俺って、ムツゴイらしい。  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
sub titleアルツハイマー、痴呆症、ボケ! パーキンソン、介護、人間の生きる力、魂の役割など…について
   
   
ここ数ヶ月間、
いろいろワケあって、あまり他のページの方々とは交流してなかったんだけど
最近はまた少しずつ、フツーの人間ぽさを取り戻せてきたような気もするので 
たとえば
   
staff/entry-10013144843.html
このページにも顔を突っ込んで、俺の考えを幾つか書き込んだうち 
ありがたくも、何人かの読者登録もあったりとか
アメーバ・ブログ大好き人間が俺のほかにもいることがよくわかった。
以前のような、アメーバ外の人との交流…
   
staff/entry-10013144843.html
こことか
   
badlife/entry-10005107211.html
ここ
   
badlife/theme-10001249694.html
   
そういう賑やかな感じはしないけど、(別に淋しいわけではない
そのうちまた、いま編集中のキース・リチャーズ の第3段で盛り上がらせようと思う。
                                 ストーンズ・ファン以外の方には申し訳ない…。
   
ただ俺の書く内容には、まるで季節感てのがない。
もしも、哲也さんの夏のLIVE情報 とか 
これからはじまる鼓童の『アース・セレブレーション 』とか 
酒づくりのネタ ”とかがなかったら、
俺なんて暗黒星雲のドップラーみてぇなもんで 
そうでなくても、俺自身が
ジョーカーの呪縛が解けないライダー・カリスみてぇになっちまってるのに 
はじめてここをあけて、どこかを読む人はワケが判らないことも多いと思う。
要するに何者かが不明? そのうえ不気味。
人畜無害ってことを何人かの人は理解してくれてるんだけど
変人もウサン臭さも、ここまでくると
第一印象とは打って変わって危険人物最前線の扱いか? 
   
「バンソコウ男さん、こんにちわ。
今日は嬉しいことがありました~ああだのこうだの…」
なんて書き込みは絶対にない。 (あってほしいわけではない
他の人のサイトとかブログを覗いてみると、平均的に、
明るいし、たとえへヴィなネタであっても、それほど…牡丹餅にキナコをかけて 
それを餡蜜にまぶして、チョコレート・シロップとコンデンス・ミルクをトッピング
したような内容はない。(ときどきあるみてぇだけど
   
佐渡の人は、そういう状態を「ムツゴイ」と表現する。
以前、俺がまだ佐渡へ来た当初、ある人に
「ムツゴイって、どういう意味ですか?」と尋ねたら
「おめぇみてぇなヤツのことだよ」
という返答が帰ってきた。
実に判りやすい。
ムツゴイ、バンソウコウ男。
   
普通のサイトは、もう少し爽やかとは思うけど 
それぞれにそれぞれの特色がないと、つまらん。
それでも俺は、シンプルなサイトにこそ、
素晴らしい礼儀正しさと読みやすさがあると思う。
だから俺もなるべく、シンプルに拘りたいんだけど 
どうも内容がシンプルではなくなってしまう。
高倉健のように生きるのは難しい。
   
伊丹哲也のLIVE(2006.06.11)が日に日に迫ってきてるので 
今回の“独り外出”にウキウキしてるだけの単純なヤツなんだけど 
そうとばかりは云えない部分も、今の俺の周りには多い。
うちの奥さん…妻の母親が、「アルツハイマー」という馬鹿げた診断されるちょっと前から
気苦労が絶えない。 俺ではなく、うちの奥さんに。
最近になって上の歯を総入歯にしたんだけど 
それを自分の口の中に食めることさえ覚えられない。 
惚ける前に慣らしておきゃぁよかったものを
今頃になって“物を喰う”ということがままならない。
人間、老いぼれて行く順番は歯の次が目玉だからな…。
田んぼも畑も以前のようにはできなくなっちまったんで
(鎌などの道具や軍手を使っても、2分前に置き忘れた所を
絶対に思い出せないので作業にならないなど)
これにはどうしても、蛇と馬の競争みてぇな感じになっちまってる。
今まで気苦労が絶えなかったのは、惚けた本人かも知れないけど 
物を喰うにも出すにも周りに迷惑かどうかの判断も定まらない。
やっと生きてる状態だ。
それに対して、わりと温厚な性格の父親(夫)も娘(俺の妻)も、毎日 怒鳴りつけたりしてる。
俺もよほどの危険なことをしない限りは最近は何も云わないようにしてるけど 
まず、本人が前向きでない。
それが老人惚けの特徴なのか何なのか 
医者(外科手術の技術分野以外は無能な現代医学)に治せないモノを俺が知っていても
本人には
「これ以上は悪くならないように現状を保って逝きたい
という姿勢もなければ、何かいい方法を教わってみようという気持ちすらない。
そういう気持ちにさせようにも話をしようとする気持ちも持てない様子。
俺にとって自分の本当の親ではないので
妻も時々そのことを攻め立ててくるけど
単なる同居人であったとしても
陰に籠もって真っ暗闇にいる状態から
「変えよう」という気持ちが芽生えない限りは、話にならん。
問題はそこだ。
どうすりゃぁ、陰から陽に変われるのか? 
   
