『 荒波ネットサーフィン 解説書 』   | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
はっ! 天下御免の蔵元退屈男
この額のバンソウコウ、はがしてみしょう正岡子規! 
元・文部大臣の
与謝野さん
あなたのお婆さんは日本文学の母です! 
ありがとう! 
日本の文化教育の夜明けは近いぜ! 
かつて日本列島をそっくりそのまま日の丸々な青写真に乗っけたつもりも
日本劣等改造論や所得倍増論も
全学共闘会議
お茶っぴきな会合を繰り返すJTUキャンペーンと春のベースアップの闘いも、
はたまた男女同権やセクシャルハラスメントの抗議行動も
この大日本盆栽帝国という発展過剰国家では、
人類を本来の自由の道へ解放するものではなかった! あしからず! 
俺は革命思想家でも何でもない。
基本的な人類の創られ方を知っている人間。
ただそれだけのこった。
それゆえ、「愛」と「平和」と「自由」という言葉の氾濫さえ
       「金」と「嘘めいた平等思想」と「身勝手な権利の主張」でしかないことを見抜く! 
人間は、怨み辛み、嫉みヤッカミの中で
勝手に産まれて勝手に生きて勝手に死ぬ独りきりのままでは
いつまで経っても体裁の見繕いや上辺、ミセカケだけの流行り廃りからは抜け出れない。
世界は拡く、人生はあまりにも短い。狭い世界で独りで生きるにはな。

   
   
さて、前回のページ では
どうしていきなり、こんな大量に佐渡汽船情報 を載っけたのか? 
今から、その理由を述べます。
まず、佐渡汽船さんをワルモノ扱いして小さくまとまる気は毛頭ない。
確かに、巷・世間が最近になって騒いでいる各県市区町村の、
人の社会、シャバ…。今はもう、そこいらの、どこにでもあるような、
   
   ♪ダンゴ、収賄、談合、シューマイ だんご義侠代。(チャンチャラ♬) 
    いちばん上は役人、ヤクニン。いちばん下は職人、ショクニン。
    まん仲は変な入札、ニュウサツ。だんご義兄弟、(チョー消し♬
 
    (一番の歌詞は此方 ☞ 狼藉者も島送り?

   
という、『ダンゴウ3兄弟♪』 最近は俺の子供も風呂で歌ってたりする…ヤバイ?
の問題なんてどうでもいいほど、
日本の船舶事業関連の裏側にある、行政の杜撰な管理体制には
かつて、戦前戦中に世界的にも造船技術に優れていた日本が
戦後、日本経済が成長する中で様々な権力者や財力者と絡み合って
そこからそのまま今日までオザナリ兼ナオザリにされてきた諸問題も
世間的に表向きには知られていないだけで
そんなこたぁ、近頃の闇米業者やフリコメ鷺の高飛びカッ跳び集団の氾濫に並ぶほど
シャバの闇の部分に根深く色濃く、明日の新聞紙面も飾ってヨッテ タカッテ ふうりがん! 
今後もしばらく、疑惑の暴露や告発、膿の洗い流しは、
この時代に跡を絶たず、まだまだ きっと多いことでしょう! 
それを いちいちここで調べ上げて並べ ツカマツリ叩いたとしても
最早、そんなことは誰の関心を誘うことでもないほど
社会の底辺も時は㈱なり風林火山! 
「捕まらなけりゃ何やったっていい!」という意識
今の日本の情報化社会も“メディアの悪”で腐りに腐りきってる。
すべてが人間の勝手さから、都会のビル街に流れる河川、水路に
誰も片付けることのない違法停留のゴミが何隻あったとしても
今日のように日本政府配下にある各行政機関が
民のためにはほとんど融通利かずにマトモに稼動しないシステム状況にある限り
そういったことは、人間として本来の義務を伴わずに
自分本位な主義主張、権利主張の矛と盾を突き立ててる連中に任せておきゃぁいい。
冷たい云い方だけど、開き直ってはいない。
やってるのも、やらせてるのも地元の選挙民だ。
数十年前に学校校舎内でやらされた掃除当番の際に
ビニール屑やプラスチック樹脂の容器の破片を
体育館ウラ付近の焼却炉で平気で燃やしていた連中が
今になってダイオキシンがどーだのこーだの好き勝手にホザイテルことや
昭和50年代まで、みんなで「悪い」と判っていても
石綿を材料にして全国規模で公共施設を建設していたのに
それも今になって西洋カブレの頭で
アスベストによる被爆で癌の発症 がどーのこーの騒ぎ立ててるだけの
マスコミのボンクラ報道と大差ない。
“バブル崩壊音頭”で踊らされた20世紀末の日本国民は
今もって、自分たちの先行きを
わざわざ不透明に色褪せさせたまま、平気な顔で
今まで通りのウワベだけ、見せ掛けだけの平和を演じている。
その代表が今の日本経済の基盤と発展に誇らしげなケータイ産業 だろ。
   
