月かげの虹 -13ページ目

ウソを許さない男


イチロー。変わった男だ。イイ歳をしてヤケに突っ張り、尖った言動を繰り返している。小生意気なガキみたい。ところが、そんなガキみたいな男が大リーグ年間最多安打記録を84年ぶりに更新するという快挙を達成してしまうのだからおもしろい。

『イチローの流儀』。変わった本だ。イチローという男を時系列的に丹念に描いているわけではないし、大リーグ年間最多安打記録を更新した2004年に的を絞っているわけでもない。

何となくエピソードを書き連ねているだけという感じ。しかし、それでいて、イチローの本質に迫ることに見事に成功しているのだから不思議だ。

これまでイチロー本は何冊も世に出ているが、イチローの本質に迫るという点で『イチローの流儀』に敵うものはない。『イチローの流儀』には他のイチロー本と決定的に違う点が1つある。

イチローの突っ張り、尖った言動と真正面から向き合い、これを正直に過不足なく書いているということだ。他のイチロー本はこのことに簡単に触れるだけだったり(イチローに対する遠慮からだろう)、悪意を感じるほどに誇張したりしている(イチローに対する反発からだろう)。

イチローの突っ張り、尖った言動は正直に過不足なく書かれなければいけないのだ。この突っ張り、尖った言動にこそイチローの本質が見事に反映されているからだ。

ところで、マスメディアの一員としてイチローと頻繁に接している人は、イチローの突っ張り、尖った言動に頻繁に接することになる。

『イチローの流儀』の著者・小西慶三さんは、まさにそうした立場にいた人だ。しかもピカイチの立場。なにしろ、試合後にロッカーで行われる大リーガー・イチローとの質疑応答で代表質問者を長らく務めたのだから……。

実際、小西さんはイチローの突っ張り、尖った言動のシャワーを浴びまくっている。凄まじいとしか言いようがないくらいに。あまりに凄まじくて、思わず小西さんに同情してしまうくらいだ。

しかし、小西さんは自分にだけ許された真の特権を見失うことはなかったようだ。遠慮も反発もなしに正直になれるのは当事者だけという特権。

さて、突っ張り、尖った言動に反映されているイチローの本質とは何か? キーワードは"うそ"だ。

イチローは、野球に関しては"うそ"を許すことができない。それがどんな種類のものであっても、どんなに些細なものであっても。自分も決して"うそ"をつかないが、他の人にも"うそ"をつかないことを強烈に求めている。

イチローはライバルから教えを乞われると"うそ"をつかずに正直に教えてあげる。自分に向けられる質問に"うそ"もしくは不勉強ゆえのイイ加減さがないことを求める。

イチローは、自分が自分に"うそ"をつかないようにも心がけている。で、結果よりも自分がどう感じているかを常に大事にしている。

こうした生き方をしている男は世渡りが下手にならざるをえない。自分に向けられる質問に"うそ"が感じられた時、尖った言動をせざるをえないのだ。

結果だけを論じられると、つい突っ張りたくもなるのだ。私はもう、イチローのような男が84年ぶりの大記録を達成したことをおもしろいとは言わない。

『イチローの流儀』を読み終えた今、そんなことは言えない。イチローのような男だからこそ達成できたのだと言わざるをえない。

『イチローの流儀』には、スポーツ選手の言葉の中では最高に知的で最高に感動的なものが載っている。もちろん、イチローの言葉だ。

「……これまで僕が日本で何かを成し遂げたとき、"あいつは特別だからあんな凄いことができたんだ"という言われ方をすることが多かった。もし、まだそういうふうに思っている人が多いならば、僕がメジャーで何かをすることで何らかの影響を与えることはできない。でも、僕のことを同じ生身の人間として、たとえ人と違う何かを持っていたとしても"それは微々たる差である。イチローも同じ人間なんだ"と思ってくれる人が多いならば、僕が何かをやることで影響を与えることは十分に可能だと思っています」

私は『イチローの流儀』を通してイチローから影響を受けた。そして、そのことを嬉しく思っている。そうなるのは私だけではないだろう。

向井万起男「ウソを許さない男」
むかい・まきお 医師)

小西慶三『イチローの流儀』
4-10-302051-2

波 2006年4月号
¥100
新潮社

光と闇の思索者


暗い深い闇を背景に、額に皺の刻まれた男がかがみ、両手でおさえた角材に穴を開けている。その前に腰掛けた少年が右手で蝋燭をかかげ、その仕事をじーっと見守っている。

蝋燭の炎がふたりの顔の接したわずかな空間だけをほの明るく照らし出し、蝋燭にそっと寄せた少年の左の掌は炎の光を通して透きとおっている。神秘的な場面にだれしも一瞬息をのむ。

17世紀のフランスの画家ラ・トゥールの油彩画「大工の聖ヨセフ」。ルーヴル美術館所蔵の137x102センチの大作。

男がヨセフとすれば、少年はイエス・キリスト。少年イエスを描いた絵としても珍しいが、働く父とふたりで描かれたイエスも珍しい。

少年イエスの顔は蝋燭の光を受け、霊的ともいえる輝きを放っている。ヨセフの握っている道具が十字の形になっているのは、磔になるイエスの未来を暗示しているのか……。

よく見ると、少年の眼は父に注がれているのではなく父の左肩の後方、はるか闇の彼方を見つめている。はやくも少年は自分の行くべき道を知っていたのであろうか。

それを察知してか、息子と眼を合かせないで、うつむいて仕事をしている父ヨセフ。すこし開いた少年イエスの唇は何を語ろうとしているのか……。

温かいはずの蝋燭の光もなにか悲哀感をただよわせ、それが、この画面に深い精神性そして宗教性をかもし出している。
ラ・トゥールは、明るい昼や外光による「昼の絵」も描いているが、彼の傑作といえるのは深い闇の中で蝋燭の光に照らし出された人びとを描いた「夜の絵」である。

