月かげの虹 -16ページ目

波長が合う音楽


この間、神保町に立ち寄ったとき、喫茶店に入った。『ミロンガ』という、今どき珍しいタンゴ喫茶である。もちろん新しい店ではない。何しろ僕が学生のときからある。鎌倉の家から東大へ通う道筋でもあり、本を買いに行ったついでなどによく寄ったものだ。

なぜタンゴが好きかと言われても、よくわからない。子供のころは軍歌を歌うのが得意だった。戦時中だったから、多分ラジオから、それしか流れていなかったせいだろう。

ただ、姉が聴いていたレコードのなかに、コンチネンタルタンゴがあったのは覚えている。それから大学時代の友達にマニアックなのがいて、彼の家に遊びに行くと、アルゼンチンタンゴをいやというほど聴かされた。

この友達のおかげで、タンゴ好きはオタクというイメージが出来上がってしまったが、このあたりの影響があるかもしれない。

もっと一般的な音楽でよく聴くのは中島みゆき。強いて好みの一曲をあげれば、加藤登紀子も歌っている『この空を飛べたら」だろうか。コンサートヘも行きたいと思っているのだが、時間がとれず未遂の状態である。

研ナオコもよく聴く。実を言うと、『あばよ』のように、中島みゆきの曲を研ナオコが歌っているのが、いちばんいい。研ナオコの歌のテンポが僕には合うようなのだ。

歌はテンポが肝心。物理学でいう共鳴である。文章もそうだが、波長が合わないと、いくらいいものだからと薦(すす)められても、どうにもならない。

免疫系に好影響を及ぼす音楽療法というものがあるくらいだから、好きで聴いているだけの音楽にも何か効用はあるはずだ。タンゴも中島みゆきも非常に強く情緒的。

僕の仕事は理屈を考えることだから、仕事を離れたところでは、逆に理屈っぽいものは必要ない。むしろ欠けているのは情緒的なものだ。

頭を使うと甘いお菓子が欲しくなるようなもので、バランスをとるのに情緒の濃い音楽を聴きたくなるのだろう。

ところで僕の学生時代と大きく違うのは、今の医学部の学生は音楽を自ら演奏するのがうまいこと。ある意味で暇人が多いのであろう。

医学部といえば偏差値が高いということになっているが、なに入ってしまえば特別な能力はいらない。常識的判断ができれば医者は務まる。

常識というのは、この患者は自分の手に負えないと思えば、信頼できる他の人に任せることである。勉強ばかりしていると、こういった常識があやうくなる場合もある。音楽で頭をほぐしておくのも有効かと思う。

養老 孟司「波長が合う音楽に人は癒される」

SKYWARD 2月号
JALグループ機内誌
旅する脳

児童の性的虐待


特に性的虐待は、欧米の研究から子どもに対する影響が強いことが明らかになっている。1月号特集では触れられていなかったので、もう少し詳しく知りたい。(30歳、勤務医)

たしかに性的虐待は、子どもの心への影響が非常に強く、また複雑であることが、欧米の種々の研究から知られている。

わが国では、専門家間では問題視されてきたが、非常にデリケートな問題でもあるため、マスコミが取り上げにくく、特殊な出来事として話題になりにくかった。

しかし、日本でもそれほど少ないものでないことが明らかになってきている。その具体例は、性交のほか、性器や乳房に触れる、裸にして眺める、被写体とする、成人の性器や性交場面を見せる、ポルノ写真や性的ビデオを見せる、卑猥な言葉を投げかけるなど、子どもの年齢に対し、過度に性的な刺激となる行為全般を指している。

また、児童虐待防止法の子ども虐待の定義は、『保護者あるいはそれに代わる人からの心身の暴力やネグレクト」と、比較的狭い。

しかし、欧米で性的虐待(sexual abuse)といったときには、保護者に限らず、子どもにとって権威をもった人つまり、親戚・教師・年上のきょうだいなど、その他すべての大人からの性被害を"性的虐待"とよぶ。

ここでは、性的虐待に対する医療機関での発見と初期対応について述べる。

性的虐待の発見

性的虐待をはじめ、子ども虐待に対しては、早期発見・早期介入が重要で、発見には不自然さを感知することが鍵となる。

性的虐待は、子どもが打ち明けることで発見されることが最も多い。特に、学校で教師や養護教諭に打ち明けることでの発見が多い傾向がある。

医学的には性器裂傷があるときには性的虐待を強く疑う。性器裂傷で来院する際に、親は机の角にぶつけた、鉄棒にまたがった形で落ちたなどの言い訳をすることが多いが、膣裂
傷は性的虐待以外で起きることはほとんどない。

