現状の確認 ~ 今は何時代?  自分がどうして ここに存在するのか? | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   
5月3日の晩のことだったんだけど、
      
   
   
----------------------------------------------------------------------
badlife さん 
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ということで、俺のメールボックスに お知らせがあったので、
いつものアホTBは承知の上で、そこを覗いてみた。

   
   http://grape.adalut.net/eroblog/azami/
   
するってぇと、世の中、オメデタイ。
こんなクズのサイトに ありがたくお礼参りの挨拶してる人もいる。
これだから日本に “フリコメ詐欺”とかが横行しちまう。
   
   
んで、俺としては いつもの調子で、
そのアホなページにこういうコメントを書き込んでみた。
  
  
     トラックバックもらったけど、
     俺のページはまずかったな。
   
     これってほんとうは男が書いてるブログだろ。
     バレバレだよ。
     コメントのリンク先へのアクセスが狙いだもんな。
     最近、ソープやピンサロ嬢を装ったサイトも増えてきた。
   
     もしかして、本業はテレクラの人?
   
     …みなさんのご意見ご感想もお待ちしております。
   
     みなみ まさあき | 2006年05月03日 23:03 
   
   
   
てな具合で、そのサイトの運営者が、この内容を公開するかどうかは知らねぇけど、
一応、「事実として、そういうくだらねぇことがあった」ということを記録に残しておく。
   
   
    みなみ まさあき | 2006年05月04日 17:09  再送信済み
   
   
   
   
確かに、ブログってのは ここ最近の“流行りモノ”だ。
いろんな人が色んなことを書いてていいと思う。
そん中で、エログッズ販売とかアダルトサイトの広告収入を期待して、
それを優先させるブログ・サービスの会社もある。
みんなカネが欲しいんだ。
泡ゼニの先に何らかの自由があると信じて、一応 頑張ってる。
   
でも踊らされっぱなしてのも問題あるぜ。
その昔、満州まで わざわざ戦争へ行って舞鶴港へ帰ってきた人も、
今は大そう御立派に長生きされて、その爺さん達も
ずっと、“お國”に騙されつづけてきた。
あの当時の大本営が流してた情報は全部ウソだった。
「オクニノタメに…」と、どんなに竹槍訓練を頑張った婆さんも、
何千何百人の人間を虐殺した軍事司令部直下の大将であったとしても、
その勲章はベトナム帰りのアメリカ元軍人のように
決して人前で自慢できるモノではない。
   
それでもまだ、あの大東亜戦争に敗けたことを認められない人もいる。
そういう人達が “フリコメ詐欺”とかの被害にあってる世の中。
平和な我が国、万歳三唱!
その息子連中(俺の親の世代&団塊世代)は、
爺さん婆さんと同じように、今度は、
アメリカ$経済の言いなりになった素晴らしい戦後日本の常識に騙されて、
“バブル崩壊音頭”を踊って以来、今は、
江戸時代の“ええじゃないか運動”と似たような感覚で
携帯電話 と ゲーム と アニメを三本柱(?)に、
世界経済に挑むつもりで頑張り抜こうと必死になってる。
   
