Oh! What blues feeling ?  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
   
というように
なんでもかんでも一緒腐にしてしまっては読む人もタイヘンだよね。
あ~あ、俺は こんなことしか書けない野郎になったまま老いぼれちまうのか? 
それでも俺は今後も、とことん気の済むまで
自分の思うように書かせてもらうかも知れないし 
あるいは、もう何も書かない…それは、ないな。
書き方に手本なんてのはないんだ。
どんな文章であろうと、どっかで何かが伝わりゃぁいいんだし 
その伝わる内容も、それぞれに受け止め方がちがう。
その中で、あの歌 にもあるように、
「♪価値観とか常識なんて何の役にも立ちはしないだろ。だって時代は変わっているんだから。
という個人の自立、自分が今ここに生きていることへの実感。
今後も、誰かが自分が自分でやってきた人生においての責任・責務・義務・宿命…
職責を踏み違えた遠回りのような魂への無駄遣い、その命の代償を払うべきときが
必ず、一人一人の人間の生きてる空間と時間に訪れる。必ず。
そして今、
女とトンガリブーツ
というブルースを聴いて、素直な感想としては… 
「どうして今になっても、こんなふうに若者の気持ちを率直に歌に現せてしまうのでしょうか?」
というねぇ、…あのぉ~、
単に若い世代の人たちが、たとえば 
♪ ナぁイフみたいに尖っては、触るモノみな、傷つけた 
というような血気盛んな青春ソングを歌って、それがヒットした世間の音楽業界とは別に 
♪ オレはポツンと部屋にいる、苛立ちが鼻歌を誘う…、oh oh イエぇ 
というような、ルー・リードを気取ったわけでもない、かつての反骨精神とは別に 
女とトンガリブーツ
という曲は、その昔、夜明けの刑事の鈴木ヒロミツ率いるモップスやBORO、はたまた、
♪ 爪先たてて海へ / 焦らずに知り合いたいね / 手に入れたい君なの 
の、南さんにも確立されずに今日に至ってしまった日本人のブルース・フィーリングが 
ものの見事に4分50秒に収められてしまっている。
ある日、作っては売れ、作っては売れ、
次に出す新作も世間の注目をはぐらかすまでもなく 
必死になって洋楽ヒットのフレーズやメロディの一部をパクった作詞作曲家も 
自分で作った数々のレパートリーの歌詞を間違えることのないように
大勢のファンが見ているステージの自分の足元に
歌詞のテロップが流れるVTRモニターを置いて
まるでカラオケのように歌う歌手の人も 
どんなときも僕が僕らしくあるために麻薬に手を染めたシンガーソング・タイプライターも 
自分が歌い始めてから今日までの代償も大小さまざま…。
ひとつの時代の節目、自分が確かに生きたはずの現実と、その回顧を懐古するまでもなく 
他人のヒット歌謡をピックアップしたコンピュレーションCDづくりを楽しんで 
テレビの中の椅子に腰掛けて宣伝することが、その代償でもなく 
自分のヒットナンバーをセルフカヴァーのCDとして
それを懐かしむ団塊オヤジに共感を得ようとする業界の手先になることが何かの清算でもなく 
甲斐先生や和田さんとか寺尾さんのことではありません。 
ブルースなんでしょ、ハート&ソウルなんでしょ、
手の平を太陽に透かしてみれば、真っ赤な血が流れて迸る日本人なんでしょ。
よ~し、今日こそはハッキリと云わせてもらうぜ! 
日本人のミュージシャン(歌手)で、自分が遣り残したことを遣り残さずに
今日も自分は自分として懸命に歌いつづけているのは、
松山千春の作った『自由』という歌を歌う布施さんと
森さんと北島さん。そして、矢沢さん。長山洋子ちゃん
あとはいねぇぞ! どうだっ! 

もうこの時代は、御登りじゃ おせーの。ポーズやカメラのピン惚けじゃねぇの。
本来の音楽の持つ素晴らしさからピントがズレた流行り廃りの聞き流しや弾き流しではねぇの。 
 