大陰唇やその周囲に小さな裂傷や打撲か起きることが非常にまれにはあるが、着ていた下着の形状などを聞き、本当に起きうることかどうかの判断が必要となる。

性感染症はもちろん、一般細菌の性器感染症は性的虐待を疑わなければならない。思春期前の子どもの膣は自浄作用が少なく、性的虐待やそのための自慰による物理的な刺激で膣感染症が起きることがある。

低年齢の子どもでは、年齢不相応な性的言動がその発見につながることがある。特に注意が必要なのは自慰行為である。

幼児期の自慰は普通でもありえると教科書に書いてあるが、自然に覚える自慰はうつ伏せで身体をゆすったり、ソファーの角に性器を押し付けたりするのに対し、性的虐待によるものは、他人の手を自分の性器に持っていったり、的確に指を膣に入れたり、他人の身体の一部を使ったりすることが多い。

また、他人の服を脱がせようとしたり、他人の性器を触ろうとしたりすることもある。子どもが描いた絵から、性的虐待が明らかになることもある。

思春期以降では、妊娠で医療機関を受診することがある。親がついてきて見張っているときなどは注意が必要である。

また、思春期の子どもたちは、家出、性的な行動化、性の対象を次々に変える、などの行動上の問題を伴ってくることがある。

さらに、性的虐待を受けた経験は、薬物やアルコールなどへの依存やうつ、そして人格の偏りにつながる危険があるといわれている。

性的虐待に対する医学的評価

性的虐待が疑われる子どもに関する医学的評価は、以下の手順で診察や検査を行って実施する。

性的虐待があったときには、性器の診察および性感染症の精査を行う。特に病原体に関する知識や検査は日進月歩なので、必要に応じ専門科に相談したり、米国疾病予防センター(CDC)のウェブなどで確認したりする必要がある。

精査の目的は、子どもの医学的状態を明らかにし、必要な治療を行うためだけではなく、事実の確認や司法などにおける証拠を確立するためでもある。

1)問診
問診は親子別々に聞くことが必要である。誘導尋問にならないように心がけ、根掘り葉掘り聞くことは避ける。疑いがあるだけで十分であり、それ以上は専門家の司法面接に任せることでよい。

2)全身の診察
性的虐待を受けた子どもは、裸になって他人に診察されることに強い不安を感じる。ときにはフラッシュバックを起こすこともある。十分に説明しながら、衣服の着脱は他人に見られないように気を配り、ガウンやバスタオルを使って、診察前にはどこをどのように診察するかを話して了解を得ることで、不安を取り除きながら診察する。性的虐待が他の虐待を伴っていることも多い。身長・体重の測定はもとより、全身をしっかり診察することが重要である。特に性的虐待と関係があるのは、性器や肛門周囲の外傷や大腿内側の外傷である。

3)性器の診察
性的虐待によって性器に所見があれば、それは強い証拠となりえる。しかし、性的虐待による性器の所見は1~2週間のうちには全く存在しなくなることもあり、性器に所見がないから性的虐待がなかったとはいえない。膣内の精液の採取や精液のかかった可能性のある衣服の保存などが必要になる。そのような診察や精査は専門の婦入科医が行うことが望ましく、婦入科受診が必要となる。性被害を受けた子どもの精査を手がけている婦人科医が身近にいないときには、保健所や民間団体(子どもの虐待防止センターhttp: //www.ccap.or.jp/など)に相談してみるのも一法である。診察は、仰臥位で膝を床に付け、両足底をあわせる蛙位と、腹臥位で胸を床に付け、両足を開いて膝を付いて腰を上げる胸膝位での視診を行う。性的虐待に対する診察は、両陰唇を開いたり、肛門周囲の皮膚をひいたりして、視診を行うだけで十分である。指診や、膣や肛門の開口器の使用は、無意味なだけでなく、子どものトラウマを大きくし、あるいは逆に所見をわかりにくくしてしまう危険性もある。それ以上の診察が必要な場合には、専門性の高い婦人科医に任せるのがよい。性器にタバコの火を押し付けられたり、その他の外傷を負わされたりすることもまれではない。診察する医師は、できるだけ虐待者とは逆の性を選ぶべきで、男性が虐待者となる場合が非常に多いので、女性が望ましい。しかし、泌尿器科の精査が必要な場合、女性の医師を探すのは困難であり、そのような場合には女性の看護師が付き添い、フォローする。男子にとって肛門への性的虐待は非常に強い不安の原因となりえ、診察が二次的トラウマとなることが多い。特に肛門の診察は女性の場合と同様、性器の診察以上に心理面への注意を要する。十分な説明と同時に、子どもの自尊心を十分に尊重しながら、行われるべきである。

