鼻毛ノバスな! ヨホロを伸ばせ! 【Be editing it 】  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   
   
   西暦2006年、節分にて。
   sub work title : About Cold & ful 【一部 編集中 】 
   
   
「鬼はうち、福はそと」と云わんばかりに、
日本全国すべての各家庭に幸福があるとは限らない現代【いま】
自然の成す業に、人は何一つ成す術もなく、
手も足も出ないまま、自分たちの目の前を通り過ぎてゆく災いを
ただ見ていることしかできない。
それでも人々は、
息を凍らせるほどの肌寒さが忍び込むことを覚悟して
冬空が覗ける窓を開け放ち
冷たい夜の向こう側へ邪まな気を追い出し、
自分の許へ幸福を呼び入れようと考える。
                            https://myd.jp/index.html  
 
この日、夕食を済ませてから子供と一緒に豆まきをする俺にとっての”節分”は、
心の底から、鬼や邪はおろか、「俺の中の“ワルイモノ”が出て行ってもらいたい」
という気持ちでいっぱいだった。
まったく自然でない。
でも、子供のときって、そんなこと思わなかったよな。
ただ“豆を撒く”という行為に喜んだもんだ。素直に声をはりあげて。
 
そのむかし、この日本において、まだ世の中の暦が西暦ではなかった時代、
ある農村地域での節分という慣わし、風習というものの中に、
そうやって自分達の家屋に撒いた炒り豆を
「歳の数だけ拾って食べると縁起がいい」ということだけではなく、
囲炉裏の前へ右から12粒ならべ、そのそばに焼き炭を置いたのか…
いくらか焦げ目がついた状態を眺めながら、その焦げ具合で、
たとえば 6個目と5個目を指で転がしてみて、
「ああ、今年の六月頃は雨が多いよ」
「でも八つ目の豆は乾いているから、きっとこの頃は天気がいいね
ソバガラミの日も安心だね…」
などというように、そうやって
その年の稲作や畑作業に大切な天候の善し悪しを予想していたという。
 
自然界と人々の営みの調和が
今日よりもずっとマシに保たれていた時代の
旧暦を廃止して西暦を遣って生活している今、
「そんなモノが当たるものなのか?」と、
俺さえも不思議と思う以上に疑ってしまうけど、
一年のうち、二月三日という節分…“豆撒きの日”という
この日一日に限っては、(自然界の湿度や乾燥状態も含めての意味で)
撒いた豆を遣って、そういう予測を立てることで
一年のおおよその天候を占うことが可能だった・らしい。
 
「かつて、そんなこともあって、どこの農家の人も みんなやってたよ」
ということを教えてくれた“カツオ爺さん”そのものは
山形の出身だったので、そちら方面の方で、
いま現在、お歳を召された幾人かの方の記憶の中には、
まだ残っているかも知れない。
 
んで、そういうことが「あった」「ない」という話とは別に、
いま現在、我々日本人にとって何が重要なことなのか?
日々安泰で暮らすための経済なのか?
病の予防なのか?
それとも、孤独に打ち勝つための希望や夢を育み、
この世に生きとし生ける者の定め、宿命を背負いつつ、
己との闘いに怯まず立ち向かう精神から湧き出でる野望…
そういう存亡に目を向けることなのか。
(・・・・なにが云いてぇんだよ)
 
この時代、生きるか死ぬかの闘いは
まだ誰も終ってはいない。
俺も子供も、みなさんも、全国の惚け老人の方々も…。
 
んで、最近の俺のページでは常に精神的な部分での
“生きるか死ぬかの闘い”をテーマにしたような内容が多くなってしまったけど、
人間の魂や心、精神というモノに偏った話は
訊いてる方…読む方も書く側も、はっきり云ってパワーがいる。
それほど、人間、目に見えないことってのは、難しいことだし、
世間一般的な学問の知識や、長年に渡り
詰め込み詰め込まされてイビツに出来上がってしまった教育された頭では
そういうことを理解しようにも難しくて、
頭の中がこんがらがってくる人の方が多い。 (…一応、俺も含めてな。)
今の時代、自分たち人間、ある意味で、
“眼に視えないこと”についてを簡単に判る人がいたとしても、
解らない人の方が多い。
不思議、神秘的、別の次元…などという言葉より、
恐怖、オカルト、不気味、ヘン、おかしい…というような言葉の方が、
心身ともに不具合が少ない人にとって、フツーなことだ・と思う。
 
