『五要穴』 と 『十要穴』  | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥
   
   
      http://ameblo.jp/badlife/entry-10017555338.html  ☚ ここのつづき 
   
   
今日はまだ、基本的な人体の経絡については二つしか紹介してないんだけど
12経絡のほかにも、督脈【とくみゃく】とか任脈【にんみゃく】とかもあって 
専門的には、(経脈【けいみゃく】)も入れると 
普通の人には何がなんだか判らなくなっちまうし、
そういう経絡線上【けいりゃくせんじょう】にあるすべての経穴【つぼ】を覚えるなんてことは
今のこの日本では俺と松本君以外には無理だ。
だから、ポイントとして、
「ここを中心、支点に使いこなせば、だいたいの支障、症状、不具合に対応できる」
っていう便利な経穴もある。
たとえば、
五要穴【ごようけつ】十要穴【じゅうようけつ】
ということで、
『幻の村上流派』にも伝えられているを紹介しておく。
ただし、そこには、今日のこのページに登場した肺と大腸のほかに
様々な臓腑にまつわる経絡線上の経穴の名前も出てくる。
従って、人間の肺と大腸の関係だけを聞いて見て覗いただけでは
ここに紹介した『五要穴』と『十要穴』を完全に使いこなすことはできない。
だから、ここまでの途中、少しだけ触れたような感じもしないでもないけど
人間の胃と脾臓、心臓と小腸、膀胱と腎臓、心包と三焦。そして、
奇系八脈【きけいじゃちみゃく】という中では最も重要な任脈と督脈について。
これらは後日、順を追って丁寧に伝えてゆこうと思う。
今日はまず、肺と大腸の関係から、腕や肩の筋肉にある経絡線上の経穴ってのを
覚えられるようなら、なんとか知っといてもらえると 
今後の日常生活の“何か”の役に立つ…かも知れない。
   
   
       五要穴
   
   肚腹の病は三里に鍼を留め
   腰背の病は殷門に求めよ。
   頭項の病は後渓に尋ね
   面口の病は合谷に収まらん。
   胸脇にもし病あらば
   速やかに内関に謀るべ
   
   
       十要穴
   
   三里と内関の穴は
      胸腹の病に妙訣を中(当)て 
   曲池と合谷とは
      頭面の病を除くべし。
   腰背に痛み相連るときは
      殷門と崑崙穴をえらぶべし。
   頭と項にもし病あらば
      後渓と風池がよく
   環跳と陽陵泉は
      膝前と胸脇の病を兼ぬ
   たとい三百六十穴あるも
      わずかに十の要穴を外(超)えざらむ。

   
   
ということで、人類古来の医学中国)には、このように詩の形に
経絡線上の経穴とその効果や使い分けを要約していたわけだ。
そして、この『五要穴』と『十要穴』を完全に使いこなせるなら、
人間の身体、全身にある12経絡線上の
366の経穴を覚えていることと同じだと云われている。
   
『五要穴』と『十要穴』の中では、それぞれに、
三里【さんり】ということの区別が判りにくい感じなんだけど 
人間の身体には、手の三里足の三里という経穴があるので
大腸にまつわる経絡線上では、手三里【てさんり】ということになる。
人体経絡図2.手の陽明大腸経を参照  )
   
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ちゃんとした鍼灸学上では、通常の人間の肩の凝りや痛みも首の張り具合も 
必ず合谷【ごうこく】手三里を併用して
鍼を打って、そこへ灸をすえるような治し方があるんだけど 
手の陽明大腸経【ようめいだいちょうけい】に属す経穴として
その経絡線上へ滞りが認められる場合は
曲池【きょくち】 (自分の人差し指から真っ直ぐ上へ辿った肘関節外側にある窪みの中)
という場所も、首や肩に現れた幾つかの症状を治すために使うこともある。
ただ、曲池というところは、人間の上半身の血圧にも左右する経穴なので
単にこういう場所を刺激してみて、肩こりや四十肩、五十肩などの
「腕があげらんない」という情けない状態を治したり、
そういう部分の痛みを緩和させたりすることが可能な場合と
そうではない場合がある。
そのためには、人間の下半身の筋肉にある気血の循環も考えなければならない。
たとえば、人間の胃の流れ(人体経絡図3.足の陽明胃経 下の図)の足三里【あしさんり】
基本的な併用の仕方に選ぶとか…。ここまでくると、ちょっとしたエキスパートかもな。
   