話が洋楽の方面へ反れるけど…。
ピンクフロイドという英国のロックバンド
デイヴ・ギルモアという優れたギター・プレイヤー在籍にあたっては
一応、“プログレッシブという音楽ジャンル別けに入るのか? この日本では。)

の第2リーダー第一はシド・ヴァレットと思っている俺…であり、ヴォーカリストの
ロジャー・ウォータースという人が
実質上は、そのピンクフロイドのオリジナル・ラストアルバムだった
The Final Cut 』の中で
「もしも造船技術にたけた日本人がいなかったら
クライドの造船所は今でも繁栄していたことでしょう。
しかし、日イズル國の彼らは
自殺する自分たちの子供が跡を絶たないことに悩み苦しんでいる」
 
                    from The Post War Dream
などという意味合い
第二次大戦後からの現代日本を物語るかのような言い回しを含めたの作詞曲を
既に1983年にアルバムのトップ に収録している。
…もっともその頃の日本よりも今でこそ、青少年による凶悪犯罪は多くなったものの
あの当時は、とくに1986年の春
を堺に、
次々に児童や思春期の若者の自殺を便乗させるような報道が
世の中にまかり通っていたので…そういうことを現象的にカタカナで なんと呼ぼうが
メディアの罪というものは今も社会の中で牙をむく。

欧米の財団財閥に振り回される国連やその加盟国という、
地球の北半球を中心にした西側諸国の発展の中で
とくに教育水準が高いとされた国々が、なんのために教育水準を高くしているのか? 
ということと音楽を通じて人間の未来や人類の資質を考えた場合、
ロジャー・ウォータースという人には
自国の歴史を見据えながら人類の意識低下とその変貌・変容を
地球規模で諷刺して、世にも美しきメロディに乗せていた時期があった。
渋谷陽一氏の言うところの産業ロックという西側諸国の音楽文化が今もどうあろうと
あのアルバムをなんべんも聴いてみて今日までを振り返る中、
ロジャー・ウォータースの投げかけや問題提起が決して他人事ではないことを
今でも痛感…いや、自分だけに限らず、この時代までの世間の歩みに通観している俺がいる。
   
