今の社会に悲惨な事件が起こる原因について (仮題) 前半 | “Mind Resolve” ~ この国の人間の心が どこまでも晴れわたる空のように澄みきる日は もう訪れないのだろうか‥

俺は何者かに蔑まれたり
世間的な常識観点(?)から大勢の前で
自分の程度が劣っているようなことを取り立てられても
「恥ずかしい」ということはない。
なぜなら、自分と他人、他人と他人、そういう人間同士を比較するということに
意味がないし、馬鹿げたモノサシでしかないと思っている。
とくに、画一化教育社会まる出しの最近の日本においては…。
また俺は、大勢の者が同じ方向へ流される場所で落ち着くことができない。
そもそも、世間の一般常識とか社会常識、常識的、非常識という、
この“常識”というもんに疑問がある。
常識と良識の意味が違うように、
何か一つの目的を達成するために、努力する者と工夫する者には大きな違いがある。
自由や平等、権利ということも、今の社会から外れて
“対・自然界”となると
多くの人々には、まったく義務を伴わない身勝手な権利の主張が多すぎる。
もう遣い物にならなくなった明治・大正・昭和の常識を引き摺った頭で。
 
こんな時代のこんな世の中なので
気を抜いた隙を狙われて騙され、一杯くわされたり、
あるいは自分が招いた結果として他人を傷つけたり…
そういうことで何か取り返しのつかないような問題にぶつかったときは
俺も人間なので、焦ることもある。
それは、先行きどうなるのか?
自分がどうなっちまうのか?
今この時点で、残りの命が短い人も、長生きしそうな人も
誰もが自分のことを判らない不安なところにいて
時には何かに追われて焦る心境…とは、また違う。
なるべくなら、気取らずに余裕をもって
そういう焦りや苛立ちみてぇなもんがないようにもしたいよな。 (誰の何に云ってる?
 
こんな野郎だから、これまでも様々な者に嫌われ
行く先々で罵られ、人前で散々コケにもされてきた。
その時、「悔しい」と思ったのはいつだったか?
いつ頃からか、何かに対して「悔しい」と思う気持ちも抱かなくなった。
「妬む」とか、「狭い枠の中で競い争う」ということもしなくなった。
ただ、「何かを憎む」とか「世の中に迷惑な身勝手さを許せない」
などの部分が俺の中で拭い去れないことは今でもある。
…誰もが自分を説明する理屈を並べれば切りもないし
   何か決まりきった“言葉”なんてモノに
    適当に当てはまる人間はホントはいないんだけどな。
 
想えば、幼稚園年長組みの時分、
遊戯ホールの積み木箱の奪い合いで
俺が頭上に掲げた箱馬を
「やれるもんなら投げてみろよ」と言われたので
素直に相手の頭へ目掛けてぶつけてやった。
血を吹いて大怪我だ。4~5歳にして傷害罪。
“ジュンちゃん”て名前だったか…。
普段は仲良しだった。
それが、「悔しい」とか「畜生」「気に喰わない」…
と、心から思ってしまった最初だったか。
そのほかにも、他人の生命を危険にさらすような経験は幾度かあった。
俺自身も面をカッターナイフで切られたり、鋭利なモノで足を刺されたりしたこともあった。
また、自分の発する言葉で人を傷つけたこともあった。
それは、よくありがちな「何気ない言葉が…」なんてもんじゃなかった。
親でも、兄弟でも、友人でも、目上の者でも、男女を問わず
「普通そこまでは誰も言わないだろう」
というような言葉で相手を突き放したりもした。
最低。極悪人だ。
物理的に他人を攻撃し、どこか肉体的な損傷を負わせることより
言葉で傷つけられた人の心は治らないし、治せない場合もある。
言ってしまった本人の心は、それ以上にもっと治らないかも知れない。
「自分は すべての人類の敵。世の中に何よりの害かも知れない…」などと
そういうことに深く落ち込み、悩んだ時間も長かったけど、
いちばん最悪なのは、自分で自分の息の根を止めることだ。
これほどの兇悪犯罪はない。
その命が勝手に失われたことの痕に残された者、
親兄弟の心の傷は、決して治らない。
 
