OZの魔法使いたちの、What About Me?  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

 2007-01-30 02:11:46 非公開分の再編集    
   
   
さぁさぁ、巻いてください巻いてください。
撮影は続行されます
証明の準備はいかが? 
「テス、テス、」 (モニターのマイクロフォン・テスト
「下手のバトン、もうちょっと下げてくれる?」
「シュートは何時開始ですか?」
「お~いっ、ケーブルがちがうぞ! そっちは短いヤツ!」
「あっ、シマッタぁ! 明日のトラスのサイズ、手配しとくの忘れてた!
ここより2間半ひろくなるんだよ。九州のステージは…」
「バイトく~ん! ステージ後ろの暗幕、直して来て! 
アリーナから使ってない客席が見えちゃうところっ!」
ということで、東京の靖国神社に近く、
九段下の駅から徒歩数分の、日本武道館てところは
機材の搬出搬入が日本一 手間のかかるホールで
アリーナの集客が始まるずっと以前に
リハーサルのためアーティストが楽屋入りする数時間前まで作業は続行される。
安全第一。まちがっても、怪我人が出てはならない。
ステージもホールも通路も階段も、
どんな場所も慎重に念入りに準備が整えられる。
そして時には、そういう作業風景がVTRにも収められ
アーティストのLIVEビデオが作られることも…あった。
   
そして世の中には、明日にでも
その場所の、その雰囲気。あの、わずか数時間で
人間の魂のエネルギーの放出が充満される場所へ戻らなければならない人もいる。
   
…まだ先は長い。
いつの日か、きっと。
   
ちゅうことで、裏方の一員だったこともある俺は
武道館以外にも屋内外で様々なステージの建て込みを見て携わってきた。
かといって演奏する側になったこともなく
矢沢さんや剛のアニキとか、98年に来日したストーンズにしても
なぜに、日本武道館という場所にこだわりのあるアーティストがいるのか判らないけど
あの空間は、なぜか神聖な場所…なのかもしれない。
それはきっと、あそこのステージに立った人にしか判らないことなのかもしれない。

   
それは さておき・・・・ 
   
   
いやぁ、ずっとCDも捜してて、とあるラジオ番組にも何度もリクエストしてたんだけど
全然かけてくれなかったし、80年代のコンピュレーションCDにもなかったのに
インターネットってのはスゲェな。
   
   What About Me by Moving Pictures  
 
One of the best songs from Australia in 1982.
One of my favorites all time songs.

…残念、オリジナル のプロモビデオは This video has been removed due to terms of use violation . ということらしい。)
   
   
    
   
ってことで、
80年代のオーストラリアのバンドのヒット曲なんだけど
宇崎リュウドウさんも好きだったシカゴ・トランジットオーソリッド
という過激なロック・グループ(70年代)が単に、Chicago と改名して
コーラス・グループみてぇになっちまったのとは別に
ムーヴィング・ピクチャーズってバンドは
当初はたしか、フラワーズとかいう素朴なようで実は意味ありげな名前で活動していて
デヴューと同時に変名して
その、“What About Me ”が一曲だけ大ヒットしたグループだった。
矢島君も好きな一曲だったよ。 誰? 
映画『ハリボテ』(?)でもカヴァーされてたのか ? 
知らなかった。
んで、もっと知らなかったのは 俺だけか?
アレックス・スミスさんNFLアメフトの有名人 ではない)というヴォーカルの人も
まだ歌ってたんだったんだんだ…。
   
   What About Me? Live 2006  
   
Alex Smith the lead singer of then band "Moving Pictures"
returned from the UK (now his home) to perform on the
Countdown Spectacular Tour.
Alex singing live at the Rod Laver Arena,
Melbourne September 2006.

   
映画音楽のプロデューサーでもやってたのか 
メガネかけてて白髪アタマになっちゃって
なんだか、学校の音楽の先生みてぇな感じになっちまったけど
あの歌唱力は健在だな。
ただし、変わらず今も音楽活動を続けてるかどうか? 
それが大事マン・ブラザーズ! …ああ、また外しちまったな。)
   
