杉の花粉症てのは、なんで どうして、世界中で日本ばっかりなのか? | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

 
 
     work title : 大日本帝国の陰謀による貧弱な軍事兵器、スギ花粉を斬る!
   
   
かつて、富国強兵という思想教育の中に生きた人々は今、
老人介護問題の中心にいて、その多くが、
最期まで自分の肉体を自分の力で運び動かせるかどうか…
そういう切実な、不安な毎日を過ごしている。
その彼等がまだ元気いっぱいだった頃、ヤンキーズに勝ち続けていたはずの大東亜戦争時代。
自分達の家屋の柱に留められた釘一本でも、
身の回りにあったすべての鉄という鉄を武器弾薬物資生産、戦費のために国に差し出し、
零戦(ハリボテのちゃっちい戦闘機)の骨組みを造るため、
加工しやすい杉の木を日本中の野山に植林させられた。 
 
そして夜が開け、床の間か神棚に置かれたラヂオの前、
焼け野原に残された家族一同、正座して聴いた玉音放送の あの日。
あの日から、「よし、頑張ろう!」と心に強く決めた新しい時代、
国に騙されていた自分を自分で咎めながらも黙々と、
軍事産業から平和産業へと移り変わる昭和の経済成長を切り開いた人もいれば、
戦友達から捥ぎり採った手首を形見として持ち帰った、
あの、背嚢【はいのう】を背負って舞鶴港に立ち降りたあの日、迎える人の姿を見て涙した人も、 
激戦地で何ヶ月と、マトモに物を喰わずして生き延びた息子達の、その衰弱した身体が、 
腹いっぱいにめしを喰っただけで、あっけなく死んでしまった隣近所の哀しみを乗り越え、
一生懸命に頑張って、ひたすらに働いた人もいる。
またそれが「お国の為だ」と思っていた人もいるかも知れない。
そうやって自分を励まして、力づよく生きたかも知れない。
あれから日本の国は みるみる変わり、先進諸国の仲間入りを果たした。
ところが、世の中には、今まだ、自分の頭の中で大東亜戦争が終っていない人も何人もいて、
敗戦。負けたことを素直に認められない者もいれば、
あぁ~ぁ、負けたぁもういいや」と、投げやりにも、
そのまま惰性に任せて歩んだその人生を
「私は頑張ってきたんだから…」と云わんばかりに、まだ終ってもないうちから
勝手に人間を終らせたような格好で生きている人もいる。
しかも突っ張って、我侭を吐き通しながら、常に惨めな自分に腹を立てて…。
そんな年寄を誰が労われるだろうか? 
この時代の若者にはそんな余裕はない。 
 
なぜなら、「頑張ればできる」「やればできる」と教育されて、できなかったじゃないか。
息子たちは、孫たちは、お爺さんとお婆さんを、お父さんの背中を見て、
世の指導者と呼ばれた人を、先生を、人生の先輩を見習って生きてはきた。…昨日までは。
だけど、今の日本を見てみろよ。どこを見渡しても、
自分自身が本当に、楽で健康で「楽しく自由に毎日を明るく生きているよ。」
って人がいるか? (自分はどうなんだよ)
 
昔は携帯電話もパソコンもなかった。一家に一台のクルマなんてのも あり得なかった。
一生懸命に働いて買った白黒テレビと
白い冷蔵庫 も、
手動脱水装置の付いた洗濯機も、買ったとき、自分にも買えたときには嬉しかった・かも知れないが、
クーラー や電子レンジのある家なんて、それは、
そんな物を持っている人は、
「神様の親戚なのか?」と思っていた人もいた・かも知れない。
時代は回らず、変貌、変容し、使い易く開発されたはずの車椅子も、 
寝たきりを補助する介護用ベッドや、素晴らしく精密に造られたバリアフリーの設備も、 
階段の滑り止めやテスリも、新設小学校校舎に設けられた豪華なスロープも、
その人達が決して、心から必要として有難いと思っているモノでもない
 