4)性感染症のチェック
性的虐待が疑われるときには性感染症のチェックは欠かせない。胎盤感染や産道での感染を除き、思春期前に性感染症が発見されたら性的虐待の疑いは濃厚なものとなるし、早期の治療が必要になることもある。

5)記録
他の虐待同様、子どもや親の言動をできるだけ記録しなければならない。必要に応じて医療所見をもとに診断書や意見書を書く。虐待を診断できなくても、所見を明確に述べることが役に立つ。

通告と虐待者からの分離

性的虐待が疑われたときには他の虐待同様、児童相談所に通告をする。特に、本人が打ち明けたときには、虐待者の元に帰すことは絶対に避けて、安全を守らなければならない。打ち明けたにもかかわらず、虐待者の元に帰されることは無力感を生み、その後に虐待を否定してしまうこともある。

司法面接

性的虐待の場合には、子どもを守るためにも司法関与が必要になることが多い。したがって、早期から司法面接を行っておく必要がある。司法面接はビデオ撮影をしながら、1-2回の面接で、客観的事実をつかむための面接である。誘導にならないように、オープンエンドの質問を行い、子どもの経験を確かめていく。低年齢の子どもでは男女の裸の絵や性器のついた入形(anatomically correct doll)が使われるが、普通の人形でも役に立つこともある。司法面接は臨床面接と異なり、内的真実やそのときの感情を重視するのではなく、あくまでも客観的真実を求めるものである。そのときのテレビ番組などを聞くことで、日時を特定できる場合もある。司法面接は必ずしも医療で行われるものではないが、司法面接の可能性を考え、初期の段階では深く聞きすぎたり、誘導したりするかたちの質問を避けなければならない。

(国立成育医療センターこころの診療部部長 奥山眞紀子)
薬の知識 6月号
June 2005 Vol.56 No.6
ライフサイエンス出版

フォアグラのたたり


私は、若いころは油ものも肉も好きであったが、最近は年のせいか、和食中心の食生活になっている。

3年前に初めて半日ドックに行って、高脂血症、高尿酸血症、肝臓の嚢胞、胆石などを指摘されており、数年前から高血圧も加わったので、立派な "歩く生活習慣病" である。

年に数回、海外でのシンポジウムや学会に出席する。海外での食事は、夜は主に日本食である。特に海外のシンポジウムでよく一緒になるF先生と同席した時には、確実に日本食になる。

F先生は、現地に到着するとまず日本食レストランを探して、夜だけでなく昼も日本食を食べるという徹底した日本食主義者である。
私はそれほどではないが、米国、イギリス、ドイツなどにはあまり美味しいものがないので、消極的日本食主義者といったところである。

とにかくこの15年あまりの間、2人でワシントン、ボストン、パリ、プラハ、フィレンツェ、ローマ、ストックホルム、イーテボリ、バロセロナなど、かなりの都市の日本食レストランを食べ歩いた。

唯一、マルタ島には日本食レストランがなくて、中華レストランを選んだ。やはり、あまり美味しくはなかった。

日本食レストランといっても、必ずしも日本人が経営しているわけではなく、中国人や韓国人の場合もあり、そういうところでは、食べ物に少し違和感がある。

特にヨーロッパ人が寿司を握っていた店は、美味しくなかった。そろそろ2人で日本食レストランのガイドブックをつくろうかという勢いである。

2005年9月に、リヨンで行われた小児内分泌学会連合学術集会に出席した。1日目はいつもどおり日本食レストランに行ったが、2日日はPaul Bocuseで開かれた晩餐会に招かれ、3つ星レストランなら行かねばなるまいと出かけた。

味はとりわけ美味しいというほどではなかったが、それだけで満腹になりそうな大きなフォアグラが出された。もともと嫌いではないので全部平らげ、白身魚のソテーなど、お腹がいっぱいになるほど食べた。

そして、とびきり美味しい赤ワインを味わって満足した。また次の日も、フランス料理でフォアグラを食べ、赤ワインを楽しんだ。

ところが、その日の夜から、猛烈な腹痛に襲われた。これは胆石だと直感したが、とにかく痛い。夜中じゅう七転八倒して、明け方にやっと痛みがおさまった。

次の日も時々腹痛に見舞われ、ほとんど食べられない状態で過ごし、その翌日に這々の体で日本に帰ってきた。

そのころには、もう痛みもケロッとおさまり、病院でMRIをとってみたものの、胆石は前と同じ状態で変わりなしとのこと。

やはり海外に行っても、日本人は和食に限る。フォアグラは、こりごりだ。

後日談 : 12月に焼き鳥のレバーを食べて、また発作を起こし、2006年1月に遂に手術とあいなった。(入院中の虎の門病院で追記)