人間、一日中、真っ暗闇の、何の音もしない中にいると
普通の人なら、だいたい頭が狂っちまう。
アルカトラズ刑務所のD監房ってのが 
そういう罰を与える設備とされてたらしいけど 
そこにいるわけでもないのに
自らの人生をそういう独房に近い状態の中へ押し込めてしまっている。
最初からそんなふうに創られた人間はいないはずだ。
んで、妻の母親の母親が、今はもう死んでしまっていないんだけど
生前におかしな新興宗教に売りつけられた「札」を何枚も、在りがたく祀って
神棚と仏壇とは別に、そういうもんをトコノマに飾ってた。
それを本人がクタバッて、もうこの世にはいないのに
何を受け継いでか、そんな馬鹿げたもんに20年近くも
上げ膳据え膳のお供えを毎日欠かさずやってた。
アホが。ったく、そんなもん。何がバチが当たるもんか! 
そんなのに手を合わせてること自体が人間の嘘だ。
俺はそれを知った翌日の朝、足で蹴散らしてズタズタにして
完全に灰になるまで燃やしてやった。で、その灰もドブへ流した。
汚物だ。そんなものは。
現実の世界で明るく前向きに生きようとする人間には不必要だ。
いつまでも、そんなことやってるから誰も浮かばれねぇし 
生前の嘆き苦しみが残されたまま、
他人の十字架を背負って生きるうようなザマになっちまうんだ。
「ジーザス・クライスト!」ではない、「爺さん暗いんですよ」だ。
   
…読者の方、笑ってる場合ではない。 (誰も笑えない)
俺は真剣だ。
宗教ってもんは、本来、一家庭に一つありゃぁいいんだ。
それを神棚の位置も仏壇の大きさも関係なく
クリスマスツリーとか方位学の絵を飾ってみたり 
中には親族の禅宗の葬式を手伝う者がクリスチャンネームを持ってたりする。
しっかりと洗礼を受けてな。(俺の親戚とか)
こんな神仏混合宗教な、宗教法人乱立無宗教国家 は日本だけだ。
目に見えない世界が落ち着いていられるわけがない。
   
たとえば、俺の実家は建売住宅なんだけど
近所が塚だらけだった。地名にも「●●」という場所が非常に多い。
で、そういう場所ってのは絶対に墓場。
肉体を失って死んだ者が未だに彷徨ってる場所もある。
現に、そういう所へ植えられている樹木は、普通の樹木とは違う格好をしてる。
見たことある人は判る。 あるでしょ、都会のビル街ではないなら。
墓場の樹木が普通の森や林の樹木と違うように
古墳は別としても、古い無縁仏や塚の近辺に昔から生えてる樹木は
普通ではない。常に異様な気を放っている。何者かの苦しみを代弁するかの如くな。
んで、そういう場所ってのには、(…樹木じゃなくて場所な場所。
どんなに、どこの別格官幣の神社の神主が払っても
由緒正しき寺の何の坊主が拝み倒そうとも
絶対に払い、拭いきれない怨念のようなもんが居座りついてる場所もある。
それはどんな場所なのか? 
その上に人間が住み飼いしてはいけない場所だ。
とくに太古の昔、疫病や飢饉で大量の命が投げ出されたような場所とか
合戦の末に無念の境地で自害した連中の魂が置き去りにされたままの地区とか
どこがそこに当たると調べあげると切りもないけど
俺の実家のアバラ屋敷は、そういう場所に位置してる。
実の父親も母親も弟も、今まだそういう場所へ住んでる。
平気な顔してるようでも、実は色々と片づいてない問題もいっぱいあるのに。
俺はあそこには長居ができなかった。
今もあの地へ足を運ぶだけで全身が重くなる。
…俺の場合は普通とは別なのかも知れんけど。
   
