エレンベルガー
4. creative illness
こういうことが一般にずいぶん知れ渡ってきた中で、少し違う言い方ですが、我々に非常にわかりやすい格好で示してくれたのがエレンベルガー(Ellenberger)のcreative illnessという概念ではないかと思います。
ご承知のように、エレンベルガーは『無意識の発見』の中に書いています。ユングとかフロイトとか、その人たちの伝記をつぶさに調べていきますと、フロイトの場合も相当なノイローゼになっています。
フロイトは自分のノイローゼを何とか克服しようと、自分で自分を分析しながら、それをフリースという友人に手紙に書いたり、話をしたりして克服していきました。
その克服したものを体系化していくと、我々が今日知っている『フロイトの精神分析』という非常にcreativeな仕事につながっていくのです。
ユングの場合は、自伝を書いていますので、自伝を見るとよくわかります。このユングも面白いです。あの自伝は死んでから出版しているのです。生きている間にああいうことを言うと、いろいろ物議を醸すと思ったのでしょう。
そのユングの自伝を見ますと、フロイトと一緒に仕事をして、フロイトと決別してからは相当な混乱状態です。
ユングの陥った混乱状態は、psychosisではないのですけど、psychoticなレベルであるといっていいと思います。幻聴や幻覚、妄想といってもいいような体験をしています。
ユングに関心のある方は自伝を読んでいただくとわかりますが、相当な体験です。ただ大事なことは、ユングはそういう体験をしている一方で、ちゃんと講演もしたり、患者も診たり、論文はあまり書いていませんけれど、現実的なことをこなしているのです。
ユングの言っていることを、すごく図式的な言い方をすると、少しは先ほどの飯田先生のご質問に答えることになるかもしれませんが、相当なregressionを体験している割には現実機能というものは冒されていないのです。
ユングの場合は、現実機能を維持しながらも、相当なregressionをしているといえるのではないかと思います。
フロイトと離れてから、相当なそういう体験をしながらも、一応現実的には食っていける程度のことはきちんとしているのです。
エレンベルガーはそういうことを基にしまして、creative illnessということを言ったわけです。
これは皆さんすでにご存じのことだと思いますのであまり詳しく言いませんが、要するに中年の頃に心理的・精神的に大変な混乱状況に陥ってそれがしばらく続くとき、それを克服していく本人の過程の中でだんだんはっきりした考えができてきて、それを次に外へ向かって発表し体系化していった場合には、相当創造的な仕事になるのだということです。
それから、エレンベルガーはそれほど強調していないと思いますが、私が非常に面白いと思ったのは、フロイトの場合はフリースという相手がいるのです。フリースにずっと手紙を出していました。
ユングの場合は、トニー・ウォルフという女性がいます。このトニー・ウォルフという女性に話をしています。だから、誰か相手になる人間を必要としているのです。
その場合に、フリースがフロイトよりも偉大であるという必要はないし、トニー・ウォルフがユングより偉大な人であるという必要はないのです。
しかし、ちゃんと聞いてくれる人がいないとcreativeなものに結びつけていくことができないというところが、非常に面白いと思います。
ついでに言っておきますが、ヘルマン・ヘッセは神経症になった時にユングのところに来ました。ユングは、自分は会わないと言うのです。
なぜかというと、あまり才能のある者が会うと影響しすぎる、と。だから自分よりも、自分の弟子がヘッセに会うほうがいいだろうと、わざわざ自分の弟子を紹介しています。
その弟子とヘルマン・ヘッセは話をしながら内的体験を深めていって、そこから『デミアン』なんかが生まれてくるわけです。話し相手がいて、その話し相手は必ずしもcreativityがなくてもいいというところが、我々にとっては非常にうれしいところです。
我々にはそのcreativityはないけどpsychotherapyをしているというのは、非常にやりがいがあると思います。
ともかく、エレンベルガーが、今言いましたcreative illnessということで、創造性の秘密を明らかにしました。
つづく
河合隼雄「創造性の秘密」
第51回日本病跡学会 特別講演
日本病跡学会雑誌
No.68
2004年12月25日発行