東洋の自我意識
8. 東洋の無意識
もう1つ思いますのは、先ほど「非常に退行した体験をする」と言いましたが、これは、我々の通常の意識よりももっと意識状態のレベルを下げていくということになると思います。
一般には先ほどregressionという話をしましたが、エネルギーを低下させて、意識のレベルをどんどん下げていくと。そうすると何もかも弱くなり、判断力も弱まってくるわけで、だからこそ馬鹿なことをしたり、それこそ病理的なことがたくさん出てきます。
けれども、意識状態を下げていくということが、実はそういうマイナスのことばかりではなくて非常に高い意味を持っているということを知っていたのは、むしろ東洋人のほうだと私は思います。
このごろは仏教の本をよく読みますので、だんだんそういうことがわかってきたのです。仏教では始めの頃、イム僧たちが修行で何をしているかというと、体をきちんと整えることによって、意識のレベルをどんどん下げていくのです。
意識レベルを下げるのだけれども、明晰さを失わないという訓練をしたのではないかと思います。
我々は意識のレベルが非常に低くなるのは夢の時に体験します。しかし、夢の中では明晰さを失っていますから、話があいまいになっていたり、訳がわからなくなったりするのです。
けれども、修行しているお坊さんたちは眠ってはいません。半分寝ているに近いところで、だんだん意識レベルを下げていきます。
この修行をやって、そういう世界から見たことを仏典に書いているのではないかと思います。
そういう世界で体験したことが、彼らの作ったいろいろな和歌とかそういうものにもなっているし、中には絵を描く人もいます。
禅僧が絵を描いたりしますが、ああいう絵画としても表現されています。それはそれで非常に意味の高いものではないかと、私は思っています。
鈴木大拙が初めヨーロッパで話をした時は、誰もあまり注目しなかったのです。しかし,ユングは非常に注目して、「素晴らしいことをやっている」と。
そして、ユングは「意識レベルを下げて深層に入っていくということは、西洋人よりも東洋人の方がよほど立派にやっている」と言いました。
西洋人の場合は、むしろ我々の日常の意識を高めるといいますか、分析する力をもっと鋭くして、そしていわゆる自然科学とかそういうものにつながるほうへどんどんもっていくわけです。
だからユングは面白いことを言っています。「東洋は精神の豊かさを持っているけれど物質的には貧困だ。ところがヨーロッパのほうは物質的には非常に豊なことをやっているけれど、実をいうと精神は非常に貧困なのではないか」と言っているのです。
我々としては、今これはどちらも大事で、両方やっていかねばならないと思っているのですが、これが先ほど飯田先生に言われた「日本人として」ということになってくると思うのです。
やはりこれからの日本人としては、西洋で非常に洗練された、あるいは磨き抜かれた近代的な自我意識、そこから自然科学も生まれてきたような、そういうものも身に付けます。
その一方で、我々は東洋の伝統として長い間持ってきた、自分の意識レベルをどんどん下げて、簡単に言えば、物事を区別するというよりは、物事を融合して体験するという、人間も花も同じだとか、人間も机も一緒だというような、すごい融合したレベルヘ進んでいきます。
そのような両方が必要ということが、とても大事になってくるのではないかと思います。その時に、今creativityの条件として、regressionということを言いましたが、regressしたすごいエネルギーをもう一度現実化するときには、やはり自分の意識といいますか、自我というものが非常に関係してきます。
ですから、この自我意識というものをどういうふうに持っていくかということも創造に非常に関わるわけです。ところが、自我意識のほうにばかりしがみついていると、創造性が出てこないということになるのです。
つづく
河合隼雄「創造性の秘密」
第51回日本病跡学会 特別講演
日本病跡学会雑誌
No.68
2004年12月25日発行
病気と共に
7. 病気と生きる
それから、これは先ほど言いかけましたが、実際に芸術をやっておられて、すごい天才ということではないのですが、芸術家としては相当やっておられるという方が、幻聴があるといって来られたことがあります。
どんな芸術家かは言いませんが、やっておられるときにどうしても幻聴が聞こえてきて、それが邪魔になってなかなかできない、と言うのでお会いしました。
私はそういう方が来られたときに、1つ大事にしているのは、その幻聴ということを置いておいて、ほかの話になった場合にどのぐらいの現実吟味の力を持っておられるか、ということがわかるようにお話しします。
つまり自分の立場というのを、どういうふうに思っておられるか、収人はどれくらいあって、家族のことをどう思っているか、ということです。そういうことはきちんと普通に話ができるのです。
ただし、幻聴のことになってくると、話を聞いていても、どこまでが幻聴で、どこまでが幻聴でないのかの判断が狂って、捉え方のニュアンスが少し違うのです。
その場合、私はその方にこう言いました。「幻聴があって大変だとは思います。しかしその幻聴をなくそうということを、私とその仕事をやっていくことはもっと大変です。というのは、やはりもっとregressionして、ものすごい退行をして、もっと厳しいillness、非常に病的体験を深めることによってしか治っていくことはできません。
それを私と2人でその病的体験をして、治っていくことは大変なことです。それはもうすごく大変なことです。その大変なことをやっている間は、ひょっとしたら芸術作品はできなくなるかもしれません。
それでもなお、やりたいとまで言われたら、私は私自身も考えさせてもらいますけれど。私の今の考えでは、幻聴は聞こえながらやっておられたらどうですかということです。
そして幻聴が聞こえるのは、疲れている時だと思われたらいかがですか。あるいは幻聴が聞こえてくるというのは、しばらく休めという信号だと思われたらどうですか。
だから幻聴がきて困るとか、何とかそれに負けずに仕事をしようとは思わずに、そういうのが聞こえてきたら、今日はもう寝るとか、今日はもう仕事はやめた、というふうにされて、幻聴と付き合いながら自分の芸術的な作品を作るようにされるか。どちらにするか1週間考えて下さい。来週来られて、もう一度その話をしましょう」と。
すると、次の週に来られて、「いろいろ考えたけれど、先生の言ったことは非常によくわかる。確かに予感もある。だから自分はここに通ってきて、幻聴が出てくる元は何かとか、それを探索するということは一応やめにしたい」と、幻聴と付き合いながら作品を作りたいと言われました。
「そういうことなら、そうしましょう。ただ幻聴がとてもひどくなって何もできなくなったら、これも考えなければいけませんから、その際は来てもらってまた考えましょう」ということでした。
でもその方はもうそのまま来られず、2年ほど経って作品展の案内をいただきました。ですから、その方はそのままずっといかれたのではないかと思います。