光の画家といえばレンブラントやフェルメールがいるが、彼らはいずれも外光による光線である。ラ・トゥールは蝋燭の炎という光にこだわった。闇の中でみずからの身を燃やしながら光を発する炎という光源に執着した。

ラ・トゥールの時代の蝋燭は獣魚油や石蝋などが原料で、しかも芯が太かったので、この絵のように炎が大きく、煤も多かった。「闇と光の画家」は煤だらけになって絵筆をとっていたのであろう。

旧約聖書「創世記」第3節は、天地創造について、「神が『光よ。あれ』と仰せられた。すると光がでてきた」と語っている。この世界がうまれるためには、まずこの世界を照ちす光が必要であった。こうして光と闇ができ、朝と夜ができた。

しかし、この世の真実の光「すべての人を照らすそのまことの光」(ヨハネの福音書、第1章8節)、それがイエスであった。イエスは自分を「わたしは世の光です」(ヨハネの福音書(第8章12節)と言っている。

絵画といえば宗教画の時代、ラ・トゥールは「光は闇の中に輝いている」(ヨハネ福音書、第1章5節)という神の光を描きたかったのであろう。

それには、外から射す光ではなく、蝋燭の炎という内から射す光でなければならなかった。

現代は科学の力によって闇の世界を征服し、昼と夜の区別を失い、24時間この世界は闇というものを失った。それは闇があってこそ輝く光の存在を見失うことでもあった。

生と死の実相へのまなざしを曇らせ、人間のもともと持っている生と死への想像力を衰弱させた。ラ・トゥールの「夜の絵」は、かつての光と闇の境がくっきりとしていた時代へといざなう。

それは、ペストや飢饉や戦争の災禍に人びとが日夜責め立てられ、「死を想へ(メメント・モリ)」の声が通奏低音のように響いていた時代であった。

しかし、死の闇を直視していた人たちはまた、生の光をも現代人以上に感知していた。光は日常生活に役立つたんなる照明ではない。

人間が生きていく希望であり道標であった。ラ・トゥールが描く少年イエスのかかげる蝋燭の光は、そのことを私たちに気づかせるのである。

ラ・トゥールの時代はもとより今日のような電灯はなかった。照明としては灯火(ランプ)か松明そして蝋燭であった。

今日の電灯はすべてを昼と同じように明るく照らす。夜を昼に変え、闇という存在を追放した。それが近代文明であり、近代人はしたがって闇という世界を失い、それゆえ光についての思索を忘れさせた。

なにより電灯による光は電灯そのものが光源ではない。外から送られてくる電気によって光る器具である。光源は外にある。電灯の光はあくまでも明るく眩く力強い光である。物理的で無機的な光である。

ところが、蝋燭はみずからを燃やして周囲を照らす。自分自身が光源である。内なる光源によって光る。

「蝋燭は身を減らして人を照らす」という日本の諺があるが、松明やランプのように燃料を足せば燃えつづけるというのではない。1本の蝋燭は燃え尽きれば終わる。

芯と蝋を燃やして終わる蝋燭は、心とからだを燃やして終わる人間に似ている。時間とともにわが身を滅ぼしていぐ蝋燭は人のいのちを思わせる。

蝋燭の光はもとより風によって揺らめくが、風がなくてもかすかに揺らめく。それは見る者の心の揺らめきのように思える。

それだけに、おぼつかなく揺れながら燃える蝋燭の炎は、あたかも生きているかのように見える。それは儚く哀しく懐かしい光である。人間的で情感的な光である。蝋燭はそれ自身、光と闇、生と死、心とからだの思索者といえる。

人はなぜ祈ったり悼んだりするとき、電灯でなく蝋燭を使うのか。今日の私たちも祈り悼む心を表わすときは蝋燭を使う。

キャンドルサービスといったかたちで、洋の東西を問わず祈願や哀悼や鎮魂の場で用いられる。蝋燭の炎は祝祭空間の演出者でもある。

ラ・トゥールが蝋燭の炎で描きたかったのは、キリスト教でいう光であったかもしれない。しかし、異教徒の私たちは、神の光というより、そこに魂の奥底から発する霊的な光、みずからを燃やして輝く聖なる光を思う。

光と闇、明と暗、生と死という相対立するものが溶け合う境地を大事にする日本人のメンタリティにとって、蝋燭の光はもっとも親密な光である。

作家の谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』(昭和8年)で、日本の文化における闇の効用について述べ、蝋燭のほのかな光に照らし出された漆器やロ紅の魅力をことばをつくして語り、「灯に照らされた闇」という逆説的なことばで、蝋燭の光が射しながら、その光が闇を穿つことができない深い闇について語っている。

ラ・トゥールの闇と光はそんな日本的ともいえる闇であり光である。乱れやすい心を鎮めようと、歌人鈴木孝輔はこう詠んでいる。

乱れやすきものと見れども蝋の火の焔が円く澄めるをりふし

立川昭二「蝋燭、光と闇の思索者」
北里大学名誉教授

癒しの美術館 30
ラ・トゥール『大工の聖ヨセフ』
Vita 2006/4・5・6
Vol.23 No.2(通巻95)
(株)BML

ナポレオンの死因


ナポレオンといっても、あのフランス皇帝ともなったナポレオン1世(ナポレオン・ポナパルト、1769~1821)の話。

ロシア遠征がうまくゆかず、そのあとイギリスとのワーテルローの戦いに敗れ、セント・ヘレナ島に流され、幽閉されたまま、1821年5月5日に亡くなったと言われている。

ナポレオンの遺体は、死亡の翌日、イギリスの軍医によって解剖され、その所見から死因は胃癌であると宣言された。

しかし、解剖に立会っていたフランスの軍医は、これは癌ではないと密かに思い反対したが、勝てば官軍なのか、イギリスの意見が強く打ち出されたのだという話である。

それから140年ほど経った1960年ごろ、イギリスのグラスゴー大学の3人の法医学者、スミス、ハミルトン、ワッセンたちが、ナポレオンの遺髪を使って放射化分析により再度死因究明に挑んだのであった。