眠っている時に見る“夢”や、“幽体離脱の勘違い”。また、
よくそこいらの信仰宗教の教祖や幹部連中が口にするところの、
「ある日 突然オバケドクロのお告げが…」類いのについての問題は、
人間の肉体的な部分で、とくに、
肝臓の機能と全身の筋肉(血液が流れる全細胞)の関係についてを
これまで別のページで幾らか解き明かしてきたけど、
   参照 
     http://ameblo.jp/badlife/entry-10002850915.html  July 15, 2005
     http://ameblo.jp/badlife/entry-10002652176.html  July 05, 2005
                                  (など。)
   
今後も、人間の心と身体…“精神と肉体”というもの…
目に見える世界と眼に視えない部分が、
具体的に どのように関わりあっているのかを
詳しいモノにしてゆくためにも、
肉体や、その付近に存在する物体など、
“見える部分”を通じての判りやすい説明は
とても重要だ…よな。
まぁ、それ以前に、俺の頭の構造も
常に柔軟な姿勢を保てることが必要にもなってくるんだけどな…。
  
できる限り具体的に、何の臓器が身体のどの部分と関係していて、
それが日常の生活における人の考えや心情、行動の背景などと
どのような繋がりをもって、この自然界の中で動いているのか?
 
・・・・みなさん、ここが “mind resolve”で もっとも重要なポイントだ。
んで、今日は節分。一年の人の営みおけるふとつの節目、区切り(?)の日。
ということで、年末年始から正月と春の間で、 http://www.nobi.or.jp/calendar/24.html
大寒の1月20日から立春の2月 4日まで、自然界は この時期がとくに寒く、
10月下旬から翌4月にかけての範囲で、
カゼなどの流行も この時期に集中しやすい。
 
自然界では、
春に目覚めるまで秋の終わりに冬眠へ入る動物のほかに
子孫繁栄の義務を果たした虫たちは死に絶え、
枯れた草木も雪解けのあとに新たな命を息吹く…
という具合になってる。おおまかに。
人間の世界でも、一年のうち、秋からこの時期にかけて
大勢の人の病死や寿命、期限切れになる命があり、
また新たに甦るであろうとされる時期…。 
…そこに、 
土日祝祭日には産まれないようにされた産婦人科現場や
自分たちの勝手な都合で
生まれ日を戸籍上で操作したりする現代社会もあるけど、
それはさておき、
人が産まれていずれ亡くなるという過程には
病気や老化と死の区別区分を弁えた上での差別や暴力、貧困
という、六つの恐怖のほかに、人には孤独という恐怖もあって、
そのうち、俺自身も克服できていないものも まだあるけど、
まずは世間一般、「病」というものは、
ほぼ直接的に
大事な肉体を通して自分の命を大切に感じる心にとって重要…
そういう切実な問題だと思う。 (本来なら誰にとっても)
   
   
   
   カゼという症状に纏わる自然界と人間の関係について 【編集中】 
02月07日(火) 06時29分
   
   
最近の癌や脳血管疾患、心臓関連の病のほかに、
人類の病気の代表格ということではないけど、
今の時代の人間の言葉…学問の知識に従うところでいう、
カゼやウィルス、細菌、病原体による感染症や中毒症…etc.
まぁ、内部から起る疾病も、
心身共に、目に見える部分と視えない部分の問題も含めて、
それがどこから始まっているかを考えると
自然界との約束を破ったり、自然界の決まり事から外れてるような人によっては
恐ろしい部分も多いけど (…「銭獲り病は死ぬ病」とかもな)、
外部からの進入による肉体の破壊…。
これも恐ろしい「病」と感じる人も大勢いる事実がある。
 
小児科のお医者さんとかは
「カゼの菌というのは、一説には世の中の色々な処に 200種くらいある」とか、
「A、B、Cの三つに分類されるインフルエンザ・ウィルスのうち、
世界中の動物に依存している沢山のウィルスの幾つかが
渡り鳥からブタへ介して突然変異を起こして人に感染症をもたらし、
過去、4度、今の人類に猛威を振るい、
次に大流行しそうな新型インフルエンザ・ウィルスが
今どこにあるのか?」などということについても、
世の中に、俺なんかよりも詳しいサイトはいっぱいあるので、
頭で理解している人は上には上がいて、大勢の学者、博士が
昨日も今日もオシクラ饅頭で頑張ってくれている。
ご苦労なこった。
 
