果たして朱鷺は舞い降りるのか?  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

シリーズ、『日本のアルカトラズ』 第三編 
 
これは、誰に対してという話ではなくて、
まぁ、色々とコメント戴いてる中で、
俺のページの埋め合わせとして書く。 
 
 
   
楽しいばかりの佐渡じゃなくて、
新潟が政令都市に変わる中で、
佐渡市という「市」を名乗っていながら、
問題をいっぱい抱えてる。
現在、トキ保護センターの野生ではない朱鷺は、
キロ2,000円する高級泥鰌を築地から毎日 買いつけて飼育されてる。
もしも、その朱鷺を放し飼いにして、
果たして本当に、自然へ還えれるのか?
過去の自然環境を取り戻すことが誰にできるのか?
疑問というより、自然保護とか環境改善事業だとか、
そういうことこそが既に、自然界の破壊の延長にあると思う。
「チーム・エコ」とか言ってる企業にしても全部が嘘だと思う。
佐渡の小倉や西三河とか、清水や沢のある山の方の田んぼならまだしも、
平地の田んぼや水路に、今は泥鰌はいない。ザリガニもいない。
どうしても生活廃水が混じってしまう油が浮いた側溝を覗くと、
ときどき、なんとかメダカが泳いでいることはあっても、
俺の家の田んぼには、タガメもゲンゴロウもミズスマシもいない。
黒い色のヒルはいても緑色のヒルはいない。
水質や大気の変貌も それほどまでに、
今や微生物の世界までも広々と破壊し尽くされてる現状が
これだけ空気が綺麗に思える佐渡にもある。
それは、今の日本の社会や現代人細胞の老朽化にも よく似てる気もするけど、
どこに朱鷺が住み飼いできる環境があるのか?
誰もこの現実の有様を把握してないのに、
平気で「朱鷺を野生に返す」とか言ってる。
しかもそれが、国の事業の一環として成り立たせられている。
 
俺は、自分の余生を のんびり平和に…などと考えて農業を始めたわけじゃないし、
いま流行りにあるような感覚で田舎暮らしを選んだわけじゃない。
他に生きる場所がなかっただけだ。
今も元気のない島の高齢者の多くが、
その日一日をほそぼそと、なんとか生き凌いでる状態を隣近所に、
俺は人間の嘘と幸福を垣間見ながら生きてる。
かつて、朱鷺という鳥が野生に繁殖していた時代、
人間にとっては今の“現代カラス”よりも駆除の対象だった。
田んぼを荒らされては困るということで、次々に猟銃で打ち落とした。
(…そんなような歴史があったと思う)
今は、数十羽しかいない人造の朱鷺を見て、
「あの羽根の色は美しい」などとぬかしてる。
人間は勝手だ。
最早、この地球上では、自分たち日本人こそが絶滅危惧種であるかも知れないのに
今まだ「自然をなんとかしよう」と考えてる。
特に学者や都会から流れてきた立派に勉強をしてきた連中のみなさん。
アホかと思う。
現実の世界に生きている人間が“やっと”の状態なのに
他の生物種族の面倒なんてみれるわけがない。
毎年の減反で使われなかった田んぼには
次の年に「使ってもいいよ」と言われても、
たった一年放っておいただけなのに、そこではマトモな稲作にはならない。
そんな貧弱な米は誰も買わない。
今後、全国の農協へ出荷される米は、
その売り買いの一切を国が面倒をみるのを止めることになって、
米の価格はどんどん下がって行くことになる。
年金が貰えた世代の高齢者であろうと、
他にサラリーマンとしての仕事を持ちながら、
昼夜寝ずに働き詰めの兼業農家のお父さんであろうと、
酒もタバコも消費税も農耕器具の年長費や管理費も、
生活はどんどん切り詰められる。
素晴らしく束縛された自由。
十年近く前になるか、朱鷺の卵が孵化した時には
みんなで騒いだ。流行りに乗せられて。
町で何かの商店でも何でもないのに、
車が行き交う通りの民家の家の窓ガラスには、
今でもその時に貼り付けられたままの色あせたポスターがある。
曽我さんが帰って来た時にも、みんなで騒いでカネを集めた。
でも、過ぎ去れば忘れてしまう。
ジェンキンスさんの本が何千万部と売れようとも、
現実の世界で、日々、余裕なく生きる大勢の一般庶民…佐渡の島民には
ほとんど無関心な状態だ。若者もみんな冷めてる。
たとえ何かの祭りが行われても、どの企業にも商店街にも、活気はない。
「もう潮時だね」
そんな台詞もないまま、次々に店をたたむ姿も珍しくない。
松坂牛のタネ牛は佐渡牛だ。
烏賊もイナダも寒ブリも、
酒も肴も旨いし、米も日本一と思う人がいるほど自慢できるモノを作っていても、
決して裕福な島国ではない。
 