そんな物を、「カネ」「ヒト」「モノ」の流通が
上り詰めるだけノボリつめて飽和状態になっている中にいる日本人以外に
誰が相手にするというのか? 
「おもしろい機能が付いてる」
「奇抜なアイデアで物語が展開されてる」
「攻略本をマスターしないことには巧みなテクニックをモノにできない」
と、それは、いっ時だけは、外国の人たちも興味を持つかも知れない。
でもスグにあきる。
だいいち、その貧弱な日本経済基盤を支え、回している女子高生や中学生、
カネはない筈のニートでオタッキーな連中の“小銭容れ”でしかない。
どこに、世界経済の流れに太刀打ちできるほどの武器や材料、その工夫があるのか?
「ゲーム機を買ってあげられない親」ではなく、
「ゲームもアニメDVDも買ってあげる子供がいない大人」ばかり(高齢者)が増えて、
その人達は、どんなに生涯学習で頑張っても、
もの凄いスピードで目まぐるしく発達、開発、その販売競争が進む、
“ケータイでんわ機種”や“多重機能パソコン”が溢れる世の中にはついて行けない。
つい最近、やっと、テレビのリモコンとFAXの操作を覚えたばかりだ。
しかも、その人達は、素手で鉛筆を削ることも得意中の得意で、
竹トンボも竹馬も上手に拵えることができる人もいる。
無理もない。かつては、
「この先 何十年も勝ち続ける戦(いくさ)に備え、
ここに杉を植えて やがて大きくなったら それで机や椅子を
自分で作りなさい。」
と、営林省や 富国強兵思想の学校で教え込まれた能力開発の一つだ。
みんなで回せばベーゴマも楽しい。
ところがギッチョン、餅つきベッチョン。
そんな大道芸が巷に流行るわけでもない。
既に時代は、小さなモニター画面の中で
「殺るか殺られるかの瀬戸際のスリル」を楽しむ時代になっちまった。
脳味噌の中だけが第二次世界大戦だ。
そのお爺さんは、元日本国軍の二等兵。
お婆さんは、「一夜の契り」を交わし、
その帰りを待っていた、麗しの乙女。
明治・大正・昭和初期のセンチメンタル・ジャーニー。
自分の孫が何に夢中になって部屋に閉じこもったままなのか? 
そんなことを気にする余裕もなくボケちまってる人も多い。
   
問題は思想だ。
戦前・戦中・戦後から引き摺った「やればできる」の兇悪教育思想。
その真っ只中で生きた世代は、最早、身も心も疲れ果て、
「やれば・・・・できない」
「頑張れば・・・・無理。」

そこにまた産まれる以前から精魂尽きたような格好の子供たちが、
「やらされれば・・・・できる…と思う」
「頑張り直せば・・・・まだ大丈夫だろう。たぶん」
「みんなと同じようにやってりゃぁいいんだ。それが安全なんだ…」

という、妥協と開き直りの中にいる。
決して、元気はない。
男に逞しさはない。
女に女の匂いを漂わせる場所がない。
どこにある? 今の若い世代に女と男の区別が。
ハッキリとした区別、違い、相違、特徴があるのに、
ないようにさせているのが、過剰な男女平等教育。 と、その社会常識。
これは何者による何者のための支配なのか? 
こんな異様なマスプロ国家が この先ゆきつく処には、一体、何があるのか? 
電信電脳電撃戦争の幕開けなのか? 
   
笑ってる場合ではない。
既に世間で殺人を犯してしまった子供は、
ゲーセンで小銭を払って何者かを殺めることに厭きてしまった妄想殺人鬼だ。
ほら、近所にもいるでしょ。そういう、
一見、「どうしたの?」というほど精気を失っているように見えても、実は、
何を考えているか判らない、何かを堪えきれず、いつか爆発して、
何かをしでかしそうな、何かを企んでいそうな・・・・若者(子供)が。
   
   
本人は決して、頭はおかしくない。
どんなに家庭内で暴れても、
野良犬のような歩き方で白昼の街中を徘徊していても、
絶対に精神は異常ではない。
異常なのは戦後から今日までの日本社会。
その中で正常でいられることも異常に近いかも知れないと思えるほど、
世の中は鬱蒼とした樹海のような場所を拡張しつづける。
しかもそこは、都会であればあるほど、
人の肉体にも心にも饐えた腐敗臭が漂うかのように、
クリーンに整備された職場や店先に異様な雰囲気を齎す。
あの暗く、重苦しい感覚は何なのか? 
判りやすい例として、元オウムの出家信者の方々とか…
その一人一人を訪ねてみれば、スゴイ知識! 宇宙開発事業団! 
トーダイ! 医学博士号! 教職者免許取得保持者!
とにかく、アニメ・キャラクターや ロリロリお姉ちゃんの名前と生年月日に詳しい。
お気に入りアイドルのスペシャルDVD挿入歌は、
2番と3番の歌詞を間違えずに歌える! 
んでもって、彼等の筋肉痛体験が、これまた時代特有だ。
手の親指。
これは疲れる。
学校の先生が、短くなったチョークを使って賢明に黒板に何かを書いてるときとか、
ちっちゃくなったチョークを支える親指と人差し指が疲れて、
それはもう、指の付け根や手の平の筋肉までも吊れたり痺れたり、痛くなってくることがある。
あれ以上だ。今の大勢の若者の指の疲れってのは。
    