これもまた、少し言えば名前がわかるぐらいの名高い芸術家の方ですが、その方はいわゆる書痙です。書こうと思うと手が震えて困るということで、いらっしゃいました。
ところが、聞いていると、「自分のようなすごい芸術家がこんな馬鹿なことで苦しんでいるのは本当に腹が立ってしかたない。だからおまえは専門家なら、これを早く治せ。早く治してくれたらいいのだから」という感じなのです。
先ほどフリースとかトニー・ウォルフの例を言いましたが、このcreativeなdepressionがcreativeに進むための人間関係というもの、これはすごく大事ではないかと私は思うのです。
つまりすごくregressしたところを共に歩むという信頼関係、あるいは共に歩んでいこうという意志といいますか、そういうものがない限り、これはできないと私は思います。
そういう苦しい道を一緒に歩むというのではなくて、「自分はすごい芸術家だから、早くこの病気を治せ」と。
これは普通の病気だったらわかります。「自行は芸術家ですごいけど、腹が痛い。盲腸だ。それなら治して下さい。治って、ありがとうございました」といきますから、それと同じパターンで来ておられるのです。
しかし、みなさんご存じのように、心の問題が関係する場合は決してそうはいかないのです。
私は「今お聞きしていて、早く治せと言われるけど、私にそれはできません。もしやるとするならば、もっと大変な苦しい状況に直面することになるでしょう。
もっとregressして、あなたの芸術活動をしばらくやめねばならないほどの大変な状況になると思います。
だから少し手が震えて書けないという書痙を苦しみながら芸術活動を続けられるか、何としてでもやっていくか、どうされますか」と言ったら、「そんな苦しみと共になどというのは、この書痙がどんなに辛いかという、この辛さを知らないからそんな呑気なことが言えるのだ。何とかして自分は治りたいのだ」と言われるのです。
私は「その苦しみはよくわかりますけど、治すための苦しみがどんな壮絶なものかということを、あなたはご存じないから、今そういうことを言っておられるのです。私は、治すための苦しみの方はよくわかりますので、おいそれとはやる気は起こりません」と言って、引き取ってもらったことがあります。
その後どうされたかは知りませんけれども、この辺は非常に難しいです。やはり2人一緒にいわば地獄巡りをするというような決意がないと、このcreative illnessのregressionというのを共に耐えていくというのは、相当でないとできないのではないかと私は思っています。
私自身はそれほどの天才的な人と出会ったということはありません。一般の方ですけど,それでもその道は大変です。非常に大変であることは、みなさんご存じの通りです。そういう危険性ということも考えていかなければいけません。
つづく
河合隼雄「創造性の秘密」
第51回日本病跡学会 特別講演
日本病跡学会雑誌
No.68
2004年12月25日発行
スタンダード物語
6. 物語
「物語」という言葉を私はこのごろよく使っていますけど、この物語というのは、いろいろな意味でつなぐ意味を持っているのです。
自分の主観的な世界と客観的な世界をつなぐ、あるいは自分とほかの人々をつなぐとか、感情的なものと思考的なものをつなぐとか、何か少しつなぎにくいものをつなごうとするときに物語というものが生まれてくるし、その物語の作り方の中にその人の個性というものが出てくるのではないか、というふうにこのごろ思うようになりました。
だからその人はどういう物語を生きようとするのか、あるいはどういう物語をcreateしようとしているのか、そしてその新しい物語のcreationのきっかけとしてillnessということがある、と考えてクライアントの人にお会いしてはどうかというふうに思い始めました。
なぜこういうことを言うかといいますと、やはりどの社会でも、どの時代でも、一応みんなの考えているような、スタンダード物語みたいなものがあるのです。
たとえば、今は少し廃れてきましたが、一般の人が考えているスタンダード物語というのは、よい中学校に入ってよい高校に入って、よい大学に入って、一流の大学を出て、一流企業に勤めて、あるいは国家公務員になって、そして出世してめでたく終る、というものです。
その間に結婚して子どもができたりとか、そういうのが幸福な物語であると一般的に思っているわけです。
そうすると、みんながその物語を生きようと思って、あるいは自分の子どもにその物語を生かせようと思って、自分の子どもをどこの学校に入れるか、どこの大学に入れるか、どこの会社に就職させようか、というふうに考えているわけですが、そういう一般的な物語というのを、生きられない状態というのが,さっき言いましたillnessなのです。
せっかく受験しようと思ったのに病気になったとか、交通事故にあったとか、いろいろ。そこからむしろ、そんなにスタンダードでない、自分の物語というのは何か、ということが出てくるのではないでしょうか。
私は、日本の平安時代、王朝時代の物語をいろいろ研究しているうちに、特にそういうことを思い始めたのです。
というのは、あの王朝時代というのも、スタンダード物語というのがあったのです。それはどういうことかというと、男の場合は位が上がって一番すごいのは自分の娘を天皇に差し出して、そこで生まれた子ども、つまり自分の孫が皇太子になって、次に天皇になる、というものです。
天皇のおじいさんになるのが最高なのです。だからあのころの物語を読んでいると、とても面白いです。権力闘争で殺し合いをして、誰が勝つかではなくて、みんなおじいさん競争をしているわけです。なんとか素晴らしい娘を産んで。
男が生まれたら全然意味がないのです。女性が天皇のところに入りこんだら、今度は生まれるのは男でないとだめなのです。今度は天皇になってもらわないといけませんから。
それをひたすら待っていて、待っているのだけどなかなか子どもが生まれなかったり、生まれた子どもが男だったり女だったりしたら悲観して、みんな必死になってその競争をしているのです。
女性の場合は、おわかりだと思いますが、内裏に入って天皇との関係ができて、子どもができて、その子どもが天皇になったら、天皇の母親になるわけですから、これは国母というのですが、とても偉大です。
ところが、あのころに源氏物語を書いた紫式部などはそのスタンダード物語にのれないのです。なぜかというと地位が低いから、内裏に入って天皇の手がつくということは、まず絶対にあり得ない。
そういうスタンダード物語から離れているということと、もう1ついいのは、あのころは女性でも経済的に相当に自立しているのです。
もう1つは、あのころは歴史とか事実とか、スタンダードの記録というのはみんな漢文で書いていたのです。ところが、自分の気持ちとか感情を書くのに適している、かな、ひらがなというものが出てきたということが幸いして、あのころ物語がたくさん生まれてくるわけです。
つまり、スタンダードな物語を生きている人は、物語を作る必要がないのです。そういうふうに言ったら、今の日本でもそう思いませんか?