世の中のすべての兇悪犯罪者の共通点というものは
肉体の異状。筋肉の異常と変形。血流の不具合だ。
そして、突発的に犯罪を犯す者の“目つき”というものは
常に吊り上がっているか、人間の眼とはちがう獣の状態。白眼の色もちがう。
幸い、俺の場合は、あと一歩。「ここが寸前」というところで
人の言葉でいうところの「理性」が働き、抑えることができた場合が多かった。(…今のところはな
ところが、その人の生活背景や環境下の話のそれ以前に
それが可能ではないほど精神と肉体が荒んでしまっている者には
自分で自分を抑えようがない。
最近は、そういうケースが目立つようになってきた。
肉体と心の釣り合いがバランスを失った状態…という解釈を超えて
肉体を支配する心が、肉体の不具合で かき乱されてしまう…。
ここに、殺人や殺傷、傷害や過失という犯罪が勃発する、
その根本的な原因を解明する鍵…の、一つがある。
それは、膨大な、「あらゆる検証データに基づく」とされ、
それでもまだ少なすぎる資料を基にしただけの統計的な判断で
学識高い学術論者のような先生方が騙るモノとは別だ。
人間本来の創られ方の基本としての
肉体という外枠と、心という中身の不一致。
犯罪者の心理、精神状態と、肉体の関係。
 
細かく云うと、肝臓という臓器と、全身の筋肉の関係に問題があるんだけど
人間の頭ってのは、身体の中でもかなりの重量を占める。
走る電車にわざわざ飛び込み自殺してしまった者の身体が
線路の四方八方に散らばってしまったとき
迷惑にもそれを片付ける人は左右のどちらかが判らなくなった手足よりも
頭部を運ぶのに苦労するらしい
ボーリングの玉ではないが、耳の穴に指を入れて、落とさないように運び片づける

生きているうちは、さほど社会に迷惑をかけたわけでもないのに
死んでからの方が大変な迷惑をかける連中も最近は多くなってきたけど、
誰が許す許さない以前に、そういう迷惑行為は
もともと“生きる”という義務を課せられ、
生かされる宿命を与えられた人間の、自然界に対する叛逆行為でしかない。
自殺した者の(生前の肉体の問題による)精神の異常心理状態と
他人を傷つける犯罪行為に至るまでの人々の心持ち、その発端にも
かなりの違いがあるけど、共通点は、頭脳の変質よりも、肉体の異常。
そして、生まれついて人間の心が悪いということは絶対にありえない。
罪を犯した結果に至るまでに、そういう人たちの肉体がどんな状態だったのか?
ということが重要なポイントだ。
 
んで、そういう…
それほどまでに重量のある人間の頭部。その中身で
世間一般、人並みに
「ああでもない、こうでもない」と思い、悩み苦しんだり、考えている…とされていることは
本来は、頭脳とは別に、人間は肝臓で物事を考えるように創られている。
そしてまた、人間の肝臓という臓器は、五臓の中で
「怒る」「激怒する」ということの感情の制御も司っている。
そして、五味五臓【ごみごぞう】の中で、肝臓は甘味を好む臓器でもある。
それらは、近頃の“脳の研究者”の先生方が言うところの、
「脳内におけるナントカの分泌が~」という、
カタカナで専門造語を並べて騙り腐る問題とは関係ない。
死んだのか殺したのか判らない人間の頭を切り開いてみて、
その脳細胞の一つ一つを吟味、探りながら、データを集めただけの内容には
曖昧な点、推測や憶測でしかない部分が多い。
人間というものは、医者や学者が言うほど簡単な物ではないし、
人間の肉体の構造も、心理(心)も行動も、すべてにおいて脳味噌が支配しているわけではない。
脳味噌ってのは、五臓が何かを感じ取るための信号を発する部分であって、
心、精神というモノが、人間の頭の中だけにあるわけではない。
心というものは、全体の肉体を支配している。…本来ならな。
だから、人の行動も物事の考え方、捉え方も、それぞれの性格も、
人間は、脳より先に、五臓という臓器が司る作用、働き、職責職務、義務の遂行、役割分担がある。
解剖学と統計的判断だけで、人間について何か騙ることは
新興宗教の教祖連中に大勢の人々が子供騙しにされたことと大差ない。
頭の中だけが宇宙空間へ行ってしまい、身体障害になってしまう天文学者も同じく。
人間の心と身体が常に一体で動いて関係している事実のうち、
世の中の学問、学識には、あまりにも見落としている点が多すぎるってことだ。
 
