DV加害者への対応
DVに介入する司法制度や臨床技法はどのように位置づけられ、展開されるべきなのでしょうか。
諸外国ではDVや虐待のケースについて、加害者向けのカウンセリング等受講命令という「暴力の脱学習プログラム」が導入されています。
日本はこうしたタイプの加害者対応を実施していません。いくつかの民間相談機関の取り組みであるDV加害者向けのグループワークがあるだけです。
たとえば、筆者もその一員である「メンズサポートルーム」での活動があります。精神科医やカウンセラーが主宰するグループワークもあります。グループワークだけではなく、個人の相談や場合によっては夫婦面接をおこなうこともあります。
最終的には離婚となるケース、あるいは再同居を希望するケースがあります。子どもへの虐待が含まれているケースもあります。20代の若者から60代の高齢者まで、職種も、暴力の形態も、家族の事情も異なるDV加害男性たちが集まってきます。
加害男性は「できれば来たくない自主的参加」という矛盾した気持ちを抱いて参加します。しかし、この「曖昧な動機」は、援助者の貴重な手がかりです。DV加害男性たちのグループワークでの語りから垣間見えることはたくさんあります。
筆者の経験から整理すると次のようなことになります。
1)暴力を振るうことへの独特な認知(女はこうすべきだ等)と行動(男ならなぐるもんだ等)と感情の傾向を持っていること
2)思うようにならない事態への対処が暴力としてでてしまうこと
3)妻に言葉で責められたあげくの行動化として暴力がでてくる場合もあること
4)妻や母など愛着対象への依存的な心性があり、暴力として発現させてしまうこと
5)伝統的な家族観や女性への意識や性別役割意識を育った家族のなかで学習してきたこと等です。
グループワークに継続して参加し、自己をみつめ、暴力を認知し、変化の方へと歩み出すことそれ自体がとりあえずは大事だと考えています。この過程は、男らしさ意識の変容、女性依存の克服、自立的な家族観の涵養ともいえます。
こうして生き直しへの貴重な一歩がはじまるのです。その結果、被害者への謝罪や反省へといたります。DVへの介入と加害者へのアプローチは、再び加害者にならないことを援助することが社会の安全を確保し、被害者の安全を保障する上でも大切だという意味で必要なことです。
DVの加害は、行動化され、身体化され、非言語化され、感情化され、ジェンダー化された、つまり愛着対象への変形された「欲求」(自分のものにしておきたい、思うようにならない感情のはけ口等)だと理解できます。
社会的対応としては、対人暴力をともなうので、毅然とした第三者の介入による被害者の救済が危機介入として必要ですし、さらに分離の後には、心理社会的な行動変容への支援による加害者への更生的な援助が必要となります。その手法や技法や理念はすでに民間の援助者により開発され、実践されています。
このDV加害への対応の幅は広いと考えられます。触法性の高い行為への刑事罰的対応から、「大人の非行」とでも形容できる教示的な対応レベルまでの幅があるのです。
体系化すれば、相談、指導、教育、指示・教示、介入・処置、矯正、更生として整理することができます。家庭内でしか暴力を振るわない者もいれば、家庭内外で粗暴な者もいます。
後者のようなタイプの加害者は狭い意味でのDV加害者向けのプログラムには不向きです。脱暴力・非暴力への行動変容の手がかりは、こうしたDV加害の行動的、コミュニケーション的特質を把握し、対人暴力を止めさせる援助です。彼らの心理的問題はそれからの対応となります。
男らしく構成され、意味づけされた加害行為を是正するには、行動的、認知的、技術的(怒りマネジメント的アプローチ)、そして相互作用的、心理的という具合に連続する更生援助のための体系化が必要です。
先に紹介した加害男性同士のグループワークはなかでも大切な契機となります。それはグループワークが異なる男性性の気づきを促すからです。
あるいはグループワークが既存の男性性とは異なることを体験し、認識する格好の場所となるからです。男性がこの社会で生きていく過程で身につけている価値観や行動パターンのなかには、暴力を肯定する側面があります。
そして、感情面では、ストレスや困難に直面したとき、きちんとそれを表現することにも慣れていないことが多く、喜怒哀楽を表に出すことをよしとせず、行動化してしまうこともあります。
女性を低く見る価値観を内面化している男性もまだまだ多くいます。DVの背後にあるこうしたジェンダーの意識も見直しが求められています。
そして何よりも重要なことは、予防です。暴力なしで暮らすことを当たり前のこととすることです。
若い人たちがデート中におこす暴力があります。意に添わないセックスの強要も見られます。男の子が嫉妬してつきあっている女の子の携帯電話の通話記録を見せろと迫ることもあります。
