現代教育を通じて…。ここへ訪れてくれた方と心が通じ合える自分でありたい今日を見失わないために | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   
   sub title : “Mind Resolve” ~ 俺の軌道修正 
          「とぎれたものをつなぎあわせたい」の意味…というか、能書き。

   
   
先日の七夕2006年7月7日の出逢いには色々あった。
   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10014415165.html
   
このページのコメント欄による交流で
読者登録をしてくれた人もいたり、様々に気づかされることもあり
こんな野郎のページを読んでくれる人がいることは かけがえのないことだ。
なんともありがたい。
そんな中、そのページタイトル にある七夕のキーワード検索でひっかかった方なのか、
2006.07.09 の日付で、PR風なトラックバック が送信されてきた。
http://www.zeroichi.com/2006/07/post_111.html  
正直に云うと、いっときは
「俺が書いた内容に関係ないじゃん!
 そういうのは
こっち
のページ へ送ってくれ!」
という気持ちで、
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004026965.html  “やればできるシステム” 【予告編】
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004163605.html  先生、木曜日には気をつけてな。
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004163650.html  現場に活かせる知識 2.
http://ameblo.jp/badlife/entry-10012067117.html  現状の確認 ~ 今は何時代?  自分がどうして ここに存在するのか?
                            テーマ 遅寝・遅起き・登校拒否 より)   
これらのページを即日速攻バンバンと送り返してしまった。 (ごめんなさい)
そういう馬鹿げたことをしてしまった俺は、よくよく考えてみて
「書いている内容も内容だけど、俺って幼稚なヤツだよな。
これじゃぁ、この一年の間、自分がやってきたことが台無しだよな。」
などと、つくづく “和マサ
と精神を二分する己の葛藤を想いつつも
自分の人間としての欠点を色々と考えてみた。
   
かつての俺は他人の不幸を見ると「ざまぁみろ」という卑劣な奴でもあった。
それに言い訳を付けると切りもないけど
まぁ世間一般の人から見ても…正常ではない。
気ちいを通り越して、この世の者とは思えない頭の構造だった。 …今も たいして変わりないが
どこでどんな災害で誰がどのように苦しみ、何百人の人がどのような形で死のうと生きようと
「それは最早、この時代において必要以上の者を排除する人口調節に過ぎない」
という…フツーの人には理解不能と思うけど、
ある意味、兇悪思想に洗脳されたテロリストと変わりない。
自分の存在を含めた世界人類を憎んで
人類の愚かさだけに目を向けて固執するネガティヴな精神状態の反復…
世の中には様々な人間がいて様々な考え方があるので
現実の世界に、こういうのが俺の他にいるかどうかは別として
それが一体全体どこからはじまってるのか? 
俺の中に混在する俺とは別の意識が
本来の俺をそういう極端な方向へ引っ張るのなら
その邪悪な物の考え方のすべてを曝け出して
俺は俺自身を前向きな方向へ導くようにしないと
この先、自分の周囲の人間に多大なる迷惑を蒙らせることになっちまう。
   
20世紀終盤から今世紀初頭にかけての自然界の変化…
数々の大きな災害惨事や異常気象による人間常識の崩壊。
そしてそういう自然界が壊れる前に、人間の頭が壊れてしまうような
破壊工作や大量殺戮もあった。
人類を襲う難病や疫病の流行も、幾つかの伝染病の拡大も
誰にどこまで歯止めが効くか利かないかは
単に“変わり者”としか思われない俺に視えてしまう“断片的な未来図”を
どんなに丁寧に説明してみても
この時代に生きる大勢の者に伝わることはない。
なぜなら、そこには「人に合わせる」という心がない。
まったく愛のない存在の口走ることには、誰も耳を傾けることはない。
おそらく、“和マサ”という50年前に自分の息の根を止めた奴もきっと
嘆きとか怒り、憤りも通り越して
それに近い狭苦しい考え方で、勝手にも
青酸カリを呷って即死するという計画を実行したに違いない。
そしてその家族父親の親族ご一同様は、
そういう異質な存在が存在した事実を包み隠すように
孫の代にはすべてを伏せてきた。
ところが、“和マサ”って奴は、マトモには死んでないので
肉体を失った今も、今生に彷徨う意識として
筋肉が必要以上に硬い俺の肉体を媒体として
生前に悩み切れず苛んだ思いを誰かに訴えつづけている。
その意識に支配されちまいがちな俺は
奴の本性を暴いて、その暴走を抑え込まなければならない
また、それを利用することで
世間を賑わせる犯罪や不条理…
そういった諸々な惨劇や社会の形相が増加する原因を噛み砕いてゆく。
政治も経済も宗教も教育も医療も
俺のようなちっぽけな人間(?)が生きる世界とは別なところで
大勢の人に悩み苦しみを用意し、
その、誰も注文してもいないようなオーダーにストップをかけようとはしない。
   
なんなんだろう? この世の中は?
   