“げぇむ”のボタンとレバーは壊れても修理・買い替えは利くけど、
人間の肉体の場合はそうはいかない。
部品交換はできないし、
一度、極度に痛めてしまった筋肉を元に戻すのは容易なことではない。
それは足腰や肩や肘ばかりでなく、たとえ何かの運動障害、スポーツ障害であったとしても、
駄目になった局部を浅はかな知識で弄り回せば、もっと悪くなる。
そのいい例が椎間板ヘルニアだ。
んまぁ、その話はまた別の日にな。
とりあえず今日は まず、こっから先の話の筋が通るように書く。なるべく。
   
   
人間の手の親指は肺の呼吸に関係してる。
おまけに手の親指の付け根は、人差し指から辿って大腸に関係してる。
肺が精一杯 空気、酸素を鼻から吸い込むことによって、
オナカの筋肉が動き、大腸が動く。
それによって便が出せるようにも創られている人間の身体は、
その、両手の親指と人差し指に関係してる。
もしも、それらの筋肉が麻痺したり痙攣するようなことがあると、
そこに繋がる肺や大腸の機能にも影響が出てきてしまう。
だから便秘になる。
まず、非常に呼吸が浅い。
母親の胎内にいる時点で、
全身の筋肉が伸びきらないほど狭い場所(骨盤の中)の
下の方に押し込められていたために、
3000グラム以下で産まれてしまった人はすべて、
産まれてから育つ過程において、筋肉の発育が正常ではない。
単に、「子供に筋力が低下している」ということではない。
全身の筋肉が生きるために必要な血液の循環が、
本来あるべき健康な状態ではない。生まれつきな。
そのために、母親の胎内から産まれ出たあとになっても、
未だに背筋は丸まったまま。
立ち上がってみても、膝の裏は伸びきらない。
無理をしても真っ直ぐに立つことが、
長時間とは云わず、短時間も無理。
母親の胎内にいた時のままの、丸まった胎児の格好が、
そのままの状態で、肉体という全身の筋肉。
その容器の中にある心までも苦しめている。
   
んで、こういう先天性で筋肉が変形している子供、若者、少年少女、青少年が、
世の中に一人二人ではない。
   
戦後の素晴らしい男女平等思想教育の中で、
男も女も同じように、部活動やその他の訓練、鍛錬、習い事、稽古ごとで、
そういう学校教育、地域教育の中で、
どの人もどの人も、飛んだり撥ねたり、
投げられないボールを無理に投げさせてみたり、
身体中が痛くても、休みの日まで休まず、
そういう過激な運動を繰り返してみたり。
でもって、男も女も、身体が大きい人も小さい人も、
その大小の創られ方や好みには関係なく、
食べる物も、ほぼすべて、何十年間も均一に整えられたまま。
栄養が回る人も回りにくい人も、
生理で食欲のない小学校3~4年生の女の子も、
「たべなさい」「のみなさい」
「我慢しなさい」
「やればできるじゃない」
の、
見栄や体裁、親や先生の大義名分の偏屈な常識の中で育てられてきた。
大勢の人が。 この日本という国の中でな。
   
