愛情の塊について  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

   
   
      http://ameblo.jp/badlife/entry-10017555390.html  ☚ ここのつづき 
   
   
んまずぅ。
とにかく腰や背中が痛い人。
なんだか判らないけど、そんなような症状に対処するかのように
に…」ていうような その手のドリンクや塗りこみクスリは放っておいて
自分の両方の足の筋肉に正常に血液が循環するように
自分の頭の中でそれを念じてみてみて。
ここがいちばん重要だ。
「流れろ」でも「回れ」でも何でもいいよ。
とにかく、自分の肉体は自分の物だ。他人がなんとかしてくれるわけじゃない。
んで、右の肩の後ろがダメな人も、左の肩の手が届かないような場所が駄目な人も、
人間の身体を頭の天辺から足の爪先までトータルで捉えた場合 
根本的にどこがおかしくなってるのかっていうと
“足の付け根”だ。
人間の両足の付け根には、上半身と下半身をつなぐ大切な太い静脈と静脈が通ってる。
医学ではその部分を鼠頚部リンパ節【そけいぶリンパせつ】とか呼んでるらしいんだけど 
普段の生活の中で、どうしても無意識のうちに膝の裏を曲げた格好になってしまってる人は
そのように体形を崩すことで…
どのように? 
   
   Nips&Japs
   
このように。 しつこい!
これは、二足歩行で歩く人間の宿命みてぇなもんだ。
他の動物にはあまりない。人類が背負ったサガなのかもな…。
膝を曲げた格好ってのは、どうしても全身を巡る血液の循環を
上から下までスムーズに流せない状態をつくってしまう。
膝が曲がれば猫背になる。
猫背になれば呼吸は浅くなる。
呼吸が浅くなれば、腹筋は弱くなり、腹筋は内臓を定位置に支えておけなくなる。
お腹の筋肉全体(脾臓)に支えられなくなった人間の内臓は
「やめろぉー!」と叫んでも、地球に引力がある限りは下へ下がる。
これが内臓の下垂だ。
そして下垂した内臓は、直ぐ下にある肛門や尿道(男の場合はとくに前立腺)を圧迫するばかりでなく 
足の付け根の奥にある太い動脈と静脈をも圧迫してしまう。
こうして、足の方、下半身へ思うように循環しなくなってくる血液は
関節の節々の周りにある筋肉に必要な血液循環を妨げることにもつながってゆく。
それは、右足なら右足、左足なら左足。内臓の下垂の仕方によってもかわるし、また、
悪くなった足を本能的に庇うような体勢を長くとっているだけでも 
反対側の足の筋肉へ負担をかけることにもなる。これも物の道理だ。
その上、下半身に血液が循環しないものは、上半身の血液循環も狂わせることになる。
自然界の雨が降って下へ水分が降りない限りは
地上からの蒸気(水分)も上へ上昇することはない。
同じように、人間の身体の場合も、
生きるために必要な血液の循環が妨げられるほど、筋肉は下半身が涸れてくることにより 
上の方(上半身)へも次第にまわりにくくなってくる。
惚け老人やアルツハイマーとか変な博士の名前をくっつけられてる人もすべて 
そういう自然界の摂理に叛した単なる結果でしかない。
   
下垂した内臓が足の付け根の奥にある太い動脈と静脈をも圧迫してしまうことで 
下半身の筋肉全体へ流れる血液循環が悪くなる。
これによって、どちらか一方の足を引きずっていたり 
歩行が困難などころか、座ったり立ち上がったりすることが 
どうにも辛いお年寄りもいれば、成人病のうち、
脳血管疾患で倒れた経験のあるという、そういうことでの後遺症で車イスに乗ってる人も 
アルツハイマーも、パーキンソンも、すべて、下半身の筋肉が悪い。
   参照①http://ameblo.jp/badlife/entry-10003045591.html
      ②http://ameblo.jp/badlife/entry-10013364666.html