http://ameblo.jp/badlife/entry-10024589175.html
  このページで並べまくった時代のつなぎあわせ…を踏まえて  
多くの日本人ミュージシャンと80年代のオーストラリアでサクセスに賭けた青春には
一体、何が欠けていたのか? 
いうまでもなく、Blues With A Feeling 。
たとえば、ミック・ジャガーは1992年5月、既に
とてつもないブルース・セッションを行い、自身の磨きあげてきた、
ブラック・ミュージックへの信仰心を確認して現在に至る。
そして、U2のボノというヴォーカリストは
http://hiderocks.cocolog-nifty.com/blog/2006/11/__f266.html
  こちらのページを読んでいただいてもお判り戴けるとおり、
かつて、ロックンロールとリズム&ブルースを融合させた The Rolling Stones を見習うまでもなく 
この二十数年間に、わずかに4人だけで
あらゆる音楽ジャンルに精通する楽曲の数々を編み出す中に 
Stuck In a Moment You Can't Get Out Off  
やはり、人間の肉体、全身の筋肉に流れる血潮が、
ブルースであり、魂のエネルギーであり、LIVEであり、自由と解放に向かう愛! 
そのセンス、バランス、タイミングは、誰にもマネできない粋にまで達している。
しかも未だに、人食いアメーバが増殖してゆくかのように
世界中の若者のエネルギーを吸収して大きく成長しつづけている。
ありゃぁ、化けモンだな。ポケットの財布を失くしたドザ衛門や惚けっとモンスターではない。
俺の伯父さんが番組プロデューサーをやってる日本のミュージックシーンを支える金曜の夜
U2は今や世界のナンバーワン・バンド!
などという誤報を晒されてしまうことも判らなくもない。
んまぁ確かに、ヴォーカルの方が以前はドラッグ体験を試みていたと噂された時期もあったりして
昨年の4月公演延期から年末の来日までに
「どうした? そのウェイトは? リバウンドか?」
という部分も気にはなるけど、ご本人は横に控えるギタリストを
「禅を心得た僧侶のようだ」と云っていたように
世界は広く、人生はあまりにも短すぎて
人間は決して自分だけ、たった独りでは生きてゆけないことも
支えあい生きる彼ら4人は、じゅうぶんに理解しているに違いない。 
   
あり? ここはU2のコーナー じゃないよな。
ごめんなさい。
   
巻いてください。巻いてください。
これを今こうして書いてる時間にも
とあるサイトの「しばらく黙ろうと思っていたが毎日のように更新している
というコーナー
の更新が、どんどん先へ進んでますが…
それはそれで喋りたいときは我慢せずに、こころ向くまま風を感じてもらってと。
ええっとぉ、このページはですねぇ、大部分が2月4日以前に書いてたモノを
今日という日が なるべく色あせないうちにと書き直してるわけですが…
 
かつて、1980年代後半から90年代にかけて
一部のメディアの中で“選曲家”という職業があった。
まぁ世の中には、カラー・コーディネーターとか似非カウンセラーとか
色イロな職種・商売が編み出される今も昔も、
そんな就職先が「どこにある?」てな具合で
巷のDJやスクラッチ・モドキな若者とは別に
とくにラジオや有線放送の枠組みの中で
今その空間の、そのシチュエーションに、いかにスムーズに
タイミングとバランスとセンスよく、BGMや
幾つかのストーリーを反映するような音楽を選曲してながせるか? 
という、…なにを云ってんのか判らんかもしれないけど
そういう資格? “選曲家”? 
街に流れる音楽コーディネーター? みてぇな仕事があったの。飽食の時代の日本に。
んで、たとえば、
ストーンズの“Start Me Up ! ”のあとに、ジェネシスの“That's All ”をかけると、
それぞれの原曲にあるがままのフェードアウトと曲の出だしが
実にしっくりと安定していて、聴いていて違和感なく心地よい…
そういう、センス、バランス、タイミングがあって
んまぁ、Amwayの集会で、どこぞの方が、エリッククラプトンの
“Forever Man ”に乗せて講演ステージへご登場するってのもいいんだけどさ。
そういう意味で(?)あくまでも何かのBGMという感覚とは別に
「この曲のあとに、これが聴きたい!」
っていう、リスナーによる選曲の自由と解放があるわけ。巷には。
んで、たとえばだなぁ、
ホリーズの“He Ain't No Heavy; He's My Brother ”のあとに
とあるアーティストの“線香花火 ”をという曲を聴いて、次に
Tom Waits の “Downtown Train ”を聴くとだなぁ、
これがまぁ実にしっくりとしてて、ぜんぜん違和感がないわけ。
ロッドスチュワートやパティ・スマイスのヴァージョンじゃダメだよ。)
なんかねぇ、終わりなき旅の人生にも、常に再出発や再生とか、
魂の巡りあわせの蘇りが充実して在る感じでしょ? (誰に同意を求めてる?)
そんな日本人の曲がほかにあるか? てなほど、
夕陽が沈んでも明日が来ることが約束される。
   