田中 敏章「和食党宣言」
国立成育医療センター臨床検査部長
薬の知識 3月号
味な話
March 2006 Vol.57 No.3
ライフサイエンス出版

マンガ:夏目房之介

電子頭脳


「必要は発明の母」は西欧から入ったことわざの一つだが、必要を「戦争」と言い換えた言葉も広く知られているように、戦争での必要性から生まれた技術は少なくない。

現代社会になくてはならないコンピューターもその一つ。開発が始まったのは第二次世界大戦中の米国だ。砲撃の際の命中精度を上げるため、正確な弾道を素早く計算する必要があったからだという。大戦終結までには完成しなかったが、水爆実験のシミュレーションに使われ、戦争という枠の中で役目を果たしている。

その後の飛躍的な技術の進歩によって、かつての電子計算機の面影はいまやなくなっている。中国語の「電脳」と同じように、1960年代ごろまで呼ばれていたという「電子頭脳」がぴったりするのが現状だろう。

コンピューターは戦争の様相を変える一方で、その技術は社会の隅々にまで浸透した。日常生活での恩恵の大きさは計り知れない。もっとも、技術に精通した人たちを除けば、十分に使いこなせているとは言い難い。むしろ、振り回されている感じさえする。

自衛隊や各地の警察などで相次ぐ情報流出はその一例だろう。外部に絶対に出てはならない極秘情報が次々に漏れている。むろん、問題のソフトが悪いわけではない。自分は大丈夫、といった勝手な思いこみが、危機意識を薄れさせているに違いない。

コンピューター化の流れは今後も加速していくはず。便利な道具も使いようによっては凶器に化ける、というのは昔からの戒めだ。

2006年3月9日付け
高知新聞朝刊 
コラム「小社会」より

旅するジジイ


団塊世代の旅行願望2006年に退職のピークを迎える団塊の世代。彼らがもっともやってみたいことの第一位が「旅行」だという。

それを裏付けるかのように、利用者の平均年齢が70代というニッコウトラベルなど、高齢者向けの旅行代理店各社の業績は堅調だ。ジジイが旅をしたいと熱望しているということに筆者は意外感を覚えた。

しかし、じつはジジイの遠出願望は日本のお家芸であることを思い出した。そのルーツはなんといっても水戸黄門だ。

旅先で、困った人を助けて礼を言われると「なになに、私は通りすがりの旅の隠居です」と決めゼリフ。そんな隠居の割には、高い問題解決能力、圧倒的なリーダーシップ、深刻な問題あるところに必ず現れて解決する様子は、まさに団塊世代が長年にわたって求め続けてきた理想の「ジジイ」像にほかならない。

そうした理想のじじいたちは今では企業に役員として残り、経営側で活躍を続けている。しかし退職旅願望組は、数千万の退職金をもらい、その高い能力を今度は企業以外のフィールドで生かす機会を手にしている。

そうなると旅に出て通りすがりのジジイとして水戸黄門のように権能を振るうこと(に思いをはせること)は手軽にその機会を試すことができる。

すなわち世界の名所旧跡を訪れ、「ひかえおろう。健康でここまで立派に人生をつとめあげた我ここにあり。頭が高い」と心中で咆吼(ほうこう)する。手荷物とか面倒くさい手続きはすべて旅行代理店(助さん、角さんなどお供の者)にやってもらう。

旅に終わりはない。人生は、旅であり、旅は人生だ。またビザールコスチュームを着るひとときもまた、旅なのであり、だとしたら、やはりこれもまた人生だ。

Text by Tetsuya Ichikawa
水戸黄門と自分を同一視
Alt-fetish.com

http://alt-fetish.cocolog-nifty.com/fj/cat423068/index.html

パートナー選び


ほぼ10年ぶりに大学の知人たちの集まりに出かけてみた。女性ばかり10人ほど集まった。みんな元ワセジョ(早大OG) である。世間一般では優秀とされる彼女たちがどのような20代を駆け抜けたのか、その結果がいろいろで、まさに人生いろいろの感を強めた。

全員が就職したものの、3人は退職して結婚していた。結婚しても仕事を続けている人がいる。仕事を続けている人たちは非常に優秀で企業でも嘱望されているキャリア志向となっている。こうした人たちはとくにめずらしくない。

