古人曰ク 勝ッテ兜ノ緒ヲ締メイヨト | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 

明治三十八年(一九〇五年)五月二十七日、

日本海に浮かぶ対馬の北東海域において、

遙か欧州のバルチック海から、

大西洋とインド洋そして南シナ海を経て対馬沖に至った

ロシアのバルチック艦隊を、

我が国の連合艦隊が迎撃して、ほぼ全艦を撃沈して勝利した。

これを日本海海戦と呼ぶ。


対馬在住の有志は、

二十年前の平成七年(二〇〇五年)五月二十七日に、

この遙か北東方向に、この海戦海域を見渡せる上対馬の殿崎の高台において、

日本海海戦の勝利から百周年を記念するとともに、

戦没した日露両軍兵士を慰霊する集会を開いた。

以後、対馬の有志は、毎年、五月二十七日に、

対馬駐屯の陸海空自衛隊も参加してこの集会の開催を続け、

本年の令和七年(二〇二五年)五月二十七日には、

日本海海戦勝利百二十周年の集会を挙行した。

毎年この集会においては、参加者全員が起立し、

海戦海域の方向に向かって、腹の底から、万感の思いを込めて

「海ゆかば」を歌って終わる。


私は、この集会の準備段階の平成六年から、

毎年、五月二十七日には、

殿崎の丘に立って北東の海を眺め「海ゆかば」を歌ってきた。

その間、対馬の行政や教育界からは、

「海ゆかば」を歌うので参加できないとの「苦情」があったが、

主催者は、

「それなら参加するな」

と返答して集会を続けて本年に至っている。


そこで、本年五月二十七日の対馬殿崎の丘で思ったことを記しておきたい。

現在、ロシアは、ユーラシアの西のウクライナにおいて、

NATOというヨーロッパ対露軍事同盟との戦争に勢力をつぎ込んでいるが、

この西方が沈静化すれば、

必ず、東方の西太平洋、即ち我が国周辺、特に対馬周辺海域における

勢力拡張運動を開始する。

西のバルト海から東の西太平洋にまたがる広大な領土をもつロシアの「習性」は、

西で軍事的緊張が高まれば、現在の様に東では静かにする、

そして、

西で軍事的緊張が無くなれば、東の海と陸における攻勢を強める、

ということだ。

よって、私は、

本年の対馬の殿崎において、

日本海海戦に勝利した連合艦隊の最高指揮官東郷平八郎元帥が、

連合艦隊を解散するにあたり読み上げた「連合艦隊解散の辞」を締めくくるに当たり

警告した次の一句を、繰り返して呟いていた。


「古人曰ク 勝ツテ兜ノ緒ヲ締メイヨト」


西村眞悟時事通信FBより

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