人間は肝臓で物事を考えるように創られている。
全身の筋肉細胞に張り巡らされた血管に流れる、大量の血液を蓄えている肝臓。
この肝臓という臓器は、人間の「眼」と関係している。
「目は口ほどに物を言う」ということも、そこから来ている。
犯罪者の多くは、この肝臓の機能が正常ではない時間が長いために
全身の筋肉が硬い。
そのために、血液が流れにくく、冷たくなっている場所が多い。
「冷血」という言葉も、そこから来ている。
とくにその滞っている場所というのがどこなのか?
 
それを判りやすく説明するためにだけ
一つの学問体系のようなモノを引用するけど、
俺がこのサイトで取り上げている“経絡”【けいりゃく】というモノも、
自然界に生かされる人間の創られ方。その基本構造を判りやすく説明する上での、
一つの材料でしかない。(…“カツオ爺さん”の意志を引き継ぐと。)
だから今これを読んでいる人の中でも、素直に
自分の何かに気づこうという心がけを持つ人には意味があっても、
自分が本屋で買った『健康知識ごった煮』の安い本や専門書の内容と照らし合わせ
それと見比べてるような人にとっては、意味がない。
そういう粗捜しのような残飯処理は、しない方が、後々の自分のためでもある。
俺が書いている内容は、何かの学問や専門思想ではない。
人がこの世に生きるために必要とされるべきだった基本的知識。その一つでしかない。
途中、腑に落ちない点が幾つかあったり、本筋には余計な部分の話も出てきたりするので
読みづらく、ときどき混乱する場合もあるかも知れないけど、
どこかで何歩か譲ってもらって、俺の書いている内容に、単に感動するということも
ある意味では間違いだ。こんなことは、ちっとも素晴らしいことでもない。
聞いたことも見たこともないような話も多いので
最近の『シロウト雑学ブーム』みてぇな流行りに嵌っている人にとっては
「キャパシティが拡がる」などの解釈も出てくる…かも知れないけど、
そんな、無駄に立派なモノではない。
むしろ、こういうことが、今日の人類から失われ、
巷の教育文化や教育常識に捻じ曲げられてしまっていることを残念に思った方がいい。
人間が生きるために本当に必要なことや
万人が共有すべきモノが揉み消されるような社会にいる自分を
「恥ずかしい」と感じてみた方がいい。俺も含めてな。
だから決して、「知識は宝」ではない。
それが自分が生きるために必要以上で、邪魔になっているなら、
どんなことも、いかなる知識であっても、むしろそれは自分にとっての敵。
あるいは、必要以上に「学習する」「追求する」ということは、この時代において罪悪でしかない。
大事なのは、素のまま生のまま、産まれた時のままの姿、その在り方だ。
 
これまでも、今後これからも、そういうことを踏まえた上で、話を進めてゆく。
 
どの人の、誰においても、人間の身体にある整然として実在する正しい経絡のうち
手の少陽三焦経【てのしょうようさんしょうけい】という気血の流れる路線がある。
これは、心臓・肺臓・肝臓・腎臓・脾臓(腹筋)という「臓」の、「陰」の経絡。
     小腸・大腸・胆嚢・膀胱・胃という「腑」の、「陽」の経絡。
そして、心臓を包む膜である心包【しんぽう】を一つの腑として
それらの臓腑にまつわる手足十本の指と、顔の目・鼻・耳・口・舌に関係する、
そのすべての経絡の流れを司っている。少陽三焦経。
 
 10syouyousannsyou
 
人間の両手の小指(と薬指の間)から肘、二の腕の外側、肩の後ろ、
首筋を辿って、耳の陰、コメカミの上まで繋がっている。
すべての犯罪者は、この流れの通りに筋肉が冷たい。
犯罪者とまでは行かなくても、
いつも苛々してるとか、「怒りっぽい」「怖い」などと他人に思われてるような人は、
その人の性格や血液型はたまた遺伝子がどうのこうの言う以前に
肝臓と胆嚢の関係の、陰と陽のバランスが崩れたことにもより
コメカミの辺りが痛いので、梅干とかエレキバンとかを貼っている人もいる。
しかも、普段から甘い物が大好きな人が多い。
(…甘い物が好きでも、まったく逆の場合もある)
 