で、そこで更にやってはいけないことをやっちまったのは
風呂場の出入り口を支える柱と柱の表面に
何を思ったのか、別々の神社のお札を貼り付けてしまった。
誰が? って、俺の実の父親か母親のどっちかが。
するってぇと、そこでそんなことをして どうなっちまったのか。
その手の学問みてぇなことを知ってる人にも
今はもう解らないことかも知れないけど
簡単にいうと「鬼門」になっちまった。
しかも、怨念も、呪い不成仏の魂も、頻繁に出入り自由なドコデモドアーだ。
そっからがスゲェぞ。
家中の電気製品はぶっ壊れる。時計もぜんぶ止まる。電話も不通。
箪笥の上へ飾られた人形は動き出すし 
怪我や病気や事故は耐えない。
鳥でも魚でも飼うペット(小動物)は必ず数日で死ぬし、 (おめぇの飼い方の問題じゃねぇの?)
近所の犬や猫は寄り付かない。
庭に草木を植えても絶対に枯れる。
どんなに手入れをしても育たない。
お化け屋敷にしてカネ儲けしてもよかったほどだ。民家だけど。
まぁ俺も、“カツオ爺さん ”に巡り合うまでは、
様々な新興宗教とか、へんな寺のクソ坊主の説教も聞かされた。
宗教の本も色々に探ってみた。
俺自身は一時的に、度重なる交通事故と借金には悩んだりしたけど 
母親の精神病院17年間の出入りに比べりゃぁ、
そんなことは屁でもない。
本人は今も、ボディジャックされつづけた日の自分を
クスリ(精神安定剤)で抑えつづけて
事業を畳んで役所施設の警備員として働く旦那(俺の父親)が 
自分の人生のだらしなさを酒とパチンコで紛らわす日々につきあってる。
本人たちは今のままでもいいらしい。
俺はちょっと許せねぇけど。
…と、俺の実家の背景には、それぞれが肉体的に病んでいる問題とは別に 
そういう背景もある。
   
でもって、そういう「お札」をきっかけにはじまったような問題は
俺の家ばかりでなく、その近所一帯がそういう場所なんで
結局は異常怪奇現象は俺の家だけではなかった。
たとえば、(話すと切りもないので一つだけな
少し離れたところに、何時代なのか
罪のない人を大量に処刑したっていう場所もあって
実際にその石碑が普通の家の庭に建ってるところもあった。
そこの家に住んでた人なんて、ハンパではない。
ぜんぶ視えてしまう。映画『シックス・センス 』の少年みてぇなもんだ。
女の人だったけど。
   
    
 
   
「どこですか?」
ではない。
そんな場所は日本国中にある。
知らない、気づかない人が多いだけで 
この自然界には生きてる者の数より死んだ者の数の方が多い。
そこいら中にあって当然だ。
東京都内の都心部にしても、今でこそ建物と道路と地下鉄でごった返してるけど…
あるよ。
むしろ、田舎より多いかも知れない。
横浜とかもな。
   
問題は、そういう見えない世界に巣窟してる怨霊みてぇなもんが
通常は、現実の世界に生きている人間の
肉体とか生活に影響を及ぼすことはなかったんだけど
最近はそうじゃなくなってきてる。
「殺すつもりはなかった」と、あとで言ってる殺人犯も傷害罪の人も 
やる瞬間に自分の中で抑えきれなかった意識がある。
それはなんだったのか? 
   badlife/entry-10011726872.html
第一に、単に“見えない世界の奴に肉体をのっとられたシワザ”ではない。
そこに至るまでの原因に、本人の肉体の異常がある。
これについては他のページ で もうちょっと詳しく書いてきたけど
産まれ持った魂でコントロールが利かない肉体の異常。
筋肉の変形と全身の血流が当たり前の人間の姿ではなくなってる状態。
そしてそれすらも、できた結果、起ってしまった結果に過ぎない。
母親の胎内にいる時分から
肉体(全身の筋肉)が正常な育ち方にあったのかどうか 
この世に産まれ出でてから発育する段階で
一命を取り留める事故や大病と遭遇し 
一度、何分何十秒かの間でも意識不明になった瞬間に
肉体と、それを動かす心の繋がり、そのバランス関係の保ち具合が
何に邪魔されたのか?
あるいは、正常に肉体に宿されるべきものが、ちゃんと元に戻れたのかどうか?
無理なダイエットや瞑想、滝行などの精神統一で、
その肉体に宿ることが不安定になった魂の抜けた隙間に
一体なにが入り込んだのか? (…俺流にいうところのボディジャック現象
これがいわゆる、『犯罪心理学の盲点 』のうちの一つだ。
今後もっと具体的に掘り下げてゆく。そっちのコーナーで。)
   