その昔、ヒロシマの呉市、瀬戸内海の湊町で戦艦大和の造船に携わり
自身の分身としての肉親、その長男が(俺自身がこの世に産まれて存在する、ほぼ10年前に)愚かにも
青酸カリで服毒自殺を図ったという事実
俺の父親や、死んだお爺さんの魂の記憶の中に在る限りは
俺自身にとって、その歌、その曲は、単なる英国音楽の歴史の一部ではない。
いうなりゃぁ、俺の父親方のお爺さん(医学的には大腸癌のために脇腹に穴をあけられ、
その人工肛門から臭うポリ袋を下げて何年も生活したのちに他界)
や 
お婆さん(後頭部を強く打撲したのちにボケ老人となり、
数年に渡り植物人間としてこの世を彷徨ったものの、
こちらも既に長男の真実を孫の代には伝えぬまま他界)
は、
現代日本人社会に先駆けてた家族のようなもんで、
俺が今これほどまでに酷な云い方をしても、親戚一同4兄弟分の末裔までも
それがなんのために、どこがどう、自分たちの人生に
本来の人間として肉体を持って生かされていることに誤りがあったのか? 
ということには、ほとんどマトモに気づけることはない。今のところはな。
これらについては、自分のことは差し置いて 
http://ameblo.jp/badlife/entry-10022528557.html  2006年11月27日 #05 
http://ameblo.jp/badlife/entry-10022540496.html  2006年11月27日 #12 
  この辺のページで、それなりに判りやすく丁寧に書いたつもりなんだけど
俺自身は、人間の成仏とか供養・墓参り、盆や彼岸のシキタリという問題に関しては、
独りの人間の葬式に別々の寺から2人以上の坊さんを呼び寄せるような
田舎の檀家連中のカネの柵による馬鹿さ加減も含め、
現代日本における社会常識にある仏教や仏法、その教えや慣わし ”というものも 
ほとんどまったく信用していない。だから、
今の世の中で本当に安心して永眠できて安らかに眠ってる魂なんてのは
罰アタリにも、もう誰にもどこにもないと思ってんだけど
肉体を持って生きて、生かされている人間にとっては通常は目には見えない、
そういう問題に限らず、何がどこまで何を破壊して今日に至っているのか? 
ここが重要な点なわけ。
結論はすべて、教育。とくに戦後教育による社会と人と、肉体と心の破壊! 
とくに、今の御時世にあるような高齢化と少子化。
この進行や食い止め・歯止め、改善を
国も民間企業も、何の教育機関も、
そのための資格斡旋のPR広告も、医療現場も
ほとんど無に等しく誰もどうすることもできない状況にあることは、今もって
「教育は宝」とか「教育は素晴らしい」「テクマクマヤコン、僕もアナタも公務員にな~れ!
と、ネ惚けていない人以外の方は、それなりに判っているとは思うけど
世間の爺さん婆さんや「先生!」や「社長!」と呼ばれる人達は特に、
今まで通り(明治・大正・昭和の常識やシキタリを引き頭ってきた通り)ではなくなってきたことに
もう少し目を醒ました方が、自分たちの子供や孫の未来のためでもある。
20世紀末の日本に比べ、最近はおそらく、
もしも都会の駅のホームで人々がゴッタ返す朝に石を投げると必ず、
「社長!」に当る! 
ということは少なくなってきたかも知れないけど
「先生!」と叫けぶと、そこにいる人はみんな振り向くかも知れない…
というほど、世間にはもう様々な知識・学識・雑多な専門学が多過ぎて
指導者がいるようでいない世の中になっちまってる。
そこで、一人一人がどんな意識、考え方、物事への捉え方を持って
今まで通りではない常識を新しい時代へ向けて柔軟に噛み合わせられるのか? 
もっと簡単に云うと、自分が自分として生きるために
誰がどこまで何を認めてゆくべきか? 
ちゅうことが今の時代の人間ひとり独りに重要な課題になってきてる。
そこにはまず、「生かされている 」という事実の認識、
人間として生きる上で当たり前の“気づき”が必要とされる。
自分が今ここに存在している理由は何なのか? 
ここはどこで、一体いつの時代なのか? 
その中にいる自分は、いったい何者なのか? 
べつに難しく考える必要はない。
俺は今日まで、そして今後これからも、
“気づく”ためのキッカケを用意するまでだ。
   
