病気と共に | 月かげの虹

病気と共に


7. 病気と生きる
それから、これは先ほど言いかけましたが、実際に芸術をやっておられて、すごい天才ということではないのですが、芸術家としては相当やっておられるという方が、幻聴があるといって来られたことがあります。

どんな芸術家かは言いませんが、やっておられるときにどうしても幻聴が聞こえてきて、それが邪魔になってなかなかできない、と言うのでお会いしました。

私はそういう方が来られたときに、1つ大事にしているのは、その幻聴ということを置いておいて、ほかの話になった場合にどのぐらいの現実吟味の力を持っておられるか、ということがわかるようにお話しします。

つまり自分の立場というのを、どういうふうに思っておられるか、収人はどれくらいあって、家族のことをどう思っているか、ということです。そういうことはきちんと普通に話ができるのです。

ただし、幻聴のことになってくると、話を聞いていても、どこまでが幻聴で、どこまでが幻聴でないのかの判断が狂って、捉え方のニュアンスが少し違うのです。

その場合、私はその方にこう言いました。「幻聴があって大変だとは思います。しかしその幻聴をなくそうということを、私とその仕事をやっていくことはもっと大変です。というのは、やはりもっとregressionして、ものすごい退行をして、もっと厳しいillness、非常に病的体験を深めることによってしか治っていくことはできません。

それを私と2人でその病的体験をして、治っていくことは大変なことです。それはもうすごく大変なことです。その大変なことをやっている間は、ひょっとしたら芸術作品はできなくなるかもしれません。

それでもなお、やりたいとまで言われたら、私は私自身も考えさせてもらいますけれど。私の今の考えでは、幻聴は聞こえながらやっておられたらどうですかということです。

そして幻聴が聞こえるのは、疲れている時だと思われたらいかがですか。あるいは幻聴が聞こえてくるというのは、しばらく休めという信号だと思われたらどうですか。

だから幻聴がきて困るとか、何とかそれに負けずに仕事をしようとは思わずに、そういうのが聞こえてきたら、今日はもう寝るとか、今日はもう仕事はやめた、というふうにされて、幻聴と付き合いながら自分の芸術的な作品を作るようにされるか。どちらにするか1週間考えて下さい。来週来られて、もう一度その話をしましょう」と。

すると、次の週に来られて、「いろいろ考えたけれど、先生の言ったことは非常によくわかる。確かに予感もある。だから自分はここに通ってきて、幻聴が出てくる元は何かとか、それを探索するということは一応やめにしたい」と、幻聴と付き合いながら作品を作りたいと言われました。

「そういうことなら、そうしましょう。ただ幻聴がとてもひどくなって何もできなくなったら、これも考えなければいけませんから、その際は来てもらってまた考えましょう」ということでした。

でもその方はもうそのまま来られず、2年ほど経って作品展の案内をいただきました。ですから、その方はそのままずっといかれたのではないかと思います。

これもまた、少し言えば名前がわかるぐらいの名高い芸術家の方ですが、その方はいわゆる書痙です。書こうと思うと手が震えて困るということで、いらっしゃいました。

ところが、聞いていると、「自分のようなすごい芸術家がこんな馬鹿なことで苦しんでいるのは本当に腹が立ってしかたない。だからおまえは専門家なら、これを早く治せ。早く治してくれたらいいのだから」という感じなのです。

先ほどフリースとかトニー・ウォルフの例を言いましたが、このcreativeなdepressionがcreativeに進むための人間関係というもの、これはすごく大事ではないかと私は思うのです。

つまりすごくregressしたところを共に歩むという信頼関係、あるいは共に歩んでいこうという意志といいますか、そういうものがない限り、これはできないと私は思います。

そういう苦しい道を一緒に歩むというのではなくて、「自分はすごい芸術家だから、早くこの病気を治せ」と。

これは普通の病気だったらわかります。「自行は芸術家ですごいけど、腹が痛い。盲腸だ。それなら治して下さい。治って、ありがとうございました」といきますから、それと同じパターンで来ておられるのです。

しかし、みなさんご存じのように、心の問題が関係する場合は決してそうはいかないのです。

私は「今お聞きしていて、早く治せと言われるけど、私にそれはできません。もしやるとするならば、もっと大変な苦しい状況に直面することになるでしょう。

もっとregressして、あなたの芸術活動をしばらくやめねばならないほどの大変な状況になると思います。

だから少し手が震えて書けないという書痙を苦しみながら芸術活動を続けられるか、何としてでもやっていくか、どうされますか」と言ったら、「そんな苦しみと共になどというのは、この書痙がどんなに辛いかという、この辛さを知らないからそんな呑気なことが言えるのだ。何とかして自分は治りたいのだ」と言われるのです。

私は「その苦しみはよくわかりますけど、治すための苦しみがどんな壮絶なものかということを、あなたはご存じないから、今そういうことを言っておられるのです。私は、治すための苦しみの方はよくわかりますので、おいそれとはやる気は起こりません」と言って、引き取ってもらったことがあります。

その後どうされたかは知りませんけれども、この辺は非常に難しいです。やはり2人一緒にいわば地獄巡りをするというような決意がないと、このcreative illnessのregressionというのを共に耐えていくというのは、相当でないとできないのではないかと私は思っています。

私自身はそれほどの天才的な人と出会ったということはありません。一般の方ですけど,それでもその道は大変です。非常に大変であることは、みなさんご存じの通りです。そういう危険性ということも考えていかなければいけません。

つづく

河合隼雄「創造性の秘密」
第51回日本病跡学会 特別講演

日本病跡学会雑誌
No.68 
2004年12月25日発行