するってぇと、世の中に不可解な事件や事故、原因不明の病気ってことも
現代医学や科学の知識では解明できなくても仕方ないし、
そういうもんを宗教や水子供養とかで、どうとかしようという、
馬鹿げた浅はかな問題も、嘘800プラスα波のコンコンちきだ。
世間の自称:霊能者のみなさんも、よくもまぁ次々と鹿の上に馬を乗せて走れるもんだ。
2チャンネルで謎のアクセスを溜め込んで
上の方に君臨してるような牛や熊のサイトの中身の方が、まだ真実味がある。(

精神世界の類いは、今の日本の“ゴッタ煮 宗教”に並んで世間の公害だ。
おお、また新しい用語 が誕生したぞ! “ごった煮シュー教” 
マズそうだな。というより、モドシそうだ。気味ワルイ

   
さて、アルツハイマーとか“年寄りボケ”の話が 
なんだか一部、ゴミクズっぽい話になっちまったけど、
   
現段階では、
  
アルツハイマー病は、アルツハイマー博士が1907年に
進行性の記憶障害を伴う痴呆患者について詳しく述べたのにちなんで名づけられ、
若くして起こるアルツハイマー病と高齢で発病する老年痴呆が
似た症状や脳の病的な変化を示すことから、両者をいっしょにして
アルツハイマー病と呼ぶようになりました。
症状は、記憶障害、痴呆に伴う失語、失行、失認がみられます。
原因は明らかにされてはいませんが、βアミロイド蛋白、タウ蛋白が関係して、
神経細胞が壊れることだといわれています。
また、老化という時間的な因子であろうと考えられます。 (どっかの資料より抜粋…どうだっていい、んなこたぁ)
   
などというのが現代医学の限界だ。
あとは、どっかのナベ売り業者が
「アルミニウムの鍋や食器はいけませんよ」
とか言ってるくらいで
根本的に人間の創られ方の基本にある事実を
知ることができない学問や学識、世間の常識の中では 
それがどうして現代人に多くなっちまったのかも解らない。
考えようともしない。
   
前頭葉の脳味噌でも、後頭部の辺りの脳味噌も
人間の頭の天辺や側面にしても、
脳味噌ってもんにはすべてにおいて血液が循環してる。
しかも、人間が死んだあとは、放っておくといちばん腐りやすい。
スゴイ栄養素が含まれてる。
だからその昔、食べた人もいるかも知れないけど
古代、ミイラをつくるときは、鼻の穴から針金のような物を突っ込んで
ズルズルと中身を引き出し、あるいは掻き出して
皇女様や王子様の姿カタチの保存状態をなるべく長持ちさせるようにしてた。
   
  妻 「あなたが云うと、どうもリアルに浮かんできてしまうからやめて」
  俺 「それも俺の持って生まれた能力のうちだ。フッフッフ…

   
で、それほど柔らかくありながら
丈夫で硬いシャレコウベに守られている人間の脳味噌ってのは 
その細胞が140億あって、
その数は全宇宙空間に存在する星の数と同じとされている。
この地球上に生息する人類と自然界が対象に創られている基本の一つ。
そこに健康な人であれば、常に血液がまんべんなく循環して 
その血液中の水分も、ミイラのように涸れるということはない。
ところが、
最近の、優秀な医学知識と医療技術の著しい発展により
生きている人間の脳味噌の中身の状態が
外側から見れるようにもなってきた。
輪切りにしてみたり、縦に断面図で表わしてみたり 
もう丸見えにしてくれる。
それでも解らない。
解らないのに、輪切りにして、見て覘いて、解ったフリをしてる者もいる。
見られている人は恥ずかしくないのか? 
恥ずかしくはない。
それどころか、惚けちまって「恥ずかしい」なんて判断ができない人もいる。
で、そういう“ボケ”が進行してる人の脳味噌には
萎縮し、白っぽくなってしまっている部分がある。
記憶中枢とか言語中枢とか、そんなコトバはどうだっていい。
とにかく惚けているとか
死ぬ以前に、アルツハイマー博士が用意した、もう一つの戒名のように
「アルツハイマー・ビョウ」と呼ばれている人は 
脳味噌が部分的に涸れた状態になってる。
その部分だけ、血液が循環していない状態。
   
