日本のアルカトラズ  第二編 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   
今日は、The Rolling Stones のリードギター、キース・リチャーズの誕生日だ。
死んでしまった ジョン・レノンの25周年を追悼して記事を書くより、
俺は、生きている Keith Richards伊丹哲也さんのこと を記事にした方が、
自分自身にも生きている実感が持てる。
かといって、他人の誕生日や命日を
あたかも 自分にとってだけの、
重要な、スペシャルな記念日のように考える意識には
どこか、ウソ臭いモノが多い・と思う。 (…、親類親戚でもあるまいし)
若者の言葉でいうところの・・・・「ウザったい」…「ウザイ」‥ ‥「ウそ くサイ」…「うさんクサイ」。
別に誰かに何かを期待して そう思ってしまうわけではない
そもそも、この世の中に いま現実に生きている人で、俺という人間を
「ウザイ」と感じている人も存在する・と思うし、
The Rolling Stones という40年以上のキャリアを持つバンドが、どうしても嫌いな人もいる。
「ミック・ジャガーの、あの声が、どうしても私は好きになれない」とか。
 
俺も、”人間の声が入った歌” が嫌いで、まったく聴かない時期があった。
MJQとか、クリフォード・ブラウン、バート・バカラック楽団とか、
そういう、”楽器演奏モノ”ばかりを好んで聴いていた頃がある。
ラジオ( FEN など)から流れる海外のロックやフォークの中で、
ミック・ジャガーの声なんて、
煮込み過ぎてグズグズになった肉ジャガのようで、聞く気にもなれなかった。
カレーやシチューのジャガイモも、形が崩れず、角がクッキリしている方がいい。
スープや煮汁の中で、どこか申し訳なさそうな格好で
丸まってる柔らかいジャガイモやカボチャが許せない。
世間でチャラチャラして騒がれてるアイドルや流行のトレンディ・ドラマに似てる気もする。
そういう意味でも
60年代の若いミック・ジャガーの声が入ったストーンズの音より、
各メンバーと共に、70年代の試行錯誤を経て、80年代以降のストーンズが好きだ。
特に、ロン・ウッドが加入後のストーンズ。
この、5人編成の醸し出す音は…たまらない。(現在はオリジナルが4人になっちまったけどな

 
で、”イージーリスニング愛好家”のような俺が、どうしてストーンズ・ファンになったか?
その詳細については別のページ(
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004838469.html
で書いたので、この辺り(
http://ameblo.jp/badlife/entry-10006684495.html
も プレイバックすると
また話が長くなるので、今日は もっと先へ進めてくけど、
世間(とくに今の日本人の多く)は、過去の産物に今頃になって価値を見出して、
そういうモノをまた流行らせようという傾向
にある。
たとえば、音楽業界(雑誌含む)とCDショップの不可解なキャンペーンとかな。
別に、誰が何を聴いて楽しもうが それは自由だし、
80年代以前の各アーティストの楽曲やアルバム、セッションや映像記録の方が
今の日本のミュージック・シーンより よっぽど”聴くに耐えるモノ”が多い。
ヘンに、過剰に、ファンにサービスした内容だったり、
ポーズばっかりの連中よりマシだってことだ。
だけど、そういう輩と抱き合わせるような格好で、
「このアーティストを好きなら コレを聴け!」
というような御節介な産業開発は、ホントに嘘クサイ。 
まず、ディヴィッド・ボウイ にしてもボブ・ディランにしても、
薦める奴がマトモに聴いてもないのに知ったかぶったことを言ってる。
で、そういう市場を徘徊することしかできないユーザーもリスナー(巷の若者)も、
マニュアル通りに客に対応することしかできない大手CDショップ(全部じゃないよ)
の、ボケラぁーとした店員と大差ない。
音楽を何だと思ってるのか?
人類に与えられた、かけがえのない自由の一つだぜ。
それを、「その輸入盤はウチでは取り扱いできません」とか平気で ぬかしやがる。
「どうして?」ってしつこく訊くと、ホンネは
「基本的に売れるモノ以外は注文しないので…」
ちゅうことだ。
お前はアメリカのラジオ局!? 
 
