やってできねぇことでもないかもしれないけど | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
     仮題: 仕事と育児の両立は難しい世の中だよな
   
   
       seaICHROWE2003  
   
   
夏は俺の子供が産まれた季節。
そして、ストーンズのニューアルバムが出る季節(7月21日現在)。
いつも夏に観る映画は
ビッグ・ウェンズデー
      と
  『冒険者たち
 
   
 向って左の人、PスェイジとKリーブスの映画で刑事役やってるオジサンです。
 ワーナー・ホーム・ビデオ
 Big Wednesday
 
 
     仮題: 俺も弱い人間だよな…
   
二人兄弟として育ってきた俺も、それほどワガママに育てられたつもりは本人にはないが
「父さんは我儘だ、子供も我儘だ!」と、妻の父親に叱られることがある。
その子供は、「兄弟がなく一人だけでサビシイ」ということを
我々にハッキリとした言葉でぶつけてくる。
近所の兄弟がいる同年代の子供や親戚の3人兄弟と
思い切り楽しく遊んで、みんなが帰ったあとなんて
とくにそうだ。
親としても二人目が欲しくないわけじゃない。
次は女の子で、名前は”小雪”と勝手に決めている。
やってできねぇことでもないかもしれないけど
でも今はつくれない。
・・・・どうしても「つくれない」ということではないが、理由が3つ。
一つは今の長男がこれまでに10回も熱性痙攣を起こしている。
「見ている親がワルイ」と言われても、
病院の薬で対蹠的に予防するだけのやり方には
つくづく疑問を感じている。
”蝉の抜け殻を採取して煎じて呑む” という自然な方法もあるけど
それを具体的にどのように施せばいいのか?
今はもう教えてくれる人もいない。
…その発作のような恐ろしい状態は、もう見たくない。絶対に。
役に立つのか立たないのか、病院の医者は、
「熱性痙攣を起こしても脳波に異常なければ問題ない、 6才~7才くらいまでは…」
と、どこへ行ってもマニュアル通りだ。
そんなことを心配しながら二人目の子供を育てるってことは、世間はどうか知らんが
俺には難しい。
そもそも熱性痙攣が起こる子供というのは
産まれた時に3000グラム以下だったことに問題あるんじゃねぇかと思う。
要するに、筋肉の障害。胎内で育った母体の中の環境に
本来の”創られ方”に好ましくない状況があったって思う…
原因を究明できない西洋医学に偏らずに
熱性痙攣が起こる本当の、詳しい原因については目下、研究中
(?)だけど、
“創った側”に訊いてみてぇもんだ。
   
二つ目は妻の身体の問題がある。
これについては、ここで話すと長くなるので、妻が自分で書いた本、
幸せをつくる子宮 』 (現在は第3版で『「子宮」がつくる元気の法則 』にタイトルが代っている)
を読んでもらった方が早い気もするが、
要するに、過去に卵巣を手術している。体力的にも決してパーフェクトではない・と思う。
精神的にも、俺のこの、どうしようもない人生に付き合って生きてることに、
少なからず疲れが多いかも知れないし、二人とも、一人を育てるのがやっとだ。
正直云ってな。
むかしの人は、よくもああ何人も兄弟姉妹をつくって、やってこれたもんだ。
そういう面では、今の世の中の高齢者を見習う部分はある。
その女性が生きている一生のうちで、最も幸せな時が妊娠できる時…という言葉も
頷ける部分が多い。
不妊症で大変に困っている人間からすれば(こんなの俺が比べることでもねぇけど)
一人でも自分に子供がいれば、そりゃぁ、たいそうな贅沢なのか・どうなのか。
本来、子孫繁栄の義務がある人間という生き物が、どうして妊娠できないのか?
また、どうして子供をつくることを拒む人間がいるのか?
世間が、馬と鹿を掛け合わせて騒いでいる現代日本の”少子化問題”
についても
大きく分けて、その二つが重要なポイントだ。
俺の場合は後者に入るか…。
   
