ウソを許さない男
イチロー。変わった男だ。イイ歳をしてヤケに突っ張り、尖った言動を繰り返している。小生意気なガキみたい。ところが、そんなガキみたいな男が大リーグ年間最多安打記録を84年ぶりに更新するという快挙を達成してしまうのだからおもしろい。
『イチローの流儀』。変わった本だ。イチローという男を時系列的に丹念に描いているわけではないし、大リーグ年間最多安打記録を更新した2004年に的を絞っているわけでもない。
何となくエピソードを書き連ねているだけという感じ。しかし、それでいて、イチローの本質に迫ることに見事に成功しているのだから不思議だ。
これまでイチロー本は何冊も世に出ているが、イチローの本質に迫るという点で『イチローの流儀』に敵うものはない。『イチローの流儀』には他のイチロー本と決定的に違う点が1つある。
イチローの突っ張り、尖った言動と真正面から向き合い、これを正直に過不足なく書いているということだ。他のイチロー本はこのことに簡単に触れるだけだったり(イチローに対する遠慮からだろう)、悪意を感じるほどに誇張したりしている(イチローに対する反発からだろう)。
イチローの突っ張り、尖った言動は正直に過不足なく書かれなければいけないのだ。この突っ張り、尖った言動にこそイチローの本質が見事に反映されているからだ。
ところで、マスメディアの一員としてイチローと頻繁に接している人は、イチローの突っ張り、尖った言動に頻繁に接することになる。
『イチローの流儀』の著者・小西慶三さんは、まさにそうした立場にいた人だ。しかもピカイチの立場。なにしろ、試合後にロッカーで行われる大リーガー・イチローとの質疑応答で代表質問者を長らく務めたのだから……。
実際、小西さんはイチローの突っ張り、尖った言動のシャワーを浴びまくっている。凄まじいとしか言いようがないくらいに。あまりに凄まじくて、思わず小西さんに同情してしまうくらいだ。
しかし、小西さんは自分にだけ許された真の特権を見失うことはなかったようだ。遠慮も反発もなしに正直になれるのは当事者だけという特権。
さて、突っ張り、尖った言動に反映されているイチローの本質とは何か? キーワードは"うそ"だ。
イチローは、野球に関しては"うそ"を許すことができない。それがどんな種類のものであっても、どんなに些細なものであっても。自分も決して"うそ"をつかないが、他の人にも"うそ"をつかないことを強烈に求めている。
イチローはライバルから教えを乞われると"うそ"をつかずに正直に教えてあげる。自分に向けられる質問に"うそ"もしくは不勉強ゆえのイイ加減さがないことを求める。
イチローは、自分が自分に"うそ"をつかないようにも心がけている。で、結果よりも自分がどう感じているかを常に大事にしている。
こうした生き方をしている男は世渡りが下手にならざるをえない。自分に向けられる質問に"うそ"が感じられた時、尖った言動をせざるをえないのだ。
結果だけを論じられると、つい突っ張りたくもなるのだ。私はもう、イチローのような男が84年ぶりの大記録を達成したことをおもしろいとは言わない。
『イチローの流儀』を読み終えた今、そんなことは言えない。イチローのような男だからこそ達成できたのだと言わざるをえない。
『イチローの流儀』には、スポーツ選手の言葉の中では最高に知的で最高に感動的なものが載っている。もちろん、イチローの言葉だ。
「……これまで僕が日本で何かを成し遂げたとき、"あいつは特別だからあんな凄いことができたんだ"という言われ方をすることが多かった。もし、まだそういうふうに思っている人が多いならば、僕がメジャーで何かをすることで何らかの影響を与えることはできない。でも、僕のことを同じ生身の人間として、たとえ人と違う何かを持っていたとしても"それは微々たる差である。イチローも同じ人間なんだ"と思ってくれる人が多いならば、僕が何かをやることで影響を与えることは十分に可能だと思っています」
私は『イチローの流儀』を通してイチローから影響を受けた。そして、そのことを嬉しく思っている。そうなるのは私だけではないだろう。
向井万起男「ウソを許さない男」
むかい・まきお 医師)
小西慶三『イチローの流儀』
4-10-302051-2
波 2006年4月号
¥100
新潮社