 

さて、俺が住んでいる佐渡には当然、
黄色赤いのお店や、黒地ピンクのロゴが入った、
そういう気の利いたCDショップはない。
この地球上で、朝鮮半島と同じ38度線に位置していても、
南北に分断されてはいないものの、島の中心部と、カーフェリーの来航する港の町とでは
微妙に地域差がある。
前回の記事 
http://ameblo.jp/badlife/entry-10003723430.html  August 24, 2005
の中では、今の俺が佐渡に移り住んでから今日までの流れ…。
いくつか思いついた内容を まとまりなく並べていた。
その他にも、旨い米が造られる、寒冷仕込みの酒造にも適した風土であることや、
自分が携わる稲作や畑仕事を通して、
日本の農林漁業の現状を探ろうとする解釈を これまで幾つかのページやコメント欄にも列ねて来た。
 
 
牛は食肉用として松坂牛の種牛が島内の各所、牧場で飼育されてる佐渡。
高級和牛の隣で湯気を立てる白米の香りと味は魚沼に並ぶ稲作の盛んな佐渡。
米の次に柿の名産地としても名高く、柿農家が群馬の蒟蒻富豪に勝るとも劣らない佐渡。
牧畜も農業も酒づくりも、プロフェッショナルが勢揃いしてる。(…その年齢を問わずな) 
そんな佐渡へ、つい 4~5年前 移り住むまで  
35年間、都会にいた自分としては、農業は初心者も同然。鮮しい発見もいっぱいだ。
土の肥やし方から肥料の使い分けまで、ほとんどまったく判らない。
この夏の終わりには、妻が丹精込めて作ったジャガイモを
怠け者の俺は、夕方になって掘り起こし、それを朝露に当ててしまったために
その3日後には全部、腐らせてしまった。
妻の父親は黙って見ていて何も云わなかった。
「自分で覚えろ」ということなんだと思う。
ミカンを入れるようなダンボール箱にして、およそ10箱分。ほぼ全滅だ。
そんな俺が贅沢にも生意気に、「肉ジャガは煮崩れしてない方がいい」なんて、
よくもまぁ、のうのうとホザケたもんだ。
(・・・まったくだ! 何が ”ファーム・ビギナーズ”だ! 糞ったれ! …自分に云ってる)
俺の家の夫婦喧嘩というモノは、そういうツマラナイ問題から端を発して、
バイオレンスな騒動へと変わってゆく。
それを見て、子供は脅えることもあるが、
こういうダラシのない父親を見て育ち、将来、
こういう大人にだけはならないようにしよう
そう心がけて もらえればと思ってる。
 
「カネがあれば何でも解決する」 ( 野菜も作るより買う方が安い・・・有機農法貧乏は御免だ)
つい最近までは、訳あって そう思っていた。
死ぬまでには、あと何冊かの本(童話集や短編小説2~3巻など)を残したい。
これは、カネがあればスグにでも解決する問題だ。
ある程度の元手がなければ日本国内の書籍流通に乗っけられる方法は、
俺にとってはない。(…なかった。 そこまでの実力でしかなかったんだよ。きっと…
あらゆる文学賞の応募なんて、今はもう、
”売り上げ”という数字を追い回す出版社の仕組むカラクリの中にしかない ほとんどがな
そんな中に、俺が書いたモノ(屑ネタ)を巧く構成して編集しよう
なんてヤツが存在するとは思えない。 (…たぶんな。 カネとは関係なくという意味でな) 
 