2007年という、この21世紀初頭、
今の日本の縮図であるかのような佐渡という狭い場所が
いかにして孤島になってしまっているのか? 
この島の中に生きていても、俺には、日本という国の行く末が
そういうことも通して、いろいろと視えてきてしまう。
稲作農業や漁業の世継ぎや後継者がいない問題にしても
テレビという箱の中だけで机の上に堂々と自分の姓名に肩書を並べ連ね構えて
好き勝手に「格差社会」についてのウンヌンを講じてるような
オメデタイ政治家やジャーナリスト、政治業評論化…
その他、政界コバンザメのような有識者・学識経験者のお年寄りの皆様も
連中には今日まで世の中に、どのような流れがあって
そこにどんな時代の変貌があったのかが、頭の中でつなぎあわされてはいない。
あんな連中のお茶っぴきな討論会をマトモに受け止めてしまうと
自分自身の人生が他所から勝手に敷かれたレールの上を走らされることになっちまう。
俺はものごごろついて中学生の時から 、ずっとそういう目でテレビを視て
本を読むにも大人や年寄り連中(戦争体験者)のムカシ噺を訊くにも
絶対に頭の上から被せられるモノを拒んで生きてきた。
お陰さまで。仰げば尊し、我が師の怨念! 
教えノタマエバ早、逝く歳くる年、地獄の50番街! 
たとえば国営放送のゴールデンタイムを外した時間帯では
よく「アルツハイマー博士病」の番組編成情報を流したりしてる。
出てくる噺は当たり障りなく学者様の素晴らしさに媚びるネタか
クスリの売り捌き事業のPRでしかない。
あんな番組を誰が観て、その内容に感心を寄せているのか? 寒心だね。 
だいたいにおいて全国の一般家庭という世の中の底辺に位置する人々の暮らしの中では
そこに病人一家庭。もしも惚け老人が独りでも長生きされている矢先には
その方々のお食事時間と下の世話のテマヒマ跡始末に追われる毎日、
自分の命が前向きに生きたい、生きるために大切な時間に
そんな番組をノンキに観てはいらんない。
できることならお爺さんお婆さん、どうかお願い 頼むから死んで下さい
というのが肉親介護家族のホンネの一番であって
二番出汁の立てっ返し味噌汁・煮汁を飲まされてるのは
ご恒例の晩酌タイムに出遅れるほど残業に疲れて帰ってきたお父さんだ。
一家の大黒柱も自分の親の面倒を診たくないわけじゃない。
施設はアリガタイ、へるぱ~さんは尊敬してる。
それでも魚馬捨て山脈にカネを払うのは普通に家族やペットを養う以上に大変だ。
誰も自分が誰なのか知っている
知らないのは戦後を生き抜いた惚け老人の皆様方! 
あなたの 未来は神にも委ねられない
   
