創造性と心理療法
はじめに
今日はお話を受けて喜んでやってまいりました。こういうときに、アメリカ人は必ずジョークを言うし、日本人は必ず弁解をするという話ですが、私は日本人的に弁解から始めようと思います。
文化庁長官というのは非常に不思議な仕事です。周りには非常にcreativeな芸術家の方がおられて、直接接することが多いのです。
文化庁長官になった一番の役得は、普通は舞台の上にいて近寄り難いような指揮者や、すごい美術を描く人とか、そういう人と近くでお話しできることです。
でも、私のしている仕事はまったくcreativeではありません。私は「日雇い労務者」と言っているのですけど、その日に手配された仕事を言われた通りにするだけの仕事なので、誰にでもできるのではないかと思います。
そういうわけで、私の仕事からはあまり創造性の秘密というのはお話しできないと思うのですが、ご勘弁願います。
1. 創造性と心理療法
私は、今はもう離れてしまいましたが、昔は大学で臨床心理学を教えておりました。臨床心理学の概論を学部の2年生ぐらいに教えるのですが、その概論の始ま りの時に「臨床心理学をやりたいという人は、何か悩んでいる人や困っている人の役に立ちたいと思っている人が多いのです。
それがもう失敗の始まりなのですが、そう思ってやる人が多い。君たちも困っている人の役に立ちたいと思っているだろうけど、人の役に立つということはなかなか大変なのです。非常に難しい。その例として挙げるが…」とよく言っていました。
そして、1つの例を挙げるのです。どんな例を挙げるかのというと、たとえばこんな例です。
「意識が混乱し自分の帰る家もわからなくなって錯乱しているというので、警官に連れてこられた四十がらみの男がいる。話をしようと思うと耳が聞こえないらしく、筆談をすると、まだ独身で結婚はしていない。
自殺未遂も、遺書も書いたことがあると言う。では1人で住んでいるのかと聞くと、養子をもらっているのだと言う。
ところがその養子の母親と大喧嘩ばかりしている。その養子の母親の話をすると、激烈な調子で嘆くし、どうも家もわからなくなっている。服装ももちろんめちゃくちゃな、そういう人が来た」。
そういう人が来たら、臨床心理士としては、何とかこの人が普通の服装をして、養子をもらっているのならせめて仲良くして、そして遺書なんて書かずに生きるように、というふうに助けるのがいいと思うかもしれません。
しかし、僕は全然助けません。なぜかというと、その人の名前を聞いたらわかります。その人の名前は、ルートウィヒ・ヴァン・ベートーベンなのです。
ベートーベンという人は、今言ったようなことを本当にやっていた人です。そのベートーベンさんが来られた時に、うっかり一生懸命にサイコセラピーなどをして普通にしたら、交響曲は7番ぐらいで終わりになるのではないかという気がします。
ベートーベンの伝記を読みますと、意識的か無意識的かわかりませんけれど、「八方ふさがり」ではなく「七方ふさがり」なのです。
あらゆるところで馬鹿なことをやっては全部ふさいで、1つだけ窓が開いている。その窓が音楽なのです。その窓から全部のものを出して、すごい作品を残したのです。
こういう人に対して、我々に何ができるのかと考えると、非常に難しい。だから臨床心理の仕事というのは大変なのだと言うのです。
私がそういうことを言っている基は,おわかりのように、「人の役に立つなどということは、なかなか難しくてわけがわからん」ということと、「非常に天才的 な創造性を持った人というのはなかなか理解ができない。その人の人生に対して口を挟むことはできるのだろうか」ということなのです。
そういうことも考えないと我々の仕事はできないという意味で、このたとえ話はよくやります。
つづく
河合 隼雄「創造性の秘密」
第51回日本病跡学会
特別講演
日本病跡学会雑誌
No.68
2004年