生理中に普段より子宮の位置が下にある女の子も、
生まれながらに身体の筋肉に力を入れられない“モヤシ君”も、 (・・・・懐かしい! 津嘉山さん!)
自分に合う合わないは関係なく、無理に必要以上に、飛んだり撥ねたりするものなら、
普段から腹筋に内臓を支える力もないために、
極度に、極端に、内臓は下がる。
女性の場合はとくに、
男より余分に、
子供を宿し、自然界における子孫繁栄の義務を遂行するために備えられた子宮と卵巣がある。
その子宮の位置が、現代人は、もうめちゃくちゃのガチャピンだ。
俺はこの方(まだ40だけど)、日本人の女性で、
自分の子宮の位置が本来の正常な位置にある女性を見たことがない。
顔や体型(鼻や目の位置や両肩の傾き具合、足首の状態、皮膚の色などを含め)を
ひとめ見ただけで、
「…ああ、この人の子宮は右の方に下がりきっていて、
下り物はこういう状態のモノが出ていて、こういうふうにタイヘンなんだよな…」
ということが判ってしまう・・・・ようにされてしまっているんですよ。今でも。
話を交わすと、何分となく、具体的に、
その身体のどの辺りがどのように苦しくて辛いのかまでさえ視えてきてしまう。
(…場合によっては これが非常に困ることもあるんですよ。俺の場合は。…まだ。
   
   
するってぇと、そういう下がりに下がった内臓(子宮)の位置を自分では把握できないし、
本来の正常な位置なんて、それがどこかも見当がつかない現代女性でいっぱいの世の中だ。
そこにいろいろと厄介な問題が生じてくる結果に至る。
まず、腹筋というオナカの筋肉でしっかりと支えきれない下垂した内臓は、
男も女も、尿道筋肉や肛門筋肉とかも圧迫してしまうことになる。
要するに、便や尿の出口が上から押し付けられて圧迫され、ほとんど塞がっちまうことになる。
女性はとくに、肛門筋肉と尿道筋肉のすぐ上に子宮があるために、
その圧迫は男よりも重い。
それが女性に多いとされる便秘の原因であったり、残尿感の大きな原因の一つだ。
…大腸の延長である肛門筋肉が外へ飛び出そうなほど圧迫されるからにもなる) 参照 ☞ ○△☐
出口が塞がっちまえば出る物も出ないで当然だ。
んで、出なくなるとどうなるのか? 
中で、どんどん醗酵する。しかも、腐った便が腸壁に吸収されながら、また体内を回る。
そうして血液も汚れるから、筋肉の体表の皮膚も色も状態も薄汚くなってくる。
便秘と肌荒れの関係は、肺と大腸と筋肉の関係なんだ。
腸壁から吸収された便の臭いってのも、直ぐに肺へ回ることになる。
だから口臭がきつくなる。 マウスウオッシュをどんなに塗りたくっても駄目だ。
口にあがってきてる臭いニオイの元が どこなのか判らない限りは、
その口臭は、生涯、治まることはない。
    
それでもってそれだけではまだ終わらない。
人間の創られ方の道理から外れた現代人の姿は、書き尽くせないほど
まだある。
   
下垂した内臓ってのは、ただ下の方…骨盤の奥の方へ下垂しただけじゃないし、
それによって幼児体型のように、
ポコッと下腹部だけを膨らませてる格好だけには終わらない。
極端に下へ下がった内臓の、
その上へ繋がってる内臓筋肉の軸の部分を下へ引っ張ることになる。
繋がってる限り仕方がない。これも“モノの道理”だ。
気管も食道までも、ぎゅぅーっと、下の方まで筋肉が伸ばされる。
そのために、食べる物も満足に飲み込めない人もいれば、
気管が細く伸び切ってしまったことで、呼吸困難な人もいる。
カゼをひいたわけでもないのに、ゲホゲホと咳き込んでるキレイなお姉さんも大勢いる。
それは喘息でもなければ、「咽喉狭心症」という、
診たままの結果だけの馬鹿げた呼び方では終わらない。
気管や食道の筋肉が、腹筋で支えられないままの下垂した内臓に引っ張られてるのであって、
それが決して、食べ物を飲み込めないからといって、「拒食症だ」とか、
親も、そういう子供に対して、「速く食べなさいっ!」と、躾けるつもりも、
本人にとっては明後日の方角からしか聞こえてこない台詞、決まり文句でしかない。
本人は、自分なりに努力して、早く、みんなと同じように食べようとする。でも、
「やればできない」
当然だ。
母親がどんなにおいしく作ったて手料理も、
どんなに素晴らしく計算された献立の学校給食も、
満足に噛み砕いて呑み込むだけの、本来なら無意識な動作がままならない。
呑み込むのがタイヘンなほど、食道が細く伸び切ってしまっていて、
女の子であれば生理中など、子宮の比重が重くなって更に内臓が下垂してる日には、
声もガサガサ。
そんなハスキーボイスで友達とカラオケを歌ってみても、気は晴れない。
なにせ、身体が苦しい。
「お母さん、どうしてこんなに私のカラダは大変なの?」
と、素直に訴えてみても、親には解からない。
自分で名前をつけた自分で産んだ子供だとしても、
親は、100%(~120%)子供について何も解からない。
   