これはまず、すべてにおいて、
その人の下半身の筋肉に問題がある。
   
とくに、後頭部の場合は、両足の外踝の脇。
   
   konron0606
   
後頭部の辺りの脳味噌に異常がある人は、そこが必ず腫れているか
必要以上に硬くしこっていて、皮膚も変色したりしてるはずだ。
しかも、そういう人達は必ず、尿の出も悪いし、目も悪い。
生前は…ではなくって、まだ生きているうちも
膝の裏の筋肉もしこっていて、そこから上へも下へも
血液の循環がとても鈍い。
下腹部も異様に膨れた体型で、全体的に身体が冷えている。
   
また、前頭部の脳味噌に問題がある場合。
そういう人は必ず、足首の前の部分。
   
   kaikei0606
   
ここに、子供の時からしこりがある。
そういう人は、歩き方にも特徴があって 
その人の母親も同じように、小刻みに歩く。
階段の下り方にも特徴がある。
しかも、老人ボケやアルツハイマーだけではなく
パーキンソン博士の名前を取って付けられた人で
頭と首を振って痙攣してるような人もすべて、
この場所の筋肉の血液循環が非常に悪い。
そしてその人達は必ず、胃腸。とくに胃が悪い。
   
それから、側頭部の脳味噌に異変があるとかの場合。
こういう人達も常に、若い時分は上半身だけの血圧が高かった人とか
いつも苛々していた人とか
何事も考えたことが思い通りにならなかった人。
これは、足の筋肉全体の、とくに両足の側面の筋肉に
血液循環が正常ではなかった時間を長く過ごしてしまった人だ。
血液の滞りが最も問題ある筋肉としては
足の座りダコができる部分と、両足の膝下の外脇。
   
   kyuukyo0606   youryousenn0606
   
                                           ここだ。
膝下の外側に突起してる部分の、自分の指で一本分下
そこに本来は窪みがあるはずなんだけど
先に述べたように、いつも苛々してるとか
一年中、自分が考えたことが満足に実行できない人とか
胆嚢の機能に何か支障がある人も含め 
そういう人は、やはり、固くしこっている。筋肉が。
で、脳血栓とかで倒れた人も
心不全とは別に頭の血管が切れて「過労死した」とかいう人にも、
この場所の血液循環が悪かったことに、そういう結果に至る原因の一つがある。
   
   
いま俺がここに書き出して伝えた3つのポイントを
何度か読み返してみて、思い当たる点がある人もない人も
医学の知識とは別に、人間の創られ方の基本というモノに目を向けるべき…
なんだけどぉ、これだけではまだ伝わりにくい部分もあるので
下に用意した四つの画像も参考にしてみて。
   
   konron7  足の太膀胱経 (顔面図省略)
   
   03ikei  足の明胃経
   
   tannnoukei0606    atama0606tannnou
   足の少胆経絡
 
ここに貼り付けたのは、今日は三種類だけだけど、(あとは紛らわしくなるので、いずれまた
ほかに9枚と8枚で、合計20枚。これと似たような図がある。
これも実際は、今の世間にある鍼灸学とは別の、
世界に失われた正しい鍼灸学上にあることなんだけど
ちゃんとしたのは日本では慶応年間に途絶えた
それはともかくとして、人間の身体には、
大腸・小腸・膀胱・胆嚢・胃という五つの「腑」【ふ】の、「陽」【よう】
心臓・肺臓・肝臓・腎臓・脾臓という五つの「臓」の「陰」。
そして、前回にも取り上げた、心臓をくるむ膜を心包【しんぽう】とする「陽」と
すべての流れを司る三焦【さんしょう】という「陰」。
こういう六臓六腑【ろくぞうろっぷ】にまつわる血液との循環に
常に陰陽のバランスがあって、
しかも、その陰と陽の関係が、すべての臓器と、手足五本ずつの指、そして
目・鼻・耳・口・舌という、それぞれの“臓器の出先機関”が、
この自然界に生きる人間のすべての行動と五感に密接に関わっている事実として
一人一人の人間の筋肉の中に、そういう路線がある。
   
これを正しい鍼灸学上では「経絡」【けいりゃく】と呼んでいる。
それには、六臓六腑に流れる「気の巡り方」の順番も決っている。
『北斗の拳』のケンシロウも、そのすべてを熟知しているとされる漫画もあった。
あれは漫画だけど、俺の云ってることは現実だ。
しかも、現代医学にはないし、
今もなお、人類に失われつつある、
『人間が生きるために必要な生活の知恵』のひとつだ。
   
とくに、巷の鍼灸学が「人間の筋肉と臓器の関係」を
解らないように勉強させてしまっている今…
   
   
ああ、なんか腹へったな。
なんか喰ってくる。
味噌っぽいモノはやめとこ。
   
   
   食後 
   
   
だぁ? どこまで書いたぁ? 
なんか、ラーメン喰って腹があったかくなったら眠くなってきた。
いま何時だ? 
朝の4時か。 んにゃ~、また風呂へ入る時間がなくなっちまった。
んま、いっか。味噌ラーメン喰ったし。 
   