本人達には既に、満州で大勢の人を惨殺させられたことも、
ハーケンクロイツ軍事組織集団に並んで、細菌兵器開発のための人体実験を遂行した残虐行為も、
捕虜の首切り介錯の数を競い合った軍人がいた遠い昔の記憶にある戦犯事実も、
かつて池袋の象徴として建てられた”昭和の栄光の破片”のようなビルが、 
「そこが一体、何が行われた場所の跡地だったのか?」ということも、
「忘れたよ…」と言わんばかりに、
惚けている。
心も身体も見事に、神様と約束を交わした如く古惚けて、教科書を作る連中さえもが、
生き証人がいなければ隠し通せると思っているのか何なのか、
何も知らない国民は一教団が浅はかに拵えたサリンの散布事件に怯え、テロ地域から逃げる。
もっと恐ろしいことが国単位で行われた事実は知らぬまま。そして今また・・・・。 
 
地球上に実在する生命体。その中で、同じ種類同士で殺しあうのは人間だけだ。 
 
俳優ジャック・ニコルスンのこんな言葉がある。
「テロリスト…彼らは世界に対する犯罪者だ。
しかもこれは人類(の持つ意識)が低下している証でもある。
第二次大戦では男を拷問にかけた。
ヴェトナム では男の目の前で、その子供を拷問した。
これは文明が全体的に低下していることを示している」
1986年
戦争で確かに一部の者が儲かることもあるかも知れない。
せっかく造った兵器も、実験ではなく、本番で使ってみたいと思う人もいる…いたかも知れない。
使わないなら闇市で捌いた方がカネになるかも知れない。
しかし、
地球上に実在する生命の数々。そのうち、同じ種同士で殺しあうのは人類だけだ。
では、創造神という神様は、人間だけをそのように間違えてお創りになったのでしょうか?
「オイ、応えろ! でないと雲の上から引き摺り降ろして血反吐はくまで叩きのめすぞ!」
かつて俺の頭の中が、に行ったり来たりしてた頃、
宗教も信じられない、自分も信じられない、世の中の何もかもが嘘に思えて、
その時の最終的な結論はそこへ辿り着いた。
今は虹に遮られてる
 
だから、惚けているか冴えているかはともかく、
今の80代、90代以上の全部の人を悪者扱いにする訳でもなく、
これまでの世の中の教育が間違ってたんじゃないのか?  
間違える以前に、先行き みんなで生きる時代には合わなくなる事実、 
もう遣い物にはならず、どんな教育の常識も役に立たなくなる時期が訪れるかも知れないと、 
そう薄々 感づいてた人も、気づいて判ってた人も、 
今日までズルズルと、明治・大正・昭和の常識を引き摺って生きて来てしまった。 
それが、アスベストの馬鹿騒ぎでもあり、列車事故災害の数々でもあり、 
年間数万人に膨れ上がった中高年層の男たちの自殺、青少年の凶悪犯罪のエスカレート…、
そして、靖国問題にまつわる諸外国との程度の低い確執だったりと、 
あの敗戦の当日から今日までの日本の社会は、今まだ大東亜戦争と
負けた腹いせや悔しさの中で戦後復興時期を無謀に頑張った栄光を捨てられないし、やめられない。 
 
本来、人間が生きるためには あまりにも役に立たない学問の知識が、
新しい時代には通用しない常識の枠に 人の心を押し込める あらゆる教育、その常識が、
もう今まで通りには使えない。今まで通りには誰も指導できない。
何かいい手本もなければ、尊敬して見習える存在がない。
政治にも、宗教にも、病院にも、会社にも、学校にも、家庭にも、マトモな指導者がいない。
「そんなことはないよ、大丈夫だよ」 「今までお前が恵まれなかっただけだよ」
「おまえ自身から蹴ってきただけじゃねぇのか?」 「目を覚ませよ、世の中にはちゃんと存在してるよ」
・・・・俺もそう思いたい。
でも実際は、それがないために苦しんでいる人の方が、
あまりにも多くなってしまった現実は否定できない。
かつての戦争体験者が、みんな惚けちまったり、
そのうちみんな、いなくなっちまう前に、この高齢化社会が今まだあるうちに、
確認しておきたいことがある。
気づいて、人間の軌道修正を取り計らってもらいたいことがある。
次の世代、その次の世代にとっての指導者、人間の先輩としては、どうなっちまってるのか。
   