ただ、その程度であれば、自分がいま、「こういうふうに苦しいよ」と云える子供なら、
まだいくらかは、「頑張って、やればできる。お前なら大丈夫…」
と、自分に言い聞かせながら、無理をしてでも何とか生きて行けるかも知れない。
ところが、下垂した内臓は、それだけではまだ終わらない。
身体の中の筋肉が下へ引っ張られ、気管も食道も細く伸び切ってしまっている以上に、
脳天の筋肉にまで影響が出てくる。
   
人間の両耳のいちばん高いところと顔の鼻の中心線が頭の天辺で交差する場所。
その場所を「ふえむき」と呼ぶ。
それは、人の身体の各所の名称として、
「二の腕」や「肘」とか、「額」、「膝」や「ふともも」「よほろ 」…というように、
誰がそう呼んで付けたかは解からない、誰もが産まれる以前から
そう呼んで使っている名前、言葉なんだけど、
この頭の天辺に、何か重くのしかかったような、
常にボーっとした感覚や鈍痛感。場合によっては、
ここを中心に酷い頭痛で悩んでいる女の子、女子高生、OL、主婦、年配の女性がいる。
その重苦しさは、からだ全体までもが重く、辛く、目も疲れやすく、マブタまでも重い。
肩も背中も張っていて、足腰も引き摺るように、とにかく頭を中心に全身がだるく、辛い。
それを診た医者やカウンセラー、理学療法士は、
「ストレスがどうだ」とか、「慢性疲労症候群」。旧くは「自律神経失調症」などと呼んで、
周囲の人も、その人が、「精神的におかしい」と、自分で思いこませるようにさせてしまう。
これが、子供を産んだあとの、30代、40代、50歳代の女性なら、自分のことを
「更年期だ」と片づけてしまっている人も多いかも知れない。
ところが、これが、20代、10代の女性、女の子の場合となると、
それを単に「更年期」とは呼べないし、そもそも「更年期障害」という言葉事態がおかしい。
おそらく、最初にその言葉を編み出した人の頭が完全にアブノーマルな状態だったのかも知れない。
それほど、人間は人間について何も解からないし、また、
「解かるフリ」「できるフリ」をしてきて、
様々な社会問題の中でギクシャクした面倒な生活に虐げられている…という人も、いるにはいる。
    