ああ? 自分を基準 にモノを言うな? 
俺は、巷で言うところのアウトローでも反逆者でもなんでもない。
生きることには誰よりも前向きであろうとする人間でしかない。
ただ唯一、欠点は、臭いモノにフタをしておけない。 (いや、謙虚さがない。)
そう心がけていたとしても、知らず知らずのうちに
自分で身につけた自分の醜さを洗い流すためには
常に、自分が醜く見えて醜く思えるようになる以前の自分自身に 
どこにどのような問題点(心身ともに悪くなる原因)があったのかを
とことん追究して答えを出さないと気がすまない。
それは潔癖症とかいう浅墓な言葉の解釈ではなく
そうしないと、自分が今ここに生きてる理由が明確でなくなってしまうわけ。わりぃけど。
だから書くことも正直に隠さず徹底的に自分が思うがままになってくる。
誰に遠慮なんてしねぇよ。
宮内庁で配られる限定の煙草一本にも遠慮はない。
自分のジッポーで自分が吸いたいときに火を点ける。以前に貰ったことがあるの。特別に。俺だけな
さて、(そんなこたぁ、どうだっていい。) 
俺の姓はナントカ小路ではない。
そんじょそこいらの一般労働階級のブルージーンズ・カラーと変わりない身分だ。
そういう俺は、数年前、
今の会社(蔵元)に職業安定所を通して勤めはじめて間もなく 
JTB主催のみやげ塾というものに参加させてもらったことがある。
そこで、埼玉県上尾市に小林総研 という事務所を構える、小林 章 先生 という所長さんと出逢った。
これもまたねぇ、衝撃的だったよ。
昭和5年生まれという戦争体験者の世代なのに
「これほどまで日本という国や国の文化を愛してやまない人もいたのか!」
というほど、小林先生のわずか1~2時間の講義を受けて涙が出たよ。
まだいるんだよな。惚ける暇なんてないほど、人間として生きることに真剣な人が。
んで、小林先生という人は、日本全国の観光地や観光事業所とか
各地域の地元の特産物や土産品開発の現場をシラミツブシに
目の輝きも爛々とさせて渡り歩いてる人で
職業的には経営コンサルタントという部類なんだろうけど
俺には、そういう肩書はどうでもよかった。
人間なんですよ、人間。しかもご高齢なのに身も心も元気で明るい! 
機械文明の便利さとか、流行り廃りのモノには決して操られるようなことはない。
5分だけでも話を訊けばよく判る。
そういう方にお逢いする機会を与えてくれた蔵元の営業部長には常々、感謝しております! 
ありがとうございました! 
でだなぁ、俺も手っ取り早く話すけど 小林 章は、
かつての昭和スター、裕次郎さんと人気を二分した小林旭が在籍していた日活出身の
小林圭樹さん(群馬県渋川出身)と同じくして 
日本の空とか山とか、日本の風土そのものの善さや在り難さを実によく理解しておられる方で
そういう今の我々日本人が見失ってきた魂の育みの部分を
各都道府県の観光事業を通して、
今の日本がどこでどうなってるのかを見事に見抜いている。
中でも、今後このままでは、日本列島における人間社会の動きの中で
人口が増えて活性化するのは、埼玉、滋賀、沖縄の3県で
あとの都道府県は人口が減少するのみ…ということを ちゃんとした理由も明確にして
あくまでも危機感を問題提起する意味で提唱しておられる。
んまぁ、既にそれはもう、ほとんど避けられない状態にあって
俺がいま住んでいる佐渡 という、一島一市 にしても一応は新潟県の所属なんだけど
あと何十年ともしないうちに人口は激減して近いうちに半減…
やがてはソレ以下になっちまうことは誰にも避けられないところまできてる。実際問題。
農業にも漁業にも世継ぎ、跡継ぎ、後継者は少ない。非常 非情に少ない。
年金暮らしのご高齢者のみなさんは、自分に娘・息子、孫、曾孫がいたとしても 
その稲作農業や漁業を誰かが継ぐことは、島内に所在がない以上、ほとんどの人々が諦め、
「本人の自由だ。そういう時代。押しつけるまでもない」とか、
「我々の代でもうお終いだね」疲れたよ

てな具合で、畑や田んぼとか漁の場所が、この地球温暖化の異常気象でどうなっちまおうとも
今日を生き凌ぐことで精一杯の状態でしかない。
たとえばだなぁ、同居に自分の息子夫婦の家族がワイワイいたとしても
そのワカイシ達は子供を養育するためにもクルマのローンを支払うにも 
過疎化する地域の低賃金な日給月給で共働き、残業付きの深夜帰宅の忙しさ。
自分の親である爺さんや婆さんがデンパタを耕していても
いま自分が住んでいる目の前の敷地の泥に、葱が植わっていようと白菜があろうと
人参でもタマネギでも弁当のオカズでも、すべて、スーパーで買って済ませる。
んで、爺さん婆さんは、ほとんど趣味で「健康のため・ナナメとか、ヒマツブシ程度に
大量の野菜を作っていても農協に出荷することもなく
漬物を拵えるにも、煮炊きする食い扶持に
「二人分だけの材料がありゃぁいい」ってことで、
折角つくったモノも毎年毎年、平気で捨ててる始末、落葉松、十姉妹。
近所の誰ソレさんちに手ブラでは行けくても
差し出す挨拶はヘチマのように図太くなったキューリだ。
そんなの誰が喰うのか? 
俺は捨てるよ。アホらしい。よこすなっ!そんなもん。
ピクルスにもなりゃしねぇよっ