おいおい、ダラシナイぜ。そんなもんかよ、人間の人生って。
俺達が どうしたらいいか判らない時、何か教えてくれたか。
厳格で堅実な職人さん、明治・大正のお父さん、寺内カンタロウみてぇに、
「見て覚えろ!」つったって、今まであったモンがねぇんだよ、
喰わされた物も違う 無かったモノ在りすぎる
誰が日本の国土だけに こんなに杉の木を植えたんだよ。
一体、何千万本植林したんだ? 営林省の配下で。
花粉アレルギーでボロ儲けしてる薬の会社も ちっぽけなもんじゃねぇかよ。
このままじゃ済まねぇぞ。
植えた爺さん婆さん逝っちまったあと、これから、もっと酷くなる。
・・・植え逃げかよ。
どんなに老いても、死ぬより生きることの方が大変だぜ。
どっちもたったの一回だけなんだ。
次に またここへ出てこられる保障が誰にある?
こんなんで終わりたくねぇよ。 …大勢の年寄りの手抜き人生を真似たくはない。
学校行って頑張って勉強して、美味すぎる給食も喰ったけど、役に立ったことは少ねぇぞ。 
お蔭様で読み書き電卓は上達したけど、中学・高校と6年間も英語の勉強したのに、
なんで英会話教室へ通わなきゃ仕事にならねぇんだ!? 
あんたらが憎んでた鬼畜米兵の言葉が国際共通語になってる世の中なんだぞ。
いつまで授業にカネを賭ければいい? あの世へ行っても生涯学習やるのか?
見てみろよ、「ここまではやっていいとか」「それは悪い」とか、
簡単でもいいから、ちゃんと教えてくれねぇと、
とんでもねぇこと平気でやってる大人ばっかりだ。振り込め詐欺なんて、屁の河童だろ。
その次の代はそれを見てどうする? 
平気でまた、人、殺すのか? 自分を殺すのか? 騙して盗むこと、どんどん繰り返すのか?
何に躓いて、何にやる気なくしたのか、何が許せないのか、
朝のプラットホームで、電車が突っ走る中へ平気で跳び込むオッサンもいるけど、
もう、そのうち戦争で死んだ数に追いつくぞ。
交通事故や癌、馬鹿げた過労死 なんてもんじゃない。それを
「出生率が何パーセントか減少するような事にもなっているが、
私ほど、日本の経済を悪くした政治家として歴史に名を残す政治家もいないでしょう…」
とか、平気で涼しい顔して、オランウータンがセビロ着て椅子に座ってる格好のような奴もいる。
自分は勝手に一発でクタバっても、線路に撒き散らかした その肉片を誰が片づけるんだよ。
目玉が抉れて脳ミソ飛び出た頭とか、右か左かハッキリしない腕とか足の指とか拾い集めて、
改めて焼き直して、ご先祖様とご一緒の墓に収められて光栄なのか?
人に迷惑かけないで自分で始末しろよな。公園の砂場の野良猫のフンよりタチわりぃぞ。
なぁ爺さんよ、今日も威張り腐ってる婆さんもよぉ、どうか聞いてくれ、
それをあんたらの息子の代、俺たちの親父の世代がやってるんだ。
悲しいけど、現実だ。
そんな無責任なの見習いたくねぇ。ヒト殺すより兇いかも知れないぜ。
自分で片づけられねぇし。 なぁ、キイチのとっつぁん よ。 
生きててつまらねぇことが多いのはお互い様だ。
巷の爺さんよ、あんたが長年 毎日 呑んでる胃薬とかもよ、そりゃぁ毒かも知れないけど、
麻薬やめらんねぇで困ってる親父連中もいっぱいいるぜ。
中学生の孫の口臭から漂ってくるアンパンのニオイ(シンナー臭)なんてもんじゃねぇ、
今は、ヒロポンやってラリってた時代と違うんだ。
 
