やっかいなオマケ人生       みなさん、この一年、どうもありがとう!  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
 sesami-barns
   
これは、うちの奥さんが焼いたパンなんだけど、
パン生地に胡麻を入れてバーンズにしてある。
“広告の上”ではなく、ちゃんと皿に乗せて
テーブルにワインボトルでも飾って撮りゃぁ、
もっと見栄えもいいのかも知れないけど、      (しかも喰いかけじゃなく
んまぁ、子供のオヤツに焼いてるようなパンだから
そんな体裁を気にするまでもない。    (本人は愛情を込めて焼いている
   
うちの奥さんは、パンとかケーキ、クッキーとかビスコッティ、その他、
洋菓子風なモノを創作するのが趣味で、
俗に、“綺麗な美しい皿”に乗せるようなものを作るのが得意らしい。
その中で、チョコレートケーキがウマイ! 
デパ地下で契約販売しても大丈夫…かも知れない。  (…自分の妻を自慢してるわけではない
子供ができる前は、誕生日などの祝い事に拘らず、
俺だけがワンホール丸ごと食べられる新婚生活があった。
都内港区で生活してた時期、
よく麻布十番商店街に買い物へ出かけ、
何を買うにも1,000円以下の物しか買わない俺が、
あの界隈の酒屋で、ハワイ産の真っ黒いラム酒を買ってみた。
香りはいいけど、マトモには飲めない。苦いし、ドロドロのシロップのようなもんで、
カクテルをつくるためのリキュールの一つだったのかも知れない。
んで、うちの奥さんは、その「ブラック・ラム」を使って色々なチョコレートケーキを焼いてくれた。
最近ようやく、その“隠し味”のボトルの中身が底をついた。
そんな物は佐渡には売ってないので、今後は違った工夫が必要になる。
パスタ料理とかにも材料にコダワリがあるのか、
佐渡にはない物を富沢商店とかいう業務用の食材屋(?)から取り寄せている。
今も決して裕福な暮らしぶりではないので、年に2~3度、
俺に臨時収入があったときとか、生活費としてわずかに余った分と
自分で貯めた小銭貯金をやりくりしながら、
子供のオヤツのために島外から材料を調達している…らしい。
調理道具とかも、もっと贅沢をさせてあげたいけど、今の俺には難しいな。すまん。
そんな、家族団らん大好き人間の うちの奥さんは、実のところ、
焼き魚とか焼肉とか、そういった類いの居酒屋料理みてぇなのが、どうも苦手ならしく、
揚げ物もあまり上手ではない。 (煮物や鍋料理は大丈夫…らしい
カラっとした天ぷら料理は一度も見たことがない。
道具の問題もあるらしいけど、
設備的にフライヤーでもありゃぁ、ちっとはマシな格好になるのか? 
一般家庭にフライヤーがあるうちは、そうそうないぜよ。
油がもったいないしな。
   
俺自身は、鍋でメシを炊いて生活してきた人間なので
味噌汁や煮物以外は だいたい作れる。
自分で云うのもなんだけど、とくに卵料理が…それなりにな。
プレーン・オムレツでも温泉卵風のゆで卵でも何でも大丈夫。
いちばん得意なのは目玉焼きだ。絶対に焦がさない。
一人暮らしの貧乏人の知恵も幾つかあって、
炊き上がる寸前のメシの上へ、色々な食材を乗せると、
魚でもなんでも蒸しあがったモノがオカズになる。
でもそれは料理ではないな。
ただのモノグサ食生活の一つだ。自炊未遂 に近い。

