自傷と自殺
自傷と自殺
自傷行為の嗜癖化が進む過程で、どんなに自傷しても覆い尽くせないほど肥大化した「生きることの困難」が、眼前に大きく立ちはだかってくる。私が出会った患者はこう語った。
「自傷を行っていて一番怖かったのは、癖になってしまうことだった。初めは『なんとなく」という感じだったのに、気がついたときには日常的にやっていた。自己嫌悪と自傷行為の悪循環みたいになって、そこから抜け出したいのに抜け出すことさえ怖い状態だった。次第に死を考えるようになった」。
「自傷の先には必ず死が見えてくる。だんだん痛みに慣れていって、大量の血にも動じなくなり、最後は死への憧憬に少しずつ囚われていく。悩んで苦しんで、それでも生きたいとどこかで思ってはじめたはずなのに、かえって死に近づいてしまう」。
かつて自傷行為は、その傷害の程度、反復性、行為に際しての意図などの点から、自殺企図とは区別されると考えられてきた。しかし最近の疫学研究は、過去1回でも自傷行為の経験があるだけで、将来の自殺既遂のリスクが数百倍にまで高まることを明らかにしている。
またある研究者は、仮に自傷が生きるために必要なものであるとしても、くりかえす過程での嗜癖化が進行すれば、行為を制御できなくなり、最終的には自殺行動へと傾斜してしまうと警告している。
さらに別の研究者によれば、自傷者は、死ぬために自傷することは少ないが、自傷していないときに死の観念にとらわれていることがまれでなく、あるとき、いつも自傷をしているのとは別の方法・手段(例えば過量服薬)で自殺を試みることがあるという。
自傷行為は、失敗した自殺企図ではないものの、最終的には自殺につながる行為である。演技的、操作的行動として簡単に片付けることはできない。
自傷が意味するもの
私は、かつて薬物依存専門病院に勤務していたという事情から、中学・高校の生徒を対象として薬物乱用防止講演を依頼されることが多い。あるとき、溝演の終了後に生徒たちに講演の感想に関するアンケートを実施し、そのついでに自傷に関する調査をしてみた。
その結果、一般の女子中学生の9%、女子高校生の14%に、少なくとも1回以上自分の身体を刃物で切った経験があることがわかった。
さらにこうした自傷経験者は、飲酒や喫煙を早くに経験し、自尊心が低く、過度のダイエットや過食をくりかえしている者が多いこともわかった。
ショックだったのは、自傷経験者の多くが、私が講演のなかで強調した、「ダメ、ゼッタイ」「自分を大切に」というメッセージに対し、「人に迷惑をかけなければ、薬物で自分がどうなろうとその人の勝手」という虚無的な感想を抱いたことである。
そのとき私は、彼女たちこそが薬物乱用のハイリスク群であると直感し、彼女たちに届く言葉で語る必要があったのだと大いに悔やんだ。
同じ調査を少年鑑別所でも行ってみた。すると、自傷経験者は全女性入所者のなんと60%あまりにもおよび、その多くにシンナーや覚せい剤などの薬物乱用経験、それから身体的・性的虐待の経験がみられた。