ちょっと待ってくれよ、こんな俺たち残して このまま先に逝く気なのかよ。
まぁ苦しい時はワガママ言わずに教えてくれよ、どこが苦しいのか。
言ってくれなきゃ判んねぇよ。 枯れて威張ってんなよ。
倒れそうなら俺に摑まればいいじゃん。
頼りねぇかも知れねぇけど、杉で作った杖の替わりくらいにはなるだろ。
「人生の、カッコイイ先輩だぜ…」って、人間としても見習う気持ちになれれば、
急な上り坂を どうしても登りたい車椅子だって押してあげられるさ。簡単にな。
だってそうだろ、80年も90年も生きて来たんだ。
その魂は俺たち若いモンより利口なはずだぜ、な。
 
 
かなり失礼で生意気かも知れねぇけど、
俺は年寄と話す機会のあるときは、よくこんなことを云う。遠慮はしない。
 
そもそも日本国内にこれだけ多くの杉の木が、なんであるのかということは
花粉症の飛び交う時期になると、マスコミの報道や知識のない天気予報士のコメントからもよく耳にする
「日本だけなんですよ。こんなに杉の木があるのは…戦時中に植林して…」
などと、それ以上の事実の公表については規制されているのか、本人が知らないだけなのか、
まず詳しく、この迷惑。”第二次大戦が残した公害”についてを口にする者はいない。
現在、俺の家の風呂は薪で沸かしている。
新品の石油の給湯設備もあるけど、あえて昔の”ソレ”を使っている。 …いわゆる五右衛門風呂だ。
で、その、泥棒を釜茹でにするために必要なモノ。
薪を燃やす時に役立つのが、枯れた杉の葉や細かい杉枝だ。
杉は確かに燃えやすく、また何か木工作業をするにも加工しやすい。
そういう便利なところも確かに、杉の木にはあって、俺の家には必要価値が高い。
 
なんだけどぉ…
『花咲か爺さん』の「ココ掘れワンワン」という昔話も、
『植え逃げ婆さん』が「あそこ殺れワンワン」
と言わせていたようになってしまった、かつての軍事教育。
その中で、みんなで杉の木を植える『月月火水木金金』の時代、
国土が杉の木で豊かになれば、自分達が勉強する机も椅子も、黒板も鉛筆も、
「何でも自分達で作ります」という軍歌というか、その当時、みんなで合唱させられた歌まであった。
「お国の為にナンタラ、カータラ…♪」という歌。
俺の奥さんの実母のように極端に惚けてなければ、今の80代、90代のお婆さん、お爺ちゃんで、
その歌を知ってる…、唄える人もいるはずだ。
題名はなんといったか、そんな唱歌は、当時、男は出兵し、ほとんどが戦場にいたはずなので、 
戦時中に杉の木植えたのは女の人や赤紙が来る前の子供に多かったと思うが、
その本人達も自分の近所の野山に杉の苗を植えさせられていた当初は、
まさかそれが60年経って、今日のように成人して、
これから何十年間にも渡って、これだけの花粉を飛び散らす騒ぎになるなんて、
夢にも思ってもなかっただろうけど、
当時の政府も国の政策としても同様に、後先考えず、
「これでゼロセン造れ!」と、大本営の命ずるまま動いていた大日本帝国の軍国主義と殺戮思想…。
日本列島そのもの、国土が丸ごと”兵器”みてぇなもんで、
そんな馬鹿げた くだらない戦争が何年と続いても、
国民は騙されていることも知らず、ただただ営林省の厳格な指導の下、
小さな小さな杉のを植えていた。
 