それでも光熱費は幾らか浮くだろ。
芸能人の一ヶ月一万円生活ではないけど、
他にも色々と工夫(?)はあった。
コーンフレークの上へ、レトルト・カレーをかける。
これが意外にイケル。 (…それも料理とは云えない
人参をスリおろして、マヨネーズを加え、
よく混ぜ合わせてから茹で上げたパスタにかける。
更にオリーブオイルをまぶしてグルグルかき混ぜる。
するってぇと、なぜかピンク色に近いソース・パスタになる。
味は好みにもよるが、見た目はタラコ・スパゲティ。まずくはない。
役者の世界に憧れてたカネがない時分、
原っぱで大量にひっこぬいてきたノビルをテンコ盛りで みじん切りにして、
それを賞味期限切れの納豆と混ぜたりしてた。
納豆という食品は、最初から腐ってるので、
冷蔵庫へ保存しとけば一ヶ月以上(もっとか?)…俺は安心して喰ってた。
あの食材は、いろいろ使える。混ぜれば混ぜるほどウマイ。
タマネギと卵とミックスして焼くと部屋中スゴイ匂いになるが、美味。
安いエノキの瓶詰めを味噌であえて、千切りにしたキューリに乗せる。
かなり濃い味なので、おかず(?)が終わるまで何杯でもメシを喰える。
お父さん、酒の肴にもいいぜ。
アルミホイルに指でマーガリンを塗りつけたところへ
シシャモを寝かせ、レモンとニンニクのスライスを乗せてからホイルを包む。
それをそのまま油も何も敷かないフライパンで焼く。
たまんねぇぞ! パリジェンヌになった気分だ。
イザベル・アジャーニ と友達になれるかもしれない。(アホだ) 
http://ameblo.jp/badlife/entry-10011431271.html
梅干の種を外した梅肉をマナイタの上で叩き潰して
チューブの練りワサビと混ぜる。
その味なんて、京都の銀閣寺が見えるぜ。
問題は大根だ。
これもとにかく、ひたすら、おろし金でおろす。
腕が痛くなるまで二本まるごとボールにおろす。
それを安い豚肉と一緒に鍋で煮込む。
出汁には手間を省くために昆布茶を入れる。小匙で加減してな。
色がつまらんので、セロリーの葉っぱとかも入れる。
テーブルのど真ん中へ置いて、レモン醤油で食べる。
絶品、「雪見鍋」だ。
ミゾレの中に発見した数少ない豚肉がいとおしい。
   
んまぁ、料理というほどではないけど、
色々やったな。
でも最近は、ほとんど何もしてない。
台所へ立ってもせいぜい10分。
井戸水をケトルで沸かして、珈琲をドリップさせるくらいだ。
あとは面倒というか、…しない。
   