普段、人の目には視えない部分の自然の破壊は
なにも人間の肉体に限ってのことばかりじゃないんだけど、
たとえば、
インフルエンザ・ウィルスってのは直径が1万分の1ミリのサイズで
普通に市販されてる安っぽいマスクなんかじゃぁ簡単に通過してしまうという。
ウィルス君は自分の子孫を自分自身で増やすことができない。けど、
動物の生きた細胞の仕組みを利用して、
生きた細胞の中で自分を複製、増殖していく。
鼻や喉の粘膜から侵入して、そういう場所でも増殖して、
血液を介して全身に広がってゆく。
予防することに越したことはないけど、
一旦 流行りはじめると次の世代に免疫力が整うまでは歯止めが効かない。
 
それを自然界という意思が、あらゆるモノの調節を図る意味でやっていることなら、
受け入れられる人には受け入れられるかも知れないけど、
自分が外部からの力に操られたり殺されたりするのは嫌だ…
などと捉えがちな人にとっては脅威や恐怖でしかない。
パソコンのシステムをぶっ壊すネット・ウィルスを流す側が
どんなにアホに思えて大勢の人に憎まれたとしても、
介される側の、そういう状況と似たようなもんだ。…あしからず。
 
 
ともあれ、この地球上の人間の生活圏において、
一般的に多いのはカゼの菌だ。
これは、インフルエンザのような強力なウィルスとはちがう。
でも油断は禁物だ。
んで、
カゼをひいた人間てのは今、どこが悪いのか?
とくに腰なんだけど、そこにある腎臓と、
その仕事を支える膀胱の関係については、
別のページを参考にしてもらうことにして…。
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10003268798.html
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10003458669.html
 
人間、カゼは、腰か、首の後ろと、
男の場合は肩の辺り(の筋肉)からひく。
カゼをひいた人たちの腰の筋肉は、本来の自分自身に比べて、
常日頃から あまり丈夫ではない。
腰にある二つの腎臓が血液を濾過する仕事を怠ってる状態。
それは足の筋肉に問題がある。
両方の腕を動かすにも、上半身のすべてをコントロールするにも、
人間の両脚の筋肉は心臓という臓器と同じくらいに重要だ。
とくに、足の付け根と膝の裏の筋肉。
ここがポイントだ。
 
全身の筋肉には血管がある。
その毛細血管のすべてを一本に繋ぎ合わせると、
およそ地球をふた周り半まわるほどの長さになると云われてる。
そこへ、心臓が血液を送る。
ポンプの役目。その血液を送る仕事を調節する意味でも、
人間の身体には…全身の所々…27ヶ所に”脈”がある。
その、脈打つ場所は決められた場所にあるんだけど、
たとえば動悸、息切れする人とか、
人間のことを何も解らないアホな医者に「不整脈」とか言われてる人は、
足の付け根にある太い動脈と静脈の血の巡りに問題がある。
それを解らずに、いくら腕の一部分で脈を測っても無駄だ。
かといって、高性能な自慢の計測器に
どちらかの足の太腿の辺りを突っ込んでみても無意味かも知れないけど
とにかく、人間の身体の上半身と下半身は、
その両脚の付け根(男女共に個々の陰毛の生え際の辺)の筋肉の中にある
太い静脈と動脈で繋がれて、血液の流れをうまく循環させ、生きて動いている。
もしもその辺り(の筋肉)にシコリがある人は要注意。
解剖学とかでは「鼠頚部リンパ節」とか呼ばれてる場所なんだけど、
何度も云うように、
その上半身と下半身の血液循環に非常に重要なバイパスとして、
太い動脈と静脈がある。
この血管が詰ってくると(…例によって、下垂した内臓の位置がバランスもわるくて)、
まず、足の方(下半身の筋肉全体)へ血の巡りが悪くなる。
この滞りは男女共に、その年齢層にも関係なく、現代人に非常に多い。
それは、普段の立って歩く姿勢が、
人間本来の呼吸と細胞の生命活動を徐々に圧迫してる。
   参照 http://ameblo.jp/badlife/entry-10003045591.html
   