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経絡線上に実在する経穴というのは
もしも筋肉を切り開いてみたとしても、どこにも見えるわけではないし 
本来は鍼の点のような、すべての経穴の場所を正確に定められるようになるには
ある程度の知識と経験も必要になる。
たとえば、簡単に人の言葉で言う「肩こり」ってことには
一本や二本の経絡だけの問題じゃないんだけど 
世間のおかしな認識には「四十肩」「五十肩」という、
「誰が決めたの? その年齢制限?」てな感じで 
いったい全体、その人の身体が具体的に、どこがどうなってるのかが 
どこの接骨院や整形外科の先生にしてもマトモに説明できはしない。
「この骨に対して神経がドーノこーの…」と、
それを聞かされている患者が何を納得できたというのか? 
それは肩こりばかりでなく、腱鞘炎とか肘関節の故障や不具合 …不具合って言葉は便利だな
なども含めて、人間が人間の身体を部分的に診て解ったフリをしてる限りは 
患者や病名の数が増えても、
完治したという事例が ほとんどまったく出てこない…現代医学が行き詰まった証。
   
たとえば、
手首から肘、腕の筋肉にかけての血液循環の支障により 
人間の大腸にまつわる経絡線上では、どこが最も悪くなるのか? 
そしてそこが悪くなるまでに至った経緯として
その人の身体が、全体的にどうであったのか? 
ここんとこを、治す側(鍼灸治療師など)はもとより 
その本人が、生きるための生活の知恵として
自分の身体を自分で理解する必要がある。 (ここが重要だな。難しいかも知れないけど
んで、
手首から肘、腕の筋肉にかけての血液循環の支障により 
人間の大腸にまつわる経絡線上では、どこが最も悪くなるのか?
” 
そういう場所ってのが、たとえば大腸の経絡で云うなら…
   
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ここだ。
「肩」にを合わせた文字で肩【けんぐう】という場所なんだけど (外字作成が面倒だ!
図のように肘を曲げて地面(床)より水平に構えたときにできる窪みの中央。
その場所が人間の肩の関節を覆う筋肉の支点となる。
ところが、日本のアホな鍼灸師とかは、ここへ直接に鍼を打ったりしてしまう。何本も。
それは間違いだ。
どうしても最近の人間(現代医学常識っぽい人)というのは
結果的に悪くなった場所を無闇に触って壊してしまい、
なおのこと治らない状態にしてしまう。
それは、数々のプロのスポーツ選手が自分の選手生命を失うほどの怪我とか故障。
一生懸命、命懸けで闘っていながらも足腰を痛めて 
一生かかっても治らないような筋肉障害という爆弾を抱え、
肉体の支障に苛む生涯を過ごさなければならなくなっちまうことも同様に 
人間の身体は、一旦 悪くなった場所をそっとしておいて
他から補ってやらなければ、治るものも治らなくなっちまう。
究極的な話のように聞こえる人もいるかもしれないけど 
それは特別でも特殊なことでもなんでもなく
人間の創られ方の基本だ。
日常生活に譬えれば
火事で全焼しても生き残った家族は
その日その場の着の身着のままの生活を余儀なくされても 
周囲にいる近所の人や親戚の者が援助してあげて 
その人たちがまず、寝て休んで何か食べ物が食べられる状態に
他の場所の者が助けてやらないと
その人の心も身体も決して、回復や復興に導けはしない。
それを現代医学や戦後教育のアホな一般常識は 
悪くなった場所に対して、「働け!」だの「努力を重ねろ!」だのと言わんばかりに
患部や辛い症状で痛んでいる場所を虐め、壊し、なおのこと苦しめている。
抗癌剤治療なんてのは、その最たるもんだ。アホ。
そうじゃなくって、自然界の河川が海へ流れる道理と同様にして 
人間の身体にも流れがある、つながりがある。
腰にしても頭にしても、痛い場所は誰がなんと、どう言おうと痛いわけだし 
フィルターを被された頭の中では とぎれとぎれになってるかも知れないけど
手も足も頭も臓器も顔の目鼻や口も耳も、全身が一体化した状態で
ひとまとまりになり、その「痛い」「苦しい」と感じられる心で、その肉体を動かしている。
それを現代医学ってのは馬鹿だよ、幼稚で浅墓焼香 。 愚の骨頂だね。
オメデタイことに自分たちの崇拝する博士くん達の名前ごとにつけられた病名の数だけ
●●科」「××××という、あらゆる科に別けて
人間の身体をバラバラに診て考えて、それを治そうと努力している。
ナニナニ大学の付属病院の総合病院が、「総合」なんて名乗って看板をあげていながら
その中には人間の身体と心をトータルして診れる医者は一人もいない。
ましてや、人間の身体全体の65%が筋肉で出来ていて
その筋肉の中に臓器が順序よくキチンと並べられて、それがすべて
血液の循環で結ばれていることを診て知って、切り開いて覗いて診てまでいるくせに
医学には「筋肉科」という科もなければ、筋肉を診て解る医者がいない。
そんな人たちを世の中の人は、先生!とか呼んでいる。平気な顔して。
本人も「オレは医者だ」ラーメンという顔で、一部の歯科医と外科医の関係以外はみんな、
   