   
とくに、人間の膝というのは
表側と側面を胃と胆嚢【たんのう】
内側を脾臓と肝臓と腎臓。
裏側を膀胱へ結ぶ気と血の流れ(経絡)が終結して 
寝ているとき以外は一日に何百回も曲げたり伸ばしたりしなければならない関節筋肉になってる。
そこへたとえば、…人間は肝臓で物事を考えて、
その表裏の関係にある胆嚢がその命令を実行するように創られているんだけど、(脳味噌とは別に)
胆汁が分泌しないほど何かに悩み、
人間の消化作業に必要な、胃液が必要とする胆汁が不足することで、
人間の胃は、必要に応じて胃酸も胃液も分泌されなくなると胃の中が爛れたりして 
次第に、そういう人の胃は、キリキリと掴まれたような痛さになってくる。
医学ではこれを単に結果だけを診て『神経性胃炎』などと、今まではそうホザイテきたんだけど 
問題は自分の考えたことが巧くいかないとか、思うように実行できなかった…
という人に起る特徴であって、胃の前に、頑なな心、考え方、堅実すぎるほどの真面目さ。
あるいは、潔癖症とか、限りなく完璧を追い求める精神とか…そういう無理が祟るわけではないんだけど
どうしても真面目一本気な人に多い。
他人から見て不真面目そうであったとしても、本人の中で絶対に譲らないモノがあると
その心は肉体を破壊してゆくことにつながってしまう。度が過ぎればね。
かつては俺自身もそうだったし、頼まれてもいないのに自分以上に家族の幸福も願い 
自分で自分が逃げられない状態を築き上げる生活の中で 
俺の右足の膝にも水が溜まるようなこともあった。
でもそれは、医者へ行って絶対に抜いてはいけなかった。
その水がなぜ、そんな所へ溜まるのか? 
すべては結果であり、問題は胃の関係。肝臓と胆嚢の関係。そして、
人間の身体の水分というのはすべて、腎臓機能と膀胱の関係からきてしまう。
人間の血液中には津液【つえき】というものがある。
「こんなに鼻血が大量に出たのに、なんで死なないの?」
という場合、あの鼻血の中には大量の水分が含まれていて、それは黄色っぽい色をしてる。
あの水分(津液)には凄い栄養が含まれていて人間の身体の中を常に循環している。
ところが、膝の関節を覆う筋肉細胞の、肉眼はおろか顕微鏡で見ても判らないほどの毛細血管へ
もしも血液の循環が滞ると、筋肉の中の太い血管ばかりに負担がかかり、
やがて、流れる途中の詰まった場所や滞りが激しい部分の先で圧迫された部分から
血液中の水分だけが溜まってしまったりする。
それは丁度、…何がいいかな? 
セーム皮のダスターでも普通のタオルでも手拭い何でもいいよ。
濡らした物を縦に途中まで搾ってみて。搾ったところの水分も生地の中の汚れも
ほとんど全部が搾った先へ溜まって、グズグズになる。
要するに、あんなような状態が、血液循環を次第に滞らせた膝の筋肉の中でも起ってくる。
人間の身体の中で、水分が必要以上になってしまう場所は冷えて痛くなる。
今のところは現代医学では未だ、
肺の中に水が溜まってそれが心臓へ負担をかけたりすると
「心臓うっ血」とか何とか言って原因が解らないってことになってるけど
要は、それと同じようなことが、人間の臓器という毛細血管が張り巡らされた中で起っている。
んまぁ、その問題はともかく、膝に水が溜まるってことの道理はそういうことで
そういう血液中の水分(津液)が必要以上に集中してしまう場所を攻めてはマズイ。
なんとかして、それをまた血液中に徐々に戻すような考え方で 
小便をジャージャー出すようにすることが自然治癒力を養う第一歩なんだけど
かといって利尿剤を飲めばいいってことでもない。
小便は尿道から出る。尿道の元には膀胱がある。膀胱ってのは
腎臓が濾過した血液中の汚れを尿として身体の外へ排泄するための臓器だ。
この連携プレー(陰陽のバランス)さえも狂わせているのが 
膝の裏を曲げた頼りない格好による腰の筋肉への負担…てことになるんだけど。
んまぁ、ここまでの内容を丁寧に読み返すまでもなく 
いろいろな意味で悪循環で回ってる人の肉体と心の不釣合いな人生は 
今の時代、誰か特定の人だけに起っている問題ではない。
だから現代医学も、ほぼ共通したような肉体の支障や不具合のデータを
カテゴリー別に分類して、なんとかして人間を解ろうとするような、
努力や研究をしてはいるんだろうけど、いかんせ、遠回りすぎる。
俺はとくに、癌や脳血管疾患の治療や臨床実験みてぇな問題には過激にキツク云うけど
とにかく鈍間だ。見ても訊いてもトロ過ぎて、なっちゃない。
俺の書く文章も無駄に長い部分もあるかも知れないけど 
現代医療、現代医学に携わり、従事し、頑張っていても怠けていても
そういう研究者さんのやってることには、「早く先へ進めろっ!」と唸りたくなる。
まぁず、このトンチキが! 
癌で人が苦悩する死に様を味わう者も見る者も、神様が人類に与えた試練のようにさせとくな! 
もっともっと先へ巻いて、人間の創られ方の基本、根本に気づけ! 
もう見たくないんだよ。聞きたくないんだよ。人が苦しむ声も哀しみもな。
だから、全世界のお医者様のみなさん、俺も協力するから、呑気にやるのはもうよそうぜ! 
    