イギリスでは、人が死ぬとデスマスクをつくり、毛髪を残しておく習慣があるというのだが、そのためナポレオンのも残されていて、それがスイスのある素封家の手許にあることが判明し、その毛髪を使用したという。

放射化分析というのは、例えばある元素に外から中性子線という放射線を当てるとする。するとその元素は放射能を帯び放射化され、α(アルファー)線という放射線を出す。

それぞれの元素は、出す放射線の半減期とかそのパターンが決っているから、もしAという物質に放射線を当てれば、Aというパターンの放射線が、またBという物質に放射線を当てれば、Bというパターンの放射線が出てくることになる。

したがってAとBが混った物質に放射線を当てれば、AとBがそこに含まれていることがわかる。しかも、放射線を使うので、その被検物は形を壊すことがないという利点もあるというのだ。

ところで、人間の髪の毛には、ナトリウム、マンガン、銅、ニッケル、錫、コバルトなど20種類ぐらいの元素が入っているそうだが、この中でちょっと気になるのは、髪の毛の中には、なんと金も入っているとか。

ただしその量は、ppmという100万分の1グラム単位で検出できる程度の量だから、トラック1杯の頭の毛を集めても、たいしたことはないから、ご安心を!

さて、ナポレオンの髪の毛を放射化分析したところ、毛根から2cmから8cmの部分に砒素が検出されたという。しかも普通の人の砒素含有量は、0.38ppmぐらいとされているが、ナポレオンのそれは、lO.6ppmと普通の人の27倍以上の量であった。

分析したイギリスの法医学者は、これは"異常な数値"として、ナポレオンの死後140年にして問題化したのである。

人の髪の毛は1日に約O.35ミリメートル伸びるから、1ヶ月で約1cm伸びることになる。見方を変えると、ナポレオンの髪の毛の砒素が多く出た毛根から2~8cmの部分は、ナポレオンが死ぬ8ヶ月から2ヶ月前までの期間にあたる。

そこで、この期間に何らかの形で砒素を飲まされたのではないかと推測され、その死因は砒素による毒殺であろうという意見が出されたのであった。

これはかなりセンセーショナルなことで、当時大きく取りあげられたという。ところが、1982年になって、イギリスの科学雑誌「ネイチャー」に毒殺説に否定的な論文が報告された。

それは、ナポレオンが砒素中毒になっていたのは事実であるが、その原因は彼が死んだ部屋の壁紙が、その3年前に張り替えられたのだが、その壁紙の塗料に含まれた多量の砒素によるもので、中毒としては十分考えられる。

しかし、その量は死に至る量ではなかったであろうとし、ナポレオンが死ぬ前に現われた砒素中毒の症状は、意図的な暗殺を仮定しなくても説明できるというものであった。

一方カナダで、ナポレオンの毛髪中の砒素を分析しなおし、砒素は確かに多いが、そのほかに高い濃度のアンチモンが検出されたという報告が出され、20年前の技術では砒素とアンチモンの区別が十分にできず、「高濃度の砒素」というのは、アンチモンが含まれていたためではないかと説明している。

死因については触れられていないが、ナポレオンの死の真相は、再び謎につつまれてきたことになる。死後150年も経ってからの話であり、いまさら論じてもという気もするが、興味ある論争であり、科学というものが歴史を変えることもあると言える話かも知れない。

ところが最近、2002年になってこんどはフランスのパリ警視庁法医学研究所のリコルデル教授が、再度放射光を利用した精密解析装置で、ナポレオンの毛髪、それも死亡時の1821年のもの、生前の1805年と1814年に側近に与えたという3種類の毛髪を使って再度検査を行ったというのである。

1805年、1814年というのは、ナポレオンが皇帝の座についた年に一致するのだが、この検査によると、いずれも5~30倍の砒素が検出され、それも毛髪の先端や根元にもほぼ均等に認められたとなっている。

そして、「皇帝は、生涯に3回も毒を飲まされたのだろうか」と疑問を投げ、おそらく保管用の薬品など外部から付着したのだと思われるという結果を報告したのである。

ナポレオンの死因については、イギリスの陰謀による毒殺説がたびたび浮上し、彼の崇拝者でつくるナポレオン協会などが、繰り返し毒殺の説明に取組んでいたが、この報告により、フランス側の研究者によって毒殺説が否定されるという結末となった。

死因をめぐる論争が死後180年も続くというのは、さすがナポレオンだと感じ入るのだが、本当にこれで結着がついたのか、使用した毛髪の真偽なども含めて興味ある話題ではある。

ある哲学者の言葉に、「私が死んだって、自然は木の葉一枚落としはしない」というのがある。凡人たる私など、それがいい、いやそれでいいと思うこのごろであるが、やはり英雄ともなれば、そりゃあ、大変さあ!