こうしたことはDVと類似しています。恋人間暴力といいます。そこまでいかなくても、若い時から、暴力のない男女関係や同性同士の関係(男性と男性の間の暴力もあります)を気づいていくことが何よりも大切なので、家庭や学校での教育が必要です。
中村 正
立命館大学教授
ドメスティック・バイオレンス
古くて新しい家庭の問題
こころの健康シリーズIII
メンタルヘルスと家族
日本精神衛生会
平成18年2月
家庭内暴力への対応
一般に、家庭内暴力への介入はその関係性に配慮した特殊な形態となっています。
被害と加害の関係の特性に配慮して、保護命令(DV)、一時保護や親子分離(子ども虐待)、接近禁止命令(ストーキング行為)、権利擁護のための保護(高齢者虐待)などの対応が法律によりなされることとなりました。
DVの場合は保護命令ですが、それは、加害者に対して2ヶ月にわたり住居から退去することを命じる退去命令と、6ヶ月の間、被害者に近寄ることを禁じる保護命令が地方裁判所から加害者に発せられます。
子どももその対象にすることができます。元夫婦関係にある者、事実婚にある者も対象となります。被害者に近寄ることが禁じられるのです。その命令に違反すると1年以下もしくはlOO万円以下の罰金という刑罰が科せられるという仕組みです。
これらはすべて一時的な当事者の分離という民事上の措置です。暴力があったからといって刑事事件にせずにこうした措置となったのです。加害者のすべてが触法行為で刑事罰の対象となるのではないということです。
これは被害者も厳罰を望んでいないこともあるというDVの特質に関連しています。法律は罰を課すことには消極的です。とはいえ、危険な関係を継続させるわけにはいかないので、こうした分離の措置をとることとしたのです。
被害を広く救済し、心理的暴力や言葉の暴力や人格の侮辱などとも関わらせて相談の対象としたのです。なぜなら、DVや虐待の特徴はその犯罪とならない暴力、親子や夫婦(元夫婦も)という関係性のなかの行為という点にこそあるからです。
たとえば、心理的な暴力の加害にどう対応すればいいのか、感情的な虐待に対して何ができるのか、被害者が罰を望んでいない場合はどんな対応がいいのか等が問われなければならないと考えます。
したがって、従来の刑罰よりは拡張した領域や関係を対象にした加害者たちへの対応が焦眉の課題となってきたのです。DV加害者は、いままで妻に暴力をふるうことに罪の意識がなかった分、事態がよく理解できません。
自暴自棄になったり、逃れた妻子を追跡したり、社会へと怨恨の感情をふくらませたりするかもしれないのです。
大半のDV加害男性は、夫婦喧嘩だと思っていたのに妻から「あなたの行為はDVだ」と指摘され、呆然自失となり、地方裁判所から保護命令を発令され、家庭裁判所から夫婦関係調整という名の離婚調停に呼び出されたりします。
加害男性の精神衛生も悪化するのです。この時に、彼らを脱暴力の方へとむかわせる行動援助の機会があれば効果的です。
中村 正
立命館大学教授
ドメスティック・バイオレンス
古くて新しい家庭の問題
こころの健康シリーズIII
メンタルヘルスと家族
日本精神衛生会
平成18年2月
家庭内暴力
「犯罪とならない暴力」は数多くあります。親しい者同士だととくに表面化せず、警察も民事不介入として遠ざけてきました。
親しい者同士はその距離の近さゆえに、罵りあい、憎しみあうこととなりがちです。もちろん、それは、いたわりあい、支え合うことと裏腹な関係にあります。
分かって欲しい、こんなふうにして欲しいという感情がそこに介在し、家庭内暴力の独特さがつくられていきます。
家族以外の人にそんな行動をしたり、感情を抱いたりすることはできないのに、親しい間柄の家族ならばいいだろうという感覚が、不法行為としての暴力への感受性を鈍らせていきます。
しかし、事態は変化し、ドメスティック・バイオレンス防止法(DV防止法)だけではなく、児童虐待防止法、ストーカー行為規制法、高齢者虐待防止法が制定され、親しい者同士の暴力への介入がはじまりました。
家庭内の様々な形態の暴力が社会問題とされつつあるのです。古くからある問題に社会が新しく関心を持ち始めたのです。
DVによる被害の特徴と心の傷つき
ドメスティック・バイオレンスを受けると、身体に傷がつくことはもちろんですが、心も傷つきます。愛した人から受けるDVは特別な傷つきとなります。また、DVは、長期にわたり、繰り返し、断続して起こります。
DVのきっかけとして、「それはささいなことだった」とよく殴る人は言います。でも、ささいなことであっても被害を受ける人にとっては深刻です。
そんなささいなことでどうしてこんなに暴力が起こるのか、いつ起こるのか、いつ終わるのかという具合に、恐れをいだきながら日々を一緒に過ごすこととなるからです。