スタンダードの道を歩いている人は、小説なんて読まないでしょう、全然。アホくさくて。ちゃんと出世街道をまっしぐらに行っている人は、あまり小説なんて読まないのです。
というのは、自分は満足していますから。少し外れてくると読みたくなって、我々が読んでいるわけです。
そういうふうに考えると、スタンダードの物語を生きている人のほうが、かえって非常に味気ないというか、つまらないのです。本人は面白くないことをやっていて、楽しいかもしれませんが。
そこからずれて自分の物語を探し出すということをやるのが面白い、というふうに思い始めたわけです。
そんなふうに考えますと、いろいろな人にお会いしている時に意味を感じるわけです。ただ、ここでillnessということが関係してくるということは、やはり非常に危険性があります。
一番単純でわかりやすいのが、私のクライアントの方でおられましたが、今まで小説なんて全然書かなかった方が小説を書いてこられるのです。
読んだら、ある程度面白い。ある程度面白いのだけど、本人は自分の書いた物語に酔っていますから,「これで仕事を辞めて作家になろうかと思います」と、そういうことを言われる人があるのです。
そのときに,「あなたにとっては、これは意味のある仕事ですが、作家としては食っていけません」ということをどこかで言わねばならないのです。これが大変難しいです。あまり早く言うと、余計にまたガタンとなられますから。
なかなか面白いということと,面白いけど金の価値には換算できない、ということをどのようにその人に伝えていくかという、これがなかなか難しいです。
ユングもそのような例を実際に挙げています。そういう危険性が、このcreativityという場合に考えられます。
本人としては、主観的価値は非常に高いのですけど、それがそのまま実際商業価値に結びつくかというと、決してそうとはいえないという難しさがあります。
つづく
河合隼雄「創造性の秘密」
第51回日本病跡学会 特別講演
日本病跡学会雑誌
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イサン過多
5. それぞれの創造性
その次に私が考えたことは、これはまた飯田先生のご質問にも少し関係しているようですけど……。
実は私のところに来られるクライアントの方は、天才的な方はまずいません。時々ありますけど、ちょっとそういう話は後でします。大体は普通の方です。
今日は精神科医の方が多いのではないかと思いますが、精神科医の方のところへ行かれるよりは混乱度がそれほど病的ではないです。
浮気をして、離婚を申し渡されて困っているとか、neuroticな症状とか、そのぐらいです。あるいは誰かに中傷されて、左遷されて、そこからdepressionになったとか、depressionになる前はそういうふうなことで来られるとか、何か普通の状態の人が困った状況になるから来られるわけです。
大変うれしいから相談に来る人はありません。何か困った人が来ます。しかし、なかなか困った状況というのもあるものです。
depressionで死のうかと思って相談に来られた方が、非常にみすぼらしい服装をしておられたので、お金に困っている人だと思ったら、莫大な遺産が入ったと言っておられて、これにはびっくりしました。
急に遺産が転がり込んできて、みんな知っていますから、すぐに寄付とかを取りに来るのです。寄付を出しても誰も喜びません。当たり前のような顔をして持っていくのです。
腹が立つから寄付を出さなかったら、ものすごく嫌な目で見られ、ケチだと言われるのです。友達なんかもみんなわあ一っと集まってくるので、おごると、みんな当たり前みたいな顔をしているのです。おごらないと嫌な顔をされるのです。
莫大な遺産が転がってきて、寄って来る人がお金のために寄ってきているのか、人間関係で寄ってきているのかわからなくなるし、だんだん世の中が嫌になって、「死にたい」と来られた方がいました。
悩みというのもいろいろあるなと思いました。私はこの話をよくしていますが、私の診断ではこれを「イサン過多」といいます。
その話をすると、誰でも言うのが「おれも一度イサン過多になりたい」と。実際なったら大変だろうと私は思いますが。余談ですけれども。
そういう何らかの途方もないことが起こってきたとき。エレンベルガーは、このcreative illnessといったときに、大体中年のあたりを予想して、中年のあたりでの心の病をそのように呼んでいます。
このillnessというのをもっと拡大して、心の病だけでなく、体の病も、今言いましたように、急に離婚を申し込まれたとか、子どもが不登校になったとか、あるいは急に左遷させられてしまったとか、親友に騙されて詐欺にかかって金を取られたとか、そういうふうなことを全部creative illnessと思ったらどうだろうと、私は考え始めました。
そこから、私が話をしているうちに、だんだんすごいクリエイティブなことをされるということはあまりありません。
ただ、depressionのほうはこのごろでは薬が効きますけど、薬が効かない人が来られる場合があります。
薬が効かないから我々のところに来られるわけですけど、そういう人とお会いしていると、それまでの仕事一筋の生き方を変えて、案外その人なりに何かクリエイティブな仕事をされることが割とあります。
絵を描く人、詩を作る人、小説を書く人もたまにあります。日本には和歌とか俳句とかがありますから、ああいうのを新聞に出すとか、写真を撮って発表するとか、そういうことをやってdepressionを乗り越えていく人もあります。
しかしそうではなくても、その方が自分の人生をそこから考え直して生きていかれるという場合、creativityというのを、すごい芸術作品を作ったとか、学問的にすごい発見をしたとか、そういうことだけではなくて、その人は自分の人生というものをcreateしようとしている、と私はこのごろ考えるようになりました。