そもそも、取り次ぎ業者(トーハン・日販・栗田など)を回る出版社の営業力以前に、
話題づくりに賭ける宣伝費と、新刊本を 誰が いつ、どれくらいの量で買い込むか。
そのタイミングが書店店頭に並べられる数日間とマッチしてるかどうかの問題であって、
巷の大手書店に、無名な者が書いた本が陳列される日数なんて3日くらいが関の山。
長くて一週間だな。
10冊仕入れて、日に3冊も売れなければ、リスクを背負いたくない委託販売オンリーの書店は、
明日にも出版社の倉庫へ送り返す手ハズを取る。 (客なんていない田舎の本屋さん意外は
著者に自由なんてのはない。
せいぜい何百軒かの書店へ自分の脚で歩き回って、
仕入れ担当の人に自作のポップやリーフレットを渡してお願いするくらいだ。
たった一日の6大新聞売れ線の週刊誌、都内電車の車内広告に、
一ヶ月通しで何千万かの宣伝費をつぎ込める余裕があれば別だけどな。
で、そういう、個人的な売り込み…たゆまない努力ってのは、
過去において、どんな文学賞を受賞してる有名作家の人…先生。
そのほとんどの人が経験してる。
世間の連中は そんなことは知らなくても、みんな苦労して来た。
嘘だと思うなら訊いてみな。
日本の書籍流通なんてのはそんなもんだ。
本を出す側の買い込み作戦に合わせた大手取次業者の流通量と
宣伝のタイミングでベストセラーが決まる。
「誰かが拾ってくれるだろう」とか「こっれならイケル」なんて夢は、夢の夢だ。
(…ほとんど無の確率に等しく、絶対に役者にはなれない仕出が、
  偽の俳優養成所で一杯喰わされて銀座のチャンスセンターに通い詰めるようなもんだろ。)
本を書くより、本を出版するより、”本を売る”ってことが何よりも大変だ。
自分で自分を拾い続けるしかない
死んでから売れて有名になるのもいいかも知れないけど、
今はもう、そんな時代じゃない。
「千人に読まれる本より、一人に千回 読まれる本」
なんて目指して書いてる人も売ってる人もいない。
(…俺もそこへ片足つっこんで生きてるようなもんだけど)
あらゆることを勉強させられた どの頭も
「千人の人に千回 読んでもらいたい…」と馬鹿げたことを願うように、
慣性ではなく、”完成”を信じてる。
アホもバカも通り越して基地外だな。
  
米軍キャンプの網(
フェンス )の外側で、
ギィブ・ミー・ア・チョッコレイト!
って言ってるようなもんだ。未だに。
(日本の戦後教育に疑問を抱いてない人には、この意味は通じないか?)
だから、本当に優れた作家先生ってのは、自分を成功者だなんて思ってない。
そういう人は何人か…いるな。今はまだ。
俺の心も貧しいかも知れないけど、
達磨さんが どう転んでも優れた才能を発掘できない、巷の書籍流通システムの方が、
”読書大国日本”の中では貧しい・と思う。
 
 
以前にも書いたように、俺は本を読まない。新聞も見ない。
何か読むとすれば、音楽雑誌を本屋で立ち読みするか、
一部の漫画・・・・高橋ヒロシ作、『クローズ』 (硬派な高校生の喧嘩と男の行き方を描いてる)
くらいなもんで、あとは、
哲学書のような、LINUX の分厚い解説書を覗いてる程度だ。
以前(中学生から高校生 時分)は、ニーチェの『この人を見よ』とか、ウェブスターの辞書…
文学的には、カール・サンドバーグのアメリカ詩集やロラン・バルトーも好きだったし、
ジョン・スタインベック や アーネスト・ヘミングウェイ、ジャック・ケルアックとかも流し読みしてみた。
極端に厚さの薄い本(
のづみくん の好きな、フランツ・カフカの『変身』とか)、
イソップ寓話、リルケ、オスカー・ワイルド、ジャン・コクトー、オコナーといった、
短編や詩、散文で構成されたようなモノを読むのが好きだった。(…啄木とかもな)
フツーの恋愛小説とか、ワンパターン推理モノ、一連の捏造歴史小説、
流行りの文芸作品なんて、間違っても買わされないし、絶対に読まない。
過去に読んだそうした本でさえ、今はまったく読んでないし、
アホのマルクスや 糞なエンゲルスのクズ本と同様、
内容は、ほとんど どれも忘れちまった。 (全部、実家の弟にくれてやった)
芝居の勉強…”俳優の卵の殻” (これもクズだ!)の時期は、
色々な台本も読み込んでみた
それも ほとんど覚えてない。
今の俺が本として大事なのは、ストーンズ関連、U2 のCDおよび楽曲解説モノ…
くらいなもんで、その他は もう買うつもりもないし、見たくもない。 
 