んで、
経絡というものが直接的に人間の脳味噌とつながりを持っている解釈ではなく
膀胱と、胃と、胆のうと、 
腎臓と、脾臓(腹筋)と、肝臓が密接に関わり、 
人間の頭部の表面の筋肉をまわる気血【きけつ】の流れる路線がある。
それが筋肉の中の血管を通して、
一定の基準で定められた人間の脳の血液循環と関連を持っているということだ。
とくに、寝たきりの人も含め、惚け老人とか最近までは「痴呆症」と呼ばれていた人たちも
すべて、「陽の流れ」が滞ってるために、性格までもが「陰」に籠もってる状態になってる。
何事においても「気」が利かない、気が回らない状態。
肉体は心の容器だ。
   
それで
さっきの経絡の図で辿ると、
頭の脳味噌があるどの辺りと、足の筋肉のどの辺が、
何の臓器と関係しているかが判断つくと思うんだけど、
実際はもっと でかくて判りやすい図なんだけど、
このサイト上だと細かすぎる? 見ずらい? 
まぁ、ぜんぶ見えないようにしてる判りにくさも、“バンソウコウ男”の持ち味だ。 
おおめにみてくれ。                  (5月26日に哲也さんにそう呼ばれて以来、気に入って遣っている)
   
そういうことを踏まえた上で
後頭部には両足の外側の踝。
前頭部には足の甲、足首関節の真ん中。
側頭部には両膝の脇。
頭の天辺の異常は内臓下垂を上げる…。 
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10003312895.html
   
http://ameblo.jp/badlife/entry-10004073609.html
というように、血液の循環が滞っているだいたいの場所を覚えておいて 
そうした心身の損傷を招くような結果に至るまでに、
自分で自分の肉体の管理保管を心がけておくことが大事だ。
または、痴呆症や健忘症、認知症…などという言葉や巷の知識に拘らずに 
そうした結果に至ってしまった人であっても、
筋肉を元通りの状態に近づけることを考えればいい。
   
今日は内臓下垂とかについてしつこくは書いてないけど
問題は、普段から呼吸が浅く、体型を崩したことにる筋肉の変形。
直立したときに
膝の裏を伸ばさずに過ごしたことによる内臓下垂。
そして、足の付け根にある、上半身と下半身を繋ぐ太い動脈と静脈の圧迫。 
この三つの点をよく踏まえながら
人間の肉体が筋肉で出来ていることを理解し
そこへ規則正しく流れる血液循環の路線の関係を知ることができるなら
世の中の奇病難病も、404個以上の病名 の名づけ親の役立たずも
少しは減る。
いや、訂正。 かなり減ってくる。
   
「アル日とツぜんハイマーがどうした」だとか
「か~る と パぁ と 金と損…がどうした」だのということも
脳血栓や高血圧症ということも 
もう現代医学では限界の、先へ進まなかった部分も
一歩か二歩、前へ前進できる可能性も見えてくる。
そうなると治らないモノが治るという以前に
実際に病んでいる本人たちの肉体が
「これ以上は悪くならないように、現状を維持できて
周囲に迷惑かけることなく
最期まで自分の身体は自分で運んで動かせるように…」
そう考えられて、
「今よりちょっとだけでいいから、この不自由がよくなってほしい」
ということも叶えられる・かも知れない。
但し、本人に治す気があればな。
   
この、本人にその気があるかどうかが、いちばん重要だ。
あの長島監督も、シンガー西条秀樹も、おそらく、
「おれはこのままでは終わらない」
そんな気持ちを振り絞って、みんなの前に元気な姿で蘇ってくれたんだ。
本人にその気があるかどうか。
人間が生きるってことは可能性を信じることだ。
中途半端に投げやりな気持ちになるばかりが
余生に残された時間ではない。
どんな病気や怪我も、たとえ何かの加害者であっても 
やっているのは本人。自分自身だ。
他人の心で動かされてる肉体ではない。
自分の心で感じて動いている、たった一つしかない自分の肉体だ。
この世に産まれる以前に、肉体に宿された魂は、
この世に産み落とされ、生まれ出でてから決められた寿命を迎えるまで 
その心、魂の命ずるままに、思う存分、
自分の自由に動かして使えるように用意されたはずの、肉体という道具だ。
神様は、前世でちゃんと生きて、ちゃんと死んでから蘇らせる人間の魂を
順番通りに容れる場所を決めて、この自然界で苦もなく負もなく
堂々と生きられるように五体を用意してくれたはずだ。
その肉体という道具(健全な状態)を利用して
自分に与えられた能力を発揮する。
職責職能のまっとう。男は男として、女は女として、
この地球上の自然界に生かされて生きることおいて
完全に決められた義務を果たす。
そこに一人一人の役目、役割がある…あったはずだ。
惚け老人の人は忘れててもな。
   