てなわけで、一年をかけての稲作はともかくとして
自分達で汗水たらして一生懸命に作ったトマトやジャガイモも
市場に出荷しない限りは、どんな農薬基準を超えて
毎年なにを畑の土にどれだけバラ巻いて作ってるのかも不明。
でも、それを喰ってる本人達は一応、長生きしてるみてぇなので大丈夫なんだろうけど
そういうダラシないことが仕方のない状態で毎日を送られている農村農家も少なくはない。
俺が住んでる家のゴキンジョ様だけではない。
これが今、日本の中で佐渡だけの問題なら、俺も黙って家へ引きこもり 
なんとか自給自足で、子供の給食費 だけは確保しながら
一生、売れもしない誰も読みもしないような童話創作を楽しんで暮らしてゆく…かも知れない。
ところがだ、こういう問題は今の日本の国の中で
「地域格差」「生活格差」とか「地方自治体経営破綻」とかの問題を誰がどのように取り沙汰そうとも
お茶の間に流される国会討論がそんなノンキな言葉だけの問議を交わしてる暇もないほど
人間社会の生活意識は落ちぶれて、佐渡という一地域だけの問題では済まされなくなってきてる。
とくに今年は例年になく悪天候でもないのに
冬場が冬場ではない異状な異様気象で、巷の皆様もご存知のごとく
普通に採れる野菜も海辺の漁も、品質管理が不可能なほど季節外れ、時期ハズレになっちまってる。
どこでどう、こんなふうに大勢の人が
ック社の『人生ゲーム』の敗者みてぇになっちまったのか? 
笑ってはいられない。
「私の知ったこっちゃない」という人は、明日にも
闇米業者の怪しく添加物処理されたブランド飯米を買わされて喰って、
徐々に体調を崩しながら、本来の寿命とは別の死期を迎えるハメになる…かも知れない。
あのねぇ、日本の稲作は今、それほど切迫状態にあるの。野菜の問題だけではない。
んまぁ、その問題についてはゆくゆく、丁寧に説明する機会を設けることにしてだなぁ、
今日は今、小林先生の時間だ。
   
    ♪ 風に逆らう~ オぉレの気持ちを~ 
       知っているのかぁ~ 赤いキツネうどォ~ん  
        燃えるおとぉこのぉ~ 熱き心に、北帰港!
 
   
じゃなくって、小林 章さんという人は 
少子化・高齢化が進む中で、このまま人口が各都道府県で減りつづけることは食い止められなくても
そのために各地域の地元住民の生活が苦しくならないようにしてゆくためには
地元特産物や、その地域の名所、老舗、伝統を活かして
交流人口を増やすことが大切だということを云っている。
参照ページ(リンクお許しください) ☞ http://blog.livedoor.jp/doilog/archives/50367592.html
そこで大事な商業・産業の基盤固めの中心になるのが観光事業ちゅうもんなわけだ。
ところがここにも、世のため人のために他力本願寺の檀家になって終るような高齢化社会。
そこにヤル気ある人々の勇気や情熱を鼻で笑うような、
大勢の、指導者放棄型ボケ老人人生が妨げになってる。
とくに佐渡の場合は
農村農家の爺さん婆さん連中が江戸時代から引き摺ってる五人組制度のシキタリや
田舎根性マル出しの、「隣んチが新しくレイゾウコ買ったのでウチも買い替えようか!」
というヒガミとネタミの拘りが尽き果てぬように繰り返される日々の暮らしの中、
「観光? 知ったこっちゃねぇよ」というほどの意識の低迷。
自分たちの住む地元地域の活性化に
どこの誰の情熱で何が真剣に取り組まれようとも無関心・無感動きわまりない。
各町村地域のパーマ屋もタバコ屋もラジオ店も、
国の予算で人工的に飼育されてる朱鷺の赤ん坊が産まれたトキと
ジェンキンスさんの『コクハク本』が売れたトキだけは騒いでおいて
佐渡が未だに世界各国の歴史教育の中で
「流刑地サドガシマ」なんて呼ばれてることも どうでもよくなってる
中には一生懸命に地元各地域の伝統や特産物を活かして
どんな食品や民芸品であろうと旅行者を神様として丁寧な接客やモノづくりをしてる人もいる。
そうしたモノが通販やネットオークション等で便利に取り寄せられることも
足腰不自由なご高齢者や、今後そういう生活が待ち受けているような、
団塊世代と呼ばれる人達にも必要なこと…なのかも知れない。
だけど、それはそれで、コイズミ式な郵政民営化の発展・発達がどうあろうとも
一時的なもんだ。そういうことを好き好んで自分勝手に利用するだけ利用していた人達が
やがて この世とオサラバしちまえば、そこで終わり。
我々の若い世代戦争を知らないはずの世代は、
歩いて数分のコンビニと、誰も買わないような畑の脇におっ建てられた自販機。あとは贅沢にも、
全国的に美味しさが均一のファミレスとかジャンクフード屋さんがあれば文句はない。
どこもかしこも、街の駅を降りると似たような町並みになってる暮らしの中でな。
   