つまり、同じ人生というのはあり得ないわけです。1人1人みんな違うわけです。その中でcreateするという場合に、私が特に思っていますのは、自分の物語というものをcreateして、その物語を生きようという、そういう仕事をするきっかけとしてのcreative illnessというふうに考えると、すべての人がそうだと言っていいぐらいではないかということです。
だから来る時はみんな非常にnegativeな、マイナスのことで来られて「なぜ、私はこんなに不幸なのだろう」と泣いていますがその時にそこから何かcreativeなことが生まれるのではないかと私が思ってお会いしていると、そうなっていくことが多いのです。
つづく
河合隼雄「創造性の秘密」
第51回日本病跡学会 特別講演
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エレンベルガー
4. creative illness
こういうことが一般にずいぶん知れ渡ってきた中で、少し違う言い方ですが、我々に非常にわかりやすい格好で示してくれたのがエレンベルガー(Ellenberger)のcreative illnessという概念ではないかと思います。
ご承知のように、エレンベルガーは『無意識の発見』の中に書いています。ユングとかフロイトとか、その人たちの伝記をつぶさに調べていきますと、フロイトの場合も相当なノイローゼになっています。
フロイトは自分のノイローゼを何とか克服しようと、自分で自分を分析しながら、それをフリースという友人に手紙に書いたり、話をしたりして克服していきました。
その克服したものを体系化していくと、我々が今日知っている『フロイトの精神分析』という非常にcreativeな仕事につながっていくのです。
ユングの場合は、自伝を書いていますので、自伝を見るとよくわかります。このユングも面白いです。あの自伝は死んでから出版しているのです。生きている間にああいうことを言うと、いろいろ物議を醸すと思ったのでしょう。
そのユングの自伝を見ますと、フロイトと一緒に仕事をして、フロイトと決別してからは相当な混乱状態です。
ユングの陥った混乱状態は、psychosisではないのですけど、psychoticなレベルであるといっていいと思います。幻聴や幻覚、妄想といってもいいような体験をしています。
ユングに関心のある方は自伝を読んでいただくとわかりますが、相当な体験です。ただ大事なことは、ユングはそういう体験をしている一方で、ちゃんと講演もしたり、患者も診たり、論文はあまり書いていませんけれど、現実的なことをこなしているのです。
ユングの言っていることを、すごく図式的な言い方をすると、少しは先ほどの飯田先生のご質問に答えることになるかもしれませんが、相当なregressionを体験している割には現実機能というものは冒されていないのです。
ユングの場合は、現実機能を維持しながらも、相当なregressionをしているといえるのではないかと思います。
フロイトと離れてから、相当なそういう体験をしながらも、一応現実的には食っていける程度のことはきちんとしているのです。
エレンベルガーはそういうことを基にしまして、creative illnessということを言ったわけです。
これは皆さんすでにご存じのことだと思いますのであまり詳しく言いませんが、要するに中年の頃に心理的・精神的に大変な混乱状況に陥ってそれがしばらく続くとき、それを克服していく本人の過程の中でだんだんはっきりした考えができてきて、それを次に外へ向かって発表し体系化していった場合には、相当創造的な仕事になるのだということです。
それから、エレンベルガーはそれほど強調していないと思いますが、私が非常に面白いと思ったのは、フロイトの場合はフリースという相手がいるのです。フリースにずっと手紙を出していました。
ユングの場合は、トニー・ウォルフという女性がいます。このトニー・ウォルフという女性に話をしています。だから、誰か相手になる人間を必要としているのです。
その場合に、フリースがフロイトよりも偉大であるという必要はないし、トニー・ウォルフがユングより偉大な人であるという必要はないのです。
しかし、ちゃんと聞いてくれる人がいないとcreativeなものに結びつけていくことができないというところが、非常に面白いと思います。
ついでに言っておきますが、ヘルマン・ヘッセは神経症になった時にユングのところに来ました。ユングは、自分は会わないと言うのです。
なぜかというと、あまり才能のある者が会うと影響しすぎる、と。だから自分よりも、自分の弟子がヘッセに会うほうがいいだろうと、わざわざ自分の弟子を紹介しています。
その弟子とヘルマン・ヘッセは話をしながら内的体験を深めていって、そこから『デミアン』なんかが生まれてくるわけです。話し相手がいて、その話し相手は必ずしもcreativityがなくてもいいというところが、我々にとっては非常にうれしいところです。
我々にはそのcreativityはないけどpsychotherapyをしているというのは、非常にやりがいがあると思います。
ともかく、エレンベルガーが、今言いましたcreative illnessということで、創造性の秘密を明らかにしました。
つづく
河合隼雄「創造性の秘密」
第51回日本病跡学会 特別講演
日本病跡学会雑誌
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イメージと創造
3. イメージと創造
ユング派もフロイト派(Freudian)も、大体深層心理学を考えている人は、意識・無意識ということを考えますけれども、無意識的なものが意識化されるときに、言語的に把握される前に「イメージとして把握される」とか「非言語的な体験で把握される」と言っています。