   
膝の裏を曲げて、どうしても猫背になってしまっている体型。
決して、胸いっぱいに吸った空気を吐いて出す。
という創られ方にはそぐわない状態。
人間の身体の部分部分にあるもともとの名称。
日本語では、「額」とか「二の腕」とか、「拳」「手の平」という
日常で使っている名称と同じように、
かつては、”膝の裏”のことを「よほろ」と呼んでいた。
その昔、江戸時代より、戦国時代よりもっと以前に、
戦の前になると各々の村落から兵隊が徴集された。
「この村からは”ヨホロ”を何丁、こっちからは何丁…」
というように、人間そのものを武器として考え、
それはそういう時代だった。
んで、その当時、その「ヨホロ」という言葉の意味は、
膝の裏が伸びて、まっすぐに健康な壮年のことを指していた。
要するに、寒い時も暑い時も過酷な戦闘に十二分に役に立つ若者が
各村々から抜擢され、戦地に駆り立てられる。
そこには決して、膝の曲がったヨボヨボの爺さんとかは使えない。
自然と人間が調和した生活の営みの中に、
ある程度しっかりとした階級社会があり、
そこに生きる各々が分相応に自分の持っている力を弁え、
戦地でも普段の日常を過ごす中でも、それぞれが
自分の役割をよく理解して世の中に生かされていた時代の話だ。
戦国時代よりもっと以前。
んで、話を戻してっと…。その名残で、
ヒトの身体のうち”膝の裏”を「よほろ」と呼ぶようになった。
一説には、「よぼよぼ」という言葉も、そこに関係してるらしい。
金田一先生の親の代なら知っていたかも知れないけど、
今はもう、そんな呼び方を誰もしていない。
ただ「膝」という言葉は残っていて、その裏側を「膝の裏」と呼んでいる。
ところが、この、”膝の裏”。”よほろ”が曲がっていると、
その人間の肉体には色々な支障を生じることに繋がってしまう。
まず第一に、この地球上で生息する生物として、
二足歩行で立って歩くように特殊に創られている人間(ヒューマノイド)は、
膝の裏を曲げて体型を崩してしまうことにより、
呼吸は愚か、様々な生命活動(臓器の機能や細胞の組織…等)
に異状が起きてくる。
単に、「老化してる」とか「無理をした」ということではなく、
筋肉の異常が、そこにまんべんなく流れればいいはずの血液の循環の滞りが、
結果的に、心身ともに四百四病を誘発してしまう。
風邪ってのも そのひとつで、
「寒」極まって「熱」に変わったのか、
野山の木々、緑の光合成を妨げる(あらゆる葉っぱを裏返す)ほどの「だす風」
というものに見舞われたのか、
身体を重くさせるほど熱がこもったために引き起こされたものなのか、
一口に「カゼ」と言っても、寒邪【かんじゃ】、風邪【ふうじゃ】、熱邪【ねつじゃ】
と、カゼには種類がある。
んで、どのカゼの症状にも、その結果に到るまでの過程に共通していることが、
全身の筋肉に対する血液の循環に問題があった。
たとえば、どんな季節、どんな場所であろうとも、
汗をかいたあとで そのまま身体を冷えさせてしまうってことは
子供や大人、年寄りや男女の別に拘わらず、絶対によくない。

簡単に云うと、必要以上に冷えてしまった筋肉が、
生きている限り正常に戻ろうとするまでに時間がかかったり、
別のモノを呼び込んでしまう可能性も高くなってくる。
それは、何かの細菌や毒に冒された肉体においても同じなんだけど、
極端に一ヶ所に集中してしまうと、
その破壊に打ち勝てない場合は死に至るってこともある。
だから、何の病気であっても、たとえ癌細胞であっても、
「病気 = (イコール) = 人の死」ではないし、
「人が死ぬ」ということと「寿命」や「老化」ということは、直接的には結びつく恐怖ではない。
問題は、
肉体を動かす心という人間の魂が、肉体という容器を借りて、
どこまで本来の創られ方に沿って(それに従って)、
人間として自分の肉体を使って、この世に堂々と生きていられるかどうか…。
 
その肉体を構成する全身の筋肉にある血液の流れに
どこか一ヶ所でも滞っている場所があると、それは後々、必ず、
その路線の先にまで影響を及ぼしてくる。
だから人間、常に、その肉体の管理と保管が毎日の中で必要なんだけど、
んなこと云っても、あとの祭りだ。
いま現時点でカゼをこじらせてる人にとってはマトモに通じる話でもない。
(・・・なんでもなくても通じねぇか?)
 