その疑問は正しいよ。
・・・・自分の心の中で喜怒哀楽が正常に働く肉体を持った人ならな。
ただ、嘆いたり、哀しんだり、慰めあったり、
そういう“チャリティ・ショウ”っぽいところばかりに留まってはいられない。
もっと先へ進む必要もある。
テレビを観て、胸クソ悪くなる報道の内容に目をやって、
どうしても耳に入ってきてしまうニュースを聞いてみて、
「もう見たくないよ、聞きたくない」
「これ以上 見せないで。 知りたくないよ、そんなことは」

というほどの過剰な報道。メディアが氾濫させる誤った見解…。
いつ誰が、どこでどうして、何のために、
どのような犯罪に間接的に関与しているのか? 
もうこの辺で清算した方がいいよ。
どっかでチャラにしないと、この先もっと酷くなっちまう。
・・・・特に今のこの日本の教育国家の範囲内ではな
   
それが俺一人の人間にできるわけでもないし、
そんなことを必要とする人間は…いないかも知れない。
ただ俺は、俺の父親方のお爺さんが、かつて、
戦艦大和の製造に携わり、広島に投下された原爆に被爆したこと も http://ameblo.jp/badlife/entry-10003291257.html
母親が あらゆるものを犠牲にして「精神病」と呼ばれ、
肉体と心のバランスの不具合に苦しんできたことも http://ameblo.jp/badlife/entry-10006430345.html
高度経済成長期の中で懸命に生きた父親
様々な経済思想の教育によって自分の人生を台無しにしてしまったことも
事実は事実として利用する。
第三者に“気づかせる”きっかけをつくる題材にする。
くだらない俺という人間が経験してきたすべても含めてな。
そこには、俺の人生とは無関係な人に
ときどき失礼があることもあるかも知れませんが、どうかお許しください。
一人一人の心の中でバラバラになったモノが一本につなぎあわさられるためには
ちょっとした犠牲も必要かも知れない…わけです。
読者のみなさん、ごめんなさいね。
俺は決して、あなたのことを書いているわけではない。
俺自身が思って感じることを書いている。
それでもそこには、
あなた自身のことが書かれているように思ってしまうこともあるかも知れない。
同じ人間だからな。仕方ない。
人間がこの世に、創られ、産まれ、育ち、死に逝くという事実は
誰にも逃れることのできない事実だし、
この時代に存在する命は、この時代だけで終わるわけではない。
次ぎがある。
その確かにつながっている、繋がってきたモノは
途切れさせたり途絶えさせたりしてはいけないわけ。本当はな。
子孫繁栄の義務にしても、男女の結婚にしても、
人間であるなら、自分の子供を殺すなんてことはできないでしょ。
他人を憎んで、そこから成長しない自分は放っておけないでしょ。
ましてや、自分で自分の息の根を止めるなどという、
勝手極まりない兇悪犯罪行為なんて、もってのほかだ。
って、そういうことをもう少し大切に考えて生活してりゃぁ、
この高齢化と少子化が進行する社会で惚けてる暇 はない…と思うよ。 http://ameblo.jp/badlife/entry-10013364666.html
   
   
だから、ここへ、このページへ訪れてくれたみなさんと
今日こそは、心が通じ合える自分でありたい、ありつづけたい。
そういう今の俺は、
http://ameblo.jp/badlife/entry-10014719117.html  July 15, 2006
http://ameblo.jp/badlife/entry-10014741487.html  July 16, 2006
この二つのページを書いたときの自分と
昨日までのコメント欄での読者交流を大切にしようと考えた自分を思い直し、
もう一度あらめて、
冒頭に触れたトラックバックを送信してくれた先の、
古賀さんという人のブログを読んでみた。
そこにはこんなページがあった。
   
http://www.zeroichi.com/2006/07/post_116.html

   
1980年代、イギリスで狂牛病が発見された当初、
牛肉業者を支援するような格好で
テレビ画面の中でステーキを喰ったパフォーマンスを演じた、
あの、マーガレット・サッチャーさんの話が書かれていた。
   
う~ん、題材はともあれ
イギリスという雨の王国
が19世紀から20世紀に渡り
それ以前からも)様々な社会変貌を遂げてきた背景に
多くの人間の努力や犠牲があったことを
音楽の世界を通して(断片的に)
知る俺としては
「とぎれたものをつなぎあわせたい」
という意味でも、色々と考え直す必要もあるな・・・・などと思った。
   