しかしひとりとんでもなく不幸に見回れているひとがいた。結婚したものの、ダンナと馬が合わず、離婚調停を計画しているというのである。離婚している人が この十人のうち2人もいたのには驚いた。また、結婚しても仕事が忙しいなどの理由から子供を持てないで悩んでいる人もいた。専業主婦を謳歌していたのは1 人しかいなかった。

彼女たちを観察してひとつ思ったのは、彼女たちの幸不幸を決めるのは彼女たちが選ぶ、あるいは選んだパートナー(配偶者)にかかっているということだ。どんなに優秀で人も羨むきらびやかなキャリアがあっても、パートナー選びで失敗するととんでもないことになる。

男選びは年齢を重ねるごとに困難になってくる気がする。筆者に言わせれば、日本は相変わらず女性は税金や世間体から婚姻したほうが独身よりも有利なようになっている。だから彼女たちの今日の話題も、自然に男の問題となるのであった。

ところで筆者は10代のうちから、自分は変態だけれども幸せな家庭を築きたいと願っていたので、こだわってパートナー探しに奔走したため、まずまずの満足な結果を得て今日に至っている。パートナーをさがそうと思っている人は、ぜひとも「本腰を入れて」頑張ってもらいたい。

まずはこんな男はイヤだというのを紙に最低10個、列挙して信用できる友人や親に見てもらうことからはじめるべきだ。バカらしいと思ってはいけない。何と なく、自分の希望とはあわない、イヤだなと思うところがもしパートナーにある場合、婚姻関係を結ぶと必ず失敗する。そういうケースを多々見ている。
 
そもそも幸せで問題がないのならば自覚されない奥さんとダンナの問題。病気もそうだけれど、かかってみてはじめてそのありがたさが分かる。とりとめもないが人生いろいろだと思った。

ところで今日いちばんショックだったのは、彼女たちの誰ひとりとしてFPという資格に関心を持った人がいなかったことだ。ふうんって感じ。

お金の問題は男の問題と同じくらい重要なんだけどね。は~あ。


Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com

http://alt-fetish.cocolog-nifty.com/fj/cat423068/index.html

出来ちゃった婚


シェークスピアが18歳で結婚したのは1582年11月。翌年5月には長女が誕生しているから、いまでいう「できちゃった婚」だったのだろうか。

米語には、妊娠した娘の親から銃を突き付けられて結婚に踏み切る、「ショットガンウエディング(マリッジ)」という言葉がある。銃こそないものの、日本でも似たような例は少なくなかっただろう。かつては望ましい形の結婚とはされていなかった。

ところが、いまやかなり一般的だ。2004年に生まれた第1子の4人に1人強が「できちゃった婚」による出産で、1980年の2倍以上。25歳未満の出産ではこのケースが多数を占めている。性に関する意識や行動、価値観の変化などが絡み合って生じた流れだろう。

「妊娠したから結婚へ」を裏返すと、妊娠がなければ結婚しなかった、にもつながる。その一方では、晩婚化や晩産化の大きな流れは全く変わっていない。将来の日本の人口を左右するといわれる第2次ベビーブーム世代の女性たちも、その軌道を走っている。

いま30代の前半だが、その半数以上が30歳までに赤ちゃんを産んでいないという。少子化が進むのも当然といえば当然。団塊の世代、第2次ベビーブーム世代に続く第3の塊を政府は期待しているようだが、現状では願いはとてもかないそうにない。

早婚・早産と晩婚・晩産、そして無婚・無産と、さまざまな形が同居する日本社会。結婚や出産は個人に属する問題だけに、打つ手はますます難しい。

2006年3月6日付け
高知新聞朝刊
小社会

ウエストサイドワルツ


銀幕の美女から舞台へ、紛れもない大女優の道を歩んで来た人である。今までに多くの役を演じているが、この役は彼女にとって初の翻訳劇であり、初の「老け役」でもある。

ファンにとってはショックかもしれないが、女優として新たな境地を拓こうとした意欲の結果、選んだ役だ。孤独でプライドの高い、音楽を愛する老女、マーガレットとは言っても、70代の役であり、今の感覚では老女と言ってはかえって失礼にあたるかもしれない。

知性の溢れた、理性的な女性である。マーガレットには50代、30代の同性の友達がいる。それぞれに悩みを抱え、彼女のもとを訪れ、喧嘩もするが心が通じもする。

一昨年(2004年)の初演の時は、「老ける」ことに手一杯の感があったが、今年の再演ではグンと芝居に深みが出た。自然に老けることができ、その老いを生きる中で感じる孤独、そして孤独の受容と共存。人との関係。そこまでを掘り下げて見せてくれたことに再演の意味があった。