カゼばかりでなく、自然界とのバランスを失う結果を生じさせる
あらゆる病に対しては、常に予防を心がけることも大切なんだけど、
”結果に対処する”という世間の常識とは別に、
治癒力を養う意味で、その予防と対策にも色々ある。
「瀉す」「補う」「回す」「支える」って意味で、 お子様の味方くん の嘘っぱちとは関係ないぜ
とくに熱がこもってしまったようなカゼの場合、
俺はよく、キャベツの葉っぱを切らずに丸ごと三枚かさねて、
額や後頭部へ当てて横になって安静にする。 (邪熱を抜き出す)
また、肺の呼吸と大腸の関係による発熱、微熱に関しては、
両手の親指の爪の生え際に刺激を与えるか、
あくまで自分でやる方法として、瀉血って方法もある。
絶対に他人にやってはならない。
また、その詳しいやり方をここに紹介するわけにも行かない。
医師法違反や鍼灸師法違反、傷害罪にもなりかねないしな。
それから、喉と咳に関して。
これも肺の機能と人の腕の筋肉に密接な関わりがあることなんだけど、
もうどうにもならないところまで肉体にダメージがある場合を除いて、
もしもカゼのひき始めなら、
梅干の黒焼きにお湯を注して飲むってのもいい。
ほかにもいろいろあったけど、
今日はもう時間がなくなってきた。
仕事へゆく時間が迫ってきた。
すまない。またあとで、丁寧に説明することにする。   
   
   
   
   
   
   
   
   追記   02月11日(日よう日) 午後。建国記念日にて。
   
   
実父の父親、俺のお爺さんが広島ピカドンの被爆者であったことは
以前に別のページ でも伝えてきたけど、http://ameblo.jp/badlife/entry-10003291257.html
大東亜戦争中、日本の軍艦のほとんどは呉の造船所で造られ、
横須賀などの大きな母港へ配備されていた・らしい。
ヨカレンなどの霞ヶ浦の特攻隊のほかに、
人間魚雷などの機密組織が全国の湾岸に分布されていた中、
国の軍事教育には軍人としてのエリートを育成するコースもあり、
地方での軍事訓練に優秀な成績を収めた者は
国に抜擢され、更なる上の部隊へ格上げ…。
まぁ、その辺の詳しいことは、隣近所の爺さんにでも訊いてくれ。
まだ惚けていなければな。
んで、記憶力に優れた若者として、
暗号兵に任命されていた“カツオ爺さん”は、
かつて、満州に満蒙開拓青年団として出兵する前に、
横須賀海軍工廠に席を置いていた。
…当時19歳で白い軍服を着ていた写真が残されている資料館が今も横浜にある
軍艦の中の狭い通路。その所々に貼られた『注意書き』に目が留まった。
そこには、
 
「鼻毛 ノバスナ!」
 
 と記されていたという。
蒸気船の空母、戦艦、駆逐艦や、潜水艦など…
どこも空調設備の悪い艦内では塵やホコリで煤けた場所も多く、
常日頃、忙しい軍事配備の作業の中では
鼻毛も伸びやすい。
要するに、
敵軍…敵艦を撃沈するためには、
日々、軍人としての身だしなみも大切で、
そういう伸びやすい自分の“鼻毛”にも気づかないような軍人は
“ダラシナイ者”の扱いとされ、そうした貼り紙も、
軍服着用の職務規定に並び、きつく指導される下、
そうすることで各々が、
いつどんな時も常に気を抜かぬよう、心がけていたという。
 
そういう意味で、
 
   鼻毛 ノバスナ!
 
で、俺は、
大切な読者みなさんへ向けてひと言…
 
 
  ヨホロを伸ばせ!
 
今の時代、自分たち人間ひとり一人、健常な状態で、
一見、どこも悪いところはないように思える人であっても、
“半健康人”のような格好の人は(俺も含めて)非常に多い。
「もう歳だ」とか、「スポーツ障害で… 」とか、そういうことではない。
戦後から今日までの60年に渡る食生活と男女平等教育の歪み。
ここには計り知れないほどの“筋肉の破壊”がある。
世間では、「近年の子供達の筋力の低下」や
「お年寄りの骨粗鬆症」などの問題についてを好き勝手に言ってるけど、
あんなもんは、どれも全然、当てにならないし、
どの学者の言って ほざいてることも、ぜんぶ不正解。
テレビの中の話なんて、画面の左上にある時報の他に信用できることはない。
健康雑誌や一般実用書の内容なんてのも、
自分の一生における正しい知識として役にたつどころか、
かえって公害だ。
何が自分に必要なのかどうかを判らなくさせてるモノばかりだ。
…まったくもってして、いかんともしがたい、遺憾である。
これではイカンし、誰も彼も何とか、かろうじて、
お棺に納められる時が来ても
マトモにあの世には逝かん。
「あんた、この世にいて迷惑なモンが
何を あの世が欲しがるか!?」
オカンの言う通りだ。
 