   Nips&Japs
   
こんな格好をして歩いてる。
そのあとを付いてまわる両手で摩る胡麻をいっぱい持ってる薬屋の人たちも
「先生と一緒なら大丈夫」しっぽフリフリという顔をして
その“先生”ってのも医者ばかりでなく、政治家先生とも釣るんだりして 
料亭の厠トイレで小便こいたりしている。
おもしれぇ世の中になっちまってるもんだ。
クスリってのは何だ? 貧乏人をこらしめるためにあるのか? 
そうじゃぁねぇだろ。
人の命のうち、肉体の苦しみを和らげたりして心を救うために開発されてきたもんだろ。
「違うね」という人がいるなら、前へ出なさい。
さて、並んでもらってから、どうしようかねぇ? 
読者のみなさんも考えて。十字架の緑色がどうとか言ってる場合じゃないよ。
高額医療費 は一般家庭を火の車にして、今や火山の火口へ追いやろうとしてるんだ。
そんなことやってりゃぁ、いつの日か厚生労働省もぶっ潰れるぜ。
倒産間近で、父さんも倒産してぶっ潰れちまう。
んで、そういう悩めるお父さんの肩や背中の痛みや腰痛ってのは
どういうことかというと、
何度もいうように、上の図に見事に当て嵌まるような体形で
膝の裏を曲げたヨボヨボな格好で立って歩ってて
全身の筋肉に酸素も血液も満足に回せないような状態に問題があるわけ。
とくに、ここまで説明してきた人間の肺と大腸の関係に加えて 
   
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この背中側の気と血の流れが全面的に おかしくなっちまってるために 
腰や背中も肩甲骨のあたりも 肩も首も後頭部も 
痛かったり重かったり苦しくなって具合が悪くなっちまってるわけ。だいたいの人がな。
先の『十要穴』の中で
   
   「腰背に痛み相連るときは
      殷門と崑崙穴をえらぶべし。」

   
という一節があった。詩の形で。
それが… 
   
   7taiyoue  クリックで拡大 
    人体経絡図.足の太陽膀胱経
   
ここだ。 殷門崑崙 / 上の画像中、赤い文字で示した場所)
腰痛、肩こり、首の張りや重み、人間の後頭部に起る様々な問題(惚けとか脳卒中など)、
背中の肩甲骨のあたりの痛みや腫れってのは、 (その他にも色々あるけど省略。またね。) 
この両足の4箇所を使って治す 。 但し、正しい鍼灸学を理解してる人はな。
でもって、一般の人は、
「そこは私のカラダのどこ?」
「おめぇは簡単に云うけど、オレの足のどの辺なんだ?」