で、理由の三つ目。
それが経済だ。
生活費も何もかも、家計が大変で、経済がないために子供がつくれない。
あるいは、仕事に追われて、
仕事に取り組む時間が一日、一週間、一年の大半を占めていて
夫婦共に疲れきった身体で、そんな暇はない。
それ以上に、結婚相手を見つける暇もない人も世の中には多い。
こうした現状を国は、厚生省は、学者は、産婦人科の医者は、どう捉えているのか?
少子化も不妊症も、激増している奇形児出産も、すべて、
戦後教育の弊害による社会の歪みであることに誰も気づかぬまま
また、幾らか気づいている者も、それをどうにもできないまま
人口が激減する高齢化社会の中に我々の生活がある。
カネが無いなら働けばいい。
まったくその通りだ。
でも今の俺には、カネ以前にやらなきゃならないことがある。
この状態で税金や保険負担があがってみろ、子供なんてもっといなくなる。
俺だけの問題じゃない。
かつてのように、若者達がどっかの国に戦争に駆り立てられなくても、人口は減る一方だ。
どういうことだ? 豊かに平和なはずなのに。おかしいじゃねぇか。
と、ここまでは全部、俺の言葉だ。
続きの具体的な内容は、とりあえず この本にある。
大自然の気による教育革命―人間は大自然の産物である
                ~教育によって破壊された母体~
…ちゃんとしたサブ・タイトルまでオミットされてる現実だ。
で、いずれ俺はこれらの問題をもっと具体的に掘り下げては行くが
今日は随分マジメじゃん…まだな)、
みなさんも誰?安心してる場合じゃない。
国は何年も何十年も前から、こういうこと(少子化)を予測して、
新設で建てられる小学校は全部、老人介護施設にチェンジできるように造られて来た。
要するに、かつて大本営を回してた連中も、
「戦争で一儲けしようぜ」という一部の財団も、
世の中の裏で株取引の動きを操作してる連中も、
政府の陰にいて一億五千万人の動きを見ている奴等も、常に
自分達の権力と財力を保持するための旧い階級(もう使い物にならん嘘の階級)
を守るために危機感を持ってやってきた。
そいつら(…ホントにちゃんといるんだぜ)の思いつきで動いているような状態が
今の日本だ。
今後これは、近いうちに崩壊することにもなってる。
本人達も今まで通りではないと、以前よりかなり判ってきてるみたいだから
ちょっと焦ってる。ちょっとだけな。
そのちょっとが、やがて大きな亀裂に変わる。
だから今までのように隠れていることはできない。
それが最終的に物乞いになるのかどうなのかは本人達次第だが、
人間が人間を教育して操る時代は、もう終るんだ。
だって、操る人間がもういなくなってきてるじゃねぇか。
中国とかインドとか、余ってる場所からは連れて来れないし
向こうへ行っても連中は日本人の言うことなんて、もう訊かねぇぞ。
最後の手段は、また戦争か?
それでまた一儲けして、一時的には何十年か凌げても、その先はないぞ。
いずれにしろ、自然界はもう待ってない。
時は待ってくれないし、人間は自然の力は操れない。
そいつら、…その人達は、そのことだって判ってる。
いつどこに地震が来て、
いつ頃までに都心の心臓部をどこへ移すのかも知っている。
六甲の麓にいたお婆さんは、まだ元気なのか?
そういうことを今まで大臣に就任した連中に…。
   
なんか兄弟うんぬんの話が、だいぶズレたのでこれはやめにする。
フツーに(何が普通に?)生きてる人には あんまり通じない話だし
連中に知れるとノックさんみてぇなことじゃ済まないし…。
で、じゃぁ、ここからは割りと普通にな。
   
   
     仮題: ストーンズ・ツアーは家族旅行じゃねぇ!
   