という感じで、Blues With A Feeling がバッチリ決ってる、
女とトンガリブーツ 』。
この曲を聴く前に、フリートウッドマックの“need your love so bad ”でもいいけど
Doorsの “Touch Me ”を聴いてみてよ。
もぉたまんないよ。Oh! Darling!
マッカートニーもフィル・スペクターも Don't Let Me Down じゃねぇかよ! 
しかもだなぁ、『女とトンガリブーツ 』のあとに、
またもやこの曲、
Stuck In a Moment You Can't Get Out Off ” 
なんかねぇ、死んだ人も死んでないよ!  
生きてるじゃねぇかよ! 
あらゆるアーティストが遣り残したことも 
今後これから彼らが支払い、清算するべく迫り来るモノの数々も 
ここでいっきにケジメがつけられるほど 
生きてるじゃねぇかよ! 光り転がる石じゃねぇかよ!
いかなる歌も我を解放すべし!  
やっぱり武道館じゃ狭すぎるよな。舞台が。
…ああ、こんな聴き方をしてるファンを どうかお許しください。)
   
…だよなぁ。どんな日本人なんだろうねぇ? 
女とトンガリブーツ 』を作って歌ってる人 は? 
そして、
この曲を今になって作って唄いこみ、歌いあげる覚悟には
おそらく、あの代償 について、ひとつ…。
俺は今、そういうことを明確なまでに自分の行き先にも見ている。
   
かつて業界の片隅で何かと何か、誰と誰かが比較されたり、賛否両論があったこととは別に
『風を感じて』というタイトルで、俺としては、俺なりに予定もあって
楽曲紹介…“ライナーノーツ ”を、
「左回りに順々に…」とも思ってたんだけど
それも、自分の考えた通りに頑なに守る必要もない。今まで通りではない。
たとえ死んでも死に切れずに、また明日から生きてゆく必要に迫られても
東京フェニックスは燃えつづける
今までと変わらず、最初に自分が決めた通りに投げ出さない限りは
その途中で、どこでどう羅針盤や地図を見失ったのか(?)も見えてくる。
世間や他人が用意して敷いたレールには乗っけられない。
とことん、やりたいように好きなことをやるだけですよ。
凹まず。あきらめず。しぼまず。投げ出さず に。俺も。
   
してだなぁ、
いろいろいろいろ書いてしまって読む人には申し訳ないんですけど
女とトンガリブーツ 』という曲は、
   
   06.11.26
   HELLO 1%。元気かい? 
   ただ今、AM1:30を少し回ったところだ。
   スタジオから帰ってきた。
   今日は一週間前に書き下ろした『女とトンガリブーツ』という曲をレコーディングした。
   3時間で少し違う4テイクがある。
   これからはこんな風に出来たら一人弾き語りでクリック相手に
   スタジオで音をとってゆくことにした。
   ホームページにUPするつもりはない。自宅録音じゃないんでね。

   
という作詞作曲者の意向があったにもかかわらず、
現在は、このように完成度の高いブルースの一曲を含め10曲が
シンガーソング・ファイターの新曲として
http://home.p02.itscom.net/fighting/T.ITAMI%20OFFICIAL.html
  こちらのサイトのGALLERY2 の次のページで紹介されてる。
全曲フルトラックで。
どうしてそうなったのか? についてはいろいろと理由はあるようなんですが
それを今ここでファンの俺が説明するのも、なんだかヘンなんで
まぁ、「いろいろあったの 」ということで。
んで今日は、1981年の週刊プレイボーイの切り抜き記事 
   
   男の肖像 ホットにラブソングを唄いこむ 
   
に対抗(?)して、
   JUMP 81 November 17, 2005  http://ameblo.jp/badlife/entry-10006211162.html
一年以上前に書かせてもらった、 このページのつづき…の巻。
   
同じく、1981年の『fm fan』という週刊誌の切り抜きで
今でも黄ばんだ切抜き記事を大事に持ってる俺なんだけど… 
   
    jump81ti
   
このたった一ページの中には、何が書かれているのか? 
そんな雑誌は今はもう世の中にはないし、
書いた人も忘れてどっかへ行って、どっかで生きてる。たぶん
でも、取材された人と、それを読んだファンは覚えている。と思う。)
以下、名前はすべて「彼」に置き換えて記事を引用。
雑誌編集の写真掲載のサイズと文字数に制限もあったのか? 
たったの一ページで一人の人間を紹介するには無理もあったかも知れないし、
一応は音楽雑誌でも、FM番組表がメインで他にも競合してた雑誌業者も幾つかあった時代、
“その人の今”を判りやすく紹介し、伝えるためには
記事を書いた方にも編集する人にも、それなりに苦労はあったと思う。
(ご注意: この内容は、“26年前の彼”であり、現在の人ではありません。)
   