「卵の殻の上で暮らしているようだ」、「地雷とともに生活しているようだ」とよく言われます。こうして、DVの被害者は、いつもなにかに怯え、敏感になり、息苦しいものとなってしまいます。
乳児や要介護老人などは声さえあげられないのです。こうなると安らぎの場としての家庭どころではありません。
やっかいなことに、世間体もあり、加害者が殴らない時もあり、場合によっては謝罪もするので、なかなか表面化しないのがDVです。
こうした環境に長くいると、正常な感覚が麻痺していきます。家族を訴えることとなるので、援助を求めることすら罪悪だと感じてしまうのです。
DV被害者の心理は独特です。心の傷の表れ方は多様ですが、いくつか共通性があります。一つは、暴力を振るわれたその時の出来事が、突然、思い出されるということです。再体験ともいいます。繰り返して、そして衝撃的に記憶がよみがえります。
悪夢を見ることもあります。リアルに想起されることにより、恐怖が高まります。それを思い出させるようななんらかのきっかけからそれらは起こります。その都度、心理的な苦しさや発汗などの反応がおきます。
二つは、その傷を思い出させる契機や出来事に関わるような刺激を無意識的に避けます。あるいはそうした刺激に敏感にならないように防衛心が作用し、感情鈍麻がおこることもあります。
その時のことを想起させる行動、風景、人間、場所、感情、言葉などを避けようとするのです。楽しめない日常となるのです。対人関係も自然ではなくなります。社会的な孤立感を深める場合もあります。心と行動のひきこもり状態が慢性化するともいえます。
三つは、過覚醒(自律神経系の興奮や過覚醒の症状)です。入眠困難、中途覚醒、不眠などです。普段でも一つのことに集中できなくなることもあります。ささいなことに神経が過敏になります。髪を掻くために手を挙げた他人の動作にもビクッとしてしまうような感覚です。過剰な警戒心ともいえるでしょう。
こうした不安定な心理的状態をもたらすので、親しい者同士の暴力は特に深刻な被害となります。夫婦喧嘩ですまされないのがDVです。殴られている被害者が援助を求めることから変化が始まります。
被害にあっていると思われる場合は、都道府県に開設されている「配偶者暴力相談支援センター」が窓口となり、必要な援助を行なっています。緊急性のある場合は、警察署にいくなどして安全を確保することが重要です。
一時的に避難する場所としては各地の婦人相談所の保護施設を利用することもできます。
中村 正
立命館大学教授
ドメスティック・バイオレンス
古くて新しい家庭の問題
こころの健康シリーズIII
メンタルヘルスと家族
日本精神衛生会
平成18年2月
児童・少年と犯罪
21世紀は心の時代といわれながら、私の周囲を見回しても、あまりそのような感じはない。反対に心の荒廃のほうがひどい状態になっているという雰囲気がある。
最近マスコミの報道で目立っているのは、幼児や学童の犯罪被害の様子や建築設計の強度偽装の問題であろうか。いずれも重大な社会問題である。いずれも人間的な尊厳の間題や倫理性の問題に関係した大きな事件のように思われる。
この文章では、幼児・児童が犯罪に巻き込まれることについて、臨床心理の立場から私の思うところを少し述べさせていただきたい。
マスコミの報道があると、私たちは本当に、わが国は犯罪天国になりつつあるのかと危惧をいだかされてしまう。本当に犯罪、ことに青少年の犯罪は増加しているのだろうか。
わが国の社会は徐々にだめになりつつあるのだろうか。この疑問に答えるのは、警察の統計資料や情報を確かめる必要があるだろう。
統計をみてみると、ここ数年の間に、この種の犯界が必ずしも著しい増加を示しているとはいえないようである。言い換えると、このような事件は毎年、同じぐらいの頻度でいつも起こっているのである。
事件に関しては、特に最近の問題というのではなく、これまで一貫して社会的に大きな問題であり続けてきていたということがわかる。
それではなぜ、特に、現在このように社会問題になるのかが問われねばならないが、ここでは、それに深入りしないでおきたい。
精神保健や精神衛生の領域で、犯罪や交通事故とそれによる死者、自殺・これに不登校、引きこもりなどを含めると、私たちは多くの
心の問題にぶつかっていることがわかる。
これらの領域で、精神医学は中心的な役割を果たしている。臨床心理学も少し役に立てるようになってきた。臨床心理の領域の中で、犯罪心理、交通心理、自殺に関する臨床心理、学校臨床心理、産業の臨床心理、精神病院などの病院臨床心理にかかわっている人は少なくない。
しかし、今のところ、いずれも後追いの心理学になっている。事件に追いつかない。事件が起きてしまってから、何とか説明をしようとするのである。話のつじつまはあっているかもしれないが、それでは犯罪や自殺、交通事故、不登校などがくい止められるか。