20世紀の終わり。7月23日、17時22分。救急車の中。
そんな奴 に、そんな人間の格好をした罪の塊(今の話とは別だぜ )
ほんとうに小さな小さな、たったひとつの命が教えてくれた。
その時ほど、「生きていて善かった」と思ったことはない。
俺はもう、俺の生き方をすべて変えなければならないと、
この三人だけは絶対に人間として生きたいと、そう思った。
それが許されることなのかどうなのか。確認したいとも思ったが、
確認はできなかった。
   
今年5才になったその子供は、
「お父さん! ボク、東京ディズミーワワルドに行くんだよ!」
と希望されても、俺は人がサワヤマ集まる場所(病院とかな)は、どうしても好きじゃない。
港区三田のマンションに居た時は、JR田町から東京で乗り換えて
30分もあればスグ目の前…という都民のロイヤリティもあったが
佐渡からじゃなぁ…いっそのこと、もう一個、“SEA”じゃなくて“ディズニーB”でいいから
造ってもらえないか、佐渡は土地あまってるし、まだな。
どうせ地球上のあちこちを破壊しつくした人類だ。それくらい、
国民年金を無駄に遣って何件も建築したリゾート保養施設 に比べれば
どうってことねぇだろ。なぁ、厚生労働省の職員さんよ、
運賃を値下げしない佐渡汽船と一丁、協力してやってくれねぇか?
   
冗談(1/2)はさておき、カネに余裕があれば妻と子供を連れて行きたい処は山ほどある。
例えば糸魚川という川のどこかに
「ここの水を手で掬って飲むと身体が楽になるよ」とか
「この樹の下へ来て身体の悪いところが全部、治った」とか
それはかつて、世界中で自然界を破壊した開発が進む以前のアメリカ大陸において
ネイティブ・アメリカンの住んでいた土地の一部であったり
Wild Horses”で知られる
キース・リチャーズ(±S)グラム・パーソンズ の友情が深まった場所とか
 
 
  
      
   The Rolling Stones            Return to Sin City: Tribute to Gram Parsons  
     Sticky Fingers
 
 ( 南カリフォルニアの砂漠地帯にあるナショナル・モニュメント。 ここへ キースとグラムはUFOを見に行った )
 

         U2  Joshua Tree
   
   
まぁ地球上のあちこちの、
人工的に造られた場所ではない自然界に、そういう不思議な場所が幾つかある。
『人間の設計図』の著者 は、人間の形をして、その肉体を持っていた存在そのものが
そういう場所と同じだ・と、本人が俺に云っていた。
   
この話の前後は “mind resolve : chapter 005
http://ameblo.jp/badlife/entry-10002650859.html にあるが
そのほかにも世界遺産のスケリグ・マイケル島
映画『冒険者たち』の最後のシーンで
頭を抱えるリノ・ヴァンチェラがどんどん小さくなってゆく、あの要塞 とか。
    
 

 アミューズソフトエンタテインメント      冒険者たち
   
   
…そういう場所へ行くと、なんか熱が出て寝込んでしまうかも知れないけど。
ロンゴロンゴのイースターとか、イギリスのストーンヘンジとか。
…そこら辺なら熱は出ないかも知れない。
行ってみたい場所は、飛行機とJRの新幹線が安全な限りは訪れてみたい。
でも、人がいっぱいいない処がいいよ、お父さんは。
で、来年、5度目に来日するローリング・ストーンズ。
これは「家族みんなで行こう!」と云っている。
…こんな具合に、世の中の親というのは勝手な奴ばっかりだ。
子供がグレるのも当然かも知れない。
   
ここ最近、ストーンズのジャパン・ツアーは決って冬場にザザっとやって来る。
俺としては、鼓童のアース・セレブレーション のように夏の夜に野外
バンバン演って欲しいが(同じ日本国内でも佐渡ならまだ涼しい)、
おそらく 5回目もまた春先なのか…。
前回は大阪へ親子三人で観に行った。
その時は子供もやっと自分の脚で歩き回れるようになった2歳前だったと思うが
名前を一龍【いちろう】という。
 
  
 
  
 