   
人は誰でも、できることなら最期の最期まで、
自分の肉体は自分で運び動かしたいと願い、望んでいると思う。
言葉にしなくても 
そういう心の叫びを物の仕草で訴えかける寝たきり老人の人もいる。
だからどんなに相手が我が侭に思えても 
かつて食膳で一緒に顔を合わせた家族や兄弟なら
「お母さん、あのね…」
という気持ちで、自分の母親の足首を自分の手で暖めてやりゃぁいい。
それで、そんなことで、たったそれだけのことで 
たとえ一瞬でも、パーキンソン病の痙攣が止まるかも知れない。
名前を忘れた娘の顔を誰だか想い出すかも知れない。
偏屈な顔をしてる爺さんも笑うかも知れない。
「お父さん、足、冷たいね」
そう云ってあげて、冷えた筋肉を暖めてやりゃぁいい。
今よりマトモに血液を循環させるためにな。
それが介護ってもんだ。
   
だから、「今よりよくなりたい。ちょっとだけでも…」
という素直な気持ちが、
この世に生きる人間に当たり前にあっていいはずの思いが 
まだ生きているうちは自分次第でどうにでもなるのに 
なんでなのか、最近の戦争体験者はとくに
“その気”がない人が多い。
それでいて、他力本願。
「先生、どうにかしてくださぁい!」
無理だ。
先生もやっとだ。
本人に、「よくなろう」という、“その気”がないのに 
なにを戯けたことをヌカスのか? 
世の中、花咲か爺さんの隣の家の欲張り婆さんと爺さんしかいないのか? 
この、本人に “その気”がないという問題に
今いちばん、治す側が困ってる。医者も。治療士も。
とくに治療士を志して、そういった資格を取得した人のうち
「人のために生きよう!」と考えて看板を掲げた人には、そうでない人も中にはいる
わがままな患者と機械を買い込まされたことに悩んでいる者が非常に多い。
この現状をまったく把握していない厚生労働省も文部科学省も
次々に様々な資格取得を奨励し、機械や薬物を売る企業もグルになって
人の心を悩ませている。
まさに、病気を作る医学。病気を育む経済社会。
そしてそれを支援する社会の教育常識。
治す側の人が救われないのに、治される側が救われるわけがない。
そして世界は、神も仏も人間を救わない時代に突入して、20年が経つ。
どうすんだ? これから。
   
   
かねてより、どこかのお医者さんも俺のページを読んでるようなので
最近は俺が書いている内容が以前と少し変わってきた から 
そのうち何か云ってくるとは思うけど
世の中のお医者さんには、まだ、今の学校の先生よりは元気な人もいるので
同じ「先生」と呼ばれる人たちの中でも、幾らか話ようもある。
同じ人間として。
ところが、巷の心ある医師免許を持ってる人が、どんなに頑張っても 
たとえば、日本の演歌歌手の世界のように
上の方に君臨する大演歌歌手の多くが引退しない限り
下の方は勝手に用意されたシキタリに従うしかない。
今はもう、人間の歯を治療したり矯正したりするだけの先生方にまで
派閥争いや雁字搦めのシガラミばかりで、(歯科医がワルイと云ってるわけではない
何か前向きに研究して成果をあげようなんてのは
どこにおいても難しくなってきてる。とくに、この日本においては。
「顎関節症」という問題ひとつにしても、
頭蓋骨と顎骨の噛み合わせの間にある座布団の形に似た軟骨(筋骨)が 
どうしてズレてしまうのか?
それが歯茎という血液が流れる筋肉と、どう関係しているのか?  
そのことに注目して、
歯茎の筋肉が人間の腹筋(脾臓)と関係していることに気づいている先生がいても
歯茎を歯茎だけとしか考えられない年寄りもいれば
歯を矯正することで、舌の返りに影響を与えたことが
人間の心臓に変化をもたらす事実があることを知っている先生がいても
それを戯言として扱って耳を傾けない学閥組織もある。
それに引き換え、ドイツという国では
現代医療のあらゆる限界や行き詰まりを越えようと
今も必死になって、世界中から 
もっと人間のことを知り得るため情報を掻き集めている前向きな団体もある。
   