そういう身体の苦しさや辛さを正常な意識で訴えている本人は、
絶対に頭はおかしくないし、「この世に生まれてきて間違いだった」ということもない。
たとえば、幼い自分から内臓が下垂し、
生理中も他人には解からないほどの悩み苦しみを抱えている女の子のうち、
無論、自分が何日も便が出ない理由も判らない。親も解からないし、学校の先生も、保健室の保健婦も解からない。
ただ、自分のオナカの中に溜まりに溜まった便や尿が、しっかりと排泄されないがためだけに悩み苦しんでいる。
しかも、大腸の中で醗酵してしまう便は、ガスを発生させる。
それがまた肺に回るだけならまだしも、ガスはどうしても、肛門の隙間から出てしまう。
そのオナラのニオイは、どんなに周囲の者が気にしても嫌がっても、
いちばん気になり、嫌なのは本人であって、
ましてや思春期の女の子が人前でオナラをするなどという恥ずかしいことは、
誰にも笑われたくはないし、そんな臭いは絶対に他人に気づかれたくはない。
それが女の子であって、女性なら当然のことで、それほど女らしい女もいない。
ところが、どうしてもガスは出てしまう。
下垂した子宮が肛門筋肉を塞いだ中で「便秘」として溜まった便は、
身体の外へ出きらなくても、身体の中でも腐敗する。
とくに、現代人が様々に口にする食べ物に、多くの栄養が含まれ、美味しい物であればあるほど、
食べた物のカスは腐りやすい。
野菜よりも肉や魚の方が、食べるまでもなく、その辺に方っておいても、どんどん腐る。
だから、本人がどんなに我慢してもこらえても、どうしてもオナラ、ガスは出てしまう。
それを学校の友達は、
「おまえ、臭いんだよ。こっちくるなよ
とも言うだろうし、
その女の子が坐っている席の後から、香水やコロン、臭い消しを吹きかけてみたり、
決して苛めるつもりでやった、やられた行為ではないとしても、
その本人にとっては、それほど残酷で、酷い仕打ちはない。
この世がすべて地獄と思えることもあるかも知れない。
学校へ行かなくなるのは当然だ。
親は、
「お前、どうしたの?」
「なんでなの? 学校へ行きなさいっ!」
ただただ上から物を言うばかり。
それでも親は、陰に籠もった自分の子供を心配し、学校の先生に相談し、
必要なら病院へも連れて行き、
医者も、カウンセラーも、宗教の教祖も、一応、お話だけは訊いてみる。
優しく丁寧に訊いてみようとする。
でも、絶対に解からないし、解決できないし、治せない。
あらゆる処を回りに回って、巡りに巡ってみても、
自分の身体の苦しさや精神的な辛さが救われることはなく、常に自分を責めてしまうこともある。
そして、親は、医者は、学校の先生は、家庭教師は、
その本人を特別視して、本人も、
「やっぱり私の頭は おかしいのかしら・・・・」
自分で自分のことをそんなふうに思った日から、精神病にされてしまう。
精神安定剤を呑めば、
既にその時点で、
医学に、教育に、人間のでっちあげた無能な学識に、廃人にされてしまう。
   
今も全国に、このような女の子は大勢いる。
自分で自分を救うことができない人を
何が、どうしてそのようにさせてしまったのか? 
   
すべてが筋肉の問題であり、
原因は内臓下垂。
人のどんなに複雑な心境も、その人間の心、魂というものは、
その肉体の中に宿されている。
決められた寿命を迎えるまでの、ある一定の間だけは。
そしてその心が、自由に使って動かせることを許された、たった一つの肉体は、
そのほとんどが筋肉でできている。
その筋肉に正常に血液が循環することではじめて、
臓器も、肛門も、尿道筋肉も、正常に機能するように創られている。
   
   
んで、本来の人間の女性というモノは、15~16歳くらいで初潮を迎え、祝われるところを、
最近…ここ30年来の日本全国(やアメリカの一部の都心部)では、
小学校3~4年生という、非常に早い幼い時期に生理が始まってしまう状態になっている。
これは他のページでも、しつこく書いてきてもいるけど、
問題はすべて現代の食事。とくに、全国共通、均一均等に、完全に計算された学校給食のお陰で、
その必要以上の栄養が人間・・・・現代日本人の身体の発育を早めてきてしまった。
   