つまり、起こらないように予防ができるかというと、それに対しては今のところ、ほとんど無力といってもよいのではないだろうか。
ところで、世界の中で精神医学や心理学がもっとも発達しているアメリカで、犯罪は減っただろうか。交通事故は少なくなっただろうか。自殺は少なくなっただろうか。
いずれの問いに対しても答はノーである。臨床心理にかかわる人々は懸命に原因を追求して、予防のための資料集めに努力しているが、犯罪の予防をするのは本当に難しいことである。
児童虐待についてはどうだろうか。アメリカでは法律が整って子どもたちが守られているという。そうだろうか。法律は最後の手段のように思われる。
アメリカでは、隣人の善意でこのような犯罪をくい止めたり、教育でくい止めたりすることが不可能な状況がある。キャンパス・ポリスが拳銃を携帯して大学や高校に普通に配置されている。はっきり警察力によって法律で抑制するしか方法がないのが、アメリカの現状ではないだろうか。
話しは少し変わるが、私はアメリカでしばらく生活したことがある。ニューヨークでは知人のアパートに行くと、鍵は大体3重になっていた。チェーンがあって、メインの鍵があって、上下に2つの鍵が別につけてある。
いろいろなところに鍵をかけるので、鍵はかなり重い日ごろの持ち物である。外に出ると、かばんやハンドバッグはしっかり脇に挟むか、取手をしっかり擢っている。いつも、周囲に注意を払っている。
危ないと思われることや、危ないといわれるところは遠回りしてでも避ける。また、近づかないということを実行していた。精神的にはいつも緊張している感じである。
慣れると、緊張して疲れることは感じないが、しかし、自分を監視し、また周囲に注意を怠たらないのは、多くの隣人の習慣であった。
日本からの多くの訪問者が、「ニューヨークに居ると疲れる」ということを何度も聞いたことがある。実際にそのように自分も感じていた。こんな暮らしが近代的なよい暮らしだろうか。
わが国もその方向に進むのだろうか。わが国の社会や親子関係もしだいにアメリカの親子関係のように、隣人の善意や教育の力ではどうしようもなくなってきているのだろうか。
今までのわが国の優しい人間関係がなくなったのだといわねばならないのだろうか。
この問題を規制したり、くい止めたりする方法が法律以外にないのだろうか。力で抑えるのは人間関係の教育力や優しさを否定する発想であるように思われる。
臨床心理に携わる私たちは力で抑え込んで片付けてしまうことにならないように、ささやかながら頑張っているが、やはり後手となっていることは免れないところである。
報道されているような悲しい事件が、なぜ、どのようにして起こるかをはっきりさせ、その防止対策を考えることは、いうまでもなく大変重要なことである。
しかし、この種の犯罪が増えたから、社会的な防衛のために、すぐに特別の対策を講じなければならないというのは、少し話が短絡的なように思われる。
そのような対策は付け焼刃になりやすく、労多くして、あまり効果のないものになりやすいのではないだろうか。
対策はずっと以前から求められているのであり、マスコミの報道によって、突然に事情が悪くなったり、変わったりしたのではないのだから。
さらに、学校や近所の対処方法も難しいようである。知らない人から話しかけられたら、応えないで「ノーと言いなさい」「逃げなさい」「話しかけることばを信じてはいけません」ということを子どもに伝えることは、重要であり適切な対処方法だろうか。
これらはただ人間不信を植えつけることに過ぎないのではないだろうか。子どもは犯罪者と一般の成人を区別できるはずもない。教師は学校で教えても、教師自身も一歩外に出ると、見知らない大人になる。
つまり自分自身に対して「私を信じてはいけません」と教育しているのだろうか。そして学校では、「私の教えることを信じなさい」と教えるのだろうか。
同じ人物に対して、場面によって違うように対処することを子どもに教えるのは、子どもの心に混乱を与えてしまうのではないだろうか。
子どもたちは周囲を信じて、自分たちは守られているという感覚をもつことがたいへん重要である。これは乳幼児の研究や母子関係の研究や子ども時代に受けた経験が成人になってどのようになるかの研究などで、問題は少しずつ明らかになってきている。
わが国の多くの人が関心を持っている青・少年犯罪の被害や加害に対して、どこから起こるのか、どのようにしたら防止できるのか、また予防することができるようになるのかに関心を持ち続けて、この問題を理解する努力をしていきたいものだと思っている。
鑢 幹八郎
たたら みきはちろう
「児童・少年犯罪被害と社会の守り」
心理臨床学会理事長
心と社会 37巻1号
2006年 123
日本精神衛生会
少サウナ考