西丸 與一「ナポレオンの死因」
横浜市立大学名誉教授
Vita Essay ヴィタエッセイ

1927年東京生まれ。横浜医科大学(現・横浜市立大学)卒業。同大学医学部長、横浜市総合医療センター長など歴任。神奈川県監察医を務めたあと、1999年から船医として日本クルーズ客舶㈱の2隻に乗り組み、年間約150日の航海を続ける。医学博士。横浜市立大学名誉教授。著書にロングセラーとなった『法医学教室の午後』(正・続)を始め、「法医学教室との別れ』(朝日新聞社)『こころの羅針盤』かまくら春秋社『ドクター西丸航海記』(海事プレス社月ドクター・トド 船に乗る』(朝日新聞社)など多数。

Vita 2006/4・5・6
Vol.23 No.2(通巻95)

京のイケズ


入江敦彦は、京都についての本を、何冊も書いてきた。それらはみなおもしろく、またじっさいに、よく売れてもいる。今回の『イケズ美人』もまた、ひろく読まれることだろう。

私ごときが、少々イケズロをたたいても、営業妨害にはなるまい。安心して、辛口のコメントを書くことにする。

じつは、入江の本をあれこれ論じるのも、これが3回目である。入江が京都のことを本にすると、なぜか私のところへ書評の御鉢がまわってくる。とうとう、今回は版元から、その依頼をいただいた.

どうして、いつも私なんだ。私は入江の書評番じゃあないぞ。そんな違和感は、どうしてもわいてくる。

それに、入江だって、いいかげんうんざりしてもいるだろう。また、井上がからむのか。もう、読みあきたよ、と。そんな入江の表情も、まだお目にかかったことはないが、想いうかぶだけに、筆はすすまない。

おまけに、この一文を書いているのは、3月13日。税金の確定申告書類をしあげている最中である。どうやら、税務署には、けっこうまきあげられそうなことがわかってきた。

その直後にこの原稿へ、私はむかっている。おだやかな気分で、作文のできようはずがない。版元にももうしわけないが、少々のトゲやカドは、大目に見てほしいと思う。

本題にはいる。
入江は、女たちヘイケズになれと、説いている。イケズな物言いを身につければ、女の魅力がみがかれる。女ぶりもぐっとあがって、「イケズ美人」になれることをうけあおうというのである。

しかし、どうだろう。イケズを言われて、何も言いかえせなかった男は、やはり彼女をにくむのではないか。「イケズ美人」どころか、鬼女のように思うような気もする。

イケズな女をよろこべるのは、イケズロの応酬ができる男にかぎられよう。やられたらやりかえす。そんな言葉をたがいにもてあそべる関係がきずければ、たのしい社交も成立する。そして、それだけの瞬発力がある男には、イケズな女も魅力的にうつるだろう。

「イケズ美人」だと思われるためには、そういう相手をさがさなければならない。そして、それはけっこう骨のおれる作業だと思う。入江には、イケズの応戦力がある男のさがしかたも、おしえてほしかった。

それとも、どうだろう。最近は、日本人の民度もあがってきた。イケズな社交をたのしめる男も、ふえている。女たちよ、安心してイケズ技をみがけ。イケズな口ぶりに魅せられる男も、現代日本にならおおぜいいるはずだ。そんな判断も、入江にはあるのだろうか。

気になることが、ひとつある。入江はこの本で、誰でもイケズになれると書いている。「イケズは京都が産地ですが、京言葉を覚える必要なんてありません。精神(スピリッツ)さえあればふだんあなたが話している言葉で充分に応用が可能なものなのです」。

以前の入江は、よそ者になどわからぬ京都のエスプリを、うたっていたと思う。だが、この本では「よそさん」を許容する方向へ、すこし姿勢をかえだした。なんだか、京野菜が全国展開で売りだされている光景を、見せられたような気もする。そこのところは、ややせつない。

やはり、民度の向上という状況認識が、入江にはありそうだ。日本中で、いや全世界でイケズはたのしめるというふうに、話をすすめている。前は、京都ならではの文化で、あとはロンドンぐらいしか追随できないと、言っていたのに。

ひょっとしたら、問題はべつのところにあるのかもしれない。私の実感だが、京都では、イケズな女がへってきているように思う。イケズに華のあった京女たちを、このごろはだんだん見かけなくなってきた。

ながらくイケズをはぐくんできた洛中も、空洞化の時期をむかえている。イケズの能力をもった人々も、全国各地へちらばった。遠くは、入江がすんでいるロンドンあたりにまで。

そして、洛中では、イケズとは縁のない「よそさん」がふえていく。私のような。グローバルなイケズのことあげは、京都のそれが衰亡したことによる必然なのかもしれない。

井上章一「京のイケズのゆくえ」
(いのうえ・しょういち 評論家)

入江敦彦『イケズ美人』
4-10-467503-2

波 2006年4月号
新潮社
¥100

方言はあかんのン


大阪方言の「あかん」は「将あかぬ」から生まれたという。私のような大阪人にとっては、「だめだ」と言われるより、どこか救われたような気持ちになることばだ。

牧村史陽『大阪ことば事典』は「大阪では、これを『アカン』と軽くすかしてしまうところに、何ともいえぬやわらかい味がにじみ出す」としている。

10年ほど前の話だが、福島県出身の職場の同僚から「東北の人間からすると、『あかん』は冷たく感じる」と言われたことがあった。「だめだ」の方が優しく聞こえるのだそうだ。ことばの感覚にはこうも違いがあるのかと驚いたものである。

ただ、少しは事情が変わってきているようで、福島県の高校生を対象とした調査(半沢康「東北地方における関西方言の受容実態」)によれば、「あかん(・いかん)の使用率は24%という回答結果になっている(陣内正敬他編『関西方言の広がりとコミュニケーションの行方』和泉書院、2005年)。

「あかん」の柔らかいイメージが東北にも少しは伝わるようになったのかもしれない。もっとも、常に「やわらかい味がにじみ出す」とは限らない。

研究者というもう一足の草鞋(わらじ)を履く。私の目下の研究テーマは「法廷における方言の役割」である。先日知人から借りた公判資料の中にこんな使われ方があった。

「全部撤去して地盤改良せなあかんというような意見を出されているわけですか」。前後の文脈からすると、この場合は相手方を強く批判する役割を果たしている。

研究を進めるうちに、法廷からは方言が締め出される方向にあることが明らかになってきた。最高裁が音声認識装置の導入を検討しているのはその一例だろう。

法廷でのやりとりの忠実な記録に大きな貢献を果たしてきた速記官の養成は中止するという。

「きついなまりや方言については、(中略)裁判官は標準語に直してもらうことで初めて心証を取るわけですから、そういう意味では方言がどういう意味だったかは、ほとんどの場合それほど重要なことではないわけであります」(2004年3月18日参議院での最高裁の答弁)。