てなことで、自分の身体にも確実に実在する経絡線上の経穴を 
今スグに正確に定められるのかってことも、困難ではないけど 
ネット上の文章だけでは無理がある。
  
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先日、もんたさんの番組 で、人間の膀胱にまつわる重要な経絡のうち、
崑崙【こんろん】という場所へ、番組内では経絡も経穴の名称もなかった
「マッチ棒か爪楊枝を2センチ大に割って、それを
自分の外側の踝とアキレス腱の間に
縦にバンソウコウ等で貼り付けて
上から軽く、何度か自分の手で押してみる」
 
などと判りやすく、ちっとはマシな感じで説明してる大先生もいたけど 
あれはあれで、予防医学のようなオリジナル健康法なんだろうな。
俺のように難しい(?)用語はいっさい遣わずに、視聴者を楽しませる番組づくりの一貫だ。
ただ、古来から受け継がれた整然としたモノを継承する意味では 
テレビってのには限界がある。たぶん、あの先生にもそれなりの覚悟があったのかも知れない
んまぁ、テレビはテレビ。俺は俺。
「ここがポイントだよ…」って判りやすくする意味では、
今日も長々とした文章を読んでくれている読者のみなさんにも 
何か得をしたような気分にさせるサービスも必要だ。 (お前のそーいう失礼な言い回しが読者を減らす?
んでだなぁ、
とにかく今、「背中が痛い」とか「腰が辛い」なんて云ってる人がいたとするなら…。
   
まず、全裸になる。
  それから床へ寝てみる。
  いや、嘘だ。服を着ててもいい。
  とにかく、平らなところへ仰向けになってみてくれ。
  して、真っ直ぐに足を伸ばして、全身の力を抜いてリラックスする。
  次に、ゆっくりと口で息を吐きながら両方の足首を手前へ起こす。
  要は、自分の爪先を徐々に引き起こす感じ。自分の力で。
  んで、このときに注意すべき点。なるべく、膝を曲げないこと
  ここが重要だ。
  でもって、引き起こした両方の爪先を
  今度は鼻で息を吸いながら元へ戻す。
  これを10回程度やってみてくれ。
  待ってろ。いま俺もやってみる。
   
どう? 終った? 
それと…まだあんだよ。

   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
そのまま寝た状態でいいので (パンツも履いたままな
  伸ばした足を床に対して45度に立てる。
  して、左足の膝の上へ右足のカカトを乗せる。
  乗せたカカトを少しずらすと、左膝の上へ右足のアキレス腱の辺りが固定される。
  要は、右の足首の筋が、45度に立てたままの左膝の中心に当たる状態。
  どぉ? できた? 
  でもって、その乗っけた右足を左膝へ押しつけるように 
  ググッと伸ばしてみる。
  右足の膝の裏が左膝の山へ来るまで、グッと伸ばす。
  あんまり力を入れすぎないでね。
  このときに自分のふくらはぎが痛い人もいるかも知れないので
  無理は禁物。軽く押し延ばす感じでいいよ。
  次に、再び右の足を手前にひいて、元の位置へ戻す。
  これも10回程度。呼吸は普通でいい。
  右足をやりおえたら、同様に、左足のふくらはぎの筋肉にも、
  そういう屈伸運動での刺激をしてみる。
   
  するってぇと、どうだ? 
  背中や腰の筋肉があったかくなってこねぇか? 
  首もラクになって、目もあいてきた感じでしょ? 
  背中が痛かった人も、かなりラクになって 
  呼吸も落ち着いてきたりする人もいると思う。
  たったこれだけのことなんだけど 
  人間の膀胱にまつわる経絡線上の気血の流れってのは 
  こうやって自分で促すことができるわけだ。
  朝晩やってみると、その日に使う前と使ったあとの
  自分の肉体という道具の手入れ、管理・保管、始動準備にもなる。

