東洋の自我意識
8. 東洋の無意識
もう1つ思いますのは、先ほど「非常に退行した体験をする」と言いましたが、これは、我々の通常の意識よりももっと意識状態のレベルを下げていくということになると思います。
一般には先ほどregressionという話をしましたが、エネルギーを低下させて、意識のレベルをどんどん下げていくと。そうすると何もかも弱くなり、判断力も弱まってくるわけで、だからこそ馬鹿なことをしたり、それこそ病理的なことがたくさん出てきます。
けれども、意識状態を下げていくということが、実はそういうマイナスのことばかりではなくて非常に高い意味を持っているということを知っていたのは、むしろ東洋人のほうだと私は思います。
このごろは仏教の本をよく読みますので、だんだんそういうことがわかってきたのです。仏教では始めの頃、イム僧たちが修行で何をしているかというと、体をきちんと整えることによって、意識のレベルをどんどん下げていくのです。
意識レベルを下げるのだけれども、明晰さを失わないという訓練をしたのではないかと思います。
我々は意識のレベルが非常に低くなるのは夢の時に体験します。しかし、夢の中では明晰さを失っていますから、話があいまいになっていたり、訳がわからなくなったりするのです。
けれども、修行しているお坊さんたちは眠ってはいません。半分寝ているに近いところで、だんだん意識レベルを下げていきます。
この修行をやって、そういう世界から見たことを仏典に書いているのではないかと思います。
そういう世界で体験したことが、彼らの作ったいろいろな和歌とかそういうものにもなっているし、中には絵を描く人もいます。
禅僧が絵を描いたりしますが、ああいう絵画としても表現されています。それはそれで非常に意味の高いものではないかと、私は思っています。
鈴木大拙が初めヨーロッパで話をした時は、誰もあまり注目しなかったのです。しかし,ユングは非常に注目して、「素晴らしいことをやっている」と。
そして、ユングは「意識レベルを下げて深層に入っていくということは、西洋人よりも東洋人の方がよほど立派にやっている」と言いました。
西洋人の場合は、むしろ我々の日常の意識を高めるといいますか、分析する力をもっと鋭くして、そしていわゆる自然科学とかそういうものにつながるほうへどんどんもっていくわけです。
だからユングは面白いことを言っています。「東洋は精神の豊かさを持っているけれど物質的には貧困だ。ところがヨーロッパのほうは物質的には非常に豊なことをやっているけれど、実をいうと精神は非常に貧困なのではないか」と言っているのです。
我々としては、今これはどちらも大事で、両方やっていかねばならないと思っているのですが、これが先ほど飯田先生に言われた「日本人として」ということになってくると思うのです。
やはりこれからの日本人としては、西洋で非常に洗練された、あるいは磨き抜かれた近代的な自我意識、そこから自然科学も生まれてきたような、そういうものも身に付けます。
その一方で、我々は東洋の伝統として長い間持ってきた、自分の意識レベルをどんどん下げて、簡単に言えば、物事を区別するというよりは、物事を融合して体験するという、人間も花も同じだとか、人間も机も一緒だというような、すごい融合したレベルヘ進んでいきます。
そのような両方が必要ということが、とても大事になってくるのではないかと思います。その時に、今creativityの条件として、regressionということを言いましたが、regressしたすごいエネルギーをもう一度現実化するときには、やはり自分の意識といいますか、自我というものが非常に関係してきます。
ですから、この自我意識というものをどういうふうに持っていくかということも創造に非常に関わるわけです。ところが、自我意識のほうにばかりしがみついていると、創造性が出てこないということになるのです。
つづく
河合隼雄「創造性の秘密」
第51回日本病跡学会 特別講演
日本病跡学会雑誌
No.68
2004年12月25日発行