    仮題: ミックは26日。一龍は23日。
   
一龍が産まれた日も土用前後の物凄く暑い一日だった。その日、
港区のinter-FM の入っているビル の斜向いのビルの地下室で仕事をしていた俺は
まだ予定日ではないはずなのに、朝から調子の思わしくない妻をマンションへ残し
仕事現場から何度も電話を掛けて様子を伺っていた。
東京消防庁のVPの仕事で3日間、その地下室に缶詰になる状態の撮影現場だったが
二日目のその日(2000年7月23日)は兎に角、猛暑で、撮影の合間を縫って
当時は地下室ではまだ使い物にならなかった携帯電話を屋外へ持ち出し
何度も自宅と連絡を取っていた。
地下室にあった公衆電話も使い、昼に「トマトが食べたい」というので
その現場をなんとか抜け出し、近所の八百屋で一山¥280のトマトを買って
自宅まで歩いた。 (高輪から三田の三丁目は案外近い。麻布十番へ出るのとほぼ同じ距離だった)
普段から「冷房は身体によくない」と思っている二人だったので、エアコンはほとんど使わず
国道一号線から吹き上げる風を 部屋の中へ取り込んで過ごす夏の日だった。
妻は布団で横になっていたが、「大丈夫」と云うその言葉に安心は出来なかったが
午後からも撮影スケジュールには空きがなかったので
買ってきたトマトでジュースを作ろうとは思ったが
そのまま走って現場へ戻ってしまった。
夕方4時くらいだったか、川西さんに十円玉を借りて何度と電話をかけても
妻が電話にでない。
「これはマズイ、黒崎さん、今日は帰らせてくれ!」
と身勝手を云い、止める現場スタッフを振り切って、俺はまた自宅まで走った。
「死ぬなよぉ、絶対に…」と、云いながら田町の駅の階段を駆け上がり
全速力で走った。暑さなど気にする余裕もなく、とにかく走った。
一階が大家の経営する音楽スタジオ (「余計な味がしないカゴメ~」の浅野さんも時々演ってる)
のマンション、その4階に住んでいたので、
一台のエレベーターが塞がっていなくても、いつも非常階段を使っていた。
そこをまたグルグルと駆け上がり、玄関のドアの中へ飛び込むと
案の定、妻はトイレの中で破水して倒れていた。
呼びかけてもほとんど返事はない。
暑さの中、意識も遠のいてしまっていたのか、呼吸も虫の息だった。
救急車を呼んで、二人の隊員が到着すると、
「旦那さん、今まで何してたんですか!?」と目を丸くしてたので、
「仕事です」と応えると、「ああ、仕事…」と、妻を担架に乗せて地上へ向った。
救急車へ乗り込み、酸素吸入を始めて間もなく、
意識を取り戻したと同時に、産気づいた妻の姿があった。そして、
17時22分。港区三田三丁目5-6、信号機下。停車中の救急車の中で、
一龍は産まれた。
手際よく取り出してくれた救急隊員と、もう一人の救急隊員は、
「スグに近くの病院へ態勢を整えて貰い、そこへ搬送します」と云うので、
「俺の子供はソノヘンの病院にある、ブラジル産の変なハッチ になんか入れさせねぇぞ!
機械は絶対に駄目だ! このまま高井戸の大野先生の所まで連れて行ってくれ!」
などと怒鳴りつけると、運転していた三人目の隊員も渋々、
サイレンを鳴らしながらエンジンを吹かした。
通常はタクシーを飛ばしても一時間近くは掛かる道程、
渋滞する都内の夏の夕暮れ時を20分で走り抜けた救急車は、やはり速い。
救急隊員は大野先生の存在を知らなかったので
到着してから報告処理を終えてもスグには戻らなかったが、
 
 

 大野 明子
 分娩台よ、さようなら―あたりまえに産んで、あたりまえに育てたい
   
俺はそんな会話の様子を横目に、あの便利な携帯電話を使って
実家と佐渡の親元へ連絡を入れた。
その喜びを誰にいちばん伝えたかったといえば、それは云うまでもなく、
当時はまだ元気に生きていた“創った側の人”だったが
人間の設計図 著者には電話せず、何を思ったか、三番目に掛けたのは
あの、芸能ブローカー
その人だった。
「南ぃ、ヨカッタなぁ。…そうかぁ、産まれたのかぁ。男かぁ?女の子か?」
と、その嗄れた声には、かつて「自分にもそういうことがあったな」という趣で
人が人を慈しむことの大切さを物語っていた。
   