2009年5月までにスタートする裁判員制度のキャッチフレーズは「私の視点、私の感覚、私の言葉で参加します」だが、答弁を聞く限りでは「私」を「裁判官」に直した方がぴったりくる。

「方言の時代」などと方言がもてはやされる風潮にあるが、おめでたい話ばかりではないのだ。

環境権を巡る裁判の嚆矢(こうし)となった「豊前環境権裁判」のリーダーで作家の故松下竜一氏は次のように訴えている。「暮らしのなかから生まれたことばにこそ耳を傾けていただきたい」(『豊前環境権裁判』日本評論社、1980年)。

今回上梓した『大阪弁「ほんまもん」講座』にも同様の想いが込められている。

札埜和男「方言はあかんのン?」

『大阪弁「ほんまもん」講座』
札埜和男(ふだの・かずお 高等学校国語科教諭)

波 2006年4月号
新潮社
¥100

自傷が意味するもの


少年鑑別所で出会った自傷経験を持つ少女の1人は、私にこんな話をした。

「その昔、年の離れた兄から、暴力で脅されて性行為を強要されていた時期があった。両親は気づいてくれなかった。というか、本当は見て見ぬふりだった。学校ではみんなにいじめられていたけど、今度は先生が見て見ぬふりをした。とにかく生きているのが辛くて、それを誰かに気づいて欲しくて教室のみんなの前で、カッターで自分の腕を切った。そしたら大騒ぎになって、先生たちから怒られた。親も呼び出されて、父から思いっきり殴られた。そのとき、もう絶対に誰も信じないと誓った」。

この挿話に、自傷行為が意味するものが隠されている。喫煙、飲酒、薬物乱用、拒食、過食……。自傷行為は危険な性交渉とも関係がある。

自傷する若者たちは、自分を大事に思えず、自分には価値がない、消えてしまいたいと感じながら、自己破壊的行動をくりかえしている。誰も助けてはくれないし、誰も信じられない。自分の心の痛みは、自分で何とかしなければならない。そう信じている。

しかし矛盾するようではあるが、その一方で彼らは気づいて欲しいのである。その意味ではまだ完全な虚無主義に陥っておらず、かろうじて一縷の希望を残している。

鈍感な大人たちは「だったら言葉でそういえばいい」というかもしれないが、感情を直截に表現するには、彼らの自己評価はあまりにも低い。

自傷行為といかにかかわるか
中学校・高校の養護教諭から、「生徒から『自傷しちゃった』『自傷したくなっちゃった」といわれたら、どう言葉を返せばいいのでしょう?」と質問されることが多い。

そんなとき、私は、「『よくいえたね』っていってみてはどうですか?」と答えることにしている。相手はたいてい不思議そうに私を見つめ返すが、私はいたって真剣である。

私は、ある種の精神科医と話していると面食らうことがある。「自傷行為は閉鎖病棟の堅い枠のなかで治療すれば改善する。多くは医原病だ」「自傷患者は都合が悪くなるとすぐに解離する。あれは疾病利得を狙った詐病だ」。

彼らはこの嗜虐的な治療哲学を得々と語る。残念なことだ。いやしくも心の治療に携わる者として、肝心な何かが欠落している。強固な治療構造のなかで自傷がコントロールされても、それと心の回復は次元が異なる。人に自分の感情を伝えるのを断念しただけのことなのだ。

もちろん、解離や自傷には疾病利得があるというのは部分的には正しい。確かに、腕力や言葉でかなわない相手に「あなたに届服しない」意志を伝えるという利得がある。そんな風になかなか「屈服しない」から、われわれは自傷行為に苛立つわけだ。

だが苛立つまえに、なぜ彼/彼女が、意志表示のために、そのようにまわりくどい方法を使わなければならなかったのかを考える必要がある。

そもそも解離状態で自傷をする者は、有形無形の暴力・支配・束縛を生き残るために自分の心の痛みに鈍感にならざるをえなかった人たちである。

それを圧倒的なパワーで行動を抑え込み、自傷の持つ感情表現を無視すれば、どうであろうか? おそらく心を堅く閉ざすだけだ。後は、他者との交通が遮断された内閉的生活のなかで、次第に他人の心の痛みにも鈍感になっていくであろう。

その弊害はまちがいなく社会にはね返ってくる。先ほどの少年鑑別所の少女は、大人たちに失望してから、腕を切るのをぴたりと止めたという。その後まもなく、彼女は不良少年たちと謀って援助交際を装った恐喝をくりかえすようになり、結局、少年鑑別所に来ることになった。

彼女が街で男性を誘ってホテルヘと行くと、仲間の男性数名がホテルの部屋に登場し、男性を脅して金を巻き上げるという手口である。

彼女は語った。「恐怖に脅えた男たちが、土下座して、涙を流しながら有り金を全部くれる姿を見るのが快感だった」。めずらしい話ではない。

さまざまな臨床と研究の紆余曲折を経て、ある時期から私は、自傷行為をきちんととりあげることは治療を深めるチャンスなのだと考えるようになった。

そんなわけで私は、「よく言えたね」と患者をねぎらい、大いに関心を持って傷の性状を入念に観察し、さらに痛みや記憶の有無、それから引き金となった状況について詳細に聴取するようになった。