そして敗戦後、60年経っても国民はまだ騙されてる。
その事実を知っている者が少ないどころか、
世の中の、社会の言うままに、花粉予報を気に掛け、必要以上に薬を体内に流し込み、
頭をボーッとさせながら車を運転する者もいれば、
花粉の時期になると、急いで店頭のキャンディ・コーナーを拡張するコンビニの店長もいたり、
この狭い日本という国の中だけで、アホらしく世間の情報に操られ、踊らされている。
それでいて本人達は普段、今まだ、ディーゼル・エンジンのクルマに乗っていたりする。
戦前戦後に植林された杉の苗が立派に大きく成長しはじめ、成人を迎えた1986~7年、
ちょうどその頃から、ディーゼル車がそれまで以上に普及し始め、
国土経済成長期を生きた人々が、自分の子供にクルマを買い与える時代がピークだった。
…弾痕の世代も、弾痕ジュニアも、みんなでディーゼル車を乗り回した。
そして、戦争中に植えられた沢山の杉が、次々に成人し続ける今も、
世の中の花粉症騒ぎは治まることはない。
 
全国のドラ息子学生は、こぞって4WD車を乗り回し、
大学で講義する教授、助教授、先生方も、颯爽と4WDのディーゼル車に乗り、
休日には彼女を連れて軽い沢へテニス。夜はペニスを使ってオートキャンプ…。
揺れる車のスグ横には大人になったデカイ杉の木。
ズボンの木陰で大きくなったキノコは、花粉症で連発するクシャミで萎える始末。
ケツを捲くった女が笑う。男は別の粘液を拭うはずに用意したチリ紙で鼻をかむ。
ムードを変えて違う場所へ、またディーゼル・エンジンを蒸かしまくる…。
そこにも杉は立ち並ぶ。
発射するエンジンは男を嘲るかのようにデカイ音を立てる。
そして一発、今度こそクシャミを外して本番だ。 
「大丈夫?」
女は尋ねる。
「うん、そこにあった花粉症のクスリ、さっき飲んだか…」
先生は応える。
「先生、それ、私のピルよ」
芸能界のデヴューを夢みる女学生は目を丸くした。
「…まいったなぁ、あっハッハ」
発射は不発に終った。
 
そういう飽食の時代も末期になると、今度は、
「泡が弾けた」と馬鹿な祭り騒ぎに乗せられ、国民は「景気ワルイ」と右に口を揃えた
今、小泉サンの他に、誰が、あれほどの国民を代表した仕事を勤め上げられるのか?
どんぐりの背比べでワイワイと野次を飛ばしている連中に 国の何を任せられる?
アメリカ国民が「もう一度また大統領をやって欲しい!」とウィリアムさんに手紙を差し出すように、
俺は任期満了を問わず、何回でも小泉内閣が継続されて欲しいと思う。
背広を着せられたオランウータンや、かつて二枚舌と呼ばれたノッポ爺さん、
ピーナツ5個で葬られた北の英雄、天風さんと仲よくしてた人達。
そういう人達の尻拭い。昭和の清算をしてくれてるのは、ほかの誰でもない。
小泉サンとそのご一行だ。
ちょっとぐらい頼りなくてもいいじゃないか。 他にいねぇだろ。
花咲か爺さんも杉植え婆さんも頭が高い、
道端に控えて次の世代の財産に借金を回してる事実を反省してくれ。
戦争は負けたけど、まだ片が付いてないことはいっぱいあるぜ。
自分で植えた杉の木はどうするよ?  
仏壇に添える“お線香”の原料も、余りに余って、自分達がクタバッタあとだけじゃ使い切れねぇぞ。
俺も毎日、杉の葉や枝を風呂で燃やして頑張るけど、それじゃ間に合わねぇだろ。
CO2削減問題やオゾンホール縮小の研究…これも間に合いそうにねぇけど、
世の中にディーゼル・エンジンが出す排気がすべてなくなれば、
ディーゼルの動力機を積んだすべての機械が消えてしまえば、
年々増加する花粉症に悩む人々。この問題はかなり解決される。
花粉症対策の飴玉や薬は売れなくなる。 ザマミロ。
樹木の花粉が直接、花粉症を引き起こしているわけじゃない。
自然界と人間は、そんなヤワな関係で結ばれてはない。
 