んで、そんなふうに、
バカも休み休み言えば気血害になる巷の健康雑誌やテレビの内容。
そして、よせばよかった我々が受けた戦後教育と
アホな社会常識、社会構造のフィルター…。
自分が生きるために必要以上の知識や情報。
これによって、本来の自分が持っている、
この自然界に人間として生きる力や知識が出てこない。
どこからも湧いてこないようにされている。
 
雑草は、土の中から芽を出して、
雨風に叩かれても、陽の光をめいっぱい浴びて
グングン育つ。
夏場は俺の家の周りの畑や畦も草ぼうぼうで
ぜんぶ丸ハゲにしてやっても
一週間後には また伸びてきやがる。
草刈り機の振動はハンパじゃない。
あんなの毎日やってると
それこそバイブレーション・シンドロームの仲間入りになっちまう。
でも除草剤は遣えないの。
妻が「ダメ」だと云う。
環境に悪いのか、子供のためなのか、
有機農法で作る野菜にプレミアをつけたいのか何なのか…
今年は俺の家の稲作でさえ、
自分達で食べる分を苗の段階から
有機栽培に徹してやろうっていうコンタンだ。
んでもって俺は、この年明けに
農協の組合員にもなった。
今ごろ。
どうすんだ? 
こんな何も知らない、ミミズ一匹、見て、
「キモチわりぃ~」なんて思ってる男が、
耕運機一台、マトモに操れないような野郎が、
そんな「高値がつく」とされるコシヒカリなんて作れるのか?
・・・・普通一般庶民向けの農薬充満コシヒカリ栽培より難しいらしい。
まぁ、見物だ。
この夏はどうなるか?
笑いが止まらないのは、もう決して、あなたばかりではない。
 
平成19年以降には国が農協事業の一部に制限を設ける。
それまでに全国の稲作農家が安泰でいられるのかどうか。
それ以前に、日本という国は在るのか?
大丈夫なのか、今のままで。
姉歯やドザエモンのイタズラに踊らされてていいのか?
このまま、ずるずると、ナマヌルイ平和を装った世間は
そこにある常識は、今までの教育は、経済は、メディアは、 
ニートな連中に集団で暴動を起こさせるカルト組織…とか、
明日にも それを産ませる社会を構築して行くのか?
他人に危害を加えたり、街中のどこであろうと、昼夜を問わず、
誰を無差別に殺傷しようとも、
その子供達の集団は集団で自殺すれば
自分で自分の罪を償い、それが世の中の掃除にもなってる…
と、考える…というより思い込まさせられる。
巷のゲームセンターや企業のゲーム機、ゲームソフト開発ってのは、
そういう未来の準備段階にある。
ニートな連中の得意分野が活性化される日も近い。
 
どこに間違いがあったのか?
誰が、何時の何の、どの時代の清算をしてるのか?
また、させられてるのか?
よせばよかった我々が受けた戦後教育の嘘と
アホな社会常識、現代社会構造のフィルター…。
自分が生きるために必要以上の知識や情報。
これによって、本来の自分が持っている、
この自然界に人間として生きる力や本当の知識が出てこない。
どこからも湧いてこないようにされてる。
 
雑草は、土の中から芽を出して、
雨風に叩かれても、陽の光を浴びて
グングン育つ。
スゴイ光合成。
誰も教育はしてない。
グングン伸びて生きる。
花を咲かせ実を結び、種子を飛ばして
子孫繁栄の義務も怠らない。
 
ところが、今の日本の社会には
少子化と不妊症。
個人経営の産婦人科と小児科は
バタバタと倒産する始末、お粗松、十姉妹。
弥生ちゃんも皐月くんも、
玩具店の昨日の繁栄は過去の栄光だ。
今は雛壇飾りより仏壇の方が売れる。
「ゲームより 貰って嬉しい 鯉幟」
そんな句を詠める素直なワンパク君もいない。
どこにもいない。
田舎にいるように思えても、
それは大人に合わせてるだけだろ
本人は、もっとスゴイことを考えてる。
 
「あの攻略本の通りに勝ち進めば、
次のステージで世界を制覇できる!」

 
   「誰か電気を止めてくれ!
    でないと、うちの子供が危ない!」
   
 「原因不明の停電、大歓迎!」 
 
でも原発はなくならない。
ないと困るし、間に合わない。
東京都心の繁華街の夜がラスベガスのようにならない。
地方都市の、あそこにも ここにも●●ヒルズを造りたい。
建築基準法がどうあろうとも、
頑張る建築士。漲る悪知恵。
施工業者の勇士も融資で動く。
 