んで、普段からカッカ カッカしているような、
そういう人の肘の辺りの筋肉を触ってみると、異様に冷たい。
そしてこれは、太っているとか痩せているとかには あまり関係ない。
すべての流れを司る“身体の軸”が不安定な状態。
俺もときどき、不安定になる。
そういうときは、他人に危害を加える以前に、自ら危険を察知して
この関係の血液の流れを補ってやる必要がある。
具体的には、その時の呼吸の状態も含めて
手首や肘の筋肉をどうにかするんだけど、   (どうすんだよ? 説明しねぇの?
問題は、全身の筋肉のうち、とくに、
上半身に上昇し過ぎた血気の異状を、下半身の方へ下げてやらなければならない。
んまぁ、人間、怒ってる時とか、いきり立ってる瞬間には
そんな悠長な余裕はないんだけど、
自覚のある人は、前もって知っておく心がけが必要だ。…俺も含めてな。
そして、「肝の異常行進」を抑える腎臓機能と、それを守る腰の筋肉の強化。
   http://ameblo.jp/badlife/entry-10004163605.html
 
世の中には、自分の都合で、他人が自分の思い通りにならないことが判っていても
それに腹を立ててしまう人も沢山いる。
ここで「比較する」という考え方に置き換えるなら、
俺の場合は、そういう抑えられない感情を抱くことよりも
もっとヒドイかも知れない。
とにかく、物事の道理から外れたことが絶対に許せなかった。
人の心が人の心を裏切る行為。
そして、馬鹿し合い、馴れ合いの末に起きる不始末や不祥事。
こういうことは今でも根本的に許せない。
見ていて黙っていることもできない場合も、日常の中、多々ある。
 
俺もそんなに、何かそれほど立派な人間でもないのに
人間一人一人の創られ方が違って、産まれついて役割分担があるのに
みんなと同じようにできなくて当然のことを
無理やりにやらせたり、「教えられた通りに やらなければならない」とする常識が許せない。
「ある程度は妥協して、みんなに合わせないと…」
割と健康で落ち着きのある人に そう言われても
途中までは我慢してやってみるけど、
長つづきはしない。
それはもう生まれたての体質というか、
自分の過去を振り返って よくよく考えてみると
やはり物心ついた時は、既にそういう人間だった…。
 
ところがだ。
つい最近(10年くらい前)までは、そんなふうに思っていた自分自身も
それが一概に、単なる「自分の性格」という問題では済まなくなって来た。
ここに、俺の父親の兄である“和マサ”という奴が
21歳で自殺したという犯罪問題が絡んでくるんだけど、
それについての詳細は、このサイト上であちこちに分散して書いている。
あとで順序だてて一ヶ所にもまとめようとも思っているが、
今日のところは、また別のページを参考にしてもらうことにして、
問題は、自分と他人の区別。
自分と自分ではない者の意識の区別。
ここが重要だ。
しかも、『犯罪心理学の盲点 』としては、
本来の人間の創られ方としての肉体と心理(心,魂,精神)の関係を
具体的に掘り下げてゆく必要がある。
常日頃、過剰に世間を騒がせてしまうマスコミ報道における問題も含め、
いま現実の世界で頻繁に起きている様々な事件や犯罪が
人間についての何を見落としているために、
戦後教育の弊害に拍車をかけるような今日の社会の有様になっているのか?
学者の意見や色々な学識に、何が不足し、何が欠けているために
“罪を裁くこと” と “罪を犯した者を裁くこと”が混乱した世の中になっちまってるのか?
人権や法律の絡み具合で複雑に社会や人の心を苦悩させている現状の、それ以前に
「ここから先は越えてはならない」という、防止する本能の欠落…
一人一人の人間の中で働くはずの理性、感情の制御。
あるいは
自由意志を自由にできずに暴走してしまう憎しみや怒りを、どこまで抑えられるか…。
それは、個人個人が自分の肉体を正常に管理する上で
「やるつもりはなかった」という後悔にいたる前の
自分の制御能力として確立しない限りは
世間で詠われる犯罪防止は、今後、何の意味もなくなってくる。
今それほど、日本全国、各地域の至るところで、
人々の心と身体が荒み、諸々の犯罪が起りやすい状態になっている。
 
