現代医学について (課題の仮題) | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
  
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10009297286.html
     このページの続きにあたる このページ。
                        …です。

   
   
人間、筋肉によって構成されている肉体が
筋肉によって司られているという事実を
病院や治療院の現場が もう少ししっかりと理解できるようになると
世界中の病気や怪我の後遺症とかが半減するとは思うんだけど、
いかんせ、
人間を頭の天辺から足の爪先までトータルに診れる医者がいない。
しかも、その「筋肉科」の先生は
肉体を動かす心までも
「だいじょうぶ?」
の、そのひとことで、相手を安心させ、介抱できるほどの、
そういう治す力が愛情の塊り のように備わっていなければならない…。
「絶対にそうあるべきだ」とは云わないけど、
医者ってもんは、そういうもんだと思う。
むかしは、それに近い存在がいたらしい。
俺にもいた。
八王子の小児科の先生で、加藤先生という人は、
子供ながらに
「自分に何かあった時は、この先生がいる」
という気持ちにさせてくれた。
で、虫歯だらけで歯痛に苦しむ4歳の俺は、
当時、----今のような乱立、過当、死活競争はなく----
町には少なかった歯科に連れて行かれるのをゴネて
「加藤先生のところがいい!」と、
母親に連れて行ってもらった。
先生は他の患者の診察に忙しい合間をぬって、
俺をいつものように目の前の椅子に座らせ、
「わたしはねぇ、歯医者さんじゃないから虫歯は治せないんだよ。
歯が痛いときは歯医者さんへ行ってね。
歯医者さんの先生も、『いつくるのかなぁ』って待ってると思うよ。」
その一言で納得した俺は歯科へ行った。
ただ、俺は俺の体験として自分の我が侭な部分もあっただろうけど、
つい最近までは、小児科の先生というのは、
ある程度、人間の身体をトータルに捉えている人が多かったと思う。
富士見町商店街という、その街角の小児科の加藤先生…
いままだ生きているとしても高齢で現役ではないかもしれない。
で、
そんなことが、大人にとっては笑い話でも、
今日を真剣に生きる子供には自分の命を左右するほどに思える問題もある。
 
どれもこれも一緒ではないし、
誰も彼もが全員、平等で同じ権利を受けられるとは限らない。
また、必要以上に権利を主張することも、
本来の与えられた義務から遠ざかって、
偽りの自分を飾る手立てでしかない。
と、そんな理屈も抜きに、
かつては医者のいない無医村の地でも、
近所の寺の住職やらがそれに代わり、
人々の悩み苦しみを公平にみて受け取り、
それなりの的確な判断で対処していた時代があった。
細菌やウィルスの撲滅ひとつ、
熱心に研究することも医学の役割かも知れないが、
それ以前に、無駄な薬剤や機械・機具の知識とは別に、
本来の人間の創られ方の基本的な部分を理解している必要がある。
いつの時代も。医者ならな。
そんな医者がどこにいる?
「文明の発達がどうのこうの」ではない。
そんな言い訳をする以前に、
自分が産まれる以前から今日まで、
人間の創られ方の事実は何一つ変わっていないということを
改めて認識すべきだ。
それを国の指導の下で充分な教育体制を整えられるなら、
何も俺も病院へ行って、医者や看護士、薬剤師や検査技師に怒鳴りつけたりはしない。
何の病気であろうと、人間を治せる医者なんていないじゃないか?
なんのために病院で働いてる? 
喰ってくために時間から時間まで勤めてりゃいいって考えなら、
そんな資格は嘘だろ? 
いま世間のどこに、人間を解る医者や、医者らしい医者がいるんだ?
「はい、ここにいますよ」って、云ってみろよ。
てな具合に、そこまで俺が病院の中でわめいても、
何の解決にもならないんだけど、
今ひとつ、現代医学の医療現場に歩み寄れない俺がいる。
どうにもこうにも必要以上の知識が邪魔をしてるのは
お互い様かも知れないけど、もしも、
現代医学や医療に革命を起こすのであれば、
まずは、一般庶民の意識から変わって行くべきだよな。
医者じゃ駄目だから民間療法や宗教に頼るってのも
100%じゃないけど、間違いだ。
世界の医学は発達はしても根本的には発展はしてない。
リウマチ一つ、耳鳴り一つ治せないまま、今日に至って、
それ以上に様々な病気、奇病・難病を作り出してる。
 
『アスベスト被害のハンドブック』
そんなものを今更つくって世間に配布したところで
抗癌剤で儲けようと考えるクスリ屋と医者の馴れ合いが変わるわけでもない。
人権の主張や被害の賠償責任を追及するなら、
まず、自分たち人間に、どうしてこのような「癌」という病気があるのか…
人類が克服すべき試練、越えられない壁のような格好にしてしまって、
癌患者は増え続ける。
ほんとうは癌ではない人も「癌」という病名を付けられる。
自然界の決まりを破ったことが癌であることには誰も気づけない。
そして、病気と死の区別がつかない人が多い。
問題は筋肉だ。そこにある血液の流れ方だ。(簡単に云いすぎだけど)
先天性の臓器の異常も細菌に侵される病にしても、
もしも現代の医学が、人間を部品の組み合わせのように扱うシステムを捨てて、
筋肉でできている人間の身体に対する理解を
今とは違う、もっと当たり前の方向に目を向けて深められるなら、
かつて、「人間には四百四病がある」といわれた、
それ以上の種類の病気、病名、奇病、難病が世の中に増え続けることはない…
と、俺もそう思うんだけどぉ・・・・
 
さてと、このウェブサイトでは今後、何を解明すべきか?
 
万人に共通する、万人が必要とする知識として、
人間の心と身体の繋がりが自然界とどのように関係しているのか。
 
それを明確にに、これ以上はないというほどにまで丁寧に、
判りやすい具体例を並べながら、ここに克明に顕すべきなのか…
そんなことができるのか?、果たして。
難しいよな、俺独りでは。
限界がある。正直云って。
“カツオ爺さん”がクタバっちまった今、
いま生きるために必要なことだけに目を向けられるようにしてくれる人は誰もいない。
どこにもいない。
どっかにいるのか?
余分な知識に埋ずもれてない人って。
 
ネットで検索してみるか?
キーワード、「余分な知識に埋ずもれてない人」
すくなくとも俺の名前は出てこないだろうけどな。