温泉には大抵サウナが付いているが、私はこのサウナが大好きで、湯船に入る前にまずそちらに入る。
サウナ発祥の北欧、フィンランド辺りでは、熱くなった身体をそのまま戸外の雪の中ヘダイビングして冷やすのが醍醐味のようだが、あれは頑強なバイキングの末裔だからできる話で、ヤワなわれわれ大和民族にはちょっと過激のようだ(心臓にも悪そうだしね)。
あちこちのサウナに入ったが、なかなか "これぞ" というサウナはない。もう少し何とかならないかと、サウナの備えるべき条件をちょっと考えてみた。
条件その1、十分に熱いこと。「サウナは熱いに決まっている」と思いきや、実はそうでもない所も多い。室内に設置してある温度計は大概90度前後だが、私は100度-110度くらいあったほうがいい。ただ、この温度計も正確かどうか疑わしいので、自分の体感温度で包み込まれるような熱気がある所がいい。
条件その2、室内が広いこと。狭いサウナは戸の開閉、人の出入りで温度が下がってしまう。
条件その3、人がいないこと。日曜日のサウナはいつも混んでいて、上の段までいっぱいのことも多い。ドアを開けた途端、ビッシリと裸の男が座っていると、一瞬ギョッとしてしまう。
でも、この間の医学講演会で皮膚科の先生が、サウナで倒れた広範囲重症熱傷のスライドを出していた。まったくの一人は危険かも知れない。
条件の最後、静かなこと。ただただ熱せられる石の音が時々聞こえるなかで、滴り落ちる汗もそのままに、静かに "じーっ" と座っている。これがベスト。Sound of Silence、「静寂は金」である。(一部省略)
石川 健「少サウナ考」
岩手県水沢医師会月報
495号より
日医ニュース
No.1069
2006.3.20
日本医師会
糟糠の妻
文字を中国から輸入した日本人は、当然のことながら日常会話のなかで、なにげなく使っている言葉でも、中国の故事に由来することが結構たくさんある。
「糟糠の妻」もそうである。私は、ぬかみそ臭い古女房のことだと教えられていたが、それは間違いだった。
陳舜臣の「中国の歴史」巻5、79ぺージには、ほのぼのとした心暖まる解説がある。
後漢の光武帝(劉秀)は、姉の湖陽公主が夫を失って未亡人となったとき、朝臣のなかのだれかと再婚させたいと思いました。
それとなく朝臣を品評して、姉の意見を聞くと、「宋公の威容と徳器は、群臣の及ぶなし」ということでした。
宋公とは、長安出身で大司空にも広った宋弘のことです。そこで、光武帝は姉のために、ひと肌脱ごうと、宋弘を呼び、屏風の後ろに姉を坐らせておきました。
「諺に言う、貴ければ交(とも)を易(か)え、富めば妻を易う、と。人情ならん乎(か)?」
光武帝は宋弘に、そう話し掛けました。大司空になり、列候となったのだから、妻を取り替えてはどうか、それが人情というものではないか、という意味です。
それに対して、宋弘は次のように答えました。
「臣聞く、貧賎の交(とも)は忘る可からず、糟糠の妻は堂より下さず」と。
貧しいときの友人は忘れてはならないし、糟や糠ばかり食べて苦労をともにした妻は、家から追い出してはならないというのです。
光武帝は、あとで屏風の後ろにいる姉の方を見て、「事、諧(かな)わず」といいました。
古女房のことを、よく「糟糠の妻」というのは、宋弘のこのエピソードからきている。後漢は礼教時代であるが、宋弘などは、さしずめ時代の模範生といえるだろう。
川崎 健一郎「糟糠の妻」
東京都西多摩医師会報
No. 387より
日医ニュース No.1069
2006.3.20
日本医師会
ギフチョウの思い出
何かというと暖冬だ、温暖化だといわれる今、ちょっと想像もつかないかも知れないが、ぼくがまだ子どもだったころ、日本の冬はほんとうに寒かった。
家の中の暖房といったら火鉢かこたつだけだった。家族が火鉢のまわりに集まって、炭火で手をあぶりながら背中の寒さをこらえていたり、みんながこたつにもぐりこんで、ミカンを食べたりしていたものだ。
こたつにかぶせたふとんの中は温かかったが、背中はしんしんと冷えるばかり。ガラス戸越しに外を見ると、どんよりと曇った空が、まぎれもなく冬を告げていた。今とくらべて、冬の気温が低かったことはたしかである。
学校では日本の冬は三寒四温と教わった。三日ほど寒い日がつづくと、その後は四日ほど少し温かい日がくるというのである。でもどうして温の日のほうが多いのかといぶかることも多かった。
それは気温だけの問題ではなく、そのころの日本の食料事情のせいでもあっただろう。今とくらべたらはるかにカロリーも栄養も少ない食べものしかなかったから、冬の寒さがよけい身に沁みて感じられていたのではなかったろうか。
厚いラクダのシャツとかズボン下、あるいは大きな袖のような部分のある「夜具」と呼ばれた厚くて重い掛け布団とか、今思うと信じられないような物もあった。