人間の肉体の65パーセントが筋肉でできていて
筋肉細胞には細胞核の中にまで毛細血管が伸びている。
その長さは、もしも一本に繋げた場合、
(成人にしておよそ)地球を2周半も廻るほどの長さになると云われてる。
そこへ、心臓という臓器が、24秒毎に一回転する速さで血液を送ってる。
その量は、一日にして、およそドラム缶40本分だ。
そんな物スゲェ速さで人間の全身の筋肉へ循環してる血液。その大半は
肝臓という臓器の中にある。だから、全身の筋肉を司る臓器は、肝臓。
この肝臓へ、きれいに濾過(掃除)した血液を送ってるのが
人間の腰にある二つの腎臓という臓器の仕事だ。
腎臓がその仕事をサボると、肝臓の中は汚れてしまう。ドロドロになってしまう。
サボらせた要因は、「腰がイテェ」とか「足腰が冷えている」などということばかりでなく
その人の呼吸や体型の崩され方にもよるけど、
上半身と下半身を繋ぐ太い動脈と静脈が足の付け根にある。
陰部の両脇の辺りの筋肉の中。
(鼠頚部リンパ節の辺り / 正しい鍼灸学上で脾臓に纏わる経絡の衝門しょうもんと呼ばれる処の中…
その太い血管を圧迫している内臓の下垂状態。
ここに一つ、あらゆる殺人事件や人間が苦悩する結果へ至るまでの、根本的な原因がある。
 
 04hizoukei
 
内臓下垂【ないぞうかすい】ということを
他のページでも再三、しつこく解説してきた
(つもり…だ)けど、
西洋医学に偏った世間の常識の範囲内では
この問題はさほど重要視されてはいないし、
それについて、このサイト上に説明がある中でも、
幾つかの点で疑問符が浮かぶ人もいたかも知れない。
たとえば、脾臓【ひぞう】というモノも
西洋医学では、右だか左だかの脇腹にあるモノを示して「脾臓」と呼んでいる。
“カツオ爺さん”が書いた幾つかをはじめ、古来の正しい医学の上では

とくに、おなか全体の筋肉、腹筋そのもののことを「脾臓」と云っている。
この脾臓というのは、臓器として形はないんだけど、
人間の五臓の全体的な運行を司る役目を持っている。そして、
人間の脾臓は、一週間の曜日の中では土曜日。「土」、自然界の大地に喩えられている。
そして人間の五志五臓の中ではとくに、胃と関係していて、
人間の営みにおいて、「憂う」「嘆く」(悩み苦しむ)ということに大きく関わる臓器。
また、人間の脾臓(お腹全体の筋肉)は
その人の身体の全体の運行を司る役割を果たすために「酸っぱい味」を好む。
年寄りに漬物好きの人が多いのもそういうことだ。
老化してきた全身の運行状態を補うために、ああゆう物を好む。
そして、筋力が弱く、低下している人ほど、本能的に酸っぱい物を要求している。
妊婦がミカンとかを食べ過ぎるのも、そういうことだ。(…マタニティ・ブルーの人とか
んで、
脾臓。要するに、おなか全体の筋肉。腹筋てもんは、
すべての腑(大腸・小腸・膀胱・胆嚢・胃)を支えている。
ところが、腹筋に内臓を支える力がない人は、
そういう中身が全部、下へ下がってしまう。 (女性の場合は子宮までもが)
下腹部が膨れている幼児体形の人。
そういう人は、普段から肺の呼吸も浅く、
下腹部の筋肉細胞(腹筋)が動くほど、深い呼吸がない。
だから、全身の筋肉が生きて活性化するための酸素も行き渡らない。
当然、血の巡りも悪くなる。
それに輪をかけて問題なのが、足の付け根の太い動脈と静脈の圧迫だ。
足の付け根の血液の流れが悪くなって、その辺りにシコリがあったり、
 
 
んにゃ~、タイムリミットだ。
これから船に乗って東京へ行かなければならない。
 http://ameblo.jp/badlife/entry-10013242735.html
続きはまたあとで書く。すまん。
じゃぁね。
 
 
 