なんだかねぇ、俺が書くと先行き恐ろしいけど、そうじゃん! 
そうなってきて、そうなってくるように世の中を造りあげて来たじゃん。
今日の今日まで。また明日からも、おんなじようにやって行きたいんだろうけど…。
   
このままでいいのか?! 
  
ああそう、別にいいよな。
便利だし。今だけ、今さえ、今の自分だけよけりゃぁ、それでいいんだからな。
   
そういう世の中に仕立て上げたのがすべて、戦後教育! 
それを見て見ぬフリで、そのまま馴れの果てを残して死んで逝くのが 
全国のご高齢者様方の面々。その戦争体験者の大半だ。
最早この時代に頼りになる指導者はいない。
どこにいる? どこにある? 
どんな宗教の嘘であっても、神も仏も人を救わない。 
そうして人間は今後、一人一人が、
じわじわと、肉体と心のバランスを崩しちまう。
医療も、教育も、経済も、政治も、カネの力でもどうにもならない時期がくる。
もう既に来てるのか? …捨てに来てる? 誰の人生を? 
まだまだ。
もっと目に見えてハッキリしてくるのは、これからだ。
カネの力でも、どうにもならなくなる。
大きな貧富の格差も。それにより荒む人々の心が次なる犯罪へ走ることも。
そして・・・・
   
ありゃりゃりゃ。
また暗くなっちまったな。すまん。
そういうことばっかじゃなくって
工夫もしないとだよな。気づいてる人は。
指導者の器じゃねぇ奴が指導者ヅラしてる分には無理も多いかも知んないけどな。
   
まずは、
交流人口
これを増やして、自分が今ここに、この地球上に生きて存在している場所を
なるべく一人でも多くの人間が有意義に暮らせる場所として活性化するためには
今の北緯38度線分断にある北の朝が鮮やかな国の洗脳民族以外は
外国のお客様も たくさんお招きして 
そこで、その場所で、そこでしか生きられないモノの素晴らしさを
快く丁寧に、感謝を込めて、相手に伝える。
   
誰にできるのか? 
俺はやってますよ。
米もつくってる。 一応な。)
酒もつくってる。 杜氏さんの手伝い…季節労働だけど。)
少なくとも、そういう俺の存在を
            俺の子供は否定してはいない。 今のところはな。)
だから俺は今もこうして生きていられる。
そこには、何かの利益利潤のための、なんの取り決めも駆け引きもない。
単なる親子でしかない
この自然界が俺の味方である限りはな。
   
   
以上、
荒波ネットサーフィン の説明。 
俺の存在が唯一、否定されない理由。 
でした 
   
   
じゃぁな。