その「非言語的なこと」に「イメージ」という言葉を使っているのです。これはいわゆるビジョンという、我々が目をつむって見えるという、そういうときもあるでしょうが、やはり音としての場合もあるのではないかと思います。
あるいは、言語的にうまく言えないけれども「これだ」としか言い様のないような体験とか、そういうものを広く「イメージ」と呼んでいいのではないかと思います。
その大量のエネルギーを持ってprogressしてくるものがイメージとして把握されたときに非常にクリエイティブなことが起こるのです。それは一瞬の体験であることもあります。
確かユングは引用していなかったと思うのですが、私がそういう話で一番好きなのは「モーツァルトは自分の作曲したオーケストラを一瞬のうちに聞くことができる」というものです。モーツァルトとしては、一瞬の体験なのです。
ところが、彼がしたイメージ体験のような一瞬の体験を一般的な人々に通用する形で描くならば、20分間の交響曲になるというわけです。
アンリ・ポアンカレという人が、それと同じようなことを『科学と方法』の中に書いています。
ポアンカレは数学者なのです。関数論の問題を、ある山荘に行って考えました。いくら考えてもうまくいきません。あきらめて帰ろうと思って、帰る時に馬車にぱっと足をかけた途端にさっとわかったのです。「解けた」と思うのです。
その「解けた」というのは一瞬の体験なのですが、彼がその場でわかったことを、みんなに論理的に説明がつくように完全に計算するためには、家に帰ってからずいぶん長い時間がかかっているのです。そして長い論文として提出しています。だから私は、モーツァルトの交響曲とよく似ていると思います。
クリエイティブな体験をした人は、一瞬の非言語的な、何かイメージとしか言い様のない体験をして、それを一般の人に伝えるときに、ポアンカレのほうは数式で論理的にやっていくし、モーツァルトの方は交響曲として楽譜に書いているという、そういうことをやっているわけです。
ここでユングが強調しているのは、regressionということをpathologicalにばかり見ないということが非常に大事ではないか、それのconstructiveな面をよく知っていることが大事だ、ということです。
実はもうみなさんそういうことは百も承知だと思いますけど、フロイト派ではregression in the service of the egoという概念が出てきまして、同じregressionでもin the service of the ego、つまりエゴの関係しているregressionはcreativityにつながるのだと言い出したわけです。
つづく
河合隼雄「創造性の秘密」
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心のエネルギー
2. ユング派からみた創造ということ
ですから、非常に優れた創造性を持った人のことを、我々が学問的にわかるのかというと、本当はわからないのではないかと思っているのです。
しかしそればかり言っていては仕方ありませんので、一応心理学者としてはものを言っています。
私はC.G.ユングの心理学を勉強してきました。ユングもいろいろなことを言っていますけど、その1つにpsychic energy心のエネルギーというのがあります。このことを彼は大切にしています。
我々は心のエネルギーを使って仕事をしています。確かに物体の動くいろいろな仕事は、本当にエネルギーが動いてなされるわけですが、心の方も心のエネルギーを使っていると思うとよくわかります。
その時に、心のエネルギーを自我が自分の支配下においてどんどん使うように流れている時は、これはprogressionで、エネルギーが進行しているというのです。
それに対して、心のエネルギーが全部regression、つまり退行してしまう時があります。
そのregressionが起こると自我は使えるエネルギーがありませんので、理解に苦しむようなことをしたり、馬鹿なことをしたり、変なことをするというのです。
ここで今私はregressionというのを心のエネルギーのほうに使ったのですが、みなさんご存じのようにregressionというのは「退行」と訳されていて、「年齢的に退行して子どもじみたことをする」それが退行です。
考えてみたら、そういう退行をする時と心的エネルギーが低下しているということは大体パラレルですので、同じ現象をどちらから見て言っているかということになると思います。
regressionというと、どうしてもイコールpathologicalというようにみんな思うのですが、ユングはregressionにはpathologicalなregressionとそうでないのがあると言いたいのです。
ユングによると、pathologicalなregressionはそれが非常に長い間続いて固定化されてしまうようになり、それが困るのですが、むしろ健康で建設的constructiveなregressionは、regressしたそのエネルギーが大量にもう一度progressしてくることが起こるのだというのです。
そのときに、それはイメージと結びついてエネルギーが出てくる場合が多いということです。
つづく
河合隼雄「創造性の秘密」
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日本病跡学会雑誌
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創造性と心理療法
はじめに
今日はお話を受けて喜んでやってまいりました。こういうときに、アメリカ人は必ずジョークを言うし、日本人は必ず弁解をするという話ですが、私は日本人的に弁解から始めようと思います。
文化庁長官というのは非常に不思議な仕事です。周りには非常にcreativeな芸術家の方がおられて、直接接することが多いのです。