  
最近の俺は季節感もないどころかテレビもあんまり観ないけど、
食事の用意の合間にとか
子供と一緒に最近のテレビアニメを観るようにしてる。
ポケットから出てくるような“シモベ”を使って、それを戦い合わせ
自分はほとんど何もせずに目的を達成しようというような内容は
何においても、モノグサ野郎になっちまう心配もあるので
そういう番組は一緒に観ない。“ノケモン”とかいう奴? 
子供自身も、あまり気にして、そういう類いは観てない。
むしろ俺が
「これがおもしれぇんだよ」と、過去に強調したモノを観たがる。(一人っ子の特徴か?
そういう意味では、五輪マユミさんの『恋人よ』の前のヒット曲(?)の感じで、(リバイバルという意味
市原悦子さんの声に親しみのある『まんが日本むかし~』とか
んまぁ、人間らしい感じの番組がメインだ。
あのオバサ…女優の、市原さんの記憶力はスゲェぞ。
他人の台詞もぜんぶ頭の中へ入ってる。
でもって、あの演技。
「はるみちゃ~ん!」
俺も“芸能ブローカー ”の紹介で、シリーズ『家政婦は見た』の撮影現場に何度か行ったけど
高井戸の家政婦の時でも、“弁護士モノ”でも、実に見事な身のこなしだ。
役者としての「メリ、ハリ、カン、キュウ、マ」 が、あれほどしっかりしている女優さんも数少ない。
たぶん、ダンスとかも上手なのではないかと思う。
そういう意味もあって(?)、「♪ぼうや~よいこだ、ねんねしな」の番組は
毎週の放送を楽しみにさせる子供に仕込んでいる。
   
「お父さんも ここへ座って。一緒に観るんだよ」
ということで、茶の間に座る。
先週だったか、『ブラック・ジャック』という手塚先生のアニメがあった中で
ブラック・ジャックが海外で何かの事件の容疑者の疑いを持たれ 
その疑いを晴らす証人に、航空機の中で出逢った日本人が出てきた。
「同じ日本人じゃないですか。困ったときはお互い様です」
という前半の内容だった。
そして、コマーシャルのあと、今度はドイツで、
その日本人が自分の勤め先の不祥事を被されたあげく
自殺に見せかけ、殺されかけてしまう。
それを知ったブラック・ジャックは、
「もう24時間以内には死ぬ」という男の命を救うために日本からドイツへ飛ぶ。
タクシーの運ちゃんには
「空港まで頼む。30分で着いたらこの3倍は出す」
「どこにそんなに持ってるの?」と云わんばかりの札束を持って
空港では、「本日の便はすべて終了しました」
「ではこれで特別機をチャーターする!」と、札束をドンっと三つほど。
病院へ着くと、「おまえのような者に手術はさせない!」と院長に怒鳴られ
今度はその病院のオーナーの財閥の門を叩く。
「これであなたの病院を買います。そうすれば私の自由にできる」
てな具合で、結局、命を救って、顔まで整形してあげて
二度と悪い連中に狙われないようにするんだけど
そのブラックジャックの最後の台詞がヨカッタ。
「どうしてここまでしてくださるんですか?」という質問に
   
言ってたじゃないですか、お互い様ですよ。
 あなたに助けられたときの私はもっと嬉しかった」

   
と、さりげなく教会の扉から出てゆく姿。
これには参った。
   
「お父さん、なに泣いてるの?」
「…ちょっとテッシュとってくれ。」
なんだか、テレビの漫画なのに
俺はメシも満足に喉を通らなかったよ。
でも、そんな医者はいない
現実と比べてみても仕方ない。
   
   
佐渡では今、田植えが終わった田んぼに そよ風が吹いてる。
俺の家の目の前も田んぼなので、そこにヒキガエルもたくさんいる。
ぐぅぐぅ、とか、バゥバゥ、グモォーグモォーとか、みんなで合唱だ。朝から晩まで。
あれは“牛ガエル”とも云うのか。
食用にしてもいいのか? 喰えるらしい。
どんな味かは知らんが、俺の実の父親も、ヒロシマにいた時分
子供のとき、喰ったらしい。 美味いのか? 
   
まだ今よりも日本が貧しく、
誰もが、今よりは よっぽど健康に過ごせていた時代。
そんな時代の医者はきっと、
黒い重たい鞄を抱え、畦道を歩いていたに違いない。
自分を待っている患者の家へ訪ねるためにな。