それからは毎日、日銭を稼ぐための仕事に追われた。そんな中、
九月中旬までの2ヶ月間、後楽園遊園地内で催されたアトラクションのバイトがあった。
残暑も厳しい夏だったが、“未来記者”という設定で、
遊園地へ遊びに来たカップルに記者である証の名詞を差出し、
「抱き合ってキスして」などと申し出て、そのポラロイド写真とプレゼントを渡すという
一日3時間ほどの腑抜けた仕事だった。
記者の名前は“鈴木一郎”。
一緒にいた仕事仲間で、稲川素子事務所から二人の外国人が来ていた。
そのうちの一人、ジャックは、英国風の顔立ちのアメリカ人で、背が高く、
まさにスティングの名曲“Englishman in N.Y. ”がバックに似合うような紳士だった。
ただ着ているTシャツには、「わたしはバカなアメリカ人です」とプリントされた文字があった、
今風の外国人だった。それでも彼は、
映画 『Good Fellas』の中でR.デニーロが遣っていた
「Fuck on pay !」 (俗語で「カネを払えっ!」)という言葉を
「そんなの聞いたことない」と云っていた。
 
 
    Sting Nothing Like the Sun
  ワーナー・ホーム・ビデオ   
   グッドフェローズ  
   
ジャックは非常に芝居も上手なので、他のテレビドラマや日本映画にもよく登場している。
ロミオやポールも男前だが、“今のままでハリウッドでも大丈夫”というほどの趣は、
ギャラの安い日本の映像業界には勿体ない気もする。
…俺がいつか“男塾”という劇団(ホストクラブではない)を創った暁には彼をハンティングしようと思う。
ここで思い出したが、
芸能ブローカー と稲川素子社長は親戚同士らしい。この事実も業界ではあまり知られていない。
   
   
     仮題: 未来日記 記者 南まさあき
   
さて、夜の遊園地に突如として現れる忍者や偽警官、
日本語が通じないフリをして道を訊ねるヘンな外国人、
背中に矢が刺さって血を流して路上に倒れている女…。
カップルを喜ばせるために、数字を追い回すテレビと連動されたその企画。
俺は白地のTシャツに網ベストの“如何にも”という格好をさせられ
食事付3時間¥6,000という仕事をほとんど毎日通いつめた。
丁度、SASの“TUNAMI ”が流行っていた時期だった。
胸にスタッフ・パスを着けていたので乗物の乗車も自由だったが、
ある時、若い二人連れの行列で賑わう、ティカップ前の列の最後尾に並び、
品定めをしていると、付き合ってまだ間もないという感じのカップルが目に留まった。
早速、声を掛け、例の名詞を渡すと、さすがに人前では恥ずかしいのか
キスはできない。というより、二人ともまだ「したことがない」と言う。
それでも俺は、無理矢理に抱き合わせてキスをさせ、写真を撮った。
仕事に協力してくれたお礼に、
「もう一枚、Teaカップで回りながら写真を撮る」と、勝手に決めて、
搭乗口の順番が周ってくる頃を見計らい、再びその列へ出没し、三人でTeaカップへ乗り込んだ。
…人間も親になると、ここまで変わるものかと自分でも自分を疑った。
ところが昼間、別の撮影現場で喰ったロケ弁の油物が悪かったのか何なのか
グルグル回る乗物は俺の体質に合わない。
記者、南 大空は、どうにも気持ち悪くなり、木の陰でゲェゲェ吐いていると
「大丈夫ですか?」と、涼しい顔のさっきのカップル。
女の子の方が白いハンカチを差し出してくれたが、
「オェッ。…でも撮ったよ」と、ブレて写ったポラロイドを
東京ドーム・ホテルのスカイラウンジ・バーの無料チケットと一緒に二人に渡した。
それ以来、たとえ子供と遊園地へ行っても
「お父さんはグルグルはダメだ」と云って乗らない。
こんな俺も昔は、「将来、宇宙飛行士に成りたい」と云っていた子供時期もあったが
無理だな。あんな訓練、テレビで観ているだけでも気持ちわるくなる。
その、宇宙飛行士…。
2005年、7月27日、ディスカバリーがNASAで打ち上げられたが
俺が気になるのは、去年(2004)、打ち上げに成功したはずの日本の気象衛星。
あれは今、ちゃんと使われているのか?
錆びて使えなくなったまま回収されず、
宇宙空間に漂う元・気象衛星“ひまわり”。別名、“昭和の粗大ゴミ ”。
あの、ヒマワリが老いぼれても活躍中の時は、気象予報士の連中も
「では、ひまわりから送られてきた画像をご覧ください」などと言っていたが
最近は新しい人工衛星の名前すら耳にしない。
何兆円も掛けて、どうなってるんだ?
今まで種子島も入れると三回も失敗してるからな…。
この夏、新潟県内も水不足で、農林水産事業の被害損害額は50億円以上になる。
今年から来年にかけてまた、米ドロボウが出没するかも知れないというほど、
稲作農家はみんな困っている。
その、闇で捌いて儲けたカネで遊園地へ遊びに行く奴はいないと思うが
カネは大切に使って欲しい。
農協も横領事件の後始末に追われる毎日どころじゃないぜ。
政府や県議会の次の対応を暢気に待っていないで、どんどん仕事やってくれ。
冷房の中で涼んでる職員なんて、みんな外へ駆り出して
実際の現状を視察して回って貰ってもバチは当たらない。
一人くらいは何かいいアイデアが浮かぶかも知れない。
減反と自然災害と米泥棒に被害を蒙っている日本農家の実態を
役人もちゃんと把握してな。でないと、俺たちは霞ヶ関に突撃 するぞ。
   