文化庁長官になった一番の役得は、普通は舞台の上にいて近寄り難いような指揮者や、すごい美術を描く人とか、そういう人と近くでお話しできることです。
でも、私のしている仕事はまったくcreativeではありません。私は「日雇い労務者」と言っているのですけど、その日に手配された仕事を言われた通りにするだけの仕事なので、誰にでもできるのではないかと思います。
そういうわけで、私の仕事からはあまり創造性の秘密というのはお話しできないと思うのですが、ご勘弁願います。
1. 創造性と心理療法
私は、今はもう離れてしまいましたが、昔は大学で臨床心理学を教えておりました。臨床心理学の概論を学部の2年生ぐらいに教えるのですが、その概論の始ま りの時に「臨床心理学をやりたいという人は、何か悩んでいる人や困っている人の役に立ちたいと思っている人が多いのです。
それがもう失敗の始まりなのですが、そう思ってやる人が多い。君たちも困っている人の役に立ちたいと思っているだろうけど、人の役に立つということはなかなか大変なのです。非常に難しい。その例として挙げるが…」とよく言っていました。
そして、1つの例を挙げるのです。どんな例を挙げるかのというと、たとえばこんな例です。
「意識が混乱し自分の帰る家もわからなくなって錯乱しているというので、警官に連れてこられた四十がらみの男がいる。話をしようと思うと耳が聞こえないらしく、筆談をすると、まだ独身で結婚はしていない。
自殺未遂も、遺書も書いたことがあると言う。では1人で住んでいるのかと聞くと、養子をもらっているのだと言う。
ところがその養子の母親と大喧嘩ばかりしている。その養子の母親の話をすると、激烈な調子で嘆くし、どうも家もわからなくなっている。服装ももちろんめちゃくちゃな、そういう人が来た」。
そういう人が来たら、臨床心理士としては、何とかこの人が普通の服装をして、養子をもらっているのならせめて仲良くして、そして遺書なんて書かずに生きるように、というふうに助けるのがいいと思うかもしれません。
しかし、僕は全然助けません。なぜかというと、その人の名前を聞いたらわかります。その人の名前は、ルートウィヒ・ヴァン・ベートーベンなのです。
ベートーベンという人は、今言ったようなことを本当にやっていた人です。そのベートーベンさんが来られた時に、うっかり一生懸命にサイコセラピーなどをして普通にしたら、交響曲は7番ぐらいで終わりになるのではないかという気がします。
ベートーベンの伝記を読みますと、意識的か無意識的かわかりませんけれど、「八方ふさがり」ではなく「七方ふさがり」なのです。
あらゆるところで馬鹿なことをやっては全部ふさいで、1つだけ窓が開いている。その窓が音楽なのです。その窓から全部のものを出して、すごい作品を残したのです。
こういう人に対して、我々に何ができるのかと考えると、非常に難しい。だから臨床心理の仕事というのは大変なのだと言うのです。
私がそういうことを言っている基は,おわかりのように、「人の役に立つなどということは、なかなか難しくてわけがわからん」ということと、「非常に天才的 な創造性を持った人というのはなかなか理解ができない。その人の人生に対して口を挟むことはできるのだろうか」ということなのです。
そういうことも考えないと我々の仕事はできないという意味で、このたとえ話はよくやります。
つづく
河合 隼雄「創造性の秘密」
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特別講演
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2004年
ツツガムシ病
1.渡し船
今から約半世紀も前のことである。その日、東京を発つ時心配だった雨はとっくに止み、空はからりと晴れて、広い平野の彼方には遠く福島県の山々が見える。その山の上には、夏らしい積雲が姿を現している。
50年来といわれる洪水の名残のためか、阿賀野川は黄色くにごって流れている。今、1艘の渡し船は岸を離れて川の上を静かに進んでいる。
私は、学生時代にダニの類「ツツガムシ(恙虫)」の種頻や季節的消長を調べてゆくにつれて、次第にツツガムシにはまりこんでいった。そして、東北地方の古典的ツツガムシ病を媒介する、「アカツツガムシ」が住む有毒地を訪ねたいという願いがエスカレートしていった。
このようなわけで、東京でのインターンの夏休みを利用して、はるばる阿賀野川に来たのであった。船を漕いでいるのは、佐々 学先生から紹介いただいた中川佐一郎さんである。
「最初に川村先生をこうしてご案内して、中州に渡ったのは、私が30歳になったばかりの頃でした。もうあれから40年以上になりますなあ」と言って、72歳とは思えない元気な中川さんは、私の知らない大正、昭和の初期の時代を語り始めてくれた。
2.ツツガムシとツツガムシ病
チグリス・ユーフラテス川の例を挙げるまでもなく、人類の文明は大河のほとりに興った。わが国も例外ではない。
川のほとりでは、文明の発祥とともにそこに風土病が発生する。わが国の恐ろしい河川流域の風土病としては、日本住血吸虫症、ツツガムシ病がある。
ツツガムシ病の研究は、日本医学が世界に誇る業績の1つである。病原体の発見、臨床、感染経路、疫学は、日本人学者によって解明された。
病原体は、最近までリケッチアの一種とされていたが、現在では属が異なり、オリエンチア属とされ、Orientia tsutsugamushiと命名されている。
臨床症状は、発熱、発疹、刺し口が主要症状である。発熱は39~40度に達し、激しい頭痛、悪寒、全身倦怠、食欲不振、筋肉痛、関節痛、結膜充血、咽頭発赤、下痢、嘔吐等が起こる。
約2週間の弛張熱、または稽留熱が出現した後、次第に解熱する。発疹は、2~5病日に出現する。直径5mm前後で、紅斑性、丘疹性で、全身に出現するが、胸、腹、背部が好発部位である。これらの発疹は7日程度で消退し始めるが、重症例では出血性になることもある。