ああ、よくもまぁ俺も、こう次々に話の展開が再来週から昨日の疑問点まで遡るよなぁ。
読んでる人も一苦労だよな。ったく。
誰か俺の頭の中を映画化できない“ハリウッドの10大シナリオ”の中へ入れといてくれーっ! 
って、そんなタイソウなもんでもないな。こんなアホは。
さてと、どこだ? どこで話の本線日本海を見失った。
さゆりさ~ん、歌って歌ってぇ!
   
「♪はなしのぉぉぉ~ほんせんん、にほぉ゛んかぁいぃーっ」 グー) 
   
あっ、そうだ! 足の付け根だったたな。
そこだ、そこが重要なんだ。
これまでも数々のページに渡り、再三、人類の宿命である内臓下垂と、
人間の足の付け根にある太い動脈と静脈が圧迫されることについては云ってきたんだけど 
この問題がちゃんと理解できる現代人てのが、まず少ない。
ましてや、膝の裏を曲げて立っている普段の体形の崩れ方が 
そんなことにつながってるなんてことは誰も想像もつかないわけだ。
   
最初は俺も、なんのことだか判らなかったよ。
そういうことをとにかく丁寧に話して、
今の現代人に気づかせようとする生前の“カツオ爺さん”に対して、
「おめぇがいうほど人間が簡単につくられてんなら、誰も苦労はしねぇよ」
てな感じで反抗的だった。
最初のうちは挨拶なんて絶対にしなかった。
次々にあの高崎の八千代町の事務所今は建物のみ)へやってくる人たちが
「先生ありがとうございました」と、どの人も深々と頭を下げて 
自分の命が救われたような顔をしてても、俺は、
「…へっ」てなぐらいで、「なんだぁコイツはぁ?」と、
そのうち何かボロを出すんじゃねぇかと疑うどころか、
いつか警察に突き出してやるつもりでもいた。(二十歳前の俺)
それがどうした? 今じゃ本人がくたばってしまって、
今度は俺が、こんな馬鹿な頭で
世の中の人間常識を敵に、自然界を味方に、ああだのこーだの云ってる。
しかもときどき、今もまだ“カツオ爺さん”の声が
頭の中に響き渡ってしまうから始末におけない。
ああ? なに? 
ただの爺さんだったよ。どこにでもいるような風貌のな。
でもちょっとちがったのは、
訪ねて来た相手の痛いところとか具合が優れない場所へ指先を向けたり手を当てると
ものの何十秒もしないうちに治っちまうんだ。
手品でも何でもいいんだよ、苦しい人は長年の辛い思いが一瞬にして消えるんだから。
気功なんてもんじゃねぇよ、どっかの密教から流れ出た新興宗教のまやかしのマジナイでもない。
わざわざ遠方から訪ねてくるために予約を取っても、その途中で何かの事故に巻き込まれたりとか 
逢える人と逢えない人も決ってたけど 
なんとかあそこへ辿り着いて数日も経たずに元気になった人は 
自分の身体の治癒力が急激に活性化したことには気づかずに 
所持金がない場合は腕時計とか高級ライターまで置いていくオッサンもいた。
“カツオ爺さん”にしてみりゃ、カネなんて獲る気はさらさらねぇ。
中国茶と蕃ザクロの実と温灸用のモグサ棒と田七という人参の粉を売ってただけだ。
(俺の親戚のお姉さん姉妹の手伝いもあって)昭和58年に最初に自分で書いた本なんて、
¥5,000の定価をつけておきながら三日後にはタダで配ってたぜ。
「これで元気になってね」
それしか云わねぇ。
もう死んじまったけどな。
俺より幾つか年上の女性で、全身筋無力症の娘さんがいた。
実の娘ではない。
自分の子供は三人。山形から独り上京するときに本家大地主の財産もろとも捨てて来た。
って、そういう云い方はご遺族に失礼だけど、半ば蒸発とおんなじだったんだろうな。
自分が生涯を賭けて成し遂げることのために。
んで、その娘さんは今もまだ元気で生きてると思うんだけど 
九州の人だったか、結婚したまでは訊いたけど。その後は知らない。
生前の“カツオ爺さん”は、