俺には、”巷で手軽に手に入る本”というモノは必要ない。
その分、
本を読んだ人の言葉 をいくらか参考にすることもあるけど、
その言葉を信用する気にもなれない。
読書家なんて、ほとんどみんな、”嘘の塊”だと思ってる。
まず、日本の義務教育の現場に流通されてる教科書というモノが、
そもそも、そういう連中によって勝手に造作されてるシロモノだろ。
何十年も現実の世界と かけ離れた内容を連ねておいて、
「今、子供の学力が低下している!」などと、
文部科学省もバカを言ってる。ぬけぬけと。
当り前だ、そんな古くなって腐った教育を今の子供達が必要とするわけがない。
馬鹿も休み休み言えば(教え唱えれば)基地外になるってのは そういうことだ。
(日米安全保障条約 屁の河童だ!)
 
 
ただ、自分の子供が「読みたい」という本は、
家計の財政が許す限り、ぜんぶ買ってやりたい…と思う。
古本屋やリサイクルショップで買ったり、図書館で借りるのではなく、
新刊で手に渡してあげたい。
素直に「読みたい」というなら、何でもいい。
できれば、映画も、DVDのレンタルなどで ”部屋の中”ではなく、
映画館の大画面で、ポップコーンをバリバリ喰いながら、
時には感動するシーンで、そのポップコーンを床にバラ撒きながら、
鼻水を啜ってみたり、目頭を熱くしてみたり。
そういう自由を与えてやりたい。
 
キース・リチャーズは子供の頃、ロンドン郊外に住んでいながら
アメリカ映画 TV番組が好きで、
ギターを弾く ロイ・ロジャース http://ameblo.jp/badlife/entry-10004605242.html  
 
佐渡には、現在、映画館というモノはない。一軒も。
それでいて、”佐渡市”ということになってる。
観光の外国人も、「SADO CITY 」と呼んでくれる。
ありがたいけど、映画館がない。
これも貧しい文化圏だ。・・・・ SAD CITY か? 
佐渡の若者は、観たい映画があれば、朝 早くに起きて、
高額な船賃の汽船へ乗り、2時間以上かけて島外(新潟市内など)へ渡り、
お目当ての映画を観る。
自分の小遣いで賄える範囲のデート代も、往復船賃はバカにならないし、
一番安く 普通に乗れる船も、日に3便 程度しかない。
新潟港から繁華街へ繰り出すにも、定期の路線バスに便乗して、
道路の交通状況によっては30分近くかかることもある。
もしも帰りの船に乗り遅れれば、
翌日の学校には午後から登校することになっちまう。
ご苦労なこった。
遊びたいように自由には遊べない。
でも、佐渡の若者は、みんなマジメだ。基本的に。
島外から女の子を連れ去ったあのアホンダラ以外は、
ワルイことをしでかすヤツはいない。(100%じゃないよ) …今のところはな。
タクシー狩り や オヤジ狩り もなければ、
改造バイクを乗り回したいと考えるアンちゃんが、
どっかのガードレールにスプレーで落書きすることもない。
町や村は、どこもかしこもクリーンだ。
たまに、田んぼや道端に空缶は投げ捨てられているが、
やっているのは大人だ。
クルマの運転をしていて事故を起こすのも、
紅葉マークを付けた車や余所見をしてる叔母さんの方が多い。
爺さんの車が 歩いてる爺さんを轢いてしまう現場もチョクチョクだ。
お互いに先は短いのに。
 