もしも、本土と行き交いする船の船賃が今よりも安くなるなら、
それだけでも、かなりの観光事業所やホテルが救われる。
温泉もある、島の住民の地域生活に根ざした様々な催しもある。
島の猟師や農家の大漁や豊作を祝い、祈願する祭りには
必ず、地域の神社を主体に“鬼太鼓”という伝統芸能がある。
そこから発展して、“鼓童”という、
海外にも認められた素晴らしい音楽集団の本拠地でもある佐渡。
 
この佐渡という地に現在、六つもある酒造蔵(かつては14軒あった)のうち、
俺が冬場だけ世話になっている蔵元では、
毎年、色々な商品を開発している。
そこに、朱鷺そのものの格好をした“とき徳利”というモノがある。
中身は、蔵元でつくる吟醸、純米、本醸造、普通レギュラー酒という分類のうち、
蔵元でいちばん旨いとされる特別本醸造の酒が詰められている(720ml)。
それは、長年、社長自らが、自分が汗水たらしながら働き生きてきた佐渡の地で、
その島の素晴らしさを一人でも多くの人に知ってもらいたい
という念願を込めて作った一品だ。
他の蔵元や観光事業所では誰もやっていない。
「世の中には、お酒が呑めない人もいるでしょう」と考え、
酒を一部の原料とするケーキや饅頭、せんべい、飴、ヨウカン、チョコレートに至るまで、
すべてオリジナルで開発して来た人だ。
そこへ酒造見学コースを入れた観光バスが一日に30台以上、
多い時は60台が訪れる。
その立ち寄られる一人一人の観光客に対して、社長は、
「この漬物はですねぇ、すべて佐渡で採れた野菜を使って、
うちの酒粕で一年間じっくりと漬けた物なんですよ。
おいしいですから、どうぞみなさんで遠慮なくご試食ください」
と丁寧に案内しつづける。
何千本という山ウドを自分で作り、それを酒粕漬けにする。
夏場は自分の船で一人、沖へ出かけ、
大量の魚を釣って来ては、40人の従業員に配る。
他人に貸しはつくらないが頼まれたことは決して断らない。
根っからの商い人だ。
そんな社長を俺は今まで見たことがない。
「島が生き残って行くためには観光事業しかない」
その考えは正しい。
農業や漁業がどんなに頑張ろうと、
島外からの企業の参入がどうあろうと、
国内外からの観光客を呼び入れるほどのネタを揃え、
交流人口を増やさない限りは、
島の活性化はありえない。
朱鷺が飛ぶ空など、程遠い現実だ。
 
 
2月の28日で、一年分の酒づくりの仕事が終わる。
長いようで短い半年間。
そこで杜氏さんや蔵頭は、
3年目の仕込みに携わる俺のことを職人の一人だと認めてくれている。
でも決して、それに応えられるだけの仕事のこなし方をしているわけではない。
俺という人間が常に、俺が俺の中で自分ではない時間と葛藤し、
見えないモノと闘う中で、
どうしても迷惑をかけてしまうこともある。
そういうときは、家へ帰って来ても元気がないこともある。
そういう俺を見て子供は云う。
「たまには ちゃんと、お布団で寝た方がいいよ」
 
俺の眠れない日々はつづく。
 
いつまでなのか…。
闘いは已まない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

          シリーズ 『日本のアルカトラズ』 

 

 ① http://ameblo.jp/badlife/entry-10003723430.html  August 24, 2005 

 

 ② http://ameblo.jp/badlife/entry-10007185077.html  December 18, 2005 

 

 ③ http://ameblo.jp/badlife/entry-10009510907.html  February 27, 2006