だから2月も終わりごろ、あるいは3月に入ってから、少し温かい日があって、夜中にふと目がさめたとき、しとしとと雨が降る音に気づいたりすると、ぼくは子ども心に、ああ、春雨だなと思って、心が震えるほどのうれしさを感じたものだった。
乾ききった土がその雨で湿り、去年の秋に植えたチューリップの球根が土の中で、やっと小さな芽を出している姿を想像したからであった。
そんな小学生時代の終わりごろ、ぼくはほんとうにふとした機会に、宮川澄昭さんという若い歯医者さんに出会った。宮川さんは亡くなったお父さんの跡を継いで歯科医になったばかりだったけれど、蝶が大好きな人だった。
夏、近くの神社でクスノキの葉につくアオスジアゲハという蝶の幼虫を探しているときに、「幼虫ですか?」とぼくに声をかけてきたのがこの人だった。
そのころは日中戦争のまっ最中。出征する兵士を送ったり、人々が「漢口陥落万歳」の提灯行列をしたりしているという、ぼくにとってはよくわけもわからない時代だったから、昆虫のことなどだれも気にしていなかった。せいぜい「虫取り」ということばがあったくらいである。
そんなとき、いきなり「幼虫ですか?」と聞かれたぼくは、ほんとうにびっくりした。それからぼくは、宮川さんから蝶のこと、昆虫のことをたくさん教わった。その1つがギフチョウという蝶のことだった。
春になると、山にいろいろな蝶が出てくるという。宮川さんは図鑑や標本で、そういう蝶たちの話をしてくれた。
それはぼくが見たこともない蝶ばかりだった。東京ではずっと西の高尾山という山に行くと、こういう蝶が見られるとか。「中でもいちばんきれいなのはギフチョウだ。1年に1回、4月のはじめにしか出ない。それがクズ(葛)の花にとまって蜜を吸っている姿なんて、一度見たら忘れられないよ」
あとで考えたら、このクズの花というのは宮川さんの言いまちがいで、ほんとうはカタクリの花のことだったのだが、そんなことはどうでもよかった。とにかくぼくは、春になったらその高尾山というところへ行って、ギフチョウの飛ぶところを見たくてたまらなくなった。
立春と聞くとギフチョウを思うようになったのはそれからのことである。大げさに言えば、春を待つという漠然とした気持ちに、はっきりした目標ができたのだ。
けれど、実物のギフチョウを見るにはそれから何年もかかった。宮川さんが地図まで書いて教えてくれた高尾山へ行っても、雨が降ったり、寒かったりして、ギフチョウはちらりとも見られなかった。
その後もぼくは、ギフチョウを一目でも見たいばっかりに、いろいろな山に出かけて行った。宮川さん自身に連れていってもらったこともある。宮川さんが昔ここで見たという山でも、一匹のギフチョウもいなかった。
それはギフチョウが卵を産み、幼虫が食べて育つカンアオイという草がなくなったからではないかと宮川さんは言った。けれどそこには、カンアオイの仲間のフタバアオイという草が、少しずつながらまだちゃんと生えていた。けれどギフチョウはもういない。なぜだろう?そのわけは結局わからなかった。
そもそもギフチョウは、なぜ1年に1回しか現れないのだろう? そんなこともぼくにはふしぎに思えてきた。その後何年も経ってから、ぼくはそれを知りたくなって調べてみた。このことは前にこの「猫の目草」に書いたから、読んで下さった人もいるはずだ。
とにかくその後何年も経つ間に、自然とはじつに奥の深いものであることを、ぼくは次第に知るようになったのである。
日高敏隆「立春という言葉に思う」
(ひだか・としたか 人間文化研究機構・地球研所長)
猫の目草(ねこのめぐさ)
波 2006年3月号
新潮社
¥100
スローライフ
スローフード運動を始めたイタリア人に会わないか。そういわれたことがある。そりゃなんだと思って、実体を知りたいと思ったが、会う暇がなかった。
そのあと島村菜津さんの『スローフードな人生!』(新潮文庫)を読んで、そういうものか、と納得した。べつに私はスローライフやスローフード運動を実践しているわけではない。
田舎と都会を往復するという、参勤交代運動だけで十分である。分刻みまでは行かないが、予定表が隙間もなく詰まった生活では、スローライフどころではない。
スローフードについてはさらに向かない面がある。なにしろ戦中戦後の食糧難育ち、食べ物なんてありさえすればいい。グルメなんてくそ食らえ。そういう気持ちがどこかに残っている。
それでも仕事柄、外食することが多くなったら、なんだか具合が悪い。食べ物の文句をいいたくなる。大学をやめ、虫取りに東南アジアに行くようになって、日本の野菜がまずいことに気がついた。味がない、匂いがない。
多摩動物公園昆虫園の職員が、スーパーで小松菜を買ってバッタに食わせたら、全部死んだ。そんな話を聞いてまもなく、中国野菜の農薬の報道が出た。
厚生労働省はタバコを目の敵にしているが、タバコは単体として取り出せるからわかりやすい。食物はそうはいかない。なにを食おうが、十分生き延びているじゃないかという意見もある。