「よし、風力自家発電だ!」
「俺のビルの屋上にある太陽光電装置は日本一だ!」
「いや、俺のクルマは、みんなのウンコから抽出したガスで走るぞ!」
 
・・・・発展過剰国の未来は丸く明るい。
 
本当にそうなのか?
鉄腕アトムが原子炉を積んで空を飛び回るのか?
それとも、
20世紀に打ち上げられて錆びて遣い物にならなくなった人工衛星は、
そこにまだ動いている原子炉の装置は、
北半球で、いつどこへ堕ちて来るんだ?! 
それが天使なのか? 
ミカエルとルシフェルは友達だったのか?
ノストラダムスの嘘っぱちも再び注目を浴びるのか?
凄い光の矢。
燦々と、太陽の輝きよりも激しく、強く、攻撃的に…。
泡を吹いて倒れた子供が見たテレビアニメなんてもんじゃない。
凄まじい せん光。
あとで仏壇に添えるのは線香。
杉の成分が種。
日本だけには沢山の杉が植林されてるから線香はなくならない。
その森も林も山肌も、一瞬にして すべてが燃え上がる。
日本全国、どこの花火大会でも見られない。
でも、その不良原子炉は一尺弾よりも小さい。
 
・・・・発展過剰国の未来は丸く明るい。
 
よせばよかった、戦後教育の嘘と愚の骨頂、
アホな社会常識、現代社会構造のフィルター…。
自分が生きるために必要以上の知識や情報。
これによって、本来の自分が持ってる、
自然界に人間として生きる力や必要な知識が出てこない。
どこからも湧いてこない。
 
雑草は、土の中から芽を出して、
雨風に叩かれ、陽の光を浴びて、グングン育つ。
その光合成も、水分の摂取の仕方も、
雌しべとオシベの交配も、
誰も教育はしていない。
この自然界に創られ、自分が生まれ持った能力で、
グングン伸びて生きる。
たとえ、上からアスファルトを被されても
いつか ヒビ割れたその場所から顔を出す。
そして健気に伸びてゆく凄まじい生命力。
 
ある特定の場所においては
雑草を邪魔だと考える人間。
ある一定の決まりから外れると
「ヤツは癌だ」
と言っている人間。その集団意識から自然に出てくる言葉。
ある特定の細胞が変異することにより、
そこへ根強く触手を伸ばし、居座る癌細胞。
人間にとっては、
雑草も癌細胞も似たようなもんか…。
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10014612599.html
 
人間一人一人、素晴らしい潜在能力がありながら
それを発揮できない。
これはまず、精神よりも肉体に問題がある。
現代人。そのほとんどの人が今、筋肉に問題がある。
一日仕事をして疲れて、寝て起きて疲れも取れて、
またそこから一日、元気に働いて過ごせる。
三食、食べる物の味もハッキリ判るし、
常に快便快尿! 便秘なんてない。
腰も背中も肩も、痛い、苦しい、重い、辛いなんてことはないし、
眼も疲れない。
夢を見ても覚えてない。
考えても仕方ないことは考えないし、悩まない。
雨の日も風の日も、台風や大雪の日も、
どこへいようと、ビビらない。
でも命は大切だ。
自分も家族も常に明るく楽しく元気でいたい。
誰でも望むことだ。
俺も、そういう人間の姿、在り方、実生活の充実を実現させたい。
社会の癌でありたくはない。
誰も決して、そんなことを望んでは生きていないはずなのに、
迷惑トラックバック送信者も
電車の中やビーチにうろつくカメラ小僧やカメラおやじも、
さもすれば、全国に蔓延るニートでな連中も、
性犯罪者に近いオタッキーな30代、40代の独身男も、
社会の癌細胞とされてしまうのか?
その抗がん剤は どこで開発中なのか? 
 
