古事記編纂1300年 第1部(3)太陽への信仰 祈りの原点。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









【日本人の源流 神話を訪ねて】





 古事記では、天照大御神(あまてらすおおみかみ)がこもった天岩屋戸(あまのいわやと)は天上界の高天原(たかまがはら)にある。しかし、この地がそうだと伝わる場所は京都や徳島、沖縄などに多数存在する。多くが山あいの洞穴。そして、太陽との関係が指摘される場所だ。

 アマテラスを祭る伊勢神宮が鎮座する三重県。二見興玉神社(伊勢市)の岩屋戸もその一つ。岩屋戸は夏至の前後1週間、岩と岩の中央から日が昇る夫婦岩と対をなす。日の出を拝む夫婦岩に対して西に位置するので、「アマテラスが隠れた場所」というわけだ。

 アマテラスが岩屋戸に隠れたため、ありとあらゆる災いが起きたが、八百万(やおよろず)の神はなすすべがなかったという古事記の筋書きは、太陽はかけがえのない唯一のものと強烈に印象づける。

 闇が高天原だけでなく人々が暮らす葦原中国(あしはらのなかつくに)にも及んだという記述は、アマテラスが天上界と地上界を貫く存在と強調する。後にアマテラスの孫、ニニギノミコトの降臨を描く伏線と考えられ、皇祖神アマテラスの絶対視には皇統の正当性を強調する狙いも見える。


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 天孫降臨の地として知られる宮崎県高千穂町。この地も岩屋戸の伝承地で、その名も天岩戸神社があるほか、天安之河原(あまのやすのかわら)と言われる仰慕窟(ぎょうぼがいわや)もある。

「大昔、阿蘇山の噴火で太陽が隠れたことが、稲作を始めた頃の人々によって天岩屋戸神話になったのだと思います」。そう話すのは同神社の佐藤延生宮司(58)だ。

 神社の西本宮から渓谷を挟んだ山肌には岩屋戸とされる裂け目がある。町内の高千穂峡一帯は約9万年前、阿蘇山噴火で発生した溶岩流が浸食してできたといわれる。「火山灰が北海道まで達したと伝わる噴火もある。タヂカラオノカミが投げた岩戸が遠く、長野県の戸隠に落ちた伝説もあるが、それはこの故事から生まれたのかもしれません」

 日本で稲作が始まったのは弥生時代。稲は九州の北部に渡来し、東進した。「豊作を願う気持ちが太古の噴火の記憶と重なり、太陽をあがめ、消えるのを恐れる思いを生み、神話が生まれたのでは」。佐藤氏の推論だ。


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 〈うけ伏せて蹈(ふ)みとどろこし、神懸かりして〉

 岩屋戸にこもるアマテラスの関心を引くためアマノウズメノミコトが踊った様子を古事記はそう記す。桶(おけ)を伏せて踏み鳴らし、神が乗り移ったような状態になり、という意味だ。記述はアマノウズメが乳房を露出して下衣まで取り、八百万の神の哄笑(こうしょう)を誘ったと続く。日本人の陽性の国民性を暗示するような内容だ。

「神懸かりの際には音を打ち鳴らしたとも考えられる」と荒神谷博物館(島根県出雲市)の錦田充子・学芸員(42)は話す。

 同館は弥生・古墳時代のものとみられる、楽器を演奏している埴輪(はにわ)などから考古学的に古事記に描かれた神懸かりを考察している。「古代の人々にとって音は特別なもので、楽器は日々の生活では必要ない。祭祀(さいし)で使うためにわざわざつくったのでしょう」

 アマノウズメの踊りは神楽の起源といわれる。高千穂町に伝わる夜神楽は文治5(1189)年の年記を持つ文献には「ごじんらく」と記されている。現在の形は近世後期の神道色も強いが、収穫への感謝と豊作を祈願する祭祀的な要素も多い。天岩屋戸神話は日本人の祈りの原点を色濃く伝えるものなのだ。





 ≪天岩屋戸隠れ≫

 天照大御神が治める高天原を訪ねた弟の須佐之男命(すさのおのみこと)は、御殿に汚物をまき散らすなどの悪行を繰り返す。その所業に怒ったアマテラスは天岩屋戸にこもる。

 太陽の神が姿を隠したため、辺りは闇に包まれ、あらゆる災いが起こった。困り果てた八百万の神は天安之河原に集まり、方策を話し合う。

 思慮深いオモイカネノカミの発案で、アマノウズメノミコトが岩屋戸の前で踊り、神々が笑った。不思議に思ったアマテラスは、岩屋戸を少し開けてみた。

 大騒ぎは「あなたより立派な神様がいるから」だと聞かされ、さらに用意された鏡に映った姿を不思議に思って、少しずつ戸から出てのぞき込もうとした時、力自慢のタヂカラオノカミが岩戸を引き放った。

 世界に光が戻り、スサノオは罰せられて高天原から追われた。



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