そう、とうとう私は、指導医の忠告とは反対の方向を歩きはじめてしまったのである。

文献
1)Favazza AR : Bodies Under Siege. Self-mutilation and Body Modification in Culture and Psychiatry, Socond Edition. The Johns Hopkins University Press, Baltimore, 1996
2)Izutsu T, Shimotsu S, Matsumoto T. et al: Deliberate self-harm and childhood histories of Attention-Deficit /Hyperactivity Disorder (ADHD) in junior highschool students. European Child and Adolescent Psychiatry (in press)
3)Levenkron S: Cutting : understanding and overcoming self-mutilation, W.W.Norton & Company, inc., NewYork, 1998 (スティーブン・レベンクロン著, 森川那智子訳「CUTTING」, 集英社, 2005)
4)MatsumotoT, Yamaguchi A, Chiba Y, et a1 : pattrns of self-cutting : Apreliminarys tudy on differences in clinical implications between wrist-and arm-cutting using a Japanese juvenil detention center sample, Psychiatry Clin Neurosci 58 : 377-382, 2004
5) 松本俊彦, 山口亜希子 : 自傷行為の嗜癖性についてー自記式質問票による自傷行為に関する調査ー精神科治療学 20 : 931-939, 2005
6)Menninger KA: Man against himself. Harcourt Brace javanovich, NewYork, 1938
7)水谷修 : こどもたちへ夜回り先生からのメッセージ. サンクチュアリ出版,東京. 2005
8) 南条あや : 卒業式まで死にません.  新潮社, 東京, 2000
9) 西園昌久, 安岡誉 : 手首自傷症候群. 臨床精神医学8:1309,1979
10)Owens D, Horrocks J, House A : Fatal and non-fatal repetitjon of self-harm. Systematic review. Br J Psychiatry 181, 193-199, 2002
11) Schaef AW : When Society Becomes an Addict. Harper Collins, NewYork, 1987. (斎藤学訳「嗜癖する社会」. 誠信書房, 東京, 1993) 
12) すえのぶけいこ : ライフ, 1-8巻. 講談社コミックスフレンド, 講談社, 東京, 2002-2004
13) 山口亜希子, 松本俊彦 : 女子高校生における自傷行為ー喫煙・飲酒、ピアス、過食傾向との関係ー. 精神医学 47 : 515-522, 2005
14) Walsh BW, Rosen PM : Self-mutiIation. Guilford Press, New York、1988 (松本俊彦・山口亜希子訳「自傷行為ー実証的研究と治療指針ー」, 金剛出版2005)

松本俊彦「自傷行為」
国立精神・神経センター精神保健研究所

心と社会
37巻1号 2006
通巻123
日本精神衛生会 

自傷と自殺


自傷と自殺
自傷行為の嗜癖化が進む過程で、どんなに自傷しても覆い尽くせないほど肥大化した「生きることの困難」が、眼前に大きく立ちはだかってくる。私が出会った患者はこう語った。

「自傷を行っていて一番怖かったのは、癖になってしまうことだった。初めは『なんとなく」という感じだったのに、気がついたときには日常的にやっていた。自己嫌悪と自傷行為の悪循環みたいになって、そこから抜け出したいのに抜け出すことさえ怖い状態だった。次第に死を考えるようになった」。

「自傷の先には必ず死が見えてくる。だんだん痛みに慣れていって、大量の血にも動じなくなり、最後は死への憧憬に少しずつ囚われていく。悩んで苦しんで、それでも生きたいとどこかで思ってはじめたはずなのに、かえって死に近づいてしまう」。

かつて自傷行為は、その傷害の程度、反復性、行為に際しての意図などの点から、自殺企図とは区別されると考えられてきた。しかし最近の疫学研究は、過去1回でも自傷行為の経験があるだけで、将来の自殺既遂のリスクが数百倍にまで高まることを明らかにしている。

またある研究者は、仮に自傷が生きるために必要なものであるとしても、くりかえす過程での嗜癖化が進行すれば、行為を制御できなくなり、最終的には自殺行動へと傾斜してしまうと警告している。

さらに別の研究者によれば、自傷者は、死ぬために自傷することは少ないが、自傷していないときに死の観念にとらわれていることがまれでなく、あるとき、いつも自傷をしているのとは別の方法・手段(例えば過量服薬)で自殺を試みることがあるという。

自傷行為は、失敗した自殺企図ではないものの、最終的には自殺につながる行為である。演技的、操作的行動として簡単に片付けることはできない。

自傷が意味するもの
私は、かつて薬物依存専門病院に勤務していたという事情から、中学・高校の生徒を対象として薬物乱用防止講演を依頼されることが多い。あるとき、溝演の終了後に生徒たちに講演の感想に関するアンケートを実施し、そのついでに自傷に関する調査をしてみた。

その結果、一般の女子中学生の9%、女子高校生の14%に、少なくとも1回以上自分の身体を刃物で切った経験があることがわかった。

さらにこうした自傷経験者は、飲酒や喫煙を早くに経験し、自尊心が低く、過度のダイエットや過食をくりかえしている者が多いこともわかった。

ショックだったのは、自傷経験者の多くが、私が講演のなかで強調した、「ダメ、ゼッタイ」「自分を大切に」というメッセージに対し、「人に迷惑をかけなければ、薬物で自分がどうなろうとその人の勝手」という虚無的な感想を抱いたことである。

そのとき私は、彼女たちこそが薬物乱用のハイリスク群であると直感し、彼女たちに届く言葉で語る必要があったのだと大いに悔やんだ。

同じ調査を少年鑑別所でも行ってみた。すると、自傷経験者は全女性入所者のなんと60%あまりにもおよび、その多くにシンナーや覚せい剤などの薬物乱用経験、それから身体的・性的虐待の経験がみられた。

嗜癖としての自傷


嗜癖としての自傷
リスカとアムカの両方をしている自傷患者は、下肢や体幹といった他の身体部位も切っていることが多く、火のついたタバコを自分の身体に押しつけるような他の様式の自傷行為もよくしている。

