「戦略なき平和論」ほど空虚なものはない。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

課題がたくさん解決できる


 今こそ、陸軍記念日と海軍記念日を復活させ、

「平和の為の戦略」を語れ!


「戦略なき平和論」は、

空虚であり、相手によっては危険である。

では、「平和の為の戦略」とは何か。

それは、古代ローマから明確に提唱されてきた。

即ち、

「平和を欲するならば戦いに備えよ!」

これだ。


本年五月の広島で開催されたG7サミットにおける

我が国政府と総理大臣の戦略なき平和論は、空虚であった。

さらに、相手が

ロシア、中共、そして北朝鮮であるから、

危険である。


この度のサミットにおいて、

G7各国首脳を広島の原爆資料館に案内するのは、

広島市広報課係長の仕事であった。

では、

我が国の内閣総理大臣の仕事とは何であったのか?

それは、

「核攻撃を抑止する為の戦略」を、

明確に語ることだった。


G7首脳諸兄姉!

広島に来られて、

核攻撃をうけた惨状が如何なるものか

実感されたであろう!

よって、私は、

広島と長崎に次ぐ三度目の核が

断じて我が国に墜とされないようにする責務を負う

日本国の内閣総理大臣として、

諸兄姉に、次の通り言う。

理解されたい。

我が国は、

将来、

断じて核攻撃を受けない為に、

強力な核爆弾を保有する!


・・・     ・・・     ・・・     ・・・


亡くなった加瀬英明さんが言っていた。

若い頃、アメリカの政府高官に、

「もし、あの時、日本が核を保有していたら、

アメリカは、核を広島と長崎に墜としたか?」

と質問すると、

彼は即座に答えた。

「墜とせるはずがないだろう!」


現在における「平和の為の戦略」である

「平和を欲するならば戦いに備えよ」とは、

具体的に、

「核攻撃を受けたくないならば核を保有せよ!」

である。


以上、

いささか「空虚」に過ぎた広島サミットが

終わった後の五月二十七日

先日記したように、

対馬北部の殿崎で行われた

「日露対馬沖海戦百十八周年慰霊祭」

に参加した。

そして、

長崎県知事(職員代読)と対馬市長の挨拶を聴いた。

そこでも、「戦略なき平和願望」が語られていた。

そこで、挨拶を促されたので、

対馬市長がいるので語っておこうと思い、

対馬が、

「ロシア(ソビエト)の侵略を受けなかった理由」は

巨大な砲台群の存在にあると語った。


(前史)

ロシアは、一八六〇年、清国と締結した北京条約によって

沿海州を手に入れて、

初めてユーラシアの東の海洋(日本海)に出た。

そして、

さらに南の不凍港を得て太平洋への通路を確保するために

対馬を欲し、早くも一八六一年、

ロシア軍艦ポサドニック号を対馬の浅茅湾に侵攻させ

湾の奥の芋崎に接岸させて

永久租借を要求して五箇月にわたって居座った。

その後、明治新政府は、

東京湾にアメリカ、そして、対馬にロシアの

外国軍艦が侵入して居座り、

国家的危機を招いた幕末の経験から、

二度と再びそのような侵略を受けることがないように、

東京湾と対馬に砲台群を築き、対馬を要塞化した。

しかし、

大東亜戦争後、我が国を占領したアメリカ軍は、

対馬の要塞から大砲を撤去したので、

現在は、

対馬各所に巨大な大砲の台座と武器庫だけが遺されている。


以上の「前史」を前提にして、

私は殿崎で次のように述べた。


数年前に、対馬の砲台跡を廻ったとき、

対馬市がそこに掲げている説明文を読むと、

そこには、

「この砲台群の大砲は、一度も実弾を発射していない。

何と、無駄で無意味なことをしたのだろうか」

と書かれていた。

私は、この説明文を

勝手に壊して撤去しようかと思った。

何故なら、この対馬市の説明文は、

この砲台が果たした歴史的役割を何等理解していないからだ。

大東亜戦争の敗戦によって、

天皇が日本軍に停戦を命令されたとき、

ソビエトは、躊躇うことなく

樺太南部と千島列島に軍事侵攻してきた。

そして、今、樺太南部と千島は、

ロシアが占領したままだ。

もし、同じ時期に、

対馬に砲台群が無かったらどうなったと思われるか?

ソビエト(ロシア)は躊躇うことなく

幕末と同じように対馬に上陸してきて、

対馬はロシアのものとなり、

今の対馬島民は、

樺太と同様、ロシアの支配下で生きているだろう。

しかし、現実は、ソビエト軍は対馬に来れなかった。

何故なら、

明治以来営々として築いた

対馬要塞の巨砲群が対馬にあったからだ。


・・・     ・・・      ・・・      ・・・


日露戦争に於ける明治三十八年五月二十七日の

対馬海峡に於ける

我が連合艦隊によるロシアのバルチック艦隊撃滅と、

これに先立つ同年三月十日の

ロシア軍との陸上決戦となった

黄塵の満州における奉天大会戦の勝利は、

世界史を転換させた歴史的事件となった。

二十世紀初頭に於けるこの二つの勝利がなければ、

二十世紀中盤以降の世界において実現した

人種差別撤廃と植民地解放はなかったであろう。

この意味で、我が国は、

この二つの戦闘に勝利して

二十世紀の世界史を転換させた國として、

三月十日の陸軍記念日と

五月二十七日の海軍記念日を、祝い、

勇戦奮闘して國に命を捧げた将兵を讃えるべきである。

 

西村眞悟FBより

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