ということで、いま渋谷のネットカフェにいる。
 
冒頭に書いた、
   「自分と他人、他人と他人、そういう人間同士を比較するということに
   意味がないし、馬鹿げたモノサシでしかない」
という、これは非常に難しいことだ。
俺自身、そう云っておきながら、
他人の存在を自分の決めつけた言葉に当てはめて
何かと何かを比べ、評価してしまう発言も、少なからず日常の中にある。
「言葉の暴力」という意味では、非常に危険な行為だよな。気をつけないと。
たとえば、現代医学の上で、本当は癌でもない人が、
「癌の疑いもあるんで、心配だから採ってみましょう」などと言われ、
その時点から人は、
オレは、私は、「癌で死ぬのでは…」
そう思い込んでしまう人もいる。
採って調べてみた細胞が陰性であっても陽性であっても、
そのように疑いを持たれ、
しかも、世間のお医者様の言葉に絶大な信頼を抱いている人は
そのように悩んで、陰に篭った瞬間から
自分の肉体における血液の循環までも変えて(滞らせて)しまう場合もある。
「血が引ける思い」とか…。
そしてもし、結果的、部分的、統計的な判断に基づく内容で
「陽性」とか「第一ステージ」などということになると
「やっぱり癌か…」ということで、癌患者にされてしまう。
また、そんなことには関係なく、
たとえ自分の肉体の中で知らず知らずに、
どこかの細胞に触手を伸ばして居座ろうとする癌細胞の、それが
小さな小さな状態があったとしても、
人間として生活する日常の中で
自然界の流れに沿った生活リズムを取り戻すことにより治癒力が働き
知らず知らずのうちに自分で治している人も…中にはいる。(最近は少ないけど
たとえば、ある日、ものスゴク臭いタール便が出たりして…とかな。
 
お医者さんの医療行為の中で、最も重要とされることは
患者との対話。つまり、問診【もんしん】ということなので、
最近では、自分が人より何倍も勉強し、経験を積み重ねたことがどうあれ、
そういうことを常に大切に考えておられる先生も、世の中には存在する。
だから、ほかのページで、「現代人のほとんどの癌は医原病だ…」
などという俺の発言があったとしても、撤回はしないけど、
それほど極端な言葉に決めつけてしまうことも
よくよく考えてみると進歩的ではなかった…かも知れない。
 
今日、伊丹哲也さんのLIVEを観て聴いた11曲のあとに、
この渋谷のネットカフェで、中司さんのページ を読んでみて、そう思った俺がいる。
 
インターネット上では、どんな言葉も発言も、ある意味、一つ一つが“情報”なので
千差万別に考えが異なり、十人十色の人が犇めき合う世の中では
何者かのどこかに誤解を招く場合もあるから、
自分が最後の最期まで責任を持てないことは、あまり簡単に書かない方がいいよな。
…もっとも、その、「責任」てことでさえ、人によって受け止め方がちがうけどな。
 
そういう意味で、ここから先、続きを書き進めて行くことにする。
 
 
まず、人間の身体の頭の天辺から足の爪先まで
全身を24秒間で一回転する速さで回されている血液ってのは
全身の筋肉のどこにおいても滞りがあってはならない。基本的に。
ところが、最近の現代人の多くは、直立したときの姿勢がまっすぐではなく、
膝を曲げ、腰を落とし、猫背になって、
ところどころの筋肉を変形させた人が多い。
それは、スガタミ(ブティックの試着室で…)とか、自分を横から見てみると判る。
 
そんなヨボヨボ老人のような格好では…
いや、年齢には関係なく、そのように体型を崩した状態では
血液も酸素も、全身にまんべんなく、正常に廻るわけがない。
それでは、どこか痛いとか、だるい、重い、辛い…などということがあって当然だ。
とくに、足の付け根にある太い静脈と動脈が、
ポコッと膨れた下腹部の中で、本来の位置とは別の場所にある内臓により圧迫されている。
そのために、下半身の筋肉に血液も気も流れにくくなっている。
だから、極端に内臓が下垂している人ほど
上半身に血の気が多いし、人によっては冬でも「あつい、あつい」と言っている人もいる。
あるいは、直ぐにカッとなったり、怒りっぽい。
 
「私は高血圧だ」などと納得してるような人でも
普段から腕の一部分だけで計って診た血圧と
自分がまだ知らない下半身の筋肉の血圧には大きな違いがある。
人間を部分的に診て捉えても
あらゆる統計データ(情報)に照らし合わせて出た何の結果も
今の世の中の現代医学ばかりか、今の社会の常識の中では、一部分の情報でしかない。
人間は、一人一人が、もっとよく自分自身を観察するべきだ。
 