和服の似介う女優である彼女が翻訳劇を演じた、というのもある意味ではエポック・メーキング的な意味合いを持っている。今までの彼女のイメージにないものだけに、手探りの部分もあったかもしれない。

しかし、それをも自然に演じて見せた。彼女が感じさせる美は、知性に裏打ちされている。こういう個性を持った女優はそう多くはない。そこに彼女の魅力があり、役者としての振幅があるのだ。

この芝居の日本での初演は杉村春子だった。もう20年余も前のことだ。若尾と杉村では女優としてのイメージが全然違う。それに挑戦し、別のイメージを創り上げた若尾文子が、これからどういう女優としての道を歩んでいくのか。振幅を広げた若尾文子の次の挑戦、が楽しみである。

中村 義裕「どうしても書きたい役者」
その34 若尾文子

写真提供:谷古宇正彦

旅する蝶


1. 蝶と蛾
蝶は「蝶よ花よ」と人びとに愛でられるが、蛾はあまり人びとの関心をひかない。「蝶と蛾はどこが違うのか」との質問をよく受ける。分類学上からみれば、蝶は蛾の一部といっても誤りではない。

しかし、蝶と蛾はやはり異なる。よくその区別点として、①蝶は昼活動するが、蛾は夜活動する。②蝶は華やかな色彩をしているが、蛾は暗い地味な色彩をしてい。③蝶は羽をたたんで止まるが、蛾は羽を開いて止まる、などといわれている。

これらはおおよその傾向を示すが、例外が多く、絶対的な区別点にはならない。確かに、夜だけ活動して昼眠っている蝶はいないが、昼活動する蛾はいる。イカリモンガやモンシロモドキなどの蛾は、昼間に活動し、形も蝶と間違われやすい。

色彩については、ジャノメチョウ科の蝶は地味な暗い色彩だし、蛾の中にも華やかな色彩のものもいる。わが国には産しないが、ニシキオオツバメガ(ウラニア)という、マダガスカル産の蛾がいる。

羽は全体に緑色で、後羽に燈色と紫色の部分があり、非常に美しい(図1)。その形もアゲハチョウ科の蝶に似ており、この蛾の標本や図を見せると、多くの人がきれいな蝶だという。

この蛾は、有名な文豪ヘルマン・ヘッセを感激させたもので、その蛾の魅力にとりつかれたことは、「Nach der Weihnachten, 1932(クリスマスが済んで)」と題して、エッセイに書かれているという。

きれいな蛾としては、わが国にもサツマニシキという種額がいる(図2)。この蛾は、前羽の付け根から先端までの長さが約40mm前後の大きさで、青黒色の背景色に白、薄青の斑点を散りばめ、前羽に赤色の帯がある。

幼虫はヤマモガシを食べる。私は、この蛾に一度出合いたいと長らく思っていた。すると2003年7月、高知県立牧野植物園を訪問した時、目の前1mの所に1頭のサツマニシキが飛来した。私は夢中になり、手持ちのデジタルカメラで何枚も撮影した。

蝶には、止まる時に羽を閉じて止まる種、イシガケチョウ(図3)のように羽を開いて止まる種、羽を閉じたり開いたりする種がある。蛾はほとんどすべての種が羽を開いて止まるが、前記のイカリモンガは、羽を閉じて止まる。

それでは、蝶と蛾の区別点はないのかというと、やはりある。それは触覚である。セセリチョウの類を除けば、蝶の触覚はすべて棍棒状である。これに反して、蛾の触覚は糸状のものや羽根毛状のものなどがあるが、棍棒状のものはない。

ただ、ベニモンマダラという小さい蛾の触覚は一見棍棒状であるが、よく見ると次第に先端が膨らんでいるのがわかる。セセリチョウ類の触覚は先が尖っている。

触覚でほとんど区別がつくが、さらにいうならば、蛾は後羽の付け根に棘があるが、蝶にはこの棘はない。しかし、これはもうプロの領域である。要するに、世界中には蝶か蛾かの区別がつかないものは一種もない。

2. 移動する蝶
春から夏にかけて、家の周りに飛んでいる蝶の中で、モンシロチョウはもっとも普通にみられる蝶であろう。普通、モンシロチョウは遠くには移動しないで一生を終える。

けれども、この蝶は大群となって海を越える事実が観察されている。また、イチモンジセセリも、個体が次から次へと一定方向に移動する性質が知られている。

ウラナミシジミは秋によくみられるシジミチョウの一種であるが、暖地で春に成虫になった個体が、世代を繰り返しながら、北海道までも北上する。この蝶は、暖かい所では越冬出来るが、寒い所に到達した個体は死滅してしまう。