そういうお年寄り連中は、
島の活性化には交流人口を増やすしかない
という問題に取り組めないし、その重要性が判らない。
つまり、庶民の力で協力しあい、
地元の風土や特産物、民芸品、文化交流を活かした
観光都市づくり(観光開発ではない)を進めるって意味が通じない。
現在、7万人弱の島民。平均年齢62~3歳。(キース・リチャーズ と同じだ)
それが生き残って行くためには、
観光で潤わせるしかない。
跡継ぎを諦めたような格好で半分は投げやりの田畑の仕事も、
その日暮らしの高齢者の漁業も、
もうそんな、元気を失った労働では島の生き残りを図れない。
 
映画館がなければ、
ドライブイン・シアターを作ろうとする人もいない。
コンサート会場がなければ、
外からアーティストを迎えるライブ・ハウスを経営しようする者もいない。
ただ成り行きに任せ、日々、生活のための努力を続ける。…どこで疲れを癒す間もなく、ほとんどがな。
そういう、惰性で ”その日暮らし”な人生をお過ごしの方々が、この島に非常に多い…ように思う。
鼓動という音楽集団が、海外のどこで演奏活動をして認められていようと、
関心を持って聴く人は観光客の方が多い。
年に一回のトライアスロンも、島で独り暮らしの大勢の高齢者には関係ない。
 
タケちゃんのページ、
http://ameblo.jp/takeyan/entry-10007058426.html
”夢バトン”ではないが、宝くじでも ナンバーズ6でも、
もしも今、札束きらす財力があったなら、遠藤建設さんでも伊藤建設さんでもいい。
かけあって、佐渡の自然環境をこれ以上破壊しない程度に、
映画館とライブハウスをつくりたい。
そう考えるのは自由だろ。 どう思い描こうが…。
 
そういうことも常に強く、この胸に抱く願望の中にある
”になることを夢見てたという。
今年2005年、今日で 62歳になる。
13歳の時、母親にギターを買ってもらったリチャーズは、
欲しいレコードも何も買えない貧乏な暮らしの中で、
ラジオから流れる曲を聴いては、
ジョニー・キャッシュやエルヴィスのメロディやコードを弾き捲くっていたという。
そうして、チャック・ベリーの曲も全曲マスター したらしい。
で、同じく、お母さんに一本のギターを買ってもらったエルヴィス・プレスリーは、
まったくもってして有名人になってしまったある日、
ある映画を観たいと思った。ところが、
フツーの人と同じように、何か観たい映画を観に行きたくても、
一歩 外へ出れば大変な騒ぎになる。
街を歩いてギャーギャーと騒がれれば、
サインをねだられる人ゴミの中では映画も観れない。
みんなに笑顔を振りまいてるうちには、映画も終っちまう。
そこで思いついた我らがエルヴィス! 
サン・レコードで売り上げた財力を使って映画館を貸切って、
親戚から信頼のおける友人、仕事仲間やレコーディング・スタッフと、
身内という身内を全部、その映画館の席へ座らせて、
フツーに一般大衆の中で観る映画の醍醐味と同じように・・・・・
そんなことをやっていたって、小林克也さんが云ってた…1980年代。
 
今はもう、プレスリーもいない。ブルース・リーもいない。
その映像やパフォーマンスを観たくても、それを並べて用意してる
レンタル・ビデオ屋なんてのは ほとんどない。
これも貧しい。
真田浩之さんを髣髴とさせる(?)若かりし日のアラン・ドロンも、
コンバットのサンダース軍曹も、ドンパチのスティーヴ・マックイーンも、
旧くなったビデオは どこかへ片付けられてしまった。
非常に貧しい。
DVDで観てね!」
といわれても、注文してるうちには、
『リニューアルされたノビタ君』と、
次の仮面ライダーの戦士登場の方が要チェックだ。子供はな。
  

その俺は、

次の春、5才の子供を連れて
キース・リチャーズのプレイ、
ナマで一緒に体験させてもらう
ぜ。
それも俺の家族の自由だ。
頼むぜ、佐渡汽船さん! 
 
 
 
 
 
 
  パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
  アルカトラズからの脱出
 
 
 
    前回のアルカトラズ島の話は こっちhttp://ameblo.jp/badlife/entry-10003723430.html  
                                               August 24, 2005