   
     仮題: 魚屋風情、氷屋風情、今日も築地は熱いぜ! 
   
さて、一龍が産まれた翌年、
あっけなく死んでしまった“創った側の人”。
その虹がきれいだった日が過ぎ去って、春から夏にかけて。
俺は築地魚市場で製氷販売のアルバイトを半年間やってみた。
そこで知り合ったのが石堂さんだった。
彼の根性はハンパモノではない。
140kgある氷を切り割る腕もハンパではなかったが、
白のハーレーに跨る、ブーツを履いたロン毛姿は、
どこか、ハリウッド映画の一場面のように輝いて見えた。
年齢は1966年の丁度、同い年だったが、俺なんか足元にも及ばぬほど
“生きることをナメてない存在”だった。
そんな彼にある日、俺は一言、云った。
「石堂さんは俺がやりたくて出来なかった・というより
やらなかったことを全部やってる、全部やってきたっていう感じの、
そういう、俺にとっては鏡の向こうにいる存在みたいですよ…」
と。すると、
「そんなこと云われたら、オレ、南さんにジュース奢っちゃおうかなぁ…」
と、冗談も明るい性格で、英語もペラペラ。本業は戦場地を撮るプロ・カメラマンだった。
俺はカップルを撮るフヌケたカメラマン…。
「 ----- 今、ファントムがあそこを爆撃してるっていう、バンバンと。
そのキノコ雲があがってる場所。オレ、そこへ向って走って行くんですよ。
下には地雷もあるかも知れないっていう所を・・・。あの感覚って云ったら
なんて云うか…世の中にある言葉では表現できないですよ、あれは…」
という石堂さんの話を聞いていると、茶屋の向こうから、
「おーいっ!」と、氷屋を呼ぶ声。
その朝の仕入れを終えて自分の店に引き上げる魚屋は、鮮魚を冷やすための
板状か砕氷のどちらかの氷を買い付ける。
我々は、都内各下町から集ってくる何百件もの老舗の魚屋の、
その日に必要な氷の枚数を訊いて、時間までに注文の氷を用意する。一枚10㎏¥450。
夏場は特に溶けやすいので、この注文と届ける時間のタイミングが意外と難しい。
魚の競り場から駐車場へ十数本が伸びる屋根付きの通路。
地面より一段高くなっているその場所の
決められた縄張り(茶屋)に自分達の車を付ける魚屋。その人達の仕入れと出発時間は
それぞれが違うし、築地といえば誰もが気が荒っぽい。その上、
その夏も鬼のように暑かったので、俺としても通常以上に気合を入れないと
身体が参ってしまう。特に、都内各所で夏祭りが重なる時期は、これまた鬼のように忙しい。
石堂さんが云った。
「南さん。水分、じゅうぶんに摂ってくださいねぇ。忙しくても
どっかで憩まないと、やってられないっスからね。
汗が止まった時、ヤバイですよ。
脱水症状とかにはならないように
自分で自分の体、管理してくださいね」
   