「この子ひとり救えない者が何を救えるか!」
ただそれだけの思いでしかなかった。
本人は医者にも匙を投げられた全身筋無力症。
最初のうちは柴又あたりでOLをやってたらしいんだけど 
そのうち症状が悪化して風呂も入れない。
全身に力が入らないから、ブクブクとそのまんま湯船に沈んでってしまう。
販売機でジュースを買っても、それを一本 手渡すだけでぶっ倒れちまう。
具合が悪くなると何日も寝たきりだ。何かの流動食を流し込んでも飲む力もない。
トイレにも行けない。
ただ、生きている自分の意識だけがハッキリしてるわけだ。
一度、目を閉じると瞼をあける力もないのに。
そういう人と“カツオ爺さん”は、20年以上一緒に暮らしてた。
見事、地獄から生還させて30代にして彼氏と結婚もできた。
ちゃんと肉親もいるんですよ。九州に。お父さんもお母さんも健在だ。
ただ、自分の娘だけが、とにかく人間として歩いて
自分の力で物を食べて飲み込んで生きられるのなら 
もうあとはどうでもいいという思いで、すべてを託したわけだ。
どうすることもできない親の思いは、その親にしか判らんことなんだろうけど
世の中にはそういう人もいるんだよな。
んで、あの“カツオ爺さん”の力は何だったのか? 
果たして人間だったのか? 
判るのは唯一、そういう存在がこの世に在ったってことだけだ。
あと…もしかすると、この地球上には人間が60億人もいるので 
もう一人くらいはいるんじゃねぇかとも思うんだけど。…俺はな。
俺にも松本君にも、あんな力はない。
人が人の命を救うなんてことは無理だし、それが可能なのは 
一人の人間の一生に一度、あるかないかで、まずない。
ところが、“カツオ爺さん”は、いともたやすく、何人も何十人も、一瞬のうちだ。
なんなんだろうな? 言葉ではないんだよな。
生前の本人曰く、
「私の中にある魂を構成する者のうち2500人は医者で
2500人は自然界における万物の…そういうことをぜんぶ知ってる者が入っているとするなら 
それを一度でもってぜんぶを使ってる肉体と頭であるなら 
こういう力があっても当然なんでしょ。
みんなだっておんなじだよ。でもそれを使えないでいるだけでしょ…」

とか云いながらお茶を呑んでたよ。着物姿でな。
http://ameblo.jp/badlife/entry-10015135375.html
今でもときどき、何か困ったことがあったときとか
「なんで俺よりも長く生きてなかったんだよ」
とか思うこともある。
それはそういうもんだったのかも知れないけど、俺にとっては、
今はまだ何とかこの地球上に生息可能な人類。それが、
前へ歩いて正しく進むべき “幾つかの選択手段”のうち 
大きな可能性を失っちまったとしか思えない。
生前の本人が、まだ50代の頃、
俺の母方の実の爺さんと仲良しだった福田元総理が 
「逢いたいから会いに来い」と、自分のシモベを使わせたときに
「お前の方から会いに来い」と伝えて帰していた。
中曽根さんが竹下さんに席を変わった頃も 
その関係を通して角栄さんと仲良しだった、とある運送会社の社長にも
「今ならまだ生きているので一度でいいから会ってほしい」という言葉に
首を縦には振らなかった。
   
「100まで生きるよ。そん時は大きな庭の片隅に
自分で何かを拾ってきて建てた掘っ立て小屋に住んで 
そこで空き缶に雨漏りを受けながら生活するよ。
それでも、訪ねて来た者には。
『なんだ』って意気込みでいるよ。
誰が来ようと、相手がどんなに立派な格好してようと 
いつどんな時も、『それがどうした』って顔で
何も云わずに相手を黙らせるよ。
いつか必ず、世界中の医学博士を目の前にぜんぶ並べて
『何か解るんかい、解るんなら何か言ってみな』
そうやって大勢の前で講義をすることが、おれの夢なん」