現実の世界に生きていて、
自分自身と“和マサ”の区別がつかないようなときは
三食のメシを喰うのも面倒なこともあった。
また、一日中仕事をして腹が減って何か食べても、
何週間か、物の味も匂いも まったく判らないこともあった。
おそらく、自分ではなくなっている時間だったんだろうな。
浮かばれずに死んで、次に再生されるべくしてある分解に至らない者の魂は、
嘆き哀しみの想いが募りに募って、ただただ彷徨うだけのことはあっても、
連中が居座っている場所(?)には時間概念も空間概念もないので、
肉体を持って生きていたときの五感の働きなど もちろんない。
当然、味や匂いを感じることもできなければ
寒いとか熱いという感覚もない。
当然だ、完全に肉体がないんだからな。
ところが、そういう連中のうち、クタバリ損ないの動物の霊も含めて、
自分で動かす肉体を「欲しい」という欲望のようなものは…あるらしい。
正確には欲望というより、自分が突如として肉体を失ったことがよく解らないために
入りやすそうな場所へ乗り移ろうとする。
要するに、こちら側の世界でいうところの「憑き物」ということだ。
このボディ・ジャック現象は、いま入って今すぐ抜ける…という段階なら、
入られた本人も、なんとか救いようがある。
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10013489579.html
   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10013364666.html
   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10008536226.html
それなりに人間らしい体形を保っていて
からだ全体の筋肉の血の巡りが人間として正常なら大丈夫なわけだ。
ところが、絶滅したはずの動物のうち河童とか、(あれは妖怪ではない
ハンターに殺された川獺とかイタチ、狸、狐。あるいは、
交通事故で死んだ犬や猫など、(あとは家畜の牛や馬とか…)
そういった類いの獣で、人間の生活区域に近い場所で突如として命を失い、
死んだ亡骸から瞬間的に分離した“動物の魂”の場合、
そいつらは自分が死んだことに気づいてなかったりするケースもある。
それが運良く(?)
筋肉に血と気の流れ、血液循環が通常のスピードより遅くなった人間の肉体へ入り込むと
それに気づかないまま、何年も何十年も生きている人もいる。
特徴として、夜は寝ないし、眠れない。眠る必要がないほど おかしな人もいる。
中には、神通力のようなものもあって、それで他人をバカしたり、
超能力と勘違いして、離れた場所から小さな物品を破損、破壊したりする輩もいる。
決して、神聖な能力でも何でもないのに、
あたかも自分が「神に選ばれた存在」かのように、
「ミエル」「キコエル」「カンジル」…そういうことを得意げに自慢している馬と鹿もいる。
人間ではないんだ。人間の皮を被った獣。
そういう者は、まったくもってして、目つきも人間ではない。
物を喰うときは凶暴な瞬間もあったりする。
皿に顔を突っ込むように食べる格好もあれば、
鼻と喉の繋がっている辺りからフゴフゴと音を立てて物を喰う者もいる。
肉体的な支配を自分の魂以外の意識に操られるので、
一年のうち、疲れがどっと出て、寝込んでしまうこともある。
それは単に躁鬱病とかの問題ではない。
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10006430345.html
こういうことについては、この一年の間にも幾つかのページで、
そこまでに至る具体的な原因について、
精神の問題より肉体的な面で色々と解説してきたけど、
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10007511429.html
ポイントとしては、子宮下垂が酷い女性の生理前後とか、
極端なダイエット、瞑想、断食、何か宗教的な修行。
あるいは、事故や災難によって数分、数十秒間、意識を失った経験があるとか、
その人の肉体の損傷の程度には関係なく、全身の筋肉の血液循環の異状という意味で、
肉体が死にかけた状態に近かった経験のある人に起こりうる可能性が高い。
要するに、アンバランスな肉体と心の歪みが極限状態になってしまったときだな。
   
生きている限りは疲れれば、いつかは眠くなるので、まったく寝ないわけでもない。
ただ、猫や犬が寝ているときと同じような格好で身体を丸めて眠っていることや、
寝顔そのものも犬や猫に似た表情をしてたりする場合もある。
もっと判りやすいのは、よく、そういう獣が伸びをするような仕草で身体をくねらせてみたり、
人間以外の動物のようなアクビをして寝ている者もいる。
側にいる普通の人間も見れば判る。明らかに「ヒト」の習性とは異なる気配。
年齢や男女の別を問わず、
「私は幽体離脱した」などと言ってる知識のない、浅はか者に限って、
結果的に、そういう性質がある場合が多い。
本来の人間としての自分ではない時間が長ければ長いほど、
中に入り込んだモノも抜けにくい…というより、居心地がいいので居座ってしまっている。
動物霊の場合はな。
   
んで、俺の父親の兄、50年前に自殺した“和マサ”にも、
生前は何かに とり憑かれている時間が長かった模様…。
俺はそれが、鼠なのか鳥なのか、まぁそういった類いの小動物系だと思うんだけど
俺の肉体は、死んだ“和マサ”とは別な物なので、
ハッキリと何かは判らない。
ただ、ヤツが青酸カリを呷って即死した瞬間に、
それ以前にヤツの中に入り込んでいたモノも離脱しているので、
もしも、
俺の中にしばらく混在していた“和マサ”に、俺が完全に乗っ取られる形で、
50年前のその瞬間に遡るなら、ソレが何か視える可能性もある。
だけど、そんなことはできない。
俺の肉体は俺の物だ。
俺の魂が支配して使うように用意された物なので、他の者の自由にはさせない。
既にヤツはそのことに気づきはじめてもいるはずだ。
俺を自分と同じ目に合わせることはできないということをな。(今のところは…
   