またボディピアスやタトゥーのような身体改造……これも広い意味では自傷行為なのであろうか?……を施している者も多い。つまり、「生きるため」にずいぶんと多くの努力をしているのである。

しかしそれにもかかわらず、このような多部位・多様式の自傷患者は、単一部位・単一様式の自傷患者よりも、自殺企図歴を持つ者が多い。また、重篤な抑うつおよび解離の傾向を示す。

彼らはより頻回に、より多くの部位、多くの方法と、自傷行為をエスカレートさせながらも、結局は「生きるため」「死なないため」という目的を達成することには失敗しているように思える。

いくら切っても切り足りないが、といってそれを止めることもできない。まさに嗜癖である。

確かに自傷行為には嗜癖としての特徴がある。自傷経験者の80%が、止めようと決意しながらも自傷してしまった経験を持ち、85%は、自傷は癖になると考えている。

このことは、自傷行為には嗜癖として特性があることを示唆している。嗜癖社会学は、依存性物質だけでなく、「気分を変えるため」の行動にもまた嗜癖化する可能性を指摘している。買い物、ギャンブル、暴カ……。自傷も例外ではない。

自傷行為を麻薬になぞらえて考えると理解しやすい。それは「心の痛み」に対する鎮痛作用もあるが、その一方で、同時に麻薬と同様、「耐性」獲得もあるからだ。

当初は週に1回「生きるため」の自傷をすれば不快感情に対処できていたものが、次第にその効果が薄れてきて、3日にl回、毎日、日に数回と頻度を増やし、より多くの場所を、より深く切らなければならなくなってしまう。

それだけではない、皮肉なことに、自傷によるストレスヘの対処をくりかえすうちに、かえってストレスに脆弱になり、ささいなことでも「生きること」が困難に感じるようにもなってしまうのだ。

だから早晩彼らは、「友人の態度がそっけない」だけでも、自傷しないではいられなくなる。いくら切っても埋め合わせがつかず、「切っても辛いし、切らなきゃなお辛い」という状態に陥るわけだ。

この状態は、アルコール依存症者における連続飲酒の状態……「飲んでも辛いし、飲まなきゃなお辛い」……とよく似ている。

自傷行為


リストカットなどの自傷行為を扱った書籍が売れている。近年でも、夭折した自傷少女南条あやの遺稿『卒業式まで死にません』、さらに自傷をする女子高生を主人公とした漫画『ライフ』が、ベストセラーとなっている。

インターネットでも、自傷関連のウェブサイトはそれこそ星の数ほど存在する。こうした現象は、自傷行為に共感を覚える若者が少なくないことを暗示している。

実際、「夜回り先生」こと水谷修氏によれば、若者のあいだで、自傷行為はいまや薬物乱用をしのぐ深刻な問題となっているという。

自傷行為が薬物乱用をしのぐ問題かどうかはさておき、自傷行為と薬物乱用のあいだには少なくとも2つの共通点がある。1つは、いずれも故意に自分の健康を損なう行為であり、もう1つは、生きづらさを抱えた若者たちのなかで、一種の伝染性を持ちうることである。

後者が問題である。これが事態の深刻さを覆い隠し、彼らの援助を難しくする。「死ぬ気もないくせに、南条あやのマネをして……」。

当事者にふりまわされて疲れ切った家族や援助者が憤りながらそう語るのを、私は何度となく聞いてきた。だが、本当にそれでいいのだろうか?

リス力とアム力
自傷行為といえば、精神科医療関係者ならば誰もがただちに、「手首自傷症候群(リストカッティング・シンドローム)」を思い出すであろう。

その影響力は予想を超えて根強く、現在でも自傷行為=リストカットという理解が定着している。そして多くの援助者が、リストカットは、境界性人格障害の患者にみられる、演技的で操作的な行動と信じている。

私も研修医時代に指導医から、「自傷行為に関心を持つな。ふりまわされるな。傷の処置も看護スタッフか外科医に任せろ。でないと癖になる」と叱られ、「そうか、そういうものか」と無理に自分を納得させた覚えがある。

しかし実は、こうした自傷行為に関する「常識」には、いくつかの誤りがあるのだ。そもそも最近の精神科診察案で出会う自傷患者の多くは、リストカットをしていない。彼らの大半は、リスト=手首ではなく、アーム=腕(前腕・上腕)を切っている。

実は、当事者たちはとっくにこれに気づいていて、リストカットを「リスカ」なる略称で呼ぶのと同じように、腕を切る=アームカットについても、「アムカ」なる略称まで生まれた。

そのように腕を切っているから、夏場でなければ洋服の袖口から傷がちらちらとのぞくこともない。当然、自分からその傷を顕示して医師の関心を惹こうともせず、こちらから聴かなければ、患者の自傷行為を見逃すことさえある。

何よりも印象的なのは、診察室で向き合っているのに、不思議と遠くにいる感じがすることだ。引きつった自嘲的な笑みを凍らせたまま、「どうせわかんないでしょ」と投げやりでもある。精神科医をふりまわすどころか、そもそも信用もしてなければ、あてにもしていない気さえする。

それにしても、手首を切る者と腕を切る者ではどんな違いがあるのだろうか。私はそれを調査したことがある。

その結果、手首だけを切っているものは、これまでの自傷回数がさほど多くはなく、「死のうと思って」自傷におよぶ傾向がみられた。手首には皮膚から近いところに動脈があることを思えば、当然といえるかもしれない。

一方腕だけを切っている者は、早くから頻回に自傷をくりかえしている者が多く、「怒りを抑えるために」に自傷におよぶ傾向がみられた。つまり、不快な感情に対処するために行っていたのだ。さらに驚いたことに、腕を切る者は解離傾向が著しかったのである。