アダム・スミス
ウィンストン・チャーチル の功績は
歴史的にも様々な面で今もって重要な存在とされ、
俺もチャーチルという人物は人間的に大好きな人だし、
現在のイギリス国内にもチャーチルを指示する若者も多いらしい。
   
ロックンロールという音楽ジャンルの発祥は1950年代のアメリカで、
「ロックン・ ロール」という言葉を造ったのは1953年の  

アラン・フリード というアメリカ人らしいけど
“ロック・ミュージック”の素晴らしさを世界に知らしめたのは
チャック・ベリーやエルヴィス・プレスリー、ゲイリーUSボンド等を参考にしながら
独自のスタイルを確立したビートルズやローリングストーンズほかだった。
1960年代、イギリス(ロンドンの興行界)からデヴューした彼らのスピリットは、今も
音楽を通じて世界中の大勢の人の心へ浸透し
ある時は社会に疑問を感じ、またある時は社会への反抗をよぎなくされ…
ロック・ミュージックが言葉や人種、国境の壁を越えて
人々に伝えた情熱や“愛の確認事項”は計り知れない。
決して、宗教や特定の教育思想に左右することなく
若者文化を中心に自然に浸透し、万人に共有された、
人類の財産としての“ロック・ミュージック”がある。
その間、アメリカ社会におけるジャック・ケルアック
という作家や ボブディラン等が、
1950年代~70年代の先進国の若者の社会意識に与えた影響も
色々と大きいところもあると思うけど
白人が黒人音楽の素晴らしさを
ありのままの自分で自分達なりの表現で解釈したという事実は
やはり、イギリス本国。雨の王国ならではの特色…だよな。
  
参照 self text ☞ http://ameblo.jp/badlife/entry-10003921711.html
   
そしてそういう国の教育対策や教育水準の高め方には
民間の声を政策に反映しようという取り組みが どこまで充実しているかは別として
色々な人の意見を参考に、色々な人たちで協力して
一つの問題解決に一人一人が積極的に取り組んでゆく…という前向きな意識は
“革命の国”フランスと並んで
今の日本人が失いかけている(あるいは既に失った)人類意識向上の精神かも知れない。
そういう面は、音楽や教育の分野ばかりでなく
イギリス国内で人々の歴史によって育まれた議会政治の在り方や
一人一人の犯罪者を公平に裁く“罪を憎む裁判”の在り方などにも
色々と参考になり、我々日本人という人間も見習うべき部分も多い…よな。
今のフランスもイギリスも、イタリアもドイツも、ルーマニアもオーストリアもその他 略
根本的に大衆の意識そのものが一本筋が通ったモノとして確立されてるわけだ。
サッカーを観ててもそう思うよ。(俺はあんまり観てないけど)
ヨーロッパの人たちってのは様々な戦争や流血・無血革命を繰り返したりして
過去の自分たち…人間の汚点や反省点を決して包み隠すことなく
世界に曝け出して、そこから改革改善を推し進めて今日に至ってる。
(未だに融通の利かない部分もあるにはあるだろうけど)
だからこそ、あらゆる芸術分野における理解も深められ、
精神向上のためのスポーツマン・シップが様々な競技種目の観戦と共に育まれてきた気がする。
そういう意味では、たとえば
伊丹哲也という、世界ではまだ無名な音楽家の一人が
世界を見つめるシンガーソング主夫(2006年7月14日)として、
時代爺 (じだいや) ~ 明治時代の最後に生まれた爺さんの唄 ~
という曲を歌い、演奏し、それをご自身のサイトの中でも紹介している。
   http://home.p02.itscom.net/fighting/
 伊丹哲也 OFFICIAL WEB SITE
   