本来、自然界に存在しなかったはずの有害な排気物。
その粒子が花粉と結びついて化学反応を起こす、その公害物質が、
日頃から全身の筋肉の血液循環に滞りが多い人の気管や鼻の粘膜に詰る。
それによって花粉症が始まって、終らなくなってる。
学者には判らない。医者もどうにもできない。
「平成の花粉症は国による公害だ!」とか、思い立って国を訴えても(杉山さんみてぇに)、
そんなことしても解決されない。
自分の身体は自分でどうにかするしかない。
その体質改善の方法は色々ある中で、まず、両脚の筋肉のうち、
胃と脾臓、膀胱と腎臓に関連する血液の循環をしっかりとさせることが大切だ。
これについて具体的には、過去に代筆させてもらった何冊かの本の中でも
こと細かに正確に説明してはあったけど、
ここまで沢山の杉の木が成人を迎えて大量の花粉を撒き散らしてしまっている今、 
毎日が抗菌状態の環境下に置かれている日本人には 
手の施しようがないくらいだ。  
たとえば、白湯でといだ塩で喉の奥まで何回もウガイをするとか、 
目の痒みには綿棒に度数の高いウイスキーを含ませて消毒するとか、 
まぁ、対処の方法は色々合っても、根本的な解決策は見当たらないのが、 
巷の民間療法や女の浅知恵を並べた健康雑誌の特集ページ。 
花粉症で悩んでいる人ってのは、決して「デリケートだから…」てことでもない。 
全身の筋肉に対する血液の循環が非常に悪い人。しかも、 
様々な薬物や食品添加物など、そういう必要以上の物で血液が汚れに汚れてる。 
日頃、自分が喰って飲んで来た物を思い起こせば よく判る問題だ。…何十年も。 
とくに、鼻がグズグズ詰まるとか、繰り返してクシャミが止まらないという人は、 
両手首(甲側)と小鼻の両脇(頬骨のいちばん高い処)、そして、
そして太腿の側面中央(直立して手を腿に添えたとき中指の先が当たる部分)。   
それらの場所の筋肉の血液循環の鈍さが、そういう症状を引き起こしている。
決して、交感神経と副交感神経がどうのこうのとか、遺伝子の問題ではない。 
すべて、筋肉と血液の流れの問題。それが、本来の人間として正常ではない。絶対に。  
   
とにかく、花粉症は人間の胃の機能と尿。膀胱に関わっている。(…あと、胆嚢もな。)
「そんなの聞いたことない」と云っても、人間の身体はそう創られている。
それから肺の呼吸。
学校とかNHKのラジオ体操とか、長年に渡って、
「ハイ、吸ってぇ。吐いてぇ…」ってのは間違いな常識だ。
もう今の時代の人間にも合わない。 
オギャーと産まれたばかりの人間も、吸ってからは吐かない。 
必ず、吐いてから吸う。 
だから、普通に産まれ育った人間なら、 