   
       Junp Up’ 81 
      街を歩くことから作品が生まれる 
   
    「街」 ---- 彼のリズムは街にはじまる。
   1人でいることよりも、人混みの中にいることのほうが彼には似合う。
   ラフなスタイルで街を歩く。
   人の流れのままに、無目的に街をフラフラ歩いていく。
    近畿大学理工学部の4年に籍を置いていた彼は、一昨年の10月まで
   アレンジボールの店員をしていた。
   「暇やからね、ブラブラしとってもしょうもないからバイトしてたんやね」
    暇があっても金のないヤツはギャンブルが好きだ。パチンコ、マージャン、競馬……。
   バイトのない日は昼過ぎに起きて、少しレコードを聴いて、街をフラつきパチンコする。
   「あとはボケーとして、飯を喰って、何をしようかなってブラブラする。
   計画性がなくてずぼらやからね。最近は、ま、金が少しできたから
   暇やったらパチンコせんで映画観ようかと思うけど」
    ずぼらな彼だが、高校一年の時から日記をつけている。
   「毎日やないけど、自分で心の整理をするために」。
    その日記も大学ノートが5冊になった。
   「自分が変わったなっていうのはわからんでしょ。日記に残しておくと、
   それがわかるから面白い。例えば高校1年の時と今では言葉遣いが違うんやね。
   今は“オレ”って言ってるんやけど、昔は“ぼく”っていってた。
   日記みたらわかるんやね」
    高校から書きためた詞が170ある。それが全部キチンとファイルされている。
   生活はずぼらでも、“音楽”という言葉が生まれると彼のリズムが変わる。
   少ししゃがれた声は、高校時代フォークソング・クラブの合宿でしごかれてなった。
   声はつぶしたほうがいい。つぶれた声は太くなる。
   彼の音域は2オクターブと半分くらい。発声練習もよくやった。
   
   今も詞・曲を書くときは机の上でやる。
    ずぼらだと彼はいう。でも彼は部屋の中にいることをきらう。
   暇があれば街にでる。街をブラつくうちに、ふっとひらめいた詞や曲をメモにとり、
   部屋に帰り机の上で創作する。
   「街が泣いてた」 ---- 世界歌謡祭でグランプリに輝いたこの曲も、
   やはり街がテーマなのだ。       (撮影・中川文雄)

   
   
   
   
     以上、2007年1月下旬、非公開だった内容を再編集。
     以下、2007年2月11日、追記分。

   
   
   
   
そして、インターネット検索で見つけてしまいましたぁっ! 
   
   イントロ頭キレで歌詞は1番だけですが
   『13月の灰の中から』は歌えなかった頃の2分11秒!! (…22歳の秋 だそうです。)
   伊丹哲也 & Side By Side1980  
   http://www.youtube.com/watch?v=5Ua75o-HR-Q
   
   
しかし…。くれぐれも、
ここでこうしてインターネットからデータを引っ張って つなぎあわせてる内容は
メタボリックな親父がノスタルジックにも昔の体重や美貌を想い起こすのとはわけがちがう。
   
今も変わらず、
夢や股は夜ひらく…ではなくって ケイコの夢はヒカルが開く 
夢は寝ている時にだけ観るモノでもなく 
書きたいことが止め処なく溢れかえり 
一本の煙草に火を点け、脳細胞の幾つかをすとき 
それらが必要に応じて整理される頭の中…
夢は実現するために、理想は自分に勝つためにある。
をモットーに生きてる俺。
そして最近は
あらゆるものを捨て去り、突き放して生きてきた過去の中に
今まだ捨てずにあるモノや捨てられずにいるモノも幾つかある中、
The world's too big . And life's too shout. ....To be alone.  
訳:世界は拡く、人生はあまりにも短すぎる。独りで生きるには…。
という、この人類に残された最期の可能性を信じる1%として生きている。
   
叶わぬ夢が実現するのは、俺が煙草をやめたときか? 
それとも、バンソウコウを接がしたとき…なのか? 
いずれにしても、脳味噌の中に並べられるゴタクやノウガキとは別に
この魂が、まだ肉体を持って生きる、生かされている瞬間に
わずかに、なにかが動きはじめる気配を感じることがある。
…昨日もあった。確かにあった。
自分以外の者まで大きく成長する兆し。未来の進むべき方向の幾つか。
それが、どうしてか? 
分散されるような選択肢によって散漫な現実が覆いかぶさってくる。
冬なのに雪は降らない孤島にて。
   
さぁさぁ、巻いてください巻いてください
   
次へ進むよ。
俺にかまってる人なんていない、大勢が進むべき方向
明るい未来があるはずの日常の中でな。