この話のつづきは別のページへ移すけど、 ### 
肉体的な問題が精神へ反映されてしまうことについて、
ここは、より事細かな具体例を基に
丁寧な説明をしなきゃならない。
それは、俺自身の日常や、生きる目的にもつながることなので
近いうちに白黒をハッキリさせなくちゃならない。
犯罪心理学の盲点 』というコーナーは、
今後も重大な課題を
今の日本の社会と俺自身へ投げかける。
そしてこの、“mind resolve”。
 
今日ここに書いてしまったことが
必ずしも近い将来ではない・かも知れないけど…
・・・・視えてしまう。社会の癌の構造と、その症状の悪化の数々。
自分でも気味が悪い。
 
すべてが俺の空想や妄想であるなら、
それはそれで、その辺のB級小説のネタの一部であってもいい。
ところが誰か何者かの予言めいたことや
八卦じみた超能力のような絵空事とは関係なく、
俺の脳裏に鮮明によぎるモノが、
次の瞬間にはデジャヴーとして起る事実もある。
日常の中に。
つまらんことでも重大なことでも。
 
これも、肉体の異常…筋肉の異常、血流の異常。
肝臓と筋肉の関係…、血液細胞、血流と人間の眠り・目覚めにまつわる、
筋肉の異変から生じる精神の歪みでしかない。
 
もしも俺に、今後、これ以上、寝付けない日々が続くと
俺の頭はどうなってしまうのか?
持って生まれた能力とREM状態の意識が混線して、
流れの滞った場所へ再び、
俺とは別の意識が居座るのか?
それとも、俺が俺ではなくなってしまう時間が長くなり
俺は俺ではない者に支配される一瞬に負けて
俺の意思ではないことを繰り広げてしまうのか?
 
そんな歪み、俺そのものの悩みは
他人には馬鹿げた話だし、
そんな暇があるだけ幸せに思う人もいるかも知れない。
 
カネの力で、この疲れを取る解決ができるもんなら、
「四百四病の病いより貧乏ほど辛いことはない」という言葉も
カネは汚く稼いで きれいに遣え」という名言も
今の俺にとっては明日を生きる励みになるかも知れん。
でも本当にそれができるのか?
ルシアン・ルーレットみてぇになっちまわねぇか?
こんな俺じゃぁな。
 
   参照ページ http://ameblo.jp/badlife/entry-10009166094.html  (self text)
 
 
さて、
鼻毛ノバスナ、ヨホロを伸ばせ!」
の話に戻そう。
 
人間、不健康になる第一条件(?)は、
膝を曲げて猫背になってしまい、
呼吸も浅く、
そのために血液も酸素も
脳にも全身の細胞にも活性化されない。
 
     naizoukasui\u0026yohoro  
 
要は、
そのように体形を崩すことで
全身の筋肉にある血液の流れ、回りが悪くなると、
その肉体を動かす心も次第に狂ってきてしまう
ってことだ。
 
じゃ、どうすりゃいい?
 
膝の裏(ヨホロ)を伸ばせばいい。
そして、胸いっぱいに空気を吸い込むために
それまで肺っている使った酸素を
先に外へ出せばいい。
 
深い呼吸で、膝の裏を伸ばす!
 
これが以外にも効き目がある。
やってみな。
 
ただ、かろうじて、40代後半の人。
50代、60代のフツーの人なら、それでラクになる人もいる。
ところが、10代、20代、30代となると
「そんなことじゃ もう間に合わない」って人も、
現実には多くなって来ている世の中になっちまった今、
俺もタイヘンだ。
ニートでオタッキーな連中はヘンタイだ。
 
じゃ、どうすりゃいい? 
 
書くしかねぇだろ、俺が。
具体的に、解決に導かれるきっかけが見えてくるまでな。
 
これに付き合いきれる読者がいるもんなら、
嬉しいけどね。 
いねぇよな、そんなヒマも余裕も誰にもねぇし。
そういう世の中なんだろな、今は。
 
 
俺は精神病棟のベッドで涙を流す前に
切った手首を湯船に漬ける前に
春になったらまた、
薪に斧を振りかざす。
価値ある樅を割る。
硬い桜の木を貫く。
ヤワな杉を砕く。
生きて、生かされている実感を取り戻すためにな。
 
ま、それは、汚れた身体を洗い流す、
風呂の焚き木なんだけどね。
 
五右衛門風呂の湯ってのは、
フツーの給湯システムで沸かした風呂の湯とは全然ちがう。
で、そういう風呂ってのは、釜も浴槽の構造も普通とは違う。
今は特殊でも、昔は普通だったはずだ。
そういうフツーが、今の社会には失くなってきて
こんなになっちまってるんだよ。
 
なんとかせにゃアカンだろ。
お棺に入る前に。
日本全国あまりに余ったように迷惑な杉の木 で拵えたヤツな。
 
 
 

 
 
 
 
じゃぁな。