どこまでも吐いて、吐きまくって、それから、ゆっくりと吸う
遠慮はいらない。
人の分まで空気を吸ってから吐くなんて、そんな”ヨクバリ爺さん”みたいなことはしなくてもいい。
腹の底から吐いて、そして、吸う。
このリズムが普通に人間として営まれる生活に備わってくると、以外に、
鼻づまりどころか、本来、肉体にあってはならない他の支障も改善される方向へ進み出す。
それは医者でも薬でも空気清浄機でもなく、自分自身が治してる。
治癒力の活性化の第一歩は、人間の肺の呼吸から始まるってことだ。
俺も毎年、花粉症に困ってたけど、もうほとんどなくなったよ。
東京から佐渡に移り住んで、佐渡にも杉の木はいっぱいある。
この空も、昔は朱鷺よりも零戦の数が多かった証拠だ。
ディーゼル車も今まだ、いっぱい走ってる。
でも、東京にいた時に使っていた空気清浄機は使ってない。 押入れにしまってある。
「まだ空気がキレイだから…」ということではない。
あんなに本州から離れていても酸性雨は降る。
異常気象で、せっかく造った米が台無しになって、首吊り自殺する人もいる
空気だって、今はもう、それほど本土と変わりない。
その証拠に蜻蛉も蝉も、だいぶ少なくなった。田んぼにはタガメという虫もいない。
水が農薬に汚染されているだけじゃなく、
今、世界中が どうかしちまってる。この島にいても、そのことがよく判る。
雀も少ない。群れを成して飛んでる姿が都会に失くなっただけじゃない。
そんな所にどうやって朱鷺が甦るのか? 
両津の農協の悪巧み三人組をはじめとして、サギ はいるよ、こんな世の中だから。
でもトキは隔離された所で観光名所にはされているけど、
心の底から「自然環境を元にあった状態に近づけよう」
なんて努力している人は数えるほどしかいない。
それは、ムツゴロウとかカブトガニとか、マウンテン・ゴリラも同じだろ。
「絶滅危惧種が地球上のここにある」と問題にされている場所では、
人間がその生物の学名を付ける以前に、人間による破壊が始まっている。
そういう意味で、
オーストラリアのフクロオオカミ は消えて行ったし、
ピンポンパンのカータンも、あれは妖怪でも怪物でもなく、絶滅させられた生物に過ぎない。
三蔵法師が連れ回して歩いたというのは 後から脚色されたものどろうけど、
「ネギトロ軍艦を発明したのは俺だ」と言い張る、どんなに腕のイイ寿司屋が握るカッパ巻きも、
キュウリという野菜が、河童という絶滅した生物の好物かどうかは、
環境保全の連中、動物保護団体の鈍間な活動には関係ない。
自分達で野山を歩く靴の底に付いていた雑草の種が
原生林の自然形態を徐々に破壊する愚かさと同じように、
人間は”絶滅危惧種”と認定した時点で、その生物を絶滅させている。
幾らかのサイズがあって、目に見える部分の生物ばかりでなく、
もっと小さい所で、ミクロの世界で、
大きく自然を破壊している
ことに学者も気がつかない。
例えば、隅々まで抗菌状態にされた給食室や給食工場。その調理施設、厨房の俎板の上。
どんなに綺麗に清潔に抗菌したところで、また、どんなに栄養学に冴えてる人を完備したところで、
給食を作るオバサンが、さっきトイレでクソをした手を洗わずに食材に触れば、
何の菌も存在しない場所には、それこそ勢いよく、バイキンは繁殖する。 それが
O-157だろうがサルモネラだろうが、ノロ・ウィルスだろうと、バイキンマン達の行く手を阻む者はない。
次にジャムおじさんがアンパンマンの顔を焼いているうちには、
その給食を食べた園児も、老人ホームの虚弱体質も、バタバタと倒れる。
同じように、野山を切り崩すゴルフ場やリゾート施設などの開発も、
普通の人間の目に視えない部分で進行する自然の破壊が、やがて人間に返ってくる。
そして、空も海も山も川も、徐々に変貌してゆく
破壊の季節 が訪れる。
どんなに大型の台風や集中豪雨が重なっても、人間の腐った部分は洗い流されない。
そこに何の微生物がいて、自然界のどんな均衡が保たれ、どんな自然連鎖が図られていようが、
そんなことには構うことなく、復興開発する我々人間。
機械の何に、自然環境のどこに、いくら作業に気を使っても、油で澱んだ水は絶対に浄化されない。
ダイオキシンで騒いでる連中も、昔、学校の焼却炉で、”今日の掃除当番”となれば、
平気で、ヨーグルト・ドリンクの樹脂を燃やしてたはずだ。やってないとは言わせない。
掃除当番をサボらなかった優等生も、ゴミの分別なんてやってなかった。
一回もプラスチックを燃やしたことがない人なんて、この時代の、この世の中には、いない。
シンセサイザーのキタロウさんぐらいなもんだ。ソウジロウさんだって燃やしてる
そんな人間が無責任にも、特定の企業に対して抗議行動してるなんて愚の骨頂だぜ。
エコロジーなんてものも、既に経済基盤の柱を失った企業の最期の足掻きに過ぎない。
そういう運動のスポンサーに名前を連ねておけば、みんなが安心していられる気になってる。
みんなと同じようにやってれば案心
子供騙しのようなもんだけど、
「馬鹿馬鹿しいと思うなよ、やってる本人、大マジメ」の蟷螂拳法と大差ない。
「意味不明?」ではない。
環境保全を考えてやってる連中が意味不明だ。 しかも手抜き人生、魂の無駄遣い。
そんなことを言い出して何十年も経つのに、
何か変ったのか?
オゾンホールは北半球だけじゃなく、南極の上でも今も拡大 してるぜ。
今度は宇宙病にバタバタ倒れる人間を見たいのか?
ノルウェーの森なんてズタズタだぞ。
一日にどれくらいの氷河が溶けて、何メートル水位が上昇してるか計算して判ってるくせに、
未だに無駄な燃料を使ってクルマを転がしほうけてる学生も、学校の先生も後を絶たない。
これを「おかしい」と思わせない教育と社会常識が重罪だ。
その重罪に加担してるのが多くのニッポン企業様々だ。 
 