ツツガムシの刺し口は、通常1個で、体幹、腋窩、陰部などに見られ、約10mm程度の
黒褐色の痂皮を生じ、その周辺には、発赤と腫脹がある。刺し口の痛みは、ほとんどないとされている。刺し口の所属リンパ節の腫脹がみられ、全身のリンパ節の腫脹は約半数に見られるという。
重症例では、DICによる出血傾向、髄膜刺激症状、高度の意識障害、けいれんなどの中枢神経症状、肝障害による黄疸の出現、血圧低下、肺炎などを合併する。
不適切な治療では、血管内皮細胞に病原体が増殖し、全身の血管が障害され、心、脳障害、DIC、多臓器不全などで死亡する。
診断は、刺し口の確認とともに、血清中の特異抗体の陽性、病原体のDNA検出などである。治療は、テトラサイクリン系の抗生剤が第1選択薬である。
ツツガムシは、節足動物のダニ類に属する。この虫は、幼虫から成長するためには、ネズミやヒトなどの哺乳動物の体液を吸わねばならない。哺乳動物の体液を吸うのは、幼虫の時の1回だけである。
多くのツツガムシは病原体を持たないが、少数のツツガムシはツツガムシ病の病原体を持っているので、これらの虫に刺されたネズミやヒトは、ツツガムシ病に感染する。
1匹のツツガムシが何人ものヒトを感染させることはない。また、この病気はヒトからヒトヘは感染せず、ネズミからも感染しない。
病原体はツツガムシの卵→幼虫→若虫→成虫という発育環の中で保有され、ツツガムシの親から子へと代々受け継がれてゆく。病原体を持ったツツガムシは、ある範囲に群がって棲息している(有毒地)。
ツツガムシの種類は、日本からは91種が知られており、ヒトにツツガムシ病を媒介するのは、アカツツガムシ、フトゲツツガムシ、タテツツガムシの3種である。
アカツツガムシは夏期(7~8月)、タテツツガムシは秋期(lO~12月初旬)、フトゲツツガムシは春期(4~6月)と秋期(lO~11月)の年2回、それぞれ幼虫が発生する。幼虫の出現する時期と患者発生時期は一致する。
ツツガムシ病は、東北地方の河川流域、すなわち、新潟県の信濃川、阿賀野川、山形県の最上川、秋田県の雄物川の流域に、夏期(7~9月)に発生する風土病として、古くから知られていた。
ところが、その後ツツガムシ病はシベリア沿海州などに広く存在することが判明した。東南アジアでは、草原熱(scrub typhus)と呼ばれている。
第2次世界大戦後、ツツガムシ病は富士山麓、伊豆七島など、沖縄と北海道を除く全国に存在することが明らかになった。東北地方の古典的ツツガムシ病に対して、これらは新型ツツガムシ病と呼ばれる。
3.「川村中州」
渡し船の目指す所は、葦が生い茂った中州である。この中州こそ、新潟医専の教授(後に慶應義塾大学教授)であった川村麟也博士が、初めてこの地で研究を行い、数々の貴重な業績を生んだ中州で、「川村中州」として、研究者の間で世界に知られた場所である。
この「川村中州」を取り巻いて流れる阿賀野川の流れは、幾世紀にわたる住民のツツガムシ病に対する恐怖と、死者の恨みと、この疾患に対して解明に努力した研究の歴史を流しているのだ。
私は、船の上であの山々を見ながら、中州に渡っていった若い研究者とその時代のイメージを水面に描くのだった。
「この船で、私は何回たくさんの先生方をお運びしたか分かりません。佐々先生や、朝比奈先生、北岡先生、伊藤先生もお連びしました。特に、佐々先生は、3年間も毎年続けてお出でになり、熱心に研究なさいました」と中川さんは語り続ける。
川村博士は、最初現場での研究補助者を求めて村に来られたが、その仕事の恐ろしさゆえに、誰一人応募しなかった。中川さんは体が弱く、当時の徴兵検査に合格しなかった。なにしろ富国強兵の時代である。
中川さんは、仲間が兵隊になるのに肩身の狭い思いであった。熟慮の末、「自分は体が弱く、兵隊となってもお国のために尽せない。この仕事を引き受けて、ツツガムシ病に罹って死んでも、それは戦死したと同じではないか、誰も引き受けないなら、自分が引き受けよう」と決心して申し出た。
明治生まれの気概が感じられる。中川さんは、感染の恐怖の中で毎日仕事をしていた。幸いにして、「川村中州」では川村博士考案の予防衣のおかげで、一人の犠牡者も出なかったが、死の恐怖は少しも薄らぐことはなかった。
ツツガムシ病研究は、最も多くの感染犠生者が出た研究といわれている。実際に、着任わずか2年の西部増治郎教授をはじめ、4人の犠牲者が出ている。この事実からも、その仕事の恐ろしさが分かる。妻のスイさんも、夫の仕事を手伝うようになった。2人には幾多の感謝状が贈られている。
最初、中川さんはこの仕事は何週間か、あるいは長くとも2、3か月だと思っていたが、なんと44年も続くとは夢にも思わなかったそうである。
今、船を漕いでいる中川さんの顔には、44年の長き日を自分の信念に生き、これまでやってきた仕事の誇りと満足感が表れているのだった。
4.アカツツガムシを採る
中川さんの話に聞き入っている間に、もう「川村中州」は目の前に迫ってきた。中州は、葦が一面に生えているやや広い土地である。滑り込むように、船は中州の砂地に着いた。
「上陸だ」私はそう叫んで船から飛び下りた。ついに目的地の第一歩を踏んだのだ。中川さんは船を繋いで、スイさんとともにゆうゆうと船を降りてきた。
私は予防薬を手足につけてから、中州の地面をじっと見た。ある、ある、鼠穴が。早速、3人は芋を付けたネズミ取り用のパチンコを穴の出口に並べ始める。私もパチンコを仕掛けるのに自信があったが、中川さん夫婦には及ばない。
翌朝、再びここに来てパチンコを回収するわけである。その日は、中川さんの家に泊めてもらう。帰ってから、風呂を使わせてもらったが、この風呂はかつて川村博士が気楽に汗を流された風呂だそうである。