   
と、料理の話から、いきなり現実離れした話になったので
読者の中には困惑してる人もいるかも知れないけど、
現実に肉体を持って生きている俺そのものには、
日常の中で、普通っぽい人間でいられる時間と
別な意識に操られそうになる瞬間…格闘がある。
それについては、前回、「魂のモグラ叩きゲーム 」と題したページの中で

断片的に書き残した部分があったけど、
本日、“Mind Resolve”、サイト配信一周年ということで、
今までの『“和マサ”と俺の関係』を
俺は自分なりにオサライしておきたいと思った。
   
大丈夫。単なる日記だ。
ただし、巷の精神世界ゴタクの数々の分野では解明できなかった部分と
世界の三大宗教の中でも、ずっと長い間、謎に包まれていた部分。
そして、世の中のどんなに分析力の高い犯罪心理学の分野においても、
“カツオ爺さん”や俺が書いている内容のように
目に見えない世界を現実の世界に繋げて解き明かした者はいない。
「あの世」と「この世」の区別を今後、何者かがハッキリ認識できるようになるためにも
ここが重要だ。
たった40年間の俺の実体験が、これからも続くらしき実験的な“存亡の格闘”が、
世間の常識にある誤った認識や勘違いを軌道修正できるのなら、
俺は俺の命を利用する。
そうすることで、もしも誰か、たった一人でも、
次の瞬間に自殺を試みようとする“嘘の自分”に思いとどまったり、
あるいは、何か病気で死ぬことと、人間として本来の自分の寿命を迎えることが
まったく別のものであることに気づくきっかけになれること…などを願う。
ときに、俺のおかしなセンスで、『ヘヴィ・ウェブログ』という軽めなワークタイトルであったとしても、
これまでも、そしてこれからも、その内容は重苦しかったり、
何度と読み返そうにも意味不明な箇所も多いかも知れない。
俺もなるべく、難しい単語や漢字とか、
宗教や精神世界で使い古されたクソな専門用語は遣わないように心がけ、
一般的な現代人と次の世代が、少しでも理解しやすい内容で書いてゆくようにしたい。
学問ではなく、特定の思想でもなく、
人間が人間としてこの世に生きるために必要な“手がかり”を残す…という意味でな。
   
   
この“Mind Resolve”の実行にあたり、
幾つかの要点を抑えておく必要もあるんだけど、
俺自身としては、その日その時、
「これは書きとめておかなければならねぇな」という気持ちで、
“和マサ”と俺の関係については、あちこちのページに分散して書いてきた。
このサイトをマトモにぜんぶ読んでる人は、いない・に等しいと思うけど、(今はまだな
まず第一に、『人間の設計図 』という書物を記した人の存在がネックになっている。
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10002872663.html
そんな、人間の『設計図』なんてものが、この世にはなかったし、
巷の情報氾濫…人がこの世に生きて生かされる上において精神を撹乱させるような
遺伝子や脳内・脳味噌構造の嘘っぽい話、生きるために必要以上の知識とは別に、
人間の心と身体が、この自然界とどのような関係にあって
一人一人の人間がどうやって、この世に存在しているのかを具体的に解き明かした文献は
この2千年以上に渡る人類の中には、在るようでなかった。
それについては、
「そんなバカな…」と思う人ほど、素直な人かも知れない。
でも在ったの。
俺はその本を代筆させられてしまったの。
定価が8,000円ということで、本の造りそのものが『バイブル商本』のような格好なので、
「何かの宗教か?」
などと、どこか世間に溢れた余分な知識(固定概念)が邪魔をして、
単純に、そういう乏しい発想や見方、捉え方になってしまうのも、
世間一般、多くの人が、“人が人を信用できない時代”においては仕方ないかも知れない。
でも、あの本の中には、
この自然界において、
人間が創られ、産まれ、育ち、死に逝く…という、
その、何者も逃れられない事実だけが記されている。克明に。
   