生理になれば必ず、月に一度、排卵があり、そこに受胎がなければ、
子宮壁【しきゅうへき】に充血した血液は汚血【おけつ】に変わる。
また、それなりの相手があり、精子と卵子の結合という受胎があったときは、
一旦、子宮壁に充血した血液は、妊娠のための準備を整え、羊水【ようすい】に変わる。
これは、自然界に生息する我々人間に与えられた義務の遂行の一つ、
子孫繁栄という、人間の創られ方の道理であって、
誰も否定したり、禁止したり、束縛することはできない自然界の摂理。原理・原則としてある。
ここから外れて この世に産まれた人は(まだ)絶対に独りもいないし、
誰がいつ、どこでどんなに人間同士の性行為を拒んだり、
何かの勝手な決まりごとで抑えつけてみたりしても、
自然界には人間ばかりでなく、すべてのあらゆる生命が、
その交配を交わして、その生きる義務を果たして、この地球上に存在している。
ゴキブリも、ネズミや豚も、虫も樹木も草も、魚も牛も、犬も猫も、
必ず、子孫繁栄の義務を果たし、各々がその役割を遂行して、この世がある。
決して、「気持ちよけりゃそれでいい」とか、
「子宮を摘出しても卵巣が片方だけでもあれば、ちゃんと感じるんだよ」
などということのためだけに用意し、備えられた性欲ではない。
   
   
しかし、小学校3~4年生という年齢で初潮を迎えたからといって、
ボケ老人のお婆ちゃんは、そこで赤飯を用意しようと考えるかも知れないが、
本人は、まだそんな年齢で結婚できるわけではないし、
そんな相手が存在してもしなくても、そういう行為をできる女性としての身体が
まだ できあがっていない。
どうして社会は、学校給食は、教育の常識は、
このように日本全国の女性の身体。人間の母体を破壊してしまったのか? 
   
この事実は、文部科学省であっても厚生労働省であっても、
かつてのGHQの指導を そのまま鵜呑みにしてきた馬鹿な日本人の成れの果て…
という云い方にしてしまえばそれまでかも知れないけど、
少子化も超高齢化社会の苦労も、自分達で望んで そう築きあげたわけではないにせよ、
世の中の学問、学識、教育というものは、実に無様な不恰好な人間社会を形成させてしまった。
そういう取り返しのつかない問題がある中で、
人々は今、どのような生活を送っているのか? また、未来はどうなってしまうのか?
   
俺の云い方、解釈では、「恐ろしい」と感じてしまう人もいるかも知れないけど、
絶対に逃れられない事実は、いつかどこかで、
一人一人が必ず清算しなければならない時が来る。必ず。
だからもし、俺のサイトを読んで、読み流す中で、
自分の将来に何かひとつでも、生きるスベを見出せる、そのきっかけの一つになるのなら、
俺は人々の言葉にできなかった思いや考えをハッキリとした言葉に現してゆく。
    
この、コングロマリット化された現代社会。
そこに巣窟する既に遣い物にならなくなった常識を
このまま未来に引き摺りつづけることもない。
   
   
   
たとえば、
朝鮮半島の北緯38度線とり北側の、錆びて腐った軍事基地から、
ポテドンとかいう、決して遠くまでは飛ばせないチンケなミサイル
日本海に投げ捨てられる。
何本でもないが、あんなモノを脅威に感じてる人もオメデタイ。
海底にゴミを散らかしてるだけに過ぎない、アホな地球環境の汚染でしかない。
んで、やってる張本人は、
「百戦百勝!また敵国の艦隊を撃沈されました!」
とかいうデマカセの情報を自国のテレビ放送とかで流してる始末。
結局、外側の情報を知らされてない貧民は、
その貧しい思想の中で、
あの隔離された、世界中に取り残された場所でしか
王様をやっていられない独裁政権に操られ、
あの半島は、今なお、
かつてのソビエトとアメリカが分断したままの状態になってる。
1950年に繰り拡げられた朝鮮戦争で、
戦争を辞めたはずの日本の企業の幾つかも一儲けできた。
それが高度経済成長のバネのひとつでもあった。
とにかく、日本人の「真似て それ以上のモノを拵える」という技術は、
世界的にも注目を浴びて、通信無線機もカメラも、戦闘機のレーダーも、
各種日本の企業が造作し、量産する精密機器の勢いは80年代半ばまで続いていた。
60年~70年代のベトナム戦争 でも、 