   
それが口癖だったな。
笑うときは誰よりもデカイ声で笑う。
泣くときは どんなにみすぼらしい人とでも一緒に泣く。
食べるときは食べる。飲むときは飲むし、呑まれない。
寝るときは寝る。起きるときは日の出とともに目を覚ます。
いつどんな時も、人間でいることをサボらなかった。
人間の肉体に流れる五臓六腑からなる気の流れも 
それがとぎれて滞った場所が蘇るまでは 
相手が自分の力で流せるように気を送るときに
漢方の処方と同様、
回す、瀉す、補う、支えるという区別があって
それを考えることなく、瞬時に自由自在。
相手が本来の自然さを取り戻すまでは絶対に目を離さない。
ある日 突然にして目覚めた力のような中途半端なものではなく 
最初から備えられた能力が徐々に形になっていった状態。
   
「ここに流れる清水の、このおいしいお水を飲んでみたら
なんだか疲れも取れた感じで元気になってきたよ」
   
そういうこととおんなじだったんだよな。あのエネルギーは。
人間には、太陽の光も、水も、空気も必要だ。
なくてはならない。
同じですよ。そういう初めから在ったエネルギーと。
   
   
して、そういう力が、俺を通してではなく 
俺が伝える言葉のうちの、わずかな箇所には
今もまだ存在してるはずなわけ。
俺が伝えつづける限りはな。
それは、ロックンロールのスピリットの中にもある。
肉体を持って生きている人間なら共有できる見えない力だ。
かろうじて、このウェブログ上にはまだ残されてる。
俺はそれを世の中の陰には封印しない。
おそらく、俺ができなくなっても誰かがやると思うけど
既にこれを今日ここまで読んだ方には 
何かが伝わってしまったはずなので
今はまだ言葉にはならなくても 
必ずいつか、ここに書いてあることの何かを
自分とは別の人間へ伝えることになる。
このことを否定した場合は・・・・省略
   
  
んだよっ! そんなことは今はどうだっていいんだ。
問題はだな。
そういう自然治癒力を高めるために自分の肉体と心をどうすりゃぁいいのかってことだ。
単に、「ここがいいからここを押せ」とか「ここを揉んでおけばいい」という、
そんなこたぁ、もうみんなあきあきしてるし、誰も聞く気もしない。
たとえば、
本来の人間としての正常な筋肉の在り方から外れてしまい、
それが必要以上の水分で太っていても浮腫んでいても あるいは反対に
骨に筋肉がへばりつくように涸れて痩せ細ってしまった体形であっても 
膝の裏を伸ばして正常な人間の呼吸と
当たり前の血液の循環を取り戻すためには
まず、下垂した内臓を正常な位置へ整えることも大切なんだけど
内臓を定位置にあげるためには、逆立ちしても無駄だ。
腹筋(お腹全体の筋肉)に中身を支えるだけの力がないうちは
そういう誤った浅はかな健康知識(?)も、のちのちに危険な結果を招く場合もある。
右のサイドバーへ置いた。
           
     お疲れ様 !
     Full Mode new!
   
   
の文字をクリックして聞いてみるのも手っ取りばやいんだけど
そういうことにも、いろいろと抵抗がある人もいると思う。
仕方ないよ、それは。今までの世の中にはなかったことだしな。
んじゃぁ、他に何があるかってことで
俺も俺なりにいろいろと考えてはみる。
要は、足の付け根から下へ血液の循環が正常になることを
自分の意識で判るといいわけだ。
たとえば、水圧の高い温水シャワーを
自分の右足の指先から徐々に
上へ向かって当ててみる。
そして右足の付け根に数十秒。
次に、反対の左足だ。
同じように爪先から徐々に、足の脛、膝、太腿、陰毛のはえぎわまで
自分の好きなペースでいいから、
あまり熱くないお湯の刺激をジャーっと当ててみる。
これだけで、何か自分の身体の中に変化がある場合もある…こともある…けど
自分の体形を崩した結果の不具合にも
人それぞれに誤差はあるので、「どの人もこれで判るよ」ということではない。
   