   
して、こういうことが、経絡ってもんなんですよ。
マッチ棒もいらないし、バンソウコウもいらない。
常日頃からの自分の肉体に対する責任感。心がけを怠らないなら 
どっかの治療院を回り巡るためのバス代も要らない。
だから、どんなに痛くなった場所、悪くなった場所だけを
診て触って弄り回してみても、一時的には善くなったように思えても 
次に痛くなったり重くなったときは、もっと酷い状態になる。
決して悪い場所を診ることだけが医学ではない。
人間の創られ方ってのは医学では解らないし 
医学が人間を治せるわけでも、創ったわけでもない。
治す…治したいというのは、まずは本人の心がけからだ。
自分の肉体は他人様の物ではないし、人間は他人様を解るほど立派ではない。
そこいら辺の年寄り連中のように、いつまでも「お医者さま」なんて感覚で
他力本願にもあっちこっちの病院や治療院、診療所を盥まわしに回り巡っているだけでは
この国の医療は、もう袋小路でお花見してる連中の最期の晩餐会になっちまうよ。
スゲェ大宴会で繰り拡げられる晩餐会。最終の。終末の。
んまぁ、そんな…そこまでの状態は、未だ一般の人の頭の中には
鮮明に浮かんでこないかも知れないけど、もうそれが視えてる人もいるよ。一人二人じゃなくね。
ジョーユー君や林イクオ君てのは、そういうところも見間違えて、あんなことやっちまったけど
宗教と医学と政治と経済と教育は、ゴッチャゴチャにして改革するもんじゃないわけ。
物には順序ってもんがある。
社会の底辺から自然に革命が勃る順番てのは決ってるんだけど
まずは自分自身だ。
世界を変えるには自分自身を変革させるしかない。
焦らず、先走りせずにな。
ということで、そういう順序が乱れた社会の中で生きる人間の
身体の中の順序の乱れも、ひとつひとつ丁寧に自然界の道理に適った捉え方が必要だ。
   
して、おもいっきりギターを弾いて歌うことを生涯の職業としている人も 
妻子のために朝晩ほとんど寝ずに働いて 
また今日も、朝も早くからタンクローリーを運転しているお父さんも 
ドラムを叩いてるチャーリーワッツ さんも http://ameblo.jp/badlife/entry-10004134331.html
黒板に短いチョークで一生懸命に何かを書いて生徒に教えようとしている学校の先生も 
まずは、
   
   handHAIKEIedit  人体経絡図.手の太陰肺経の一部 
   
ここの筋肉を大事に考えてくれたまえ…ばいいんだけど…どうかお願い…しますです。 
   
   gyosaiHAND  これは一龍(4歳のとき)の手形画像 
   
ここがですねぇ、肺と大腸の表裏を成して、手のオモテというか甲側の
合谷【ごうこく】人体経絡図.手の陽明大腸経参照という場所と一緒に、血液の循環が鈍くなってきてしまうと
ゴルフのスウィングも辛くなるし、長時間のクルマの運転も腕、肘、肩に大変な負担をかけることになる。
そのときに煙草を吸う人なら、一本 火を灯してみて
「はぁ~っ」と煙を吐いてみてもいいんだけど、
吸わない人は、深く、腹の底から息をゆっくり吐いてみて。

んでもって、必ず自分の左手から、ここ(魚際 / 肺の経絡線上)と一緒に
合谷大腸の経絡線上)を優しく揉んでみる。裏表。
場所は手の平をいっぱいに広げると 
上の図で赤く示したあたりに 
骨と骨が三角っぽくなった窪みがある。 (反対側だとよく判る)
そこの中心だ。
手の表側も裏側も必ず左手からもんで、息を吐いてみる。 
するってぇと左と右の両方の手を数十秒間でもほぐしているうちに 
なぜだか、肩や首の凝りや疲れもとれてきたり、目が開いてきたような気持ちにもなってしまう。
ただ、全部の人がじゃねぇよ。
もしも今、何らかの過剰な労働や運動の末に自分の全身が疲れきってしまってるような人は 
まずはもう無理はせずに、一回そこへ(もうどこでもいいよ)横になって休んでくれ。
寒けりゃ、毛布の一枚でも段ボールでも新聞紙でも何でもいい。くるまって。
んで、目が覚めてから、次の内容を読んでみてね。
   
   
   俺もひとまず休憩する。珈琲のんでくる。砂糖なしで。
   
   
    つづく  http://ameblo.jp/badlife/entry-10017555448.html