遠距離を飛ぶ蝶としては、アサギマダラが有名である(図4)。この蝶は、山道などで遭遇するとドキッとするくらい優雅な蝶で、ゆっくり悠々と飛ぶ。しかし、一度捕まえ損なうと迅速に天空高く舞い上がってしまう。

おそらく、空高く舞い上がった状態から気流に乗って、遠距離を移動するのであろう。記録によると、羽にマークして台湾で放たれた個体が、滋賀県比良山で捕獲された事実がある。この個体は、1,790kmも旅をしたことになる。

3. 日本の迷蝶
まれに、その土地に産しない蝶に遭遇することがある。これらの蝶を、r迷蝶」という。迷蝶に出会うことは、蝶愛好者(蝶屋)の大きな喜びである。私も、これまでに九州で数種の迷蝶を目撃したり、採集したりした経験がある。

迷蝶のほとんどは、東南アジア、中国大陸、朝鮮半島、シベリアから飛来するが、東南アジア、特にフィリピンからのものが多い。これらの蝶は、自力だけで飛んでくるのではなく、風に東って運ばれてくる。台風の後にはよく迷蝶が発見される。中にはその迷蝶がどこから飛来したか特定出来ることもある。

これらの迷蝶の種類は多く、最近の文献では、マダラチョウ科、ジャノメチョウ科だけでも、マダラチョウ科25種、ジャノメチョウ科7種が報告されている。迷蝶は日本で子孫を増やすことが出来る種もある。

もし、冬を越すことが出来れば土着種となる可能性があるが、まず冬を越せない。冬を越えて、南九州で土着種になったものに、タテハモドキ(図5)がいる。

4. 遥かなる旅路
アサギマダラや、日本で発見される迷蝶は、風に乗って流されて遠距離の旅をしてどこかに到着するが、明らかな目的地に向かって長距離を旅する蝶がいる。それは、オオカバマダラ(monarck)(図6)というマダラチョウ科の一種である。

この蝶は、北アメリカに広く分布しており、米国では至る所で普通にみることが出来る。この蝶は、3月下旬頃からカリフォルニアやメキシコの越冬地から、交尾をしながら北米大陸を北上し続ける。

メスは、食草である南アメリカ原産のガガイモ科の植物トウワタをみつけると、それに産卵する。トウワタは強い毒を含んでおり、これを食べた家畜などは中毒して死亡することもあるという。

そして、この植物を食べた幼虫は、体内に毒を持つようになり、鳥に食べられる機会が少なくなる。一度でもオオカバマダラの幼虫を食べた鳥は、毒のために苦しみ、この幼虫は食べてはいけないことを学習する。

食草に卵を産みつけたオオカバマダラは、卵を産むと間もなく死んでしまう。孵化した幼虫は、発生を繰り返しながら、北へ北へと進み、カナダまで到達する。そして、夏の間カナダや米国で発生を繰り返す。

夏にカナダや米国で発生を繰り返したオオカバマダラの羽化した個体は、夏の終わりになると、交尾することなく、南へと大移動を始める。花の蜜を吸いながら、ひたすら南を目指して飛び続ける。

飛行は、あまい羽ばたきをせず、気流に乗り飛び続けるらしい。そして、ロッキー山脈西側の個体群は、カリフォルニア州の太平洋沿岸の数ヶ所に、東側の個体群はメキシコに次々に集まり、そこの木に止まって越冬する。

蝶が止まった木は文字通り、蝶で埋め尽くされる。私は、フロリダ大学を訪問した際、オオカバマダラの研究者として知られるブローワー教授にビデオを見せてもらったが、その光景は言葉で言い表せないほど素晴らしいものであった。不思議なことに、蝶は毎年同じ木々に集まる。

オオカバマダラの飛行距離は、カナダでマークされた蝶がメキシコで発見された事実から、3,300kmの長距離を飛行したことが明らかにされている。

なぜ、この蝶がこのような長距離を飛行して、同じ木に止まって越冬するかは、未解決の大きな大自然の謎である。

西村 譲一「旅する蝶」
無視できない虫のはなし
(西九州大学 客員教授)

参考文献
1)白水 隆 : 『日本の迷蝶 1 マダラチョウ科・ジャノメチョウ科』(蝶研出版、2005)