その夜はゆっくり休んで、翌朝早く船で「川村中州」に向かう。中川さんが船を繋いでいるが、それすらもどかしく、私は船を飛び降り、パチンコを仕掛けた場所に走っていった。パチンコにネズミが掛かっていた。
ハタネズミだ。ネズミの耳殻に目を近づけてみる。耳殻内に動いている数個の橙赤色の小さい斑点。顕微鏡で見なければ断定出来ないが、ここで捕れたハタネズミの耳殻に寄生しているのは、まずアカツツガムシに間違いない。
「これです、これです」と中川さんも認めてくれる。今こそ、有名な有毒地に踏み入り、アカツツガムシを自らの手で採集したのだ。この喜びと感激は大きかった。
私は、この地に来るのに、役場から自転車を借りてきていたので、帰りもその自転車に採集したネズミとパチンコを積んで、長い長い、阿賀野川の堤防をペダルを踏んで走った。
私は、何度か自転車を止めては、だんだん遠ざかってゆく「川村中州」を振り返ってみるのだった。この日の出来事が、今、まるで昨日のことのように鮮明に思い出される。
西村 謙一「川は流れる」
(西九州大学客員教授)
無視できない虫のはなし 7
大塚薬報 2005年12月号
No.611
大塚製薬工場
逃避法
私は基本的にはこんな格好をしてボーっと過ごしたり、変なことに没頭していたい。
ところが実際は勤労と納税の義務を遂行するためにあれこれやらなければならないことに時間を使う必要がある。
仕事とか。家事とか。細かい手続きとか。郵送しなければならない書類の作成および投函とか。ボケ防止のために励む資格取得試験対策の暗記作業とか。
でもやる気が起こらなくて困ることがある。時間がどんどん過ぎていくが、成果出ず、義務果たせず、「留保」な時が過ぎていく。
そんなときの強引なワザを今日はみなさんにご紹介したいと思う。みなさんもやる気が起こらないときはあるはずだ。取りかかれば早い、やればできるんだけれど、ああそれは判っているんだけど、最初のイッ挙手が、どうしてもでない、そういうやらねばならないことの不作為に、どう対処するか。
不作為(やるべきこととかやると期待されていることやら、動作一般を、しないこと)の特効薬はモティベーションの向上である。モティベーション、すなわちやる気が出れば、不作為は一掃できる。
やる気を出す画期的な方法、それは、私が名付けるところの、「逃避法」だ!
よく、やるべきことがある人は、やるべきリストを紙に書き出して優先順位を付けて重要度の高いものからやってみろという。また、非常に長期にわたる大プロジェクトのような仕事に最初に取りかかるときは、そのプロジェクトの巨大さのあまりやる気が起こらないものだが、プロジェクトを可能な限り細かい仕事に分けてこなせばできるという。
しかし私の提唱する逃避法ではそんな面倒くさい複雑なプロセスは不要だ。
逃避法は、学生時代に試験前に、部屋の整理や掃除が、試験前になると異様にはかどることに注目して編み出された。
試験勉強(ジョブA)がイヤだから、掃除整頓(ジョブB)に逃避してしまう、そういう人は少なくないはず。もちろん、掃除ではなくマンガ(とかゲーム)に逃避した人もいるかも知れないが、漫画(ゲーム)が身近にあったことが残念でしたという感じである。
試験前の掃除はなんだか後ろめたい。ところが勉強も掃除も、じつはやらねばならないことであることに変わりはない。やればそれなりの成果が得られる。だったら、やればいいじゃん。そのほうが精神安定上健康だし、掃除をしてリフレッシュすれば試験勉強だってはかどる。親だってきれいに部屋を掃除しているのを不快には思わないだろう。
社会人の仕事に応用する逃避法は、試験勉強をたとえば数日後のプレゼンの資料作成、掃除を交通費の明細書書きといった感じにする。で、どうするかというと、プレゼン準備をしていて、飽きたら精算書書き、そしてまた飽きたらプレゼン準備と、次々に、相互のジョブへ逃避する。
こうした伝統的な「仕事術」とはちょっと違う私の提案する「逃避法」とは、優先順位は振らず、やるべきことをいくつも並行して持って、あれをやったかと思えばこれをやる、みたいにあらゆるやるべきことを同列に扱い、サッサッと飽きるにしたがって、別のやるべきことに取りかかる方法である。
飽きたら別のことに取りかかるところが、「優先順位法」とか、「細分法」と違う。何しろ、一度Aという仕事に取りかかっても、終わろうが終わるまいがBという別の仕事に取りかかってしまうんだからもう、端から見ると私は、無秩序で、アホで、落ち着きのない、他動性衝動のような、教室内をうろつく小学生のような、そういう感じである。
このやり方のいいところは、「やる気」がつねにリフレッシュされて持続する点だ。
ただ注意しないといけないのは、逃避先にレジャーとか娯楽、単なる休憩を入れるとダメと言うこと。そういうのを入れると、生産的逃避の連鎖が崩れ、二度と生産性の高いジョブへ戻れなくなる。そんなの逃避にならないと思っちゃうから。
生産的逃避先は、自分でも多少は楽しめたり、あるいは意義のあることを、できるだけたくさん用意する。用意するというのは、ちょこっとずつ取りかかっておくという意味。
プレゼン作成なら、パソコンを立ち上げてワードを立ち上げてファイル名を付けてとりあえず保存する。白紙でいいから。英語の勉強なら教材を開いておく。幸い、世の中には仕事上でも、また仕事に役立つ勉強のネタでも、あらゆる「逃避先」であふれかえっている。
ボッーッとしたら何も終わらないけれども、何でもいいから、ちょっとずつかじっていけばいつかは終わる、そういうようなもんです。もう一個、注意して欲しいが、緊張感があまりない方法なので、ミスが起こりやすい。これは注意したほうがいい。もっとも、ミスが起こってもいいからとにかくこなす拙速主義が必要なジョブもあるだろうから、必要に応じて。
私のような、集中力の欠けた人にまさにふさわしい、そういうやり方のご紹介であった。
モティベーションを上げる仕事術「逃避法」
Text by Tetsuya Ichikawa
Alt-fetish.com