80年代のフォークランド紛争 でも、 
90年代の湾岸戦争 でも、 
その他に、“劣化ウラン弾 ”という恐ろしい核兵器が大量に使われたボスニアやコソボの核戦争でも、 
先のイラク侵略戦争でも、
そこで失われた多くの命を奪った武器弾薬、膨大な燃料、その他の物資がカネに換算されることで、
その恩恵に授かった会社組織も一つ二つではない。
すべて、一部の業者と一部の権力者。そのバックに潜む幾つかの財閥・財団が、
新たなる時代を生き凌ぐために世界中の企業経済を振り回していたに過ぎない。
   
20世紀以前の鉄鋼業の発達やダイナマイトの発明も含め、
人類は鉄と弾薬を悪用することで経済を回してきた。
そして、大気を汚染させ、酸素濃度を薄くし、
その上空で航空機のエンジンやジェット排気口が不完全燃焼を起こす有様まで用意してしまった。
そして、あの1985年の夏、一機の旅客機が山肌を焼け焦がした瞬間に、
日本経済の栄光は世界から消え去ることとなった。
かつて、造船技術は群を抜いて世界一と呼ばれた日も、
「やればできる」「頑張ればまだやれる(殺レル)」と意気込んだ大戦の世も敗北に終わり、
国民は玉音放送を聞いて以来、表向きは、
軍事産業から平和産業への経済追求国家になりすますように、
諸外国で度ある戦争産業にあやかってきた。
盆栽国の日本には闘うための材料を調達し、
それをすべて自国で賄えるほどの資源はない。 どこにもない。
(…佐渡の金塊もすべて、何処かへ売り払ってしまった。)
あの戦中・戦前、それまで、国中から虱潰しに掻き集めた鉄という鉄を溶かせるだけ溶かして、
机も椅子も鉛筆も黒板も、国民の生活物資はすべて、
杉の木を植林させ、「それで賄うように!」という思想教育があった。
しかし、大日本帝国が望んでいた物は、
加工しやすい「杉」という材木で拵える机や椅子など、
明日の勇士となるはずの子供達に必要な生活物資ではなく、
敵艦へ突撃、自爆するための、緑のハリボテの飛行機(ゼロ戦)を量産するための
浅はかな計画だった。
   
そして夜が開け、あの人体実験の空爆。
ヒロシマ・ナガサキへの爆撃の惨状、その見せしめ写真が、
電柱や塀、町中の至る処に貼りつけられ、
すべての「敗北」を知らされた日本国民。
その時から、機関銃を生産していた業者はミシンを造りはじめ、
大砲を量産していた業者は「情報」という弾を撃つ通信機や計算機を造りはじめ、
町に道路を敷き、車を走らせ、やがて、
それぞれの生活に必要なタンクローリーが走る高速道路も造ってきた。
どこにどのように手抜きがあろうとも、みんな一生懸命に頑張った。
カネ(経済)を追求し、得ることで他国に勝てるのなら、
次の戦争の勝利は経済大国として世界に名を馳せることでしかなかった。
そこにどのような犠牲を払おうとも、どこにどんな誤算や打算があろうとも、
それがあの、『高度経済成長』という素晴らしき我が国の栄光の時代。
   
みんなそれこそ、汗水たらして働きに働き、
今日このような日本を築き上げてきてくれた。
とくにその中で、戦争体験者の世代が成し得た功績には、
その一つ一つの点に感謝すべきところも多い。
でも、見失ったモノも多すぎるぜ。
   
しかも、「包み隠そう」という考えであったり、
「惚けて忘れて、全部なかったことにしよう!」
と 言わんばかりの無責任な年寄りが多すぎる。
   
このまま行くと、
   
   自分がどうして ここに存在するのか?
   
そのことを誰も解からなくなっちまう世の中がやってきちまう。
   
ある日 突然、降ってきて涌いたように存在してるわけじゃねぇーだろ。
誰もが。
   
ネット・ビジネスの泡ゼニじゃあるまいし。