない。不思議と。
なぜなら、
あの、伊丹哲也が、今も同じ時代に生きている。
この空の下で。
それだけで今の俺は、胸がいっぱいになってしまう。
   
そこには、俺自身の中で、
哲也さんとのある約束がある。男同士の。(また勝手だけど
 
   
「俺は 今もこうして死なずに生きてる…生きてますよ。
哲也さんも元気でいてください」
   
って、そういう…、それだけの約束なんだけど。
「別に、“約束”でも何でもないじゃん!」
そんなふうに聞こえる人もいるかも知れない。
でも約束なの。
クリスタル・キングとか色々と寄せ集められた
キャニオン・レコード・ベストの、ミュージック・カセット(1985年頃、手に入れた)
その中の一曲に、
パークエリアの夜 を見つけて、
それを初めて聴いて以来、
この約束はずっと変わってない。
誰も信じないし、意味が通じない人ばかりだと思う。…今は まだな
 
   
この意味は、たぶん、
今の哲也さんには判ってもらえる・かも知れない
 
   
いま現実に、そういう大変な勝負の中に生きてるんだ。
 
  
 
  
       俺だけじゃないんだけどな。ほんとうは。

   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
        jump81ti003  
   
   
   
   
   
       
伊丹哲也 OFFICIAL WEB SITE
   
   

       http://home.p02.itscom.net/fighting/
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   関連先 
 
Oh! What blues feeling ? February 11, 2007  
http://ameblo.jp/badlife/entry-10025507918.html
 
緊急特別企画 バンソウコウ男の、伊丹哲也・直撃インタヴュー!(fake) October 02, 2006  
http://ameblo.jp/badlife/entry-10017767391.html
 
ある闘いの終わり。そして、はじまり May 18, 2007  
http://ameblo.jp/badlife/entry-10033883007.html
 
ある闘いの終わり。そして、次なる扉。 May 25, 2008  
http://ameblo.jp/badlife/entry-10099851842.html
 
SUN KING ~ from 太陽の子供  2008’jan,1st ~ feb,10th  
http://ameblo.jp/badlife/entry-10092574071.html
 
馬は死んでも馬で馬鹿は死んでも馬鹿なのさ。おまえも悟れ! 2008年 5月25日(日)21時  
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イエローページで復活! Tetsuya Itami のオールナイトNIPPON! June 14, 2008  
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1980年12月8日火曜日、ニッポン放送のブースいたというDJ 風太郎さん 2008年 6月14日0時21分  
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004556706.html#c10141514545
 
 
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