リスカとアムカ。いずれの自傷行為がより精神医学的に重篤であるかを、一概にいうのはむずかしい。ただ、いずれがより自傷行為として中核であるかなら答えることができる。

ある研究者は自傷行為を、「故意に行われる、自分の身体表層に対する非致死的な傷害であり、明らかな自殺の意図はなく、しばしば気分を変える目的からくりかえし行われる」と定義している。

別の研究者は、自傷行為を「解離性」と「非解離性」に分類し、前者を中核的な自傷行為であると指摘している。こうした定義・分類にしたがえば、リストカットよりも、「気分を変えるために」「くりかえし行われる」という特徴を持つアームカットの方が、より中核的な目傷行為であるといえよう。

自傷と解離
「死にたくて自傷しているわけじゃない。生きるのに必要なもの」
「切ると気分がスッキリしてイライラが治まる」
「心の痛みを身体の痛みに置き換えている」
「自傷は私にとって安定剤みたいなもの」。


まるで申し合わせたように、患者たちはいう。自傷行為が民間療法の1つであるような口ぶりである。

さらに彼らの多くは、自傷している最中には痛みを感じないか、感じていたとしてもその感覚は鈍く、ときにはその行為をした記憶さえ曖昧な場合もあるようだ。まるで半眠りの幽体離脱状態だが、これが解離という現象である。

自傷行為には解離症状を減少させる効果がある。自傷患者は、平常時から痛みに鈍感であるが、怒りや恥の感覚などの不快感情を体験するといっそう痛みに鈍くなる。解離による知覚鈍麻である。

一般に怒りや恥の感覚は、自傷患者の多くが持っている外傷記憶を賦活させやすいが、万一封印されている記憶の箱が一気に開いてしまえば、突然の感情暴発や自殺の危険が高まるであろう。

解離には、心に煙幕を張って、そうした危機的状況を回避する働きがある。しかしその一方で、解離状態に長い時間逃げ込んでいると、文字通り「生きているのか、死んでいるのか」もわからなくなり、冷ややかな灰色の沈黙のなかで自分を見失いかけてしまう。

こうした状態からふたたび現実の世界に戻るには、自傷行為……正確には、自傷によってもたらされる痛み刺激や鮮やかな血液の色彩……が必要となる。

「切っているうちにだんだんと痛みを感じてきて、それで流れている血を見ると、『あ、生きている』と思ってホッとする」と語る自傷者は少なくない。

そして回復したとき、怒りや恥の感覚は消え失せ、さっきまで痛んでいた心は見事にリセットされている。

したがって、患者が、「自傷は生きるために必要」というのもうなずける話ではある。かつて自傷行為のことを「局所的自殺」といった精神科医がいた。至言である。確かに自傷行為は、ある種の爬虫類が命とひきかえに尾を犠牲にするのとよく似ている。

しかしだからといって、われわれは患者の自傷行為を容認することはできない。理由は2つある。

1つは、「心の痛み」が一時的に消失しても、それは解決を先延ばしにしただけであって、問題は依然として残るからである。

もう1つは、この「生きるため」の自傷行為はエスカレートし、その果てには死が見えてきてしまうからである。

オーラ


仏像を見ると光背をせおっている。あるいは頭に円型の光がある。彫刻だと木や金属や石でがっちり頑丈につくられている。

あれが子どもの時にはどうも不思議でしたね。つまりオーラ(AURA)、人や物が発する霊気を視覚的に表現したので眼には見えないものだから不自然なのは仕方がない。

オーラというのは、何も神仏や聖人といった存在だけではなくて、俗人の中にもある。パーティーなんかで人気絶頂の映画スターが入ってくるとスポットが当たったように光り輝いて見える。

アイドルも同じです。やはり光背をせおっている。ところが人気が落ちるとその途端に光は消えてしまう。

カメラでは決して写すことはできない。それなのに見える。見えるというより感じると言った方がいいかもしれませんが。

政治家にもスポーツマンにも漫画家にもある。郷土の大先輩横山隆一先生にも、超天才手塚治虫氏にも立派な光背が見えた時がありました。

本人には見えない。キリストも神仏も自分の頭に光の輪がついていたり、光背をせおっていることには気づいていなかったと思いますね。

でもオーラというのはたしかにある。絵や彫刻で見るのとはちがうが、ある瞬間に光り輝く。多分皆さんもオーラを発する人に逢った経験が何度かあるはず。

ところが全く生きていないもの、たとえば漫画のキャラクターにもオーラがあるんですね。手近なところで自分の作品を例にあげるとアンパンマンにはオーラがある。

でてくるだけで明るくなる。シリーズには2000種類以上のキャラクターがあるが、他のキャラクターは人気はあってもオーラを感じない。アンパンマンの光をうけてそれを反射して光っている。

面白いですね。なぜそうなるのかは解りません。偶然のえにしでこのキャラクターに巡り逢えたのは幸運でした。

手塚治虫氏にも無数の人気キャラクターがあるが、オーラを放つのは鉄腕アトム。ディズニーの場合はミッキーマウス。登場しただけで何もしなくても存在感がある。

時々全く素人のひとにアンパンマンの着ぐるみに入っていただくことがある。仕事が終わって感想を聞くと、「人生観が変わりました」という人が多い。どういう風に変わったのかよく解らないがとにかく気分は良さそうである。

南伸坊氏の顔面学(?)によれば歴史上の人物になりきって顔面をメイクして似せてしまうと、精神もその人物になってしまうそうであるが、アンパンマンになりきればアンパンマンのオーラが自分の身体からもでて細胞が活性化するのではないか。

すると心理療法に応用できるかもしれない、なんてね、思う時もあるがオーラわかりません。

やなせたかし「オーラ」
オイドル絵っせい 149

2006年4月1日付け
高知新聞夕刊