この日本の狭い国土、土日を休みとした教育機関。
その休日の朝から午前中の10時過ぎくらいまでは、全国の道路という道路は透いている。
じゃあ、学生と先生からは通勤通学に使ってるクルマを取り上げればいい。
そうすれば交通事故ももっと大幅に減少する。
働いていない穀潰しのような学生も、大した能力のない学校の先生も、お役人様も、
みんな自転車か徒歩。
カネに余裕あるなら、そのまま脱線しそうな電車に乗っていればいい。
どうせなら石炭で走るバスで ”お迎え”に来てもらうシステムを蘇らせても、
それは地球環境改善に大いに役立つんじゃないのか。
「まずは、働いてない人は無駄にクルマに乗るな
石原さんなら、いつかやってくれそうだ。…頼みますよ。まだ地球が滅亡しないうちに。
 
とにかく、このままでは、ホモ=サピエンスも絶滅危惧種に登録されてしまう…
というほど、世界はゆっくりゆっくりと破壊されている。
そういう意味での『
破壊の季節 』。『BAD LIFE 』にもある。
だから、自分の身は自分で守らなきゃな。
今は そういう時代になった。
もう誰も助けてはくれない。
他人を救うなんて、そんな気の利いた人間はいない。
スーパーマンなんていない。ネロもいない。
環境改善を図るとかいうロボット開発も、もう手遅れだ。
環境保全事業? 
その考え方、やり方、やっていること事態が環境を破壊してる。
だから、救世主は どこにもいない。
いるのは、ギターのジローを笛で苦しめるギル博士だけだ。
学者はみんなハカイダー。 (ブラックはカッコよすぎるのでレッドだな)
光明寺博士の脳味噌だって、今はトコロテンのように酸っぱくなってるよ。
それほど、学者の研究もチンプンカンプン。世の中の役に立ってない。

 

 

 
 

  ”( Wish I Could Fly Like) Superman ” [ Disco Edit ]                      

 

         
          The Kinks              レイ・デイヴィスが風刺する人類…3曲目で RPGO

      Come Dancing with the Kinks

 

 

 
まず自分の命を自分で守る安全がない限り、誰も助けられない。
これが間違ってるかどうかなんて考えない。
そうするしかない。
今はそういう時代だ。 
生き残らなければ その後を改善できない。