それならタバコも同じである。なにしろ日本人はほとんど世界一の平均寿命を誇っているから、なにかが健康に害があるといっても、ぴんと来ない。狂牛病ではないが、死ぬところまで行かないと、まじめに考えない。
不法行為が実際に起こらないと、手がつけられませんという、警察と同じである。気づかれただろうか。スローフードの一面は、うっかりすると管理社会なのである。
健康に害があるから、タバコをやめなさいという厚生労働省と、ファーストフードなんか食えるかという運動は、乱暴に考えると重なってしまう。
なにかを対象にして、それを排除する。この10年で、日本政府は法令を何100か作ったという話を聞いた。正確なところは知らないが、規則さえ作れば世の中うまく行く。まさかそんなことは考えていないでしょうね。というより、規則を作るのが仕事という人たちを作ってしまったから、そうなる。
島村さんの近著は『スローフードな日本!』である。大根、ドジョウ、牡礪、大豆、牛肉、現代の食物を総ざらいして、裏がどうなっているかを追及する。
紹介するのは面倒くさい。なぜって、その面倒くささこそが、スローフード運動だからである。なぜ面倒かというと、あれとこれ、それとあれでは、「話が違う」からである。その違いがわからない人が増えてきた。だから規則を作れば済むと思ってしまう。
環境問題では、それを生物多様性という。漢字が5つ並んだこの言葉は、たいていの人が敬遠してしまう。スローフードが「面倒くさい」のと同じである。
なぜ生き物があれだけいなけりゃならんのだ。人間だけで十分じゃないか。適者生存なんだろ。それなら人間が適者で、あとはいらない。本音では、そう信じている人が多いんじゃないだろうか。
人間以外の生き物のお世話になっているなんて、夢にも思っていない。おなかの中に、どれだけの生き物が住んでいるかなんて、考えたこともない。
スローフード運動を、私は感覚の復権と考えている。「うまいもの」って、感覚ですからね。われわれの意識は、感覚世界と概念世界に分かれる。感覚の世界ではすべては異なるが、概念の世界はそれを「同じ」だとする。
概念は単に「うまい」という。感覚の世界では、うまいものはそれぞれにうまく、まずいものもそれぞれにまずい。それだけのことなのだが、その世界を実現するのが困難なのである。
なぜなら世界を人はシステム化するからである。システムのなかではコーヒーはスターバックス、そのなかに大中小、濃淡がある。それは白馬と馬の違いに過ぎない。馬はそれぞれ、全部違うんですよ。
昔の喫茶店はそれぞれが、それぞれだった。現代人はそれを嫌う。統一がとれてないじゃないか。値段がめちゃめちゃじゃないか。じゃあ聞くが、俺の1ヶ月の労働と、パソコン1台がなぜ同じ値段なのだ。その論理はどこにあるのか。
概念の世界は一切空で、要するに、と一言でいえる世界である。なにしろゼロと1しかないんだから。感覚は違う。脳科学ではそれをクオリアという。クオリアは物理的には説明不能なのである。
『スローフードな日本!』はどこに行ったか。宣伝するはずだったのに。感覚は一言で説明できない。こういう本は、それぞれにちゃんと読んでもらうしかない。本気で読んでくださいよ。そうお願いするしかない。それこそがスローライフの始まりなのである。
養老孟司「スローライフの始まり」
ようろう・たけし
解剖学者
島村菜津『スローフードな日本!』
4-10-401103-7
波 2006年3月号
新潮社
¥100
恋は粘りが勝負
昔、電化製品がショートして、バチッと青い光を発したと同時に使えなくなることがよくあった。
タコ足配線をしていたり、だらしなくコタツのコードを持ってプラグをコンセントから引き抜いていたりすると起こることだ。
よく感電死しなかったと、今から思えば怖い話だ。けれども、簡単に自力で修理できるような年頃になると、一人前の男になったように感じた。
ネジ回し1本あれば、プラグをばらして黒く焼けた電線を切り、赤や青のビニールをはがして、新しい電線を電極につなぎ直すことができる。修理が済んで、最後に電極のネジを締めなおす時の気持ちよさったらなかった。
女の私がヘンな話だけれど、男と感じたのは、我家の中では、電球1個取り替えるのも父、あるいは男の仕事という不文律が厳密に守られていたせいだ。
松田さんと本というモノの関係は、ネジ回しというモノの力で性別が変わった気分になれる私のような単純なものではない。
編集稼業に目覚めて、オブジェとしての本に興味を持ち、恋をするまでになり、相手を理解して、一体化するために、お見合い前の家柄調べのように構成要素を調べて、仮に失望しても自分の力不足を反省してみたりして、とにかくすべてを包容しようとする。
恋をすると、努力の人になるタイプなのだろうか ?
