イメージと創造
3. イメージと創造
ユング派もフロイト派(Freudian)も、大体深層心理学を考えている人は、意識・無意識ということを考えますけれども、無意識的なものが意識化されるときに、言語的に把握される前に「イメージとして把握される」とか「非言語的な体験で把握される」と言っています。
その「非言語的なこと」に「イメージ」という言葉を使っているのです。これはいわゆるビジョンという、我々が目をつむって見えるという、そういうときもあるでしょうが、やはり音としての場合もあるのではないかと思います。
あるいは、言語的にうまく言えないけれども「これだ」としか言い様のないような体験とか、そういうものを広く「イメージ」と呼んでいいのではないかと思います。
その大量のエネルギーを持ってprogressしてくるものがイメージとして把握されたときに非常にクリエイティブなことが起こるのです。それは一瞬の体験であることもあります。
確かユングは引用していなかったと思うのですが、私がそういう話で一番好きなのは「モーツァルトは自分の作曲したオーケストラを一瞬のうちに聞くことができる」というものです。モーツァルトとしては、一瞬の体験なのです。
ところが、彼がしたイメージ体験のような一瞬の体験を一般的な人々に通用する形で描くならば、20分間の交響曲になるというわけです。
アンリ・ポアンカレという人が、それと同じようなことを『科学と方法』の中に書いています。
ポアンカレは数学者なのです。関数論の問題を、ある山荘に行って考えました。いくら考えてもうまくいきません。あきらめて帰ろうと思って、帰る時に馬車にぱっと足をかけた途端にさっとわかったのです。「解けた」と思うのです。
その「解けた」というのは一瞬の体験なのですが、彼がその場でわかったことを、みんなに論理的に説明がつくように完全に計算するためには、家に帰ってからずいぶん長い時間がかかっているのです。そして長い論文として提出しています。だから私は、モーツァルトの交響曲とよく似ていると思います。
クリエイティブな体験をした人は、一瞬の非言語的な、何かイメージとしか言い様のない体験をして、それを一般の人に伝えるときに、ポアンカレのほうは数式で論理的にやっていくし、モーツァルトの方は交響曲として楽譜に書いているという、そういうことをやっているわけです。
ここでユングが強調しているのは、regressionということをpathologicalにばかり見ないということが非常に大事ではないか、それのconstructiveな面をよく知っていることが大事だ、ということです。
実はもうみなさんそういうことは百も承知だと思いますけど、フロイト派ではregression in the service of the egoという概念が出てきまして、同じregressionでもin the service of the ego、つまりエゴの関係しているregressionはcreativityにつながるのだと言い出したわけです。
つづく
河合隼雄「創造性の秘密」
第51回日本病跡学会 特別講演
日本病跡学会雑誌
No.68
2004年12月25日発行