1993年9月の刊行後から12年以上が経過する今になって想えば、
初版の『人間の設計図』は8000冊だけ印刷され、まだどこかに在庫が残っていたとしても、
完全版ではない。
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10007565537.html
今その本を捜している人には わるいけど、あれは未完成のまま、
当時、急いで編集され、「一日も早く世へ送り出したい」という著者と発行者の意向から、
IBNSコードも付けられながら書店には流通されなかった。(一部を除いては)
んで、前にもちがうページで書いたけど、
その本の正式なタイトルは、『自然と人間の設計図』だった。
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10002901984.html
だから、幼稚な遺伝子学者連中がいうところの「ヒトの設計図」とは違う。まったく別モノ。
巷の遺伝子や脳の解剖データの話はどれも、中途半端な解明でしかない。
人間が人間について解らないことを解ったフリをしているような曖昧な情報。ああゆうものはな。
世の中には、『科学雑誌』サイエンス愚学雑学「レンズは探るよ」大好き人間の方もおられるので、
ああいったものが「素晴らしいっ!」と思い込まされている人もいる。 (読者ではない…よな。)
えてして、これまでの人類の科学や宗教というものや、誰の何の成功哲学論においても、
人間は物事を「10」や「20」の段階から、頭ごなしに常識化してきてしまった。
そしてその複雑に混乱した情報は、見えない部分を更に見えにくくして、
世界中のメディアに載せて、人々の自由な発想や妄想に絡み合わせて今日に至る。
そこには、自然と人間の関係の「0」の部分は何もなくなってしまったわけだ。
たかだかこの2,000年の今の人類の歴史の中では。
   
俺は、『自然と人間の設計図』の実現化の一歩に携わった者の一人である手前、
そういった嘘っぽい(ほぼ虚偽)の世界に、
「…ちょっと待てよ、そういうのはやっぱチガウんじゃねぇの? 
だっておかしいじゃん。よくよく訊いてみると辻褄のあわねぇことばっかりだぞ…」
という疑問符と、次の発展的な段階へ進むための問題意識を投げかけるために、
初版『人間の設計図』の著者が死んだあとになって、
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10012301395.html
このサイトで、その人から伝えられたことの一つ一つを紹介してるわけ。
ときどき、かなり難解な言い回しや解釈、極端な表現もあったりしたので、
今までは折角の読者も ひいてしまったかも知れないし、
今この時点で既に、この文面のこの行を読んでいる人も誰もいない…かも知れない。
それでもいいんだ。
俺の命の問題も含めて、あまり時間もないけど、
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10011047300.html
事実が事実として在ったことだけを書き残しておくことで、
いつか誰かが、これを拾い読みあげて、自分の人生の何かに役立てるかも知れない。
それまでは、俺もインターネットを利用して、また利用されつづけるしかない。
   
   
さて、今回は、一年前に このサイトを立ち上げた動機を幾分、丁寧に書いたつもりだけど、
誰に何がどこまで伝わったかは、今の俺には判らない。
読者にはちょっと失礼な云い方だけど
ここに書いた内容については、コメント欄に何か書き込むにも
色々と躊躇したりする気持ちもあったり、
言葉だけでは心を信用できない人もいるかも知れない。
自分にとって何か得になりそうな話なら、みんな乗ってくるし、
そん時だけは面白いのでコメント欄にも色々と書いているウェブログも沢山ある。
この一年、蔵元の本格的な酒づくりの仕事を手伝うことができたことも含め
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10004742231.html
そういうのも、(わずかかも知れないけど)参考にさせてもらった俺もいる。
それによって、かなり人間ぽさを取り戻すこともできた。
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10013935525.html
反面、世間の常識から ことごとく外れてきた俺にとってはショックだったこともある。
まるで俺だけが人類から取り残されたように、
「もうここから先、お前は生きてはいけないよ、終わりにしなさい…」
そんなふうに断られたように思った瞬間もある。(今でもある) 
http://ameblo.jp/badlife/entry-10013793061.html
そういう意味では、
   