筑摩書房の名編集者として数々の本を世に出し、TVでも毎週本の魅力を語り続ける松田さん。
「活字離れ」の時代の、出版界の広報部長のような人だ。長年の恋を語るとなれば、一筋縄ではゆかない。読者としても、目からウロコの本になった。
恋の顛末を語る眼となり、頭の中のイメージを代弁する役目は、内澤旬子さんのイラストが務めている。松田さんの視線の動きや注視する速度を伝えるには、カメラではかえって遅いし不自由だ。
絵しかできないクローズアップや、レントゲン写真のように隠れた部分を透視したりして、恋路のありさまを見事に伝えた。
さて、松田さんは恋しい相手を知るためにどうしたか ? 編集者として思い出深い仕事である『ちくま文学の森』第1回配本の「美しい恋の物語」「変身ものがたり」を、「心の中で『ごめんね』と言いながら」バラすことにした。
帯、力バーを外し、見返しと本文の間にカッターを入れて切り離し、表紙から分離された本文を解体する。本のノド側には花布(はなぎれ)と呼ばれる布がついているが、私はこの布がいつも襦袢のように見えて、色っぽい気分になる。
本を手で製本していた頃、花布のあるノドの折丁の部分はルリュールと呼ばれる技で糸かがりされていて、強度を保つために重要なところだった。
私は、銅版画の本を製本してもらった時にその精巧な技を見たことがあるが、今の花布はこれまでの名残りでついているだけらしい。
便利で大好きなスピンに本文紙。手元にある本を比べていると、今さらながら、色んな本文紙があるのに驚く。しなやかさ、白さ、風合い、匂い。文字の乗り方までそれぞれ違う。
我が家の書棚に並んでいる本までこんな風に見えてくるということは、私も恋の熱気にあてられてきたわけだ。
『ちくま文学の森』は、いまでは珍しい「糸かがり」である。本を綴じるものも糸から強度を増してゆく接着剤に主役は移り、「あじろ綴じ」「無線綴じ」と技術は進歩してゆく。
しかし、出版社・製本所は一度造本を決めたら、「ある本を刷り続け、売り続けている限りは、最初のかたちをきちんと踏襲し続けている」そうだ。
それが、「頑なに最初のかたちを死守している」と言われても、「かたちも含めて文化だという意識は大事に持ち続ける」ことにつながるわけだ。
「本」を作っているのは「人」だ。松田さんは様々なジャンルの匠に出会って、"ヘー"とか"ほー"とか感心しながら「本」のなかをずんずん探検してゆく。いくらベテラン編集者だって、印刷や製本やインキの世界は知らないことだらけだ。
あまりに専門的で伝えるのが難しい世界を、エッセイ・辞書・歴史書・技術書などたくさんのジャンルの文章テクニックを駆使して表現し、現場で働いている人たちとの対話でより理解を進め、最後に感想をポツッと眩く。
こんな風に粘り強く「本」に迫らないと「恋」は成就しないものか。ゆきずりに出会ったネジ回し1本で男になる尻軽の私とは違い、松田さんのモノとの恋はとても崇高だ。
山本容子「恋は粘りが勝負」
やまもと・ようこ 銅版画家
松田哲夫(イラスト・内澤旬子)
『「本」に恋して』
4-10-300951-9
波 2006年3月号
新潮社
¥100
世界野球
日本が見せたものは
誇張でなく面白い試合だった。初代世界王座を争った野球の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝は、日本がキューバを突き放して勝った。
「王ジャパン」と呼ばれても、やはり選手が主役である。両チームの選手ともにミスをしたら好守好打で取り返す、そんな気迫のプレーを随所に見せた。
キューバは野球が国技で、五輪をはじめとする世界大会で幾度も優勝している。しかし、今大会に限れば日本のチーム力が上だった。
対戦相手が異なるため単純に比べることはできないが、準決勝まで打率、防御率といったほぼすべてのデータで日本がよい数字を出していた。中でも盗塁数は日本がキューバの4倍、投手が与えた四死球も日本はキューバの3分の1である。いかに攻守のリズムとスピードがあったかを物語っている。
それが見る者をくぎ付けにさせた大きな理由だろう。それはまた、大リーグのスーパースターをそろえながら2次リーグで敗退した野球の本場米国への一つの提示でもある。
同時に日本のプロ野球へも姿を示したのではないか。野球、スポーツの面白さとは何か、見せるスポーツとはこういうものだ、との投げかけである。その方向性は低迷する日本の球界が進むべき道だと考える。
決勝は、公正な判定も試合の妙味を引き出した。2次リーグの日本—米国、メキシコ—米国の試合での明らかに米国有利の判定が、米国のファンにも失望感を与えたのとは際立って見えた。
審判団の構成の問題、非公開の組み合わせ抽選が「米国の、米国による、米国のための大会」の様相を浮かび上がらせていたが、それらは課題を残したというより、基本の欠如と言える。
大会運営でも米国の強引な主導が指摘された。収益配分は大リーグと選手会で計35%に対して、日本など参加国の組織には10%に満たない額にとどまっている。
米国内では大会の注目度が当初から低く、運営で今回赤字なら次回開催はないとの見方も出ている。しかし、それでは勝手すぎる。
スポーツの魅力を十分理解し、それを商品展開につなげるならスポンサーは付くだろう。その点、日本—キューバ戦には気づかされたものが多いはずだ。本場米国がチーム力と運営を立て直し、次回WBCを見せてくれるよう期待する。