案の定、そういうことがあった。
結局、俺は倒れる一歩寸前で間逃れたが
夏場も、ほとんどの仕事が午前中で終る築地といえども
救急車のサイレンはよく耳にした。
中には喧嘩や車の事故で運ばれる者もいるらしいが、熱射病、
熱中症で倒れる人も珍しくはないらしい。 (みんな普段から気合が入って血圧も高そうだし)
既に俺の命は俺だけのモノではないから、毎日が真剣勝負だった。
朝3時には起きて支度をして飯を喰って、4時半には家を出て地下鉄に乗る。
5時までに河豚毒処理施設のある建物の3階、ロッカー室へ行って
爪先に鉄の入った専用の長靴に履き替え
自分用に用意された氷専用のノコギリを持って茶屋へ降りる。
毎日履いているジーンズも魚くさくなる昼までの6時間。
これを石堂さんは6年もやっていた。ちょっと違うのは、
通勤手段が地下鉄じゃなくて、ハーレーダヴィッドソン。
その仕事を終えた秋以降、木で鼻をかんだように
お互いに連絡も何一つ取り合ってないが。翌年二月、そんな俺を
『Bad Life』の出版に奮い立たせた三つの理由。
そのひとつに、暑い夏に出逢った、あの鏡の中の向こう側にいた男。
石堂さんの存在があった。
   
だから、初版の『BAD LIFE 』に掛かった赤いオビにはこうある。
   
「タイトルは『バッド ライフ』にしましょう」
  と妻が言った
「南さんの人生そのままじゃないですか」
  と仕事仲間は納得した

   
BAD LIFE ”というタイトルは、
キース・リチャーズの70年代にお蔵入りになったと云われる幻のソロ・アルバム
BAD LUCK 』というタイトルと、
当時、俺が書いている途中でやめた本で
Half Life(半分だけ、半分迄の人生、ハンパな人生、半分先が自由な人生などの意)
という、その二つをグリマー・ツインズ 風に組み合わせて(?)
BAD Life 』 。
これは、これまで3回のストーンズ・ツアーを体験している妻が考えた。
(…俺はまだ2回しか観ていない)
出版された年が子供の、一龍の数え年と同じになるので
二作目はまだ完成せず5年になる。
次の『Mind Resolve』(仮題) の出版がいつになるかは判らないが
『人間の設計図』完全版 よりは早いかも知れない。
   
で、最後に、今日の一曲。

   

        “Heart Of Stone

   
映画『CASINO』の中でも一部 使われてた
…これは越谷さんも知ってますか? / サントラ盤にはない
   
ストーンズのLPレコードで初めて買ったのは、“Tatoo You ”だったが、次に買ったLPは、
UK盤の“Metamorphosis”と、“ギャザーズ・ノー・モス”の2枚だった。
Memo From Turner”という曲が両方に入っていて
ヴァージョンが違うのを当時、よく聴き比べては
「あと10年早く産まれてればなぁ…」などとアホなことを考えてた。
要するに リアルタイムで聴きたかった。…越谷さんが羨ましい。
それで、“Heart Of Stone”も、オフィシャル盤にはヴァージョンが二つある。
そのうち、ジミー・ペイジがベースを弾いてる のが、このアルバムの5曲目 に入ってる。
これを車の中で大音響で聴くとスゴイ!(注意;低音調節が必要)
なにが凄いのかって、やってみれば判る。とにかく、ベースの音が心臓を貫くように響き渡る。
CDで再発されるまではブートレグがバカ売れしていた時期もあったが(26曲入りCDとかで)
やはり正規盤の方が音質がいい。その、ペイジの、
♪ビンビンビビビン♪の響きはabkcoオリジナルならでは。
今や、俺の軽トラック の中は、”頑なな心”でいっぱいになる。
 
 
 

 The Rolling Stones
 メタモーフォシス


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