して、そういうことを右と左で何回かやってみるあいだに
なるべく、お腹の筋肉が動くほどの深い呼吸を
まずは吐いてみる。
吸うなよ。
先に吐くんだぜ。
口で吐いて鼻で吸う。人間の呼吸の基本には順序がある。
力は入れなくていいけど、一旦は吐いてみる。
肺の中の空気も、腹の底から吐くつもりで吐いているうちに
自分の身体のどの変が痛いとか、何かが詰まった感じでひっかかってるとか 
背中でも腰でも脇腹でも どこかに部分的な違和感があるかも知れない。
そういう場所が一ヶ所でも判ったときは、しめたもんだ。
その場所へつながる気と血の流れのうち、どこかに滞りがあるために
そこがイカレちまいそうになってきてるわけだ。
それをまた肩なら肩、背中なら背中であれば 
経絡なんてのは判らなくてもいいから 
とにかく自分の手足の指先から
筋肉に血液を循環させることをちょっとだけ意識しながらやってみる。
手は左からな。足は右足から。 理由 http://ameblo.jp/badlife/entry-10004163650.html
何かがちがうはずだ。
   
何も判らない人は、また別な手段を考えることにしような。
「これは即効性があるぜ!」ってのを紹介したいのも一つあるんだけど
問題は幾つかの約束事があって
ちゃんとそれを守れないとマズイこともあるので
今の俺は、それをどうやって伝えようか思案中だ。
何?って、電気カミソリ(シェーバー)を使う方法なんだけど
使い方を間違えるといろいろと、ややこしくなってくる問題もあるんだよ。
んまぁ、独り暮らしの女の人とか
「うちにそんな物はない!」
という人にはそれまでなんだけど
たとえば、金魚を飼うときとかに使う、ブクブクって空気の泡を立てる機械…。
あれだよアレ。名前はなんだっけ? 忘れた。
ブロワーだったか? 
んまいい。それでもいいんだけど…
あとはねぇ。似たようなところで日常生活の中で使ってる物としては
携帯電話でもいいんだけど、最近のはダメかもな。
簡単に云うと振動と電磁場を利用するわけなんだけど
人間の細胞に流していい電磁波の数値と秒数。
そして流していい場所と、やっちゃ駄目なとこは決ってるわけ。
そういうことを判らずに、1970年代後半から今日までの間、
様々な健康器具や医療用具、美容器具が売りまわされてきた。
そういう世の中では、今はもう、
「この器具は医療用具承認番号があっても使ってはいけません」
とハッキリと使用を禁止された物もある。
そういうことを解らずに無闇に使用させて、
使用者が何人も使用中に死んでしまったことを揉み消した業者も世の中にはある。オバケ
だから、機械ってのは、どんな物でも自然ではないので
昔のアンマキにしてもヘンな音がする磁気治療器にしても 
使い方を誤ると大変に危険なわけ。
使う人は自分の身体に対して使う分にも
必ず、人間の創られ方の基本を知ってなくちゃならない。
ましてや他人様の身体に対して何か施そうなんて考えは危険極まりない。
文部科学省や厚生労働省が奨励する、どのような治療士の資格を取得しようとも 
国の指導には、機械を使って人の身体を診るようなことを教えてるようなのは
ほとんどないはずだ。
ところが、その資格だけでは喰っていけない開業医のうち 
何百、何千人もの雑学の達人(「先生!ではないが人間についてはまったく無知で
機械を使って何かをしようとしてしまう。
売る方も売る方だけど、買う方も買う方だ。
「これだけの臨床体験データうんちがあります」だの、
「●●●企画適合のドクロに認められた製品です」だとか、
笑わせるなっつーの。
自然界の産物として精巧に創られた人間に試作段階のような機械を宛がっといて
「先生、先生、今度また新しいのが出ましたよ!」
アホか。
具合の悪い人は新しくなってねぇじゃん。むしろ前より悪くなってる。
でもって、それ以上に身体の具合が悪いのは患者より治療士の資格もった先生だよ。
そういう人は全国に大勢いる。
中には患者と喧嘩して、全国を逃げ回ってる人もいるよ。モグラ
だからやっぱり機械はダメだな。
もっと自然なのがいい。
機械に頼れば頼るほど、人間は嘘をついたことがバレないように
また嘘をつかなければならなくなるよ。自分に対してはとくにな。
するってぇと、シェーバーの利用もオススメできませんなぁ…。
どうしようか? 
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
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