「もうこれ以上、東京での生活は無理だ」
   
今の家族共々 俺が佐渡へ移り住んだ理由は、ただそれだけのことでしかない。
生活するためカネの問題と、子供が成長する環境の良し悪しを優先すると、
この先 俺のやりたいことなんてのは どうにでもなると思った。
   
1998年3月から約二年間は、これといってやりたいことも定まらなかった。
再び芝居の世界に足を踏み入れ、
舞台や台詞の稽古に本腰を入れるなどして、
自分の人生をやり直そうという気もなかった。
製作会社の下請けの仕事の手伝いや
仕出しとして どこかの撮影現場に顔を出すことも、
ただの気晴らしに過ぎなかった。
肉体的にも精神的にも あの時の俺には未来はなかった。
東麻布から三田3丁目へ引っ越した当初は、
まだ二人だけの生活だったけど、
西暦2000年の夏、奇跡的にも子供が産まれ、
その年、34歳を迎える俺は、そのゼロ歳からはじまる小さな命を見て、
「この命だけには不自由させてはいけない」
そう感じて、とにかく、カネが必要だと思った。
月14万の家賃を5年間 滞りなく収めてこれたのは、ほとんど妻のお陰だったけど、
そのほかにも、いろいろとカネの工面に追われる日々が続いたな。
築地の魚市場で氷を切り割りする仕事も、
日本武道館で連日のように行われるコンサート会場の仕込みとバラシの仕事も、
ある程度のカネにはなったが、喰うだけでギリギリの収入だった。
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10002980710.html
「支払いのために働くことにも、
都会の真ん中で小銭の数を気にしながら買い物することにも疲れたな。」
そういう気持ちとは別に、その頃の俺の中には、一つの疑問があった。
   
「果たして、俺の命は 36歳の“その先”を迎えられるのか…」
    
俺は17歳の時、自分の胸に強く、未来の計画を立てていた。
「10年後、今と何も変わらなければ自分で自分の息の根を止める。
それまでは自分が思うままに生きてみよう。
そして、27歳の時になって、何か少しでも変化があるなら、
そこからもう少し。5年くらいは生きてやって、32歳で死のう。
こんな人間は長く生きる必要はない。
俺の命は俺がコントロールする。絶対に」

と、それを実行するまでの覚悟を完全に決めていた俺は、
26歳になるまでは、どこでどう死ぬかを毎日毎日考えて生きていた。
途中、22歳のある日、
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10002652176.html
その考え方や生き方が
自然界に対する叛逆行為ということに気づかされても、
俺の中の“死への執着”は消えず、32歳頃までは、
それがどこからはじまっている意識なのか見当もつかなかった
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10003291427.html
昭和31年の晩秋、21歳でこの世を去ったつもりの“和マサ”という、
俺の実の父親の兄あたる存在と、その自殺の事実を知って以来、
俺は、
「自分が誰なのか? 誰だったのか?」
に気づきはじめた。
んでもって、
   
   
和マサシリーズ
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10003291257.html
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10003291427.html
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10011670928.html
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10011726872.html
   
   ボディジャック現象について
  http://ameblo.jp/badlife/entry-10007511429.html
  
http://ameblo.jp/badlife/entry-10009275409.html
  http://ameblo.jp/badlife/entry-10002652176.html
  http://ameblo.jp/badlife/entry-10007034687.html  (補足
   
2001年2月14日、東京の空が素晴らしく晴れ渡っていた朝、
俺は、自分の残りの人生は全部「オマケ」ということにしようと考えた。
オマケの人生も一苦労だな。
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10008717175.html
でも、駄菓子の中には、駄菓子よりもオマケの方が値打ちモノだったりする。
そういうオマケだよ、俺の今は。
もっとも“玩具付きの菓子”なんてのは
小銭を握りしめる子供に媚を売るような欲のカスでしかないだろうけどな。
   
   
タイトルの「ありがとう!」は、
まず、うちの奥さんと子供に云わなきゃだよな。