1981年だか82年(~85年,86年くらいまで)。その当時ってのは、アメリカの音楽業界も凄かったんだけど
今でいうところのブリットポップの前半期の、ブリティッシュ・インベイションというムーブメントの中で
テクノだのサルサ、スカ、ホワイト・レゲエ とかラップ・ミュージックも
いわゆるニューウェーブというジャンルの枠組みで
ロミオ・ヴォイド とか、ブルーロンド・ア・ラ・タークだとか、オレンジジュース、
マッドネス 、ファンボーイ・スリー、モダン・ロマンス とか、
阿呆鳥のオールナイトニッポンでオープニングにも使われていたデキシーズ・ミッドナイトランナーズ
その後は、ペイル・ファウンテンズ、ロイドコール&コモーションズ、ジェネラル・パブリック、
The Smiths、ビッグ・カントリー 、XTC、B52’sロバート・パーマー 、スティーブ・ウィンウッド等、
独自の路線で才能を発掘する所属レーベルも、
アイランド、クリサリス、パーロフォン、ゲフィン、ラフトレード、ZTT…という具合に、
この地球上では西側諸国の音楽産業の中で世間に売り出されるアーティストってのが
円谷の怪獣シリーズの名前を覚えるより困難なほど次々に配給され、
そういう80年代半ばまでは「ニュー・ロマンティック系」なんて呼ばれ方もあった。
スパンダー・バレエ とか、ウルトラVOX 、デペッシュ・モード、FIXXソフトセル 、グレングレゴリー&BEF(ヘブン17)…etc. 
                 ☝ なぜにトーマス? 
あるいは、グラハム・パーカー に代表されるパブ・ロックの血筋をひいてか(?)脱パンク系のような、
クラッシュ 、ジャム(のちのスタイル・カウンシル)イアン・デューリー 、E・コステロ。
のちにBJCとも共演の、ロカビリーを強調したストレイ・キャッツ とかな。
80年代後半に、シンプル・マインズプリデンダーズ が政略結婚のように生き残るまでは
ノルウェーから来たa-ha とか、リック・アストレイ という、のちのダンス系も、
モノクローム・セットやドリーム・アカデミーは どこ行っちまったのか? というほど 
もう様々にヒットチャートも浮き沈みが激しく、
ペットショップ・ボーイズ なんて、日本でいうところのシャランQみてぇなもんで
“West End Girls ”は、リヴァイヴァル・ヒットを何度も決めてる。
そういう英国勢のメジャーなところでは、
じょーイ・ぼージ だとかデランデラン だとかな、ハム! をはじめ、
ヘアカット100 、ロディフレイムのマツゲもギターも光ったアズテックカメラ
チワワは素敵な合言葉 』 とか、Blondie - Rapture  
あとはねぇ、ピーター・マーフィのいたバウハウスとか、ABC 、フランキーGo'sトゥHollywood、ヒューマンリーグ
モリッシーとも仲良しだったピート・バーンズの厚化粧も、Dead Or 洗い部
アダム・アント・ジ・アンツ、キャプテン・センシブル ・・・・以下略。切りがないので、また後日、別枠にて。)    
なんだか年代の記憶が前後した曲やアーティストの並べ方だけど 
いわゆる“売れ線系”ってのは・・・・日本では時期的にだなぁ、
白いスーツとナチュラル・メイクを決め込んでパチンコ大好き独身派の土井の母ちゃんまでもが
マドンナ旋風などと言われるまでは、
70年代以降のパンクムーブメントロンドンニューヨーク で2分して
プログレッシブ もグラムロックも、ニューウェーブへヴィメタル というジャンル別けも
アメリカとエゲレス勢で西側諸国の音楽産業界が牛耳られてた。
(80年代のアメリカン・チャート編も後日。)
それでも、俳優メル・ギブソン が、『MAD MAX』をひっさげてハリウッドをビビラせるまでは
オーストラリアにロックが浸透してるなんて情報は、日本人は、ほとんど誰も知らなかった。
   
    
   
その後、リック・スプリングフィールドとか、カンガルーとフクロオオカミも注目されて(?)
なぜに戸丸水産? の、INEX のヴォーカリスト、マイケル・ハッチェンス とか、
メンアットワークの(ランディ・ニューマンを崇拝する)コリン・ヘイだとか、
地球の南半球でクリスマスを夏にやってる、Down Under と呼ばれたオーストラリアでは
シドニーやメルボルンという都市に星の数ほどミュージシャン志望の若者もゴッタ返すほど
あの頃の巷のライヴハウスもコンサートホールも盛況だったらしい。 俺は行ったことないけど
個人的には、David Bowie とも共演のあったアイスハウス とか
中野サンプラの兄さんよりずっと以前からスキンヘッドだった
ミッドナイト・オイル というバンドのピーターギャレット芸能タレント・サンプラさんはパクリ?
が好きだったんだけど、 
   
    
   
ムーヴィング・ピクチャーズの この一曲 だけは俺にとっても
ボブ・ゲルドフ の「♪あいドンライクまぁ~んでぇ~ 」の一発ヒットとも違うし、
あの当時の日本の若者文化祭 兼 卒業記念流行歌だったような、
H2Oの『想い出がいっぱい』とかともちがう。
人間の歌? というか、ほかが人間の歌ではないということではない。)
何者にも束縛されず、自分自身が本当に歌うことが好きな人の歌…。
   
   『ホワット・アバウト・ミー 』。
(アメーバさん、記事中に禁止タグ規制かけるのは そろそろ解除してくんないかなぁ…)
   
昨年末の、(☝) 
オーストラリアのメルボルンでのカウントダウン・コンサートらしいので
お客さんもいっぱいで、ステージ下にはオジサンやオバサンの姿ばっかりだけど
この曲は云うなりゃぁ、日本人にとっての『上を向いて歩こう』みてぇなもんなのか? 
かつて、坂本Qさんが歌って、唯一、日本人の歌手で全米ナンバーワンに輝いた、
『スキヤキ・ソング』という歌は
当時、敗戦の世を這いあがる人達が必死に生きた、
高度経済成長期という時代を反映してた曲の代表だった。
80年代のオーストラリアってのも、そういう意味では隣のニュージーランドと共に
音楽業界に限らず、あらゆる文化や産業とか
コアラだのダーウィンの進化論だの核実験だのと
南半球の歴史の情報が世界的に注目され
あの頃に青春を送った人たちなら、おそらく誰もが知ってる流行歌のひとつとして
What About Me ”  
があったんだと思う。
そんなことが瞬時に脳裏をよぎってな。
柄にもなく、ノスタルジックにcm.になっちまって
パソコンではポインターからクリック先まで何センチもないところを行ったり来たり、
何度もクリック再生して、泣きながら観ちまったよ。
たった一曲のヒット、ひとつの勲章でも
あの時 以上の喜びに満ちた顔と声で歌ってる。
   
   
   つづく ☞ http://ameblo.jp/badlife/entry-10025507873.html