とくに、今日、ここで取り上げているテーマのひとつ、
話の本筋として取り上げた問題の、“犯罪者の肉体と精神の関係”…については
今後、世の中に、誰がどう対応して、何をどのように解決すべきかが、
あらゆる面で、今よりもっと複雑に混乱し、大勢の人が悩み苦しみつつ、増加する傾向にあるので
法律も、その関係に携わる人も、精神分析をはじめとする学者や学識も、社会の防犯対策も
もっともっと、人間そのものを見つめなおした正しいプロファイリングを築いてゆくべきだ。
 
でないと、もう間に合わないし、(何が?) 今後も、
これまでの世間の常識では理解も解決も不可能な犯罪が増え続けてしまう可能性が高い。
事実、アホなマスコミは
「今までにない戦慄の~」などという言い方で
視聴率アップのために 
雨風呂内のアクセスアップにも近いか?)
世間一般の人々が嫌がることばかりを垂れ流して、追い回してる。
社会は、こんなことをいつまで繰り返して エスカレートさせるつもりなのか?
みんなが同じ方向へ流れ、流され、
みんなで同じことをやっていられる安心感が、果たしてどこまで重要なのか?
価値観の問題ではない。
俺が伝えようとしているのは、自分たち人間が
明日の世をどう築いて行こうとしてるのか? という、すべての生存、生死に関わる問題だ。
 
ここでまた、「生きるか、死ぬか」という言葉で極端な解釈を持ち出すと
そんな話は厭きてしまうし、誰もつづきを読む気もなくなってしまうかも知れないので
俺も以前のような、物事をかい摘んで幅広い範囲の話に持ってゆくようなことは、
今後はなるべく避けたい。
そして、
 
 
   あ、もう時間だ。
   電車に乗って帰る支度を始めないとだ。
   すまん、つづきはまた、家へついて、いっぷくしてから書く。
   何事も慌てずにな。
 
   あんまり時間もないんだけど。 ほんとは、こうしてる間も…。  06月12日(月) 03時30分
 
 
まだちょっと時間があった。
 
人は、自分だけの力では どうにもならない問題にぶつかったとき
スグ隣か、あるいはそのまた隣の人か…、
自分とは別の経験を持つ人の知識や意見を参考に、物事の対処にあたってきた。
ところが今はもう、それが間に合わないほど、
自分の抱える問題も、周囲に巻き起こることも複雑になってしまった。
この日本では今、人間が生きて成長し、大人になればなるほど、人は悩み苦しんでいる。
それこそ、何か悩んだ末に「胃が痛くなった」という経験がない人の方が少ないほど
心ばかりでなく、肉体までもが健全な状態を保てず、変容、変貌してしまう。
肉体が病めば心が悩み、
心が荒めば肉体は病んでくる。
一心同体。人間の心と身体は常に同時進行だ。
そしてそのバランスが保たれなくなった結果に
自分の思い通りにならない思いが、とんでもない結果を生じさせてしまう場合もある。
 
何かカッとなったときに、堪えられればよいものを
どうしても、手や言葉が、のちのち後悔する問題に先走ってしまう。
それは誰にでもあるし、生きていて一度も怒ったことがないという人はいないので
みんなに共通して判ることだと思う。
それが、その先走る程度が、第三者が訊いてみて血の気が引くほどの、
これまでにない残忍なことや残虐なものだったりすると、
これはもう、七曲署の藤堂さんではどうにも解決できないし、
かつて「落としの山村」と呼ばれた刑事さんも、取調室でカツ丼を用意させる 意味がない。
 
何か凶悪な犯罪を犯す人(?)にしても、今までは
町の交番の“人相書き”にも、「この顔ならな…」と、納得のしようもあった。
ところが今は、『Gメン75’』のようなテレビドラマの内容を遥かに上まわるかの如く
 「なんで この人が?!」
ということになっちまってるケースが多い。
その犯行の理由にしても、
 
   あっ、時間。 じゃね。                          06月12日(月) 04時06分
 
 
 
 
 
    後半へ、つづく ☞ http://ameblo.jp/badlife/entry-10013698092.html