大塚薬報 2006年1・2月号 No.612
大塚製薬

カミングアウト


男性同性愛者(ゲイ)の専門誌「薔薇族」創刊は、1971年。同じころ美輪明宏の自伝「紫の履歴書」も話題になった。だが、ゲイの人々に対する差別は厳然と存在していた。

「60年代後半は、俳優修業まっしぐら。あのころの自分にとって、ゲイだと公表するのは、ありえないこと。スキャンダル以外の何ものでもありせんでした」

俳優、青山吉良(56)。昨年公開さた映画「メゾン・ド・ヒミコ」、老人ホームで暮らす老いたゲイを好演した。彼が周囲の人々にゲイあることを公表(カミングアウト)したのは、40代になってからだ。それまでは、ゲイであることは絶対黙ってなきゃいけない秘密」だった。

「幼稚園のころ、いじめっ子に『シスターボーイ』とからかわれるのが嫌で、そのたびに向かっていった。でも、小学校高学年でゲイと自覚してからは、僕は他人と違う、ずっと孤独に生きなきゃいけないんだと、子ども心に思っていました」

千葉県松戸市で小さな洋服店を経営する一家に生まれた。幼いころから舞台にあこがれ、俳優を志し、桐朋学園短大演劇専攻科へ。早稲田小劇場を振り出しに舞台一筋に生きてきた。

芝居仲間にもゲイであるのをかたくなに隠していた青山が、カミングアウトしたきっかけは90年代の初め、東京・新宿二丁目のゲイバーで「すてきな酔っぱらい」に出会ったことだ。

「舞台人のためのプロダクションを任された時期で、本で知ったゲイバーに初めて行ったんです。でも、いい年をして、酒も飲めない自分が、そこにいるのが何か物欲しげで嫌になって……」。

そのとき、店内でベロベロに酔っていた男性が声を掛けてきた。「ここはね、本当は、いいことなんかめったに起きないんだけど、皆ひょっとすると、すてきな男に出会えるかも、と期待して来る。それは恥ずかしいことじゃないんだよ」

何でもない言葉のようだが、自分を否定し続けてきた青山には優しく響いた。「あっ、そうか、自分を肯定してもいいんだ。そんなメッセージに聞こえたんです。それから、僕のカミングアウトは始まりました」

東京・神宮前のポット出版。夜7時過ぎに雑誌「クィア・ジャパン・リターンズ」(QJr)の編集会議が始まった。

編集長は伏見憲明(42)。91年に「プライベート・ゲイ・ライフ」を著して以来、日本のゲイ・ムーブメントを先導してきた。小説「魔女の息子」で文芸賞を受賞するなど、多彩な才能を発揮する彼が、今もっとも情熱を注いでいる仕事だ。

「『薔薇族』はゲイの欲望を表現していたけれど、QJrは、ゲイのライフスタイルマガジンにしたいんです。つまり、それだけ数多く、ゲイというライフスタイルを選択した世代が育ってきた。彼らが今後何を選び、作っていくのか、それを一緒に走りながら"サポートしたいんです」

次号のテーマは、同性間での感染の割合が年々高まっているエイズ。ライターの田辺貴久(24)が「去年、友人がHIV(エイズウイルス)陽性と診断されて、人ごとではないと感じるようになった」と、企画案を切り出す。

「本業は東京都内のサラリーマン」の田辺は、会社ではゲイであることを隠しているが、両親や兄弟には数年前にカミングアウトした。「えーっそうだったの、と最初は驚いてたけれど、結構明るく受け止めてくれました」

亡くなった父親にはカミングアウトできなかったという伏見が、分析する。「こういう軽さは、僕らの世代にはなかった。団塊ジュニア世代以降の特徴ですね」。

伏見によると、団塊ジュニア(71年から74年生まれの第2次ベビーブーマー)は、今ゲイの世界で最も明るく元気な世代だという。

「団塊の世代は自らの欲望を肯定して、規範に対してノーと言った人たちですね。そういう世代を親に持つ子どもだから、自由になれるのかなあ」

日本ではゲイの人々の反差別運動は、90年代に本格化した。「団塊の世代が始めなかった唯一の運動、遅れてきた運動」(伏見)だ。

団塊世代の青山は言う。「僕は長い間独りで悩んできたけれど、そのことも含めて、ゲイであることは、人としての豊かさにつながっている気がする。もし自分がゲイでなかったら、他人にも自分自身にも、こんなに向き合ってこなかったと思うから。でも、いつか、カミングアウトという言葉もなくなる日がくればいい。(敬称略)

文・立花珠樹「カミングアウトに光」
「遅れてぎた運動」開花

2006年2月28日付け
高知新聞朝刊
夢見たものは今
団塊世代のアイコン
ゲイ