チョンマゲ時代の日本人が、遙か彼方の海の向こう側からやってきた黒船を見て
「世界は広い」と気づいたときから、
あれもこれもと慌てて異国文化に被れはじめ (…今も あんまり変わんねぇけど
色々な試行錯誤を繰り返してた頃、
“えげれす”の人達は、モーツアルトの肖像画みてぇな格好をやめて
男性は、スーツやタキシードにシルクハットと素敵なステッキ。
女性は、華麗なる色とりどりのドレスを身にまとい、
馬車が走る道の横へ鉄道を敷いて、造船技術に磨きをかけ、
オランダやスペインに負けることなく、
その昔、シルクロードから伝わってきた情報を確認しようと
一生懸命に海を渡り歩いた。
また、その人たちの身振り手振りや拙い通訳の言葉を頼りに
ドイツやイタリアへ渡った日本人もいた…ヰタ・セクスアリスの鴎外さんとか…
その後、英国紳士がマントを翻すユニオン・フラッグを掲げたイングランドでは
自国に栄える緑を根こそぎ伐採し
自然界のあらゆる均等を破壊するほどにまで
経済追求と利益確保の競合のために
我も我もと木炭を燃やした噴煙で、
見渡すかぎりが厚い曇に覆われたロンドンの空。
マッキントッシュのレインコートとかコウモリ傘も発明されるほど
雨の王国 となった英国。そこでは、
音楽もサッカーも、かつての黒人暴動も
常に人間の自由を確立するための意識変革の中にあったわけだ。
「もう自分の命がこれじゃぁもたない」
「ちょっとひと暴れしてやろうぜ!」
ってことが、悪い方向性としては失業者の暴動やフーリガンだったかも知れないけど
いい面(?)では、パンク・ミュージックの発祥や
U2というバンドの世界進出
そして何より、ローリングストーンズの“Satisfaction”という曲 の世界的なヒットも、

そういうところにあるように感じる。
   
んで、偏屈な俺の歴史観の今昔ゴタクはともかく
そういうことを念頭においた俺は
古賀さんの
http://www.zeroichi.com/2006/07/post_112.html

このページへ、次のようなコメントを書き込んでみた
   
  はじめまして。
  先日はトラックバックいただき、ありがとうございました。
  慌てて妙なトラックバックを返信してしまい大変失礼しました。
  そして改めて、このブログを拝読させて頂きました。
  7月13日に古賀さんが書かれた『諸外国の教育事情
』の中で 
  今後の日本で学校運営(ないしは学校教育)というものが
  「民営化することによって得られるメリットもある」
  という点には、自分でも大変興味のあることです。
  自分は今、来年 小学一年生になる息子を持つ親として佐渡に住んでいますが
  個人の能力を画一化してしまいがちな
  今の日本の義務教育制度の諸々に非常に疑問があり
  次世代の未来展望などを考えると不安もいっぱいです。
  そういう意味でも
  “教育”ということに対して公的機関よりも真剣な取り組み
  あるいは限りなく柔軟性ある姿勢で
  世の中の未来を明るくできるのは
  古賀さんのような熱心な指導者に可能性があるように思いました。
  一ヶ所に大勢を集めて融通の利かないマニュアル化通りの指導ではなく
  家庭教師のみなさんが一人一人の子供を見つめながら仕事をする、
  その大切さを見習うべき…とも思いました。
  今後もしも、どこかで壁にぶちあたったりしたときは
  またここへ訪れて現実を直視し、
  今の教育社会を客観的に捉え
  自分を励ましたい気持ちです。
  ありがとうございました。
   
  投稿者 みなみ まさあき : 2006年07月17日 05:25

   
   
七月九日の時点で乱暴に打ちまくったトラックバックの内容が内容だったので
「このコメントは公開されないかもしれないな」   
という気持ちもあったけど、
古賀さんという教育者は、なんと心の広い方なのだろう!
アホで無様なこんな俺の、
誰一人として耳を傾けてはくれないような声を
そのコメント欄にちゃんと公開してくれていた! 
嬉しいじゃねぇかよ、フレンドリーじゃねぇかよ。
古賀さんという人の顔も姿も知らないけど
おそらく その人は、
大勢の人間に慕われる心の許容量を兼ね備えた人なんだと思った。
   
みなさん、トラックバックの送受信てのは
一歩まちがえると お互いの心にマイナスな面を残したまま終わって
それは次の瞬間から、お互いの中で忘れ去られてしまいがちだけど
自分の心に素直であろうとするなら、きっと
“今の自分が生きるための励み”のひとつになるみたいですよ。
   
って、そういう意味で、
ブログ、ウェブブログってのは、そのサービスを利用する一人一人の人間にとって
単に流行りの“ネット日記”や暇つぶしの材料ではなく
精神を向上させるためのコミュニケーション・ツールなんだよな。
俺は今頃になって、そんなことに気がついたよ。
   
どうもありがとう! 
   
   
   
   
   
   
   
   
   
    ということで、以下、このページの続きに
    昨日までの俺が「どんなヤツ?」だったかをリンクさせておきますが
    既に読んだことがある方は
    明日からの更新をお待ちください。
    
    なお、ここから捲るページは、幾つかのページを連ねてあり
    少々(かなり)長い内容になるので
    「そんな者につきあってる暇はない!」という方は
    いつの日かまた想い出したときにでも
    ここへ訪れるなり
    “何かを見つけるための手がかり”として・・・・いずれまた。
   
   
        
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004488617.html
   
   
   
   
   mac02